後編
騎士団の詰め所。
街の警邏中、いきなり老齢修道女に抱き付いて離れなかったイヴァンは、長い取り調べの末にやっと無罪放免で解放された。
アヤが、迷子だった子供の頃のイヴァンを自分が修道院で保護し、その恩をイヴァンが強く感じていたのだと、取り調べをしたイヴァンの上司にうまく言い繕ってくれた。
アヤがそんな説明をしている最中でも、イヴァンはうっとりとした目でアヤを見つめていたため同僚達が気味悪がり、なかなか容疑が晴れなかったのだ。
アヤは取り調べが終わったらすぐに帰されたが、イヴァンは紛らわしいことをした罰ということでそのまま夜勤に就かされた。
夜が明けると予定通り日勤に就かされ、更に雑用を言い渡され……アヤのいる修道院に駆けつけたのは再会から丸2日が経っていた。
街の外れにひっそりと建っている古く小さな修道院。その小さな一室のベッドでアヤは寝ていた。
「アヤ……」
修道女に案内されたイヴァンが話し掛けると、アヤはゆっくりと目を開けた。
「……イヴァン。何だか久しぶりね」
見た目は、前世でイヴァンが死んだ時の年齢より上かもしれない。そんなアヤだが、イヴァンの目には何故かウェディングドレスを着ていた時のアヤに見えていた。
「やっと、会えた。でも正直、アヤと再会した時まで、それまでのことを忘れていたんだ」
アヤもそうだったらしい。二人で不思議だと話しながら、今までどうして暮らしていたのか話した。
アヤは貴族令嬢として生まれたが、なぜか結婚すること無く、親の反対を押し切って修道女になり長い間ここで暮らしていた。
イヴァンも騎士学校時代に幾つか婚約の話があったものの、何故かしっくり来ず独り身で過ごしていた。
イヴァンは体を起こそうとしたアヤにそっと手を貸した。そして、
「アヤ、結婚しよう」
いきなりイヴァンが告げた。アヤはびっくりしてしばらく固まっていたが、すぐにふふっと笑った。
「遅かったわ。イヴァン」
申し訳なさそうに、悲しそうに笑うアヤに何故だと言い寄ろうとした時、アヤがゴホゴホと咳き込んだ。
イヴァンは慌ててアヤの背中をさする。激しく咳き込んでいたアヤは、しばらくしてようやく落ち着くと、心配そうなイヴァンを見て言った。
「ここ何年か肺を患っていて……もう、時間がないの。イヴァンに再会した時も、よくして貰った街の人達に最後の挨拶をしていたのよ」
思いがけないアヤの言葉に、イヴァンの目から大粒の涙が溢れる。
「そんな……やっと会えたのに。やっと一緒になれると思ったのに」
アヤの手をしっかり握ったまま、イヴァンが流れる涙もそのままにアヤから目を離さずに言う。
「不思議ね。イヴァンが王城に呼ばれたあの時から、私とは一度も目を合わさなかったのにね」
真っ赤にしたイヴァンの目を見つめ返しながら、アヤはふっと笑った。あれほど恋焦がれたのに叶わなかった黒い瞳が自分を見つめている、その状況が不思議だった。
「心の中にはアヤしかいなかった。一度でも目を合わせると、僕は全てを投げ捨ててアヤを連れ去ってしまいそうで怖かった。あの結婚は王命だと考えて、仕事だと思って自分を殺して全うしたんだ。」
アヤの枯れ木のような手を自分の頬に当て、イヴァンは続ける。
「アヤと最後に王城で顔を合わせた夜、アヤの兄上がうちに来たんだ。僕はすぐに手紙を託した。ま、一発殴られた後だったけどね」
『イヴァンに会ったら一発殴ってやろうと思っていたんだが……』とあの時の兄は言っていたはずだが、ちゃっかり殴ってたんだと、アヤは笑った。
「やっと、一緒になれると思ったのになぁ……」
そう言ってイヴァンはまた、涙を流した。アヤは見慣れたイヴァンの黒い髪をそっと撫でた。
