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第3部(全部で3部構成です)

                      第3部


                   第1章  闇の中へ



 雨野怜が学校へ来なくなったのはジャングルジム事件の翌日からだった。

 美人先生、つまり雨野怜のお姉さん先生がクラスで話したことがマモルにショックをもたらした。

 事件から一週間ほどたったころに先生はこう言ったのだ。

「どうも体の調子が良くないの。病気というわけではなさそうなんだけれど、もしこのまま具合が悪いと別の学校へ転校するかもしれないわ・・・」

 マモルはその原因は自分だとユー君に言った。

今マモルとユー君のふたりは並んで歩いている。ふたりが歩いているのは学校とマモルの家のちょうど中間にある大きな川沿いの遊歩道だ。放課後のこの時間、この遊歩道は学校帰りの子どもたちや晩ご飯のお買い物途中のお母さんたちなどでけっこうにぎやかになる。

「ぼくの・・・ぼくのせいなんだ・・・」

 うつむきかげんのマモルが弱々しく言う。

「だからそんなことはないって、マモルおにいさん! あれはどう見たってあの悪たれ小僧のせいじゃないか! マモルおにいさんはレイン坊を助けようとがんばっていたじゃないか。そうなんでしょう?」

 背の高い勇一はマモルの背に合わせるように少しかがんで歩きながらさっきからずっとマモルをはげましている。

「いいやユー君。登校しなくなってもう十日だよ、きっともう学校には来ないんだ・・・」

「マモルおにいさんのせいじゃない! そうだよ、あのどしゃぶりの雨だって悪いんだ」

 マモルはこたえなかった。

「はじめはうまくいってたでしょう、マモルおにいさん。ぼくのことだってじっと見つめてくれたし。そうだよ! きっとそうなんだよ、マモルおにいさん。あの子はちゃんとぼくらがだれなのかわかってくれたんだ! そこへあいつが石なんか投げる小細工をして、おまけにあの大雨だ。あれ? ちょっと待ってよ、大雨? ねえマモルおにいさん、あれってレイン坊の力じゃないのかな?うん、きっとあの悪ガキを追い払うためにレイン坊が・・・」

「やめて!」

 マモルは思い出していた。たった今ユー君が言ったことを自分が雨野怜に試そうとしたことを。そのために雨野怜をすぐに助けなかったことを。

「あんなことはすべきじゃなかったんだ! みんなぼくのせいだよ!」

 勇一はおどろいて思わず立ちどまってしまった。

「そんな・・・ぼくら三人が出会うことを計画したのがそんなに悪いことだったの?」

 今度はマモルがおどろいてユー君をふりむいた。

「いや、ちがうんだよユー君。会うのはちっとも悪いことなんかじゃない。悪いわけないじゃないか、せっかく出会えたのに。そうじゃないんだ。実はぼく・・・」

 マモルはまたうつむいた。

「実はあのときさ、ぼくはレイン坊をためそうとしたんだ。ユー君は見てないけど、あいつはほんとにひどいことを雨野くんにしようとしていたんだよ。ところがぼくは助けるどころか、これはチャンスだ、なんて考えたんだ。雨野くんがほんとにレイン坊ならこういうピンチのときにすごい力を出すはずだぞ、なんてさ。ぼくはほんとにバカだ!」

「バカだなんて、そんな・・・マモルおにいさん・・・」

 ふたりはまた黙って歩きだした。

 この重苦しい雰囲気とマモルの気分をなんとか変えたいと、勇一は話題を変えてみた。

「ところでマモルおにいさん。ぼくらはどこへ歩いているのかな? マモルおにいさんの家へ行くの?」

 あ、と小さな声をあげてマモルはユー君を見た。

「あの、実はね、レイン坊の、じゃないや、雨野くんの家だよ。ほら、これ雨野くんの給食のパンだよ。これを届けるんだ」

 マモルの学校で給食にパンが出た日は欠席の子にパンを届けることになっていた。

「ほんとは副担任の雨野先生が、あのお姉さん先生がね、プリントや他のものとパンも届けるんだけど、今日はぼくが届けたいってお願いしたんだ」

 さすがマモルおにいさんだ! くじけていても次の手をちゃんと考えていたんだ、と勇一は感心したが、同時に不安にもなった。

「あのう、ぼくも行っていいのかなあ? 部外者だし・・・」

「ユー君!」

 急にマモルが強い声を出したので勇一はビクっとした。

「部外者って、なに? ぼくらはいつだってどこだって仲間だよ! 今度そんなこと言ったら」

「はい!」

わたしね、九重くんにはほんとに感謝してるの」

 びっくりしてマモルは顔をあげた。マモルの後ろでは勇一がやはりその意味をつかめずに首をかしげている。

「弟の怜はね、まだ小さいころに両親をなくして、そのせいかすごく内気に育ってしまったの。わたしは外でお仕事だし、兄弟もいないし、ひとりぼっちでいる時間が長くてね。わたしの仕事の都合で転勤の引っ越しも多くて、そのせいか仲のいいお友だちもなかなかできなくて、小学校へあがるころには自閉症の傾向が出てきて・・・九重くんは自閉症って言葉、知ってる?」

 マモルはその言葉をよくは知らなかった。

「だれとも話したくなくて自分の中だけに閉じこもってしまう心のやまいのことなの。きょうの怜を見て驚いたでしょうけど、実はこの冬までずっとこうだったのよ。ひとの話は聞こえているの。でも自分から反応することができないの。だから何も事情を知らない人から見ると、感情も何もない人形のように見えてしまう・・・」

 マモルは怜の目をのぞきこんでみたが、その目はテーブルのどこか一点を見つめたままぜんぜん動かなかった。

「ところがね、そんな怜がね、この春になってからよく寝言ねごとを言うようになったの。どうやら夢をみているらしいんだけど、それがとっても楽しい夢らしいのね。怜の寝言からその楽しさが、それはもうひしひしとわたしにも伝わってきてね」

 マモルと勇一は顔を見合わせた。

「それが六月になったある朝に、『姉さん、おはよう!』って怜がわたしに話しかけてきたの。そんなことはほんとに久しぶりだったから、それはもううれしかったわ・・・」

 お姉さん先生の目から涙がひと粒、ふた粒ところがり落ちた。

「あ、やだ。ごめんなさいね」

 先生は片手でこれをぬぐうと、またはっきりとした笑顔にもどって話を続けた。

「それからというもの怜の調子はとても良くなってね、これなら普通の小学校へ通っていけると思って転校してきたのよ。でもはじめのうちはやはり心配だから特別にお願いしてわたしと一緒の小学校にしていただいの。校長先生がとてもやさしいかたで同じクラスというわたしのわがままもきいてくださったのよ。うれしかったわ」

 マモルはなおいっそう注意深く雨野怜の様子をみた。しかし怜の目も、口も、鼻も、手足も、ほかの体のどこも動かず、もう息をしているのかさえわからないほどただひっそりとすわっている。ついにマモルは顔をそむけた。

 先生は言った。

「わたしは期待しすぎたのね。怜には環境の変化がきつすぎたんだわ。これでは前よりも少し悪くなってしまったみたい・・・。でもね九重くん、あなたにはほんとに感謝しているの、お礼が言いたい。あなたのとなりの席になって怜は毎日がほんとに楽しそ」

「ごめんなさい! ほんとにごめんなさい!」

 マモルは急に部屋から飛び出してしまった。

「あっ、九重くん、どうしたの、どこへ行くの? ここのえくーん!」

 マモルはもう外へとび出していた。サヨナラも言わずに。

 マモルの持っていたパンはいつのまにか勇一に押しつけられていた。

「えと、そのこれはつまり本日の給食のパンでして、ですからその、えと、さよなら!」

 勇一もきまりわるそうにマモルのあとを追った。勇一も先生に負けないほどおどろいていた。

(マモルおにいさん、いったいどうしたんだ。どこへ行ってしまうんだ)

 勇一はマモルの姿をさがしたが見つからない。どうせすぐに追いつくと考えていた自分の甘さが自分でも腹立たしい。

(どこだ、どこなんだ? あの様子はふつうじゃなかった。早く見つけないといかんぞ。しかしどこへ行けば? やっぱり家か? じゃ電話してみるか、いやまだ家に着くには早すぎるか)

 こんなことをグタグタ考えていた勇一だがやっとピンときた。

(そうだ、あそこにちがいない!)

 それはあのジャングルジムだった。勇一はできるだけの早足で学校へ向かい、こっそりと校庭に入り、ようやくジャングルジムが見えるところまで来た。

「やっぱりここか! どうしたのさ、マモルおにいさん、心配したよ!」

 マモルの姿を見つけた勇一は安心でにこやかにほほえみながらマモルに近づいた。

「マモルおにいさんてば! 給食のパンはちゃんと・・・あ・・・」

 ふりむいたマモルの顔を見て勇一はたじろいだ。マモルのほおにはいくすじもの涙が流れていたのだ。

 勇一のことを見もしないで、うつむいたままマモルは言った。

「ユー君。ぼくは・・・ぼくはどうして・・・ユー君やレイン坊に会えたことだけで満足しなかったんだろう・・・どうしてバカなテレビの推理ドラマみたいなマネをしてレイン坊の正体を追いつめたりしたんだろう・・・」

「おにいさん・・・」

「ほんとうにひどいことをしちゃったんだ! そうでしょ? ぼくらの大事な友だちを暗い暗い光もなんにもない世界へ突き落しちゃったんだ、あの夢博物館の悪夢の部屋みたいなところへさ! ぼくは、ぼくは・・・うう、うううう・・・」

 マモルはふりかえるといきなりユー君にぶつかってゆき思いきり抱きついた。そして泣いた。マモルがユー君に抱きついて泣く。それは夢の中でもこの現実世界でもユー君にとっては初めての経験だった。ユー君はどうしていいかわからずに突っ立っていた。

見れば自分よりだいぶ背の低いマモルの頭のてっぺんが自分の胸に押しつけられている。やがてマモルの両手が背中のほうから自分の胸にあるマモルの頭の両側にきて服を力いっぱいにぎゅっとつかんだ。その姿勢でマモルは泣きじゃくり、マモルの涙やら鼻水やらがシャツを通してその熱さを自分にぶつけてくる。その湿った熱さを肌で感じたその時だった。勇一の血がわきたった。もうどうしようもないほどのいとしさが血管という血管にほとばしり全身の筋肉がめざめていった。全身全霊をかけて守りたい大切なものがここにある。絶対にこわしたくない、でもほんとうにこわれやすいものがこの胸にある。この思いが脊髄全部をわしづかみにして自分を大きく大きくゆさぶるのだ。

 勇一は両腕でやさしく、しかしがっしりとマモルを抱きしめた。そのとたん、マモルの心の痛みが両腕をとおして勇一の心へも流れ込んでくるのを感じた。勇一もがまんできず、熱い涙が次から次へとあふれ出てきた。

 燃えるような夕陽が校庭を真っ赤に染めあげているのにも気づかず、ふたりはいつまでも声をあげずに泣いていた。




                 第2章 原始大気げんしたいき




 つらかった一週間がすぎ、やっと土曜日がやってきた。もちろん学校はお休みで、マモルと勇一のふたりはこの日を胸がこげるかと思うほどジリジリとした思いで待っていた。

 ついにやって来たこの週末、南郷勇一は朝いちばんでマモルの家にやって来て、それからずっとふたりはマモルの部屋にとじこもった。いったいそこでふたりは何をやっているのだろう?

