第9話「Tragedy」4
第9話「Tragedy」4
「な、何なの!? 一体、何が起こったの!?」
パンプティアの悲鳴で、私は我に返った。
私とハイブは向かい合って両手をつないだ姿勢のままだった。だから、目の前で起きた異変をまともに見ることになった。
ハイブの腰のベルトから何本もの触手が伸びて、体全体を包もうとしていたのだ。
「うわっ!」
私は生理的嫌悪感から反射的にハイブの手を離し、後ろに飛びのいた。
ヘドロ色の触手は、既に何本もハイブの体に突き刺さっている。血管がヘドロに侵食されているのか、見る見るうちに、どす黒く濁ったものが肌の下で網目状に広がっていった。
「た……すけ……て……」
ハイブが絞り出すような声で言う。体が思うように動かないのか、私が手を離した後も、両手を前に突き出した姿勢のまま立ち尽くしていた。
「ハイブッ!」
私は伸びてきた触手をキャロットソードで切り払い、ベルトに手を伸ばした。しかし、ベルトは既にハイブの体に無数の根を下ろしており、引きはがすどころか、指を掛けることさえできなかった。しかも、少しでもベルトに触れていると、触手が伸び、絡みつこうとしてくるため、私は手を引っ込めるしかなかった。
この触手が体を覆いつくしたとき、ハイブはどうなってしまうのだろう。
コレスのように強制的に暴走させられてしまうのか。
プリンのようにヘドロに取り込まれてしまうのか。
いずれにせよ、ろくでもない結果にしかならないことは間違いなかった。
「引きはがすことができないのなら……っ!」
私はハイブのベルトにキャロットソードの刃を押し当て、魔法を発動させた。
「分子崩壊!」
キャロットソードに絡みつく触手が、片端から分解されていく。しかし、ベルト本体には魔法がほとんど広がらない。泥沼に流れ込んだ清水が泥と一体化していくように、ベルトに魔法を流し込んでも、瞬く間に吸収されてしまうのだ。
「癒しの奔流、ほとばしる火と水と風、萌え出ずる若葉。大地の息吹をこの者に届けよ、ピピマ・ルケール・キュアヒルト!」
パンプティアが回復魔法を唱えた。癒しのオーラがハイブの体を包むと、一瞬、触手の動きが止まる。しかし、オーラが消えると、再び触手はハイブの体を蝕んでいった。
「いやだ……。こわいよ……」
ハイブはボロボロと両目から涙を流し、救いを求めて私たちを見つめた。両手、両足は既に真っ黒になっている。見ているうちに、首筋から顔までもが、どす黒く染まり始めた。
「こんなの……、こんなの、どうすりゃいいんだよっ!」
やり場のない怒りが込み上げ、私は絶叫した。
「ハイブ! 心配するな! 私が、たすけてあげるから!」
私は体に触手が絡みついてくるのも構わず、ハイブのベルトに手を掛けた。無理やりベルトと服の隙間に指をねじ込み、力任せに引っ張る。
「はあああああああああああああああああああっ!」
ベジージェムのパワーを振り絞ってベルトを引っ張り、生まれたわずかな隙間にキャロットソードを押し込んだ。ベルトを切断しようと、のこぎりのように刃を動かす。
無我夢中で動いていたため、私は、自分の体がベジージェム全解放時とは異なるオーラに包まれていることに気づかなかった。私の体を取り巻くオーラは、炎のように揺らめきながら、無数の火花を散らしている。火花が爆ぜるたび、私の体に取りつこうとした触手が焼き切られ、弾け飛んだ。
「こ、れ、で、どうだああああああっ!」
無数の火花を放つ刀身を全力で振り抜き、私はベルトを切断した。そのまま一気に引きはがす。固く根を張った草を無理やり引き抜いた時のように、ブチブチと音を立ててハイブの体から触手が抜け出てきた。
「分子崩壊!」
引きはがしたベルトを斬りつけ、魔法を発動する。ベルト全体が光に包まれ、キラキラと輝きながら分子レベルに分解され、消失していった。それを見届けた私は、ハイブに向き直った。
「ハイブ! 大丈夫なの!?」
振り返った私の目の前で、ハイブがドサッと音を立てて倒れた。
