⑤ 世界銀行のテラーは、笑顔を作るのも仕事のうちです。
ご覧いただき、ありがとうございます。
こちら、拙作『断罪された聖女、逃げのびて魔女が住まうという森に辿り着く。』https://ncode.syosetu.com/n6537jy/の、リスナー側の反応になります。
未読だと少しわかりにくいかもしれません。ご了承ください。
また、連載ですが、およそ10分毎に続きを投稿します。タイトルにある番号を確認して、順を追って読んでいただけると嬉しいです。
世界銀行というのは、国を越えた独立機関だが、平社員は所詮、ただの社員だ。
業務拡大のために営業をすることはなく、ただ、お金と口座の管理をするのだ。
そういう意味では事務的な能力が必要とされるし、愛想を求められるわけでもない、本来は。
たけど、僕は努めて朗らかな雰囲気を意識している。
なにしろお金を扱う仕事だ。
粗暴な雰囲気や不信感を与えるのは印象が悪い。
僕たち職員だけでなく、銀行窓口の雰囲気だってそうだ。
現金を管理している巨大すぎるマジックボックスと、そこにアクセスするための方法は失われた技術が使われていて、それを管理している管理者が誰なのかは知らされていない。
世界銀行の管理者は実は人ならざるものではないか、と、まことしやかに囁かれているくらいだ。
ともかく。銀行内部は謎だらけだが、外面の、接客する部分は清潔感のある明るい、どこにでもある銀行の受付カウンターだ。
客と銀行内部とを隔てるカウンターはミルク色で、カウンターの隅には小さな鉢植えの花が彩りを添えている。
ビオラやヒナギクだとかの、小さな花を咲かせる小さな鉢植えだ。
今日は、その花たちがそれはそれはおしゃべりで。
あまりのことに、カウンター業務をすべき僕らも、お客様も、一様におしゃべりする鉢植えを食い入るように見つめてしまった。
「あのどこかの配達員の少年のような、爽やかな子。あの子が聖女様だったのねぇ」
指先を小さな針で刺し、そこからぷくりと丸く小さな血の玉を作り、専用の板に落とす。
するとその板には個人名と世界銀行内の預金額が表示される。
その預金を増やすなり、引き出すなり、送金するなり。
業務は至ってシンプルだ。
今、僕の目の前にいるのは、近くの貴族屋敷で働く女中頭だ。
彼女の口座へ現金を入金をした上で、大手商会への支払いを行うための手続きをしに来ていた。
貴族の場合、このように本人ではなく使用人が代理として送金をすることがほとんどだ。
世界銀行は、他の国内の銀行のように訪問での手続きは絶対にしない。
たとえそれが国王であろうとも、必ず、店舗へと来訪いただく。
それが世界銀行が他の銀行とは大きく異なる点だ。
「確かに爽やかに駆けていく方でしたね」
僕はお客様に止血用の新しい布切れを渡しながら、幾度も見かけた聖女様の姿を思った。
王都の世界銀行は、広い道に面した所にある。
銀行街、と呼ばれるエリアは、その名の通りにいくつもの銀行が軒を連ねる。
そして、当たり前だが近くにはカフェやドリンクスタンド、定食屋などもある。休憩時間には銀行を出て、それらで昼食を取ったりもする。
時折、見かけたのだ。
見ているこちらが気持ちよくなるほどに、軽快に駆け抜けていく少年か少女か、ぱっと見では判別できない、爽やかな若者。
だが僕は、その、風のように駆けていくのが女性だと知っていた。
一度、ぼんやりしていて少しだけ身体がぶつかってしまったことがあった。
互いに転ぶほどではないけれど、少し身体が傾く、その程度の軽い接触だったし、どちらかといえば道の真ん中でぼんやりとしていた僕に非があったと思うが、その際に、彼女は随分と重ねて謝ってきた。僕は、その声で女性だと知った。
正直、驚いた。
あまりにも軽やかに、そしてとても速く走っているのを知っていたから。
あれほど速く、軽やかに、いつも走る女性がいるなんて想像すらできなかったから。
だから、目の前のお客様が、彼女を配達員の少年のようだ、と言うのはよくわかる。
いつだって軽快に駆けていく姿を聖女と結びつけることは、きっと誰にも出来なかっただろう。
今日、こうして鉢植えから彼女の事情と、その仕事について聞くまでは。
手続きを終えたお客様を見送り、カウンターの内側から大きく開いた窓の外を眺める。
太陽が大分低い位置になり、微かに赤みを帯びてきた。
