78 二年越しの夏祭り
やるべきこととやりたいことが大渋滞で、目が回りそうです。
8月17日。今日は城砦の夏祭りが行わる日だ。僕たち222分隊は、一昨年と同じように、僕の妹のマドカの奉納舞を見るために、第3城砦の北門区広場に集まっていた。
「カナメちゃん、私の奉納舞どうだった?」
紅白の衣装を着たままのマドカは、激しい舞の後の息も整わないまま待機所から飛び出し、僕のところに駆け寄ってきてそう聞いた。
「今年もすごくよかった! 年々うまくなってるよ!」
僕がそう言うと、マドカはえへへと満足そうに笑い、「着替えてくるね!」と言い残して、また待機所に走っていってしまった。
「本当に落ち着きがないんだから。まったく、誰に似たのかしら。」
マドカを見送りながら、母さんは小さくため息を吐いた。そのつぶやきに答えたのは、フードを被った僕の右肩に乗っていた、小さな白い犬のぬいぐるみだった。
「マドカ殿の行動パターンは、御母堂殿のそれと非常に酷似している。誰に似ているかと言われれば、それは間違いなく御母堂殿、ご自身でしょう。」
「まあ、クロちゃんったら!」
母さんがわざと頬を膨らませてクロを睨むと、僕の周りにいた分隊の皆が一斉に笑い声を立てた。
「それにしても、すごく良い舞でしたよね。」
ホノカさんの言葉に、エイスケが大きく頷く。
「本当だよな。幼年学校の代表に選ばれただけのことはあるぜ。たった2年で、あんなに成長するとはなあ。」
「マルちゃん、なに、おっさんみたいなこと言って。」
呆れたようにマリさんが言ったことで、また皆が笑う。その光景を見て、僕はこんな穏やかな日々を取り戻すことができた喜びを、じんわりと噛み締めていた。
こうして皆で夏祭りに出かけたのは2年ぶりだ。去年は分隊襲撃事件と、その後のホノカさんの捜索で、とてもそれどころではなかったからだ。
あの時4年生だったマドカも、今はもう6年生。12歳になった。今年の3月になれば、マドカは幼年学校を卒業し、新たな道に進むことになる。
今のところ、マドカは母さんと同じ施療士を目指しているらしい。すでに母さんの伝手で、休みの日には見習いの真似事みたいなこともしている。順調に行けば、来年の4月からは施療士見習いとして働き始める予定だ。
マドカは母さんと同じで、強い癒やしの力を持っているから、とてもいい進路選択だと思う。
でも、正直に言えば、マドカがどんどん遠くに言ってしまうような気がして少しだけ寂しい。いつまでも小さい妹だと思っていたのに、時の流れの速さに驚いてしまう。まあ、そんなふうに感じてしまうのは、それだけ僕の身の回りの変化が、大きかったせいなのかもしれないけどね。
大きな変化と言えば、クロの存在がある。クロはぬいぐるみの身体を手に入れ、自由に動き回れる(僕の魔力が届く範囲内で、だけど)ようになったことで、すっかり新道家の一員として定着してしまった。
クロが動き回れることを一番喜んだのは、言うまでもなくマドカだ。マドカは自分の作ったぬいぐるみが命を得たことで、すっかりクロのことを気に入ってしまった。
マドカはクロのことを「クロちゃん」と呼び、しきりに、その日学校であったことなどを、話しかけている。それに生真面目に答えるクロが、マドカには面白くて仕方がないらしい。そのせいで、僕と話す時間が少し減ってしまったくらいだ。
マドカの影響で、母さんやホノカさん、マリさんにまで「クロちゃん」呼びが定着してしまった。
一度、クロに「皆にクロちゃんって呼ばれて嫌じゃないの?」って聞いたことがある。そしたら「正式名称ではないから、呼称にはこだわらない」と返された。でも僕が「クロちゃん」って呼んでも、絶対に返事をしてくれないんだけどね。解せぬ。
マドカは、浴衣に着替えて、トモちゃんと一緒に僕たちのところに戻ってきた。
「じゃあ、私たちはお母さんと一緒にお祭り見て回るから。」