「大丈夫。今回ちゃんと会えたのだもの。次こそは、生まれ変わったら一緒になりましょう」
そう言ったアヤは、翌日には意識を無くし、やがて穏やかに旅立った。
イヴァンはすぐに騎士団長に転籍願いを出し、紛争が起こっている国境地へ赴任した。そこでは先頭を切って敵陣へ向かい、そして短い生涯を終えた。その戦いぶりを見た味方の騎士は、まるで死にに行くような無謀さだったと遺族に語った。
***
「また、今回も出会えたわね、イヴァン」
10歳ぐらいの身なりの良い女の子は、腕に抱いたイヴァンに話し掛ける。
「ワンッ!」
今回も、イヴァンと出会った瞬間に記憶が戻ったらしい。イヴァンもそうなんだろう、黒い尻尾を千切れんばかりに振りアヤの頬をペロペロと舐めた。
今世のアヤはかなり裕福な家の子らしい。そこで番犬として犬を迎えることとなり、家に迎えたその黒い子犬を見た途端に記憶が戻ったのだ。家族は子犬がアヤに懐いたのに安心し、アヤも子犬の世話係を買って出た。
アヤの部屋に寝床を作ってもらい、イヴァンは嬉しそうにグルグルとアヤの足元にまとわりつく。
「イヴァン。私達が信教していた神様の教えを覚えている? 自死した場合、来世は動物に生まれてしまうって話。あなた、あれからどうしたの?」
アヤに問われ、犬になったイヴァンはバツが悪そう黒い目を逸らした。
「今回も結婚はできそうにないわね。イヴァン、今回はきちんと天寿を全うするのよ」
「ワ、ワンッ!」
アヤとイヴァンはいつも一緒に過ごすようになった。1年ほど経った頃、アヤの親がイヴァンにお嫁さんを貰って来た。
イヴァンは血統書付きで、同じく血統書を持つ犬と交配させるとその子犬達は高く売れる。
金色の毛並みのメスの犬は、元々は王妃に可愛がられた犬の子孫という由緒正しい犬だった。フランと名付けられ、アヤはフランもイヴァンと同じように可愛がった。やがてフランはイヴァンの子を6匹産んだ。
「前はね、イヴァンとフランソワーズ様が一緒にいるところを見ると、胸が張り裂けそうだったの。でも、何故かしら。今はイヴァンとフランが一緒にいるのがすごく微笑ましい。むしろ、二人の子供達もすごく可愛いわ」
フランの背後で必死で腰を振るイヴァンを見ながら、アヤは目を細めた。
イヴァンは気まずそうに体の向きを変えた。アヤは次に生まれてくるイヴァンとフランの子犬のことを考えて微笑んだ。
イヴァンはアヤの優秀な番犬と呼ばれるぐらいに、常にアヤの側で過ごした。
二人(一人と一匹?)が再会して8年経った頃、アヤは屋敷に押し入った暴漢に襲われかけた。その時、イヴァンがアヤを守り果敢に犯人に立ち向かい、そして命を落とした。
アヤは泣き暮らし、そしてまもなく流行病で命を落とした。
***
その次。
割と幼い頃にイヴァンとアヤは出会い記憶を取り戻した。その時、二人はすでに一緒に暮らしていた。
「アヤ。私達、なぜこうなったのかしら?」
「何故でしょう、イヴァンお姉様」
二人は姉妹に生まれてきた。
***
「イヴァン、今度はどうしろって言うんだ」
「全く上手くいきませんね。アヤ兄上」
二人は兄弟に生まれてきた。
***
そして、ある貴族のガーデンパーティー。
「アヤ! ようやく血縁じゃない異性の他人に生まれることが出来たね……しかし」
「そうね、イヴァン。すぐに手を離して、周りを見て」
そこには可愛らしい幼女の手を取り、とても愛おしそうに見つめている白髪の老伯爵の姿があった。
「いくらイヴァンが独身だったとしても、70歳で急に8歳の子どもを娶るのは倫理的にどうかと……」
