第7話「誰も死なせない」1
第7話「誰も死なせない」1
「ゆーき、げんきっ、いつだってハートはフルボリューム♪」
車の後部座席から、ミサの上機嫌な歌声が響く。
最近、ミサは暇さえあれば『魔法少女ベジーティア』の主題歌を歌っている。無邪気にアニメを楽しんでいるその姿は、見ていて愛らしい。しかし、どれだけかわいらしいデザインで描いていても、画面の向こうで繰り広げられているのは命がけの、血みどろの戦いなのだ。しかも、まかり間違ったらミサがその戦いの当事者になっていたかもしれない。そう思うと、父親として複雑な気持ちだった。
フロントガラスの向こうには、目に痛いほどの青空が広がっている。私は視線をやや伏せ気味にして陽光を避け、進路を見据えた。週末朝の幹線道路は、家族サービスに出かけるであろう自家用車で徐々に混雑の度合いを増している。それでも、目的の緑地公園にはあと十数分で到着できそうだった。
(そういえば……)
この前、ポンニュが呼び出しに来たのは、社用車を運転している最中だった。もしも今、この瞬間にポンニュが登場したら、間違いなくミサは大騒ぎするだろう。狭い車の中では、ごまかす手立てもない。そして、アニメのキャラが実在し、自分が本物のベジーティアになることができると知れば、この子は間違いなく、無邪気に「なりたい!」と即答することだろう。それこそが私にとって、最も避けたいことだった。
幸い、ポンニュが襲来することはなく、無事に車は緑地公園の駐車場へと滑り込んだ。
「お母さん、パン! パンちょうだい!」
車を降りるなりミサは妻におねだりをする。この「パン」とは、食パンの耳のことだ。ミサは、公園の池の魚にパンをやるのをいつも楽しみにしていた。
パンの耳を詰めたビニール袋を手にぶら下げ、池に向かって走るミサの後ろを、目を細めながらついていく。
「すっかり大きくなって……」
一年前、初めてこの公園でコイにパンを与えたときは、水面に群れを成し、バシャバシャと飛沫を上げながらエサを奪い合うコイの勢いに驚き、パンを投げ出すと、半泣きで妻の足にしがみついたものだった。
たった一年で群がるコイへの恐怖心を克服し、嬉々としてエサやりができるようになるのだから、子供の成長スピードは早いものだとつくづく思う。
わずか数分で持参したパンの耳を投げ尽くすと、ミサはジャングルジムや滑り台が組み合わさった大型遊具に向かって駆け出した。
ジャングルジムを登り、滑り台を滑り、ロープで編んだ網のハシゴを登り、滑り台を滑り、トンネルをくぐり、滑り台を滑り……。ひたすら走って、登って、降りることを繰り返す。かと思うと、ベンチに座っている妻に駆け寄って、
「のど渇いた! お茶ちょうだい!」
公園に到着してまだ三十分も経っていないのに、既にミサは汗だくになっていた。
少し休憩させるつもりで、私はハンカチを差し出しながらミサに尋ねた。
「ミサ、ほら、ちょっと汗拭きなさい。ところでミサは、ベジーティアの中でどの子が好きなの?」
「明日香ちゃん! カワイイから!」
萌木明日香はホワホワしたしゃべり方と、品のいいお嬢さん的な見た目で、美少女ぞろいのベジーティアの中でも、特に「かわいらしい系」の女の子だ。そのくせ戦闘パートになると、熱血スポーツ少年漫画の登場人物のようにダイナミックなフォームでカボチャ爆弾をブン投げるという、なんとも強烈なギャップを持つ子でもある。変身する時にはカボチャのブレスレットを使うが、ほかの三人と異なり、ブレスレットが変形して武器になるわけではない。魔法の力で、手のひらにカボチャ爆弾を生み出すのだ。
「ほのかは?」
「かわいいんだけど、時々、男の人みたいになるから……」
「そうそう、あの子だけは戦闘シーンになると、ちょっとキャラが変わるのよね。何て言うか、雰囲気が女の子っぽくなくなるのよ」
話に割り込んできた妻の言葉に、少しドキッとする。
「攻撃するとき、『……ッシャ!』とか『ヌォラアッ!』って言ったりして、一人だけ男の子向けのアニメみたいなのよね。リアル路線を求める声優さんの演技なのかもしれないけど、ちょっとあれは、ほかの子と比べると浮いてる感じがするわ」
「そ、そうか……」
言動には気を付けているつもりだったが、無意識に発している気合いが「女の子っぽくない」と言われることは、まったく予想外だった。
「あ、そう、その仕草」
妻はそう言って私の顔を指差した。無意識に右頬をコリコリと掻いていた私の手の動きが止まる。
