75 決着
まだまだ暑いですねえ。皆様、どうかご自愛ください。
鬼神の里を旅立って4日めの朝、僕たちはようやく屍霊たちの長がいるという根の里にたどり着いた。
「酷えところだな。」
「それそれ。鬼姫さんのアドバイスがなかったら、まじでヤバかったよね。」
エイスケとマリさんの言葉に、僕たち全員、深く頷いた。
『根の里の屍霊たちは、ほとんど全員が生者を憎んでおる者ばかり。特に人間を恨んでおるものが多いからの。普通に入ればたちどころに取り憑かれ、殺されてしまうぞ。』
淀鈴さんはそう言って、僕たちに根の里に入るための方法を教えてくれた。
『その樒の葉には、妾の息を封じてある。道中はずっと、それを口に咥えておくとよい。さすれば、屍霊たちはそなたたちの姿に気づかぬはずじゃ。』
根の里は、腐敗した土地の広がる湿地の奥にあった。里へと続く唯一の道の入口にやってきた僕らは、淀鈴さんがなぜこの葉を渡してくれたのか、すぐに分かった。
その曲がりくねった細い道は、常に猛毒の黒い瘴気に覆われていたのだ。でも、淀鈴さんの葉のおかげで、僕たちはそこを無事に通り抜けることができた。
ここは瘴気に遮られているため、陽の光が差すこともない。草一つ生えていない荒れ果てた土地がずっと続くだけだ。道の両側には所々に、廃棄された塚や墓地が点在し、恐ろしい姿の幽鬼や屍霊たちが徘徊していた。僕たちは互いに励まし合いながら、ここまでやってきたのだ。
里についた僕らを迎えてくれたのは、里長の名代である鎧武者の幽鬼、首塚守さんだった。
「・・・淀鈴殿の入れ知恵か。余計なことをしてくれる。」
僕たちの咥えている葉っぱを見た首塚守さんは、地の底から響くような声でそう言った。
「長が直接お会いになるそうだ。こちらへ参られよ。」
僕たちは彼の案内に従い、朽ち果てた霊廟の奥へと入った。通されたのは、巨大な白い柱が不規則に並ぶ、奇妙な場所だった。柱は薄く不気味な光を放っていた。
「長の御前である。お控えください。」
僕たちは首塚守さんの言葉に従い、その場に跪いた。でも、目の前には誰もいない。エイスケたちも、怪訝な顔でキョロキョロとあちこちを見ている。
幽鬼の長だから、もしかしたら目に見えないのかな?
僕がそう思った時、突然柱が動き始めた。次の瞬間、素早く身構えた僕たちの頭上から、雷鳴のような声が降り注いできた。
「よくぞ参られた。わしはこの里の長。餓者髑髏の匡骨と申す。」
黒い瘴気に覆われた空を割って姿を現したのは、巨大な髑髏だった。さっきまで、ここにあったあの白い柱は、匡骨さんの指の骨だったのだ。
「此度の『嫁盗り』のことは、我が家臣より聞き及んでおる。そなたたちの力量、わし自らが試させてもらうぞ。」
天を圧するほどの声が響くたび、凄まじい邪気が僕たちに降り注ぐ。
「(おいおい! こんなのに勝てるわけねえぞ!)」
エイスケが顔を真っ青にしながら、小声でぼやく。僕もまったく同感だ。
匡骨さんから感じる邪気は、以前遭遇したあの白龍に、勝るとも劣らなかった。到底、生身で勝てるような相手とは思えない。
「大丈夫だよ! どんな相手だって、あたしたちなら絶対に負けない!!」
マリさんはそう言うと、さっと前に躍り出て、匡骨さんに向かって声を上げた。
「さあ、どっからでも、かかってこい!」
その姿を見た匡骨さんは、巨大な手をぐっと振り上げた。
「その意気や良し。では、早速試してやろう。そなたたちの力量、穂津媛殿を受け入れるに相応しい知恵を持っているかどうかをな。」
「望むとこ・・えっ、知恵!?」
「その通り。わしの問いに答えてみせよ。その答えによって、そなたたちの知恵をはからせてもらう。問いは五つ。答えるのは一つの問いにつき、一人のみだ。早速、お主から答えるのか?」
「え、あの、ちょ・・・しゅ、主役は最後に、決まってんだろう!」
マリさんは高らかにそう宣言すると、大急ぎで僕たちのところに戻ってきた。
