70 風早国 前編
本日2話投稿しています。こちらは前編です。
薄暗い洞窟を抜けた先にあったのは、明るい陽の光が差し込む小さな林だった。僕たちがいるのは、その林の中に作られた細い道の上だ。
その道は、まばらに生えた木々の間をくねくねと縫うように、林の外まで続いている。人工的に舗装された道ではない。多くの人が歩いたことによって、自然にできた道だ。
「!! 見て! 洞窟がなくなってる!」
マリさんの叫び声に驚いて振り返ると、今僕たちが出てきたはずの洞窟はどこにもなかった。眼の前にあるのと同じ、細い道が林の奥の方へと続いているだけだった。
「おばあちゃんに聞いたとおりですね。幽世への道は基本、一方通行なんですよ。」
ウズメさんはそう言って、訳知り顔に頷いた。
「え、じゃあ、どうやって戻ればいいの?」
「普通の手段で出るには、幽世の住人たちが使っている、常世への出口を使うしかないですね。でも、人間には簡単には見つけられませんから、事実上、脱出は不可能です。」
幽世に迷い込んだ人間が戻って来られないのは、それが原因なのだと、ウズメさんは説明してくれた。
「でも、安心してください。私たちは『黄泉渡り』の術でここにやってきていますから、術を解除しさえすればいつでも戻れます。」
解除の方法は、彼女が持っている霊魄刀を鞘に収めることだそうだ。なお、霊魄刀を抜き身のまま持ち歩くのは危険なので、式神に預かってもらっているらしい。
それを聞いたエイスケは、僕の方へ一瞬、意味ありげな視線を送った。これで僕たちは、自分の運命を完全に彼女に握られていることになる。もし、彼女が本当に敵勢力の人間だったとしたら、かなり致命的な状況だ。
でも、今のところ、彼女の様子に不審な点は見られない。僕は「油断してないよ」という気持ちを込めて、エイスケに頷きを返した。
先導する彼女の後について、僕たちは林を抜けることになった。林の中は、わずかに鳥や蝉の鳴き声が聞こえるだけで、とても静かだ。
「何だか暑いな。まるで真夏だ。」
暑さの苦手なエイスケは、林の中に差し込む日差しを避けながらそう言った。確かに、エイスケの言う通り、僕も少し蒸し暑いなと感じた。
白くて明るい日差しといい、青々とした植物の色といい、とても12月に差し掛かろうとしている季節とは思えない。
それを聞いたウズメさんは、可笑しそうにクスクスと笑い出した。
「それ、ただの思い込みですよ。今の皆さんは霊体ですから、本当は暑さを感じないはずです。」
彼女が言うには、暑いと感じるのは、周りの風景に心を引きづられてしまっているからだそうだ。
「試しに、自分がいる場所を、涼しい木陰だとイメージしてみてください。」
彼女の言う通りにしてみると、すぐに暑さを感じなくなった。逆に、ひんやりとして過ごしやすい感じがする。
僕がそう言うと、彼女は狐の半仮面の下で、ニッコリと笑った。
「集中力を高めることで、霊体の間は、暑さ寒さはもちろん、痛みや餓え、渇きなんかも感じなくなります。いわゆる『おばけは死なない』状態ですね。」
そこまで言って、彼女は一度言葉を切り、表情を改めた。
「ただ、最初に先輩方が暑さを感じたみたいに、『痛い』とか『お腹が空いた』って思い込んでしまうと、それがダメージになってしまうことがあります。肉体とのつながりが弱くなってしまうので、気をつけてくださいね。」
肉体とのつながりが完全に絶たれてしまうと、術を解除しても、肉体に戻れなくなってしまうそうだ。頭では分かっていても、大きな傷を受けたと思ったら反射的に「痛い!」と思ってしまいそうだ。気をつけよう。
程なく林を抜けた。眼の前には真夏の空が広がっていた。濃い青色の背景に、真っ白い入道雲が大きく湧き上がっている。
その雲の下に見えるのは、美しい里山と田園風景だった。僕たちは小高い丘の上にある小さな林の縁から、眼下の里山をじっくりと観察した。
「この山道は、あの田んぼの畔に続いているみたいだな。先に見えるのは、村か?」
「そうみたいだね。茅葺き屋根の家があるみたい。煙が登ってるから、誰かいるんじゃないかな。なんか、動いているものも見えるし。」
マリさんは長い尻尾をゆらゆらと揺らしながら、エイスケにそう答えた。二人の話を聞いて、僕も集落に目を凝らす。
いつものように義眼の望遠機能を起動させようとして、ハッとする。そうだ。今は、生身なんだっけ。
目を細めて見ると、たしかに木々の間にある家から、細い薄紫色の煙が上っているのが見えた。でも、僕の目ではそれが限界だった。猫人族の血を引くマリさんは、霊体になっても人間以上の視力を持っているようだ。
「あそこまで行ってみよう。ホノカさんの手がかりを持っている人がいるかも知れない。ウズメさん、桜公方はあそこにいるの?」