「ほのかも、よくそれやってるよね。それもあって、なんだか、お父さん見てるみたいな気がしちゃう」
ミサにも言われ、私はゆっくりと頬から手を放した。
(今さら手遅れかもしれないが、気を付けなくては……)
そんなことを思っていた矢先、ポケットのスマホが震えた。
表示されているのは、部下の名前。
LINEのメッセージではなく、直接、電話を、しかも休日の昼間に掛けてきたということは、よほどの緊急事態だろうか。嫌な予感を覚えながら、私は画面上の受話器マークをタップした。
「お疲れ様です。主任、お休みの日にスミマセン。実は鈴木出羽守先生から『急な講演の依頼が入ったので、締切を延ばすか、一回休載させてほしい』と連絡がありまして……」
思わず眉間に深いしわが寄る。
彼が担当する連載、「メガネカスベの独語」は政治や経済などの時事問題から、身近な日常の出来事まで、幅広いネタを取り扱うエッセーだ。「メガネカスベ」というのはオホーツク海から日本海、黄海などの浅い海域に生息するエイの一種。アカエイやトビエイのような毒棘を持っているわけではないが、それでも尾の部分には棘があり、迂闊に触れればけがをする場合もある。
つまり、特定の問題に対して、深海魚のようにディープな取り上げ方をするのではなく、ヒラヒラと泳ぐエイのように浅く、広く、軽いタッチで、時々チクリと風刺を効かせて論評する。そのバランス感覚は『兜山TOWN』連載執筆者の中でも飛び抜けており、一番の人気連載となっていた。
鈴木出羽守のただ唯一の問題は、時々、こうして気まぐれを起こし、締切の延期や休載をちょくちょく申し出てくることだった。
「すぐに戻るから」
私は妻に言うと、スマホを耳に当てながら少し離れた場所まで歩いた。
スマホの向こうでは、部下が鈴木出羽守の「原稿が間に合わない理由」をクドクドと語り続けていた。私はその話を遮り、
「お前な……。『TOWN』記者やって何年になる?」
「え、あ……三年になります」
「だったら、連載を落として三ページの穴を空けるってことが、どういうことか分かるだろ。ネタについて、先生としっかり相談しろ。講演先までついていってでも、原稿は入れてもらえ! お前は『TOWN』を代表して先生を担当してるんだから、言われたことを右から左へ伝えるんじゃなく、まずは自分で判断しろ!」
出版業界においては常識だが、一般的には、あまり知られていないことの一つ。それは、「本のページ構成は八、もしくは十六の倍数が基本」ということだ。
印刷会社では、全紙サイズという大きさの一枚の紙に八、ないし十六ページ分の誌面をまとめて印刷し、裁断する。そのページを順に重ねて綴じ合わせ、製本するのだ。八十ページの雑誌で、三ページ分の原稿が足りなくなったから、今月は七十七ページで発行するなどということは絶対にあり得ない。
単行本や文庫本の巻末などに同じ出版社から出ている本の広告が入っているのは、もちろん関連書籍の認知を広げ、売り上げにつなげるためなのだが、ページ数調整のためであることも多いのだ。たとえば本文が四〇三ページで終わっている場合、奥付を含め、十三ページ、もしくは五ページを広告にすることで、十六の倍数である四一六ページか、八の倍数である四〇八ページの本を作るのだ。
「何としても原稿を出してもらえ」と指示して通話を終えたものの、一抹の不安は拭いきれなかった。誌面に三ページ分の穴が空いたときのことを想定し、準備はしておかねばなるまい。
私はスマホの画面をスクロールし、別の部下の名前を表示させた。
「もしもし、お疲れ様。松嶋です。休みの日に申し訳ないんだけど、以前、お前に振ってた兜山動物園のネタ、もしかしたら今号で出すかもしれないから、原稿、用意しといてくれないか。文章はそんなに多くなくていい。代わりに写真多め、イベント告知も盛り込んで。全部で三ページ分な」
「ページが空いたら動物園か水族館」というのは、うちの定番ネタの一つだった。動物園や水族館は季節ごとにイベントを企画したり、飼育している動物に子供が生まれたりするなど、「新ネタ」を確保しやすい。さらに、大人から子供まで幅広い世代に好評の話題であり、人気連載の代打掲載として出しても、クレームが付けられにくいという利点があった。もちろん、兜山動物園も水族館も、無料入場券などを定期的に『TOWN』の読者プレゼントとして提供してくれており、「持ちつ持たれつ」の関係が出来上がっている。