「え……、なんで?」
ハイブがかすれた声で尋ねる。ベルトが外れたことで、声は出せるようになった。しかし、自分の体に何が起こっているのか、まったく理解できずにいるようだった。
私は自分の目の前に広がる、あまりにも無残な光景に言葉を失った。
ハイブの足がヘドロになっていた。
骨や筋肉がヘドロに蝕まれ、体を支えきれなくなって崩れ落ちたのだ。
ヘドロ――元は自分の足だった――の中で、上半身だけとなった体を起こそうとして、もがくハイブ。その姿は映画『エイリアン2』の終盤、エイリアンによって体を引き裂かれた医務担当アンドロイド「ビショップ」を思い出させた。
「オレの足……、どうなってるの?」
ハイブは自分の顔の前に、どす黒く染まった手をかざした。ボタボタと垂れるヘドロと一緒に、彼の指が数本崩れ、ヘドロになって落ちてゆく。それを見て、ハイブは驚愕で目を見開いた。
「な、なんだよ、これ……」
指が、手首が、前腕が、見る間にヘドロに変わり、グズグズと崩れていく。
「オレ……死ぬの? そんなのいやだ……いやだよ……。死にたくない……」
私は、嗚咽を漏らすハイブに歩み寄ると、ヘドロにまみれた体を抱え上げた。
私には、ベルトを外すこと以外、ハイブをたすける方法は思いつかなかった。ベルトを外しても侵食を止めることができないのなら、もはや、なすすべはない。たすけてあげられないのなら、せめて、彼のつらさを受けとめてやりたかった。
「ハイブ……、ゴメンな……! たすけてあげられなくて、本当にすまない!」
ハイブの体を抱きしめる。ハイブが私の耳元で、声を絞り出した。
「お前……たすけてくれるんじゃなかったのかよ……。嘘つき……」
驚いて私はハイブを見た。端整な顔全体に憎悪をみなぎらせ、ハイブは私をにらみつけていた。
本来であればハイブにとって、自分をヘドロに変えて殺そうとしているヘドローンこそが、憎しみの対象となるはずだった。しかし、いま、ヘドローンは近くにいない。だが、私は目の前にいる。しかも私は、精神世界で彼と記憶を共有している。言うなれば、ハイブにとって「心がつながり合った」存在なのだ。
大人なんて信用できない。大人は自分をたすけてくれない。そう思い続けてきた彼にとって、私は――意図したわけではなかったとはいえ――心を分かち合った唯一の存在であり、全面的に信用できる存在だったのだ。
ハイブは、そんな私が発した「たすけてあげるから」という言葉にすがるしかなかった。
そして、私に自分をたすける力がないと知ったいま、
「やっぱり大人は、信用できない」
という絶望に打ちひしがれていたのだ。
「そうだな……。ゴメン……。許せないよな……」
私はハイブの体を抱きしめながら、謝ることしかできなかった。
ミサと大して年の違わない子供の命が、いま、理不尽に奪われようとしている。それなのに、私には何もできない。
「許さなくていい! 私を恨め! 憎め! 私のせいで死ぬんだって、怒れ!」
私は泣きながら叫んだ。私自身、無力な自分のことが、何よりも、誰よりも許せなかった。悔しくて、情けなくて、腹立たしかった。だからこそ、彼の恨みを、憎しみを、怒りを、そのすべてを受け止めてやりたかった。それだけが、私にできる謝罪だと思った。
ハイブの答えはなかった。声を出すために必要な器官が、ヘドロに侵食されてしまったのだ。
私の腕が、グズリとハイブの体の中に沈んだ。体を潰してしまうのを恐れ、私は腕の力を抜く。しかし、私の腕の中でハイブの体は見る間にドロドロと溶け、流れ落ちていった。
残ったのは、私の腕と、胸から膝にかけてベッタリと貼りつくヘドロだけだ。
「あ……あああああああああああっ!」
どす黒く染まった両手を見ながら、私は号泣した。私は気づいていなかったが、メタミートを倒したラディシティア、スピナティア、パンプティアも、私の近くで泣いていた。
私は滂沱の涙を流しながら、空を見上げて叫んだ。
