88 決戦
あと残り2話です。ここに来てまだ、結末をプロット通りにするかどうかで迷っています。
「化け物、貴様は後ろにいる連中を守っていろ!」
「カナメっち、ホノちゃんたちのこと、任せたよ!」
殿下とマリさんは、僕に向かって同時にそう叫ぶと、神器を手にした黒い人影の群れに飛び込んでいった。二人の背後を守るように、テイジがその後に続いていく。
僕はやや後ろに下がりながら、前衛で戦う三人の援護をすべく、右手に装着した魔力機銃を構えた。
先行したマリさんに、両側から黒い人影がそれぞれ薙刀と短槍を繰り出す。しかし、それを易々と躱して、彼女は黒い人影の胸に拳を叩き込んだ。
彼女の拳に胸を貫かれた黒い人影はブルリと震え、すぐに溶けるように消え去った。二体の持っていた神器が、乾いた音を立てて床に転がる。
「遅い! 数は多いけど、これなら楽勝だよ!」
マリさんがそう叫んで次の人影に向かおうとした直後、彼女の背中に寄り添うように、テイジが体を滑り込ませた。
テイジが突き出した金棒によって、薙刀を持った人影は再び消え去った。しかし、もう一方の人影が突き出した短槍の一撃は、テイジの左肩の外装を貫いていた。
「ぐうっ!!」
押し殺した呻き声とともに、テイジの左肩から黒い血が溢れ出す。マリさんは、テイジに槍を繰り出した人影を、素早い上段蹴りで消失させた。
「テイジ!? どうして!?」
驚きの声を上げるマリさんの眼の前で、消え去ったはずの人影が、地面から湧き上がるように現れ、再び薙刀と短槍を構えた。
「彼らは魔王の魔素によって生み出された影です! 依代となっている武器を破壊するか、魔王を倒さない限り、何度でも蘇ります!」
仙算術で戦場を監視していたホノカさんの叫びと同時に、前衛の三人に向かって神器による攻撃が加えられる。僕は神器に照準を合わせ、魔力機銃の引き金を引いた。しかし、目標物が小さすぎたため、ほとんどの魔力弾は命中することなく、影の動きを一時的に止める程度の効果しかなかった。魔王の魔素が充満しているこの場所では、魔力による弾道誘導も、全く役に立たない。
「くっ!!」
食いしばった歯の間から、短く息を吐き出して、殿下はその攻撃を小太刀でいなし、素早く反撃して、一度に3体の人影を消し去った。しかし、すぐに、地面から湧き上がるように、消し去った人影が現れ、神器を手にして再び襲いかかってくる。
「神器が解き放たれたことで、魔王が急速に力を取り戻しつつあります!」
結界の力で守っているスァーラさんが、警告の叫びを上げた。ハッとして魔王に目を向けると、さっきまで棒立ちだった魔王の体が一回り大きくなっていた。
「小癪な! 英雄たちの影を使っているのは、力を取り戻すまでの時間稼ぎか!」
殿下は眼の前に立ちふさがる影を強引に小太刀で切り裂き、魔王へと迫った。しかし、すぐに別の影が立ちふさがり、魔王へ近づくことはできなかった。
僕は魔力機銃の出力を最大にまで引き上げ、魔王めがけて魔力弾を放った。でも、弾は全て、不自然な軌道を描いて、魔王から逸れていってしまった。魔王の周囲にある濃密な魔素が、魔力弾を防いでいるのだ。
「カナメっち、どうしよう!? この武器、壊せない!!」
繰り出された両手剣を鋭い蹴りで弾き飛ばした後、マリさんが混乱しきった声でこちらに助けを求めてきた。彼女とテイジは、先程から、神器を破壊しようとしている。でも、二人がいくら攻撃しても、神器を弾き飛ばしてしまうばかりで、全く手応えがない。おそらく神器を操っている影が、幽体のような性質を持っているせいだろう。多くの幽体は、物理攻撃を全く受け付けないからだ。
しかし、神器そのものは、魔力で形作られた強化外装を、たやすく切り裂くほどの威力を持っている。ホノカさんが戦場を監視し、視界内に警告表示を出していてくれるおかげで、なんとか躱せてはいるけれど、このままでは埒が明かない。
「おい、どうする!? このままじゃ魔王が復活する前に、こっちの魔力が尽きちまうぞ!」
地面においた端末で僕たちの魔力を管理してくれているエイスケが、焦った表情を僕に向けた。彼の言う通り、さっきテイジが傷を受けた時、僕の体内の魔力が大きく削られたのがはっきりと分かった。どうやらあの神器は、高い攻撃力の他に、相手の魔力に直接、ダメージを与える効果があるようだ。さっきからマリさんたちの外装に武器がかすめるたびに、僕の魔力は少しずつ削られている。
外装を形作れなくなってしまえば、魔王と戦うどころではない。魔王の放つ濃密な魔素によって、たちまち絶命させられてしまうだろう。
かといって、僕の魔力機銃では、せいぜい影たちの足止めをするのが、関の山だ。クロがいてくれたら、もっと違ったやり方があるのかもしれないけれど、クロは未だに目覚める気配がない。
せめて、もう少し火力のある攻撃が放てたら・・・!
