73 四つの試練
この幽世のお話は、あと2話で終わる予定です。(希望)
僕たちはぬらりひょんの翁様と一緒に、桜公方の居城へと向かった。
「思ったよりも、ボロボロなんだな。」
立派な城門をくぐると同時に、そう呟いたエイスケの言葉を聞いて、案内役の烏天狗がじろりとこちらを睨む。でも、彼がそう言うのも無理はないと思うくらい、桜公方の城はあちこち傷ついていた。
乱雑に積み重ねた石組みの上に立っているのは、城というよりも巨大な木造の砦だった。砦の壁には、かなり古いと思われる矢傷や焼け焦げなどが至るところについている。
「ほっほっほ。つい数年前まで、この風早国は戦乱に明け暮れておったからなあ。城下町はだいぶきれいになったが、公方もここまでは手が回っておらぬようじゃの。」
翁様の言う通り、さっきまでいた街は道や水路などが整備され、住民たちはとても活気があった。街にいたときにはあまりピンときていなかったけれど、こうやって傷ついた砦を目の当たりにすると、激しい戦いがあったということが実感として伝わってきた。
客間、というか、砦の奥にある会議室のような場に、僕たちは通された。やたらと広いだけで飾り気のない部屋の中央には巨大な円卓がどんと置いてあった。
扉から見て正面に当たる一番奥に、桜公方とホノカさんの席がある。円卓に座っているのは他に、鎧武者姿の幽鬼と和服姿の妖艶な女性、そして巫女装束の鬼娘だった。
僕たちが室内に入っても、修験者装束の桜公方は苦々しい表情でむっつりと黙り込んだままだ。あの大太刀は持っていなかった。きっと、話し合いのじゃまにならないよう、どこかに置いてあるのだろう。
奴の隣に座るホノカさんは、花嫁衣装ではなく、簡素な女官服を身に着けている。怜悧とも言えるその表情からは、大人の女性らしい落ち着きがみてとれた。でも、僕たちがこの部屋に入ってきた時、ほんの一瞬だけ、彼女が心配そうにこっちを見たのを、僕は見逃さなかった。
「公方殿、お招きに応じてやってまいりましたぞ。早速話を聞かせてもらいたいのう。」
案内された席につくなり、翁様は公方に向かってそう話しかけた。すると、奴はじろりと僕を睨んだ後、短く答えた。
「『嫁盗り』をする。そいつと俺でな。」
すると、その言葉を聞いた鬼娘が、間髪入れず言葉を重ね、宣言するように言った。
「公方様はこの国の盟主。『嫁盗り』には各里の代表である我らも、参加させてもらう。」
鬼娘の言葉に小さく頷く鎧武者の幽鬼と、和服姿の女性。僕たちが来るまでの間に、この場にいる人達での話し合いはすでに終わっているようだ。ただ、僕たちは何を言われているのか、さっぱり分からない。
「翁様、『嫁盗り』ってなんですか?」
「この風早国に古くから伝わる習わしでな。嫁となる女性を巡って対立が起きた場合、求婚者同士で争い、決着をつけるやり方のことじゃ。」
それを聞いたマリさんは、呆れて声を上げた。
「はあ? そんなん、やるまでもないじゃん。ホノちゃんは、カナメっちを選ぶに決まってるんだから。」
彼女の言葉を聞いて、僕はすぐにホノカさんへ目を向けた。彼女は助けを求めるように僕の方をちらりと見たけれど、すぐに目を伏せてしまった。
「まあ、そなたたち人間には理解できぬじゃろうのう。」
そう言って、困ったように苦笑する翁様。すると、和服姿の妖艶な女性が口を開き、ゆっくりとした口調で僕たちに語りかけた。
「まさに翁様のおっしゃるとおりです。ここは我ら妖の国。望みがあれば、それに相応しい力があることを示さねばなりません。ましてや、此度の戦の功労者である穂津媛殿を巡る争いなのですから。我らの流儀に叶うやり方でなければ、とうてい民草が納得いたしません。」