「ヘドローン! お前はッ! お前だけはッッ! 絶ッ対に、許さないッッ!!!」
ハイブは一人、光の中を歩いていた。
ヘドロになって腐り落ちたはずの手足が元に戻っている。そのことに気が付いたのは、歩きだしてしばらく経ってからだった。しかし、身に着けている衣装はハイブのものだったから、「コータ」に戻ったわけでないことは確かだった。
「これって……死後の世界ってヤツか……?」
臨死体験を取り上げたテレビ番組では、たいてい、死んだ人は光のトンネルや花畑、大きな川を見ると言っていた。だとすれば、やはり、自分は死んだのだろう。
どこに向かうのか分からないまま黙々と歩いていると、道の先に一人の少女が立っているのが見えた。
「キャロティア……?」
そう思ったが、その少女はキャロティアよりもずっと幼かった。おそらく年齢は、小学生の自分とそう変わらないだろう。着ている服も、ベジーティアの戦闘コスチュームではなく、フリルの施されたピンク色のエプロンドレス――昭和の魔女っ子アニメブームの頃、主人公がよく着ていたような衣装――だった。
少女が話しかけてきた。
「こんにちは、初めまして」
「……あんた、誰?」
「私の名前は、モモ。あなたを迎えにきたの」
「天国から? それとも地獄からの迎え?」
「うーん……。どっちでもない、かな」
「なんだよ、それ。オレ、死んだんじゃねーの?」
「あなたが死んでしまったのは事実よ。だけどあなたにはこれから、『転生の審判』を受けてもらいます」
「テンセーのシンパン? 何それ?」
「そうね……。分かりやすく言うなら、『あなたが生まれ変わって、新しい人生をスタートさせるためのテスト』って感じかな?」
「うげっ、テスト!? 大っ嫌いだよー」
「うふふ、大丈夫よ。別に何点取れなかったら失格とか、そういうテストじゃないから。――じゃあ、行きましょうか」
モモはそう言うと、手を差し伸べた。ハイブはその手を握り、少女の後をついて歩き出す。
歩きながら、モモが言った。
「……キャロティアを、許してあげて。あの子は、あなたのつらい気持ちを、本当に、本気で受けとめようとしていたのよ」
ついさっき、キャロティアに向かって「嘘つき」と罵ったことを思い出し、ハイブは空いているほうの手でガリガリと頭をかいた。
「分かってるよ、そんなこと。本当に許せないのは、オレを騙したヘドローンだ。だけど、キャロティアが『たすけてやる』って言ってくれてうれしかったのに、信じてたのに、すぐに『やっぱ無理!』って言ってきたのがくやしかったんだ。それに……、目の前にいたアイツにしか、怒れなかったから……」
少女は無言でうなずく。ハイブは少し頬を赤らめて付け加えた。
「でも、最後まで……。ずっと、抱きしめててくれたのはうれしかったよ。死ぬのは怖かったけど、アイツが一緒にいてくれるって思えたから……」
「そう……。頑張ったわね。でも、もう大丈夫よ。これからはずっと、私が一緒だから。もう寂しい思いをすることはないわ」
少女はそう言って、つないだ手に力を込めた。その温もりはなぜか懐かしく、心まで温まるような気がした。
「さあ、行きましょう。転生の審判に――」
光のゲートを抜け、見慣れた休憩室に戻った私は、すぐ近くにあったパイプ椅子にぐったりとへたり込んだ。
腕には、まだハイブを抱きしめていた時の感触が残っている。ハイブの体がドロドロと溶解し、腕から流れ落ちてしまった感触も。
絶望。悲嘆。混乱。さまざまな感情が入り乱れて、とても平静ではいられなかった。
(ダメだ……。とてもじゃないが、仕事に戻れる精神状態じゃない……)
落ち着くためにコーヒーでも淹れようと思うが、体を動かすのもひと苦労だった。
突然、ズボンのポケットの中でスマホが震えた。画面に表示されていたのは、外回り取材に出かけていた部下の名前だった。
「松嶋です。お疲れさん。どうした?」
「ま、松嶋主任! 実はいま、中通りの交差点にいるんですが――」