そう思ったところで、僕はハッとして、第七格納庫の扉の外に目を向けた。僕の視線の先にあるのは、片翼の折れた朱色の機体、伊集院博士が作り出した始源の魔導機『朱鷺』だった。
「スァーラさん! 少しの間だけ、二人を守っていてくれませんか!?」
僕の声に彼女は一瞬戸惑うような表情を見せた。でも、僕の視線の先にあるものに気づいて、小さく頷いてくれた。
「長くは持ちません! 急いでください!!」
彼女はそう言うと、自分の体を覆っていた半球形の魔力壁を大きく広げ、ホノカさんとエイスケをその中に取り込んだ。
僕はすぐにその場を離れ、横たわる『朱鷺』に向かって全力で駆け寄った。
「マナさん、僕を『朱鷺』に乗せてください!」
『朱鷺』の傍らに立ったまま、僕をじっと見つめていた女性のホログラム、この機体と基地の管理AIであるマナさんに、僕は叫んだ。
「この機体の機能は完全に停止しています。それでも構わないというのなら、どうぞ。」
彼女は無感情にそう答えた。僕は強化外装の力を借りて『朱鷺』に取り付くと、機体の前部にある搭乗ハッチを強引に引き開けた。およそ200年の間、誰も開くことのなかった扉は、悲鳴のような軋みを上げながら、大きく開いた。
扉の向こうは、コックピットになっていた。現代の魔導機に比べると、かなり複雑な作りだ。搭乗者席の前面は、いたるところに小さなモニターや計器類が配置されている。正面には操縦桿のようなものもあった。魔力同調によって操作する魔導機とは、設計思想そのものが根本から異なっているようだ。
僕は席に座って、操縦桿や手近にあったレバーなどを操作してみた。けれど、マナさんの言った通り、全くなんの反応もなかった。ただ、これはすでに予想済みだ。
僕は操縦桿を右手で掴むと、ここにくるまでずっと高め続けていた魔力を、右目に向かって一気に流し込んだ。
右目に埋め込まれた魔獣の瞳、父さんが僕に残してくれた寄生魔獣が、大量の魔力によって一気に暴走を始める。右腕の義手の内側が、急激に膨張した寄生魔獣によって侵食され、滑らかな義手の表面に赤いヒビが走る。
焼け付くような痛みを無視して、僕は自分の右の指先に魔力を集めた。魔力に惹かれた寄生魔獣は、僕の魔力に導かれるままに指先を飛び出し、操縦桿の隙間を通じて、『朱鷺』の内側へと入り込んでいった。
義眼の視界に赤い警告表示が浮かび上がる。口と鼻、そして耳からは、ドロリとした赤い液体が溢れ出し始めた。荒れ狂う魔獣の触手によって、僕の体内が引き裂かれているからだろう。でも、僕は魔力を止めなかった。
僕の目当ては、この機体の魔術回路だ。設計思想は違っていても、この『朱鷺』は魔導機。ならば必ず魔術回路を備えているはず。僕はそう確信していた。
「つかまえた!!」
機体内の魔術回路を探り当てた僕は、血反吐を吐きながら、思わずそう叫んだ。暴走した寄生魔獣は、僕の放った魔力を追って、『朱鷺』の搭乗席内の魔術回路を次々と侵食していった。
血を流しすぎて、意識が朦朧とし始めた頃、僕はようやく目当てのものに辿り着いた。僕は残っていた力を振り絞り、すべての魔力をその場所、『朱鷺』の魔導エンジンに向かって注ぎ込んだ。
