72 翁
すごく暑いです。
武器を構えた烏天狗たちは、一斉に襲いかかってきた。
「下がってて、カナメっち!」
そう言って僕の前に飛び出したマリさんが、一瞬にして烏天狗たちの武器を爪で弾き飛ばす。武器を失った彼らは、目にも止まらぬ速さで繰り出された彼女の拳と蹴りによって意識を刈り取られた。
「むん!」
僕の背中側では、テイジが烏天狗たちを圧倒していた。彼の腕が振るわれるたびに、天狗たちの武器が粉々に砕け散る。横薙ぎに放たれた彼の強烈な蹴りによって、烏天狗たちは風に舞う木の葉のように吹き飛ばされてしまった。
「ははあ、化猫と鬼人か? なかなかやるじゃねえか。」
その場を立ち去ろとしていた大天狗、桜公方は足を止め、僕たちの方を振り向いた。
「下がれ。お前たちの手に負える相手じゃなさそうだ。」
桜公方は左手に抱えていたホノカさんを、そっと地面に座らせると、烏天狗たちを下がらせ、僕たちの正面に立った。
「解せねえな。なぜ、人妖のお前たちが俺に歯向かうんだ?」
「あたしは人妖なんかじゃないよ。それに、テイジもね!」
桜公方は一瞬怪訝そうな表情を浮かべたけれど、すぐに息を吐いてニヤリと笑った。
「まあ、何だっていいさ。俺が叩き潰せば、いいだけだ。」
そう言うと桜公方は、腰に佩いた大太刀をゆっくりと抜き払った。その瞬間、周囲の空気が確かにビリっと震えた。
僕らの背後を守ってくれていたウズメさんが、大急ぎで壺型の式神を呼び出し、ツボに手を入れて光り輝く小太刀を取り出した。
「あれは、不味いです。いざとなったら、すぐに術を解除して現世に戻ります。」
震える声でウズメさんが僕たちに呼びかける。テイジとマリさんは、緊張した面持ちで身構えた。
「ほう、俺の妖気を感じ取っても、闘気が衰えねえとは。やっぱりただもんじゃねえな。」
桜公方は目の前のマリさんたちではなく、僕の目をまっすぐに見ながら言った。
「だが、ちょうどいい。これで余計な手間をかけなくて良くなったんだからなあ!!」
桜公方の言葉が終わると同時に、豪風が巻き起こった。僕の視界が突然開ける。目の前を守っていたテイジとマリさんが、両脇に吹き飛ばされたのだと気がついたときにはすでに、桜公方の大太刀が眼前に迫っていた。
僕は咄嗟に右手を前に突き出した。次の瞬間、金属同士が激しくぶつかる甲高い音がして、僕はエイスケ、ウズメさんとともに、後方へ弾き飛ばされた。
激しく地面に叩きつけられ、慌てて立ち上がる。僕の体はいつの間にか、白い大鎧に覆われていた。だが、桜公方の一撃を防いでくれた白い大太刀は、かなり離れた場所まで弾き飛ばされてしまっていた。
僕と一緒に吹き飛ばされたエイスケとウズメさんはピクリともしない。どうやら気を失ってしまっているみたいだ。それを見た桜公方は、酷薄な表情で僕を嘲った。
「俺の『百鬼丸』を退けるか、面白え! だが、これで終わりだ!!」
桜公方は大太刀を大上段に構えると、一気に僕に迫ってきた。僕を守ろうと、マリさんとテイジがこちらに駆け寄ってくるが、到底間に合いそうにない。
僕は思わず目を瞑り、両腕を交差して自分の体を守った。風を斬る音を残して、大太刀が僕に迫る。
「お待ちなさい!!」
絹を裂くような叫びが響いた途端、凶刃がピタリと止まった。
「・・・何のつもりだ、穂津よ。」
叫び声を上げたホノカさんを横目で見ながら、桜公方はさっと上空へ飛び上がった。彼の両脇から放たれたマリさんとテイジの攻撃は虚しく空を切った。
「それ以上、皆を傷つけるなら、私はこの場で命を絶ちます!」
