第9話「Tragedy」2
第9話「Tragedy」2
『兜山TOWN』編集部オフィスの自分の席で、私は部下の書き上げた原稿をチェックしていた。右手にはシャーペン、左手には『記者ハンドブック 新聞用字用語集』。この『記者ハンドブック』はライター業に携わる者なら必携の一冊で、同訓異字や同音異義語の使い分けなど、文章執筆に必要な情報が網羅されている。編集者であれば、もう一つ、『編集必携』という出版・編集業務に関連するノウハウを網羅した本も欠かすことができない。
どんなにデジタル化が進んでも、原稿はやはり紙に印刷して校正・校閲しないと、誤字や脱字を見落としてしまうことがある。また、原稿をきちんと読み込み、文章の前後関係をきちんと把握していないと、見落としてしまう間違いもある。一つひとつの文字を丁寧に読み込みながら、時折、記者ハンドブックを開いて言葉の用例を確かめ、原稿の行間や余白部分に修正の指示を書く。校正・校閲の作業は、地味だが、作成する本のクォリティを維持するためには欠くことのできない作業である。
使っているシャーペンは、中学生のころから二十年以上愛用しているものだ。ところどころメッキが剥げて古びてきてはいるが、滑らかな書き味はずっと変わらない。
時折、ブツブツと小さな声で文章を音読し、リズムを確かめる。校正の指示を書き終えた私は、記者を呼んだ。
「佐久間ー」
「はーいっ」
「これ、直して入稿よろしくな。写真の手配は済んでるな?」
「大丈夫です」
「じゃあ、レイアウトは四谷と相談しながら進めてくれ。明日にはゲラ出せるな?」
「分かりました」
原稿を返し、マグカップの底に残る冷たくなったコーヒーを飲み干す。
(なんとなく、そろそろポンニュが来そうな気がするな……)
まったく何の根拠もなかったが、「虫の知らせ」とでも言うような不思議な感覚が、先ほどから続いていた。
ズボンのポケットにパスとキャロットソードが入っているのを確認し、さり気なく休憩室へと向かう。室内に人気がないのを確認し、私は窓の外を眺めながらポンニュが来るのを待った。
ポン、とコミカルな音がして、何もない空中にポンニュが現れた。
「ヒロシさん!」
「おっ、来たな。待ってたぞ」
「……って、えっ!? 待ってたって、どういうことニュ?」
「そろそろお前が来そうな気がしてたんだ」
「そんな話、聞いたことがないニュ! ヒロシさんのお母さんでも、ボクがいつ来るかなんてずっと分からなかったニュ!」
「そんなことはともかく、お前が来たってことは、奴らが来たんだろう?」
「そ、そうだったニュ! また、ハイブが来たニュ!」
「あいつか……」
前回の戦いで、彼の頭を胸に抱きしめたときの記憶がよみがえる。
「どうしてこう、一癖もふた癖もあるような敵ばっかり出てくるんだろうなあ……」
そうぼやいてみるが、ポンニュは困った顔をしたままで何も答えない。
「ハイブの『中の人』も、きっと、この町のどこかにいるんだろうな……。この前のプリンみたいに話ができたらいいんだが」
そう言いながら、パスを用意する。
「さ、やってくれ」
「了解ニュ! マジックゲート、オープン!」
ハイブが待ち構えていたのは、大きな緑地公園だった。私がこの前ミサを連れて行った公園に、とてもよく似ている。
「待ってたぜ、ベジーティア!」
ハイブの後ろには三体、直径数メートルの巨大ピザに手足を生やした形のメタミートが待機している。体にはたっぷりのベーコンやサラミにチーズが絡みつき、油がテラテラと光る。二十代以下の若者なら、一目見ただけで生唾が込み上げてくるだろう。しかし、私にとっては、
(なんとも、見てるだけで胃もたれしそうな……)
と、思わずにいられなかった。酒のツマミに一切れか二切れ食べるくらいなら問題はないのだが、こうも巨大だと、うまそうという気持ちも湧いてこない。加えて、加熱して脂ぎった加工肉の甘ったるい匂いと、チーズの匂いが合わさって一帯に漂い、頭がクラクラしてきそうだった。
気を取り直して私はハイブに視線を戻した。彼の腰に、真新しい漆黒のベルトが巻いてあるのが目に入った。
「ところでハイブ、それ、どうしたの? 仮面ライダーに変身でもするの?」
それは、私の知っている仮面ライダーの変身ベルトにそっくりだった。巨大なバックル以外はシンプルな幅広のベルト。そして、バックルの中央に風車のようなギミック。変身するときには、この風車が回転するのだろうと思った。
しかし、ハイブは怪訝な顔をしただけだった。