マドカはそう言うと、驚く僕をその場に残し、さっさと三人で人混みの中に消えてしまった。
すると、意気消沈する僕の肩を抱きながら、エイスケが「気を遣ってくれたんだろ。後で合流すりゃあいいさ」と言って慰めてくれた。
うん。それは僕も分かってる。でも、あのマドカが、そんな風に気を遣えるくらい成長してしまったのを感じて、寂しくなってしまったのも事実なのだ。
僕がそう言うと、マリさんは「これだからシスコンは」と、大きく手を広げて大げさにため息を吐き、ホノカさんは困ったように笑った。
僕たち222分隊は、5人でお祭りを見て回ることにした。
僕の前を歩いているのは、浴衣姿のホノカさんとマリさん。マリさんが着ているのは、明るい色の浴衣だ。
暖色系の柔らかい地の上に、オレンジの大きな花柄が入ったモダンなデザインで、マリさんの雰囲気にピッタリ合っている。
対してホノカさんが着ているのは椿の花と葉の柄が入った、ちょっと古風な浴衣だった。落ち着いた雰囲気が、ホノカさんによく似合っている。
この浴衣の生地は、休日に遊びに行ったときに、二人で選んだものらしい。それをホノカさんが、浴衣に仕立てたのだ。
最近、彼女は自分のお母さんから、何かと家事について指導を受けている。この浴衣づくりも、その一環らしい。
彼女に限らず、皇国では大概の私服を、自分で仕立てて着ている人が多い。理由は、布がとても貴重なものだからだ。あとは、様々な体型をした亜人族が多くいるせいもあるかな。そのため裁縫は、皇国女性の必須技能を言われている。
一応、精霊樹脂を使った魔導化学繊維の大量生産の服もあるにはあるが、軍や学校の制服などを除き、ほとんど流通していない。
大変動前は、外国製の生地を大量に生産して、安価で販売していたと歴史の本で読んだことがある。けれど、それは、世界中で物流が盛んだったからできること。魔獣の跋扈する現代では、そんなこととても不可能だ。
だから、皇国内には出来合いの服を売る店は、僕が知る限り存在していない。もしかしたら、皇都にはあるかもしれないけど、少なくとも高天原にはない。高天原は、辺境だからね。
服は生地屋で好きな柄を買ってきて、自分で作るのが当たり前だ。一応、男性も裁縫を習いはするけれど、自分で仕立てる人はほとんどいない。それよりも、男性は外で働くときに活かせる技能を身に着けろと言われることが多いからだ。
理由は単純で、魔獣の溢れるこの世界では、男女で明確に役割を分担するほうが、合理的だから。生活に必要な技能を効率的に継承し、子育てをする女性を守るためには、そのほうが都合がいいのだ。
女性は城砦の中でできる仕事に就くのが一般的。防衛学校は、女子学生もたくさんいるけど、これはずば抜けて魔力や能力が高い人が集められているせいなので、例外だ。
ちなみに、出来合いの服を売る店はないけれど、服を仕立てる仕立て屋さんは無数に存在している。腕のいい仕立て屋さんは大人気で、何ヶ月も待たされることもあるらしいです。
浴衣姿の二人は楽しそうに話しながら、広場に並んだ夜店を覗いていく。僕とエイスケ、それにテイジは、その後ろをブラブラと付いて歩いている。
僕はいつものフードに、長袖のパーカーを着ている。エイスケもいつものネルシャツにジーンズ。テイジも定番のトレーニングウェアだ。テイジは以前と同じように、両手に大量の食べ物を抱えては、無言で食べながら歩いている。
エイスケは隣で大きなあくびをして、身体をぐっと軽く伸ばしてから僕に言った。
「祭祀休みも今日で終わりだなあ。どうだったんだ、新道。お前、小桜の親父さんのところに挨拶に行ったんだろう?」
こちらを全然見ずにそう言った彼へ、僕も同じように答える。
「うん。色々言われたけど、最終的にはホノカさんの判断を優先するって言ってもらえたよ。」