「何やってんだ、この馬鹿猫! まともに行って勝てるわけ無いだろうが!!」
「だって、あたしがやるしかないって思ったんだもん! だけど、あいつが急にクイズとか言い出すからさ! ねえ、どうしよう、マルちゃん!」
エイスケに叱りつけられたマリさんは、涙目で彼に泣きついた。
「どうしようも、こうしようもねえだろ。とにかくやるしかねえんだから。それに、正面からやり合うよりは、勝算があるかもしれねえぞ?」
「あたしは、殴り合いのほうが良かったんだけど・・・。」
マリさんはすっかり意気消沈してしまった。まあ、無理もないけどね。
「さあ、誰から始めるのだ?」
匡骨さんの声が響く。僕たちは互いに顔を見合わせた。
「俺から行く。どんな問題が出されるか分からねえから、まずは様子見だ。」
エイスケは自分からそう言うと、匡骨さんの前に進み出た。
「俺が答える。」
「よいだろう。ではそなたに問う。人の世において、使えば使うほど、増えるものとは何か?」
問いかけられたエイスケはじっと考え始めた。そして、その後ろでは、マリさんとウズメさんがヒソヒソと話し始めた。
「(えっ、なんだろう? ウズメちゃん、分かる?)」
「(うーん、なんですかねえ・・・消しゴムのカスとか?)」
「(きっと、それじゃん! ウズメちゃん、天才!)」
「(それ、形が変わってるだけだろうが! ちなみに『借金』とかでも、ねえからな! ちょっと静かにしててくれ!)」
嬉しそうに声を上げたマリさんに、エイスケがツッコミを入れた。
今エイスケが言ったように、これは色々と当てはまりそうな答えがある問題だ。正解を出すというよりは、どんな答えを返すかが重要なのだろう。だから、彼はあんなに悩んでいるんだと思う。
二人が静かになってしばらく後、エイスケはようやく顔を上げた。
「答えは、人の心だ。」
「ほう、その理由は?」
「善意は善意を、悪意は悪意を呼ぶ。いくら使っても決して減ることがねえ。」
匡骨さんはしばらく黙ってエイスケを見下ろしていたけれど、やがてゆっくりと口を開いた。
「・・・なるほど、よいだろう。合格としよう。」
小さく頷いて、エイスケは僕たちのところに戻ってきた。
「すごいじゃん、さすがマルちゃん!」
「まあな。冷汗かいたが、まあ、こんなもんだ。」
エイスケはニヤリと笑ってみせた。でも、その言葉とは裏腹に、彼の手はまだ小さく震えていた。
「きっと、次もこんな感じの問題だろう。あんまり考え込まずに、直感で答えろ。いいな?」
「うん、分かった!」
マリさんが元気よく頷くのを見て、エイスケは小さく息を吐いた。
「次は僕が行くよ。」
僕はそう言って、匡骨さんの前に出た。
「問題をお願いします。」
「では、そなたに問う。常に人と共にあって、人よりも多くあるものとは何か?」
「・・・悩み、だと思います。人は生きている限り、決して思い悩まずにはいられませんから。」
「よいだろう。合格だ。」
僕の次はウズメさんの番だった。彼女に向けられた問いは、「人の世のすべての女が望むものはなんだ?」というものだった。ウズメさんは僕をちらりと振り返った後、答えた。
「思いを寄せることです。なぜなら女の本性は陰だからです。」
「合一すなわち真なりか。少々、理が勝ちすぎているが、よいだろう。合格としよう。」
ウズメさんは顔を赤くして戻ってきた。その次はテイジだった。
「始まりにして終わり。これは何か?」
そう聞かれたテイジは、何も答えず、ただ黙って匡骨さんを見つめていた。僕たちがハラハラして、なにかしたほうがいいかと思い始めた頃、匡骨さんが、テイジに言った。
「うむ、合格だ。無から生じ、無へと帰る。まことに、見事なり。」
テイジはペコリと頭を下げて、戻ってきた。冷や汗いっぱいの僕たちに対して、まったく慌てた様子もない。
彼は、本当に答えが分かった上で黙っていたのかな? それとも、分からないから黙っていただけなのだろうか?
