71 風早国 後編
本日2話投稿しています。こちらは後編です。
2日かけて山を越えると、視界が大きく開けた。目の前に広がる平地を取り囲むように、山々が聳え立っている。この広大な盆地が桜公方の治める人妖の里『遷外境』だ。
「鼬のおっさんの言った通りだな。」
エイスケの言葉に皆は小さく頷いた。実は昨日、山越えの道行きでたまたま出会った鼬の商人から、桜公方についての情報を色々と得ることができたのだ。
彼によると、この風早国では、実に千年以上もの間、戦乱が続いていたらしい。
妖怪たちが争う原因となったのは、幽世の急激な人口増加だった。ある時を境に、それまで現世の各地に隠れ住んでいた多くの妖怪が住処を追われ、幽世に大量にやってきたのだ。
さらに深刻な食糧不足。一部の例外を除き、妖怪たちの主食は人間の発する様々な『氣』だ。凶暴な妖怪の中には、氣を目当てに、人間そのものを食べる場合もある。しかし、なぜか急に人間が激減し、氣を得ることが難しくなったらしい。
一概に、強力な妖怪であればあるほど、より多くの『氣』を必要とする。そのため大妖怪たちは、希少な食糧を求めて、相争うようになっていった。これが、その後長く続いた戦乱の発端だった。
そんな中、さほど強くない妖怪たちは、戦乱の被害を避け、自分の身を守るために、大妖怪たちのもとに身を寄せはじめた。大妖怪たちは集まった妖怪たちをまとめて、それぞれの領地を形作り、生存競争のために組織化していった。こうして、風早国は大妖怪たちによって4つの里に分けられることになった。
遷外境はもともと、人妖たちの里だった。人妖は力のない者が多く、元来他の妖怪たちから虐げられる存在だった。人食いをする妖怪から、気まぐれに捕食されることも多かったそうだ。しかし、大変動による食糧不足によって、それが加速した。
人妖たちの長だった桜公方は、この状況をなんとかしようと、人妖の唯一の強みである数の多さを活かし、奮闘した。だが、強大な力を持つ他の大妖怪たちの対抗することは難しかった。遷外境は追い詰められ、滅びの危機に瀕していた。これが100年前の話だ。
そんな時、桜公方が一人の人間の女を連れてきた。穂津媛と呼ばれた彼女は、優れた戦略・戦術を桜公方に授けた。それにより、追い詰められていた遷外境は勢力を取り戻し、やがて他の里を圧倒した。桜公方は、他の大妖怪たちとの講和を結んだ。こうしてついに、長きに渡った戦乱は終わりを告げ、風早国に平和が齎されたという。
穂津媛の知性は戦略にとどまらなかった。彼女は内政においても桜公方を扶け、妖怪たちが穏やかに暮らせる仕組みを次々と作っていった。
「俺の親父が子どもの頃には、こうして一人で旅をするなんて、考えられなかったらしいぜ。これもすべては、公方様と、媛様のおかげだぜ。」
鼬の商人はそう言って、明るく笑った。彼は自分の村で採れた川魚を、遷外境に売りに行った帰りなのだと教えてくれた。
「おめでたい祭りとあって、今、風早国中の妖怪たちが、遷外境の都に集まってるんだ。おかげで、俺の魚も飛ぶように売れちまってさ。たっぷり稼がせてもらったよ。村に戻って新しい魚を仕入れたら、またすぐに戻って来るつもりなんだ。」
彼はそう言って、パンパンに膨らんだ小袋を見せてくれた。小袋の中には、独特の輝きを放つ色とりどりの石が詰まっていた。
「!! これは、魔石!?」
「そうそう。人間の代わりに現れるようになったバケモンどもが、心臓の中に持ってる石さ。俺たち商人は、これを妖貨って呼んでるんだ。」