女性はそう言った後、僕たちに向かって優雅な仕草で頭を下げた。
「申し遅れましたね。私の名は綾刀自。妖獣の里長、狐狗狸公様の名代を務めさせていただいております。」
綾刀自さんはそう言って、嫣然と微笑んだ。光沢のある美しい着物も相まって、笑っている彼女の様子は、目がくらむほどに美しい。けれど、僕は彼女の笑顔が何となく気味悪いと思ってしまった。
そんな僕の思いを見透かすように、彼女はすっと目を細めて僕を見た後、流れるような仕草で、円卓に座る鎧武者の幽鬼を指し示した。
「こちらにいらっしゃるのが、根の里長の名代、首塚守様です。」
半透明の鎧武者は、無言のままゆっくりと僕の方へ顔を向けた。正面から見た鎧武者の中身はがらんどうで、何も入ってない。ただ、昏い闇があるだけだった。恐ろしい表情の面頬と兜に包まれたその闇の中に、濁った黄色い光が2つ、ぼんやりと輝いている。
「・・・穂津媛殿は渡さぬ。それが我が主の望み。」
地の底から響くような不気味な声が発せられると同時に、生暖かい風が僕らの顔を打つ。その風の中にわずかに漂う死臭を感じ取り、マリさんは不愉快そうに顔を歪めた。
鎧武者の、黄色く輝く瞳の色が一層強くなる。鎧武者が憎しみを込めて、僕を睨んでいるのがはっきりと伝わってきた。思わず目を逸らしてしまわないように、僕は限界まで勇気を振り絞らなくてはならなかった。
「妾も名乗らせてもらおう。」
重い空気を払うように声を上げたのは、巫女装束姿の鬼娘だった。
「妾は淀鈴。鬼神の里長の娘だ。そなたたちの名を聞かせてくれ。」
鬼娘は屈託のない笑顔でそう言った。彼女の姿は、現世でよく見る鬼人族とよく似ている。ただ、彼女から放たれている、凄まじいほどの力の波動は、一般的な鬼人族のそれとは、大きくかけ離れたものだった。
僕たちが順番に名乗ると、彼女は値踏みするような目で僕たちをじっと見つめた後、ニッコリと微笑んだ。
「そなたたちは、穂津媛殿が現世にいた頃からの縁を持っているのだろう? だが先程、綾刀自殿が言った通り、穂津媛殿は、風早国にとってかけがえのないお方。いくら縁があるからとて、そうおいそれと引き渡すことはできぬ。今後、穂津媛殿がどの里に味方するかで、風早国の盟主の座が移り変わることも十分にありえるのだからな。」
彼女がそう言った途端、室内に緊張が走ったのが、はっきりと分かった。特に桜公方は、怒りや敵意を隠そうともせず、他の妖怪たちを睨みつけている。
なるほど。この妖怪たちがホノカさんに執着しているのは、この風早国の盟主争いのためだったのか。ようやく合点がいった僕は、円卓に座っている各里の代表たちをもう一度じっくりと見た。
淀鈴さんは挑発するような目を、他の里の代表たちへ向けていた。不快、沈黙、嘲笑。様々な感情のこもった目線が、他の里の代表たちから、彼女へ向けられる。彼女はその視線を傲然と跳ね返し、僕の方へ向き直った。
「それで此度の『嫁盗り』というわけだ。そなたが勝てば、穂津媛殿はそなたのものだ。媛殿の望み通り、『幽世の門』を我らが協力して開いてやろう。媛殿を現世に連れ帰るが良い。」
僕はホノカさんの方を見た。彼女はとても苦しそうな表情をしていた。なぜかは分からないけど、彼女は迷っているみたいだと、僕は思った。淀鈴さんは話を続けた。
「ただし、負ければ穂津媛殿は風早国のものだ。そなたたちとの縁は切られ、現世の思い出もすべて忘れて、完全に幽世の住民となる。そうなれば、二度と現世に戻ることは叶わぬ。」
僕の隣で、エイスケがゴクリと唾を飲む音が聞こえた。負ければホノカさんを取り返す機会は永遠に失われる。逆に勝てば、彼女の悲願だった幽世の門を開くことができる。まさに正念場だ。