彼の様子から、それを読み取ることはできなかった。
最後はいよいよマリさんの番だ。
「おい阿久猫! 大丈夫か?」
「うん! 任せてて!」
元気よく飛び出していく彼女を、エイスケが不安そうに見つめる。
「おかしな答えを返さなきゃいいが・・・。」
「大丈夫、だと思うけど・・・。」
祈るような気持ちで見つめる僕たちの前で、匡骨さんはマリさんにこう言った。
「先程の者は、沈黙で答えを示した。故にわしもそれに倣おう。」
匡骨さんの巨大な右手がマリさんの前に突き出される。その拳はしっかりと握りしめられていた。
「さあ、どうする?」
しばらく考えた後、マリさんは何か閃いたような顔をして、元気よく右手を突き上げた。その手は大きく開かれている。
「どうだ!!」
「いや、ジャンケンじゃねえから!!!」
マリさんが満面の笑みでそう言ったのを聞いて、エイスケは頭を抱えた。
匡骨さんは無言でマリさんを見つめていた。僕たちは固唾を飲んでその様子を見守った。
「むう、ならばこれはどうか?」
しばらく後、匡骨さんは突き出した拳の人差し指をまっすぐに立てて、天を指さした。
マリさんはぽかんとした顔でそれを見つめた。でもすぐに、両手でピースを作って自分の頬に当て、ニッコリと笑ってみせた。
「これは・・・!! では、これは如何に?」
匡骨さんは右手を広げ、掌を真っ直ぐにマリさんに見せつけた。それを見たマリさんは、嬉しそうに走っていき、「いえーい!」と言いながら、高らかに匡骨さんとハイタッチをした。
「うおおおおおっ!!」
その瞬間、匡骨さんは両手を大きく振り上げた。
「やばい! 逃げろ、阿久猫!!」
エイスケが叫んだけれど、間に合わなかった。巨大な骨の手が、恐ろしい速度で振り下ろされた。逃げ場をなくしたマリさんは、両手で身体を挟み込まれた。
「マリさん!!」
僕たちは慌てて前に飛び出した。その僕たちの頭上で、匡骨さんの雷鳴のような叫びが轟いた。
「何という天稟! 完璧な解答だ! まさに天衣無縫!! ああ、こんなに嬉しいことはない!!」
匡骨さんは、巨大な手で大切な宝物を持つように、そっとマリさんを包みこんでいた。その手の中で、彼女はキョトンとした顔をして座り込んでいる。
驚きで動きを止めた僕たちの側に、匡骨さんはそっとマリさんを下ろしてくれた。
「そなたたちは、文句なしに合格じゃ。異論はありますまいのう、翁殿?」
匡骨さんは、僕たちのやり取りを見ていた翁様に尋ねた。翁様はその問いかけに、大きく頷いた。
「無論じゃな。」
匡骨さんは僕たち、特にマリさんをとても気に入ったようで、自分の手で直接、次の試練の場である妖獣の里近くまで運んでくれた。
僕たちを掌に乗せたまま空を飛び、人気のない場所で降ろした後に、匡骨さんはこう言った。
「ここまでくれば、狐狗狸公殿の里まであと僅か。気をつけていくがいい。そなたたちが試練を成し遂げることを期待しておるからな。」
雷雲を伴い空の彼方へ消えていった匡骨さんを見送った後、僕はそっと翁様に尋ねてみた。
「翁様、匡骨さんの最後の問題、あれ一体どういう意味だったんですか?」
翁様は「ふむ」と頷いた後、僕に説明してくれた。
「最初に匡骨殿は、手で拳を作ったであろう? あれは死を意味しておったのじゃよ。死とは何か。この問いに答えられねば、そなたに死を与えると、匡骨殿は言ったわけじゃな。それに対して、マリ殿は手を開いてみせた。そして花が開くように笑うことで、死は終わりではなく、新たな生の始まりですと答えたわけじゃ。」
「えっと、それじゃあ、一本指で空を指さしたのは?」
「あれは匡骨殿の反論じゃな。この曇天を見よと言ったわけじゃ。天の理は唯一にして絶対。何人も、死にゆく運命からは逃れる事ができぬ。それを司る自分に、何と言うかと尋ねたのじゃな。だが、マリ殿は、両手で指を四本立てることで、その論を否定したのじゃ。万物は四象によって流転する。そしてそれは常に表裏一体。生は死であり、死は生であると答えたわけじゃ。片手でなく、あえて両手を使い、顔の両側に当てたことこそが、その証拠。皮相の事象に囚われず本質を見よと、逆に問いてみせた。誠に見事じゃった。」