次の瞬間、ゴンという大きな振動とともに、『朱鷺』はその長い眠りから覚めた。僕の魔力を起点として、エンジンは始動したのだ。起動したエンジンによって、周囲の魔素が魔力となり、機体の魔力炉を満たしていく。
機体内に照明が灯り、搭乗者席の計器類やモニターも光り輝き始めた。魔力炉内に魔力が満ちたことで、僕は寄生魔獣を通じて、一時的に魔力を回復することができた。もうしばらくすれば、とんでもない魔力酔いに襲われるだろう。けれど、今はそんなことを気にしている場合じゃない。
搭乗者席の正面のモニターに、マナさんが大きく映し出された。
「まさか、再びこの機体が起動する日がくるなんて、思いもしませんでした。」
淡々とそう言った彼女に、僕はすぐに問いかけた。
「この機体の使用可能な武装で、魔王を攻撃したいんです。可能ですか?」
すると彼女は、少し悲しげな表情で小さく頭を振った。
「この機体の武装は、すでにどれも使用できません。幻一郎が魔王アンゴルモアと対峙した時、すべて深刻な被害を受けてしまったのです。」
「ではその他に、現在使える機能は?」
「二連重力縮退炉が起動しているため、次元移行機能は使用できます。ただし、機体の損傷が大きいため、飛行して移動することはできません。可能なのは、他の空間座標に向けて開く扉を形成することだけです。」
彼女はそう言うと、モニター上に今説明してくれたことを、図解して見せてくれた。それによると、この機体は別の空間へ移動するための扉を生成することができるらしい。つまり任意の場所に『異界門』を作り出すことができるということだ。
「作り出した異界門で、敵を別の空間に移動させることも可能ですか?」
あの厄介な神器たちを、異界門から次元の狭間に放り込んでしまえないか。そう思って聞いた僕の問いに対する答えは、否だった。
「扉はあくまで移動手段です。意に反して、強制的に通らせることはできません。それに、仮に通ったところで、移行が完全に終了するまでは、それなりに時間を要します。」
扉は異界門と同じで、通り縫えたものを星幽体化してしまうという。そのため、通り抜けた先の魔素を使って現界化するまでは、簡単に戻ってきてしまうのだそうだ。そのため、緊急用の脱出手段としても、使うことはできない。つまり、戦闘用としての使い道はないということだ。
「せっかく起動していただいたのに、お役に立てず申し訳ありません。」
モニターの中で、マナさんは申し訳無さそうに言った。彼女の言う通り、僕の試みは完全な無駄足だったようだ。唯一よかったことといえば、魔導エンジンの魔力増幅機能によって、マリさんたちに大量の魔力を送れるようになったことくらいだけど、事態の解決にはなんの役にも立っていない。
このまま増幅した魔力を送り込み続けて、マリさんたちが神器を破壊するのを待つしかないのだろうか。でも、こうしている間にも、魔王は少しずつその力を増している。少しでも早く魔王と戦えるようにならなければ、これまでの皆の苦労がすべて水の泡になってしまう。
せめて、もう少し、こちらの味方が多ければ・・・!
