表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
お父さん、魔法少女になる  作者: 春風ヒロ
19/39

第8話「希望、願望、そして過ち」3

第8話「希望、願望、そして過ち」3


 揮発性の高いガソリンなどの油と違い、動物の脂肪は、簡単に燃えるものではない。溶かしたラードに火のついたマッチを落としただけでは、引火することなくマッチの火が消えてしまう。

 しかし、いくつかの条件が整えば、燃えにくい動物性脂肪でも強力な燃料となり得る。

 まず、脂肪が液状に融解していること。

 紙や木くずなど、燃えやすいものと十分に混じり合っていること。

 そして、持続する火種を投じることである。

 炭火を使ったバーベキューや、ガスグリルでの焼肉をする際、肉から溶け出した脂が炎に滴り落ちると瞬く間に炎上し、時には火柱が立つことさえある。

 巨大なメタミートの残骸に落ちた火球は周囲の可燃物に引火し、その炎は溶けた脂肪に引火して、見る間に巨大な火柱になった。

 プリンは面白がるように、「ほら! ほら!」と相次いで火球を投げ落としてくる。そのたびに火柱が上がり、炎がさらに炎を呼んで燃え広がった。


「……どんなスーパーヒーローだって、生身の体を持つ生き物である限り、炎にさらされたら、無事ではいられない」

 炎に包まれてゆく町を見下ろしながら、プリン――沢渡――はつぶやいた。

 自分より強い相手を倒すには、どうすればいいか。「プリン・タイ」として活動する前から、沢渡はそのことを常に考えていた。

 自分を見下してからかい、暴力を振るってくるヤツら。どうすれば、ソイツらに反撃できるか。どうすれば、ソイツらを叩きのめすことができるか。どうすれば――ソイツらを殺すことができるか。

 また、アメリカンコミックのヒーローのような特殊能力を持つ人間が現実にいたとしたら、どうやって攻略すればいいか。

 現実味のない手段を選べるのであれば、『スーパーマン』における「クリプトナイト」や、「バルタン星人」における「スペシウム」のような、弱点となる特定の物質を活用するのが、一番、手っ取り早い。もう少し現実的に考えるのであれば、銃などの火器や、さらに言えば核兵器や生物兵器などを使って、広範囲を、無差別に、短時間で殲滅するのがいいだろう。

 さらに実現可能性のある手段を考えるならば、改造エアガンやクロスボウといった対人武器。花火を分解して火薬を集めたり、ドライアイスと圧力鍋を使ったりすれば、爆弾が作れる。強酸性の洗剤と硫黄を混ぜ合わせれば、簡単に、極めて毒性の高い硫化水素ができる。

 効率よく、確実に、相手を殺傷するにはどうすればいいか――。

 沢渡は普段からずっと、そんなことを考え続け、思いついたアイディアや、自分なりに調べたことをノートに書き留めてきた。

 幸い、「プリン・タイ」に選ばれたことで、実生活では想像もできないような力を手にすることができた。メタミートを召喚し、その特殊能力をうまく活用すれば、ベジーティアを倒すことも不可能ではないはずだ。

 未成熟な精神にだけ働きかける特殊なガスを使って子供をコントロールし、ベジーティアを洗脳するというアイディアは、キャロティアによって打ち砕かれた。

 小細工が通用しないのであれば、メタミートを使って町ごと焼き払ってしまおう。

 超大型のメタミートを複数召喚するのは想像以上に魔力を消費したが、計画通りのものを呼び出すことに成功し、沢渡は満足していた。

 これほど大型のメタミートなのだ。うまくいけば、ベジーティアを倒せるかもしれない。たとえ、倒せなかったとしても、あちこちにばらまいた脂肪に火をつければ、間違いなく町は火の海となる。

 ベジーティアを倒せば、ヘドローンは喜ぶだろう。ボクを認め、さらに大きな力を与えてくれるはずだ。ヘドローンはいずれ、現実世界にも侵出するつもりだという。ならば、ボクはこの力を使って、邪魔するもの全てを薙ぎ払う!