「・・・じゃあ、最後のは?」
「あれは本当に、感動的じゃったわい。わしも思わず、うるりと来てしもうたぞい。」
翁様はそう言って目を細めた。
「匡骨殿は、マリ殿の言葉を拒絶してみせた。両手が打ち合わせれば、音を出すことができるじゃろう? だが、片手ではそれは無理じゃ。片手の掌を示すことで、何も生み出せぬ我が身を呪い、死に囚われる悲嘆を示した。じゃが、マリ殿はそれに自分の手を打ち合わせた。他者と重なることで、新たな生を産み出せると示したのじゃよ。あの時、マリ殿は『いえいい』と言っておったじゃろう? あれは『唯盈意』、つまり、互いに向き合い、ただ一心に心を満たせばよいという意味じゃ。死者の妄執を司る餓者髑髏殿に、恐れること無く向き合うことで、マリ殿は匡骨殿の心を震わせたのじゃよ。」
翁様はそう言って、何度も頷いていた。僕は、本当にそうだったのかなと思い、後でこっそりとエイスケに翁様から聞いた話をしてみた。
エイスケはその話を黙って聞いた後、ただ一言、「蒟蒻問答かよ」と呟いたきり、それ以上何も言ってくれなかった。
まあとにかく、こうして2つ目の試練を終えた僕たちは、3つ目の試練に挑むことになったのだった。
妖獣の里を治めるのは狐狗狸公と呼ばれる巨大な鵺だった。
年老いた猿の顔を持ち、虎のような縞模様のある胴体をしたその大妖怪は、綾刀自さんに案内されてやってきた僕たちを見ても、ちらりと片目を開けて「面倒なことだ」と呟いたきり、すぐに眠ってしまった。
「狐狗狸公様は、まだ戦いの傷が癒えていらっしゃらないのです。よって、私があなた方に試練を課しましょう。」
綾刀自さんはそう言って、僕たちに灰色をした薄汚い毛皮の衣を差し出した。
「これは『千疋皮の衣』という、狐狗狸公様の宝具です。ですが、戦いのせいですっかり傷んでしまって。この衣を手入れすることができたら、あなた達を認めましょう。」
綾刀自さんはそう言って、僕たちに手入れのための道具を貸してくれた。
「まずは、この櫛で全体の毛を梳いてください。それが終わったら、この壺の中にある油を塗り、衣を滑らかにします。最後に太陽の光で丸一日干せば仕上がりです。刻限は三日とします。三日目の日没までに終わらなければ、試練は失敗です。がんばってくださいね。」
綾刀自さんはそう言って、僕たちに貸し与えられた広間を出ていってしまった。僕たちは早速作業に取り掛かった。
「新道、あの鬼姫さんがくれたメモにはなんて書いてあるんだ?」
エイスケに尋ねられた僕は、すぐに淀鈴さんから受け取った手紙を取り出した。実は、淀鈴さんはこの試練が行われることをなぜか知っていて、そのための対策を書いておいてくれたのだ。
「えっとね『まずは絶対に衣を床に置いてはならぬ』って書いてあるよ。」
淀鈴さんのメモによると、この千疋皮の衣はなんと1000体分の狼の魂が封じ込められているという。衣の大きさは、それを着たものに応じて変わり、誰であってもピッタリのサイズになるようになっているらしい。
ただし、これを地面に置いてしまうと、ものすごく大きく広がってどうにもならなくなってしまうと、書いてあった。僕たちはメモのアドバイスに従い、エイスケに衣を着せた状態で手入れを始めることにした。
なぜエイスケなのかと言うと、僕たちの中で一番背が低いのが彼だからだ。
「・・・なんかすげえ、臭いんだけどこれ。」
衣を着たエイスケは、なんとも情けない顔でそう言った。
「まあまあ、もうしばらくの辛抱だから。次は笛を吹くんだって。」
僕は横笛を取り出し、エイスケに手渡した。これは淀鈴さんが貸してくれた『微睡みの笛』という鬼神族の宝具の一つ。動物たちを眠らせ、大人しくする効力があるそうだ。