魔石は一部の妖怪たちにとってはそのまま食糧にもなる貴重なもの。それを使った通貨が使われるようになったことで、経済活動が活発になり、風早国では様々な産業が生まれるようになったという。
この妖貨の使用を積極的に広めたのが、桜公方らしい。妖貨の管理も、桜公方が定めた決まりによって行われているそうだ。
僕たちは盆地に向かって、山を降り始めた。盆地に近づくに連れ、次第に道が広く、歩きやすくなっていく。それに伴って、周りを行く通行人(?)の数も増えていった。
野菜を背負って歩く、驚くほど首の長い若い女性たち。楽しそうにおしゃべりをする彼女たちは、まるで皇国の街角で見かける女学生のようだ。長い首をぐるりと絡めて、互いの顔を覗き込んでいることを除きさえすれば、だけど。
その後ろには、全身毛むくじゃらで、大きな牙のある猿のような生き物が歩いている。彼(?)が手にしているのは、菰で包んだ大きな肉の塊だった。菰の端のほうから、一瞬髪の毛のようなものが見えた気がしたけれど、きっと気のせいだろう。あれが何の肉なのかは、深く考えないほうが良さそうだ。
道を先に進めば進むほど、段々と妖怪たちが増えて、賑やかになっていく。やがて、道を塞ぐ大きな門が見えてきた。
しかし、その門の扉は開け放たれていて、誰もが自由に往来できるようになっている。門の脇には、カラスの顔をした修験者姿の男がぼんやりと立って、あくびを噛み殺していた。
ここは遷外境の関所。本当ならここで、里に立ち入るための検分が行われる。しかし、今は祭りのために、関所は開放されていて、検分は行われていない。このことも、鼬の商人から事前に情報を得ていた。
僕たちは他の旅人に紛れて、何食わぬ顔で関所をくぐった。ふと、カラス顔の衛士が、僕の方にちらりと視線を向けた。
一瞬ドキッとしたけれど、彼はすぐに僕から目を逸らし、横を向くと一つ大きなあくびをして、また前に向き直った。
関所の向こうは宿場町になっていた。
きれいな着物を着た女性が、道行く旅人を宿に勧誘している。彼女に手を取られた化狸の猟師は、デレデレしながら宿に引きづられていった。
彼女は狸の耳元で何事かを囁いている。狸はとろけそうなニヤケ顔で、彼女の愛らしい口元を見つめる。もっとも、彼女の顔には口以外のパーツが一切無いから、そこしか見つめる場所がなかったんだけどね。
道の両側から次々と現れる客引きを避けながら、僕たちは先を急いだ。通りには様々な妖怪たちが溢れている。皆活気があり、とても楽しそうな様子だ。
建物は木造のものがほとんどだった。歴史の教科書で見た、江戸時代の町並みによく似ていると思った。
舗装されていない通りに面した様々な商店には、多くの人が群がっていた。豆腐店の前では、菅笠を被った一つ目小僧が、豆腐の乗った皿を手に持って、お客の相手をしている。
一本足で隻眼巨人の鍛冶屋は、自分の打った刀を買い求めようとする、鎧姿武者姿の狐と、値段の交渉をしていた。
琵琶を背負い、墨染の法服を着た青黒い肌の大男と、冷気をまとった白い着物姿の女性の二人連れが、白ネズミの店主が営む団子屋で買ったみたらし団子を、嬉しそうに頬張っている。
その様子を羨ましそうに見ていた赤いスカートを履いた女の子は、隣を歩いている、見上げるほど背の高い女性に手を引かれていた。
女の子は一瞬、ぐずるような様子を見せたけれど、鍔広の帽子を被った白いワンピース姿の女性が「ぽ」と短く声を出すと、すぐににっこり笑って、一緒に歩き出した。親子連れだろうか?
