86 迷宮
地震で被災された方々が、一刻も早く安全な生活を送れますよう、切にお祈り申しげます。
「団長殿は?」
油断なく身構えたまま、殿下が尋ねると、団長さんの甲冑を着た黒髪の女は、可笑しそうに笑い始めた。
「あら、せっかくお話してくださると思ったら、そんなこと?」
黒髪の女は傲然とした態度で、甲冑に覆われた巨大な双丘をぐっと突き出し、聖女教の祈りの姿勢を取ってみせた。
「私は聖女様の忠実な下僕にして、白銀聖乙女団の団長のスィーリン。御存知のはずでしょう、リコ内親王殿下?」
普段から見慣れたはずの祈りの姿にも関わらず、黒髪の団長さんのそれは、怖気が立つほど禍々しく見えた。
「まさか、魔王の影響で・・・?」
思わず僕が漏らした一言を聞いて、黒髪の女は、嫣然と微笑んでみせた。
「違う、とは言い切れないわね。久しぶりに全力を出せたおかげで、あの厄介な堅物を封じ込められたのですもの。」
黒髪の女はそう言うと、誇らしげに自分の胸に手を当てた。
「今まで貴方がたが見ていたのは、偽物。私こそが本物のスィーリンです。」
たしかに見た目は、髪と瞳の色を除けば、団長さんの姿と全く変わっていない。しかし、とても同一人物をは思えないほど、二人から受ける印象は真逆だった。
戸惑う僕を見て、黒髪の女は嘲るような表情を浮かべた。そして、慇懃な態度で、ゆっくりと一礼してみせた。
「さて、おしゃべりはこれくらいでいいでしょう。これ以上は、貴方がたの罪が重くなるばかりです。」
「罪?」
「ええ、そうです。異教徒である貴方がたは聖女様の愛を受け入れられない。この世にそれ以上の罪など、存在しません。ですから、私が断罪によって、その誤った生を刈り取り、貴方がたの呪われた魂を浄化して差し上げます。」
エイスケが呟いた「狂ってやがる」という言葉を聞いて、黒髪の女は嬉しそうに紅い瞳を輝かせた。
「安心してください。痛みを感じる前に、体を粉々に吹き飛ばして差し上げますから。」
その言葉が終わると同時に、姿が消えたと思った次の瞬間、黒髪の女は僕のすぐ目の前に立っていた。眼前に迫った女の鎚矛は、しかし、白い光を放つ魔力の壁によって遮られ、僕に届くことはなかった。
「阻め!《聖女の光盾》!!」
僕の眼の前に出現した光の壁は、神聖魔法によって作り上げられた巨大な円形盾だった。鎚矛を受け止めた盾は、黒髪の女に向かって、より一層まばゆい光を放った。
「ぐうっ、この光は!!!」
まるで熱いものにでも触れたかのように、黒髪の女は慌てて後ろに飛び下がり、僕たちから距離を取った。しかし、その動きは、先程に比べて明らかに鈍くなっていた。
「皆さん、下がっていてください!!」
「ハフサさん!!」
僕たちの後ろから駆け寄ってきて、その場にやってきたのは、白銀聖乙女団の副長ハフサさんと、女騎士さんたちだった。
彼女たちの纏っている揃いの装備は、まばゆい光を放ち、その場を明るく照らしている。それは、さっき光の盾から発せられていたのと、全く同じものだった。
ハフサさんは、僕たちの前に躍り出ると、銀の聖印を掲げて祈り始めた。
「古の聖女の血と魂が織りなした聖なる軛よ! 我らが祈りに応え、今、ここに顕現せよ! 《聖女の縛鎖》!!」
彼女の祈りが終わると同時に、天上から一筋の白い光が降り注ぎ、それはやがて、白い法服を纏った背の高い女性の姿へと変わった。その女性が右手をさっと降ると、彼女の足元から虹色に輝く巨大な鎖が飛び出し、動きを止めた黒髪の女に絡みついて、彼女の動きを封じた。
「小癪な! 異端の神の力などで、この私の信仰を止められるものか!」
黒髪の女は、自らを戒める鎖を振りほどこうと力を振り絞った。鎖によって、彼女の体が大きく傷つくが、それも瞬時に再生していく。やがて鎖は、ギシギシと大きな音を立てて軋み始めた。