千疋皮の衣は、櫛が大嫌いで、入れようとするとひどく暴れるらしい。しかも、強引に櫛を入れても、1000匹の狼がバラバラに暴れるため、すぐに毛並みが乱れてしまう。そこで、この笛を使って狼達を眠らせてしまおうというわけだ。
エイスケは受け取った笛を口に当てると、メモに書いてあった旋律を演奏し始めた。
「エイスケ、笛うまいね。」
僕がそう言うと、彼は演奏を止め、ニヤリと笑った。
「まあな。実はギターも弾けるんだぜ。じゃあ、このまま狼どもを眠らせちまうから、さっさと頼むぜ。あと、あそこで寝てる馬鹿猫を起こしてくれ。」
振り返ると、マリさんが広間の隅で丸くなり、気持ちよさそうに眠っていた。この笛は獣だけじゃなくて、獣人にも効果があるらしいです。
狼達が眠ったのを確かめた後、僕たちは早速、用意された櫛で毛皮を梳いていった。一櫛入れるごとに、余分な毛が取れ、全体的に滑らかに仕上げることができた。
「次は油だね。『とても危険だから、絶対に素手で触るな』だって。」
淀鈴さんのメモによると、手入れに使うこの油は、火焔草という植物からできているらしい。火焔草は燃え盛る炎の中でしか咲かないという、不思議な植物なのだそうだ。
綾刀自さんから渡された壺を開けると、中には煮えたぎった油がみっちりと入っていた。
「ここは私の出番ですね。」
ウズメさんはそう言うと、呪符を使って式神を呼び出した。空中からポンと飛び出すように現れたのは、赤熱した毛皮を持つ、二足歩行のネズミだった。赤い上着を着たそのネズミは、空中できれいにトンボを切って着地すると、ウズメさんに向かってふわふわのお腹をギュッと張ってみせた。
「姐さん、お久しぶりですね。この火鼠の鉄宗、姐さんの頼みなら、たとえ水の中だって飛び込んでみせますぜ。」
「水の中に飛び込んだら、あなた死んじゃうじゃない。そんなことさせないわ。この油を、あの衣に塗ってほしいの。できるでしょう?」
「!! こ、こりゃあ上物の火焔草の油じゃねえですか。一口味見してもかまわねえですかい?」
「塗り終わってからちょっとだけならね。手早く頼むわよ。」
ウズメさんにそう言われたネズミは、小躍りしながら壺に飛びついた。煮えたぎる油に小さな手を差し込み、器用にすくっては、エイスケの着ている毛皮に万遍無く塗り込んでいく。程なく、汚い灰色だった毛皮は、薄い銀色の光沢を放ち始めた。
「くぅーっ!! こいつはタマラン! 仕事終わりの火焔草は、格別ですぜ!」
塗り終わった後の油を丁寧に舐め取った後、ネズミは還っていった。
翌日の朝、夜明け前から僕たちは、妖獣の里の日当たりの良い丘を目指して出発した。
「じゃあ、マルちゃん。頑張ってね!」
「マジかよ、これじゃあ磔なんだが。まあ、頑張るけどよ。」
広場についた僕たちは、エイスケを物干し竿に括り付け、竿を日の当たる場所に立てた。
「ごめんね、エイスケ。でも、メモにそうしろって書いてあるから・・・。」
僕がそう言うと、エイスケは物干し竿の上で大きなため息を吐いた。
「いや、別に構わねえよ。何やってんだろうって気持ちにはなるけどな。」
僕たちは日が昇るのに合わせてエイスケの位置を少しずつ調整し、衣に太陽の光を浴びせ続けた。
「おいおい、こりゃあすげえぞ!!」
エイスケが驚きの声を上げた。なんと、日が沈むと同時に、衣が金色の光を放ち始めたのだ。すると、ちょうどそこに綾刀自さんが現れた。
「無事に終わったようですね。衣を引き取りに来ました。」
彼女はエイスケから衣を受け取ると、うっとりとした表情で何度もその表面を撫でた。
「見事な仕上がりです。ただこんなに早く仕上がるとは思いませんでしたが。」
彼女はそう言って、ちらりと翁様に目を向けた。
「別に、不正はしておらぬぞ?」
彼女は僕たちと衣を見比べた後、小さく形をすくめてみせた。