「『嫁盗り』の内容は、我ら四つの里の名代が課す試練に、打ち克つことだ。すべての試練を突破すれば、そなたたちの勝ち。一つでも失敗すれば、その時点でそなたたちの負けとなる。そして、そなたたちを負かした里で、媛殿は今後、暮らしていただくことになるのだ。」
その時、ドンという大きな音が室内に響き渡った。円卓を叩いた桜公方は、さっとその場に立ち上がって叫んだ。
「俺はそれが、我慢ならん! なぜ、穂津をお前たちに渡さねばならぬ! 穂津は俺のものだ!!」
激昂する公方を嘲笑うかのように、綾刀自さんは上品な笑い声を立てた。
「あらあら、さっきまでの話し合いをまた蒸し返すおつもりですか? 100年前に交わした、穂津媛殿と公方殿の約定が果たされた以上、公方殿が媛殿を縛ることはできませんわよ?」
彼女の言葉に、桜公方は怒りを満面に表した。しかし、何も言うこと無く、歯噛みしながらドサリと乱暴に、席へ腰を下ろした。
僕はこれまでのやり取りで、ものすごく怒りを感じていた。結局のところ、この妖怪たちは、自分たちの勢力争いにホノカさんを利用したいだけなのだ。
彼女自身のことを本当に大切に思っているわけじゃない。こんな連中のところから、絶対に彼女を取り戻してやる!
僕がそういう思いで振り返ると、皆も大きく頷き返してくれた。
「話を再開してよいか?」
話を中断された鬼娘の淀鈴さんが、不愉快そうに公方と綾刀自さんを睨みつける。二人は彼女のことを無視して、それぞれ視線を逸らした。彼女は大きくため息を吐いて、すこし肩をすくめてみせた。
「・・・まあ、よい。試練は命を落とす危険もある。今なら止めることもできるぞ。その時はもちろん、そななたちの負けということになるがな。」
ホノカさんが顔を上げて僕たちの方を向いた。彼女は何か声をあげようとしていた。けれど、僕は無言で頭を振ってそれを止めた。
彼女が何を言おうとしてたのかはすぐに分かった。僕たちの命が危険にさらされないよう、この試練に挑戦するのを止めさせようとしたのだろう。彼女が苦しそうな顔をしていたのは、きっと僕たちを止めるべきかどうかで、悩んでいたからに違いない。
でも、僕たちからしてみれば、そんな危険はもちろん承知の上だ。そもそも覚悟がなければ、こんなところにまでやってきていない。彼女がどんなに止めたって、僕は彼女を取り戻すチャンスを諦めるつもりはなかった。
ふと隣を見ると、エイスケやマリさん、それにテイジが、満面の笑みで無言のまま、ファイティングポーズをしていた。皆も僕と同じ気持ちのようだ。
僕は、目を丸くして驚いているホノカさんに大きく頷いてみせた。彼女は泣き笑いの表情で頷き返した後、目元に溜まった涙をそっと指で拭っていた。鬼娘の淀鈴さんは、その様子をなんとも言えない微妙な表情で見つめていた。
「まあ、これで大方のことは分かったろう? 『嫁盗り』の試練はそれぞれの里ですることになる。せいぜい死なないように頑張ることだ。」
淀鈴さんはそう言って、自分の椅子に腰掛けた。すると、エイスケが手を上げて彼女に話しかけた。
「ちょっと待ってくれ。それぞれの里でやるのはいいが、その試練を俺たちが勝ち抜いたかどうかを、誰が判定するんだ? まさか、試練を課した奴が認めなきゃダメっていうんじゃないだろうな。散々、挑んだ挙げ句『やっぱりダメだ』なんて言われちゃ敵わないぜ。」
淀鈴さんは一瞬虚を衝かれたような表情をしていたけれど、すぐに答えを返した。
「確かにそなたの言うことも一理ある。それぞれの里から立会人を出す予定だったが、むしろ完全に中立な者が立会人となったほうがよいだろうな。」
「では、わしが立会人となろう。」