「団長のことは、私達にお任せください! 貴方がたは、一刻も早く魔王のもとへ!!」
あまりのことに戸惑う僕たちに、聖印を掲げたハフサさんは、苦しそうに眉を寄せながら、叫んだ。
「この《縛鎖》も長くは持ちません! さあ、早く!!」
いち早くその場を離れていた殿下を追って、僕たちは走り出した。立ち去る僕たちを憎々しげに睨みつけながら、黒髪の女はハフサさんに向けて、怨嗟の声を上げた。
「おのれ、ハフサ! 私の愛を理解しない、あの女に与するなんて! お前から先に殺してやる、この裏切り者!!」
「私は裏切ってなどおりません。私がお使えするのはスィーリン姫様、ただ一人。さあ、再び闇へと還るがいい!!」
ハフサさんに続き、女騎士さんたちが祈りの姿で聖印を掲げると、黒髪の女は悲痛な叫びを上げて苦しみ始めた。その様子を見るハフサさんは、とても悲しそうな顔をしていた。
「あれが入口です。急ぎましょう。」
スァーラさんに促されて走っていた僕たちはやがて、倒壊した巨大な廃墟に埋もれた、古びた地下道の入口へとたどり着いた。
崩れて折り重なった壁の隙間から、黄色地に黒い文字の看板が見える。『新宿駅東南口』と書かれたその看板は、大災厄前に設置されたものだろう。200年以上放置された看板の文字は、ひどく掠れていて、読みにくかった。
「止まれ。」
僕たち全員が地下道の入口にたどり着いたのを確認して、殿下は短くそう言った。荒い息を吐きながら足を止めたエイスケは、少しホッとした顔で、殿下の方を見た。
殿下は、傍らにいるスァーラさんに、小さく頷きかけた。すると、スァーラさんは、すぐに今僕たちが入ってきた地下道の入口の方を向いて、歌詞のない歌を歌い始めた。
彼女の歌声が高まるにつれて、魔素が入り口付近に急速に集まっていく。僕の体の中の魔力も、入口の方へ引っ張られるような感じがした。めまいを起こした時に似た、世界が歪んでいく感じ。表情を見る限り、他の分隊の皆も、僕と同じように感じているようだ。
やがてキンという鋭い音とともに、金色の光を放つ光の壁が、迷宮の入り口付近に形成された。壁の表面には見たこともない、複雑な文字や文様が浮かび上がっており、ゆっくりと明滅していた。
「迷宮を封じました。これでしばらくの間は、私が封印を解かない限り、何人たりとも迷宮に出入りすることは出来ません。」
そう言い終えた後、バランスを崩して倒れそうになったスァーラさんを、殿下がそっと後ろから抱きとめた。殿下と視線を合わせた彼女は、恥ずかしそうに頬を赤らめていた。
「迷宮内が魔王の生み出す魔素で満たされたら、我々は生きてはいられない。それまでに、魔王を倒す。行くぞ。」
スァーラさんが回復したのを確かめた殿下は、そう言って地下道の奥へと進み始めた。僕たちは、慌てて殿下の後を追いかけた。
地下道は墨を流したように真っ暗だった。殿下の後ろ歩くスァーラさんと、僕たちの真ん中にいるエイスケが持っている携帯照明灯だけが、唯一の明かりだ。
灯りに照らされて見える地下道の壁には、200年前のものと思われる商品の広告や案内表示などがあったが、その殆どは色褪せ、朽ち果ててしまっていて、まともに読めるものは少なかった。
冷たい床の上には崩れた瓦礫が散乱している。ただ、明らかに人の手によって瓦礫が撤去されたと思われる場所がいくつかあった。おそらく100年前の紀末試験のときに、魔王討伐隊が作ったものに違いない。
地下通路は一本道ではなく、いくつかに分岐していた。分岐点に当たる場所には、床や壁に、色鮮やかな線で行き先を示す矢印などが書いてある。けれど、そのうちの多くは、崩れた瓦礫で塞がれていて、通ることができなくなっていた。
殿下は全く迷う様子も見せず、複雑な地下道を進んでいく。静まり返った地下道の中に響くのは、僕たちの足音だけだ。周りに生き物がいる気配は全く無かった。