「・・・いいでしょう。手を貸すことで、他の里の妨害をしてはならぬという条件はありませんでしたからね。試練は合格です。さあ、遷外境にお帰りなさい。これだけの支援をしたのですから、後はなんとかなるでしょう。」
彼女はそう言って、僕に千疋皮の衣を手渡した。
「あの、これは?」
「あの小賢しい鬼女に乗せられるのは癪ですが、公方にこれ以上のさばられても困りますからね。貸して差し上げます。公方を始末したら、また受け取りに来ますから。せいぜい死なないように頑張ってくださいまし。」
彼女はそう言うと、さっさと踵を返して行ってしまった。
「?? 一体何のことだろうね?」
「はっきりとは分からん。が、桜公方が他の連中から嫌われてるのは確かみたいだな。」
僕の問いかけに、エイスケはぶっきらぼうにそう答えた。僕は貸してもらった衣を身に着けた。金色の衣は着た途端、僕の身体にピッタリと広がり、全身を覆うとそのまま見えなくなった。
「まあ、いいじゃん! あとは桜公方だけなんだし!」
「そうだね! じゃあ、皆でホノカさんを取り返しに行こう!!」
こうして僕たちは三つの試練を勝ち抜いた。そして、最後の試練に挑むべく、桜公方のまつ人妖の里、遷外境へと向かったのだった。
「よお、また会えたな。無事に帰ってきてくれて、本当に嬉しいぜ。」
遷外境で僕たちを出迎えてくれたのは、なんと桜公方その人だった。彼の後ろには完全武装の烏天狗たちがずらりと勢揃いしている。
「このまま僕たちと戦うつもり?」
「まさか。お前らのために特別な舞台を用意してやった。さあ、ついてきな。」
僕たちは桜公方の後に続いて、街に入った。烏天狗たちは僕たちの後ろを遠巻きについて歩いてくる。まるで僕たちが暴れるのを警戒しているみたいだった。
街の中は、以前来た時以上のお祭り騒ぎになっていた。通りの両脇を埋め尽くした妖怪たちは皆、口々に、桜公方へ激励の言葉をかけている。
「おい新道、あれ見てみろよ。」
エイスケが指さしたのは、通りに高々と掲げられたのぼり旗だった。そこには『嫁盗り合戦 大将同士による命がけの一騎打ち』と書かれていた。
「一騎打ちって、つまり・・・。」
「読んで字の如くさ。俺とお前、穂津を賭けて正々堂々、死合おうじゃねえか。」
桜公方は、僕とエイスケの会話を聞いていたらしい。僕の言葉を、遮ってそう言うと、後ろを振り返ってにやりと不敵な笑みを浮かべた。
「さあ、着いたぜ。」
僕たちがやってきたのは、遷外境の大通りが交わる広場だった。広場には木で作った仮の柵が設けられている。
柵の外には、多くの妖怪たちが詰めかけ、まさにすし詰め状態だった。
「ホノカさん!!」
広場の北側、桜公方の城の前に築かれた小さな櫓の上に、ホノカさんが座っていた。彼女は少し不安そうな表情で、僕のことを一心に見つめていた。
でも、桜公方が僕の目の前に立ちふさがったことで、その視線は断ち切られてしまった。
「これが最後の試練だ。俺とお前の一騎打ち。分かりやすくていいだろう?」
桜公方は僕のことを見下ろしながら、ゆっくりと腰の大太刀を抜き払った。
「卑怯だぞ! カナメっちが戦いが苦手って知ってて、こんな試合を組むなんて!! あたしたちにも戦わせろ!!」
マリさんがあげた抗議の声を、公方は嘲笑った。
「なんとでも言え。試練の内容を決めるのはこの俺だ。俺の手で、穂津の未練を断ち切ってやる。俺には、穂津が必要なんだ。」
「お前が必要としているのは、ホノカさんじゃない。お前が欲しいのは彼女の知恵と力のみ。彼女をこの国を支配するため道具にしたいだけじゃないか!」
僕の言葉で、桜公方の雰囲気がガラリと変わった。怒りを無理やり抑え込むような静かな口調で、奴は言った。
「そうだ。それの何が悪い。」
公方は大太刀を大きく横に振るった。十分な間合いがあったにも関わらず、凄まじい剣圧が僕に押し寄せてくる。周囲の群衆からは、大きな歓声が上がった。
「お前は試練で他の里の連中を見たはずだ。そいつらと俺たちを比べてどう思う?」