僕は昨日、第2城砦の小桜家を訪ねたときのことを思い出す。城砦でも飛び抜けて立派な屋敷の奥の座敷で、僕はホノカさんの両親と対面したのだ。
以前、婚約したときにも会ったけれど、今回はあのときとは随分状況が違う。僕は見た目が以前と大きく変わってしまったからだ。
以前の僕は、身体に大きな傷を負ってはいたものの、まだかろうじて人間の見た目だった。でも、今の僕は完全に人外だ。
薄青の体色に白髪。右半面と右腕を覆う、強化樹脂の皮膚。そして、右目の魔獣の瞳。機械と亜人が融合したような異様。
フードを取った僕の顔を見たホノカさんのお父さんは小さく息を飲み、お母さんはそっと涙を拭った。
彼女のお父さんは、僕と彼女に、僕との結婚に伴う心配事を告げた。そして、彼女に改めて意志を確かめたのだ。
すると彼女は、「私はカナメさんの妻になります」ときっぱり言い切った
後、僕に小さく笑みを向けた。
それでもさらに、お父さんは何かを言いかけた。僕は正座したまま、すぐに後ろへ下がり、そのまま額を畳につけた。
「心配は十分承知しています。それでも、僕はホノカさんと一緒に人生を歩みたい。どうかお願いします。」
重い沈黙が座敷に降り、どのくらい経った頃だろうか。僕は彼女のお父さんから「頭を上げてください」と声をかけられた。目を上げると、厳しい顔をしたお父さんの隣で、彼女のお母さんが声を殺して泣いているのが見えた。
お父さんは、一度目をぐっと瞑った後、僕に言った。
「この子の、ホノカの命を救ってくれたこと、本当に感謝しています。ありがとう、新道くん。どうか、この子を幸せにしてやってください。」
お父さんはそう言って、僕に深々と頭を下げた。顔を上げたお父さんの目には、涙が光っていた。
その時の光景をまざまざと思い出した僕は、胸が一杯になり言葉が詰まってしまった。黙り込んで歩く僕の腰を、エイスケは軽くポンと叩いた。
「・・・そうか。よかったじゃねえか。」
エイスケはそう言って、小さく洟をすすった。すると、テイジが急に立ち止まった。
「どうしたの?」
そう尋ねた僕と、横を向いたエイスケに、彼は無言で合成肉の串焼きを差し出した。
「ありがとう。」
僕はお礼を言ってそれを受け取った。甘いタレのかかった串焼きは、香ばしくてとても美味しかった。
「・・・なんだこりゃ、随分塩っぱいじゃねえか。」
無言で引ったくるように串を受け取ったエイスケは、肉にかぶりついた後、斜め上を見たまま、そうボヤいた。
言葉は必要なかった。ざわめきと遠くから聞こえる祭り囃子の中、僕たちはそうやって、黙って歩き続けた。
「新道先輩じゃないですか! それに皆さんも! 第3城砦に来てたんですね!」
ゆっくりと歩いている僕たちにそう声をかけてきたのは、紅白の退魔師衣装を身に纏ったウズメさんだった。
「ウズメちゃん! 久しぶりじゃん! そんなところで何やってんの?」
マリさんがそう言うと、彼女は少し照れたように笑った。
「いやあ、ちょっとした副業ですよ。先輩方もお一ついかがですか? お安くしときますよ。」
そう言って、屋台の中から笑顔で彼女が差し出したのは、狐のお面だった。屋台には、他にも色々な動物のお面が飾ってあった。
「これって、あの時のお面だよね? あれ、ウズメさんの手作りだったんだ。」
そう尋ねた僕に、彼女は嬉しそうに大きく頷いた。
「実はそうなんですよ。仕事で使えないお面を、こうやって売らせてもらってるんです。あっ、呪力は籠もってないから安心してください。これは、ただのお面ですから。」
ウズメさんは僕の隣に寄り添うように立っていたホノカさんをちらりと見た後、くるりと後ろを振り向いて、二つのお面を手に取った。
「これ、夫婦面なんですよ。よかったら、お二人でどうぞ。お代は結構ですから。たくさん稼がせてもらったお礼です。」
そう言って、彼女は僕とホノカさんに同じ飾り模様の描かれた狐のお面を手渡した。