基本的に和装の人が多いけれど、中にはワンピースやマント、学生服や兵装など、洋装をしている人もチラホラいる。
マリさんは興味津々といった様子であたりの様子を眺めていたけれど、正体がバレる危険があるため、流石に近づいていくことはなかった。
宿場町を抜けて更に2日歩いた。道行く妖怪達はますます増え、道は広く立派になっていった。
小高い丘を越えた先に、立派な建物がひしめき合う都市が見えた。あれが僕たちの目的地、遷外境の都だ。
碁盤のように規則正しく通りと水路が配置された都は、皇国の都である京都によく似ていた。違うところといえば、神社などが一切見当たらないところくらいだ。
都は至るところに提灯や上り、吹き流しが飾られていて、とても華やかだった。道行く妖怪たちもどこか浮足立った雰囲気で、まさに祭りの前という感じだ。
ここまでの妖怪たちとの会話で、祭りのメインイベントである桜公方と穂津媛の祝言が、3日後に行われるという情報を得ている。
僕たちは、浮かれ騒ぐ多くの妖怪たちの間を抜け、桜公方の居城へと続く大通りを目指した。もちろん、穂津媛に会うためだ。
穂津媛は日頃、桜公方の居城に引きこもって、ほとんど姿を見せることはないらしい。
しかし、祭りが行われている間は、花嫁行列のために必ず決まった時間に、姿を見せるという。この行列は毎日、日暮れ直後に行われるそうだ。
日暮れ前になるとこの大通りは、行列を一目見ようとする、多くの見物客でごった返すらしい。そのどさくさに紛れて、穂津媛に会おうというのが僕たちの作戦だった。
夕暮れ少し前、すでに大通りは集まった妖怪たちで、立錐の余地もない状態だった。マリさんとテイジが頑張って道を作ってくれたおかげで、僕たちはなんとか大通りに面した最前列まで出ることができた。
次第に日が落ち、薄闇が広がっていく中、通りを飾る提灯に次々と明かりが灯る。ふわりと踊るように空中へ浮き上がった提灯たちを見て、観客が大きな歓声を上げた。
やがて、公方の城の方から、大きな銅鑼と太鼓の音が響き渡った。それを合図に、観客たちは水を打ったように静まり返った。
一番星が輝く頃、遠くから笛や鈴などの楽の音が聞こえてきた。夕闇が辺りを閉ざしていくにつれ、その音は次第にこちらへと近づいてくる。
「(いよいよお出ましだな。)」
囁く様に言ったエイスケの言葉に、僕は真っ直ぐ前を見たまま、小さく頷いた。
花嫁行列はとても長かった。先触れをする小坊主の妖怪の後を、きれいに着飾った女性の人妖たちが、楽を奏でながらゆっくりと歩いていく。
その後に続くのは、様々な荷物を背負った大きな鬼や獣たち。荷物には、各地の里を治める大妖怪たちの名前が大きく墨書されている。どうやら、今回の祝言のために準備された祝いの品々のようだ。
次に現れたのは、黒い胴丸鎧と刀や槍で武装した烏天狗たち。金覆輪で装飾された鎧を着ている彼らは、桜公方の親衛隊だ。楽の音に合わせ、一糸乱れぬ動きでゆっくりと歩みを進める彼らの威容に、見物人たちは熱い視線を送っていた。
そしていよいよ、僕たちが待ちに待った、穂津媛の輿がやってきた。多くの親衛隊が、厳重に守る豪奢な輿は、六人の屈強な烏天狗たちによって運ばれている。輿には天蓋から薄絹の覆布が下げられているため、中を見ることはできない。
しかし正面の覆いがわずかに開かれており、近づけば輿の中の人の姿を見ることができるようになっていた。
花嫁装束を纏い、金銀の額冠で着飾った穂津媛の姿を見た見物客から、感嘆の溜息が聞こえてきた。
視力に優れたマリさんは、懸命に目を凝らし、徐々に近づいてくる穂津媛の姿を確かめようとしていた。
「ホノちゃん・・・じゃ・・ない?」
彼女は戸惑ったように口を噤んだ。僕は通りを照らす提灯の明かりを頼りにして、必死に輿の中を覗き込んだ。
輿の中にいたのは、20代後半くらいの女性だった。白無垢の花嫁衣装を纏った彼女は、無表情のまま、輿の中でまっすぐに前を向いて座っていた。
提灯の薄明かりが、白粉の塗られた彼女の端正な顔を、柔らかく照らし出す。紅の引かれた唇を固く結んだその冷たい表情は、ホノカさんとは似ても似つかないものだった。
でも、彼女の顔を見た瞬間、僕の体は勝手に動いていた。
「お、おい! 新道っ!!」
エイスケの制止の声が耳に届いたときにはすでに、僕は輿から10m程の位置まで駆け寄っていた。
「そこの狐! 止まれ!!」
輿を守る親衛隊が武器を構えて僕の前に立ち塞がる。僕は狐の面を自ら剥ぎ取ると、声の限りに彼女の名を呼んだ。
「ホノカさん!!!」
