第10話「全力究極限界突破!!!」1
第10話「全力究極限界突破!!!」1
「たすけて……」
漆黒の闇の中、遠くから聞こえるコータの声。私は当てもなく周囲を見回し、手を伸ばす。しかし、当然ながら指先に触れるものは何もない。喉には重く粘ついた空気が張りついて、声を出すことができない。
「たすけて……」
コータの声が近づいてくる。私を探しているのだ。死んでもなお、たすけを求めているのだ。その声に答えたい、手を差し伸べたいと思うものの、声を発することはできず、手は虚空をかき回すばかりだ。
(どこだ……! どこだ、コータ!)
もどかしさに悶える私の目の前に、ぼうっとハイブの顔が浮かび上がる。血液の代わりに流れるヘドロのため、どす黒く濁った肌。双眸から涙の代わりにヘドロがあふれている。
腐敗したヘドロの臭気が吹きつけてくる。ハイブは私を睨みつけて言った。
「嘘つき」
生々しく、おぞましい悪夢に私は飛び起きた。鼻の奥にヘドロの臭いが残っているような気がして、吐き気が込み上げてくる。私はすぐ隣で眠っている妻と娘を起こさないように気を付けながら、静かに部屋を出て洗面所へ向かった。
カーテンの隙間から外を覗く。もうすぐ夜明けのはずだったが、空はどんよりと濁り、朝日の気配すら感じられなかった。
「ヘドロみたいな空だな……」
そんなことを思いながら、私はしつこいぐらい何度もうがいをし、顔を洗った。
同日、午後2時。兜山市の郊外にある市営総合体育館。ホールの中央に設置されたリングに、スポットライトが降り注ぐ。パイプ椅子を並べて作った観客席は八割ほどが埋まり、選手の入場を今や遅しと待ち構えていた。
今日は、ある総合格闘技団体の日本チャンピオンタイトルマッチだった。防衛するチャンピオン、岡田トシヤは兜山市出身の選手である。先日、三十歳を迎えた岡田は選手としてのピークを過ぎつつあったが、それでもこれまで幾度となく若手選手の挑戦を退け、チャンピオンの座を守り続けてきた。
「赤コーナー、チャンピオン・岡田トシヤ選手の入場です!」
リングアナウンサーの絶叫が響き、大音量で岡田トシヤの入場テーマ曲が流れだした。
「赤コーナー、チャンピオン・岡田トシヤ選手の入場です!」
アナウンサーの絶叫。入場テーマ曲に合わせて、岡田は軽く両手を振り、リズムを取りながらリングへと続く花道を歩き出した。時折、手を掲げて周囲の観客の声援に応える。
岡田は、リングに向かうこの瞬間が人生で二番目に好きだった。
人生で一番好きなのは、もちろん、相手をブッ倒してリングを下りる瞬間だ。
大丈夫。オレは誰よりも強い。この日のために、死ぬほどの思いでトレーニングを積み重ねてきたのだ。オレは負けない。
一歩一歩、リングが近づいてくる。心地よい緊張感と高揚感が全身を包み、観客の歓声がすっと遠のいていく。聞こえてくるのは、自分の息遣いと鼓動。視界に入るのはライトに照らされたリングだけ。
セコンドについているトレーナーが、片足と背中でリングロープを押し広げる。その隙間をくぐってリングに立つと、オープンフィンガーグローブをはめた両手を高々と掲げ、ぐるりと回って観客席にあいさつをした。
そして、ボディビルのポーズを取って、鍛え上げた筋肉を披露する。試合前恒例のパフォーマンスだ。
サイドチェスト。
バックダブルバイセップス。
バックラットスプレット。
サイドトライセップス。
モストマスキュラー。
(そうだ……みんな、オレを見ろ……。オレは誰よりも強い。筋肉は嘘をつかない!)
ライトを浴びながらポージングを繰り返すうち、肌にうっすらと汗がにじんでくる。ウォーミングアップはバッチリだ。
「さあ、来いよ、挑戦者。早く殺し合おうぜ……」
パフォーマンスを終えた岡田はコーナーポストにもたれかかると、不敵に笑い、青コーナーに挑戦者が入場するのを待った。
パンチを繰り出す。空を切る。挑戦者のパンチがガードの上からこめかみにヒットする。軽く脳を揺らされ、動きが鈍る。反撃のキックは膝でガードされ、蹴った自分の足のほうに強い痛みが残る。
おかしい。こんなはずじゃない。
殴り合いながら、岡田はいら立ちやもどかしさを抑えられなかった。
試合は既に第四ラウンド。終盤に差し掛かっている。それなのに、試合の流れをつかめない。あと一歩というところで動きが遅れ、相手に機先を制される。パンチが空を切るたび、焦りと疲労がヘドロのように体の芯を埋め尽くしていく。
「右だ!」
「回り込め!」
セコンドの指示が聞こえる。
(んなこた分かってる! 分かってるけど、体がついてこねえんだよ!)