「は? 仮面ライダーだったら、スタンプとか剣とか、もっといろいろ付いててカッコいいだろ? こんなだっせぇベルト、俺の趣味じゃねーし」
「……え、そ、そうなの?」
私は思わず、周囲の仲間たちに尋ねる。
「えっと、多分……。ボクはあまり見てないから、よく知らなくて……」
「そうですぅ! セイバーだったら剣を抜いて『抜刀!』ですし、リバイスだったらベルトにバイスタンプを押すですよ!」
困惑するラディシティアの横から、スピナティアが言った。
「今時のライダーって、そんなことになってたんだ……」
こんなところで、世代間ギャップを痛感させられるとは。そんな思いで、私はめまいがしそうだった。
そもそも私が子供のころ、仮面ライダーは放映されていなかった。そして、平成ライダーシリーズの放送が始まるころには、もう特撮番組よりも、ドラマやバラエティ番組を楽しむようになっていたのだ。
せめてミサが女の子ではなく、男の子だったら、いま放映されているライダーシリーズのことも少しは知っていたのかもしれない。
(っていうか、番組的にこれはアリなのか? パロディとかオマージュとか、そういう範疇で済むのか?)
いろいろとツッコミを入れたいところではあるが、ハイブと漫才をやっている場合ではない。ここは私たちにとっての戦場であり、まさに今から、命を懸けた戦いが始まろうとしているのだ。
「ねえ、ハイブ。プリンに何があったか、知ってるの? この前の『ベジーティア』はテレビで見た?」
「ミートジェムの暴走に耐えきれなかったコレッちゃんはともかく、負けたからってサボってるプリンのことなんか知らねーよ。それに、オンナ向けの『ベジーティア』なんか、オレが見てるワケねーだろ?」
少し顔を赤らめて答えるハイブの様子から、私はいくつかの確信を得た。
まず、ヘドローンはハイブに真実を伝えていないこと。コレスが倒れたのはミートジェムの暴走が原因だったが、プリンはただ単純に負けたわけではない。ヘドローンによって、殺されそうになったのだ。
ヘドローンにとっては、敵も味方も関係ない。ただ全てを飲み込み、腐らせ、混沌で包み込むことだけが目的なのだ。明らかに、そのことをハイブは知らされていない。
そして、もう一つ気づいたことがあった。それは、ハイブの「中の人」が男性、それも子供である可能性が高いこと。大人であればベジーティアは「子供向け」もしくは「女の子向け」の番組であり、「自分は子供じゃないから見ない」と答えただろう。しかし、「オンナ向け」という言い方は、視聴対象者を性別で区別しているだけで、自分より年下の子供扱いしているわけではない。
その推理を確かめるため、私はハイブに尋ねた。
「ハイブ……。君は兜山で、普段、どんな生活を送っているんだ? 仕事は?」
「はあ? 仕事? オレまだ小学生だし」
「しょ、小学生ーっ!?」
驚きすぎて、私は素っ頓狂な声を上げてしまった。
「君は知っているのか? この世界で死んだら、現実世界でも死ぬんだぞ! 友達や家族が悲しむと思わないのか!?」
「関係ねーよ。オレにはそんなもんいねーし」
「家族が……いないのか?」
「いないってわけじゃねーけど……。ああもう、オレのことなんて全然知らねーくせに、人んちのことゴチャゴチャ言うんじゃねーっ!」
ハイブの絶叫を合図に、メタミートが飛びかかってきた。
「キャロティア! メタミートらはボクたちが引き受ける! だから、ハイブを頼む!」
ラディシティアが叫んで迎撃のために飛び出した。
今日もまた、戦闘が始まった。
「キャロティア、先に言っとく。今日のオレはとんでもなく強いから、最初から全力で来い。じゃねーと、マジで死ぬからな」
向かい合って立つハイブが宣言する。
「いや、だからね? さっきも言ったと思うけど、私もキミも、ここで死んだら本当に死ぬからね。小学生だからって、人を殺していいわけはないし、私もキミを死なせたくないんだよ」
私はハイブをなだめ、なんとか話のきっかけを作ろうとするが、
「うるせぇ! んなこと、どうだっていいんだよ!」
ハイブはむきになって怒鳴るだけだった。
「全・解・放!」
腕を体の前で交差させ、ベルトに両手首を当ててハイブが叫ぶ。
(やっぱり、どことなく仮面ライダーっぽいな……)
そんなことを思いながら、私も一つ目のベジージェムを解放する。
全身を駆け巡る魔力の奔流。感覚が一気に研ぎ澄まされる。
しかし、ハイブに向き合った瞬間、
(マズい!)