「ねえねえ、魔獣とか出るかと思ったのに、何にも出てこないね?」
マリさんが囁くように言ったその言葉に答えたのは、スァーラさんだった。
「私の力で封じていますから。異界門や魔獣が出現することはありませんよ。」
魔王が封印されていた100年間、この地下迷宮内は魔王の濃密な魔素が満ちていたため、生き物が生息できる環境ではなかった。そして今は、物理・魔法両方の外部からの干渉を、スァーラさんの力で封じている。だから、魔獣などへの警戒はしなくて構わないと、彼女は笑顔で僕たちに説明してくれた。
「たしかに、すべてを飲み込んじまう魔王と、好き好んで一緒にいようなんて思う生き物なんか、いねえよなあ。まあ、俺達は自分から、そいつのところに向かってるってわけなんだが。」
いつもの調子でエイスケが皮肉っぽくぼやいた事で、皆の顔に小さく笑顔が浮かんだ。それを見て、僕は少し肩の力が抜けるのを感じた。今まで自分でも気づかなかったけれど、かなり緊張してしまっていたらしい。
「皇国軍が僕たちのために、必死に道を作ってくれたんだ。今度は、僕たちが頑張らないとね。絶対に、魔王を倒そう。」
僕の言葉に、皆は力強く頷いてくれた。
「それにしてもさ、団長さんすごかったよね。強いのは知ってたけど、あんなでっかい奴を、鎚矛一本でやっつける程とは思わなかったよ。」
マリさんの言葉に、エイスケはうんうんと頷いた。
「半身が崩れても、手足が吹き飛んでも、すぐに再生してたしな。でも、最後は様子がおかしかったろ。あれ、魔王に操られてたのか? だとしたら、俺達もヤベえんじゃねえか?」
「うーん、なんか、本人は違うって言ってたけど・・・。」
エイスケの問いかけに、僕は曖昧にそう答えた。すると、今まで黙っていた殿下が、突然口を開いた。
「安心しろ。魔王にはそんな大層な能力はない、と記録されている。団長殿のあれは、あの御仁自身の《呪い》によるものだそうだ。」
驚いてハッと顔を向けた僕たちの様子を見て、殿下はわずかに唇の端を持ち上げた。
「魔王との戦いの前に迷いが生じては困るからな。説明してやろう。」
そう言って殿下は、瓦礫を避けて歩きながら、団長さん自身が殿下に語ったという話を僕たちにしてくれた。
団長さんは、始まりの大地でも指折りの神官戦士で、その身に秘めた神力は、当代の聖女をも凌駕するほどだという。
団長さんは元々、聖都の名家出身で、幼い頃から聖女候補として英才教育を受けていたらしい。にも関わらず、団長さんが聖女に選ばれなかったのは、彼女が抱える《狂愛の呪い》が原因なのだそうだ。
「あの御仁は、心の底から聖女を愛し敬っている。だがな、強すぎる愛と信仰は、狂気の裏返しなのだ。」
団長さんは信仰心が強すぎるあまり、自らの理想とする聖女像以外のものを受け入れられなくなってしまった。けれど、それは、彼女が愛する聖女教の教えとは、真逆のものだ。
理想の聖女像と聖女教の教えの板挟みに苦しんだ彼女の心は、やがて二つに分離してしまった。聖女教の教えを重んじる本来の団長さんと、聖女以外のすべてのものを否定する狂愛の化身とに。
二つの心は互いに憎み合い、やがてそれは一つの呪いを生み出した。それが《狂愛の呪い》なのだそうだ。
「あの御仁は、死や老化をも超越するほどの、絶大な神力を持ちながら、それを自分以外に使うことが出来ない。《呪い》に縛られているせいでな。」
団長さんの異常な戦闘力や回復力は、その呪いのせいなのだと、殿下は教えてくれた。
「普段は自分の意志で呪いを封じ込めているそうだ。だが、戦闘でひどい傷を負うと、呪いに抗しきれず、封じている呪いの人格、もう一人の彼女が姿を現す。それがあの、黒髪の女だ。」
「そうなんですか。でも、そんな状態を続けるのは、すごく辛いでしょうね。」
僕がそう言うと、殿下は真顔で小さく頷いた。