「ベジーティア、お前たちに恨みはない。特に、キャロティア……。赤川さんに似すぎているキミを傷つけるのは、正直に言って心苦しい。だけど、ボクはボクのため、仲間のため、ヘドローンのために、全力でお前たちを倒す!」

 プリンは、広がりゆく炎をじっと見つめ続けていた。


「馬鹿ァッ! だから、やることがエグいんだって、お前は!」

 私は絶叫し、周囲を見渡した。町のあちこちから火の手が上がり、私たちの退路を断とうとしている。

(今なら、飛翔形態になって全力で飛べば、逃げられる。だけど――!)

「いやああああっ!」

「たすけてええええっ!」

 町のあちこちから、逃げ遅れた人の悲鳴が上がる。

(こんなにたくさんの人が巻き添えになってるのに、自分たちだけたすかればいい、なんてわけにいかない! でも、どうすればいいんだ!)

 私たちが全力で救助に当たっても、安全な場所へ運べるのはせいぜい数人だろう。

「ああ、もうっ!」

 無力感にさいなまれ、地面を殴りつける。瓦礫が拳に食い込んで激痛が走るが、心の痛みに比べれば大したことはなかった。

「キャロちゃん……」

 私の肩に手が置かれた。顔を上げると、スピナティアが柔らかな笑みを浮かべていた。

「私が、やってみるです。もし、うまくいって、無事に帰れたら、駅前の星くずパーラーへ、小松菜だし醤油シェイク、一緒に飲みに行くですよ」

「ちょっと、何言ってるの、こんな時に!」

「みんな、プリンをよろしくです!」

 スピナティアはそう言うと、炎の中心に向かって走り出した。

「待って、スピナティア!」

 呼び止めようとする前に、緑のオーラがスピナティアを包んだ。

「ベジージェム、全解放フルボリューム!!」

 爆発的な魔力の増幅。それが彼女の構える弓と矢に集まっていく。

氷泡アイスバブル・ストーム!」

 スピナティアは天に向かって矢を放った。緑の閃光を放ちながら上空に吸い込まれた矢は、打ち上げ花火のように炸裂し、無数の流れ星となって町へ降り注いだ。一つひとつの大きさがスイカほどもある流れ星は、地面に落ちるとボトッ、ボトッと音を立てる。

「きゃあっ、冷たいっ!」

 流れ星の直撃を受けたパンプティアが悲鳴を上げた。彼女の体に張りついていたのは泡だった。魔法によって氷点下の温度を保ったまま降り注ぐ、無数の泡の塊。それが、燃え盛る炎に張りついて熱と空気を遮断し、見る間に火勢を弱めていく。

「すごい……。すごいけど……」

 数キロ四方にわたる広範囲に魔法を展開するなんて、ベジージェムで魔力を増幅しても簡単なことではない。しかもそれを、一瞬ではなく、ずっと持続させているのだ。

「火が消えるのが先か、私の魔力が尽きるのが先か……。ガマン比べです、プリン!」

 呆然としていた私の耳に、スピナティアの声が届いた。それを聞いて、私は我に返った。ぼんやりしている場合ではない。スピナティアの覚悟を無駄にしてはいけない。

「パンプティア! スピナティアについていてあげて! ラディシティア、行こう!」

 降り注ぐ泡の雨の中を、私たちは一気に飛んだ。プリンのいるビルの屋上に降り立ち、前後から取り囲む。

「プリン・タイ! 覚悟しなさい!」

 プリンはビルの屋上で、呆然と座り込んでいた。

「なんで……」

 ボソボソと、小さな声でつぶやいている。

「なんでお前らばかり……」

「何を言っているの?」

 私は一歩、プリンに近づいて尋ねる。

「なんでお前らリア充は! いつもいつも思い通りになるんだ! ボクみたいなダメ人間は! いつもうまくいかない! 失敗して、否定されて、バカにされて! 赤川さんだって守れなかった! そんなボクを認めてくれたヘドローンの力になりたいと思うのが、そんなに悪いことなのか!」