「そんな、悪いよ。助けてもらったのはこっちなのに。」
「いえいえ、小桜商会から、たーんまりと謝礼金をいただきましたから。他にも、色々と仕事を紹介してもらってますし。今後の末永いお付き合いのための、ささやかな賄賂だと思ってください。」
彼女に押し切られ、僕とホノカさんはお面を受け取ることになってしまった。
「・・・フードにお面って、めっちゃ怪しいな。完全に不審者じゃねえか。」
お面をつけた僕を見てエイスケはそう言った。でも、たしかにその通りだから何にも言い返せない。
「ねえ、カナメくん。周りは亜人さんたちが多いから、フードを外しても、あんまり目立たないんじゃない?」
ホノカさんはそう言って、苦笑しながら僕のフードをずらした。青白い肌と白い髪が露出したが、確かに彼女の言う通り、周りの亜人さんや獣人さんたちは特に気にした様子も見せなかった。
マリさんたちも、ウズメさんからそれぞれ面を受け取った。各々がそれを付けたところで、エイスケが僕とホノカさんに向かって、大きく手を振った。
「じゃあ、俺はちょっくら北門まで行ってくるわ。もうすぐカナ博士が着く頃だからな。」
「そっか。じゃあ、あたしとテイジも北門区公園に行ってくる。」
そういうと、マリさんはテイジと共に、あっという間にその場からいなくなってしまった。
「えっ、皆、ばらばらになるの?」
驚く僕に、エイスケは自分のマギホを取り出してみせた。
「後で合流すればいいだろ。こいつで連絡するって。ほら、お前らも行った、行った。」
僕とホノカさんは、半ば強引にその場から立ち去ることになってしまった。エイスケは、ウズメさんと一緒に僕たちに手を振っている。
結婚の約束までした仲だというのに、ホノカさんと二人きりになるのは、まだ少し気恥ずかしい。
でも、僕は思い切って左手で、彼女の右手を取った。
「足、痛くない?」
「うん、大丈夫。」
彼女は僕の顔を見上げて、小さく微笑んだ。
「少し歩こうか。」
「そうだね、みんな気を遣ってくれたみたいだし。」
僕は彼女とお面越しに視線を合わせ、頷きあった。僕が握った手を、彼女はギュッと握り返してきた。
彼女の指から伝わってくる熱を感じながら、僕たちはゆっくりと歩き始めた。
雑踏の中へ消えていく二人を、ウズメはじっと目で追っていた。そんな彼女に向かって、エイスケがポツリと呟いた。
「お前さんも、大変だな。」
「・・・気づいてたんですか?」
「まあな。気づいてないのは、新道くらいだと思うぜ。」
エイスケの言葉に、ウズメは大きく息を吐いた。
「私、以前、新道先輩に会ったことがあるんです。もう、何年も前のことなんですけどね。」
ウズメは遠くを見つめながら、そう呟いた。飴野家での仕打ちに耐えられなくなって逃げ出した、幼いあの日のことが、彼女の脳裏に鮮明に蘇ってくる。
「雨の中でずぶ濡れで泣いていた私に、声をかけてくれたのが先輩だったんです。でも、私、先輩の顔を見た途端、悲鳴をあげちゃって・・・。」
「まあ、無理もねえだろうな。」
「それでも、先輩ったら、私のことを慰めようと、本当に必死になって。その様子が、何だか無性に可笑しくて、気がついたら私、いつの間にか笑ってたんですよ。」
母を亡くし、引き取られた養家で辛い目に遭っていた彼女にとって、カナメの存在はその後長く、心の支えとなっていたのだった。
「防衛学校で再会した時は、本当にびっくりしました。」
ウズメは小さく唇を噛み、無意識のうちに、両手で自分の体を守るように抱きしめた。飴野家次期当主の婚約者となった我が身を、呪わずにはいられなかった当時の心境が、まざまざと蘇る。
「貴族家に買われたときに、気持ちはすっかり失くしちゃったと思ってたんですけどね。先輩に直接会ってお話したら、やっぱりダメでした。」
そう言った彼女の目から、ポロポロと涙が零れ落ちる。エイスケは彼女にハンカチを差し出した。