「!! そうだ! そうだよ、味方だ!」
急に叫んだ僕を見て、AIのマナさんが少し驚いたような顔をした。
「マナさん、この異界門は任意の場所に開くことができるんですよね?」
「はい。次元の壁を超えて移動することが、この『朱鷺』の本領ですから。正確な座標がわからなくても、『朱鷺』の魔力探知・通信機能を使えば、搭乗者の魔力に記憶された場所に、扉を開くことができます。」
「通信も可能なんですね!? じゃあ、同時に複数の場所に開くことは?」
「『朱鷺』を起点としてなら、10か所程度は可能です。ただし、そうなると、人間一人程度が通れる扉が精一杯ですよ。機体を移動させることは不可能です。」
「それなら、十分です! すぐに開いてください!」
僕は操縦桿を握りしめて、彼女に叫んだ。マナさんが、僕の魔力に記憶された場所に扉の座標を固定すると、『朱鷺』の魔導エンジンは急速に回転し始めた。
「次元扉生成シークエンス始動。縮退炉内に二連マイクロブラックホールの生成を確認。境界面透過、領域接続完了。扉の生成まで3,2,生成開始。」
体の中に流れ込んでくる膨大な魔力で陶然としながら、僕はマナさんの声にじっと耳を澄ませた。僕の意識の中に、ぼんやりとした青い塊ようなものが浮かび上がる。僕はその中に見える相手に、心のなかで精一杯呼びかけた。
「な、なんだ!? 魔王の攻撃か!?」
格納庫の扉付近に浮かび上がった青い光の膜をみて、エイスケは引きつった叫び声を上げた。
「いえ、違います! この魔力の波動は・・・!」
ホノカさんの声に応えたのは、居丈高な偉丈夫の笑い声だった。
「かっかっかっ! まさかこの大天狗、猿多坊様が、人間の小僧なんぞに呼び出される日が来ようとは、夢にも思わんかったぞ!」
「何をおっしゃいます、お前様。穂津媛殿の窮地と聞いて、取るものも取り敢えず駆けつけたというのに。」
「猿多坊殿! それに淀鈴殿まで!」
半透明の星幽体となって青い光の膜、次元扉から現れた大天狗は、ホノカさんの方を見て、ニヤリと口の端を引き上げた。
「久しいな、穂津。」
「お久しぶりでございます、穂津媛殿。といっても、あなた様にはまだほんの1年ほどでございますでしょうか?」
半透明の鬼娘はそう言うと、楚々とした様子でホノカさんに微笑んだ。
「どうしてお二人がここに? そんなことより、早くお逃げください。ここは危険です! 現世を脅かす魔王の・・・!」
ホノカさんの言葉は、さっと掲げた猿多坊の右腕によって、遮られてしまった。
「皆まで言うな、穂津よ。それくらいのこと、あの小僧の魔力を通じてすでに知っておるわ。それよりも、あの影共に苦戦しておるのだろう。あの小僧には借りがあるゆえ、助太刀に参った。行くぞ、淀鈴!」
「本当に天狗というのは勝手なものでございます。まあ、そんな強引なところが良いところでもあるのですけど・・・。」
そういうなり、二人は目にも止まらぬ疾さでマリさんたちを襲う黒い影に突進していく。太刀を振りかざして立ち向かおうとした影に、猿多坊は自慢の大太刀を抜き払って応戦した。
「この猿多を太刀で相手取ろうとは片腹痛いわ!」
猿多坊は受け止めた太刀の刀身を器用に磨り上げながら、影の間合いに入り込むと、大上段に構えた愛刀、百鬼丸を一息に振り下ろし、影を袈裟懸けに斬り伏せた。
「あとは任せたぞ、淀鈴!」
「心得ておりますとも、お前様。」
淀鈴さんは、猿多坊の一撃によって空中に舞い上がった太刀めがけ、黒い稲妻を帯びた手刀を叩き込んだ。その瞬間、凄まじい衝撃波とともに、太刀は真っ二つに折れ、地面にからりと落ちた。地面に落ちた太刀の残骸は、すぐに黒い灰となって崩れ去った。
「おお、さすが幽世一の手力女よ! それでこそ、わしの自慢の女房じゃ!」
「あら、嫌ですよお前様、こんなところでそんな・・・。」
猿多坊の言葉に、淀鈴さんは頬を染めてそっと顔を伏せた。とても神器を打ち砕いた直後とは思えない表情だ。
「い、一体どうなってんの!?」
急に現れた猿多坊たちに気を取られ、マリさんの動きが一瞬止まる。そこへ鎌槍の鋭い一撃が襲いかかった。
「しまっ・・・!!」
「マリ!!」