 まずお母さんがお茶とお菓子を持ってくるという名目でさぐりに来た。ドアを開けると勇一はわざとらしいほどの明るい笑顔でお礼を言い、マモルはそっけない態度で鼻歌なんかやっている。

 お母さんがドアを閉めてそっと聞き耳をたててみると、ふたりがものすごい勢いで話しはじめるのがわかったが、もう少しのところで話の内容がはっきりと聞こえなかった。そこでお母さんはあきらめた。

 ルミときたら、ドアなんか気にせずにずかずかと平気で部屋の中に入っていったが(ここはルミの部屋でもあるのだ!)そしてふたりのそばで話をずっと聞いていたにもかかわらず、どうやらルミには話が退屈だったらしくその場で寝込んでしまった。おかげで外にいるお母さんやお父さんには何の情報も伝わらずじまいだ。

 そしていよいよお父さんの出番だ。お母さんよりずるがしこいと自分で思っているお父さんは台所からコップを持ってきていた。そして二階のこの部屋のドアにコップを押し当てて聞き耳をたてた。するとお母さんよりは明瞭に話の内容が聞こえたのだった。

 お父さんがまずびっくりしたのが、ふたりが何か複雑な機械のことについて議論していることだった。お父さんでもまるでわからない専門的な科学の用語やら理論やらが議論されているのでわけがわからなかったことがひとつ。

 もうひとつお父さんが気がついたのがふたりの議論の熱量だ。つまりふたりの話しかたのことなのだが、ふたりの話しかたが時とともにすごい熱をおびてきていることだ。たとえばマモルが大声を出して次のように言っていた。

「そうじゃなくてユー君! だからぼくが言いたいのは、何かこう、純粋でもってさ、汚れなんていっさいなくて、ああもう、うまい言葉が出てこない。何て言えばいいのさ・・・そうだ! 赤ちゃんだよ! まるで赤ちゃんみたいに何のまじりけもない素直で清らかなもの! こういうものでレイン坊を包みこむんだ。そうしなければきっとレイン坊の心はもう二度ともとにはもどらない よ。だけどぼくにはそんな力なんてない。だから・・・だからさ!」

 マモルはそうとう熱くなっていた。それを受ける勇一のほうは声そのものがマモルよりずっと低いのであまりよくは聞き取れなかったが、しかしけっして冷静などではなかった。

「それはわかる、よくわかっているよ。だけど作戦は具体的に日時と手順を決めなくてはならないでしょ? だから研究(ここからしばらくはっきりと聞き取れず)にはもっと具体的に的確に(ここからもよく聞き取れず)さあ、もう考えているときじゃない。今こそ(また聞き取れず)」

 こんなふうに勇一も熱にうかされたように話していた。お父さんは最初のうち、どこかワクワクして聞いていたが、そのうちに思いつめたような顔つきになってゆき、やがてその場を離れて一階へ降りていった。

「ねえ、あなたどうだった? うまく聞けた?」

 一階ではお母さんが待っていて、さっそくお父さんをつかまえてそうたずねた。お父さんはちょっと困ったように「うーん」とうなったあとにこう言った。

「うん、聞けたんだけど、なんて言ったらいいのかなあ、あんまりおおっぴらにしちゃいけない話というか、今はしゃべっちゃいけないというか」

「まあ、ずるい! 自分ひとりだけわかっちゃって、そんなの不公平よ。それ貸して!」

 お母さんはお父さんの手からコップをひっさらうと二階へのぼっていった。ところがお母さんが二階に着くと同時に部屋のドアが開いてふたりが飛び出してきた。そしてお母さんを押しのけるようにして階段をバタバタとかけおりていった。

「これ! なんですか、あぶないでしょ!」

 二階からお母さんがたしなめると、マモルと勇一は同時にふりかえり、

「ごめんなさい、お母さん! でも大急ぎでなんで」

と、まるで合唱みたいに声がそろった返事をかえし、そのままやはり同時にピョコリと頭を下げた。その姿があまりに奇妙で、お母さんは思わずふきだしてしまった。

「ぷっ! なあに、それ? なんかのコントみたい。ふふふ」

 お母さんが笑ってくれたので、それにつられてマモルも勇一も照れ笑いして頭をかいた。

「いいわ、許したげる。でもごはんくらいちゃんと食べなさい。もうお昼よ。何を食べたい? あ! ちょっと!」

 お母さんが話している最中にふたりは玄関にすっとんでいって、そのまま外へとんでいった。きっとくつもちゃんとはいてないはずの速さだった。

「あきれた。ほんとしょうがない子どもたちねえ」

 お母さんがおそらく意識せずにふたりのことを「子どもたち」と言ったのを見てお父さんはうれしそうにほほえんだ。しかし当の「子どもたち」はそのころにはとっくに勇一の車の中でシートベルトをあわただしく身につけていた。

御前ごぜんさま、どちらへまいりましょうか?」

 マモルはびっくりした。車内には誰もいないのに突然こんな声が響いてきたから。

「研究所だ。第五セクターのAポイントにたのむ。フルスピードで。とにかく急ぐから」

 勇一は落ち着いて声にこたえた。そしてマモルの驚いた顔に気づくとこう説明を始めた。

「ロボカーなんだ、マモルおにいさん。ロボットカー。わが社の誇る全自動運転電気自動車の最新型でね、行先さえ言えばあとはおまかせ。と言ってもこのタイプはまだ発表前だから社外の人間で知っているのはマモルおにいさんただひとりってわけさ。ふふ」

 少し得意げにそう話していた勇一は急に下を向いてもじもじし始めた。顔もちょっと赤くなっているみたい。

「いや、ほんと言うとね、まだあらかじめ決めてある行く先とかルートしか走れないんだけどね。どこへでも自由に行けるわけじゃないんだ。まだそこまで進化してなくてね。でも今はわが社の研究所が行く先だからおまかせあれ!」

 勇一はまた元気になった。

「うん、その男ならできると思う。さすがマモルおにいさんだよ! けさ起きたときはこんな手は思いつきもしなかったが、マモルおにいさんが出してくれたアイデアにピッタリの男がいるんだよ! ほんとラッキーとしか言いようがない。なにしろこういう仕事にかけてはまず不可能ということがない男だからね、うん」

 あんまりほめられて今度はマモルがちょっぴり赤くなった。

「それはいいけど、でもユー君、きょうって土曜日でしょ? お父さんだってお休みだし、その人もお休みなんじゃないの?」

「なあに、それは心配なしだよ、マモルおにいさん。なにしろ研究と実験が三度のメシより大好きで、会社の休みなんてまるっきし興味のないやつだからね。研究所にいるにきまってる。きっと今日が何曜日かも知らんじゃろうて。さて今はどの部屋にいるのかな?」

 マモルはそのときになってようやく変だと気がついた。

「ちょ、まってまって、ユー君。研究所へ行くって決まったの、ついさっきだよね。なのにどうしてこのロボカーで来たの? 他の知らない場所だったら行けないんでしょ?」

勇一は真っ赤になった。そしてばつが悪そうな表情で後ろの窓のカーテンを開けた。

「あ、後ろからぴったり自動車がついてくる。あれ? 一台じゃないや、その後ろにもいるよ?」

 それは南郷会長のおともの車列だ。勇一は頭をかきながら小さな声でそれについて言い訳を始めた。

「ごめん、マモルおにいさん! ぼく、かっこつけちゃった。ほんとは後ろのあの車で行くつもりで来たんだけど、行く先が研究所って決まったからこのロボカーを自慢したくて、つい・・・」

 小さくなってる勇一を見てマモルはついクスリと笑ってしまった。自分に自慢しようとがんばっているユー君がかわいくてしかたなくなったのだ。

「ねえねえ、ユー君。さっきぼくに言いかけたでしょ? その男の人は今どの部屋にいるのかって」

「あ、そうだった、そうだった。ちょっと待ってね」

 いきなり勇一はソファの背もたれの部分をポンポンと二回たたいた。するとその部分から音もなく何かキーボードのようなものがスルスルと出てきて、そのまま勇一の前に自分で位置を変えてきた。すかさず勇一がそれをたたく。

「あ!」

 ふたりがすわるその中間の空間に何か現れた。

「ホログラムだよ。これが研究所。けっこうでかいでしょ? でもすぐにわかるはずだから」

 マモルの目の前には白い色の大きな建物があったが、それが急に透けて見える絵になった。

「スケルトンにして、やつのIDをたたきこんで、と」

 勇一は何やらブツブツ言いながらキーボードをたたいている。

「あっ、いたいたいた! やつめ、やっぱり実験室のそばにおったわい。だがもうつかまえたぞ!」

「あの、ユー君、さっきから思ってたんだけど、携帯に電話したらいいんじゃないかな」

「ごめん、マモルおにいさん。あいつはスマホの電話には出たためしがないんだよ。思考が途切れる、とかなんとか言ってスマホは常にマナーモードにしたうえスヌーズまで無効にしているから携帯電話ではまずつかまらない。ん? マモルおにいさんのその顔。やっとわかってもらえたかな? そう、すっごい変わり者なんですよ、やつは」

「じゃ、どうやって連絡とるの?」

「それそれ。幸いこの研究所の各部屋には放送アナウンスがつながるようにな っていてね。というか、やつのためにぼくがそう改装したんだけど、とにかくその設備で会話できるようになってるの。しかもこの研究所内アナウンスは勝手に切ることができない。それだけじゃない。会長からの、つまりぼくからの通信はどのコンピュータにも強制侵入するから必ず通じるよ。やってみよう」

 ポンと背もたれの別の部分をたたくとマイク付きヘッドホンが現れて勇一の頭にセットされた。

「こちら南郷会長じゃ。南郷グループ中央研究所の太丸所長! 応答したまえ」

 そう言いながら勇一がキーボートを押すと、その男の人がいる部分が拡大されてその人の姿が見えてきた。わあ、太った人だなあ、とマモルはその第一印象を心の中でひそかにとなえた。

「あれ、この人なにしてるんだ? あれタオルかな、頭にかぶっちゃったぞ。まさかユー君の声が聞こえないようにしているの?」

 そのあまりにも子供じみた仕草がマモルの笑いを誘った。しかしどうやら勇一にはその逆だったようで顔がけわしくなり声も大きくなった。

「太丸君! いいかげんに応答せんか! 丸見えだぞ! わかっとるじゃろう!」

「はい社長、こちらフトマル~」

 伸び放題のボサボサ髪を太い指でボリボリかきむしりながら太丸所長は不愛想に答えた。

「おお、太丸くん! やっと話せたな。しかしわたしはもう社長じゃないぞ。会長になったんだし休養宣言もした。きみはテレビも見んのかね?」

「いえ、見てますとも。天気予報は欠かさず見てます。天候は実験に大きな影響を与えるんで」

「まあいい。今からそっちへ行くから待っててくれたまえ」

「来るだって? ここへ!」

 ブツンという音をたてて太丸所長の顔がホログラムから消えた。

「しまった! やつめ逃げる気だ!」

 勇一はキーボードを手早く操作する。太丸所長の動きを追っているのだろう。

「思ったとおり。ヘリポートのほうへ向かっておる。ヘリで他の研究所へ逃げるつもりだ。いつもそうなんだ、やつは。研究のじゃまをされるのが何よりきらいで、気分がのらないときは誰にも会おうとしない。ましてや上司の訪問なんて迷惑でしかないんだろう。南郷グループの中で会長に向かっていやです、と言えるやつなどやつくらいしかおらん! だが今日は許さんぞ。こっちも必死なんじゃ! 見ておれよ、隔壁をすべてシャットして、研究所全部を閉鎖して、ヘリポートも使えなくして・・・」

 ここまで一気に吐き出すように怒鳴り散らして勇一が手を止めた。そして空中の一点をにらみつけていた。だが、すぐに今度はマイクをぐいとつかんでこう言った。

「まってくれ! 太丸くん、たのむ、聞いてくれ! きみの好きな原始大気のことで行くんだよ!」

 すると、どうだろう、太丸所長のまるまるとしたあの顔がホログラムに現れた。

「なんですと? 原始大気って言いました?」

「そうだよ、原始大気。原始大気の件をすすめたいんだ!」

「イヤッホー! やっとアレに興味を持ってくれたんですか! それなら大歓迎だ。今どこにいるんです? モタモタしてないで早く来てください、社長!」

「もう社長じゃないと言ってるだろう。五分もたたんうちに着くからよろしくたのむ」

 ホログラムがすべて消えた。

「ふう、よかったあ。やつはまだこのテーマに夢中らしい。マモルおにいさん、ぼくらはついてるよ」

 勇一はひたいの汗をぬぐい、マモルに笑顔を見せた。それは夢の中で見慣れたユー君のあの笑顔だった。そしてもうひとつ、マモルは夢の中のユー君と同じものを勇一の中に感じ取っていた。だからそれを伝えようと思った。