「これ、まだ使ってねえ奴だから。お前にやるよ。」
「・・・ありがとうございます、エイスケさん。」
彼女は受け取ったハンカチで涙を拭った後、盛大に洟をかんだ。そして、手に持っていた狐の面をひょいと被った後、おどけた感じで両手を開いてみせた。
「まあ、そのとき先輩はすでに、小桜先輩と交際してたんで、どっちみち同じだったんですけど。私って、ほんとタイミング悪いんですよねー。」
顔を隠して、たははと笑う彼女を、エイスケはじっと見つめた。そして、小さく鼻を鳴らした。
「新道、鈍いからな。」
「本当、そうですよね! 困っている人には誰彼構わず優しくするくせに。お互い、苦労しますね。」
エイスケは無言でウズメの面を見つめた。
「・・・俺のは、そんなんじゃねえよ。」
エイスケの小さな呟きに、ウズメは応えなかった。彼女はその場でくるりと身を翻すと、自分の屋台の中に滑り込んだ。
「いつか、先輩に恩返しができたらって、ずっと思ってたんです。今回、お役に立てたことで、私もようやく吹っ切れました。」
「俺も話を聞いて、お前さんが必死だった理由に、ようやく合点がいったよ。偶然、小桜の手がかりを見つけたってのは、嘘だったんだろ? 疑って悪かったな。」
ウズメは黙って首を横に振った。
「自分でも、怪しいのは分かってましたから。気になさらないでください。」
お面の中で小さく微笑んだ彼女に、エイスケは盛大に鼻を鳴らした。
「はん。俺もそろそろ行くわ。もうあんまり、無茶すんなよ。」
そう言って、エイスケは後ろも見ずに、さっさと北門へ向かって歩き出した。雑踏に消えていく背中を見送りながら、ウズメは面の中で小さく呟いた。
「それもお互い様ですよ、丸山先輩。」
エイスケたちと分かれて1時間位経った頃、マギホにマリさんから連絡が入った。
『もうすぐ花火が始まるよ? 一緒に見るなら北門前で待ち合わせしよ! 二人きりで見たいなら、お邪魔しないけどねー♪』
僕たちは、広場の隅にあるベンチで休憩していたところだった。僕に寄り添っていた身体を起こし、メッセージアプリの画面を見たホノカさんは、くすくすと笑い出した。
「行くでしょ、カナメくん。」
「そうだね。」
左肩から彼女のぬくもりが離れてしまったことに、若干の寂しさを感じながら、僕はそう答えて立ち上がった。
僕たちは、待ち合わせ場所である北門に向かって歩き始めた。この辺りは祭りの中心から離れているため、人通りが少ない。
途中、以前僕たちに絡んできた酔客のような一段と遭遇したけれど、彼らは僕の肌と白い髪を目にした途端、視線を逸らしてそそくさと離れていってしまった。
遠く祭り囃子が聞こえる中、僕はホノカさんに話しかけた。
「その後、身体の具合はどう?」
「もう、だいぶ良くなったよ。最初は身体の違和感がすごくて、朝、目が覚めるたびに、かなり混乱してたけどね。」
彼女はそう言って、小さくガッツポーズをしてみせた。200年ぶりに取り戻した自分の身体に、もうすっかり馴染んでいるみたいだ。
「本当によかった。そういえば、風早国での出来事は、もうあんまり覚えてないって言ってたよね?」
僕がそう尋ねると、彼女はほんの少し考え込む素振りをした。
「うーん、覚えてはいるんだけど、はっきりしない感じなの。夢の中の出来事みたいで、記憶はあるのに現実感がないっていうか・・・。」
彼女によると、昼間起きている間は、ほとんど意識することがないらしい。でも、記憶を探れば、知識としては取り出せるそうだ。
森妖精のような種族は、魂にかかる負荷を減らすため、術や薬を使うことで、わざと記憶を曖昧にすることがあると聞いたことがある。きっと、彼女も同じような状態なのだろう。
そんなことを考えながら話を聞いていたら、突然彼女が小さく吹き出した。どうしたのと尋ねた僕に、苦笑しながら彼女は答えた。