テイジが咄嗟に飛び出そうとするが、間に合わない。しかし、鎌槍の穂先がマリさんの首筋に届こうとしたその時、マリさんの背後に突然現れた黒い影が、その攻撃を受け止めた。
「寄りにもよって、怨讐の刃をこの我に向けるとは愚かなり。」
「餓者髑髏のとこのお侍さん!」
黒い刀で鎌槍を受け止めたのは、幽世の根の里の長名代、首塚守さんだった。
「生者によって現世に呼び出されるなど、まっぴらだったのだがな。長様が其方をひどく気に入っておられるのだ。仕方なく助勢に参った。」
そう言うと首塚守さんは、黒い刀で鎌槍を押しやり、さっとその刀を振るった。
「さあ、出よ者共。」
その途端、どこからともなく白い骸骨の腕が無数に現れ、神器を振るう黒い影に纏わりついて、その動きを完全に止めた。
「怨讐に縛られたものを捉えるのは、我らにとっては容易いこと。さあ、この隙に、疾く神器とやらを滅するがいい。我らは神器に触れることができぬ故な。」
首塚守さんが地の底から響くような声で言った言葉を聞いて、マリさんとテイジは顔を見合わせて大きく頷きあった。
「ありがとう、お侍さん!!」
「・・・主命故。礼には及ばぬ。」
マリさんとテイジは魔力を高め合い、動きを止めた神器を挟むように、両側から攻撃を繰り出した。マリさんの蹴りとテイジの金棒に挟まれた神器は、跡形もなく粉々に砕け散って、消え去っていった。
次元扉から現れた味方によって、それまで防戦一方だった戦いに変化が見え始めた。
「すげえ! これなら行けるぞ!」
戦況の変化を見たエイスケはそう叫んで、すぐ横に立っていたスァーラさんの方に目を向け、すぐにその表情を変えた。
「くうっ!!」
「!! おい大丈夫か!?」
がっくりと膝をついたスァーラさんに駆け寄るエイスケ。次の瞬間、後衛の三人を守っていたスァーラさんの魔力結界が溶けるように消え去った。
それを見とってか、それまで魔王を守るように立ちふさがっていた影たちが動いた。戦いの趨勢の変化を見て、薄くなった守りの隙を突いてきたのだ。
エイスケは腰につけた魔力銃を引き抜くと、向かってきた影たちに向かって引き金を引いた。しかし、対人に特化した銃弾では、影たちを牽制することすらできない。
「くそっ!」
「丸山さん!」
エイスケは端末と崩れ落ちたスァーラさんを抱えあげると、一目散にその場から後退し始めた。ホノカさんもそれに続くが、影たちは追撃の手を緩めてはくれない。
追い詰められた三人に影たちの刃が迫る。しかし、その時、影たちの前にゆらりと立ちふさがったのは、美しい衣をまとった一人の美女だった。
「喰らい尽くせ。」
彼女が一言呟いた途端、彼女に迫っていた黒い影たちは、まるで見えない獣たちに食い荒らされるかのように、細切れにされて消え去っていった。
彼らの持っていた神器が床に散らばる。その周囲から再び影が立ち上ろうとするが、それも湧き上がる端から、散り散りに砕け散って形をなすことができなかった。
「ほほ、飽くことを知らぬ餓狼たちには、ちょうどよい馳走だこと。」
突如現れた美女、綾刀自さんは、神器の周りでのたうつ影の残骸を見て、愉快そうに微笑んだ。
「あんた、狐狗狸公の名代だよな。」
「いかにも。あの小僧、この私にまで魔力を通じて呼びかけてきたのです。多少業腹ですが、あなたには千疋皮の衣を手入れしていただいたという借りがありましたからね。こうして参上いたしました。」
「まさか、あなたが狐狗狸公様の側を離れて、現世にやって来るとは思いませんでした。」
綾刀自さんは、自分に向かってそう言ったホノカさんに向かって、嬉しそうに目を細めた。
「お久しゅうございます、穂津姫殿。先程申し上げたとおりです。私は借りを作るのが好きではないのですよ。」
彼女はそう言ったあと、口元を着物の袖で覆ったまま、目だけでニヤリと笑ってみせた。
「それに、現世を席巻したという魔王の力にも、ほんの少し興味があったのです。」
その言葉に眉を顰めたホノカさんを見て、綾刀自さんは愉快そうにコロコロと笑った。
「そんなに警戒なさらないでくださいまし。あなた様と敵対していたのは、もうはるか昔。それに、この姿では本来の私の力を発揮することはできません。」