「聖女教は自害を禁じているそうだが、団長殿は、その戒律を破ってまで、自ら命を絶とうとしたこともあったそうだ。そんな彼女を救ったのが当代の聖女らしい。」
『日輪の聖女』の異名を持つ、当代の聖女様は、悩める彼女のすべてを受け入れ、赦しを与えたそうだ。そして、自分直属の聖騎士団『白銀聖乙女団』の団長として、彼女を迎え入れたという。団長さんが普段、本名であるスィーリンではなく、団長という一人称を使っているのは、自分を受け入れてくれた聖女様への感謝と敬愛を忘れないためなのだとか。
「そんな理由があったんですね。でも、殿下はどうして、そんな事情をご存知なんですか?」
僕がそう尋ねると、殿下は少し呆れたような顔で、小さく息を吐いた。
「本人から聞いたに決まってるだろう。貴様らを助命する代わりに、皇国のために力を尽くすという契約を結んだ時、あの御仁が自分から話してくれたのだ。」
団長さんが殿下とそんな契約を結んだのは、もちろん、僕の命を救うためではなく、僕の中のクロを他の誰かに奪われないようにするためだ。
そう分かってはいても、やはり団長さんには感謝の気持ちを抱かずにはいられなかった。
「でも殿下、そんなすげえ力があるなら、魔王と直接戦ってくれた方がよかったんじゃないですか?」
エイスケがそう言うと、殿下はすぐに頭を振ってそれを否定した。
「それも考えてはみた。だが、あの御仁の抱える呪いは、やはり厄介すぎる。魔王との戦いの最中で暴走したら、それこそ目も当てられん。」
「そりゃまあ、そうですね。」
エイスケがそう言うと、殿下は小さく鼻を鳴らした。
「ああ、それに、本人からもはっきり断られた。異世界の命運を決する戦いに、手を貸すのは、聖女教の自助の教えに反するとな。そんなことより、そろそろ目的地だぞ。」
殿下の言葉に、僕は思わずハッと目の前の暗闇に目を凝らした。けれど、闇を見通せる僕の目にも、通路の先には何も無いように見える。
「ここだ。」
殿下はそう言って、足を止めた。スァーラさんとエイスケが照明灯で照らし出した通路の先を見て、僕たちは全員、言葉を失った。
「・・・なんだこりゃ、でかい竪穴?」
僕たちの進んできた通路の先は、道が無くなり、直径30m以上はあると思われる竪穴に通じていた。
竪穴の内側の壁は、崩れて塞がった通路や、ひしゃげた階段の瓦礫、それに引き裂かれた四角い車両の残骸が、むき出しのままになっている。
その残骸の様子から、この竪穴は人工的に作られたのではなく、この下にいる何かが、巨大な力で無理やりこじ開けたものだということが、はっきりと分かった。
「もう気づいていると思うが、魔王を封じた玄室は、この真下にある。スァーラ。」
「はい。」
「魔王は目覚めているか?」
「ええ、目覚めています。ですが、完全に覚醒してはいないようです。私の封印も、まだ有効のようです。」
スァーラさんの答えを聞いた殿下は、深く頷いた後、僕たちの方に向き直った。
「いよいよ、試験本番だ。相手が寝ぼけているうちに、とっとと終わらる。行くぞ。」
殿下の言葉に、僕たちは顔を見合わせて頷きあった。皇国を脅かす魔王を倒し、大切な人たちを守る戦いが始まるのだ。
僕には、もうすでに、迷いや不安はなかった。他の皆もそうだ。ここに辿り着くまでの過程で、覚悟はとうに決まっている。
クロが目覚めていれば、更に心強かったけど、それは欲張り過ぎだろう。僕たちには、これまでの戦いで生まれた分隊の皆との絆がある。今は、それを信じて戦うしか無い。
僕は、自然と左手を皆に差し出していた。皆も無言で、僕の手に自分の手を重ねてくれた。皆の手のぬくもりが、僕の心を熱く燃え上がらせる。
「行こう、みんな。」
僕たちは、殿下の後に続き、竪穴の淵に立った。そして、魔王の待つ深淵へ向かって、下り始めたのだった。
読んでくださった方、ありがとうございました。