電話の向こうは、ひどく騒々しい。中通りといえば、『兜山TOWN』オフィスの入っているビルからほんの数ブロックの場所だ。私はスマホを耳に当てたまま、窓から中通りの方角を見た。猛烈に嫌な予感がこみ上げてくる。
「ついさっき、大型トラックが横転事故を起こして、横断中の子供が一人、巻き込まれたんです! 警察と救急に連絡して到着を待ってるところなので、帰社するのが少し遅くなります」
ああ、やっぱり。
私は全身が小刻みに震えるのを感じた。スマホを取り落とさないようにするのが精一杯で、その後、何を話したのか、ほとんど覚えていなかった。
遠くを走っているはずのパトカーと救急車のサイレンが、やけに大きく聞こえた。
翌日、『毎朝新聞』の地方版に、兜山市で発生した交通事故を報じた小さい記事が掲載された。
「交通事故で小学生死亡」
十三日午後三時四十分ごろ、兜山市中通の交差点で大型トラックが横転。同市立第二小学校に通う群野光龍さん(11歳)が巻き込まれ、全身を強く打って死亡した。運転していた田村健也さん(49歳)も頭を強く打ち、意識不明の重体。
事故当時、田村さんの運転するトラックは制限速度を大幅に上回るスピードで走行していたことが確認されており、警察では事故と過失の両面で調べを進めている。
兜山市郊外にあるセレモニーホールで、一件の葬儀がしめやかに執行されていた。
この日、行われていた葬礼は、つい先日、市内で発生した交通事故によって死亡した小学生、兜山市立第二小学校五年生、群野光龍のものだった。
通常であれば、遺体は死化粧を施し、棺に横たえてからは、葬儀が済むまで蓋をせず、参列者が最期の別れをできるようにしている。しかし、今回の遺体は損傷が激しく、到底、人目に触れさせることができない状態だったため、既に蓋が閉じられ、代わりに故人の遺影が棺の上に置かれていた。
生前の故人は、いつもトラブルを起こす問題児だった。クラスでも孤立しがちで、同級生のほとんどは、故人から暴力を振るわれていた。しかし、たまに見せるお調子者の一面は、彼が本来、明るくひょうきんな性格だったことを示しており、決して同級生たちから嫌われていたわけではなかった。
そんな故人を送るため、担任に連れられ、クラス全員が葬儀に出席していた。小学生にとって、昨日まで一緒の教室で過ごしていた同級生の突然死という出来事は、受け入れるにはあまりに重く、衝撃的だった。すすり泣く子もいれば、何がなんだか分からない、といった表情でボンヤリと遺影を見つめる子もいた。
喪主である母親、雪絵の落ち込みようは、言葉にしがたいものがあった。彼女は葬儀中、魂が抜けたような虚ろな顔で、ずっと椅子に座り込んでいた。喪主としてのあいさつなども、葬儀会社のスタッフが代理で行っていた。
「まったく、小さい子供の葬儀ってのは、本当にやりきれないよな……」
セレモニーホールのスタッフの一人、森岡タカシは、着々と葬儀を進めながら心の中でつぶやいた。年間百件を超える葬儀を行い、故人を見送り続けていても、子供の葬儀だけは胸が痛み、どうしても平静でいられなかった。
森岡が受付の様子を確認するため、ホールを出たときのことだった。
駐車場に一台の車が入ってきた。車体に入っているロゴは、この町ではおなじみの情報誌、『兜山TOWN』のものだった。車から降りてきた男性は、ホールの前に掲げてある「故 群野光龍 儀 告別式」という看板を確認すると、車に向かって合図を送る。すると、兜山中学校の制服を着た女子生徒が三人、車から降りてきた。四人は横一列に並ぶと、葬儀の行われているホールに向かって無言で手を合わせた。
「あの、故人のお知り合いの方ですか? よろしければ、中へ……」
森岡が声を掛ける。しかし、顔を上げた男性は、無言で首を振ると車に戻った。三人の中学生も、その後に続いて車に乗り込む。
あっという間に駐車場を出て行った車を見送り、森岡は呆然と立ち尽くしていた。