「やっぱりユー君はえらいね」

 勇一はびっくりした顔をした。

「力づくじゃない。どこまでも言葉で相手の心に入っていって説得するなんて、ユー君はやっぱりやさしいね。だから好きなんだ」

 あっけにとられた勇一の顔はまた真っ赤になった。

「え? あー、やだなあ。やはりマモルおにいさんにはお見通しかあ」

 マモルにはわかっていた。やろうと思えば勇一は研究所の道をすべて閉じて太丸所長を動けなくすることもできただろう。でもそんなことをすれば、今度は太丸所長のほうが心の道を全部閉ざしてしまって話もきいてくれなくなるにちがいない。だから勇一はあくまでも言葉で説得しようと態度を変えたのだということが。

「太丸くんのヘソ曲がりは筋金入りだからね。一度すねてしまえばもう終わりだ。でもぼくらもあとにはひけない。なんとしてもこれを成功させなくてはいけない。レイン坊を救うためにはこれしかないんだから! だからここは力で抑え込んではいけないと思ったんだ。というか思い出したんだよ、マモルおにいさんならこうするだろうってね」

 そう言われて今度はマモルが赤くなって下を向いてしまった。

「お、着いたよ、マモルおにいさん。研究所だ。あれ? 太丸くんが外まで出迎えにきとる。なんとめずらしいことがあるもんだ」

 入口ゲートの前ではコロコロと太ったおじさんがまん丸のぶ厚いメガネを片手で上げ下げしながら、あいてるほうの手を思いっきりふっている。

「あれが例の博士?」

「いかにも。あれが例の博士。ぼくらの最後にして最高の切り札だ。もっともやつは博士号を持っておらんがね。そんなもん取るのは時間のむだ、だそうだ。それにしてもやつが手をふって迎えるなど初めてことじゃないかな? よほど乗り気とみえるのう」

 ロボカーは太丸所長の前で静かにとまった。車をおりるとすぐに勇一はマモルのことを紹介した。

「こちらはぼくのマモルおにいさんじゃよ」

「ああ、そうなんですか。どうもよろしく、太丸文ふとまるぶんです。きょうはありがとう。ぼくの実験を見にきてくれて!」

 太いムクムクした手で太丸所長はマモルに力強い握手をした。

 勇一が「ぼくのマモルおにいさん」と紹介したことに何の説明も求めずにすんなり受け入れてくれたことにマモルは驚いた。だがその驚きはすぐに好意に変わった。マモルはひと目で太丸のことが好きになった。

「さっそくじゃが、きみの言う原始大気は・・・」

「それそれ! 原始大気のアイデアはですね、そもそもが」

「まった! こちらにまず話させてくれんか。ぼくの記憶ではたしか、きみの作る原始大気ではあらゆる気象条件を再現できるということじゃったな?」

 青く長い廊下を足早に歩きながら勇一はたずねた。太丸所長がその実験室にみんなを連れて行こうと走りそうな勢いなのでついて行くのがたいへんだ。

「もちろんです! それが目的達成の絶対条件ですからね。どんな場所のどんな気候でも再現可能。そのうえで太古地球の原始生物や恐竜たち、はては人類誕生の過程までつぶさに見てやろうって計画なんですから!」

「でな、所長。その原始大気を作り出す機械、えーと、ドームだっけ? そのドームはどのくらいまで小さくできるのかね?」

「それを今からお見せしようってんです。まあ苦労しましたが、二階建て家屋のスペースがあれば十分ってなもんですわ、ははは」

 それを聞いた勇一とマモルは廊下の途中で足をとめて、ふたりいっしょに大声で次のように叫んだ。

「それじゃ大きすぎる!」

 ふりかえった太丸所長はいかにも心外だという顔つきですぐに反論してきた。

「大きすぎるだって? あのですね、生物の進化をこのシステムひとつで完全再現しようというこの壮大な試みにしてはちっぽけなもんでしょうが! 家が一軒分なんてさ! 原始の地球まるごと一個分が相手なんですよ!」

 勇一も早口にこたえる。

「いや、太丸くんや。今回は気象の再現だけでよいのだ。だからもっと小さくいけるじゃろう?」

 これをきくと太丸所長の顔色が一変した。

「なんだとお! いったいなんのつもりですか! 原始大気の再現なんてとっくのとうにクリアしてる課題じゃないですか。そうか! わかったぞ! ほんとはぼくの研究に興味があって来たわけじゃないんだな。それならもう結構だ。もうおしまい。失礼します」

 太丸所長はふたりに背を向けて歩きだそうとした。マモルは怒れる太丸所長のむくむくした片うでに後ろからパッとしがみついた。

「待ってください、博士! おこらしちゃったんならごめんなさい! でもぼくたち本当に大切なことをお願いしたいんです! ぼく、話すのはうまくないから手紙にも書いてきたんです。これです。どうかこれを読んでみてください。お願いです!」

「博士だって? そんなこと言えばぼくがよろこぶとでも思ったのか。ぼくは博士なんかじゃない。手紙なんて読んでる時間なんかもない! 帰ってくれ!」

 マモルはなんとか太丸のズボンのポケットに手紙をつっこんでみたが、激怒している太丸はそれを廊下に投げ捨ててから走り出し、近くの部屋へとびこむとバターンと勢いよくドアを閉めてしまった。

 勇一とマモルはドアにかけより開けようとしたがだめだった。しかしマモルはドアの下にほんの少しだけすき間があることに気づき、そこへ手紙をサッとすべりこませた。なんとかその手紙に太丸が気づいてくれればいいのだが。そして読んでくれれば・・・こう祈るようにマモルは勇一と廊下で待った。

 五分たった。十分がたった。そしてついに二十分がすぎた。ドアは開かなかった。

「ふう。マモルおにいさん、どうやら見込みなしだ。ここの部屋はやりようによってはどの部屋にも行ける仕組みでね。あの男もとっくに他の部屋に行ってしまっただろう。もしかしたらもうヘリコプターで飛んでるかもしれん。ロボカーからならいくらでも操作できるけど、ここでは何もできん。お手上げだ。もうここにいてもしかたがないよ」

 マモルはがっくりと肩を落とした。

 鉛のように重い足取りでふたりは出口へ向かった。と、そのとき、ふたりの背後でポンとドアの開く音がした。

「待ちなさい、マモルくん」

 ふたりがふりかえると太丸所長が立っていた。その手にはマモルの手紙が握られている。

「さっきはすまない。その、なんというか、おちついてひとの話に耳をかたむけるというのがぼくは大の苦手でね。それがぼくの欠点だってわかっているんだけど・・・マモルくん、ちょっとこっちへ来てくれないかい?」

 呼ばれるままにマモルは太丸のそばに行った。

 太丸所長はごつい体をかがめて、その丸い顔をマモルの目の前にもってきて、ぶ厚いメガネをとった。

「あ・・・」

 思わずマモルはそんな声をだした。メガネにかくれて今まで見えなかった太丸の目をマモルは初めて見たのだ。その目つきはりりしく若々しく、澄んでキラキラと輝き、まるで陽光のふりそそぐ海面を思わせた。

 しかし太丸のほうからこんな言葉をかけてきた。

「マモルくん、きみはいい目をしているね。その目を見たかったんだ」

 そう言うと太丸はまたメガネをかけた。

「あの手紙ね、ちゃんと読ませてもらったよ。そうかあ、友だちかあ。友だちなんて言葉、何年ぶりにきくだろう・・・うん、わかったよマモルくん、友だちを助けたいんだね。よし、ぼくも手伝おう。いや、ぜひとも手伝わせてくれないか!」

「うわあ、ありがとう! ありがとうございます、博士!」

「おいおい、たのむよ。博士じゃないんだってば」

 太丸所長は照れくさそうに頭をモジャモジャかいてからまた聞いてきた。

「ところでマモルくん、どうして原始大気じゃなきゃいけないんだい? もっとかんたんな気象再現装置だってここにはあるんだがなあ」

 マモルはすぐに返答した。

「原始の地球の大気って赤ちゃんみたいなものなんでしょう?」

「赤ちゃん!」

 太丸所長はぶ厚いメガネの底でギラリと目を光らせた。それは彼が強い興味を持ったときのクセだった。

 マモルは続ける。

「赤ちゃんて産まれたばかりでまだ何もしてないけど、これからの長い人生が待っていて、きっとやりたいことがたくさんあって、うずうずしながらそれができるときを待っている。赤ちゃんにはやりたいことがいっぱい、希望がいっぱい、つまり赤ちゃんて夢のかたまりみたいなものでしょう? 太丸博士、ぼくとユー君は今なんとしてもレイン坊に夢そのものをみせなきゃいけないんです! だってぼくら三人は夢の中でであった。だからもう一度ぼくらみんなで夢の中でであいたい、話したい。でも今のレイン坊は心が閉じてしまって楽しい夢を見ることさえむつかしくなっちゃって・・・ぼくのせいで・・・」

 マモルは下くちびるをキュッとかんでうつむいた。勇一はマモルの肩にそっと手をおいてはげました。

 マモルは顔をあげて言葉を続ける。

「ぼくはまだ原始の大気って見たことないけど、ユー君からその話を聞いたときに、ああ、これは夢とすごく似ているなあってすぐに思ったんです」

 マモルは太丸に一歩ちかづいた。

「だからお願いです! ぼくらに太丸博士の原始大気を、夢のかたまりを貸してください!」

 しばらくのあいだ太丸は何も言わずに立っていた。どこかマモルの強い言葉に圧倒されているようにも見えた。だがやがてニコリとほほえむと、マモルにむかって何度もうなづいた。

「いいとも!」

 マモルは思わず胸の前で両手を合わせてその場に小さくジャンプした。

 すると太丸は今度は勇一の肩に手をかけてこう言ったのだ。

「いやあ南郷社長にもこんないいお友だちがいたのですねえ。正直びっくりですわ。いやね、ぼくは以前からあなたのことを、いずれは何かひとかどのことをやりとげる人だと思ってはいたんですよ。そしてやっぱりぼくの目に狂いはなかった。こんなすてきな友人ができたなんて、なんて言うか、そうだな、きょうぼくはね、初めてあなたのことを心の底からうらやましく感じましたよ、社長!」

「しゃ、社長じゃないと言うとるじゃろうが、この、うーん・・・・」

 真っ赤になった勇一は、それでもうれしさをかくそうともせずに、両手を後ろ手に組みながら天井のあたりをながめるそぶりをしている。

「太丸博士! その原始大気はどこにあるんでしょうか」

 マモルのその言葉に勇一と太丸はハッと顔をひきしめた。

 太丸が答えた。

「よし行こう! この廊下のつき当たりに装置があるんだ!」

 こうして何か熱いものに胸をふくらませた三人の男たちは、青いライトに照らされた長い廊下のつき当たりをめざしてずんずんと進んでいった。

 その途中で勇一が小声でマモルにたずねた。

「ねえねえマモルおにいさん、さっきのあんな手紙、いつ書いたの? ぼくびっくりしたよ」

 マモルはいたずらっぽく笑った。

「あれはねえ、ほんとはユー君あてに書いた手紙なんだ。きのうの夜ね」

「え? ぼくに?」

「そうそう。きょうの大事な話し合いの前に自分の心を整理しときたくてね、そしたらしぜんとユー君あての手紙を書いてて。メモみたいなつもりだったから宛て名も書いてないし、中身もレイン坊を助けたいってことだけになっちゃったし。打合せの時に持ってたんだけど、そのまま持ってきちゃってね」

「そうだったの。いや、でもさすがにマモルおにいさんだよ! それをさっきのあのタイミングですぐに出せるなんてさ、まさに夢の中の冒険で見せくれる抜群の機転そのものだよ! さすがさすが」

「さあて、いよいよ着きますぜ、ダンナがた!」

 ついに廊下は終わり、ドアがあった。この向こうに原始大気があるのだ。

 みんな気がたかぶっている。

「さあ、ごらんください」

 太丸がドアをあけながら言った。

「これが原始大気調節モデル。通称はパームです!」

 このあと太丸所長は早口でパームとは略称で、正式名はザ・プリミティブズ・アトモスフェアーズ・レギュレーション・モデルであり、それらの単語の頭文字をとってパームというんだと説明したがマモルと勇一の耳にその説明は入ってこなかった。それほど目の前の機械は圧倒的だった。