淀鈴さんの提案に対して、すぐに翁様が名乗りを上げてくれた。でも、それに対して桜公方が、すぐさま立ち上がって抗議した。
「待て! 翁様はその者たちの味方ではないのか!?」
大妖怪たちの視線が翁様に集まる。翁様は、高らかにほっほっと笑った。
「わしはあくまで中立じゃよ。此度のことも、誰かさんが約定を違えて、祝言の無理強いなどせんだったら、関わるつもりはなかったわい。」
「ぐっ、し、しかしだなあ・・!」
「見苦しいですわよ、公方様。それとも古来より続く神仙の理を信じられないとおっしゃるおつもりなのでしょうか?」
柔らかいけれど、ピシャリと叩きつけるような綾刀自さんの言葉を聞いて、桜公方はむっつりと黙り込んだ。文字通り、ぐうの音も出ない様子だ。
桜公方が渋々座ったのを見て、淀鈴さんは嬉しそうにパチンと手を打ち合わせた。
「うむ。文句も出ないようだ。これでお開きとしよう。我らは早速、それぞれの里に帰って、試練の準備を始める。そなたたちは定められた刻限までに、それぞれの里まで赴くがよい。」
「試練は順番にあるんですよね。最初はどの里に行けばいいんでしょうか?」
僕の質問に対して、淀鈴さんは不敵な笑みを浮かべた。
「最初の試練は我々、鬼神の里で行う。3日後の夜明けまでに里まで来るがよい。我らの試練は手強いぞ。覚悟しておくがよい。」
彼女はそう言い残して、部屋から出ていった。それに続いて他の大妖怪たちも立ち去っていく。
ホノカさんも、桜公方に連れられて行ってしまった。彼女は最後まで僕たちの方を気にしていたけれど、公方は彼女の視線を遮るようにして、強引に部屋から連れ出してしまった。
僕たちも翁様に伴われ、公方の城を後にした。
「あの天狗野郎! ホノちゃんを自分の物みたいに扱いやがって!! 絶対に許さん!!」
城を出た途端、マリさんが堪りかねたように声を上げた。それを聞きつけた周囲の妖怪たちが、ぎょっとした顔でこちらに視線を向けてくる。
「あのー、目立ちすぎるのもあれなんで、皆さん、もう一度面をつけてもらえませんか?」
ウズメさんの言葉に従い、僕たちは面を被り直した。彼女はすぐに懐から護符を取り出し、僕たちに術をかけ直した。
「ほう、見事なものじゃな。人間の姿が見えなくなったぞい。本物の狐にしか見えん。」
翁様に褒められたウズメさんは、照れ笑いを浮かべた。僕は翁様に深く頭を下げ、お礼を言った。
「翁様、本当に色々ありがとうございました。翁様のおかげで、ホノカさんを助け出す機会を得ることができました。」
僕に合わせて皆がお礼を言うと、翁様はまた、高らかに笑った。
「ほっほっほ。礼には及ばぬよ。わしはただ、歪められた約定と縁を正したのみ。それにあの場で言った通り、わしはあくまで中立の立場じゃ。そなたたちに味方する訳では無いからのう。」
「でも、僕たちの敵ではないんですよね?」
「もちろんじゃとも。」
「じゃあ、それで十分です。どうか僕たちを見守っていてください。」
僕がそう言うと、翁様は愉快そうな笑みを満面に浮かべた。
「本当に欲のないことじゃ。そういうところは穂津媛殿とよく似ておる。そなたと媛殿との間に、強い縁があるのも頷けるのう。」
その後、翁様は僕たちを、狐たちが営んでいる宿に案内してくれた。そして翌日の朝、僕たちは、迎えに来てくれた翁様と一緒に、淀鈴さんが待つ鬼神の里へ向けて旅立ったのだった。
「祝言中止の知らせがあった割には、皆、やけに浮かれてんなあ。」
桜公方の治める街を出たところで、エイスケがそう呟いた。今朝、僕たちが街を出る直前、通りのあちこちに高札が立てられ、桜公方と穂津媛の祝言の中止が知らされたのだ。高札の周りはどこも、集まった人妖たちでいっぱいになっていた。
