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闇の商人  作者: 耕平
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プロローグ

 きらびやかに見える都会の夜は、一部に限られている。新宿、渋谷、池袋では、朝まで遊べる遊技場、風俗店が軒を連ね、そこに集まる老若男女。夜中には酔っ払いが通りを徘徊し、それを狙う非合法の風俗店。狙うもの、狙われるものが一同に徘徊しているのだ。

 池袋にひとりの男が降り立つ。ジーンズとTシャツという姿は、この街では目だった格好ではなかった。だが、人々はその姿を目で追う。身長百八十センチはあるだろう。盛り上がっている大胸筋、腕の太さは六十センチはある。格闘家と見間違うほどの体格をしていた。

 男は、池袋駅西口の出口に立ち、誰かを待っていた。行きかう人々の中には、明らかにヤクザと思われるものもいたが、その男とは目をあわないように通り過ぎていく。したたかに酔って、すれ違う女性にちょっかいをかけていたサラリーマンも、その男の前では、借りてきた猫のように大人しくなった。その男には、明らかに危険なオーラがまとわりついていた。

 どのくらい待っただろうか、一人の老婆がその男に近づいてきた。男はその老婆を待っていたのだろうか。老婆に近づいて、何事か話をして、二人で池袋の闇の中に消えていった。


 翌日、新聞を賑わす事件が起こった。上野のサウナで、一人の男が死んでいたのだ。それだけだったら、世間を騒がす事件ではなかったのだが……。死んだ人間が東京地検の検事であれば、新聞のトップを飾るにふさわしい事件だろう。死因は、急性心不全。サウナではよくある死因だが、死んだ人間が要職の人物であれば、警察も張り切らざるおえない。所轄署である上野警察署に捜査本部が設けられ、警視庁が主導権を握った捜査が行われた。捜査員の数は、所轄、警視庁含めて百数十人にのぼる。

 なぜ、サウナでの急性心不全という簡単な事件なのに、これだけの捜査員が派遣されなければならなかったのか。それは、死んだ沢松和人が、重要な事件の担当者であったからだ。警察は、埼玉県桶川市の女子大生殺人事件を皮切りに、全国に広まりつつある警察への不信感を払拭するために、ある大物代議士の贈収賄捜査にあたっていた。その事件のキーマンとなるS県の県議会議員の捜査にあたっていたのが、沢松和人だったのだ。

 事件の詳細は、平成十八年六月十四日、午前十一時四十五分、上野にあるサウナ『ギャロップ』から、救急車の要請が上野消防署にある。署員が駆けつけた時には、すでに沢松は、カプセルの中で死んでいた。警察署へ通報があったのが、午前十一時五十五分。警察では、財布の中の免許証、東京地検の身分証明書から、死んだ人物が沢松和人であることを確認した。沢松の遺体は、上野警察署に搬送され、家族、東京地検職員が本人であると確認し、解剖所見にまわされる。死因は急性心不全と診断された。死亡推定時刻は、午前三時頃。外傷はなく、突然死の可能性が高いとの所見であった。しかし、東京地検は、沢松が重要事件の担当であったことを考慮し、十分な捜査をするよう警察庁に指令した。以上の経緯をもって、この大規模な捜査が行われることとなった。

 警察の執拗な捜査は、ある疑問点を捜査本部に投げかけた。上野のサウナまでの沢松の足取りに、空白の時間帯があったのだ。

 沢松は、職業上、遅くまで仕事をすることが多い。遅くなると自宅のある茨城県取手市には帰らず、サウナに泊まることが多かった。ビジネスホテルにすればいいのだが、沢松はサウナが好きだったようだ。「ビジネスホテルのユニットバスでは、ゆっくりと疲れをとることができない」そう、同僚に漏らしているのを聞き込んでいた。

 しかし、場所が上野ということが解せなかった。霞ヶ関にある東京地検の近くには、東京駅がある。昔から東京への出入り口である東京駅の近くにも、たくさんのサウナがあった。沢松は、普段であれば、東京駅西口のサウナに泊まることが多かった。それが、上野のサウナで死ぬとは……。捜査員は皆、胡散臭さをこの事件に感じていた。

「刑事長、おかしいですよ。あの上野のサウナって、宣伝をたくさんしている有名サウナでもないし、東上野三丁目の細い通りに面してるサウナですよ。検事さんが行くようなサウナじゃない。誰かに誘われたか、情報をもらったか、そうでなきゃ、たまたま通りがかったサウナに泊まりましたでは、納得できないですよ」

「お前にそんなこと言われなくても、わかってるよ。そのことについては、上に話しているから……。そんなことより、佐伯、被害者の空白の時間の足取りは取れたのか」

「……。捜査中ですけど。本店の連中が情報を流してくれなくて、困ってます。なんとか言ってくれませんか」

 佐伯は、斉藤刑事部長に食って掛かった。確かに、本店(警視庁)と所轄の間の溝は深くなっていた。お互いに情報を隠そうとする傾向があり、情報の共有ができなかったのだ。一日一回の捜査会議で、捜査の進捗状況について説明しなくてはならなかったが、最初、所轄の刑事ばかりが情報を説明していて、本店の刑事は、細かな情報を流そうとしない。「現状、捜査中です」この一言で済まされているのが現状だ。といっても、逐次、捜査本部長である本店の高松管理官には、情報が集まってはいるが。所轄の署長でさえ、全ての情報を知ってはいなかった。