「あれが雷電発生装置」

 マモルと勇一が目にしたのは巨大なプラネタリウムのような広大な空間だった。はじめは星々だと思った天井の点々は実は電極で、そこから人工カミナリが発生するという。

「あっちが小型人工太陽球」

 天井のはしっこのほうにひときわ大きい白い球体が突き出ていた。おそらくそれが人工太陽なのだろうとマモルは思った。

「そして、こちらが水分調節器で」

 マモルはそれがどこにあるのか見つからなかったが、勇一がマモルの腕を引いて教えてくれた。それは地上部分にあり、なんだかダムみたいな姿だなとマモルに思わせた。気がつくとこの部屋の床には重厚な機械がいくつもビルのように立ち並んでいる。

「そのとなり、あの中央のは合成タンパクなどを散布する装置です。だけどもっとすごいのが、ほら、すっごく高い塔があるでしょう、あれはなんと人工隕石射出装置! 他の惑星から生命が飛来したという仮説に対応したもので・・・あれ? どうしたの、ふたりとも、そんな困った顔してぼくを見つめて」

 実際ふたりは困っていた。やはりとてつもなくでかいシステムだったからだ。これでは計画にはとても使えない。

「なーんてね。わかっていますとも、ちゃんとね。大きすぎる。でしょ? ではあちらをごらんください」

 太丸所長は急に足をそろえて立ち、まるで舞台上の奇術師のような芝居がかった仕草で部屋の右すみの方角を指し示した。そこにはこの壮大な実験室には似つかわしくない、どちらかと言えばみすぼらしいスチール机がひとつあって、その上には何か丸っこいものがのっかっていた。

「見えますか? あの丸いビンみたいなものが? ではご紹介しましょう。あれこそが二十分の一モデルの超小型パームでありますぞ!」

 マモルと勇一は全速力でその机のところへ走っていった。太丸のほうは悠々と歩きながらこう説明している。

「もちろん本家パームの全機能はありません。しかし基礎的な原始大気の発生と気候調節くらいならおつりがくるくらいの性能がありますよ」

 マモルは目を輝かせ、勇一はとびあがった。そしてほとんど叫ぶようにして勇一が言った。

「こ、こりゃすごいぞ! これなら教室の机にだって置けそうだ! ドンピシャリじゃよ、太丸くん! いや、まってくれ。まさかこれ未完成だなんて言わんじゃろうね?」

 太丸は笑いながら言う。

「完成してますって。起動したあときっかり六時間までは稼働を保証します」

 マモルと勇一は互いの顔を見あって笑顔になった。

「それなりの大出力の空調設備、まあエアコンですね。それと水。あ、もちろん電源として二百ボルトのコンセントが十本もあればどこでも動きますよ」

 これを聞いたマモルはとたんに心配になった。

「雨野くんは今とても孤独で、おびえていて、悲しくて・・・外出はとってもむずかしい感じなんです。もし出られるとしても学校までがせいいっぱいだと思うんです。だから学校でやろうと思っていたんですけど、あの、今のお話だと大丈夫なのかなって。だってふつうの家や学校はたしか百ボルトの電気ですよね? それに大きなエアコンなんて学校で見たことないし、どうしよう・・・」

 勇一もあわてた。

「なんとかならんのかね、太丸くん!」

 太丸はおちついていた。

「ねえ社長、あなたはいつもぼくに向かって、製品は小型化しろ、とにかく小さくしろ、日本で必要なのは高性能だけど小さいものに限るんだ、わかったか! いっつもそううるさかったですなあ、覚えてますか? ぼくがそれをサボっていたとでも? とーんでもない、心配ご無用です! パームのこの二十分の一モデル、そうだな、リトル・パームとでも名付けますか、このリトル・パームに必要な超小型電源や超小型空調設備はそろってます。リトル・パームを作っ

たときに一緒に作ってあるんです。学校なら、うーん、そうですねえ、理科室あたりで十分いけますよ」

 マモルと勇一はまたまたとびあがって喜んだ。

「電圧変換はそうたいしてむずかしくないし、水はもちろん水道水じゃだめだがこいつ専用の水も数リットル程度で足りるんです。あとは特殊なたんぱく質とか何やらはこの部屋にあるものをぼくが持っていきますからだいじょうぶですよ」

 マモルと勇一はびっくりした。

「えっ、来てくれるんですか、博士!」

「ほんとか、太丸くん!」

 ふたりはつい大声で、なんだか怒鳴るように言ってしまった。

「おいおい、他のいったい誰がこのリトル・パームを動かせるっていうんだい? それで? 作戦決行日はいつなんです?」

 マモルと勇一がひそかにおそれていたこの質問がとうとう出てしまった。一瞬だまってしまったふたりだが、勇気を出してマモルがきっぱりと答えた。

「あしたなんです」



                  第3章  決断


 太丸所長と別れて研究室を出たあと、ふたりはレイン坊の家に行った。そこでふたりは計画を打ちあけて、あしたぜひ学校にレイン坊を連れてきてほしいとお姉さんの美人先生に頼んだのだが、これは拍子抜けするほどすんなりオーケーが出た。それどころか美人先生は大乗り気で、たとえこの大計画がうまくいかなくても、これがきっかけとなって弟がまた外出できるようになってくれればほんとうにうれしいから、とそう言ってくれたのだ。

 レイン坊の家を出てから勇一は言った。

「よかったね、マモルおにいさん!」

 マモルはもちろんホッとしたが、美人先生にこれほど自分が信用されていることにかえって「がんばらなくては!」という思いを強くしていた。

 さて、原始大気もよし、レイン坊の外出もよし、残るはあと理科室の手配ができるかどうかだけとなった。

 ふたりは校長先生の家へむかった。

「マモルおにいさん、こいつも難問だねえ。うまくいくかな?」

「あ、ユー君、だいじょうぶだと思うよ。それはぼく、あんまり心配してないんだ」

 意外な返答に勇一はちょっとびっくりした。

「え? そうなの? そうかなあ」

「うん、校長先生にたのめばね、まずだいじょうぶなんだよ。校長先生手ね、とってもやさしいんだ。前にね、ぼくらのクラスがビオトープを作りたいとお願いしたときもね」

「え、なに? ビ、ビオトープって?」

「ザリガニとかトンボとかメダカとか、いろんな生き物が集まりやすいように小さな池とか草むらとか作ってあげるの。そういう場所をビオトープっていうらしいんだ。でもなかなか場所がなくてね。困って校長先生のところへ行ったらね、校長先生たらすぐに校長室前のきれいな芝生のとこへ行ってね、そこを自分で掘り返してビオトープの場所にしてくれたんだよ! ね、すっごくやさしいでしょう?」

「ほほお、なかなかの人じゃね。ああ、そういえばレイン坊のお姉さん先生もよくしてもらったって校長先生に感謝していたなあ」

「二十四時間いつでも君たちを待っているから好きなときに家に遊びに来なさいって口ぐせのように言ってるんだ。だから理科室もきっとだいじょうぶ」

 その言葉どおり校長先生は家にいて、ふたりをあたたかくむかえてくれた。

 マモルが思っていたとおり、理科室も雨野くんのためになるなら使ってもいいと許可をしてくれた。ただし「校長先生もその場に立ち会うこと」という条件がついたが。

「まあゆっくりしていきなさい。お茶でもだすから」

 そう校長先生は言ってくださったが、忙しいふたりは丁重におことわりして玄関を出た。

「いやあ、聞きしにまさるやさしいお人じゃね。これならうまくいきそうだ」

 と話しながら勇一がロボカーにむかおうとしたとき誰かが勇一の肩に強くぶつかった。

「うわっ! これは失礼」

 勇一がそうわびつつ相手を見ると、その相手の男は

「ふんっ! えらそうに!」

 と吐き捨てるように言って校長先生の家に入っていった。

「なんじゃ、あいつは! 無礼なやつだな!」

 男は校長先生の玄関先で大声を出していた。

「誰がいないのか! 黒手くろでだ! PTA会長の黒手だ!」

 そう言いながら男は玄関の戸を閉めた。

「PTAの会長だって? どっちがえらそうにしてるんだよ、まったく。あれ? マモルおにいさん、どうしたの?」

 マモルの顔は真っ青になっていた。

「くろで、って言った? PTA会長? あれは、あの四組の乱暴な子の親なのか? 同じ名前だもの・・・」

「え? 四組のあの乱暴者と同じ名前? どおりでね。あの親にあの子あり、ってわけだ。さあ行こう行こう、マモルおにいさん」

 そのときだった。

「ちょっとまてえ!」

 校長先生の玄関口が乱暴に開くと乱暴な声がとびだしてきた。

「そこのふたり! だめだだめだ! 理科室の許可は取り消しだ! 生徒のひとりが休日に学校の施設を勝手に使うなんて許さんぞ!」

 勇一はカッとなって言い返した。

「校長先生の許可はとってあるんじゃ! あんたに言われる道理はない!」

 黒手というその男は今度はバカにしきった笑い顔を見せて言った。

「これはなあ、校長からの伝言だよ。わかったらさっさと帰った帰った」

 そのあと黒手は大きく口をあけて無言の言葉を放った。それは明らかに「バーカ」と言っていたので勇一は額に血管を浮き上がらせて怒った。

 ガチャンと玄関がしまり、それっきりだった。

「しまった。こいつはまずいな。つい頭に血がのぼってケンカ腰になってしまったのは失敗じゃった。学校の許可がなくては理科室が使えん。かといってあの調子ではもう許可はおりそうにないなあ。困った。どうしよう、マモルおにいさん。ごめんなさい、ぼくがもっとうまく対応していれば」

「やるよ」

「え? 今なんて?」

「やるよ、ユー君。計画は中止しない。予定どおりあしたやる」

 マモルの声は静かだった。それがかえってすごみのようなものを勇一に感じさせた。

 勇一の体の中に衝撃が走ったのはそのときだった。初めて勇一は気がついたのだ。

(マモルおにいさん・・・おれは「おにいさん」などと呼びながらも心のどこかで「おにいさんといっても小学生なんだから」とか「ほんとはおれなんかよりもこどもだし」と思っていたんじゃないか? だってそうだろう。おれは感じていなかったじゃないか、今の今まで。この人がこんなに大きい人間だったなんて! こんなに強い人だなんて!)

勇一はマモルを見た。マモルは自分といっしょにロボカーへ歩きながら静かに前を見つめている。そこに勇一はマモルの底知れない決断の強さを見た。

(こんな・・・こんなてごわい男がおれの人生にいたか? 苦しい戦いはいくつもあったし、すごいやつも何人もいた。だがいつだっておれは勝った、勝ち残ってきた! だけど・・・今この男とやっておれは勝てるか? 死ぬか生きるかのガチンコ勝負になったとき、おれは勝てるだろうか・・・不安になる・・・)

 ロボカーは、お帰りなさいという音声と同時にドアを開いた。マモルはドアの入口に足をかけている。

(そりゃあ若くて力もなかったころには強い上司に従いはした。だが心の中ではいつだっておれのほうが実力は上だ、おれのほうが絶対に強くなると確信していた。だからおれには師匠はいない。一生ついていきたいなどと思った人もいないんだ)

 ふと見ると、すでに席についているマモルが自分を見つめていた。

「どうしたの、ユー君? 行こう?」

 そう言われて勇一の胸はいっぱいにふくらんだ。勇一は生まれて初めて「ついていきたい」という感情を知った。それは一気にとめどなくあふれて体中をかけめぐり全身がしびれた。「この人についていこう! ずっとずっと、いつまでも!」心の底からそう思えた。それは喜びというよりも、何かもっとずっと神聖なもののように勇一には感じられた。

 ロボカーに乗りこみながら勇一は言った。こどもらしく元気よく。

「うん! 行こう、マモルおにいさん!」




                 第4章  出現



 ついに日曜日になった。

 マモルが学校につくとユー君が待っていた。

 空はどんよりとくもり、小雨がぱらついている。

「ユー君、上履きはもってきた?」

「もってきたとも、マモルおにいさん」

 小雨のなかの日曜の学校は不気味なほどがらんとしている。

 マモルの顔には緊張がありありと出ていてユー君は心配になった。

「マモルおにいさん、お父さんやお母さんにはなんて言ったの?」

「なにも」

 マモルの表情はますますかたくなる。

「さあユー君、理科室への渡り廊下だよ。校庭から見えないようにかがんで」

 忍者のように身をひそめたふたりが理科室の前までたどりつくと、あ、と小さくさけんだマモルの顔に初めてほほえみがうかんだ。

「ドアが少し開いてる! やったユー君、打合せどおりだね!」

 鉄製の重いドアの前でユー君はウインクしてみせた。ユー君直属のスタッフが夜のうちにいろいろと手配してくれたおかげだ。

 自信に満ちたユー君のウインクと笑顔を見たマモルは思った。

(いける。ユー君とならやれる。うん、やれるとも!)