座り込んだホノカさんの手には、懐剣が握られている。彼女はそれを首筋に押し当てたまま、まっすぐに上空の桜公方を睨みつけていた。懐剣の切っ先が触れている彼女の首筋から、薄っすらと赤い筋が伸びていく。
まるで空中に見えない足場があるかのように、桜公方は仁王立ちしたまま、ホノカさんを見下ろした。
「護身用にと持たせておいた懐剣が仇になったか。」
桜公方は大太刀をゆっくりと、腰に収め始めた。ホノカさんはその様子を一心に見つめている。
「ホノちゃん!!」
マリさんの声にホノカさんがハッと後ろを振り返る。しかし、時すでに遅く、彼女は背後から忍び寄っていた烏天狗達によってあっという間に組み伏せられてしまった。烏天狗たちは彼女の手から懐剣を取り上げると、彼女を紐で後ろ手に縛り上げ、彼女の口に布を詰め込んで封じた。
彼女を助けようとした僕たちの前に、桜公方が舞い降りてきた。壁のような巨体が、僕たちの行く手を遮る。奴は大太刀の柄に手をかけたまま、僕たちを嘲るように見下ろした。
「でかしたぞ、お前たち! 俺がこの連中を撫で斬りにするまで、しっかり押さえつけておけよ。」
ホノカさんを取り押さえている烏天狗たちが、複雑な表情で頷く。彼らは自分の腕の下で呻き声を上げて暴れるホノカさんを、なんとも言えない表情で見つめていた。
桜公方は再び大太刀を抜き払い、僕たちに言った。
「今日はまっこと良き日よ。祝言の前に、ようやく厄介な『縁』を断ち切ることができるのだから。これで穂津は俺だけのものになるのだ!」
桜公方は猛然と僕たちに斬り掛かってきた。マリさんとテイジがさっと身構えて奴を迎え撃つ。僕は気を失っているエイスケとウズメさん守るために、やや後ろに下がって、自分の胸の魔力を燃え上がらせた。
「双方、控えい!!」
マリさんの爪と桜公方の大太刀が交差する寸前、その場を揺るがすほどの大音声が響き渡った。ざわざわとした群衆の喧騒が、水を打ったように静まる。
途端に僕の中で高まっていた魔力が、波が引くように消えていく。マリさんとテイジ、それに桜公方も同時に攻撃を止め、その場に立ち尽くした。マリさんはキョトンとした顔で、自分の拳をまじまじと眺めた。
僕は二人に駆け寄った。
「マリさん、大丈夫?」
「うん、平気。でも、なんでだか、急に戦う気がなくなっちゃって・・・。」
彼女は戸惑った表情でそう返事をした。どうやらテイジも同じようだ。
目の前にいる桜公方も腰に太刀を収めた。すると混乱する群衆の中から、立派な着物を纏った一人のおじいさんがゆっくりと現れた。
「ちっ、ぬらりひょんの翁殿。余計なことをしてくださるな。」
苦々しげにそう吐き捨てた桜公方に、そのおじいさんは穏やかに言葉を返した。
「目の前で異界からの客を害されたとあっては、客人神としての立つ瀬がないからのう。」
巨大な頭を持つそのおじいさんは、烏天狗たちに向かってさっと手を振ってみせた。その途端、彼らは押さえつけているホノカさんを解放し、その場に立たせた。
ホノカさんはおじいさんのもとに駆け寄ると、深々と頭を下げた。
「翁様、ありがとうございます。」
「なあに、穂津媛殿には、並々ならぬ借りがあるでなあ。これぐらいはお安い御用よ。」
おじいさんはにこやかな表情でそう言うと、桜公方と僕たちの方を向いた。
「公方殿、風早国をあげての祝宴じゃというのに、肝心の花嫁を泣かせるとは到底見過ごせぬのう。その上、祝宴に駆けつけた異界の客を斬ろうとするなど、言語道断じゃ。」
