タイトル未定2024/04/07 11:48
「白馬くん、ちょっといい?」
ホームルーム前の教室でスマホを眺めていた白馬は声の主に視線を向ける。榛名望月がウエーブのかかった茶髪をかき上げながら、切れ長の瞳で白馬を見つめていた。
望月が花の咲くような笑顔を浮かべると、それだけで周囲の男子はとろけたような表情を見せた。
「何の用?」
それまでほとんど接点のなかった望月に声をかけられ、美少女ということもあり白馬は多少ビビる。だがそれをおくびにも出さず、努めて冷静に返答した。
「えーと、今チラっと見えた写真なんだけど。それって、この近くの里山?」
白馬のスマホには巨木ほどもある大きさの山ツツジが映っていた。この霧ヶ峰市近くの里山の名物で、登山口から三十分も歩けば山頂にたどり着ける。
「そうだよ」
「やっぱり…… 小耳にはさんだんだけど。白馬くんって登山とかに興味あるほう?」
「まあ、そうだね。休みの日はよく行ってる。例えば……」
白馬は同志を見つけたと思い、嬉しさで延々と語り始める。
半分以上望月にはちんぷんかんぷんだったが、笑顔で乗り切る。興味のない話を笑顔で聞くことなど社交性ある現役高校生にとっては朝飯前だ。
「ほんと? それなら放課後、ちょっと相談に乗ってもらってもいいかな?」
「構わないけど……」
そう答えたとたん、周囲の男子からの突き刺さるような視線を感じる。
平穏な学校生活を過ごすためなら、断ったほうが良いだろう。だが山登りの同志を見つけたと思い込んだ白馬はその申し出を受けることにした。
放課後まで、特に望月に連絡先を聞こうとした顔面偏差値高い男子からは嫉妬の視線を向けられる。
彼はあの後も何度かアプローチをかけているものの、やんわりと断られたり、小梅に割って入られたりして連絡先すら交換できていない。
だが陸上部の楢川からは逆に応援されてしまった。
「断ればよかったかな……」
昼休み、一人教室でスマホを眺めていた白馬はため息をついた。
放課後がやってくる。空き教室に集まった三人は、二つの机を付けて席を囲んだ。
「改めて自己紹介するね。私が榛名望月」
「……妙高佐久」
望月は笑顔で手を振り、佐久は気だるげに軽く頭を下げる。
「白馬峻だよ」
美少女二人と空き教室。自分たち以外の会話は聞こえず、時折グラウンドから聞こえる掛け声や吹奏楽部の楽器の音が耳に入るだけ。
健全な男子高校生としては胸が高鳴るシチュだ。
「こんなこと、いきなり言われて迷惑かもしれないけど……」
教室内ではいつも快活な望月が、もじもじと体を揺らす。
視線は白馬と教室内の備品を行ったり来たりしてせわしない。
やがて目の前の男子と目をしっかりと合わせると、意を決したかのように桜色の唇を開いた。
「あいたっ」
「……望月。これから話す内容と雰囲気がまるっきり合ってない。そんなんじゃ誤解される」
「だからって、いきなり後頭部をチョップはないでしょ」
「……基本ビビりなのに、無理するから」
二人のやり取りに思わず白馬は笑いが漏れる。
さっきまで望月の緊張にあてられて自分も固くなっていたが、すっかりほぐれていた。
感じからして色気のある話ではなさそうで、わずかな落胆と安堵と共に自分から口を開いた。
「それで、結局僕に何のお願い? 山関連のお話だとは思うけど」
「まあ、結論から言うと私と佐久をハイキングに連れて行ってくれない? あ、そんなに本格的なのじゃなくていいから」
「……朝に望月が言ってた、近くの里山で構わない。どのみちそんな長距離を歩く体力が私にはない」
「なんでハイキング? 妙高さん、体が弱いんじゃ……」
「……担当の医者から、軽く体を動かしたほうが良いって。散歩より少し強いくらいの運動強度がいいらしい。また発作で苦しむのも嫌だし。でもただ散歩っていうのもつまらなくて。パパがすこし山に興味あったの思い出したから、ハイキングなら行けそうだって思って」
「他にスポーツ勧めたんだけどね。私と一緒にバスケ、とか」
「……スポーツ嫌い。みんなと比べられるのが嫌。そもそもどうして体育って一緒にやるのか意味不明。上手い人と下手な人で分ければいいのに」
「確かに…… 僕も長距離走以外得意じゃないから、その気持ちわかる。特に野球とサッカーが苦手かな」
「……男子ならそうなるか。私は他にテニスとか、バトミントンとかも苦手。小さなころからやってる人と差を見せつけられる感じがする」
「事情は分かったけど…… なんで僕に?」
白馬は髪をなでながら考える。そういう話は親しい人に持っていくものじゃないだろうか。
「いや、あらかじめ色々聞いたんだけど、山に興味ある人がいなくて。それに佐久を連れていくなら安全面に詳しい人のほうが良いだろうし。そういうわけでハイキングに連れていって欲しいんだ」
望月は一度立ち上がって、大きく頭を下げた。
佐久のためといいながらも、半分は自分のために。
勝算はあった。
「ごめん。ちょっと…… 難しいかな」
だが白馬は軽く頭を下げ、彼女たちの申し出を断る。
「なんで……」
「なんでって言われても…… 男子一人ついていったら気まずいんじゃない?」
常識的に考えたら断るべきだろう。男女交際も集団で遊びに出かけて経験もない白馬はそう考え、通学鞄を持った。