 マモルとユー君のふたつの影がスルリと理科室のドアに吸い込まれる。さあ、いよいよ理科室の準備だ。そう思うとマモルはようやく興奮してきた。

「さあ、ユー君。時間がないけど、でも慎重にいくよ。まず」

「しっ! マモルおにいさん! 誰かいる!」

 とっさにふたりは身を低くした。そのふたりの前に大きな影がのしかかってきた。なんとそれはよく知った顔だった。

「太丸博士! もう来ていたんですか!」

 マモルがそう言うと、太丸所長はくせ毛のモジャモジャ頭を太い指でボリボリかきあげながらつぶやいた。

「きのうからずっとここにいるのさ。ひさしぶりの学校がなつかしくてついはしゃいじゃってね」

 しかしマモルはすぐに気づいた。太丸所長の目の下にはまっ黒なクマができていることに。太丸所長がかなり疲れていることにマモルは不安になった。

「うわあ、マモル君にははったりはきかないかあ。わかったわかった白状するよ。思ったより準備作業がハードでね、完全徹夜になったんだ。実を言えばついさっき、三十分ほど前に終わったところさ」

「だいじょうぶなのか? 所長!」

 ユー君の叱責にも似た問いかけに今度は太丸所長がウインクをしてみせた。

太丸所長はまたもや舞台上の奇術師よろしく芝居がかった仕草で理科室の奥を見るようにふたりをうながした。

 ひとくちで言うと理科室内はまっくらに思えたが、目が慣れてくると少しずつ様子がわかってきた。

 すべての窓には暗幕がひかれて外の光をほぼ完全にシャットアウトしていたが、部屋の中央で何かがぼんやりと光っている。その青白い光は宙に浮いているように見えたから、マモルとユー君はとびつくようにそこへかけよった。

「おわかりかな? リトルパーム準備完了でござい」

 その青白い光の中心にはきのうマモルたちが研究所でみたあのガラスの器があった。

「直径六十センチ、高さ八十センチ。容器の底部から四方に伸びている接続チューブにはどうかお手を触れないように。高熱のものもあるんでね」

 その半円球のガラスドームはどこかクリスマスの時期に良く売られている、ぐるりとひっくり返すと中で雪が降りしきるあのスノードームを思わせる。

(なんてきれいなんだろう・・・)

 あまりの神秘的な光に先ほどまでの緊張すら忘れてマモルはドームに見入った。青白く光るその容器の中ではときおりかすかながらビューン、ビューンという低い音がうなるように起こっている。その音に合わせるかのように容器に底部では何かがうごめき、そしてまた消えていく。

(・・・これは・・・原始の大気だ・・・)

 原始大気などと言われてもマモルにはこれまで想像もできなかったが、目の前のドームを見て(これこそが原始大気だ!)と確信できた。そしてその神秘の空気の球もまた、マモル同様にこれからせまりくる冒険に興奮しているかのようだった。ドーム内の大気はたしかにふるえていた。

「暗幕だけで十分に暗くなりましたよ。暗い方が効果がはっきりしますからね、助かります」

 太丸所長がそう言うと、マモル以上にドームに夢中になっていたユー君が、はっと目が覚めたようにとびあがった。

「でかしたぞ太丸君! さあ一度テストしてみせてくれ! スイッチはどこじゃ? わしにスイッチをいれさせてくれ、これかな?」

 装置にふれようとしたユー君の腕を太丸所長の毛むくじゃらの腕がつかんだ。

「待ってください! もうテストは出来んのです!」

 不満いっぱいのユー君の顔に太丸所長は次のような言葉をあびせかけた。

「リトルパームを、この小型原始大気調節モデルをセッティングしたあとに二度もテストしたんです! うまくいきました!」

 このドームはちゃんと作動する! マモルは胸をなでおろした。しかしユー君はおさまらなかった。

「じゃあもう一回くらいテストしてみせてくれたっていいじゃないか! 一度みて心の準備をしておきたいんじゃ」

「だから無理だと言ってるでしょう!」

 太丸所長はさらにきつい口調になった。

「よく聞いてください、こういうことなんです。原始大気は問題なく発生する、それはいい。だけど次の回の準備完了まで何時間も待たなくちゃならんことがわかったんです。はっきり言って想定外だ。この学校の貧弱な設備のせいです。しかたないんでいろいろ手を加えました。理科室の電源ネットワークをパワーアップ、それでは全然足りないから中央配電盤をいじって学校全体の電力を一時的にここ理科室に全部そそぎこむ、それからあれやこれやと・・・これでようやく待ち時間を四時間まで短縮できましたがこれが限界です。もし今やったらこれから四時間以上まつことになりますよ!」

 ユー君の勢いはすっかりしおれてしまった。

「そうか・・・いや、すまん太丸君。ついはしゃいでしまって、よけいなことばかり言っちまって。いや、きみはほんとうによくやってくれた!」

 ユー君につづいてマモルもお礼を言う。

「ありがとうございます、博士。ここまでがんばってくださって!」

「おいおい、やめてや。さすがにてれるよ」

 しかしマモルはすかさず次のように言う。

「でも本番はこれからです。雨野くんはもうすぐ来るでしょう。いよいよです!」

 このひとことで三人は気持ちをぐっとひきしめた。

「ああ、まかせとけって!」

 自分のぶ厚い胸を太丸所長は大きいこぶしでドンとたたいてみせた。その音はマモルを勇気づけた。

(そうだ、ユー君だけじゃない。今はもうひとりいるんだ。こんなにもたのもしい味方が)

「とはいうものの」

 ユー君がプラチナ色に輝く腕時計を見ながら言った。

「彼らが来るまでまだ二十分はあるね」

 二十分か、長いような短いような時間だなあ、とマモルは思いドームをのぞきこんだ。それにつられてあとのふたりも、この青白く光る容器のまわりに顔を寄せた。

 そのうちに誰に問われるでもなく太丸所長がぽつりぽつりと話し始めた。

「この中でうずまいている原始大気にはね、学者たちが世界各地の気象の歴史を気長に細かく調べ上げた研究の成果がつまっているんだよ」

 容器の青白い光に照らされた太丸所長の顔をとても神秘的に見える。

「気象の歴史なんてどうやって調べるのか。それはね、たとえば南極大陸の氷なんだ。南極の大地の氷はあまりにもぶ厚いもんだから、それをドリルでくり抜くとね、その下のほうには大昔の地球の大気がそのまま閉じ込められているんだ。まさに気象気候のタイムカプセルさ。そしてその南極大陸の氷のいちぶがこのリトルパームの底部にセットされていて、今この瞬間にも少しずつ溶かされてこの大気を作っている。つまり太古の時間そのものがこの容器に広がっているんだ」

 時間が溶けてここに広がっている・・・マモルは軽いめまいのような感覚をおぼえた。

「まだ生物もいない太古の地球。そんなころの地球の大気組成を現代とはまったくちがう。あらあらしい火山活動、嵐にみちた空と海、火と水が死に物狂いに争う、そんな毎日。だからリトルパームには雷を発生させる電極も、小火山となる発火装置もついている。空からうちつける激しい雷雨を火山の炎が押し返す原始地球の姿・・・この容器の中では短時間ながらその過程をすべて再現できる。そしてその過程の中で、マモルくん! きみのお望みである特別な時空間が出現する! とまあ、そういうわけだ」

 マモルがあらためて深く感動しようとしていたそのとき、ユー君がマモルの肩をたたいた。

「マモルおにいさん、校庭にだれか来たよ! とうとうやって来たか、レイン坊!」

 マモルは窓にかけよってカーテンを勢いよくあけた。と思ったらものすごい勢いでその暗幕のカーテンをシャッと閉めてしまった。

「ちがうユー君! あれは雨野君じゃない! あいつだ! あの四組の乱暴者だ! きのう見た父親もいっしょにいる!」

「きのうって、まさかあの黒手親子? ほんとだ。あ、見て見て、おにいさん、あいつらとなりの校舎のドアをしらべたり窓からのぞきこんだりしてるよ」

「ぼくらをさがしているんだ。あ、しまった、この校舎の鍵はまだ閉めてない」

 理科室のドア近くにいた太丸所長はこれを聞くと言った。

「よっしゃ、ぼくが閉めてこよう」

 太丸所長が飛び出そうとしてドアを開ける。

「きゃっ!」

 女の人の短い悲鳴があった。

「あ! 雨野くんのお姉さん先生! 雨野くんも!」

「ああ、九重くん。もう、びっくりしたわ。知らない人がいきなりとびだしてくるんだもの。えと、このかたはどなた・・・」

「しぃっ、先生、しずかに!」

 美人先生はおこられた生徒のようにあわてて両手を口にあてた。

「先生、ここへ来るときに誰かに会いませんでしたか?」

「いいえ。他にもだれか来ていらっしゃるの?」

「どっちの道から来たんです?」

 美人先生は黒手親子たちがいる方角とは正反対のほうを指さした。マモルとユー君はほおっとため息をつく。

「よかったあ! ついてるぞマモルおにいさん! 逆方向から来たんで互いに姿を見なかったんだ。これなら静かにやれば気づかれないかも」

 このユー君の意見に異議をはさんだのは校舎の鍵を閉めて戻ってきた太丸所長だった。

「いいや、ばれますね。学校の配電盤をいじったときに持参した発電機もつないだんです。こいつがけっこう大きくてね、配電盤のあるとこのドアは開きっぱなしなんです。あそこへ近づいたら誰だってすぐに異変に気づくね」

「博士、その配電盤てどこにあるの?」

 あっちだよ、と太丸所長はとなりの校舎を指さした。

 マモルは頭をかかえた。

「マモルおにいさん、マモルおにいさん! 急いでやろうよ! 今はそれしかないでしょ?」

 ハッとマモルは顔をあげた。

(そうだ、ユー君の言うとおりだ。今は考えこんでるときじゃない、今をのがしてはいけないんだ。実行するんだ!)

「先生、雨野くんの調子はどうですか? 少しはよくなりましたか?」

「きのうとあまり変わりないわ」

 マモルは少し肩をおとした。でも美人先生はこうつけ加えた。

「でもね、きょうは学校へ行って九重くんと会うのよ、って言ったらいつもより朝ごはんを多く食べてね、すぐに着替えようとしてたの。表情は動かないけど、怜の心はうれしさを感じていると思うの」

 マモルの目が輝いた。そしてすかさず雨野怜の手をとった。

「ねえ雨野くん、ここにガラスの容器があるでしょう? これを見てほしいんだ」

 雨野怜はぼんやりと宙を見たままだった。

「今からこの中でおこることを見てね、思い出してほしいんだよ。ぼくらが出会った夢の国を!」

雨野怜はもどかしいほどゆっくりと、それでもちゃんとマモルの顔を見た。そして次にリトルパームのほうへと視線を移した。

 マモルはおおいに元気づいた。

「ぼくらは夢博物館で出会ったでしょう? ぼくが目をまわすほど不思議でおっかなかった部屋の数々を雨野くんは案内してくれたよね。それから海でもいっしょに冒険したっけ。ほらここにも海があるんだよ。それから島もあるんだ。ぼくとユー君と、それからきみといっしょに上陸したあの島のような島がね。今はまだ見えないけれどこれからこの中にそれらがみんな出てくるよ。ぼくらが一緒に見た夢の中のように」

 マモルは雨野怜の顔からドームへと向き直った。

「さあ、いっしょに見よう。いっしょに旅しよう。ぼくといっしょに行こう!」

 マモルのその言葉をとられるとユー君が鋭く言った。

「いまだ、太丸君! スイッチ・オン!」

 どこに置いていたのか、太丸所長は机の下のほうからまるでチェス盤のようなキーボードを取り出した。太丸所長の太い指たちがそのチェス盤上をバレリーナのようにくるくると舞った。

 とたんにリトルパームにつながれたチューブたちが育ち盛りの子馬のように勢いよく脈うちはじめる。先ほどからかすかにうなっていた音がひときわ高まり、容器の中の空気がゆっくりと渦を巻きだす。