彼女はそう言って袖を持ち上げ、半透明の自分の体を示した。
「私はあなたの愛しいお方の呼びかけに応えて、ここへ参っただけのこと。私の他にもほら、呼び寄せられた者があそこへおります。」
ゆったりとした口調で、揶揄するようにそう言った彼女の前でも、ホノカさんは決して警戒の色を解かないままだった。
幽世からやってきた強者に助けられたマリさんたちが有利に戦いを進める中、リコ殿下は孤軍奮闘を続けていた。
「くっ、魔王の奴め。もうあんなに大きくなっている。」
殿下は最初の2倍ほどの大きさにまで達した魔王の姿を横目で見て、焦りの息を吐いた。殿下はなんとか魔王に近づこうとしているのだけれど、魔王を守るように立ちふさがる2体の影をどうしても突破できずにいた。
くないのような武器を手にしたその2体の影は、まるで鏡写しのようにぴったりと寄り添い合い、巧みな連携で殿下を追い詰めている。その動きは、他の影たちと明らかに違っていた。
「これが過去の記録にあった、皇家の姫の守護者姉妹だな。全く厄介なことだ!」
左右から全く同じタイミングで同時に迫る一対の刃を、殿下は小太刀を跳ね上げるようにして受け止め逸らす。その動きはまさに、今、対峙している強敵とよく似たものだった。
「私が習得した短刀術の始祖と戦うことになるとは! まるで、自分を、相手にしているようだっ!!」
両側から迫る刃を避けるため、殿下が体を素早く回転させる。鋭い金属音とともに、刃が噛み合う。躱しきれなかった短刀が殿下の体をかすり、白い髪と赤い血が空中に舞った。
殿下は影たちを引き剥がそうとしているが、影は殿下をピッタリと追ってくる。それはもしかしたら、彼らの主がかつて持っていた小太刀を、殿下が手にしているからかもしれない。
形勢を変えるため、なんとか相手の隙を見出そうとする殿下の前で、突然信じられないようなことが起きた。なんとそれまで鏡合わせのようにピッタリと動きを合わせていた2体の影たちが、急にバラバラな動きを始めたのだ。
その動きはまるで、目に見えない何者かと戦っているかのようだった。何かの策かと警戒しつつも、殿下はこの好機を逃すまいと一気に相手に接近し、一方の影が振るっているくないに、渾身の一撃を叩き込んだ。
影が避ける間もなく繰り出された攻撃によって、そのくないは殿下の狙い通り、もう一方の持っているくないに激しくぶつかった。甲高い金属音とともに、2本のくないが砕け散ると、影たちは溶けるように消えた。
「・・・魔に魅入られたとはいえ、其方らの忠義には感服した。安らかに眠るがいい。」
消える最後の瞬間まで、殿下の持っている小太刀に手を伸ばそうとしていた影たちに向かって、殿下はそう呟いた。そして、すぐに人気のない背後の暗がりに向かって呼びかけた。
「そこにいるのは分かっている。姿を現せ。」
すると暗がりから、ゆらりと揺れるようにしながら、紅白の衣装を着た女の子が現れた。胸の前に捧げ持つように出された彼女の両手の上には、金色の殻を持つ二枚貝が載せられている。その二枚貝の中から顔を出した小さな竜は、薄い紫色の煙を吐き出していたけれど、殿下の姿に驚いたのか、すぐに貝を閉じて中に隠れてしまった。
「リコ内親王殿下、お初にお目にかかります。民間陰陽師の村下ウズメと申します。このような場ですので、平伏叩頭できないご無礼をお許しください。」
半透明のウズメさんは、そう言って、殿下に深々と頭を下げた。
「許す。先程は助かった。礼を言うぞ。それは『蜃』か? 幻を見せる妖魔だな?」
「! よく御存知で。おっしゃるとおりです。私には戦う力がありません。ですから、微力ながら、このような形で加勢させていただきました。」
彼女はそう言うと「かみさりもどれ、境帰 小銀」と小さく呪文を唱え、手のひらの上にあった二枚貝を消し去った。
「いや、謙遜することはない。その若さでそれほど巧みに式神を使役できるのは大したものだ。敵はまだ残っておる。もうしばらく付き合ってもらうぞ。」
殿下はそう言うと、まだ魔王を守ろうとしている影に向かって、猛然と走り始めた。
次元扉を使って、心強い味方が来てくれたことで、戦いの趨勢は完全に僕たちの方へと傾きつつあった。