「翁殿、その者たちは客などではありません。我が手から穂津を奪おうとする盗人です!」
盗人という言葉を聞いたホノカさんが唇を噛んで桜公方を睨みつける。
「!!・・・よくもぬけぬけと。」
しかし、奴は血を吐くようなホノカさんの言葉を無視して、おじいさんに言った。
「祝宴を邪魔する狼藉者を斬るのに、非難される謂れはございませぬ。いかに翁殿であろうと、口出し無用に願いたい。」
桜公方は憎々しげな表情で僕たちを睨んだ。おじいさんは僕たちとホノカさんをじっと見つめた後、ふっと息を吐きながら言った。
「はてさて、花盗人は一体どっちであろうなあ。」
その途端、桜公方の顔面が怒色に染まる。でも、おじいさんはそれを意に介することもなく、飄々と言葉を重ねた。
「ともかく、この者たちはわしが預からせてもらう。文句はあるまい?」
「い、いや、しかし・・・!」
「それに、あの者たちが、そなたと話をしたそうにしておるしなあ。こちらをどうこうする前に、あの者たちをなんとかしたほうが良いのではないかな?」
おじいさんがそう言って指さした方を見た桜公方は、大きく表情を歪めた。奴の視線の先にいたのは、鎧武者姿の幽鬼の一団と和服姿の美しい女性、それに巫女装束を纏った鬼娘だった。
「くそっ、こんなときに・・・!」
桜公方は苦々しげにそう吐き捨てると、烏天狗たちに「行くぞ」と声を掛けて、城の方へと飛び去っていってしまった。
「翁様、ありがとうございます。」
ホノカさんはおじいさんに深々と頭を下げた。ところが、僕たちの方へ駆け寄ってこようとした彼女をおじいさんが手を上げて制した。
「穂津媛殿、今はいけません。」
「で、でも・・・!!」
ホノカさんは一心に僕たちの方を見つめている。悲しそうに表情を歪めた彼女に、おじいさんは静かな口調で語りかけた。
「ここはこの翁に、任せてくだされ。悪いようにはいたしませぬ。」
ホノカさんは何度もおじいさんと僕たちを見つめた。
「ホノカさん、必ず助け出すから。」
僕の言葉にマリさんとテイジも大きく頷く。ホノカさんは両手で口を押さえて、小さく頷いた。
「皆、媛殿を一目見ようと心待ちにしておりますぞ。さあ、お前たち、媛殿を。」
おじいさんがそう言うと、女官服を着た狐たちがホノカさんの周りに集まり、彼女の乱れた髪や化粧を直し始めた。化粧直しを終えた彼女は、女官たちの手を借りて、再び輿へと乗り込んでいった。
「さあ、皆の者! めでたい花嫁行列の再開じゃ! 大いに騒ぐが良い!!」
おじいさんの声が響いた途端、凍りついたように立ち尽くしていた群衆たちが、わっと歓声を上げた。それまで僕たちのことを警戒するように見ていた妖怪達さえ、まるで何もなかったみたいに、行列に夢中になっている。
まもなく、中断されていた行列が再開され、ホノカさんがゆっくりと遠ざかりはじめた。彼女は一心に僕たちを見つめていた。だがやがて、天蓋から掛けられた覆い布に遮られて、その姿を見ることはできなくなった。
僕たちは気絶したエイスケとウズメさんを助け起こした。動転する二人に事情を説明していると、おじいさんが話しかけてきた。
「穂津媛殿に縁のある方々じゃな。わしはこの風早国を守護する神仙の一人、ぬらりひょんの翁と申す。どうぞよしなに。」
おじいさんは穏やかな表情でそう言って、僕たちに小さくお辞儀をした。
ぬらりひょんという名前には聞き覚えがある。たしか1年生の時、呪術関連の授業で教わった。