 すると容器の中に風がおこった。

 風は容器に充満していた青白いもやを少しずつふきとばしていく。そしてついに現れたのだ。景色が。

 まずは火山の赤が目をひいた。たけだけしい噴火の炎だ。派手に噴火を繰り返し炎を天にふきあげていた。

 次に目についたのは青い青い海だった。深い青色をたたえた海にはいくつもの島があった。しかし次の瞬間、あの火山の大溶岩流が海をおそった。赤く熱したまま海に飛び込むマグマの落とし子たちは冷たい海面にふれたとたんに悲鳴をあげて真っ白な水蒸気をまき散らす。それらは火山の炎とともに容器の天井に舞い上がりまっ黒な雲へと姿を変えたと思ったらおびただしい豪雨と雷鳴を海と山にたたきつけるのだった。雲のあいだからときおりチカッ、チカッとまたたく光が容器内の電極の存在を思い起こさせる。

(もうすぐだ! 雨が降ってきたから次にやって来るのは! この雨が落ち着けば、きっと・・・)

 マモルの胸は期待と興奮ではちきれんばかりだ。

 と、その時だった。

 ブツン! ビュルルルーン、ビュルンビュルン、ヒュルルルル・・・

 感動とは程遠い気の抜けたそんな音がしたと思ったら容器の中の動きはピタリと止まって、白いもやがあっという間に容器内を満たしてしまった。火山も海も雷光も何も見えなかった。

「で、電源が落ちた!」

 太丸所長が叫んだ。

「あ、あわてないで! 故障じゃない、操作ミスでもない、ただ電源が落ちただけなんだ。まだ実験は生きている、三十分以内に電源を入れればあの続きが始まるから安心して! だが・・・」

 太丸所長はそこで黙ってしまった。だがマモルにもユー君にもはっきりわかっていた。三十分以内に電源を入れないと四時間待たなくてはいけないことが。いやそんなことよりも今日の試みが失敗してしまうことが。

 何かを思いついたように素早い身のこなしでユー君が窓にかけよった。

「やっぱりだ、配電盤のほうに誰かいる! くそっ、あいつらだ! 電源を切ったのはあいつらだ!」

 マモルは何もできず青い顔をして立ちつくしていた。おそるおそる雨野怜のほうを見てみると怜は無表情にじっと容器の中を見つめている。

「しまった、おやじのほうと目が合ってしまった! やつらめ、こっちへ来るぞ!」

 ユー君がそう言うと、うれしそうに太丸所長があとを続けた。

「そいつはいい! 配電盤の前はお留守になるわけだ。よし、ぼくが反対方向から配電盤へ行って電源を入れてくるよ!」

 太丸所長はドアへすっとんでいったが急にふりかえって言った。

「いいかいみんな、その操作キーボードには絶対にさわるな。さわるとバックアップシステムが無効になっちまう。さっきも言ったがこの実験はまだ生きている。全部まだオンの状態なんだから。電気さえ流れれば万事オーケーなんだからね。あの親子のことはまかせたよ」

 ユー君は無言でうなづくと今度はつったっているマモルの肩にやさしく手をおいた。

「マモルおにいさん、ここがふんばりどころだ。黒手親子はぼくがなんとか時間をかせぐから、おにいさんは実験を成功させて!」

 マモルはユー君を見た。

「マモルおにいさんは冒険の夢の中でいつもぼくにこう言ってくれたね。『ユー君、泣かないで、きっとうまくいく。だからぼくを信じて!』ってね」

 ふたりは互いの目を見て数々の冒険を思い出していた。

「ぼくはね、そう言ってもらえてほんとにうれしかった。だからね、ぼくはいつだってマモルおにいさんのこと、信じてるから!」

 そう言うとユー君は黒手親子と対決するために理科室をとびだしていった。

(ありがとうユー君。うん、負けないから!)

 マモルは理科室のドアの鍵をしっかりと閉めた。

 美人先生は心配でたまらなかったが、マモルが前にもましてしっかりとしてきたのを感じて少し落ち着いてきた。気づけばかたわらの弟の怜はガラスの容器をじっと見つめたままなので、自分もしっかりしなくちゃと気をとりなおして弟にならって容器を見つめた。

 さてユー君は窓から黒手の動きを見張っている。どうやら黒手はここへ来る前に職員室に行ったようで、ユー君が窓をのぞいたときには黒手のおやじが職員室のほうから出てくるところだった。よく見るとその手にはたくさんの鍵の束が握られていて、黒手はそれをジャラジャラ大きな音で鳴らしながらこちらの校舎は近づいてくる。どうやら学校中のドアの鍵の束らしい。

 ついに黒手はこの校舎の入口に鍵をさしこんでドアを開けようとした。だが鉄製のドアはピクリとも動かない。それもそのはず、ドアの内側では身を低くしてかくれたユー君が手足をつっぱって全力でドアを反対側から押さえているのだから開くはずもない。

 黒手はなにやら大声で悪態をついてから校舎の反対側のドアへ向かったようだった。

「よしよし、こうしていれば時間がかせげるわい」

 ユー君はほくそえんだ。

 それは配電盤の所にひそんでいた太丸所長も同じ思いだった。

「よしよし、あの男は校舎の向こう側に行ったぞ。これでこちらを見られずにすむよ」

 今だ、とばかりに太丸は配電盤にしがみついた。

「ああ、やっぱりブレーカーのスイッチがおりちまってるな。これをまた入れなおせば電流もばっちりだ。まだ十分間に合うな。よし、入れるぞ」

 太丸はスイッチに手をのばそうとした。だが、そのときいきなり顔面に強いショックを受けた。

「うわあっ!」

 太丸は思わずドシンと後ろ向きにひっくりかえってしまった。

「いひゃひゃひゃ! でっけえ尻もちだな。月面みたいにクレーターができるぜ」

 まるで知らない声がして、太丸はそっちを見たがどうもぼんやりとしか姿が見えない。そのとき初めて太丸は自分のメガネがどこかへとばされてしまったことに気がついた。太丸はあわてた。

「ひひひひ、おいおい、なんだそのかっこうは? おさがしものはコレですか? けっ、こんなぶ厚いメガネなんかしやがって、がり勉野郎め。てめえみたいな勉強チュウはでえ嫌いなんだよ!」

 その声はどこまでも意地悪だったが、どうやらおとなの声ではないようだった。

「なあんだ、子どもの声だな。メガネを返しなさい! それに勉強チュウって何のことだ? いま勉強なんてしてないぞ?」

 意地悪な声はますます意地悪にこたえる。

「ばーか。勉強チュウってのはな、一日中こそこそこそこそ勉強ばあっかしてる勉強中毒のネズミ野郎ってことじゃんか。あ、いや、おまえはネズミじゃないか、勉強ブタだ、ごめんごめん。ひははは」

 運動不足の体型をこどもにバカにされて、さすがの太丸所長もカチンときた。

このいたずら小僧め、すこしこらしめてやるか。そう思い太丸は立ち上がろうとした。するとものすごい反動の力を全身に感じてまた尻もちをついてしまった。おまけに今度は顔のあたりがすごく痛い。手でさわってみるとそこには血がべっとりとついている。メガネがなくともその血の色はあまりにもあざやかだった。

「ぎはははは! メガネがないとそんなに見えないのかよ。運動神経ゼロだな、このブタ」

 太丸はやっと気づいた。自分のまわりにはネット状の太いザイルのようなものがびっしりと張りめぐらされている。

「ゴールネットだよ、サッカーのな。ナイフでもなきゃ切れるもんか。やっと気がつくなんて、ほんとにぶいやつ」

 ことの深刻さに初めて太丸は青くなった。

「なぜ、こんなことを!」

「なぜだあ? ふん、あんな九重の生意気野郎と仲良くしやがって、ざまあみろだ。父さんが言ったとおりノコノコここへやってきやがって、電気のスイッチを入れたいか? でもな、今ごろは父さんが全員つかまえてるころさ。もう遅いんだよ!」

「おまえやっぱりあの黒手とかいう男の息子だな!」

 今や怒りに燃えた太丸は突進しようとした。

「おっと、そうはいかねえよ」

 意地悪なその男の子は手に持った網をグイと引いてみせた。

「ぐわあ!」

 とたんに太丸の巨体は網にからめとられてもんどりうった。

「ぎはははは、どうだい、大漁だぜ。さあ、こっちへ来い。父さんによく見えるように外まで出してやる。おっと、こりゃ重いな。これじゃ地引網だぜ、ひひひひひ」

 必死にもがく太丸の指をナイロン製の網が苦しめる。そのくせ網はびくともしないのだ。網にとらわれるとこんなにも無力になるものなのか。こんなことをしている時間などないのに。

「ちくしょうめえええ!」

 この太丸の無念の叫び声はユー君の耳に届いた。

 ユー君が窓へかけよってのぞくと、なんとそこには太丸所長が緑色の網の中でパンダのようにゴロゴロと転がっている姿があるではないか。

「なにやっとるんじゃ?」

 あまりに意外な光景にユー君の集中力は少しのあいだ途切れてしまった。そしてそれは致命的だった。

「おい、きさま。ここで何しておるか!」

 ふりかえると黒手が鬼の形相で廊下に立っていた。ユー君は黒手の侵入を許してしまったのだ。

 だが、自分の動揺を相手に悟らせまいとして、ユー君はあくまで平然をよそおい言った。

「あんた、黒手さんじゃね?」

 黒手はいぶかしげにユー君をのぞきこんだが、すぐに怒りの声をあげた。

「おまえ、きのうのじじいだな! いったいここで何してるんだ!」

「いやなに、散歩しとりましたら、つい迷いこみましてね」

「散歩だと? ふん、とぼけたってだめだ、そのツラは知ってるぞ。有名だからな」

「そりゃどうも」

「おまえ、自分が何様だと思ってるか知らんが、ここはおれの天下なんだ、おれの領土なんだぞ! おれの学校へ無許可で押し入ってただですむと思うなよ」

「あんたの学校? ほお、あんたがここの校長先生とは知りませんでしたわい」

「なんとでもほざけ。おまえは自分が日本の重要人物だと思っているようだがな、この町のボスはおれなんだ! わきまえろ!」

 黒手はユー君を無視してヅカヅカと理科室に向かう。ユー君はさっと軽い身のこなしでその進路をはばむ。

「あそこには誰もおりませんよ。そうそう、あんたとは先ほど目があいましたなあ。あれはワシです。さきほど理科室にまで迷い込んだので。あんなとこまで迷い込むとは、いやはや歳ですなあ」

 黒手はニタリと笑う。

「ふふん、かくしたってむだだ。中には九重という四年生がいるだろう。うちの息子の同級生がな」

 ユー君はつい顔をこわばらせてしまった。

「ほほお、図星のようだな。ではついでにもうひとつ言ってやろうか。雨野というのも入ってきたよな。ちゃんと息子が確認したわい」

 黒手の残酷そうな細い目が勝ち誇った笑みでますます残酷そうに細くなる。

「あの雨野というのは問題児でな、息子に目を光らせるよう言っておいたのさ。そしたらどうだね、おれの息子をしょっちゅういじめる九重というのがその雨野にいろいろちょっかいを出して面倒ごとを起こしそうだというじゃないか。案の定、きのうは校長のとこまでおしかけて理科室を貸せときた。こりゃあもう教育委員会に提訴すべき問題行動だと思わんかね?」

 ユー君の胸にはふつふつと怒りの炎が燃えてきた。

「理科室使用を禁止してあきらめるタマじゃない、きっと今日理科室に来るはずだと言ったのは息子さ。来てみればビンゴだ。どうだ、優秀な児童だろうが、おれの息子は。ふふふ」

 黒手の笑い声は耐え難い嫌悪感の波となってユー君に押し寄せた。

「あんたって人は自分の息子をスパイにして学校内の情報をつかんでいるというのか! なにが町のボスだ、なにが優秀な息子だ。あんたの息子はな、学校でも有名ないじめっ子なんだぞ!」

「それがどうした?」

 黒手はユー君の言葉にひるむどころか、むしろそれを楽しんで聞いているようだった。

「ほら、窓の外を見てみろ。大のおとなでもあの子にかかれば網にかかった魚同然さ。これを優秀と言わずしてなんと言う? さあ、いいかげんどけ! 理科室のやつらをとっつかまえて警察につきだしてやる」

 そう言って黒手が一歩ふみだそうとしたときにその声は聞こえてきた。

「いたいいたい、いたあああい! 痛いよ、痛いよ、はなしてー!」

 子どもの声だった。黒手はとびあがり窓にへばりついた。

「あっ! ちくしょうめ、あれは誰だ! おれの息子になにしてるんだ! あれもおまえの仲間か!」

 これにはユー君もびっくりだった。だってボディガードの人たちは全員かえしてしまったのだから。ユー君も大急ぎで配電盤のほうを見た。

 そこではあいかわらず太丸所長が網にからまっていたが悪ガキ息子のほうは誰かに片腕を押さえられ網もとりあげられていた。

(誰だ? ワシの部下はいないはずじゃが・・・おおおー、あれは!)