通りの向かいのカフェのひさしが作る影が長く路面に延びている。
世界銀行は夜まで営業しているが、先程、聖女様は日没までに一年分の入金を指示していた。
王城から一番近い世界銀行の支店はここだ。
だから、僕たち職員は皆が少しだけ沸き立っている
いったい、何人の権利者が来るのだろうか。
国家予算を動かすのに世界銀行を使うことは少なくない。
世界銀行は個人の口座はもとより、国庫金の口座もある。
現金という縛りはあるものの、間違いなく相手に送金できる最も安全で確実な手段なのだ。
ちなみにこの国は世界銀行を浸透させるための手段として、貴族として生まれた全ての者に『お祝い金』を世界銀行経由で送る。
また、口座開設を希望する者へは、開設における手数料を国が負担することを明言している。
口座は残高ゼロでは開設できないので、口座開設における最小単位の現金──表のドリンクスタンドの最安値一杯程度だが──も国から支給される。
ちなみに、これらは毎月、まとめた金額を世界銀行が国に請求している。
我が支店における唯一の『後払い』手続きだ。
それを除くと、国庫金の動きとして回数が多いのは、遠い国への祝い金の送金だろうか。
何かの祝いのパーティーが開かれ、招待されたものの欠席する。その時にお祝い金を送るのだ。
これは権利者が一人で来る。金額的に大きくはない(庶民的にはもちろん大金だが)から。
権利者が二人で来たのは、三年前の隣国との小競り合いの和解金を引き出した時だ。
あの時は金額が大きいのだな、と、思ったが、担当ではなかったので詳細はわからなかった。
このように、国のお金が動くときには、その金額に応じて手続きが必要な権利者の人数が変わる。
大きな金額を動かすには、それだけ多くの権利者が必要になり、それこそが、国庫を動かすことの重要性を意味している。
国防費予算の三分の一。
聖女様が結界を張り続けた代償として求めたものだ。
権利者が一人で来るのか、はたまた二人なのか。
銀行内は日没を前にかつてない盛り上がりを見せていた。
若手職員は、権利者が複数で訪れるのを見たことがないので、そんなことが本当にあるのかと驚き、ベテランは三年前の騎士団長と宰相閣下の満足げな様子を語り。ついでに、中年の域に差し掛かり渋味の増した美形の宰相閣下と、相も変わらず筋骨隆々の騎士団長のどちらが好みかといった話に脱線しているのは女性職員の集団だ。
こらこら、いくらお客様がいないからと、集まっての世間話はどうかと思うよ?と、係長が軽くたしなめたり。
もちろん、銀行なのでその盛り上がりは実に静かなものではあったが。
夕日になりはじめた日差しを顔に受け、その顔の皺が落とす影すらも憂いを含んだ味となる。
それが宰相閣下が支店を訪れた時の印象だ。
店内には他の客はおらず、定期的に来店されるとはいえ、やはり美形の登場に女性職員は小さな声でざわめく。
小さな声でも重なるとそれなりの『ざわざわ』とした音になるんだな、と、思う間もなく。
「きゃっ!」「えっ、本当に?」「まさか」「嘘でしょう?!」
まさかの大騒ぎだ。
気持ちはわかる。
僕の心の中も大騒ぎだから。
「あー。聞いていたと思うが、送金の手続きを頼みたい」
ちょっと困ったように首元に手を添える宰相閣下は、同性から見ても、むしろ同性だからこそか?どっからくるんだ、その色気は!と、動揺するほどに、おっさんの渋い色気が駄々漏れだ。
「は、はい、こちらで承ります」
僕が窓口のリーダーなので、国庫取り扱いは僕が担当する。
だが、今日ほど心中が大騒ぎになるのは、宰相閣下が後ろに大物二人を引き連れているからだ。
今日、この後、女性職員仕事になるのかな?と、心配するほどに。
三年前同様に、相変わらずの騎士団長は、筋肉のためか、あまり年齢を感じさせない。このおっさんも宰相閣下と同世代の四十過ぎのはずなのに。
そして、その後ろにいる不健康極まりないご様子の、生まれてこの方、太陽を拝んだことがないのでは?と聞きたくなるほどに青白い肌を持つ細身の大神官様が揃っている。
僕には大神官様の良さは正直ピンと来ないが、女性職員の中には卒倒しそうな勢いの者もいる。
大神官様の希少性もあるのかもしれない。
それにしても。
「皆様、どうぞお掛けください」
三人揃って誰も彼もが今にも倒れそうな顔してんな、と、思いつつ、僕は今日の午後からの顛末の最終章に関わることになった。