ぬらりひょんは、妖異の中でも最上位に位置する存在で、客人神と呼ばれる神仙の一種だ。時折ふらりと人間の住居を尋ねてきては、勝手に上がり込んでしまうと言われている。
ぬらりひょんに上がりこまれた家では、なぜか見も知らぬぬらりひょんを最上級の賓客として出迎えてしまうという。ぬらりひょんを饗した家は、その後、大きな幸運、もしくは災難に見舞われると言われている。
桜公方や妖怪たちの対応を見るに、この翁様という人(?)は、風早国でもかなり高位の存在として敬われているようだ。それに、ホノカさんとも親交があるみたい。この人に話を聞くことができたら、色々な事情を知ることができそうだ。
僕は翁様に向かって深く頭を下げた。
「僕は新道カナメっていいます。助けてくださってありがとうございます。僕たちは、ここにいるウズメさんの力を借りて、行方不明になったホノカさんを探しに来たんです。どうかホノカさんのことを教えてください。」
「ああ、そうではないかと思っておった。わしも穂津媛殿から、そなたたちのことを聞かせてもらっておったからな。では、立ち話もなんじゃ。落ち着いて話せる場所に移動するとしよう。ついて来なされ。」
そう言うと翁様は、群衆の間を抜けてさっさと歩き始めた。翁様の行く先の人混みが、ひとりでに開いて行く。僕たちは置いていかれないように、慌てて翁様を追いかけた。
翁様は通りから少し離れた、立派な構えの建物に入っていった。店の様子からすると、どうやらここは料亭のようだ。飾られている調度品などを見ても、かなり高級な店だと思われた。
出迎えに来た和服姿の化狸は、翁様を見て一瞬怪訝な表情を浮かべたけれど、すぐに笑顔になって丁重に頭を下げた。
「おかえりなさいませ、旦那様。こちらは旦那様のお客様方でいらっしゃいますか?」
僕たちの方を手で指し示しながらそう言った化狸に、翁様は小さく頷いた。
「ああ、奥の座敷を使うぞ。もてなしの用意はいらぬ。他の者を近寄らせぬようにしておいてくれ。」
「かしこまりました。では皆様方、お入りください。」
そう言うと、化狸は座敷を用意すると言って店の奥に消えていった。僕たちは翁様の後をついて、長い廊下を歩き、立派な虎の絵が書かれた襖を開いて、小さな座敷に入った。僕たちが座敷に入る時、絵の中の虎はきょろきょろとその大きな瞳を動かして、僕たちのことを見ていた。
きれいに整えられた座卓の上座に翁様が座る。僕たちも思い思いの場所に腰を下ろした。
「本当なら酒でも振る舞いたいところじゃが、そなたたちは現世の者のようじゃし、用意せなんだ。それで良かったじゃろう?」
ニコニコと笑いながらそう言った翁様に、僕たちは頭をさげた。
「心遣いありがとうございます。それで、ホノカさん・・・穂津媛のことについてお聞きしたいのですが・・・。」
翁様はゆっくりと頷いた。
「穂津媛殿がこの風早国にやってきたのは、今からおよそ200年前。わしと媛殿が出会ったのもちょうどその頃じゃな。」
「200年!?」
僕たちは驚いて声を上げた。僕が、ホノカさんが行方不明になってからまだ半年足らずだと伝えると、翁様は声を立てて笑った。
「ほっほっほっ、驚くのも無理はない。現世と幽世では、時の歩みがずれることがあるからのう。」
その言葉にウズメさんが大きく頷いた。各地に残る伝承にそういった事例が多くあることは、僕も知っている。
不思議な世界に招かれて数日過ごした後、現世に戻ると数百年が経過していたとか、幽世で一生分の時間を過ごしたはずなのに、現世ではほんの数分しか経っていなかったとかっていう話だ。