 あまりにも意外な人物だったことでユー君も眼をみはった。

(あれは、いや間違いない。マモルおにいさんのお父さんじゃ!)

 配電盤の前でマモルのお父さんが黒手の息子に説教をしていた。

「こんなもので知らない人をひきずりまわすなんて何を考えているんだ、きみは? 見なさい、ケガをしているじゃないか! やりすぎだぞ」

「い、痛いんだ、はなせよー!」

「なんだい、大声を出して。ちょっとネットを取り上げただけじゃないか。だいぶ強がっていたけどほんとのきみは弱虫なんだね。さ、ネットをとろう。きみも手伝って」

「いやだあ! パパあー!」

 マモルのお父さんが手を離したとたんに黒手の息子はダッシュして逃げていった。

「こりゃひどい。ネットがこんがらがってちょっと時間かかりそうです、待っててくださいね。あ、わたくし九重守の父親です。息子がお世話になっているようで、どうも。そうだ、せめてメガネを。はい、どうぞ」

 急な事態の変化であっけにとられて無言だった太丸はメガネをかけたらハッと我に返った。

「マ、マモルくんのお父さん? お父さん! お父さん!」

「は、はい?」

「あぶない! 時間がないんです! 早くそこの電源スイッチを全部上にあげて! 今やらないとマモルくんが大変なことになる!」

 マモル、と聞くとお父さんの動きは素早かった。ポンポンポンポンと流れるようにスイッチが入る。

 ブブブブーン! ブブーン!

 待ちかねたようにリトルパームがあげた再起動の音は理科室を飛び出してマモルのお父さんのところまで聞こえてきた。

 もちろんユー君の耳にもその再生の音は届いていた。

(やったあ! マモルおにいさんのお父さんがやってくれた!)

 黒手もその音を聞いていたかというと、それどころではなかった。自分の息子が泣きながら校門を出て行ったのを見て怒り狂ったのだ。

「あいつめえ、息子に手を出しおってただじゃすまさんぞ! だが今はこっちが先だ。どけ、じじい! 理科室に入るんだ、どけっ!」

「あいにくだがね黒手さん。ここをどくわけにはいかんね」

 ユー君は大きく両手をあげてとおせんぼした。

「ばかじじいめ、おれを甘くてほえづらかくなよ。それっ!」

 黒手は何のためらいもなくユー君の胸ぐらを手でつかんでから強烈な背負い投げをかけた。ユー君の体は廊下の天井ちかくまで投げとばされてしまった。

「ふん、ざまあ・・・え?」

 ところがユー君の体はまるで体操選手のようにヒラリと空中で向きを変えてからスタンと床に着地した。

「こまりますな。けっこう高い上着なのにボタンがいくつかとんでしまった」

 何事もなかったかのようにふるまうユー君を見て黒手の怒りの炎は最高潮に達した。今なら理科室への道は完全にフリーなのに、今やそんなことはどうでもよくなってしまった。自慢の柔道技をコケにされたことへの復讐が黒手の第一目的になっていた。と同時に相手を徹底的に打ちのめして血みどろにしてやりたいという残酷な快楽におぼれて黒手はつい笑い顔になっている。

「今度は本気でいくぞ。トオー!」

 ユー君の首と腕あたりをめがけて組み手をしかけてくる黒手の両腕。しかしバシッバシッ、という激しい音とともにその両腕ははじかれてしまった。

「いててて・・・なんだ? 蹴りで防いだだと。そうか、きさま空手をやるんだな、じじい」

「空手? なあに単なる中国式健康体操じゃよ」

「おれを前に軽口をたたくとはな。いいぞ、いいぞ、ひひひひ」

 まるでひるむ様子のない黒手を前にしてユー君は思った。

(この感じ・・・ワシは知っている、この黒い感じを・・・)

 ユー君は思い出していた。はげしく仕事をしていたビジネス現役時代のことだ。競争相手とのきびしいせめぎあいはいつもこんな感じだったのだ。殺気にみちた交渉、相手への情け容赦などみじんもない選択と決断、互いに勝利への渇望という熱に浮かされた病的なビジネスの応酬。これこそが自分の生きてきた世界なのだと思い知らされていた。そしてこの黒手という相手もかつての自分の分身みたいなものだとも・・・だが、同時に違和感もあった。

(たしかに黒手はかつての相手やかつての自分さえも思わせるが、何かこうどこか違う思い出があるような・・・あっ! そうか)

 容赦なく繰り出してくる殺意のこもった黒手の両手の攻撃をかわし続けるユー君が思い出したのは、そう、あの黒い手たちのこと。

(悪夢の部屋! 夢博物館の、あのいまわしい経験だよ! 黒くていやらしい手が何本も何本も果てしなくワシの手足にまとわりついてきたあの日。このままこの黒い手にひきずりこまれたらいったいどんな世界に落とされてしまうかと心底恐怖したあの思い出。それをこいつは思い出させるんだ・・・)

「ほらほら、防御が甘くなっとるぞ? つかまえればこっちのもんだ。つかまえるぞ、つかまえてやる、はははは」

 ピカピカピカーッ。ドドドドーン1

 廊下の窓をビリビリふるわせるほどの激しい雷鳴が理科室のドアの窓からもれていた。その雷光が理科室の前を死守するユー君の横顔をフラッシュする。その表情は、まるで果てしない黒い地獄へ引きずり込まれていく苦痛をたえしのでいる、そんな感じに見えた。気がつけば廊下の窓はいつしか降りしきる豪雨に打たれて雨のしずくが何本も走っている。それは現実の豪雨なのか、リトルパームの巻き起こす幻影なのか、誰にもはっきりしなかった。確実に言えることはすべてを賭けて戦っているふたりの格闘者には相手の姿以外何も聞こえず何も目に入っていなかったということだけだ。

 その雷鳴をとどろかすリトルパームの前では、つまり理科室の中ではマモルと怜と美人先生が再起動したリトルパームに圧倒されていた。

 電源が回復したあとリトルパームはあっという間に先ほどの状態を再現し始めていた。再起動の大きな音がしたあとにドーム内の白いもやはみるみる晴れて再び火山と海が姿を現した。それは前のままの姿だった。

 マモルはドームに見入っていた。

 ドームの中では雷鳴ご豪雨が荒れ狂っている。そのあまりの雨の量に容器につながれた排水チューブはドクンドクンと波打つようにはねている。雨に負けじとたけり狂う噴火の炎はついに容器の天井を焦がしはじめ、勢いのとまらなくなった雷は激怒したかのように激しく容器のガラスを打つのだ。

 おかしい。そうマモルは思った。しかし太丸はいない。こんな、あきらかに行き過ぎた大気の変動は絶対におかしい、想定外の出来事にちがいないのに、ここには専門家がいないんだ。

 そんなマモルにあせるヒマさえ与えないぞという勢いで今度はガラスの容器全体がビリビリと音をたててふるえだした。

 ついに美人先生が言った。

「マモルくん、あぶないわ! ガラスが割れそう! 装置が暴走してる!」

 この言葉でマモルの危機感は確信に変わった。リトルパームが暴走しているのは間違いない。このままでは怜が危険だ。でもどうすればいい?

 (そうか、ここにはぼくしかいないんだ! ぼくが決めなくちゃ!)

 マモルはとっさに怜と先生を両脇にかかえて容器から離れた。

 もう部屋から出た方がいい。いや脱出すべきだ!

 そう感じたマモルは反射的に理科室の出口をめざした。

 その出口のドアたった一枚をへだてた廊下ではユー君と黒手の死闘がまさに最高潮をむかえているところだった。

 黒手の目はギラギラと赤く残酷に燃えていたが顔から笑みは消えていた。その両手もユー君の蹴りを受け続けたことで激痛を通り越し感覚を失ったのか、だらりと下にたれている。

 しかしユー君も疲れ切っていた。体の方も疲れていたが、精神のほうはもっとまいりかけている。黒手の組み手を払うたびに黒手の体から何やらどす黒い闇のかたまりが自分の心に流れ込む・・・そんな感覚にとらわれていた。

 ユー君は切望していた。

(ああ、マモルおにいさんに会いたい。光ほとばしるあのおにいさんの笑顔が見たいなあ・・・)

 まさにそんな時だった。

 どんどんどんどんと理科室のドアを内側からたたく者があった。ユー君はふりかえり、黒手も何事かと動きをとめた。

 すると勢いよく理科室のドアが開いた。

 マモルだった。

「マモルおにいさん!」

 見たくてしかたなかったマモルを見てユー君は一瞬もりあがった。

 しかしその喜びは即座に消えた。

「ユー君・・・」

 マモルの表情といったら光などはどこにもなく、それどころか泣き顔になっている。さらにその横にはうなだれた美人先生とまったく生気のない怜の放心したような顔があった。

 ユー君はがくりとひざをつきくずれおちた。

 すべてが終わってしまった。

 ユー君は悟った。 




                第5章  雪の降る夜に見る夢は



 ぼくはどこにいる?

 ユー君は頭をひねった。

 たしかにさっきまで理科室の前にいたはずだ。なのにどうして自分は今こんな畳の部屋で横になっているんだ? 

 あれ? 雨の音だ。なんだ、まだ雨は降ってるんだな。でも豪雨ってわけじゃない、ずいぶんと静かな雨音だもの。

 雨の音・・・ああ、そうか。ぼくはきっと夢を見てるんだな。だってこのふとんはこんなに暖かくて心地よいし、気分だってこんなにいいもの。

 もういいや。もうひと眠りしようっと。

 ユー君は気持ちよさそうに寝返りをうつ。

 たしかにユー君は夢をみていた。

 そしてその夢の中であの日の理科室の廊下へと戻っていった。



         ※         ※        ※



 ハッと気がつくとユー君は絶望のど真ん中にいた。

 廊下にくずれおちている自分。前には泣き出しそうなマモルと無力感にとらわれた雨野きょうだい。後ろを見れば怒りと復讐に満ちた黒手のまなざし。

 ここは地獄か。そう思いながら再び前を向いたとき、何やら光が見えた。

 それはマモルの背中の向こう側、理科室の中央あたりから出ている光のようだった。その光につられるように思わずユー君は立ち上がり、

「ああっ!」

と叫び声をあげた。

 理科室の天井全体には、どういうわけか黒い雲におおわれていて、今はそのすきますきまから力強い、しかし同時にとてもやさしい感じの光のすじが差し込んでいるのだ。

 机の上のリトルパームもまた人工太陽球のまばゆい光を発しており、豪雨も噴火も雷鳴もそこにはもうなくなっていた。

 荒々しい世界から一変して、そこでは何か美しく楽しく暖かいものが生まれようとしている。そんな感じに満ちている。

「おお・・・」

 ユー君は思わずそう言ってしまった。

 感動に満ちたそのためいきにマモルもユー君の見ている方へふりかえった。そしてユー君が感じている胸の高まりを同じように感じた。

 するとリトルパームが色を爆発させた。

 爆発といっても音や煙などまったくない。ただ強烈で華やかな色彩がドーム一杯に瞬時に広がってドーム自体がカラフルなかたまりになったのだ。

 その色はやがてひとつひとつの色の帯になり、それがまたからまりあい、増幅しあってみるみるその背をのばしていった。

 そうするうちにその光の帯はついに容器を飛び出した。

「これ・・・これって、虹? 虹だよユー君! あの虹の橋だよ!」

 このひとことでマモルとユー君は一足飛びにあの楽しかった虹の冒険の夢へと飛びこんでいった。マモルとユー君は思い出していた。レイン坊との出会いを。あの虹の先にあった浜辺を。


♪  イナイ イナイばああんちの  レイン坊

   今日はどこまで   虹かける        ♪


 マモルは口の中で誰にも聞こえないくらいの小さな声でそう歌いだしていた。


♪  ダルマさんがころん・・・・ううう


 いつしか声のかわりに涙が口の中にはいりこんできてマモルはそれ以上うたうことができなかった。


♪  ダルマさんがころんだあんちの レイン坊

   自分のなみだで   虹かけるううう     ♪


 ぼくじゃない! 誰がうたっている?

