第11話「最終決戦を前に」4
第11話「最終決戦を前に」4
「……面白い。できるものなら、やってみるがいい」
ヘドローンは両手をダラリと下げ、ただ普通に立っているだけだ。しかし、明らかに気配が変わった。
殺気などという、生ぬるいものではない。
容赦なく私たちを鏖殺しようという、明確な悪意。
向き合っているだけで、背中に冷たい汗がにじんできた。
「フンッ!!」
私はキャロットソードを握る両手に力を込め直し、一気に間合いを詰めると袈裟懸けに斬り下ろした。
ヘドローンは刀身が迫っても身動き一つしない。
斬った。
返り血ならぬ、ヘドロの飛沫が顔にかかる。
しかし、ほとんど手ごたえらしいものはなかった。そのため、キャロットソードを振り下ろした勢いで、態勢が大きく崩れる。その瞬間、ヘドローンの強烈な正拳突きを受け、私は地面に叩きつけられた。
「がはっ!」
肺の中の空気が激痛と共に絞り出され、衝撃で息が止まる。苦痛にあえぎながらも、私は素早く立ち上がりヘドローンに向き直る。
「えいっ!」
私の目の前に、ラディッシュハンマーが振り下ろされた。バシャッと湿り気を帯びた音が響き、ヘドローンが叩き潰されてヘドロの水たまりになる。悪臭をたたえた飛沫が飛び散り、容赦なく私たちの全身に降り注いだ。
「やったか!?」
私がそう言い終わるよりも先に、ムクムクとヘドローンは起き上がり、ヒト型を取り戻した。
「無駄だ。我は腐敗の王、ヘドロの権化なり。定形にして不定形のもの。ゆえに斬っても、叩いても、我が姿は損なわれぬ」
「だったら、これでどうですぅ!!! 風刃乱射!」
風の渦をまとった矢がヘドローンの体に突き刺さった。しかし、風の刃がヘドローンを切り裂くよりも早く、矢はヘドロの中に飲み込まれていく。
「無駄だ」
ヘドローンが再び地面に沈んだ。次の瞬間、私たちの足元からヘドロが噴水のように吹き上がり、三人とも、同時に吹き飛ばされた。そのまま容赦なく背中から地面に叩きつけられる。
「ぐふうっ!」
立て続けに受けた衝撃で、全身がひどく痛んだ。頭もクラクラする。苦痛をこらえながら懸命に体を起こそうとするが、足がふらついて真っすぐ立つことができなかった。
(斬っても、叩いても効かないなんて……、どうすりゃいいんだ……)
真っ先に思いついたのは、炎の魔法でヘドロを沸騰させ、水分を飛ばすことだった。
しかし、それが最悪の手段であることはすぐに分かった。
ヘドロの悪臭の元になる物質には、メタンやアンモニア、硫化水素などがある。いずれも毒性が高く、吸い込み続ければ中毒を起こす。しかも、これらのガスは可燃性が高く、空気中の濃度が一定を超えればわずかな火気で爆発する危険もあった。むやみに炎の魔法などを使って大爆発を起こせば、私たちだけでなく、マジックキャッスルにも被害が及ぶ可能性があった。
(いったい、どうすればいいんだ……)
私は必死で対策を考えた。これまで蓄積してきた知識、経験、雑学、ありとあらゆるものを総動員し、使えるものを探し出した。
(そういえば……。ずっと前に県の汚水処理施設を取材したことがあったな……)
私は、ふとそんなことを思い出した。
家庭から排出された汚水や、道路に降った雨水などは、下水管に流入し、汚水処理施設に集められる。施設では汚泥を沈殿させ、水は浄化処理を施したうえで河川や海に放流する。残った汚泥は水分を取り除いてから焼却したり、活性汚泥として再利用したりする。
ヘドロとは、結局のところ水分を大量に含んだ泥であり、汚水処理において重要なのは、どれだけ効率よく汚泥から水を取り除き、浄化できるかという点にあるのだ。
(そうだとしたら……)
「絶極凍結斬、戦闘特化形態全力全解放!」