確かに、知らせを見て動揺した様子の妖怪もいるにはいた。でも意外なことに、大半の妖怪たちは嬉しい知らせを聞いたときのように浮かれ騒いでいた。
自分たちの領主の祝言が中止になったのだから、エイスケの言う通り、もっと騒ぎになるかと思っていた。随分拍子抜けな気がする。僕が歩きながらエイスケとそんな話をしていたら、翁様がその理由を教えてくれた。
「人妖たちは、元々堪え性がなくて、能天気じゃからのう。祝言の代わりに行われる『嫁盗り』に夢中になっておるんじゃろうて。」
妖怪たちは元々、自然の氣が長い年月を経て形になって生まれてくるものがほとんどだ。中でも人妖は、人間の陽の氣から生じたものが多いため、移り気で陽気な性格の者が多いのだそうだ。
ちなみに、人間の陰の氣から生まれたのが、根の里と呼ばれる場所に住む幽鬼や屍霊たちで、逆に頑固で陰気な性格の者が多いらしい。こちらは、現世で遭遇する不死者たちに近いので、何となく理解できる。
「じゃあ翁様、これから会いに行く鬼神たちは、どんな性格なんですか?」
マリさんがそう聞くと、翁様はニコニコして説明をしてくれた。
「鬼たちは元々、天の運気が、人の発する氣と混ざりあって生まれたものがほとんどじゃな。数は少ないが、非常に力が強いのが特徴じゃ。」
翁様によると、鬼神の中には、幸運や厄災といった運命の流れを支配するなど、神に等しい力を持つものもいるそうだ。
「里長の雷迎童子は、雷雲を自在に操り、目にも止まらぬ疾さで天を駆ける強者じゃよ。娘の淀鈴殿も、父親に匹敵する力を持つと聞いておる。一筋縄ではいかぬじゃろう。」
待ち受ける強敵のことを考え、僕はごくっと唾を飲み込んだ。でも、ホノカさんを救うためには、たとえどんな相手であろうと、引くわけには行かない。僕たちは決意を新たに、鬼神の里への旅路を急いだ。
二日ほど険しい山道や荒野を歩き、ようやく鬼神の里に辿り着くことができた。
「逃げること無くよく来たな。試練は明日の夜明けと共に始める。それまではゆっくり休むがいい。」
面を外した僕たちを出迎えてくれた淀鈴さんは、不敵な笑みを浮かべながらそう言った。彼女の体からは、目で見えるほどの闘気が立ち上っている。近づくだけで、体の中の魔力を揺さぶられるほど、その力は強烈なものだった。
翌日の夜明け前、僕たちは指定された試練の場所へと赴いた。鬼神の里の広場に築かれた、闘技場のような場所だった。
僕たちが闘技場に入るとすぐに、淀鈴さんは術を使い、結界で闘技場を閉ざしてしまった。
「これでもう逃げることはできないってことか。」
ぶるりと体を震わせて、エイスケがそう呟くと、それを聞き留めた淀鈴さんが声を掛けてきた。
「もちろん、それもあるが、それ以上に、余計な手出しをされたくないのでな。」
「手出し?」
「まあ、こっちの話よ。さあ、ついて参れ。」
なにか隠している素振りが気になったものの、僕たちは淀鈴さんに案内されて闘技場の中央へと移動した。僕たちと向き合うように仁王立ちになった彼女は、すぐに説明を始めた。
「試練の内容は単純。3日後の日没までに、そなたたちが妾の帯に触れることができたら、そなたたちの勝ちじゃ。分かりやすくてよいであろう?」
「・・・つまり『鬼ごっこ』ってこと?」
マリさんが拍子抜けしたように言うと、淀鈴さんはくっくっと可笑しそうに笑った。
「まあ、そういうことじゃな。ただし、妾はそなたたちに触れることができる。これがどういう意味か、分かるであろう?」
マリさんはたちまち頭を捻って、エイスケの方を振り向いた。
「(ねえマルちゃん、どういうこと?)」
「(本当に馬鹿だな、お前。あの鬼娘が、俺たちにガンガン攻撃を仕掛けてくるってことだよ!)」