「どうって・・・。」
唐突な質問に戸惑う僕を無視して、奴は話を続けた。
「俺たち人妖は、他の里の連中に比べて弱い。俺自身を含めてな。匡骨や狐狗狸公に会っただろう? 鬼神の里の雷迎童子もそうだ。あの化け物共に比べたら、俺なんぞ雑魚も同然さ。」
奴は、苦い思い出を噛みつぶすかのように歯を食いしばり、きつく拳を握った。
「そんな俺達が平和に暮らせるようになったのは、穂津がいてくれたからだ。俺には、この里の連中には、穂津の知恵と力が必要なんだよ! それを求めて、何が悪い!!」
湧き上がる怒りに任せ、奴は絶叫した。湧き上がる闘気に打たれ、群衆たちが水を打ったように静まり返る。しかし、一瞬の後には、桜公方の名を呼ぶ大歓声へと変わった。
「俺から穂津を、里の平和を奪うと言うなら、俺は絶対にお前を許さない! 魂ごと叩き切って、二度と俺の前に現れないようにしてやるよ!!」
奴はあっという間に、間合いを詰めてきた。銀色の閃きを意識したときにはすでに、僕の身体は袈裟懸けに切られてしまっていた。
「カナメっち!!」「新道!!」
「新道先輩!!」
皆の悲鳴と大歓声が同時に上がる。僕は吹き飛ばされて後方へ倒れた。しかし、確かに断ち切られたはずの僕の身体は、傷一つ付いていなかった。
「ちっ、千疋皮の衣か。厄介な物着てやがった。」
僕が地面に倒れる寸前、金色の光が僕を包み、僕を守ってくれたのだ。素早く起き上がると、足元に小さくなった薄汚い灰色の衣が落ちていた。
「次はねえぞ! 覚悟しろ!!」
奴は再び太刀を構えた。僕は全身に魔力を漲らせた。瞬時に魔力が実体化し、僕の身体を覆う強化外装が形成された。
「な、何だ!? おかしな鎧を着やがって!!」
驚きながらも、公方は僕を斬りつけてきた。途端に、僕の視界内に赤い警告表示と標的が表示される。僕は咄嗟に標的の位置へ左手を掲げた。
公方の太刀と、僕の左手に装着された小盾がぶつかり、激しい金属音が上がる。
僕は強化外装の自動補正によって姿勢を制御することができたが、公方が太刀を弾かれたことで大きく姿勢を崩した。
すると、公方に重なるように緑色の攻撃捕捉が表示された。僕はすぐさま右手を掲げ、奴に光弾を放った。
「くそっ!!」
無理な体勢から強引に身体を動かし、光弾を躱す公方。外れた光弾が、地面に当たったことで、激しい土煙が上がる。
公方は空中に飛び上がると、体勢を立て直して再び斬り掛かってきた。しかし、視界内に表示されている警告表示を先読みしながら動くことで、僕は奴の攻撃をすべて防ぐことができる。
もちろん、これはすべて、強化外装の補助機能によるものだ。近接戦闘経験のない僕に、生身の身体でこんな動きができるはずはない。
でも、それが分からない公方は、かなり焦りを感じているようだった。
「ちくしょう! なんで、当たらねえ!!」
公方の攻撃はますます激しさを増したが、僕はそのすべてを完全に封じていた。
公方の焦りが見え始めたところで、僕は回避の合間にも、奴を攻撃し続けた。命中した光弾はなかったが、公方は少しずつ傷を負い始めた。
攻撃を続けたことで気がついたけれど、どうやら僕の視界内に表示されているこの攻撃捕捉は、たとえ攻撃が外れても、群衆やエイスケたちに光弾が当たらないように調整されているみたいだ。
でも、僕自身の魔力で作り出した強化外装にそんな機能があるはずがないい。まるで戦闘用魔導機に乗って、攻撃支援を受けているような感覚だ。
僕はそこでハッと気がついた。もしかして、ホノカさんが助けてくれているのだろうか。
僕は彼女の姿を確認しようとした。でも流石に、戦いの合間によそ見をするほどのゆとりを、公方は持たせてはくれなかった。
「喰らえ!!」
何度目かの攻撃を躱した後、公方は空中で大きく左手を振るった。途端に視界いっぱいに警告表示が現れる。僕は精一杯の力で、その場から離れた。