キャロットソードの刀身が一瞬で氷点下数十度まで下がり、空気中の水分が凍りついて真っ白に染まる。私はそれをヘドローンの胸に突き立てた。見る間に刀身の周囲に氷の塊が形成され、キャロットソードの重みが増していく。
「笑止な。その程度の凍気で我を凍らせようとするなど、マッチ棒で大海を沸かすに等しい児戯ぞ」
ヘドローンはそう言うと、キャロットソードをつかんだままの私を顔と言わず、腹と言わず、無造作に殴りつけてきた。
一つひとつの攻撃がビル解体に使われるコンクリート破砕機のような破壊力だ。戦闘特化形態を取り、何重もの防御障壁を張っていても、まともに食らえば強烈なダメージを受ける。しかも、ヘドローンの体からは際限なく有毒性ガスが吹きつけてくる。トランスと戦った時とはまた違った意味で、耐久力が必要だった。
「私一人じゃ大したことないのかもしれないけどね……」
私は呼吸を切り詰めてつぶやき、ニヤリと笑った。
「三人がかりなら、どうかしら」
私の言葉に重ねるように、スピナティアとラディシティアの攻撃がヘドローンに炸裂した。
「氷凍結撃射!」
「絶極凍穿撃!!!」
視界が一瞬、純白の冷気に覆い尽くされ、顔がヒリヒリと痛んだ。
いずれもマイナス百度近い冷気を撃ち込み、相手を凍結させる魔法だ。三人が魔力を全解放した状態で撃ち込み続ければ、数兆トンの水を凍らせることさえもできるだろう。それは2000年3月に南極のロス棚氷から分離した超巨大氷山「B15」(面積約1万1千平方キロ。岐阜県の面積よりやや広い)の重量に匹敵する威力であり、一個の生命体に対して発動する魔法としては、どう考えても過剰攻撃のはずだった。
しかし。
私たちは得体の知れない恐怖感を拭い去ることができなかった。
全魔力を一気に解放する飽和攻撃を仕掛けているはずなのに、魔力が、際限なく吸い込まれていく――。
ヘドローンの体内では、いま、まさに毎秒数千トン、数万トンのペースで氷が生み出されているはずなのだ。
一つの町どころではない。県全体を氷で埋め尽くし、凍結させるほどの威力なのだ。
それなのに、まるで凍りつく様子が見えない。
純水でなく不純物だらけのヘドロだから凍りにくい、などという理屈だけでは説明しきれないものがあった。
(これが、ラスボスの力なのか――!?)
「我は無限の混沌にして深淵。有限の力によって制御できるものではない」
グン、とヘドローンの体が膨張した。少女の形を保ったまま、二メートル、三メートル、四メートルと、見る間に巨大化していく。
「きゃあっ!」
巨大化したヘドローンの体から、触手のようにうごめくヘドロの腕が何本も伸びてくる。私たちは慌てて飛びのき、目の前の触手を切り払った。
刀身の冷気はまだ持続したままだ。斬りつけると、触手は一瞬で凍りついて砕け散る。しかし、一本を切り捨てても二本、三本と、続いて触手が襲いかかってくる。息をつく暇もない。そうしているうちにも、ヘドローンはさらに巨大化し、二十数メートルの高さにまで膨張していた。
「どこまで大きくなれば気が済むっていうの、このバケモノが!」
私は大きく飛び上がると、再び切りかかった。
「防御障壁、全方位最大出力! 絶極凍結斬、全力全解放!!」
キャロットソードを柄元までヘドローンの体に埋め込む。刀身から純白の冷気が広がっていく。そんな私を取り込もうと、触手が一斉に私の体を押し包んだ。
「キャロティア!」
「キャロちゃん!」
ラディシティアとスピナティアが悲鳴を上げた。
「大丈夫!」
私は大声で答えた。魔力の防御障壁に阻まれ、触手は私の体に届いていない。
「ラスボスなんだから、簡単に倒せるわけないわ! 一度でダメなら、何度でも撃ち込むまでよ! 二人とも、諦めないで!」
「わ、分かった!」
「氷凍結撃射!」
「絶極凍穿撃!!」
「絶極凍結斬!!!」
「氷凍結撃射!!!!」
「絶極凍穿撃!!!!!」
「絶極凍結斬!!!!!!」