翁様は、僕たちが落ち着くのを待ってから、また話を始めた。
「穂津媛殿をこの風早国につれてきたのは、河童たちじゃった。当時この国では、多くの妖たちの食べ物である、人間の氣を手に入れることが難しくなっておってな。弱い者たちは、たびたび現世に渡って、少しでも人間の氣を集めようと必死になっておったのじゃよ。」
人間の氣が手に入らなくなったのは、おそらく八十柱結界の影響だろう。魔獣を寄せ付けない結界の中で人間が生活するようになったことで、妖怪たちは人間に近づくことができなくなったのだ。
結界の力は魔獣や邪霊の力に反比例して作用するようになっているため、強大な力を持つ存在ほど、結界に近づくことはできなくなる。弱い妖怪たちが人間を求めて現世にやってきていたのは、そういう事情があったのかもしれない。
そうやって現世にやってきた河童たちは、熊本湿原で倒れているホノカさんを見つけたらしい。
「河童たちの話によると、見つかった時、媛殿は全身に酷い火傷を負い、すでに瀕死の状態だったそうじゃ。」
ようやく見つけた生きている人間を、むざむざ死なせるのは惜しいと河童たちは考えた。そこで彼らは、ホノカさんをこの国へ連れ帰り、治療を施したのだそうだ。
「もともと河童たちは、霊薬を作るのが得意でな。特に彼奴らの作る軟膏は、人間の傷によく効くのじゃよ。」
河童の霊薬によって一命をとりとめたホノカさんは、そのまましばらく河童たちと暮らしていたそうだ。河童たちはホノカさんのことをとても大切にしてくれていたらしい。
「そりゃあ、やっと手に入れた人間だもんな。連中からすりゃあ、卵を生む鶏みたいなもんだ。」
エイスケが鼻を鳴らしながらそう言うと、翁様はうんうんを何度も頷いた。
「もちろんそれもあるが、それだけではない。媛殿は『器の者』だったのじゃよ。」
「器の者? なんですか、それ?」
「そなたたちは魂の内側にそれぞれ力を持っておるじゃろう? そなたたちが魔力と呼んでおる力のことじゃ。じゃが、媛殿はその力を一切持っておらぬ。それは媛殿が、魂の内側に自然の氣をたっぷりと蓄える特異な才を持つ故じゃ。この才のことを、我らは『仙骨』と呼び、それを持つ人間を『器の者』と言うのじゃよ。」
ホノカさんは一般の人間に比べて、自然の氣を魂の内側にたっぷりと溜め込むことができる特殊な体質だったらしい。彼女が魔力を扱えないのは、魂の内側に自然の氣が常に流れ込んでいる状態だからだそうだ。
「じゃあ、小桜はただの鶏じゃなくて、金の卵を産むガチョウだったってことか。」
エイスケの言葉に、翁様は声を上げて笑った。
「言い得て妙じゃな。まさにその通り。媛殿は飢えに苦しむ河童たちにとって、天の恵みとも呼べる存在だったわけじゃ。やがて媛殿は河童たちに知恵を授け、自衛のための集落を作らせた。他の妖怪たちに襲われることの多かった河童が安心して暮らせるようになったのは、彼女の知恵と力があってこそじゃな。わしが媛殿と出会ったのも、ちょうどその頃じゃった。」
ホノカさんは河童たちから情報を集め、現世に帰る方法を探していたそうだ。その過程で、当時弱い妖怪たちの相談役だった翁様と知り合うことになったという。
「媛殿から事情を聞いたわしは、人の身のままでは黄泉平坂を登ることはできぬと説明した。媛殿はひどく嘆いておったよ。」
翁様は当時の様子を思い出しているのか、じっと目を瞑ったままそう言った。でも、すぐに目を開けると、可笑しそうに笑いながら話を続けた。
