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④ 貴族街の邸宅の庭には、たいてい金属の重たい椅子とテーブルがある。

ご覧いただき、ありがとうございます。

こちら、拙作『断罪された聖女、逃げのびて魔女が住まうという森に辿り着く。』https://ncode.syosetu.com/n6537jy/の、リスナー側の反応になります。


未読だと少しわかりにくいかもしれません。ご了承ください。

また、連載ですが、およそ10分毎に続きを投稿します。タイトルにある番号を確認して、順を追って読んでいただけると嬉しいです。


 

 ここは王都の貴族街。


 いわゆる、領地持ち貴族のタウンハウスが立ち並ぶエリアだ。

 領地を持たない宮廷貴族は、ここよりももっと王城に近い利便性の高い城下地区に、手頃な大きさの家を持つことが多い。

 貴族街は王城にはそれほど近くないが、その分、地価が手頃で、なかなかに見映える庭を持つ邸宅が並ぶ。

 中堅どころの伯爵はやや大きめの、下級貴族はそれなりな大きさの邸宅で、庭を楽しむ茶会も頑張れば催せる。そんな作りになっている。

 もちろん大貴族は良い場所に広く、とか、少し離れたところに広大に、とか、有り余る財を自由に使うから、この限りではないが。


 そこは、歴史は古いが目立った功績もなく、中堅を絵に描いたような伯爵家だった。

 伯爵夫妻は、この女神降臨祭に合わせて、毎年領地から王都へ出てきて、社交をする。

 降臨祭の今日は、夜に王城で行われる晩餐会に招待されているので、その支度をする前に、と、庭を眺めながら夫婦でゆっくりとお茶の時間を過ごしていた。


 通いの庭師によって管理されているそこは、派手さはないが優しい色合いの花に溢れ、それなりに華やかだ。この貴族街では裕福な方の家だと、言外に伝えるように。


 学園で知り合い、一目惚れした伯爵が口説き落として一緒になった夫人は、子どもが学園に通う年頃になっても相変わらずの美しさだ。

 対して自分は腹回りに貫禄がついたな、と、伯爵は柔らかさのある腹部を撫で、いや、礼装には身体の厚みも必要だから、と、言い訳をしながら茶菓子をつまむ。

 そんな陽気な伯爵のことを、夫人は夫人で相変わらず楽しい人ね、と、微笑む。


 男爵家の出の夫人は、歴史のある伯爵家の嫁としてはあらゆる面で足りていなかった。

 足りていたのはその容姿だけだか、それとて『傾国の』『絶世の』等といわれるほどではなかった。あら、美しいわね、程度だ。

 それでもその美しさが伯爵の目に留まったのは事実で、それ故に夫人は美しくあることに対しては手を抜くことはなかった。

 結果として、嫁いで二十年経った今は、世代でも群を抜いて美しいだろう、と自負しているので、継続は力、とはよく言ったものだ、と思っている。


 息子は、普段は王都の学園で寮生活を送り、こうして親が王都に出ている時はタウンハウスから通学している。

 今日は十一才になる妹を連れて、城下街へ繰り出している。屋台や催し物を楽しむらしい。


 久しぶりの、夫婦水入らずでの穏やかな午後。


 そんな時間は、あまりに賑やかすぎる庭木のささやきで一転する。


「今、ただのクロエと。そう言ったか?」

「ええ、聖女ではないと……」


 それは、夫妻が十二年会っていない娘の声だった。

 別れてから、ただの一度も会うことも、声を聞くこともなく。

 それでも、女神降臨祭は娘──聖女の晴れ舞台だから、と、必ず王都に来るようにしていた。

 夜の晩餐会では、遠く見える神殿で祈りを捧げる姿を少しだけ見ることが出来る。

 ただそれだけが、自分達に許されている。


 なにしろ、六年前、当代の聖女として正式に選ばれた際、聖女は俗世とは縁を切らねばならぬ、と、除籍の手続きをさせられたからだ。それは反論の余地のない、決定事項として神殿から伝えられた。