 問題となっている沢松の空白の時間帯は、午後十一時二十分から、午前一時三十五分であった。沢松は、午後九時四十分に退庁し、その後、東京駅西口にあるバー『カサブランカ』に寄っている。沢松の馴染みの店で、これはすぐに足取りが取れた。ひとりでやって来て、水割り五杯とトマトジュースを最後に飲んだ。つまみは、ナッツにチーズ。店主は、いつものと同じメニューで飲んでいったと話している。確かに、解剖所見で胃の中からアルコール成分と、ナッツとチーズの成分が検出されていた。午後十一時二十分に店を出て、それから、上野のサウナに一人で入ったところまで約二時間十五分。東京駅から上野駅まで、山の手線で十分だとしても、二時間五分の間、沢松の足取りが取れなかった。さらに、『カサブランカ』の店主によると、沢松が飲んでいた時に、携帯電話に着信があったとの証言が得られた。沢松は、誰にも聞かれないように、店の隅で話していたのを店主は見ている。沢松の携帯電話には、午前零時二十分に、公衆電話からの着信履歴が残っており、それがどこの公衆電話からか、NTTの回線履歴から調査を始めている。

 沢松が死んだ上野のサウナ『ギャロップ』の調査は詳細を極めた。『ギャロップ』は、カプセルホテル型のサウナで、サウナだけを使う人、そのまま、カプセルホテルに泊まる人と多様な人間が使っていた。捜査本部は、その日に利用した人間を片っ端から調べている。カプセルホテルを使う人は、宿泊簿に氏名、住所等、記載しなければならなかったため、宿泊者三十五名のうち、三十一名の身元が割れた。後の四人は、住所、電話番号がでたらめで、警察の犯罪者リストからも身元が割れなかった。ましてや、サウナだけを使う人は、身元を告げる義務はないため、身元の確認は難しかった。

 捜査本部は、『ギャロップ』を一日、営業停止として、沢松が死んでいたカプセルの中はもちろん、浴室、ロッカールーム、受付カウンターまでも調べている。出てきた証拠物件は、約五百六十点にものぼる。現在、ひとつひとつ、犯罪者リストと指紋を照合している状態であった。

 一番、捜査本部を緊張させたのは、『ギャロップ』の防犯カメラだった。もちろん、映し出されたテープは、全て押収された。防犯カメラは三台、一つは受付カウンターを映し出しており、もう一つはロッカールーム。カプセルルームの中にも一台あった。沢松が受付カウンターに入ってきたのが、午前一時三十五分。ロッカールームで着替えたところも映し出されており、カプセルルームに入ったのが、午前二時九分と記録されていた。その後、沢松がカプセルから、出てくることはなかった。そして、午前十一時十五分に店員がカプセルを覗いて、死んでいる沢松を発見したのだ。店員が、カプセルの中に上半身を入れているところも映し出されていた。

 防犯ビデオに映された人物のひとりひとりを特定していく地道な捜査が続いた。また、東京駅のJR、各地下鉄の駅の聞き込みはもちろん、『ギャロップ』の周辺、上野駅の売店、靴磨き、飲食店での聞き込みも開始していた。だが、いっこうに捜査の進展ははかどらなかった。

 捜査本部の捜査員の中に、いっこうにはかどらない捜査が続いたことで、沢松は事件ではなく、突発的な事故であるといった空気が流れた。

「こりゃ、突然死ですよ。事件じゃない。被害者が検事さんで、重要な事件を担当してたからって、すぐに事件に結びつけるのはどうなんでしょ」

 上野警察署捜査第一課刑事、松本はそう同僚と話している。松本は、昨年、警邏隊から捜査第一課に配属された、まだ刑事になって新米の捜査員であった。

「松本、そう決め付けるもんじゃない。まだ、捜査は始まったばかりなんだから。思い込みが事件解決の障害になることは、わかっているだろう」

「ですが、佐伯さん。死因は心不全でしょ。身体に外傷があって亡くなったわけじゃないんですから、どう見ても病気ですよ」

 松本の言うことにも一理あった。死因が急性心不全であるということは、撲殺や刺殺といった外傷による死因ではない。殺人だとしたら、外部から急性心不全を引き起こすことができることを立証しなくてはならなかった。考えられることは、薬物による殺害であるが、遺体からは、毒物が検出されていなかった。どこをどうひっくり返しても、殺人であることを立証できる証拠が出てこない。