「いいえ。桜公方はまだずっと先にいるようです。かなり歩かないといけないかもしれませんね。」
冥界蝶を肩に止まらせたまま、彼女はそう答えた。僕たちは里山の集落を目指して、丘を下る道を歩き始めた。
「随分きれいな田んぼだな。一体誰が手入れしてるんだ?」
畔を歩いている時、エイスケが両側に広がる田んぼを見ながらそう呟いた。
彼の言う通り、そこはとても美しい田園だった。山から里山へと流れる小さな川。そこから引かれた水路が、整えられた畔に沿ってどこまでも続いている。
水路の水は澄み渡り、田芹と水草が揺らいでいる。僕は大きく頷いて、彼を振り返った。
「確かにそうだね。すごく丁寧に手入れされている。この田んぼを作った人は、すごいと思うよ。」
「いやあ、それほどでもないけどねえ。そんなに褒められると、オラぁ、照れちまうなあ。」
僕の声に、どこからともなく返事が聞こえた。僕たちは咄嗟に身構え、周囲を見渡した。
「カナメっち!」
感覚の鋭いマリさんが、いち早く異変に気づいて声を上げた。彼女が指し示した畔の一部がムクリと動く。
警戒する僕たちの目の前で、まるで地面から吹き出すように、みるみる泥が持ち上がっていった。マリさんとテイジが前に飛び出し、僕たちを背中にかばった。
テイジの背丈ほどになった泥は、やがて人型へと変化した。
「泥粘体!? いや、泥人形か!?」
エイスケの叫びに、マリさんたちが軽快の色を強める。泥粘体と泥人形、どちらも手強い魔獣だ。武器や強化外装のない状態で、まともに戦える相手ではない。
僕も魔法で援護しようとして、自分の左手に魔晶石の指輪がないことに、やっと気がついた。これではうまく魔力を扱うことができない。
というか、そもそも霊体の状態で、詠唱魔法を使えるのだろうか?
その時、焦る僕に、人型になった泥がのんびりとした声で話しかけてきた。
「オラの田んぼを褒めてくれてありがとな。あんた、狐だね。公方様の都に行くのかね?」
「魔獣がしゃべった!?」
マリさんが素っ頓狂な声を上げたのを聞き留めて、泥男(?)はハハハと笑い声を上げた。
「いやいや、化け猫さんや。オラは『泥田坊』。魔獣なんかと一緒にしてもらっちゃ困るぞい。これでもれっきとした、『田の神』なんじゃからなあ。」
泥田坊という名には僕も聞き覚えがあった。確か、農業に携わる祖霊の集合体で、祭神の一種だったはずだ。1年のはじめに勉強した精霊学の内容だから、少しうろ覚えだけどね。
基本的には田の守り神だけど、田を荒らしたり世話を怠ったりすると、人に祟ることもあると習った気がする。いわゆる『荒魂』ってやつだ。
ただ、精霊がこんな風にはっきりしゃべるなんて、精霊学担当の先生は言っていなかった。
一般的に、精霊と意思疎通ができるのは、巫女や祭司など、特別な資格を持った人だけだと言われている。こんな風にフレンドリーに話しかけてくる精霊なんて、完全に想定外だ。
でも、考えてみればここは幽世。神仙や妖異が住む世界なのだから、これが普通なのかもしれない。
僕はマリさんとテイジの間を抜けて泥田坊さんの前に出ると、深々と頭を下げた。
「泥田坊様、知らぬこととはいえ、大変失礼をしました。」
「いやあ、こりゃあどうも、ご丁寧に。」
恐縮そう言ったところで、泥田坊さんは泥まみれの手をポンと打ち合わせた。
「ははあ、さてはあんた、稲荷様のところの狐だな。稲荷様には、オラたちも、いっつも世話になっとるからなあ。ありがたいこった。」
彼には、僕が狐に見えているみたいだ。素性についても、勝手に勘違いしてくれているみたい。
説明できるなら「違います」と言いたいけれど、今は無理。騙しているみたいで少し申し訳ない。けれど、せっかくなので、僕は泥田坊さんに質問をしてみることにした。
「公方様っていうのは、桜公方様のことですよね?」
「ああ、もちろんだ。風早国で公方様といえば、桜公方様だけだからなあ。」
「公方様の都っていうのは、どの辺りにあるんですか?」
「あの山を越えて、二日ばかり歩いたところだそうだ。オラは田から離れられないから行ったことはないが、村の者が、そう言っとったぞ。大きな祭りじゃと言うて、皆、随分と浮かれておった。」
「祭り? 都では祭りをやっているんですか?」
「なんじゃ? オラは、てっきりあんた方も、祭りに行きなさると思っておったんじゃが、違うのかね?」
「は、はい、そうです。ただ、あんまり祭りを見たことがないものですから。」
僕がしどろもどろにそう言うと、泥田坊さんはうんうんと大きく頷いた。
「そうじゃなあ。ここしばらくは戦乱ばかりで、こんなに大きな祭りは久しぶりじゃ。ちょっと前は、あんたのような、狐狗狸公様の里の者が、公方様のところへ出かけていくなど考えられもせんじゃった。これも公方様が戦乱を鎮めてくださったおかげじゃなあ。」