それに色々と忙しい。読みかけの本もあるし家には今日の分の洗濯もある。
「いやいや、今言ったじゃない。私たち山なんて詳しくないし。だから登山の先輩に教えを請いたいわけ」
「それなら、登山部の人とかの方が詳しいんじゃない?」
山に囲まれたこの霧ヶ峰市では、高校に登山部があるところも多い。
部活である以上ただ山に登るだけでなく、テントの設営の仕方や計画の立て方など細かく点数が付けられ、インターハイもあるのだ。
「私も初めはそう思ったんだけどね。佐久がさ……」
「……さっきも言ったけど体育会系の人って、苦手。体格がいいだけでも怖いのに集団になって大声で話されるとそれだけで恐怖」
佐久は血が蒼いのではと思うほどに白い手を握り締めて呟いた。
「ほらせっかくだし、同じクラスの人と行くのもいいでしょ? 親睦を深めるってやつ」
散りかけの桜の木から、花びらがひとひら教室の中に舞い降りてくる。
放課後の教室に舞う桜花。人によってはエモい光景だとスマホを取り出して撮影するだろう。だが白馬は顔をしかめて花びらを払った。
「ど、どうしたの?」
「……いきなりキレる一歩手前、っていう顔をしたからびっくりした」
女子二人の反応を見て、自分がどんな表情をしていたかを自覚した白馬は頭を下げた。
「あ、ごめん。桜の花って、あんまり好きじゃなくて」
「好きじゃない? わ、わかるよ。掃除とか大変だし」
望月は常識と離れた言動にも嫌な顔一つせず、話を合わせた。
「いや、そうじゃなくて…… 僕は昔から転校が多かったから。桜を見ると別れの季節って言う感じがして、つい。この霧ヶ峰高校がある町にも、今年の春引っ越してきたばかりで」
「……私も、そう」
白馬の言葉を拾ったのは、珍しく佐久の方だった。
「……お花見には体が弱くて行けないことも多かったから。『私は行けないのに、なんでみんな楽しんでるの』って、病院のベッドでいつも思ってた」
「あ、そうか。それで白馬くんのこと知ってる人、誰もいなかったんだ」
「と、とにかく!」
暗くなりかけた空気を望月が強引に引き戻した。
「私たちは白馬くんと一緒に行きたいの!」
「……私も、納得済み。白馬は怖くないし、こうして話してても穏やかなタイプだと思う。できれば付き合ってほしい」
佐久は腰まである黒髪を揺らしながら頷く。
美少女二人とハイキングに出かける。男子なら誰もが羨むだろう。
だが白馬の優先順位は違った。そもそも今週の週末は天気もよさそうだし、久しぶりに遠くの山まで行こうと思っていたのだ。
雪が残っているからアイゼンの爪も研ぎなおし、カメラの調整も行い、色々と準備してきた。
予定をドタキャンするのは好きではない。そこで白馬は、別の断り方を思いつく。
「じゃあ質問。日本で二番目に高い山は?」
「え、急になに?」
「近場と言っても、山に行くならそれなりに知識はあるはずだよね?」
相手が答えられなかったら勉強不足だと断る。もしくは空気が悪くなったら改めて断る。
「二番目? 一番は富士山だけど、えっと……」
軽くテンパる望月に白馬は内心ため息をついた。この子たちの山への関心度なんてこんなものだ。陸上部の楢川とのことを思い出す。
やらかした時、引くに決まっている。男子ですらあれなのだ、女子ならばなおさらだろう。
せっかくの休日にいやな思いをしたくないし、気まずい関係にもなりたくない。
どうせ切れる関係なら、初めから結ばないほうが合理的だ。
「……二番目は北岳。標高三一九三メートル、山梨県。危険な場所も多くて富士山よりはるかに難易度が高い」
だが調子を全く崩さず、立て板に水を流すような佐久の回答に白馬は目を丸くする。
「……三番目は奥穂高岳。標高三一九〇メートル。長野と岐阜の県境。四番目は……」
「なんで知ってるの」
「……地理の教科書見てたら自然に覚えた」
「すごいね! ちなみに奥穂高岳は霧ヶ峰市から行きやすいから僕も行ったことがあるんだ。途中までは散歩みたいなコースで、途中の山小屋のアイスクリームが絶品で、それから山道を登って着いたヒュッテからの眺めがほんと凄くて」
「……興味深い」
佐久はブレザーの内ポケットからスマホを取り出し、奥穂高岳の画像を検索する。
「……ほんと。登山の写真があるけど確かに山小屋までは平坦。これなら私でも歩けそう」
「佐久?」
佐久が人の話にこれだけ関心を持つのを、望月は初めて見た。
「……山道が良い。石の色に混じった雪のコントラストが綺麗。霧ヶ峰市じゃ雪が降っても、人が歩くからすぐにぐっちゃぐちゃになって泥交じりの黒い雪になるから」
雪道の写真をスライドさせながら黒髪の下の目を細め、うっとりとした声で呟く。
「……いつか私も、行ってみたい」
「行けるよ。きっと」
「……とりあえずさっき言ってた近くの里山、お願いしてもいい?」
「もちろん!」
「今度の日曜でいい? 時間は……」
「あ、連絡先教えるから。あとで連絡して」
「これが連絡先…… あ、こうしたほうが早いよ」
佐久と白馬が手入力で番号を登録しようとすると、望月がQRコードの使い方を教えてくれる。
使う相手もいないのでそろそろアンインストールしようかと思っていた白馬のコミュニケーションアプリに、初めて連絡先が追加された。
「じゃ、そろそろ帰ろっか。白馬くんはどうする?」
「僕は寄るところがあるから。また日曜日に」