「氷凍結撃射!!!!!!!」
「絶極凍穿撃!!!!!!!!」
「絶極凍結斬!!!!!!!!!」
「氷凍結撃射!!!!!!!!!!」
「絶極凍穿撃!!!!!!!!!!!」
「絶極凍結斬!!!!!!!!!!!!」
私たちはベジージェムを全解放し、最大出力で撃ち続けた。一撃ごとに魔力がグングンと目減りしていくのを感じる。ゲームなどでよく目にする「魔力ゲージ」があれば、魔力の残量を表すバーが、炎天下に放置したアイスクリームのように、見る間に溶けて縮んでいくのが見えたことだろう。
防御障壁に無数のヘドロの触手が張りつくが、瞬く間に凍りつき、砕け散る。しかし、ヘドローンの勢いはまったく衰えを見せない。
私の脳裏を、先ほどのヘドローンの言葉がよぎった。
マッチ棒で大海を沸かすに等しい児戯。
この言葉が私たちとヘドローンの戦力差を表しているのだとしたら、そこには圧倒的で、絶望的な差が存在することになる。
(それでも……)
たとえば海底火山のように、大海の底にあったとしても、圧倒的な熱量を放ち続けていれば、周辺海域の水温を上昇させることができるのだ。
「人の心の強さを侮るな! 私たちは、マッチ棒なんかじゃない! すべてを出し尽くしても、お前を止めてみせる! はああああああああああああああっ!!!」
放出する魔力の余波で、目の前が白く染まる。ヘドローンから跳ね返った冷気で、前髪も、目や鼻、口の周りも、霜で真っ白になっている。顔だけでなく、手や足も既に冷え切っており、ヒリヒリと痛い。それでも、私たちは魔法を放ち続けた。
気が付くと、どす黒かったヘドローンの体の表面が霜で覆われ、真っ白になっていた。先ほどまでドロドロとうごめいていた動きも止まり、触手による攻撃もなくなっている。
十階建てのビルに相当するほどの大きさになったヘドローンは、そのままの形で凍りついていた。
「よし、今よ!」
私とラディシティアは後ろに跳躍して距離を取り、スピナティアと並んだ。
体の正面に、それぞれの武器をまっすぐ構える。
「「「ベジーティア・ミラクルビタミンシャワー!!!」」」
三人の武器から、虹色の光線が放たれた。三本の光線が絡み合って巨大な一本の光の矢となり、ヘドローンに突き刺さる。ヘドローンの巨体を光が包み、まばゆくきらめきながら浄化していく。
ベジーティアの持つ、最大最強の必殺技だ。
たとえヘドローンと言えど、凍りついて動けない状態では、直撃を受けるしかない。
私たちはヘドローンの巨体が浄化され、光の粒子になって空中に溶けていくのを見つめていた。
率直に言えば、いま、この瞬間にも座り込んでしまいたかった。
限界を超える魔力を放ち続けたうえに、さらに魔力、体力を消耗する必殺技を使ったのだ。ゲームなら、本来は「魔力が足りない!」というメッセージが出て技が発動しないところを、代わりに生命力を消費することで強制的に技を使ったようなものだ。もう、立っているのもやっとだった。
それでも、私は嫌な予感を拭い去れなかった。
主人公たちが必殺技を使って「やったか!?」と言うときは、たいてい「やってない」。圧倒的な攻撃によって勝利をつかんだと思ったときに希望が打ち砕かれるのは、物語の展開の定番だ。
ましてや、相手はラスボスなのだ。
最大最強の技を使えば確実に倒せるという保証など、どこにもない。
光の粒子が空へ溶けていくにつれて、ヘドローンがどんどん小さくなる。
(頼む……、このまま消えてしまってくれ……)
私は願いを込めて見つめた。
しかし無情にも、ヘドローンが消え去るよりも前に、浄化の速度は鈍り始めた。
「あれでもダメだって言うの!?」
ラディシティアが叫ぶ。その声には、絶望しか含まれていなかった。
追撃すればいいのかもしれない。しかし、もはや私たちにその余力は残っていない。