しかし、完全に離脱することはできなかった。僕は左半身に大きな衝撃を受けた。
土埃の上がる地面を転がる。立ち上がると同時に、土埃の中から凄まじい勢いで太刀が繰り出された。
躱しきれず、左肩の下あたりを斬りつけられた。焼け付くような痛みと共に、鮮血が吹き出す。
「これで盾は使えねえな!」
公方は更に連続攻撃を仕掛けてきた。左手がうまく動かせないため、完全に防ぐことができず、刃を受けてしまう。
強化外装自体は魔力でできているため、すぐに修復できるが、身体はそうは行かない。霊体なので本当なら傷も負わないはずなのだが、僕の身体からは止めどなく赤い血が流れていた。
「くっ!!」
公方の連続攻撃が終わった隙に間合いを取る。たくさん傷つけられたせいだろう。魔力がかなり失われていた。次に同じ攻撃を食らったら、強化外装を維持できなくなるかもしれない。
僕は警戒して、公方を睨みつけた。でも奴はすぐに攻撃してこなかった。改めて見ると、奴も僕と同じくらい傷ついていた。あの連続攻撃は、奴にとっても捨て身の一撃だったのだろう。
荒い呼吸をしながら、公方は僕に言った。
「まさか、あの距離で、俺の風刃を躱されるとは、思わなかったぜ。」
奴が呼吸を整えている間、僕は同じように胸の奥の魔力をじわじわと高めた。徐々に傷の痛みも引いているが、魔力は底をつきかけている。おそらく、互いに次が最後の攻防になるだろう。
「行くぜ!!」
空中を滑るように、公方が接近してくる。奴は右手だけで太刀を構えていた。左手には空気が歪んで見えるほどの力が集中している。またあの風刃という技を使うつもりなのだろう。
視界すべてが赤い警告表示で埋め尽くされる。どちらに逃げても、さっきと同じような結果になるはずだ。ならば。
僕は右手を真っ直ぐに公方へ向けた。
「避けねえつもりか!! 面白え!!」
僕はギリギリまで動かなかった。そして、公方の左手がわずかに動いたのを認識すると同時に、胸の中に高めていた魔力を解き放った。
「わが敵を阻め!《魔法の盾》!!」
「なにいい!?」
解き放たれた僕の魔力が、詠唱によって、僕の正面を守る魔力の障壁に変わる。この世界でも詠唱魔法が使えるかどうか、一応事前に確かめては置いたものの、かなりの賭けだったことは間違いない。
《魔法の盾》は、ごく初歩的な防御魔法だ。特定の方向の、しかも狭い範囲を守る効果しかない。ただし、初級魔法故に短時間で発動できるという利点があるのだ。
僕が逃げなかったことで、公方は風刃を僕の正面に集中させていた。僕はそこに《魔法の盾》を作り出した。
僕の作り出した《盾》は脆く、公方の風刃によって粉々に砕け散った。僕は防ぎきれなかった風刃によって身体の外側を斬りつけられた。
しかし、公方は僕以上の衝撃を受けていた。防がれた自身の風刃の余波で、奴は大きく体勢を崩した。
「まだだああ!!」
公方はそれでも、強引に太刀を振るい、僕に斬りつけた。しかし、その時にはすでに、僕は最後の攻撃の準備を終えていた。僕はまっすぐに突き出した右手の掌から、残ったすべての魔力を光弾に変えて、奴に撃ち出した。
奴は咄嗟に太刀で光弾を防ごうとした。しかし、光弾は太刀を押し返し、奴の身体に命中した。
僕たちの激突にとって、巨大な土埃が巻き上がる。群衆たちはその光景を、息をするのも忘れて見守った。
やがて土埃が晴れた時、ボロボロになって立っている僕の前に、桜公方が横たわっていた。
奴は息があるようだったけれど、完全に白目をむいて気絶していた。
「勝負あり!!」
翁様の宣言がなされると同時に、その場は凄まじい怒号に包まれた。僕はそれを遠くに聞きながら、ゆっくりと前のめりに倒れ込んだ。
気を失う前、僕が最後に目にした光景は、泣きながらこちらへ駆け寄ってくるエイスケたちの姿だった。
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