その瞬間、冷たい表情をしていた穂津媛が、驚きに大きく顔を歪めた。
烏天狗たちが僕を地面に組み伏せると同時に、穂津媛は背負わされていた重い花嫁衣装を脱ぎ捨て、輿から飛び降りた。
「媛様!?」
「下がりなさい!」
官女装束になった穂津媛が、鋭い口調で親衛隊に命じた。親衛隊は戸惑って動きを止める。見物客たちは、目の前で起きた出来事の成り行きを、固唾を飲んで見守っていた。
「し、しかし、媛様・・・!」
「下がれ、と言ったのです。」
底冷えするような声で、穂津媛は静かに命じた。僕を取り押さえていた烏天狗たちが後ろへ下がると、穂津媛は僕の方へ小走りに近づいてきた。
でも、僕まであと数歩のところで急に足を止めて、両手で口元を抑えた。両目の端に溜まった涙で、目元に施されていた紅がわずかに滲む。彼女の体は小刻みに震えていた。
「ホノカさん。」
僕が静かに名を呼ぶと、彼女は目を見開いた。白く塗られた頬の上を、瞳から零れ落ちた涙が滑っていく。紅の滲んだその涙は、まるで血のように赤く染まっていた。
「ど、どうして・・・!」
彼女は震える声でそう呟いた後、僕の後ろに目をやった。彼女の視線の先には、半仮面を外したエイスケたちがいた。
彼女の端正な顔がくしゃりと歪む。彼女は何かに引かれるように、手を伸ばしながら、僕たちの方へ一歩踏み出した。
でも突然、まるで熱いものに触れたみたいに、ビクリと体を震わせて足を止めると、手を固く握りしめて、唇を強く噛んだ。
僕は咄嗟に、彼女の握りしめた手を包み込むようにして強く握り、自分の方へ引き寄せた。
涙に濡れた瞳が、怯えるように僕を見つめる。小柄だったホノカさんは、僕と同じくらいの背丈になっていた。
「ホノカさん、帰ろう。」
僕がそう言った途端、彼女の表情が大きく変わった。彼女の心のなかで張り詰めていた何かが、ぷつんと切れたのがはっきりと伝わってきた。
彼女の目から、堰を切ったように涙が溢れ始めた。彼女は僕から目を逸らすと、イヤイヤするように小さく頭を振った。
「ダメよ。だって、私はあなたを・・・!」
彼女がその言葉を言い終えないうちに、僕は彼女を強く抱きしめた。
「何も言わなくていい。君がいれば、それでいいんだ。」
こわばっていた彼女の体から、ふっと力が抜けた。僕はより一層、彼女を抱きしめる手に力を込めた。彼女は僕の胸に顔を押し付け、無言のまま小さく頷いた。
周囲の観客たちから、大きなどよめきが上がった。僕は彼女を抱きしめながら、周囲の様子に目を配った。
僕たちの周囲の烏天狗たちは、凍りついたようにその場に立ち竦んでいる。相当混乱しているようだ。
今なら一気に脱出できるかもしれない。僕がそう思った時、マリさんが鋭い警告の叫び声を上げた。
「危ない、ふたりとも!!」
僕は咄嗟にホノカさんを突き飛ばした。同時に素早く後ろに飛び下がる。
その瞬間、僕の前髪をかすめるように、巨大なものが目の前を通り過ぎ、地面に突き刺さった。地面に深々と突き刺さっていたのは、抜身の巨大な太刀だった。
この太刀は、明らかに僕を狙って放たれたものだ。ほんの刹那、遅れていたら、首を落とされていた。まさに間一髪。
はっと空を見上げた僕に向かって、豪風が吹き寄せる。僕は薄目を開けて、素早く身構えた。エイスケたちは観客たちのもとを離れて、僕の背中を守るように駆け寄ってきた。
風が止むと同時に、見上げるほどの偉丈夫が夜空からまっすぐに舞い降りてきた。
彼は地面に刺さった太刀を易々と引き抜くと、それをひょいっと肩に担いで僕を見下ろした。
「この公方様の目の前で、大事な桜に手をかけるたあな。大した花盗人もいたもんだぜ。」
赤ら顔の真ん中に、驚くほど長い鼻を持ったその大天狗は、悠々とした動きで地面に倒れていたホノカさんに近づいた。そして、太刀を握っていない左腕で彼女の腰を軽々と抱えあげると、引きずるようにして彼女を抱き寄せた。
ホノカさんの表情は強張り、瞳からは完全に光が失われている。彼女はまるで糸の切れた操り人形のように、大天狗のなすがままになっていた。
「彼女を離せ!」
そう言った僕を、大天狗は小馬鹿にしたような目でちらりと見た。そして、僕を完全に無視して、周囲の烏天狗たちに目配せを送った。
その瞬間、烏天狗たちは、雷に打たれたみたいに体を震わせ、武器を構えて僕たちを取り囲んだ。
烏天狗たちの刀や槍の鋭い切っ先が、ジリジリと僕たちに迫る。僕は、それを警戒しながらも、目の前の大天狗の顔を、無言で睨み続けた。
読んでくださった方、ありがとうございました。