「二人とも、逃げて! パンプティアと合流して!」
私はずっしりと重く感じるキャロットソードを持ち上げ、無理やり一歩、足を踏み出した。たったそれだけの動作でも、力を振り絞る必要があった。それでも、せめて二人を守りたかった。
ヘドローンを包む光は、もう、今にも消えかかっている。しかし、ヘドローンは消え去っていない。いま、ここで決着をつけなければ、勝てる見込みはなかった。
一歩。
もう一歩。
ヒリヒリと痛む肺に大きく息を吸い込み、全身に酸素を送る。同時に、残っている魔力をかき集めてキャロットソードに注入するイメージをふくらませた。
「分子崩――」
斬撃が届く直前、ヘドローンの体から何かが撃ち出された。胸にドン、という衝撃が走り、息が詰まる。一瞬遅れて焼けつくような痛みと、ゴボリ、と水があふれるような音が聞こえた。
「え……?」
目の前からヘドローンの姿が消え、青空と木々の梢が視界いっぱいに広がる。背中が地面に叩きつけられて初めて、私はヘドロの弾丸に胸を撃ち抜かれ、倒れたことを理解した。
「キャロティアーっ!!!!」
ラディシティアとスピナティアの悲鳴が、私にははるか遠くから聞こえるように思えた。
(また……かよ……)
コレス戦で。
トランス戦で。
死に直面した時、味わった感覚だ。
血液と共に生命そのものが体から失われ、体中の力が抜けていく。
(今度こそ、死んでしまうのか……)
薄れていく視界の片隅に、白を基調にしたドレスのような衣装が映った。
「ああっ、遅かったぁっ!」
「誰……だ……?」
場違いなほどに明るく、はつらつとした少女の声。
私は懸命に目の焦点を合わせた。
(そ、そんな……バカな……)
驚きが胸を満たす。私の元へ駆け寄ってくる少女は、絶対ここにいるはずのない、いてはならないはずの人だった。
「ミ……サ……?」
無数の疑問符を浮かべながら、私の意識はそこで途切れた。
「ああっ、遅かったぁっ!」
その少女は、どこからともなく現れた。
フリルやリボンで飾った、白と黒を組み合わせたドレスのような衣装。ケープで髪を覆った姿は、キリスト教のシスターを思わせる。
少女はスカートをなびかせながらキャロティアの隣に駆け寄った。胸の傷口からドクドクと血があふれるのを見た少女は、自分の胸に下げたロザリオを手に取り、キャロティアの傷口にかざした。
「治癒」
淡い光に包まれて傷口がふさがり、血が止まる。それを確認すると、少女はキャロティアを抱き上げ、フワリと跳躍した。ひと跳びで二十メートルほど飛びのき、キャロティアの体を地面に優しく横たえる。
「すぐに戻るから、ちょっと待っててね」
少女は意識を失ったままのキャロティアに言うと、ヘドローンに向かって駆けだした。走りながらロザリオを掲げる。
「凍結魔法『絶対零度』」
ロザリオから圧倒的な冷気が噴き出した。
離れた場所で見守っていたラディシティアとスピナティアは、目を丸くした。
威力の規模が違う。
先ほどの「ベジーティア・ビタミンシャワー」を消防車の高圧放水に例えるなら、少女の魔法は津波。サハラ砂漠を丸ごとシベリアの永久凍土に変えてしまえるのではないかと思うほどの、とんでもない威力だった。
ヘドローンの巨体が見る間に凍りついていく。完全に凍りついたと思う前に、ヘドローンの姿が弾けて消えた。それはあたかも、シャボン玉が割れて消えるように一瞬のことだった。
少女が振り返った。両手で握りしめたロザリオを胸の前に掲げ、祈りを捧げる。
「あなたに、神の導きを」
そのセリフとポーズは、ラディシティアとスピナティアにとって、幼いころに見たアニメを思い出させるものだった。
「あ、あなたは……」
ラディシティアの問いかけに、少女は顔を上げて答えた。
「初めまして。ハートの守護天使・聖ココア。竜ケ崎心音です」