「じゃが、媛殿は本当に強い方でなあ。たとえどんなに時間がかかっても、絶対に現世に帰ってみせると、わしに言ったのじゃよ。」
翁様はホノカさんの熱意に打たれ、彼女をサポートしてくれたようだ。河童たちも、自分たちに恵みを齎してくれたホノカさんに恩返しをするため、協力してくれたそうだ。
しかし、その平和は長く続かなかった。翁様は辛そうに目を伏せながら、僕たちにホノカさんが出会った悲劇について話をしてくれた。
「わしも迂闊じゃった。そんな力を持つ媛殿を他の妖怪たちが放っておくわけがなかったのじゃ。」
河童たちの集落は突如、鬼蜘蛛族の襲撃を受けた。ホノカさんの指揮のもと、なんとか鬼蜘蛛族を撃退したものの、集落は壊滅的な被害を被ってしまった。
「知らせを聞いてわしが駆けつけた時、生き残っていたのは僅かな河童のみじゃった。多くの河童たちが、鬼蜘蛛たちに食われてしまったのじゃよ。媛殿は、死んでしまった河童の子を抱きしめ、何度も『ごめんなさい』と言いながら泣いておった。」
翁様は深く息を吐いた後、話を続けた。
「自分がいることでまた争いが起きてしまうと考えた媛殿は、河童たちのもとを離れることにした。河童たちは媛殿の身を案じ、別れを惜しんだが、ついには媛殿を送り出すことにしたのじゃ。わしは争いから媛殿を遠ざけ、媛殿が幽世から脱出できる方法を身に着けられるようにするため、縁のある仙女のもとを訪れた。媛殿は仙女のもとで、およそ百年の間修行をし、神仙の力を得た。穂津媛という名は、師匠である仙女が授けたのじゃよ。」
修行をしながらホノカさんは、人の身のままで現世に戻るための方法を探し続けた。そしてついにそれを見つけることができた。
その方法とは、強力な力を持つ神仙や大妖怪たちの協力によって、現世への扉である『幽世の門』を開くというものだった。
「しかし、時は乱世。当時の風早国は、僅かな氣を巡って、大妖怪たちが覇を競い合っておった。当然、協力して幽世の門を開くことなどできない。そこで、媛殿は風早国を平定し、そのうえで大妖怪たちに協力を仰ごうと考えたのじゃよ。」
「まさか、自分の言うことを聞かせるためだけに、この国を統一しようとしたのか!? そんな馬鹿なこと・・・!!」
エイスケの言葉を聞いた翁様は、思わず苦笑いを浮かべた。
「途方もないことよなあ。じゃが、媛殿は100年かけてそれをやり遂げた。人妖たちの長である大天狗の猿多坊、今は桜公方と名乗っておるあの者に近づき、彼奴を補佐することで、風早国を平定したのじゃ。」
翁様によると、ホノカさんは桜公方に協力を取り付ける際、桜公方を風早国の王とすることができたら、幽世の門を開いてもらうという契約を結んだらしい。
「じゃが、王となった桜公方はその約束を守らなんだ。おおかた、媛殿を手放すのが惜しくなったのじゃろう。天狗の本性は『増長』と『強欲』じゃからなあ。」
ホノカさんは桜公方に弱みを握られているのだと、翁様は話してくれた。それが何なのかは、翁様も知らないそうだ。ただ、契約の代償としてホノカさんが桜公方に差し出したものらしい。
「それじゃ、彼女を救い出すことはできないってことですか?」
僕の問いかけを聞いた翁様は、ゆっくりと首を振った。
「いや、そんなことはない。むしろ、そなたたちにしか、救い出すことはできぬであろうな。」
翁様は、ホノカさんと僕たちの間に、並々ならぬ『縁』があるのだと説明してくれた。
「媛殿はそなたたちの縁によって守られておる。縁がある故、弱みを握っておるにも関わらず、公方は媛殿を好きにできなかったのじゃ。」