 プリンが絶叫した。

「プリン、キミは……『赤川のどか』の、知り合いなのか?」

 私の問いに、プリンがうなずく。

「じゃあ……、のどかが死んだのは、こちらの世界で『赤坂ほのか』がメタミートに殺されたためだって、知っているのか?」

 プリンが目を見開いて絶句した。この表情は、意図的に作ったものではない。この男は、本当に知らなかったのだ。私は言葉を続けた。

「のどかの直接の死の原因は、通り魔に刺されたことだ。だけど、彼女はベジーティアの一人、キャロティアに選ばれて、こちらの世界で『赤坂ほのか』としてメタミートと戦っていた。そして、メタミートによって殺された。その結果として、通り魔に刺されて死んだんだ。ヘドローンは教えてくれなかったかもしれないが、キミだって、この世界で死ねば、元の世界でも死ぬんだ」

「赤川さんが死んで……じゃあ、キャロティア、キミはいったい、何者なんだ?」

「こっちの世界じゃ女の子の姿だけど、中身は嫁も子供もいる、アラフォーのオッサンだよ。夢を壊すようで悪いけどね。おっと、兜山での名前は教えないよ。キミも名乗るんじゃない。町で出会ったとき、妙な遺恨を持ちたくないからな」

「そ、そんな……」

「ともかく、赤川のどかの敵討ちをしたいと言うならまだしも、彼女を殺したヤツらのために力を尽くすなんて、おかしいと思わないか? まあ、知らなかった……、教えられてなかったんだから、仕方ないとは思うけどな。そうだとしても、大勢の人を巻き込み、傷つけるのが良くないってことぐらい、分かるだろう」

 ずっとうつむいて押し黙っていたプリンが、不意に顔を上げた。

「……して」

「?」

「どうして! 本当のことを! 教えてくれなかったんだ!」

 その絶叫が私に向けられたものでないことは、明らかだった。プリンは、私の背後の虚空に向かって叫び続けた。

「ヘドローン! あなたは! ボクのことを認めてくれてたんじゃなかったのか! 信頼してくれてたんじゃなかったのか! だから、ボクに力をくれたんじゃなかったのか!」

「キャロティア、後ろ!」

 ラディシティアが悲鳴を上げるのと、


 ゾクリ


 言葉では形容しがたい、強烈な悪寒が私の背中を走るのが同時だった。

 これまで戦ってきたメタミートや、コレス、トランスとは明らかに異質の気配。「それ」は、人の理解を超えた禍々しいモノなのだと、私は直感的に悟っていた。

(これが……ヘドローン……!)

 振り返った私の目に入ったのは、宙に浮いた巨大なヘドロの塊だった。末端部からヘドロが垂れ落ちるたび、腐敗臭と硫黄臭の混じった悪臭が吹きつけてくる。それは、鼻やのどの粘膜に突き刺さり、吐き気を催さずにいられないほどの強烈な臭いだった。

 以前にも、ヘドローンの姿を見たことはあった。四人の敵幹部が揃って登場したときのことだ。幹部たちの後ろに、ヘドローンも、ドロドロとしたシルエットだけの姿で現れていた。あの時は姿を見せただけで、こちらに何の関心も向けていなかったから、さほど威圧感を覚えなかった。

 しかし、今回は違う。ヘドローンは、明確な悪意を持ってこの場に現れている。その悪意が、強烈な畏怖をもたらしていた。

「プリンを……たすけに来たのか?」

 恐怖を抑え込んで立ち向かう。しかし、ヘドローンは完全に私の予想外のことを言いだした。

「信頼? 認める? くだらん。プリン・タイよ、たかがヒトごとき矮小な生命の感情を、なぜ我が忖度してやらねばならん。見せてやっただろう? 貴様の望む夢を。片思いの女と恋仲になり、今わの際にたすけを求められる。男として頼りにされるのが、貴様の願いだったのだろう? 一時の愉悦に浸って、満足だっただろう?」