「(あっ、そうか。そういうことね!)」
途端にエイスケはげんなりした顔になった。
「(お前、本当に分かってんのか!?)」
「(もちろんだよ! 攻撃してくるってことは、捕まえるチャンスじゃん! あたしが一瞬で終わらせるからね。危ないからカナメっちとマルちゃんは、テイジの後ろに隠れてて。)」
マリさんは僕たちの目をまっすぐに見ながらそう言った。言葉とは裏腹に彼女の目は、真剣そのものだった。きっと差し違えてでも、淀鈴さんを捕まえる気なのだろう。それが分かったからか、エイスケもすぐに心配そうな表情に変わった。
「マリさん、お願いだから無茶だけはしないって約束して。」
僕がそう言うと、マリさんは驚いたように目を丸くした。そして、猫みたいに目を細めて笑った。
「大丈夫。だって、皆で一緒に帰るんだもんね。」
マリさんの言葉に、僕たちは顔を見合わせて頷いた。尖った岩を組み合わせて作られた闘技場の壁の向こうに見える空が段々と白み始める。もうすぐ夜明けだ。
「刻限だ。始めるとしよう。」
悠然と僕たちの前に立っていた淀鈴さんが、ゆっくりとした口調で言った。彼女は武器さえ手にせず、口元に笑みを浮かべたまま、僕たちを眺めている。
油断なく身構えていたマリさんとテイジの体に緊張が走った。僕はエイスケ、ウズメさんと共にテイジの後ろに隠れ、二人を魔法で援護するために魔力を高め始めた。エイスケを挟んだ向こうでは、ウズメさんが式神を呼ぶための呪符を手にしている。
登り始めた白い朝日が闘技場の床に差し込んでくる。その刹那、目の前にいたはずの淀鈴さんの姿が揺らぐように消えた。
「ぐっ!」「こほっ!」
短い悲鳴と共に、マリさんとテイジがゆっくりと倒れていく。お腹を押さえた二人は白目を剝き、完全に意識を無くしていた。
「あまり期待はしておらなんだが、ここまで脆いとは。妾が直接、相手をするまでもなかったかの?」
僕の眼前に、朝日を背にした淀鈴さんが立っていた。影の落ちた顔貌の中で、縦長の虹彩がある目だけが爛々と輝いている。
咄嗟に動こうとした瞬間、僕は激しく後ろに突き飛ばされた。背中から泥だらけの固い岩の床の上に倒れ込んだ衝撃で空気をすべて吐き出してしまう。
でも、今の僕は霊体なのだから、この痛みや苦しみはまやかしだ。僕は頭を軽く振って、すぐに立ち上がった。
「ほう。妾の手掌を正面から受けて立ち上がるとは。そなた、かなり強い魂の力を持っておるようじゃな。」
立ち上がった僕を見て、淀鈴さんは面白そうにそう呟いた。彼女の足元には、エイスケがうつ伏せになって転がっている。彼は全身がぴくぴくと痙攣するように震えていた。生きてはいるが、マリさんやテイジと同じように完全に意識を無くしているようだ。
「ぐえっ、ごぼっ!」
逆光の中で霞む目を凝らす僕の前で、苦しそうな呻き声が響く。声の主はウズメさんだ。彼女は淀鈴さんの左手で喉を掴み上げられていた。
地面から浮き上がった足をバタバタとさせながら、空気を求めて必死に喘いでいる。彼女が苦鳴を上げるほど、淀鈴さんの目の輝きがますます強くなっていく。
「この娘には実体があるな。道理でよい匂いがするわけじゃ。」
淀鈴さんはウズメさんを掴んでいる左手を、自分の顔に近づけた。ウズメさんは顔を真っ赤にし、ヒューヒューと音を立てながら、拘束から逃れようと必死に暴れている。懸命に助けを求める彼女の目を覗き込み、淀鈴さんは嬉しそうに目を細めた。
「人間の娘の生き血は、蜜のように甘いという。このまま縊り殺して、味わってみようかの?」
その言葉と共に、淀鈴さんの左手の親指の爪が鋭く尖っていった。淀鈴さんはウズメさんの白い首筋に、その爪の先をゆっくりと刺し込み始めた。