愉快そうに笑った後、翁様は僕たちに尋ねた。
「そなたたちは、媛殿から何らかの知らせを受けて、ここにやってきたのではないかな?」
「!! はい、その通りです。」
「やはり、そうか。媛殿は公方が約束を守る気がないと分かったときから、そなたたちとの縁を探るための策を練っておった。もちろん、表立っては公方に邪魔される恐れがある故、秘密裏に進めていたようじゃがな。」
「それであの六枚桜の暗号だったんだ! さっすが、ホノちゃん! あったまいい!!」
マリさんの声に、僕たちは顔を見合わせあって頷きあった。あの暗号は、僕たちに向けた、ホノカさんのSOSだったのだ。
「公方にとって、媛殿は何者にも代えがたい存在じゃ。彼奴は常に媛殿を監視させ、自分を裏切る素振りがないかと警戒しておった。そなたたちへその暗号を送ることは、媛殿にとってかなり危険な行為だったはずじゃ。」
監視の目をかいくぐって、ホノカさんは僕たちに助けを求めた。確実に届く保証もないのに、そんな危険を冒したのは、それだけ彼女が追い詰められていたということなのだろう。
「一歩間違えば、積年の望みが潰えるかもしれぬ。おそらく媛殿自身も、本当に助けが来るとは思っておらなんだかもしれぬな。しかし、そなたたちはここ、風早国へと辿り着いた。これぞまさに、縁の力よ。」
呵々と笑った後、翁様は表情を改めた。
「公方にとって何よりも邪魔なものが、媛殿とそなたたちとの縁なのじゃ。彼奴が媛殿との祝言をあげようとしておるのも、それを断ち切るため。」
桜公方は国を上げての祝言によって、僕たちとホノカさんの間にある縁を上書きしようとしているらしい。
「そんなことはさせません! 僕たちが絶対に止めてみせます!」
僕の言葉に、皆が力強く頷く。ただ、ウズメさんだけは少し微妙な表情をしているような気がする。まあ、彼女は222分隊じゃないし、当然といえば当然かも知れない。
「気持ちはわかるが、そう慌てずとも良い。何もせずとも、向こうの方から話をしに来るはずじゃ。」
翁様はそう言って穏やかに笑った。僕は理由がわからず、翁様に尋ねようとした。でも、僕が何か言う前に、座敷の襖の向こうから、翁様を呼ぶ声が聞こえた。声の主は、僕たちを出迎えてくれた、あの化狸だった。
「旦那様、お話をしたいというお客様がいらっしゃっております。」
翁様は僕たちに向かってニヤリと笑った後、化狸に客を通すように言いつけた。まもなく座敷に表れたのは、山伏装束を纏った烏天狗だった。
烏天狗はじろりと僕たちを睨みつけた後、桜公方からの手紙を翁様に手渡した。手紙を読んだ翁様は「承知した」とだけ答えた。それを聞いた烏天狗は、深々と平伏した後、風のようにその場から消え去った。
僕たちは翁様をじっと見つめた。翁様は手紙を僕たちに差し出しながら、こう言った。
「思った通り、桜公方からの招待状じゃよ。そなたたちを連れて、城まで来いと書いてある。この風早国の主だった里を治める長たちの使いと話し合いを持ちたいそうじゃ。そなたたちは、どうするかの?」
翁様の言葉に、僕たちは顔を見合わせた。何も言わなくても、皆が同じ気持ちなのがすぐに分かった。僕は翁様に言った。
「もちろん、行きます。どんな危険があったって、僕たちは絶対にホノカさんを助け出してみせます。」
それを聞いた翁様は、うんうんと何度も頷いてみせた。こうして僕たちは、桜公方の居城へと乗り込むことになったのだった。
読んでくださった方、ありがとうございました。