「そんな……、そんなことを……、ボクは、望んだわけじゃない!」

「貴様は願ったではないか。女を自分のものにしたいと。しかし、貴様は願ったではないか。自分の思い通りにならない者どもを、あの手この手で蹂躙したいと」

「彼女を幸せにしたいとは思った! だけど、彼女を殺したいなんて、思ったことはない! 彼女だけは、ずっと元気で、幸せでいてほしかったんだ!」

「あの女は、そもそも貴様のことなど一片たりとて知らぬ。故に、貴様の思いが通ることはなかった。貴様の言う、『思い通りにならない者』の一人だ。だから、貴様の代わりにあの女を蹂躙してやったのだ。喜べ」

「無茶苦茶なことを言うな! ボクをだまして、都合よく利用していたんだな!」

「利用? 違うな。我は混沌にして腐敗の王。すべてを飲み込む。貴様という玩具を寵愛してきたのは、こうして我のエサとするためであったのだ」

「ふ、ざ、け、る、なぁーっ!」

 プリンは叫ぶとヘドローンに向かって両手を突きだした。両手に集まった光が矢となって飛び出す。

「笑止!」

 ヘドローンの体から、ヘドロの奔流が噴き出した。それは私の体をかすめ、光の矢を、そしてプリンの体を飲み込んだ。


 ゴボ、という音と共に、プリンの体が腐敗臭に包まれた。

 一瞬のことで、悲鳴を上げる余裕もなかった。

 ヘドロが絡みつき、目に、鼻に、口に、耳に、ありとあらゆる穴に侵入する。とっさに息を止めて口を閉じたが、それはほんの数秒、ヘドロを遮っただけだった。

(ボクは……死ぬのか……)

 のどが、鼻が、目が痛い。臭い。気持ち悪い。

(騙されて、利用されて、弄ばれて……。最後はヘドロに飲まれるなんて、最悪じゃないか……)

「混沌と腐敗の王」を自称するヘドローンにとって、ベジーティアも、メタミートも、関係なかったのだ。善も悪も区別なく飲み込み、等しく腐らせる。ヘドロとはまさに、「混沌と腐敗」の象徴だった。

(メタミートをベジーティアと戦わせ、この世界を混乱させて、最後はすべてをヘドロで飲み込む……。それが、ヘドローンの目的だったんだ……)

 自嘲と後悔がこみ上げるが、もはや手遅れでしかない。

(赤川さん……ベジーティア……ごめん……)

 その思いさえもヘドロに飲まれていった。


「プリン!」

 反射的に私は飛び出していた。

 ヘドロに飛び込み、プリンの体があったあたりを全力で飛び抜ける。

 広げた腕に、小柄な体らしきものがぶつかった。どす黒いヘドロにまみれ、本当にそれが人なのか判然としない。それでも私は、その体を全力で抱きかかえ、ヘドロの奔流から飛び出した。

「おええっ! くっせぇ!」

 えずいて口や鼻に入ったヘドロを少しでも吐き出そうとする。ほんの一瞬で、私は頭からつま先までドロドロの悪臭まみれになっていた。オレンジの戦闘コスチュームも、元の色が分からないほど汚れている。

 私は手近なビルの屋上に飛び降り、抱えていた体を下ろした。

 プリンはすぐに両手で顔のヘドロをこそげ落とし、大きくえずいた。口からも鼻からも、唾液や鼻水と混じり合ったどす黒い液体がボタボタと落ちる。

 私は腕で顔のヘドロを雑に拭うと、キャロットソードを構え、ヘドローンからプリンをかばうように立ちはだかった。

「ほう……、ついさっきまで殺し合っていた相手をかばうか……。その意気や良し。貴様に免じて今日のところは見逃してやる。しかしベジーティアよ、貴様たちもしょせん、我のエサに過ぎぬ。覚えておくのだな……」

 ヘドローンはそう言い残すと、虚空に溶けるように消えていった。ヘドローンには、顔のような、表情を表す部位がない。それでも、今の言葉に嘲笑が含まれていたのが感じ取れた。