「はっきりしないって言ったのに、博士に根掘り葉掘り聞かれたことを思い出しちゃって。」
「ああ、そう言えば、しばらくずっとカナ博士、ホノカさんに付いて回ってたよね。」
その時の様子を思い出して、僕たちは目を合わせて微笑みあった。探究心の強い博士にとって、幽世から帰還したホノカさんは絶好の研究対象。トイレにまでくっついていって、お目付け役の女騎士、ハフサさんに叱られていたこともあったくらいだ。
「でも、博士のお陰で、こっちの世界でも仙算術をちゃんと使えるようになったから。結果としては、感謝してるんだ。」
彼女はそう言って、自分の両手を見た。仙算術は、幽世で、彼女が修行の末に身に着けた、彼女だけの技術だ。
彼女は仙術の修業をするうちに、魂に取り込んだ自然の氣を、数式に変換することを思いついたそうだ。そして、それを書き換えることで、周囲の自然現象を変化させる技を身に着けたらしい。
まさに、魔導物理学と数学に精通した彼女ならでは発想だ。正直、僕には想像もつかない。
結果として、彼女は世界を直接書き換える程の力を手に入れたことになる。大妖怪たちが彼女を手放したがらなかったのも、当然かも知れない。
でも、最終的には、彼女自身が新たな争いの種になることを避けるため、大妖怪たちの話し合いを経て、彼女を現世に戻すことになった。それにより、彼女は生身のまま、幽世から帰還することができたのだ。
カナ博士は言うまでもなく、この話に飛びついた。博士は彼女に、この世界でも仙算術を再現してみせろと迫り、彼女はそれに応えたのだ。
その結果、ホノカさんはこの世界でも仙算術を使えるようになった。まだ、幽世にいた頃のように自由自在とは言えないようだけど、日に日にその力と精度を取り戻しているらしい。
「でも、氣を取り込む時、生身の体だと、かなり負担があるんでしょ?」
「うん、それはね。でも、無理してるわけじゃないから。」
思わず足を止めた僕の左頬に、彼女はそっと指を触れさせた。
「そんな顔しないで。私、すごく嬉しいんだから。」
「嬉しい?」
「うん。だって、以前の私はみんなに守ってもらってばかりだったでしょ? でも、今は、私の力でみんなを守ってあげられる。それが、すごく嬉しいんだ。」
彼女はそういうと、僕の左手をとって、歩き出した。
「早く行かないと、みんな待ってるよ。急ごう、カナメくん。」
僕の心配を他所に、彼女は明るい声でそう言った。僕は、心の内側に湧き上がる不安を振り払うように小さく頭を振り、彼女の後を追いかけた。
「あっ、ホノちゃんとカナメっち!」
僕たちの姿にいち早く気づいたマリさんが大きく手を振った。北門の脇には、マリさん、テイジ、エイスケの他に、母さんとマドカ、それにマドカの幼なじみのトモちゃんや、カナ博士まで一緒に、僕たちを待っていてくれた。
僕たちがみんなと合流すると、マリさんは両手を腰に当て、勝ち誇ったようにエイスケの前に立った。
「ほら、マルちゃん、あたしの言ったとおりでしょ? やっぱり二人共来てくれたじゃん!!」
「ちっ、賭けは俺の負けか。ほらよ。」
エイスケはそう言って、手に持っていたベビーカステラの包みを、マリさんに手渡した。それを受け取った彼女は、マドカやトモちゃんと一緒に、嬉しそうにカステラを食べ始めた。
「なに、エイスケ。僕たちで賭けをしてたの?」
「お前らが遅いから、ちょっとした時間つぶしだよ。まったく、もうちょっと、いちゃついてても、よかったのによお。」
問い詰めた僕に悪びれもせず、エイスケはそう嘯いた。
エイスケに一言、言ってやろうと口を開いた瞬間、夜空がパッと明るくなり、周囲から一斉に歓声が上がった。
「見て見て、カナメちゃん! すっごい大きな花火!!」
振り返ると、夜空いっぱいに光の花が広がっていた。その隙に、エイスケはするりとその場を抜け出し、カナ博士の方に行ってしまった。くそう、エイスケめ!