「やっぱり、そうか」
寂しそうにアヤの手を離すイヴァンを姿を、パーティー出席者は歳のせいで訳がわからなくなってしまった可哀想な老人、と哀れに思った。
イヴァンとアヤは、生まれ変わって一緒になるのは難しいとため息をついた。
「イヴァン。私はずっとあなたを愛していて、それは今もこれからも変わらない。でも、きっとそれでは、これからもずっとこの状態が続くと思うの」
「認めたくないけど、ここまで結ばれないのは何かが悪いのだろう。こんなにアヤと一緒になりたいのに」
遠くからアヤの母親が近づいてくるのが見えた。きっとアヤをこの老人から離すのだろう。
アヤは急いでイヴァンに告げた。
「次に生まれ変わってもこんな形で会うなら、もう一緒になりたくない。一緒の時代に生きるだけでは足りない。今度は、あなたと結婚がしたい! 夫婦になりたい!」
イヴァンは黒い瞳を見開いた。
「ぼ、僕も! こんな形で一緒になりたくないし、アヤと結婚したい! 今度こそ、結婚して夫婦として幸せに暮らそう!」
まもなくアヤの母親によって引き離された二人は、二度と会うこと無く、それぞれの人生を終えた。
***
「あなたに婚約の話が来ているの、アヤ」
16歳になったアヤに、義母が言う。アヤを産んだ時に亡くなった実母。喪が明けるとすぐに嫁いできた義母は、父が亡くなった後もアヤを本当の娘のように厳しくも愛情を持って育ててくれた。
その義母が持ってきた婚約だ。悪くない話だろうし、たとえ悪い話だったとしても断ることはできない。
「その方は今、戦争で併合した国の建て直しのためにずっと隣国にいらしているの。急に爵位を継ぐことになって、結婚して夫人に領地を守ってもらう必要があって。とても良い方らしいのだけど、こちらに戻って来れるのは何年後になるのか……」
義母は申し訳なさそうにアヤに言う。断っても良いと言ってくれたが、父亡き後の我が伯爵家は財政が苦しいので、援助込みの婚約なのであろう。援助を申し出た縁談の中でも、アヤにとって最良の相手を選んでくれたに違いない。
伯爵家のため、義母のためには貴族として嫁ぐ他に選択肢はない。アヤが承諾を伝えようとした時……
「その方は、イヴァン・グベール辺境伯と仰ってこの国の未来……」
「ええ、お義母様。私、その方のところへ嫁ぎますわ!」
食い気味に答えたアヤは、イヴァンの元に嫁ぐこととなった。
馬車に乗り1週間。辺境伯家に着いてすぐ、アヤは婚姻届に一人でサインをし、辺境伯夫人として執事に仕事を教えてもらいながら領地を守った。
イヴァン・グベールはまめに手紙をくれた。内容から、イヴァン・グベールは確かにイヴァンであった。
二人は一緒になれる日を夢見て、お互いの出来ることを懸命にこなした。
そうして一度も会うこと無く過ごすこと5年。
やっとイヴァンが戻ってくる日がきた。
すっかり辺境伯夫人としての貫禄をつけたアヤは、朝から侍女達に白いドレスを着せられて、ただその時を待った。
屋敷の前に馬車が着く。
ずらりと並んだ使用人達の中を、アヤは緊張しながら馬車に近付く。
馬車の扉が開き、初めて会う、しかし懐かしいイヴァンが転げるように出てくる。
アヤは声にならない声を上げイヴァンに駆け寄り、そして二人はしっかりと抱き合った。
「……やっと、やっとだ。アヤ!」
イヴァンが涙を浮かべて言う。
「やっと、やっとですね、イヴァン」
アヤが声を詰まらせながら言う。
何世代かかっただろう。やっと二人は夫婦として一緒になれた。
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