 ヘドローンの気配が完全に消えたのを確かめて、私は武器を下ろした。振り返ると、ゴホゴホと咳き込んでいたプリンに尋ねる。

「大丈夫?」

「どうして……、どうして、ボクをたすけたんだ? お前たちを、本気で殺そうとしたんだぞ?」

「キミの本名は知らないし、知るつもりもない。だけど、のどかと知り合いだったってことは、まだ中学生だろう? キミが死ねば、親御さんや友達、たくさんの人が悲しむことになる。私も子供を持つ父親として、同じ兜山の住人として、見過ごせなかったんだよ。それに何より――」

 私はそう言いながら、鈍色の空を見上げた。先ほどまで降り続けていた氷の泡は、今ではすっかり消え去っていた。

「何よりあの場面で、赤川のどかだったら、迷わず同じことをやっていただろうさ。違うかい?」

 そう言って、プリンに笑顔を向ける。プリンはハッと息をのんだ。二人ともヘドロまみれで、表情はよく分からなかったのだが。

「なあ、プリン。自分を認めてくれた人のために、自分を必要としてくれる人のために、力を尽くしたい。その気持ちは間違っちゃいないんだよ。だけどな、無関係の人を巻き込んだり、傷つけたりしていいわけじゃない。自分たちと同じ考えの者しか認めない、自分たちのいうことを聞かない人は排除してもいいなんていうのは、カルト宗教や独裁者の考え方だ。人を傷つけたり、悲しませたりして成り立つ生き方は、同じだけ自分も傷つくし、悲しむことがある。一人でも多くの人を喜ばせ、笑顔にする生き方のほうが、ずっといい。そのほうが、死んだ彼女も喜んでくれるんじゃないか?」

 プリンはがっくりとうなだれた。私は彼に歩み寄り、その肩に軽く触れた。

「なあ……。彼女の、赤川のどかのためにも、生きろよ。全力で生きろよ。そして、一人でも多くの人を笑顔にするんだ。寿命を迎えたとき、彼女に『頑張ったよ』って笑顔で報告してやれよ。それが一番、彼女のためになるんじゃないか。彼女が喜んでくれる生き方なんじゃないか」

「キャロティア……。ごめん……。いや、ありがとう……」

 うつむいて声を震わせるプリンの肩を、数回、ポンポンと親しみを込めて叩いた。

 私は屋上の手すりから町を見下ろした。火事は既に、ほとんど消し止められていた。地面にぐったりと座り込むスピナティアと、彼女を後ろから抱きかかえて支えるパンプティアの姿が見える。私は二人に大きく手を振り、ビルから飛び降りようとした。

「キャロティア、ちょっと待って!」

 突然、後ろから声を掛けられた。振り返ると、どこから持ってきたのか、ラディシティアが水道のホースを持って立っているのが見えた。

「ごめんね、キャロティア。だけど……、だけど、いまのキミ、本っっ当に臭いから! ゴメン!」

 ホースの先から、猛烈な勢いで水が噴き出した。容赦のない水圧によって、私の体のヘドロが洗い流されていく。それは良かったのだが、ぶちまけられる水は、猛烈に冷たかった。