イライラしながら無理にタックルを決めようとした瞬間。カウンターの膝を側頭部にまともに受けた。衝撃と共に、視界がグラリと揺れる。意識が暗転し、体の力がすっと抜けていく。自分の体なのに自分の思い通りにならない、この上なく不快な感触。さらにガツン、ガツンと頭に衝撃が走った。追撃の連打を受けたのだ。そこで岡田の意識は途切れた。
リングにタオルが投げ込まれ、レフェリーが両手を大きく振って試合の中断を告げる。
チャンピオン・岡田トシヤ、第四ラウンド二分三十三秒でテクニカルノックアウト。
次に目覚めたとき、目の前には自分を見下ろすトレーナーの顔があった。背中には、硬くて冷たいリングマットの感触。
「オレは……負けたのか……」
目だけを動かして周囲を見回す。少し離れた場所に、両腕を高く上げてガッツポーズをしている挑戦者の姿があった。
歯を食いしばり、ふらつく足を両手で支えながら体を起こす。
「おい、トシヤ、まだ脳震盪のダメージが残ってるんだ、動くな!」
そう言って制止するトレーナーを押しのけ、岡田はゆっくりと挑戦者のもとへ歩み寄る。
「いい試合だったぜ」
そう言って、岡田は新しいチャンピオンを抱きしめた。
「ありがとうございます!」
耳元で感極まった声がする。なんだコイツ、本気で感動してやがるのか。
(オイオイ、マジに受け取んじゃねーよ。マスコミ向けのサービスだっつーの。チャンピオンってのは、常に、自分が周りからどう見られるかを考えてなきゃいけねぇんだよ)
周囲からストロボの光が立て続けに浴びせられる。新旧のチャンピオンがお互いの健闘を称え合うこの場面は、スポーツ新聞や週刊誌を飾ることだろう。
「ド畜生ッッ!!!」
控室に戻った岡田は、オープンフィンガーグローブを外すなり、近くにあったパイプ椅子をなぎ倒した。
リングの上では新チャンピオンの健闘を称えてやったが、内心は、そんなすがすがしさとかけ離れていた。
格闘技の道へ進んだのは、人をブッ叩くのが好きだったからだ。
殴って、叩きのめして、ブチ壊す。それが、たまらなく気持ちいい。それだけだった。
世界中の誰よりも強くなりたい。そうすれば、世界中の人間全員をぶちのめして、その頂点に立てる。
苦労に苦労を重ねて日本チャンピオンになることはできた。しかし、「日本最強」と言ったところで、所詮は自分の所属する団体の中だけの話であり、本当の意味での「最強」にはほど遠かった。
しかも、いまの自分は既に全盛期のパワーを失い、思うように動けなくなっている。どんなに恋焦がれ、追い求めても、「最強」の称号は永遠に手に入らない存在になりつつあった。それがもどかしくて、耐えられないほどにつらかった。
圧倒的なパワーとスピードで、世界中の敵をねじ伏せたい。叩き潰したい。たとえ負けるとしても、今日のように、もどかしさを抱えながら負けるのではなく、全身全霊を出し尽くし、魂まで燃えて、終わったときには搾りカスさえ残らないような戦いがしたい。
床の上にどっかりとあぐらを組んだ岡田は、双眸に憎しみをたたえてつぶやいた。
「どうせ死ぬなら、納得して死にてえ……。だとしたら、たとえガキ相手だとしても『あっちに行く』しかねえよなあ……」
その視線の先にあるのは、黒無地に白抜き文字で「Trans-Fat」と記された定期券だった。
同日、午後十時。既に妻と娘は眠りに就いている。私は晩酌用に取っておいた夕飯のおかずをリビングルームのテーブルに並べ、お気に入りの缶ビールのプルタブを引き起こした。
『魔法少女ベジーティア』の録画データが、気が付けば何週間分も蓄積されてしまい、内蔵ハードディスクの容量を圧迫していたので、一気に見ることにしたのだ。
放映が始まったころは毎週ミサと一緒に見ていたのだが、プリンやハイブとの戦いが始まってからしばらく、見るのを意図的に避けるようになった。
結末が分かっているとはいえ、実際にこの町で生活している人たちの生死がかかった物語を、安易に楽しむ気持ちになれなかったのだ。
とはいえ、無視し続けるわけにもいかない。また、普段私が目にすることのない、ドラマパートの展開を確認することで、どうしてコレスやプリン、ハイブがヘドローンに「始末」されることになったのか、その理由を確かめられるのではないかという思いもあった。
「勇気 元気 いつだってハートはFull Vorume