でも、次々と上がる花火を見ているうちに、僕たちはいつしか花火に夢中になり、エイスケにからかわれたことなど、すっかり忘れてしまってた。
光と炎の魔術に精通した職人が作り出した花火は、夏の夜空を鮮やかに彩っていく。
「時間的に、次が最後だね! おっきいのが来るよ!」
マリさんの言う通り、周囲の人達もみんな、期待したような、物寂しそうな目をして、夜空を見上げている。
僕も、ホノカさんの手をギュッと握り、彼女と一緒に夜空を見上げた。するとその時、それまで僕の懐で大人しくしていたクロが、急に飛び出してきて、僕の肩に飛び乗った。
「カナメ、衝撃が来る!!」
クロがそういい終わらないうちに、僕の体内から大量の魔力が周囲に流れ出した。同時に、僕たちをすっぽりと覆う、半球型の魔力障壁がその場に形成された。
次の瞬間、僕は激しい地面と空気の振動を感じた。立っていることができず、僕はホノカさんをかばうようにして、その場に座り込んだ。
周囲から上がっていた歓声が、悲鳴に変わった。衝撃を受けた人たちがその場に投げ出されたのだ。地面に激しく叩きつけられ、多くの人が怪我を追っている。その時、僕は、クロの魔力障壁に助けられたのだということを悟った。
祭りの会場を照らしていた魔力灯が一斉に消え、周囲が闇に包まれる。僕はすぐに《絶えざる明かり》の呪文を唱え、周囲を照らす光球を作り出した。
同じように光球を作り出した母さんとトモちゃん、マドカが、周囲の怪我人に駆け寄り、応急手当を始める。
僕たちの明かりを見て、会場のあちこちに明かりの呪文による光球が表れたことで、パニックに陥りかけていた人たちが、徐々に落ち着いていった。
「何が起きたの?」
「分からん。魔力端末も完全に死んでるぜ。」
エイスケはそう言って、僕にマギホを差し出してみせた。魔力波の状況を示す表示は、圏外になっている。どうやら、今の衝撃で魔力波中継基地局が、使えなくなっているのだろう。
とりあえず救助を手伝おうと、僕たちが動き出したところで、肩の上に居た頃が突然、声を上げた。
「カナメ! あの子の身に危険が迫っている!」
「あの子って、まさか蛭子!?」
僕の声に、分隊の皆が一斉に足を止めて、僕に歩み寄ってきた。その時、突然僕たちのマギホから一斉に独特の通知音が響いた。
「軍用の特別非常呼出だ!」
エイスケの言葉に、僕たちは一斉にマギホを取り出した。『極秘』と表示されたメッセージを開くと、そこにはこんな内容が書かれていた。
『222特別遊撃分隊員へ告ぐ。直ちに分隊舎へ集合、緊急出撃せよ。なお、これは訓練ではない。』
読んでくださった方、ありがとうございました。