「ぶわっ! つっ、冷たっ! 待って、ちょっと、お願い! いま、寒いから! スピナティアの魔法で、めっちゃ寒いから! お湯! せめてお湯にしてーっ!」

 私の悲鳴がビルの谷間にこだました。


 見慣れた小会議室に戻ってきた。ヒラヒラした戦闘コスチュームではなく、体になじんだスーツを着ていることを確かめる。

 私は目の前のパイプ椅子に座り込み、頭を抱えて大きくため息をついた。

「最後のあれは……。いきなり水ぶっかけるのは、ちょっと……いくらなんでも、ヒドくない?」

「す、スミマセン……。でも、本当に臭かったから……」

 私の向かいに座った城井佳菜は、顔を真っ赤にして、椅子の上で縮こまっていた。

「そんなに臭かったかな……」

 立ち上がってスーツの襟元や袖口を顔に近づける。そんなことはあり得ないのだが、なんとなく、体からまだヘドロの臭いが立ち上ってくるような気がした。

 佳菜が立ち上がると、何げなく私の胸元に顔を寄せてきた。

「……大丈夫だと思います。むしろ、いい匂いっていうか――」

 私の顔の真下で、艶やかな髪が揺れる。ふわりと立ち上る、制汗剤とトリートメントの混ざった甘い香り。

「ちょ、ちょっと!」

 私は慌てて体を離した。

「きゃ、あっ、えっと、ゴメンナサイ!」

 密室で、女子中学生と肌が触れそうな距離で寄り添うなんて、誰かに見られたら、間違いなく壮絶な誤解を招く絵柄である。

「キャロティアの時の感覚で、つい……」

「いや、たとえ女の子同士だったとしても、さすがにそれはマズいからねっ。それとも、まさか、普段から友達同士でお互いの匂いを確かめ合ったりしてるの?」

「それは、その……、えっと……」

 椅子に座り直して身を縮める佳菜の顔は、再び真っ赤になっていた。


 さわやかな秋風が、どこからか金木犀の香りを運んできた。

 久しぶりに見上げた空は青く、どこまでも澄んで雲一つない。

 沢渡拓人はデイパックを背負い直し、日よけのための帽子を目深にかぶると、歩き出した。向かったのは、街はずれにある霊園である。

 一時間近く歩き、額や背中に汗がにじみ出したころ、目的の場所にたどり着いた。建てられて間もない一基の墓。石目に刻まれているのは「赤川のどか之墓」。その前で、一人の少女が手を合わせていた。

「あ、緑山……」

 沢渡の声を聞いて、さなが振り返った。

「沢渡……」

 気まずい沈黙が流れる。

 二人は兜山中学校の同級生だった。それだけではない。小学生のころから実に八年間、ずっと同じクラスが続いているのである。

「じゃ、邪魔したね、ゴメン!」

 沢渡は踵を返そうとするが、さなに呼び止められた。

「待つです、沢渡! せっかくここまで来たんだから、手を合わせて行くですよ」

「あ、う、うん……」

「私は先に帰るから、ゆっくりしていけばいいです。一人じゃないと、のどかに伝えにくいこともあるでしょう?」

 さなはそう言って、すたすたと歩き始めた。すれ違いざま、

「……のどかも、きっと喜んでるですよ」

 切なそうな顔で、ボソッとつぶやいた。

「えっ?」

 聞き返す沢渡。さなはそのまま何歩か歩いてから、振り返った。

「そろそろ学校来なさいっ! 沢渡がいつまでも落ち込んでたら、のどかも浮かばれないです! あと、その伸び放題の髪の毛、カットしてくるですよ!」

(……キャロティアにも、そんなこと言われたな)

「ありがとう」

 歩き去るさなの後ろ姿に礼を言う。その声が聞こえたのか、さなは歩きながら、ひらひらと手を振った。

 一人、墓前に残った沢渡は、墓に刻まれた名前をじっと見つめながら帽子を脱ぐと、おもむろに手を合わせた。

 黙祷を捧げる。吹き抜ける風が、首筋の汗を乾かしていく。

 祈り終え、顔を上げた沢渡は墓に向かってつぶやいた。

「ごめんね。ボクが間違っていた。キャロティアに教えられたよ。赤川さんの分まで、精いっぱい生きる。赤川さんが生きてたころ、話しかける勇気すら持てなかったボクだけど、少しずつでも変わっていくよう努力するから、見守っていてほしい」

 そう言って、もう一度、頭を下げる。

 帰り際、沢渡は霊園の隅にあるゴミ捨て場に向かった。焼却炉の前のゴミ箱には、枯れた供花や線香、ろうそくの燃えカスなど、さまざまなゴミが入っている。

 沢渡は背負っていたデイパックを下ろすと、中から何冊かのノートを取り出した。「殺戮ジェノサイドノート」と名付け、これまで、さまざまな妄想を書きつけてきたノートである。それらをグシャグシャと丸め、ゴミ箱に投げ込む。すっきりした顔で、沢渡は霊園を後にしたのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