残る影は半分ほどだけれど、間もなく片付くはずだ。実際にやってみて分かったことだけど、この次元扉は、どうやら僕や分隊の皆と深い縁のある人のところにだけ、開くことができるようだ。
本当は皇国軍の花村隊長や、笹崎教官、それに傀儡師のシノブさんにも、次元扉の通信機能を使って呼びかけたのだ。でも、花村さんと教官は、魔王の封印を解いた際に出現した魔獣の掃討に当たっていて、とても手が離せる状態じゃなかった。
あと、シノブさんには普通に断られた。曰く「お姉様がいらっしゃらないのなら、興味がありません」とのことだった。
まあ、でも、幽世組やウズメさんが来てくれただけでも、十分成功したと言えるだろう。僕は『朱鷺』の操縦席にぐったりと寄りかかったまま、ぼんやりとそう思った。
体を動かそうと思ったけれど、全く力が入らない。お腹に力を入れても、口と鼻からとろりとした赤い塊があふれるばかりで、動く気配もなかった。
流石に無理をしすぎたみたいだ。クロの助けもなく、未知の機体の魔導エンジンを起動させるには、僕の肉体の限界まで、魔獣の力を暴走させる必要があったからだ。
僕の体の中は、魔獣の触手に食い尽くされ、すでにズタズタだった。さっきまで体中が痛くて仕方がなかったけれど、今はもう痛みを全く感じられない。おそらく主要な神経が、魔獣によって侵食されてしまったからだろう。今はただ、無性に体が熱かった。
肉体が死に瀕しているにも関わらず、魔力だけは体の隅々にまで行き渡っている。フル稼働している『朱鷺』の魔力炉から、僕に魔力が流れ込んでくるからだ。僕の魔力が尽きてしまえば、分隊の皆の体を守る外装も消えてしまう。でも、暴走した魔獣を通じて、皆に魔力が供給されているこの状態なら、『朱鷺』の魔導エンジンが止まらない限り、心配ないだろう。
僕は最後の力を振り絞って、自分の魔力の器、魂の扉を無理やりこじ開けた。これなら僕が死んでも、魂が完全に消え去るまでは、エイスケたちに魔力が届くはずだ。
今まで魔力を通じて、みんなの様子を見ていたけれど、その視界が次第に暗くなってきた。器が砕けて、魔力がダダ漏れになっているから、魔力の制御ができなくなったのだろう。
どうやら僕は、ここまでみたいだ。あとは、分隊の皆の力を・・信じるしかない。最後まで一緒に戦えないのは・・心残り・・・だけ・・ど・・・。
そう思ったのを最後に、僕の意識は、光り輝く魔力の本流に溶け込み、粉々になって消え去っていった。
「これで、おわりっ!!」
マリの放った拳によって、最後まで魔王を守っていた影の神器が砕け散った。
ここに来て、彼らはようやく、魔王と直接戦えるようになったのだ。
最初、人間ほどの大きさだった魔王の身長は、すでに6m程にまで膨れ上がっている。その姿は闇で形作られた巨人のようだった。
「一斉に攻撃を仕掛ける! 行くぞ!!」
殿下の号令に従い、魔王に一斉に駆け寄る戦士たち。すると、それまでずっと動かずにいた魔王は突如、両腕を振り上げ、恐ろしい咆哮を上げた。
魔王から発せられる凄まじい魔素の奔流によって、足止めされる戦士たち。しかし、彼らはすぐに体制を整え、魔王の体に一撃を加えていった。
「ついにやったぞ! 魔王との戦いが始まった! おい新道、お前も早く戻ってこい!」
強化外装の通信を通じて、エイスケはカナメに呼びかけた。しかし、カナメからの返事はなかった。
「おい、新道! 返事をしろ、カナメ!」
何度も呼びかけるが、一向に返事はない。エイスケの胸に、ざわりと嫌な予感が立ち上る。
「小桜、新道の様子は分かるんだろう!?」
「はい、カナメくんの生命反応はあります。でも、おかしいんです。魔力が・・魔力がすごい勢いで体から流れ出てて・・・!!」
ホノカが涙をこらえて言った言葉を聞いて、エイスケは操作していた端末を掴み上げ、弾かれたように立ち上がった。
「あのバカ野郎が!! いつも、いつも無茶ばっかしやがって!!」
エイスケはそう怒鳴ると、口の中に溢れた塩辛い液体を無理やり飲み下し、全速力で『朱鷺』へ向かって走り出したのだった。
読んでくださった方、ありがとうございました。