「新道先輩・・たす・・け・・って・・!!」
苦しみのあまり悲鳴を上げたウズメさんの動きが、ますます激しくなる。彼女が全身で必死にもがいているにもかかわらず、淀鈴さんは彼女の動きを左手一本で完全に封じてしまっていた。彼女の悲鳴を聞いた瞬間、僕の胸の中の魔力が弾けるように湧き上がり、全身を包み込んだ。
「ウズメさんを放せ!!」
魔力で出来た白い大鎧を着た僕は、自分の背丈ほどもある大太刀を振るって淀鈴さんに斬りかかった。しかし、彼女はウズメさんを左手に掴んだまま、ひらりと身を躱した。
「それが公方様の百鬼丸を防いだ太刀と鎧か。面白い。ほれ、この女の命が惜しくば、妾に一太刀浴びせてみせよ。」
淀鈴さんは、まるで人形でも掴んでいるみたいに、ウズメさんの体を高く掲げて揺すってみせた。彼女の手足は完全に力が抜け、だらんと垂れ下がったままだった。
僕は胸から湧き上がる魔力で全身を動かし、自分でも信じられないほどの速度で淀鈴さんに詰め寄った。しかし、淀鈴さんは踊るように跳ね回り、僕の振るう太刀の間合いから、するりするりと逃げて行ってしまう。
「そんな大振りが妾に当たるものか。ほれほれ、どうした。もう仕舞いか?」
早くしないとウズメさんの命が危ない。彼女は僕たちと違い、半実体で幽世に来ているため、この世界での死がそのまま肉体的な死に直結してしまう。焦った僕は、闇雲に魔力を溢れさせ、必死に淀鈴さんを追い続けた。
やがて、淀鈴さんは足を止め、左手で掴んでいたウズメさんの首を放して、彼女を床の上に転がした。ウズメさんは完全に失神している。でも、辛うじて息はあるみたいだ。
僕はこの好機を無駄にするまいと、太刀を構えて彼女に突進した。しかし、僕の太刀が彼女に触れるよりもずっと早く、彼女の手刀によって、僕は太刀を叩き落とされてしまった。あっと思う間もなく、続けて腹部に強烈な痛みと衝撃が走る。あまりの激痛に、僕は体を二つに折ってその場に崩れ落ちた。
「これはとんだ見込み違いだったやも知れぬ。あの媛様の想い人とだいうから期待したが、つまらん。」
吐き捨てるようにそう言った淀鈴さんは、大鎧に包まれた僕の体を片手で掴み上げ、そのまま無造作に放り投げた。十数m投げ飛ばされた僕は、闘技場の岩壁に体をぶつけた。砕け散った岩壁と共に、僕は床に投げ出された。
まやかしの痛みだと分かっているのに、全身が痛くてまったく動けない。激しいめまいと吐き気に襲われ、息をすることもままならなかった。
「結構、力を込めて投げたと思ったが。砕けぬとは、丈夫さだけは本物のようだ。」
彼女は僕の体を蹴って仰向けにし、そのまま喉を踏みつけて固定した。振りかぶった彼女の拳に、凄まじい闘気と妖気が満ちていく。
必死の抵抗を試みたものの、喉を踏みつけている彼女の足はまるで圧し掛かってくる大岩のようで、びくともしなかった。
「雷霆掌!」
短い言葉と共に繰り出された掌底が、僕の体に突き刺さる。黒い稲妻と共に繰り出された一撃は、残された僕の魔力を瞬く間に刈り取った。
僕の体を包んでいた白い大鎧が、空気に溶けるように消えていく。
「命だけは取らないで置いてやる。媛様に恨まれても困るのでな。試練の刻限が来るまで、そこで眠っているがいい。」
暗くなる視界の向こうから、淀鈴さんは僕にその言葉を投げつけた。
このままではホノカさんを永遠に失ってしまう。それだけじゃない。皆の命だって・・・!
僕は全身を貫いた稲妻の痛みに耐え、必死に体を起こそうとした。しかし、そんな思いとは裏腹に僕の魔力は底を付いた。僕は暗い絶望の淵へ、ゆっくりと落ちていった。
読んでくださった方、ありがとうございました。