 マモルな祈るような気持ちでとなりをみた。そこでは怜が目を閉じてうたっていた! マモルは息がとまりそうになった。

「ゆ・・・ゆめ・・・き・・・きれい・・・」

 それはたしかに怜の声だった。

 両手を口にあてて泣きそうになっている美人先生とマモルのほうにゆっくりと怜は向き直って言った。

「ゆめ・・・夢こそが、楽しい・・・夢こそが、美しい、よね」

 いまマモルは知った。レイン坊が自分のもとに帰ってきたことを!

 それを見たユー君は、ワッと泣きくずれた。




             ※      ※     ※   



 あたたかいふとんの中でユー君は夢を見ていた。

 よっぽど楽しい夢なのか、それともよっぽど悲しい夢なのか、なぜかユー君んの目には少し涙がにじんでいる。

 よいしょ、と寝返りをうつと、ユー君は夢の続きを見た。




             ※       ※     ※     





 今や虹の光の束は容器を突き抜けて理科室中にあふれかえっていた。次から次へと生まれてくる虹たちは、あたかもマモルたちの歌に合わせるかのように踊りながら回りながら、やがて理科室さえも飛び出していった。

 それは廊下を駆け抜け、校舎を飛び出し、たくさんの光の粒を粉雪のように降らせながら配電盤の所にまでやって来た。

 あっという間に太丸所長とマモルのお父さんは虹のワルツに取り囲まれて、その美しさと楽しさに言葉もなく、ただただ酔いしれていた。太丸たちが虹の伸びてきた理科室のほうを見てみると、大きく開かれた窓からマモルたちみんながにこやかに笑いながらこちらへ手をふっている。涙で顔をぐしゃぐしゃにしたユー君が大きく手をふる姿に太丸は大笑いをしている。

 やがて虹は大空へと吸い込まれていった。いつしか雨もやんで抜けるような青に染まった大空へと。




             ※      ※      ※




 楽しい夢が終わってしまったのか、目を閉じたユー君の顔が少しきびしい表情になった。

 今度は寝返りもせず、ユー君は夢の続きを見る。



             ※      ※      ※




「おまえたち、いったい何しているんだ? なにがそんなに楽しいんだ?」

 理科室の入口にひとりポツンと立ちながら黒手が聞いた。

 いっぺんに緊張で体が臨戦態勢に入ったユー君は黒手の前に立ちはだかって言った。

「なにって、黒手さん、あんたもいま見たじゃろう?」

 しかし黒手はますますわからないという顔つきで聞き返した。

「え? 見たって? 何を?」

 今度はユー君が驚く番だった。

「あれを・・・あんなすてきなものを、あんたは見なかったというのかね?」

 やっとユー君にはわかった。黒手には虹が見えなかったのだ。そうわかったとたん、ユー君は思った。この人は気の毒なひとなんだなあ、と心の底からそう思えたのだ。

 すると黒手は先ほどのぼんやりとした狐につままれたような顔つきから急に鋭い目つきにもどった。きっとユー君の表情から自分へのあわれみの心情を敏感に感じ取ったにちがいない。黒手は片手をふりあげようとして、だが痛みのあまりその手をすぐにおろしてしまったが、とにかく大きく息を吸って何かを言いかけた。

「ごめんなさい。ほんとうにごめんなさい。みんなぼくが悪いんです!」

 黒手をしゃべりだす前にマモルの言葉がそれをさえぎった。

 いつしかマモルおにいさんはユー君の前にきていて面と向かって黒手に話しかけている。

「おじさん、だまって学校の理科室を使ってしまってごめんなさい。あとでちゃんと校長先生にもあやまりに行きます。ほんとうです。それでも許せないなら、ぼくらがほんとうに悪いことをしたんだと思うなら、どうか警察の人を呼んでください。ぼくは逃げたりしませんから」

 マモルおにいさんはきっぱりとこう言った。黒手は面食らったような顔をしたあと、しかめっ面の目を閉じてほんのちょっぴり考えていたが、急にプイと後ろを向いてしまった。

 そして誰の顔を見ることもなく吐き捨てるようにこう言った。

「きちんと後片付けをしておきなさい。この鍵も職員室に返しておくんだ。あとで見て汚いようだったら許さんぞ」

 それは乱暴な声ではあったが勢いがあるというほどでもなかった。そうして気が抜けるほどあっさりと黒手は校舎から出ていってしまった。

 ユー君はこれまた心底感心した。さすがはマモルおにいさんだ、と。

(黒手はどうみても腹黒い男だ。かげでいろいろ悪行も重ねているだろう。警察を呼ぶぞなんて自分ではいきがっていたが、いざほんとうに警察を呼ばれてはかえって自分の悪事がばれて困ったことになるとふんだに違いない。だからマモルおにいさんの、なんのかけひきも策略もない公明正大な勇気ある言葉におそれをなして引きさがったのだ)

 ユー君はふとんの中でひとりほほえみながらうなづいている。

 屋根を打つ小気味よい雨のリズムを耳にしながらユー君は夢の続きに入っていく。



               ※       ※        ※




 理科室や配電盤をもとに戻して掃除したあと、みんなでレイン坊の家へ行くことになったんだ。

 太丸所長がゴールネットで受けた傷はせめて消毒くらいはすべきだということでぜひ家へ来てほしいと美人先生が強く申し出たこともあってみんなでお邪魔することにしたんだっけ。

 それなのに太丸所長ときたら自分の傷はそっちのけで、しきりと頭をひねってばかりだったな。

「いや、おかしいですよ社長! なんであんなでっかい虹なんか出したんです?」

「ふう。そんなこと言われても知らんよ」

「ぼくがやったテストでもそりゃあ虹は出ましたよ? でもね、二回が二回とも虹はあの容器の中でだけ出現したんです。そう設計されてるんです! いくら虹が光学現象だからといって、光だからまあすこしくらいはガラスからはみ出すとしてもですね、それがあんなにでっかく成長しながら空までのぼっていくなんてどうかしてる! 容器の外は原始大気じゃないんですよ? そんな野蛮な外気に触れても消滅しないなんてまったく常識外だよ! いったいどうして?」

 レイン坊の家に着くまでこのグチは延々と続いたが、家に着くと今度はマモルおにいさんのお父さんが長々と話しだしたのでみんな驚いてたっけ。といってもその口火を切ったのはマモルおにいさんだったけど。

「お父さんのおかげで実験もぼくらも救われたね。今日のヒーローはお父さんだよ、ありがとう! でもさ、お父さん」

「なんだい、マモル?」

「どうしてあそこにいたの?」

 みんなも、そうだそうだ、いつからいたんだ? という顔でいっせいにお父さんの顔をのぞきこんだので、お父さんも説明しなくてはいけなくなった。

「それはね、マモルのおかげなんだよ」

 え? というマモルおにいさんの頭をなでながらお父さんは続けた。

「マモルは夏休みの前からよく夢の話をしてくれただろう。それを聞くのがお父さんはほんとに楽しみだった。マモルの夢の中に入ってみたいと何度思ったかしれやしないよ。でもねえ、実を言うと夢の話を聞くのは辛いことでもあったんだ」

 お父さんは小さなため息をした。

「マモルの夢の話を聞くたびに思うんだ。今の自分は夢の中のマモルみたいに生き生きと人生を過ごしているのか? ほんとに大切なものを守るために戦っているのか・・・まあ他にもいろいろさ。そんな毎日の中でマモルが会長を、じゃない、ごめん、ユー君を連れてきたときにはほんとに感動しちゃってね」

 マモルおにいさんはお父さんの顔にじっと見入っている。

「ところがきのうだ。マモルはユー君と何か大きな計画をたてていることを聞いてしまってね。がらにもなくお父さんも何か手伝えることがないかって、とっさに思ってしまったんだ。だっていつかマモルの夢の中に入るのがお父さんの願いだったからね。でもふたりの邪魔になってはいけないし。そこでお母さんと相談したんだが、今日一日だけでもずっとマモルのことを見守ろうって決めたんだよ。といっても実際は校舎のまわりでぶらぶら待ってただけなんだけどね。ところがどうだい! そこへ誰がのでっかい悲鳴だ! これはマモルの一大事かもしれない、すぐに助けにいくぞ!って走っていったら太丸さんの大ピンチだったってわけだ」

「ほんとにありがとう!」

 そう言ったのはマモルと太丸同時だった。ふたりはお互いを見て頭をかいてほほえんだ。

「いや、礼を言いたいのはお父さんだよ。これでお父さんも変われるって思えたんだもの。マモル、聞いてくれ。お父さんは約束する。これからは絶対に早く帰って家で晩御飯を食べるし、休みの日にマモルとルミがお父さんと遊びたいときには必ずそうする。もうゴルフなんてやめだ!」

 ここで急にお父さんはユー君のほうへ向き直ってあらたまった様子でこう言った。

「そういうわけでして、えーと、会長の前ですが、もう会社優先の人生は卒業します。申しわけありません!」

 お父さんは深々と頭を下げた。

 ユー君はあわててあたふたと両手を動かした。

「いやいや、え? あの、どうか頭をあげてくだされ。文句なしに大賛成じゃよ、ぜひともそうしてください、マモルおにいさんのお父さん!」

 マモルおにいさんのお父さん、という言い回しがみんなに大うけして大爆笑。みんなでこんなに腹の底から笑うなんていったいいつぶりのことやら・・・




               ※     ※     ※




 ユー君はにやにやしながらゴロゴロと寝返りをうっている。

 そこへやわらかい少年の手がのびてきて、寝ているユー君の肩をゆすった。

「起きて、ねえユー君、起きて。なにをにやにやしているの? いつまで寝ているの、さあ起きた起きた」

 ここちよい夢にユー君はなかなか起きる気になれず、赤ちゃんのように「うーん」とうなった。

「ああマモルおにいさん、もうちょっと待って。いま起きるから」

「もう、いやだなあ、ユー君ったら。なにを寝ぼけているの?」

「うーん、だってえ、夢が、今いいところ・・・マモルおにいさん・・・」

「だから、ぼくはマモルおにいさんじゃないよ! ふふふ」

 いっぺんにユー君の目がさめた。

「なんだって、マモルおにいさんじゃないって? ああっ! きみは・・・」

 レイン坊がニコニコしてユー君の肩に手をおいている。

「きみはレイン坊! すると、ここはどこなんだ? ああ、まだきみの家だっけ?」

「もう、いやだなあ。マモルくんの家にきまってるじゃないの。もうケーキを切るところなんだから、はやく起きて」

「ケーキって?」

 レイン坊はクリクリとしたつぶらな目を驚いたように見ひらいた。それからかわいらしい手をその小さな口もとにもっていき、ここちよい声でゆかいそうに笑った。

「ははは、ユー君しっかりしてよ。クリスマスケーキじゃないの! もう、ユー君ったらお茶がはいるあんなわずかなあいだにグッスリ眠ってしまうんだからねえ。さすがドリームマスター」

 ユー君はやっと思い出した。きょうはマモルの家でクリスマスを祝うのだった。そうか、そうだった、理科室でのあの出来事からもう三か月もたっているんだっけ・・・

「ユー君! おいでよ。みんな待ってるよー!」

 となりの部屋から聞こえてくるのは、あのなつかしい声。心の芯までしみる世界でいちばんの声。マモルおにいさんの声だ!

 電灯の消えた暗い部屋の中でユー君はゆっくりと起きあがる。小走りに部屋のはしまで行き、勢いよくふすまを開ける。まばゆい部屋の明かりがユー君の全身を照らし出す。

 そこは食堂。みんなが集う場所。まばゆい光の中にマモルおにいさんがいる、レイン坊がいる、お父さんやお母さんや妹のルミちゃんがいる、美人先生と太丸所長がいる、みんないる。誰もかれもがにぎやかに話したり笑ったりしながらユー君が席につくのを待っている。

 いつしか屋根をたたくのをやめていた雨はやわらかい真っ白な雪にかわろうとしていた。




                        (終わり)


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