「うん、そう、そんな感じで。具体的なことは、また週明けに相談しよう。休日にすまんね。じゃ、よろしく。お疲れ様!」
画面をタップして通話を終え、スマホをポケットに戻す。
「やれやれ……」
ため息をついたとき、足元から、
「……お仕事、終わったニュ?」
遠慮がちなポンニュの声がした。気を使って、話が終わるまで待ってくれていたようだ。
「お前か。ああ、仕事は終わった。また奴らが出たんだな?」
「そうなんだニュ。コレス・テロールが来るニュ!」
「アイツか……」
私は以前、彼女と戦った時のことを思い出して顔をしかめた。卑猥なことをささやかれながら体を触られた感触がよみがえり、身震いをする。
アイツとだけは、できれば二度と関わりたくなかったが、そういうわけにもいかない。
「さっさと終わらせて、帰ってこよう」
そう簡単に行くはずはないと思いながらも、私はピンクのパスを取り出した。
マジックゲートをくぐる前に、ふと思い出したことがあった。
(誌面内容の変更について江藤部長にひと言、報告しといたほうがいいんだが……。ま、今日は休日だし、まだ完全に変更すると決まったわけでもないし。後でもいいか)
私はそのまま光のゲートへと、足を踏み入れたのだった。
闇夜よりもなお暗い空に向かってそびえるヘドローンの城塞。
その奥の間に、コレス・テロールがひざまずいていた。
「コレス。お前はこの世界を楽しんでいるか?」
ヘドローンの重々しい声が響く。
「はい、それはもう……。満喫しております」
「であれば、それを邪魔する者のことは分かっているな」
「承知しております」
「とはいえ、ベジーティアたちは全員、ベジージェムでパワーアップしている。今のお前では太刀打ちできんぞ」
「くっ……。それは……」
「お前がさらなる力を望むなら、ミートジェムを授けてやろう」
「ぜ、是非! 私に、力をください! ベジーティアを倒す力を! 私は、この世界でまだまだ楽しみたい!」
「よかろう。では、お前に新たな力をやろう」
その言葉と共に、コレスの左右の手首のブレスレットに、鮮血色の宝石が一つずつ現れる。
「ベジージェムを二つ持っているのはキャロティアのみ。ならば、二つのミートジェムがあれば、ベジーティアなど恐るに足るまい」
「はい! ありがとうございます!」
「ミートジェムのパワーに飲まれぬようにするのだ。吉報を待っているぞ」
「必ず、ベジーティアを倒してきます!」
強く意気込むコレスの声が、漆黒の空に飲まれていった。
トンネルを抜けると、そこは雪国ではなく荒涼とした空地だった。
この前、トランス・ファットと戦った時は採石場のように切り立った崖に囲まれた荒れ地だったが、こちらはところどころに岩が転がっている以外、特に目を引くものがない。
(ここにサボテンが生えてたら、古い西部劇映画に出てくる景色みたいだな……)
周囲を軽く見回し、そんなことを考える。
「来たわね、ベジーティア!」
少し離れたところに、コレスが立っていた。相変わらず、青少年には刺激の強そうな超ミニサイズのレオタード姿だ。
「あのさ……。一つ、聞いていい?」
私はふと思いついたことを口にした。
「何よ?」
「アンタのその恰好……、寒くない?」
「は? 何を言いだすのかと思えば。寒さなんて感じないし、それどころか、この体は快適そのものよ!」
「あっそ、それならいいわ。でも、その恰好、恥ずかしいと思わないの?」
「知らないわよ! 最初からずっとこの衣装だったんだから! そんなことよりベジーティア、この前は不覚を取ったけど、今度はそうはいかないからね! 全員叩きのめして、私のオモチャにしてあげるから覚悟しなさい」
(……『最初から』?)
コレスの言葉に、ふと私は疑問を覚えた。しかし、いま、細かい点を追及する余裕はなかった。少しでも隙を見せたら、またセクハラされるかもしれない。
「絶対にお断りよ! パワーアップした私たちに勝てると思わないことね! みんな、行くわよ!」
私の言葉を合図に、仲間が一斉にベジージェムのパワーを解放した。
「フフン、パワーアップしたのが自分たちだけだと思ってるんじゃないわよ! ミートジェム、解放!」
コレスは頭上で両手を交差させて構えた。両方の手首に、ミートジェムが禍々しい輝きを放っている。そのうちの一つ、右手首のジェムから深紅のオーラが噴き出し、コレスを包む。
そして、戦闘が始まった。