私は全力で飛びのいた。
一瞬遅れて私の体のあった場所を光線が貫き、背後にあった木々や遊具をなぎ倒す。
恐怖で全身の毛穴が開き、ドッと冷や汗が噴き出した。あの光線は私の「分子崩壊」と同様、直撃すれば即死するような破壊力がありそうだった。
「言ったよなあ! 最初から全力で来いって! マジでぶっ殺しちゃうぞ!」
怒鳴るハイブ。その両手で、ミートジェムが禍々しい輝きを放つ。
「ミートジェム……二つを、使いこなしてるって言うのか……」
コレス戦のときは、暴走しないように制御するだけで手いっぱいだった。しかし、プリン戦の前にラディシティアと特訓したことで、少しは制御の感覚もつかんでいる。リスクは高いが、こちらも二つ目のベジージェムを解放するしかない。
「やるしか……ないってわけね……」
ギリ、とキャロットソードの柄を握り直し、私は叫んだ。
「ベジージェム、全解放!」
流星のような残像をなびかせながら、私とハイブは一瞬で距離を詰めた。
拳が、蹴りが、斬撃が、音より早く飛び交う。
強烈な魔力の奔流をギリギリのところで制御しながら、私は必死でハイブの連続攻撃に対応していた。
(前回よりも……ずっとキツい!)
解放しているジェムは、どちらも二つ。しかし、ベジージェムの制御に苦労する私と違い、ハイブは楽々とミートジェムのパワーを使いこなしている。その肉体的・精神的な余裕が、攻防においてもそのまま優劣の差となって表れていた。
「オラァッ! どうしたキャロティア! お前の全力はそんなもんか!」
ハイブの猛攻を、私は必死でしのぐことしかできない。そんな私をいたぶるように、ハイブは執拗な攻撃を続けた。
幾度か攻撃の応酬を繰り返し、ハイブの繰り出した拳を私がつかんだときのことだった。
「馬鹿野郎ッ!」
「やめて!」
不意に脳内に男の怒鳴り声と、悲鳴を上げ、すすり泣く女性の声が響いた。同時に、古びた集合住宅の一室の映像が浮かぶ。部屋の中には仁王立ちになった男と、小さな男の子をかばう女の姿があった。
(いまのは……何だ?)
ハイブが手を振りほどくと、映像も消える。一瞬だけ見えた光景だったが、それはただの幻像と言うにはあまりにも生々しく、現実味を伴っていた。
わけが分からないまま、一度、ハイブから距離を取る。
ハイブもまた、違和感を覚えているようだった。
「『記者ハンドブック』……『編集必携』?」
さっきまで私がつかんでいた手首のあたりを見つめながら、不思議そうな顔でつぶやいている。
『記者ハンドブック』や『編集必携』なんて、記者や編集者でもなければ目にする機会はない。まして、一介の小学生が知っているはずはなかった。
(私の意識が流れ込んだのか? ……だとしたら、さっきの映像はハイブの『中の人』の意識なのか?)
その疑問を解消するため、私は一気に距離を詰め、再びハイブの両方の手首をつかんだ。
「何すんだ!」
ハイブが驚愕の声を上げる。その声に重なるように、
ブウン
と、頭の中を揺さぶられるような、不気味な感覚が流れ込んできた。
さまざまな場面が脳内に浮かび、消えていく。それは視覚による映像だけでなく、音や味、匂い、さらにはハイブの「中の人」が感じた気持ちや、感情の揺らぎまでも伴っていた。それはもはや「感覚を共有する」という生易しいものではなく、「記憶を追体験する」と表現するほうが適切なものだと言えた。