 佐伯は、この事件には裏があると思っている。松本が言うように、死因が急性心不全であるとわかっていて、警視庁が執拗に捜査を命令することは、不自然であった。

 確かに、重要事件の担当者であったことは理解できるが、沢松が担当しなくては、この収賄事件が解決しないというわけではない。それなのに、執拗な捜査をする必要性はあるのか。そこには、まだ、東京地検を含めた警視庁が、佐伯達に隠していることがあると睨んでいた。

 その証拠に、東京地検は、沢松和人が死ぬ前に、すでに沢松の周辺の調査を内密に行っていて、もうすぐ、沢松に事情を聞き、逮捕に踏み切るところまできていたことがわかった。佐伯が懇意にしている地検の検事が、内密にと教えてくれたのだ。沢松の死は、あまりにも都合のいい突然死であった。


 捜査はすでに一ヶ月を過ぎようとしていたが、すでに暗礁に乗り上げている。『ギャロップ』から出てきた証拠物件五百六十点の解析は、異例の速さ済んでおり、そこから出てきた指紋の照合も終わっていた。犯罪者リストとの照合によって、地元のヤクザが数人、引っ張られたが、沢松を殺害した事実は出てこない。ましてや、殺人であるとする証拠もない状態であった。

「こりゃ、無理だ。殺人かどうかもわからないのでは、事件にならないぞ」

 上野警察署捜査第一課の古参刑事茂野は、署内に設けられた喫煙所でそう言う。

「茂野さん、そう言うのもわかりますけど、茂野さんがそう言うと他の捜査員に影響がでますから……」

 佐伯は、茂野と並んでタバコを吸っていた。タバコの値上がりと同時に禁煙していたが、この事件が始まって、また吸うようになってしまった。

「佐伯、俺の長年のカンだけどな。この事件、お宮入りするぞ。後、数ヶ月もすれば、捜査本部は一旦解散して、縮小されるだろう。っていうか事件であることが立証されないのでは、この事件自体がなくなるかもしれない」

「まあ、そうですね。事件でないところに捜査費が出ているのでは、世間が納得しないでしょうし……」

「すでに、テレビのワイドショーでは、税金の無駄づかいだっていう論調になっているらしいな」

「そうですね……」

 佐伯は、他の捜査員とこの事件に対する情熱が違っていた。刑事経歴十年の間で、ただ一つの汚点と思っている事件が、今回の沢松の事件と似ているのだ。その時も、贈収賄事件であり、佐伯が追っていた被疑者も、心不全のため突然死している。この事件は、異例の速さで被疑者死亡のまま、書類送検され、解決に至っている。佐伯は、この死亡した被疑者の後ろに黒幕がいると睨んでいた。しかし、その黒幕までの糸は、被疑者が死亡したことによって、途切れてしまった。その悔しさが今でも心の中に残っているのだ。

 佐伯は、このままこの事件を葬り去ってしまうことが許せなかった。健康であった人間が、突然死するということは、よくあることなのだが、あまりにも都合のいいタイミングで亡くなり、事件に幕を引かれることに耐えられなかった。

 佐伯は、今回の事件に対して、納得いくまで捜査することに決めていた。捜査本部が解散させられたとしても、この事件を追っていこうと考えていた。

 佐伯の頭の中には、ひとつの確証があった。空白の時間と言われたその時間帯の足取りが得られたら、必ずその中に、ヒントが隠されている。佐伯は、執拗に東京駅の聞き込みを行った。東京駅での聞き込みは、数十人の刑事が聞き込みをしていたが、沢松の足取りは取れていない。東京駅で、ひとりの人間の足取りを追うことは、その時に何か事件でもない限り、人々の記憶に残ることは、まずないだろう。ましてや、東京駅は今や、北から南からの旅行客が集まる巨大ターミナル駅と化している。

 佐伯は、東京駅での聞き込みをしながら、気づいたことがある。はたして、沢松は東京駅から上野に向かったのだろうか。空白の時間は、二時間以上ある。なにも直接、上野に行ったと仮定することはない。東京駅周辺には、地下鉄が縦横に走っている。東京駅構内に連絡通路はあるが、それを利用しなくても、直接地下鉄の駅に行けるルートもあるのだ。ここで聞き込みをして、地道に沢松の足取りを追うのもひとつの方法であるが、刑事が数十人聞き込みをしても沢松の影さえも見つけることができないこの状況では、解決の糸口を見つける可能性は少ないだろう。それよりも、沢松の周辺を洗ったほうが現実的であるように感じていた。

 佐伯は、極秘裏に沢松の周辺を洗うことに決めた。沢松の交友関係を含め、生活全般にわって調査することで、糸口が見えてくるように思えた。沢松が検事であることを考えれば、そう簡単にほころびを見つけることはできないだろう。執拗に隠しているに違いない。しかし、その糸口さえ見つけられれば、後は簡単に真相にたどりつけると佐伯は考えた。

 佐伯の調査が始まった。

最初は短編を書こうと始めましたが、話が進むにつれて長編になりそうだと予感がしていました。

どこまで書けるか、わからないところではありますが、よければお付き合いください。

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