ほら、ビタミンシャワーで元気イッパイ Fly high
私たち 魔法少女(Magical Girls)ベジーティア!」
オープニングテーマに続き、ドラマパートが始まった。
『ベジーティア』は、当初こそ食べ物をテーマにしたほのぼの系の学園ドラマといった展開だったが、回を重ねるにつれて、少しずつ内容が重いものに変わっていった。
その中には、子供向け番組にするには少し重すぎる内容――同級生の不登校や、虐待を受ける子供の話――などもあった。ほのかたちは、中学生なりにそれらの問題に向き合い、少しでも状況が改善するよう取り組んでいた。その中で、食べ物がさまざまな役割を果たしていた。
「お腹がすいたら、いつでもうちにおいでよ! ただのおにぎりでも、誰かと一緒に食べたらずっとおいしくなるんだから!」
「私たちには、あなたの悩みをすっきりと解決することはできない。だけど、あなたと一緒に、このお菓子を食べることぐらいはできるよ。春が来て、夏が来て、秋が来て、冬が来て、また春が来て……。この季節限定スイーツと同じように、移り変わっていく季節を、一緒に楽しんでいこうよ」
そんなひたむきな少女たちの日常が描かれていた。
また、ベジーティア一人ひとりの能力についても、ドラマパートでクローズアップされ、解説されていた。特にパンプティア・萌黄明日香の「自分の魔力でカボチャ爆弾を生み出す」という能力は、ベジーティアの中でも特殊なものであり、ヘドローンを倒すための伝説の魔法陣の封印を解くカギになる。その魔法陣は、この世界のどこかにある聖地「マジックキャッスル」に隠されているという、極めて重大な情報も明かされていた。
(うわぁ……、そんな話になってたのか……。しばらく見ないうちに、とんでもない情報がどんどん出てきてるな……)
さらに、ヘドローンの最終目的についても明かされていた。
ヘドローンが目論んでいるのは、「世界をヘドロの混沌で覆いつくすこと」。
そのためには、全解放を繰り返したミートジェムのパワーを吸収する必要がある。だから幹部たちにミートジェムを与え、暴走させたうえで、一人ひとりを「処分」しようとしていたのだ。
それらは全て、ヘドローンのモノローグによって説明されていた。
その後、私たちとコレス、プリンの再戦があり、ヘドローンは言葉通り、三人の幹部を始末しようとしたのだ。
毎週、きちんとドラマパートを見ている子供たちからすれば、「ヘドローンはこんなに悪いヤツなのに、どうして幹部たちはそのことに気づかないのだろう。自分が殺されちゃうかもしれないのに!」と、やきもきする展開である。
(しかし……、コレスもプリンも、そんなことはまったく気づいていなかった。なぜだ……?)
しばらく考え込み、浮かんできた答えは、
(『ベジーティア(地上波放送)を見る気のない人間』を選んでいた……ということか?)
コレスの中の人、江藤マサトは、おそらく地球上で最も「ニチアサ」のアニメに無縁の人種だろう。もともとアニメに興味関心がなく、子供も成長しているので一緒にテレビを見る機会もない。
ハイブの中の人、村野光龍は、「ベジーティア」のことを「オンナ向けアニメ」と呼んでいた。年齢的には「ニチアサ」世代と言えるかもしれないが、自意識が芽生え、大人びたものを求め始める時期の少年にとって、「オンナ向けアニメ」は、「恥ずかしくて見ていられない」ものなのだろう。
プリンの中の人は、赤川のどかの知り合いということから考えて、男子中学生だろう。城井や緑川なら、彼のことを知っているかもしれない。彼は、「ベジーティア」を見ていただろうか。
(いや……)
私の脳裏に、「ボクのことを認めてくれてたんじゃなかったのか!」と絶叫したときのプリンの顔が浮かぶ。
(あの様子からすると、見ていなかった可能性のほうがずっと高いな……)
そうだとしたら。
あと一人、残っている幹部、トランス・ファットもまた、ベジーティアの放送を見ていないだろう。彼の中の人に関して、少しでも情報を得ることができないだろうか。もし、次に戦うまでに兜山で接触することができれば、悲惨な戦いを事前に避けることができるかもしれない。
そして、トランスについて一番詳しいはずの人間が一人、私のすぐ身近にいる。
「江藤部長に、確かめてみるか……」
私はそうつぶやくと、缶の底に残っていたビールを一息に飲み干したのだった。