 しかし、そうだと知っていたら聖女候補に挙げなかったか?と、問われたら、夫婦どちらも答えられない。


 何の特色もない、ただ農地が広がるだけの領地では、現状維持すらままならなかった。

 目玉になる特産を見いだすような革新的な領地経営の才もない伯爵に出来たのは、ただ、父や祖父に倣い、あるものを維持していくことだけだ。

 たとえその先に暗い未来が広がっている気配を感じたとしても、彼の取れる策はそれしかなかった。


 政略的に何の旨味もない、地位も知性も平凡を下回る女を伴侶に求めたのは彼自身で、そのことを悔いたくはなかった。


 じりじりと赤字が重なり、身動きが取れなくなり始めたところに、降って湧いたような、金のなる木が長女だった。

 聖女候補として神殿に預けた際の支度金、そして以降の毎年の年金は確実に伯爵家を潤した。


 息子には後継として十分な教育を与えられたし、娘が家を出てから生まれたもう一人の娘とともに、家族四人、多少の贅沢が出来る程度には余裕のある暮らしを送ってきた。


 それも全てが聖女になった長女のお陰ではあるのだが、世俗と縁を切った聖女に、自分達が出来ることは何もない。

 繰り返しになるが、歴史はあるが目立った功績のない、平々凡々な伯爵家では、国の中枢で起きることなぞ知る由もなく。さりとて娘を返せと言う理由もなく。

 時には娘を金で売った、等と陰口を叩かれることもあったものの、聖女が結界を張っていることを知らぬ貴族はいない。聖女の親として、称賛される事の方が多かった。


 夫妻は、庭中から聞こえる聖女の声に、ため息ひとつ吐く事ができない。


 王子から婚約破棄をされ、家から除籍されたことを告げられた、と。


 確かに除籍はした。

 だが、時期と理由が間違っている。


「そんな……私たちはただ……」


 夫人が戦慄く唇から、揺れる音で言葉をこぼす。


 ただ、言われただけだ。

 聖女だから、俗世と隔離せねばならないと。

 その後、王太子と婚約した話を聞いた時も、あら、結婚て俗世よね?と思ったものの、聖女所以かと、深く考えることはしなかった。


 会いには行かなかった。

 会えるとも思わなかった。

 ただ、年に一度。

 女神降臨祭の夜、普段は使われない神殿が見える広間で催される晩餐会へ、高位貴族に混じり聖女の親として招かれ、食事の前にテラスから聖女が神殿に祈る姿を眺めるだけだ。

 遠くにいる、指の爪ほどの大きさの聖女を。


『私を除籍した実家については、深く恨んでいるわけではありません』


 聖女の声が自分達のことを話す。

 伯爵は、隣で青ざめた顔で震える妻の手に、自分の手をそっと重ねる。ただ、冷えた手では同じく冷えきった妻の手を温めることはできない。

 互いに、ただ、一人ではないことを確認しあうだけだ。


 そうだ、仕方のないことなのだ。

 二人は互いの顔を見つめあい、聖女に恨まれていないことに安堵する。だが、それもつかの間のこと。



『見知らぬ他人とさして変わりませんので』


 続けられた言葉は、淡々とした穏やかな声音にもかかわらず、夫妻を打ちのめすのに十分すぎる強さを持っていた。


 夫人は、幼い頃のことを語る聖女の声に、忘れた記憶を呼び覚まされる。

 六歳まで育てた娘は幼い頃はとても賢くて。

 下級貴族出身の、マナーも教養もつけ焼き刃な自分ではとても十分に育てられない。さりとて優秀な教師を雇う余裕もない。と、自信を喪失していたことまで思いだし。


 あぁ、私は確かにあの時、ほっとしたんだ。

 この、自分の手に余る賢い娘に対する責任を持たなくてよいと。

 自分の至らなさを、娘越しに突きつけられるような思いをしなくても良いのだと。


 そんな、自己中心的な考えがよぎった、自分の醜い心まで思い出させられた。



『六歳の時以降の私は、あの家には存在しないのと同じことです』


「そんなこと!そんなことは……」


 夫人の声は高ぶった感情で更に揺れる。

 そんなことはない、そんなことはない。

 愛している。我が子が可愛くないはずがない。


 そう言いたい。


 だが、二人は、六歳の時に手放した娘の、今の顔すら知らないのだ。

 この声が娘のものだという確信すら、本当はない。


 六歳の時に別れた娘が、どう育っているのか。

 元気でいるのか。苦労していないか。泣いてはいないか。

 いつまでそのことを考えていただろうか。

 この一年、聖女のことを気にかけたことがあっただろうか。


 毎年の晩餐会で、爪ほどの大きさにしか見えない、遠くにいる聖女を、果たして自分の娘だと認識していただろうか。


 十一になる下の娘と同じように、あるいは十六の息子と同じように、慈しんでいると。気にかけていると。

 そう、自信をもって言えるだろうか。



『私の預かり知らぬところで彼らが得た富も名声も、権力も配慮も。ありとあらゆる、聖女に由来するものをそっくりそのまま取り上げていただきたいです』


 この伯爵家を彩る、あらゆるものが聖女に由来する。

 彼らの力だけでは、ここまでの豊かな生活はできなかった。

 緩やかな下り坂を慎重に、滑り落ちないように必死に抗いながら、それでもやはり下るしか術がない。

 そんな日々だったはずだ。


 なに不自由なく育った息子と、下の娘。

 そして自分達。

 四人の生活の全てが、聖女の犠牲によって支えられてきた。

 そうでなければ、何不自由ない伯爵家ではなく、困窮する伯爵家だったはずだ。

 富も、名声も、権力も、配慮も。

 全てが、手放してから一度も会わなかった娘に由来する。


 依然としてざわめく庭の、その喧騒すらも遠くに聞こえるほど、夫妻は呆然としていた。

 心が遠くにあるような。


 ここから先は、崩壊しかない。

 かつて恐れた暗い未来が、夫妻の足元でぱっくりと口を開けて待っている。

 そこに落ちるしかないのだ。



 庭木から聞こえる、間違いなく娘だったはずの聖女の声は、何の温もりも伝えては来なかった。


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