どうやらこの国では、少し前まで戦争があったようだ。これは、ウズメさんが化狸から聞いた内容と一致している。桜公方は、他の大妖怪たちを下し、この幽世『風早国』を支配していると、化狸は言っていた。
僕は思い切って、もう一歩踏み込んだ質問をしてみることにした。
「桜公方様は人間の女性を連れているそうですね?」
「ああ、知っておるよ。穂津媛様じゃろう? お目にかかったことはないが、大変な知恵者らしいのう。公方様が戦乱を鎮められたのも、媛様のお力添えがあってこそじゃというぞ。村が平和になり、田が荒らされなくなって、オラもお二人には随分感謝しておるんじゃよ。」
頭のいい人間の女性であること、そして穂津媛という名前を聞いて、僕は思わず、後ろにいる皆を振り返った。皆は僕と同じように、期待を込めた目で、大きく頷いた。
でも、泥田坊さんが言った次の言葉で、僕は心臓が凍りつくほどの衝撃を受けることになった。
「何しろ今度の祭りは、戦乱を収めてくださった公方様と媛様の祝言じゃ。お二人が出会ってから百年の節目の年に、なんともめでたい事よなあ。ん・・・どうしたんじゃ?」
泥田坊さんは首を傾げて僕たちをじっと見つめた。でも、僕たちは誰一人として、彼に返事をすることができなかった。
僕たちを心配する泥田坊さんにうわの空で別れを告げ、人気のない村の中を通り過ぎて、細い山道を進んだ。
誰も何も話さなかった。いや、話せなかった。歩いている間中、頭の中では、泥田坊さんの言った言葉がぐるぐると回り続けて、うまくものを考えることができなくなっていた。
やがて、山道のそばを流れる小川の辺に差し掛かった。僕たちは、誰ともなしに、辺に無数にある岩の上で座りこんだ。
「ね、ねえ。なんかの間違いだよ。だって、祝言って結婚ってことでしょ? ホノちゃんが、カナメっち以外の人と結婚なんてするわけ無いじゃん!」
「それに、穂津媛っていう女は、百年以上生きてるらしいじゃねえか。小桜がいなくなったのは、半年前。こりゃあ、どう考えても人違いだろ。」
「うんうん。残念だけど、あたしもそう思う。ねえ、カナメっち。ホノちゃんの手がかりはまた探せばいいじゃん。」
「そ、そうだよなあ、阿久猫! お前、たまにはいいこと言うじゃんか!」
「もう、マルちゃん! たまには、は余計でしょ!」
「ソ、ソウダナー、ハハハ。」
二人は不自然に声のトーンを上げて、笑いあっていたけれど、すぐに黙り込んでしまった。なんとも言えない、重苦しい空気がその場に満ちる。
皆が僕のことを気にかけてくれるのが、痛いほど伝わってきた。僕は、一つ大きく深呼吸すると、自分の顔を両手のひらで思い切り引っ叩いた。
「か、カナメっち!?」
慌てて立ち上がったマリさんを手で押し留めて、僕はその場に立ち上がった。
「心配かけてごめん。もう大丈夫だよ。」
僕は小さく頭を下げ、皆をまっすぐに見ていった。
「僕、穂津媛って人に会ってみようと思う。」
「お前、俺の話聞いてたか? 穂津媛が小桜である可能性はないって言っただろ。それにもし仮に、本当に小桜だったとしたら・・・。」
エイスケは言い淀み、口を噤んだ。彼の言いたいことは分かる。
もし仮に、泥田坊さんの話が真実で、穂津媛がホノカさん本人だった場合、ホノカさんはすでに人間ではなくなっている可能性が高い。
完全に幽世の住人になっている。つまりは、もう死んでしまっているということだ。
さっきからウズメさんが辛そうな様子で顔を俯かせているのも、それが分かっているからだろう。冥界に通じた彼女の力でも、幽世から死人を現世に連れ帰ることは不可能だからだ。
でもその時、僕は予感めいたものを感じていた。
さっきまでは混乱していたせいで、まともに考えることもできなかった。
けれど、皆のおかげで冷静になってみると、今度は穂津媛に会わなくてはいけないと、強く感じるようになっていたのだ。
エイスケの言う通り、何の意味もないかもしれない。でも、今のところ穂津媛は、ホノカさんにつながる唯一の手がかりであることは間違いない。
彼女に会うことで、きっと分かることがある。僕は、皆にそう説明した。
皆は心配そうな様子で僕を見ていた。
「・・・本当にいいのか?」
エイスケが真剣な目で僕に問いかけた。彼女に会うことで、僕は残酷な真実に向き合うことになるかもしれない。きっと、そのことを心配してくれているんだろう。
僕は大きく頷いた。
「もう、決めたんだ。」
僕の言葉に皆が軽く目を見開いた。僕は思わず、くすりと笑ってしまった。
「よし、じゃあ行こう!」
マリさんが声を上げる。僕たちは顔を上げ、目の前に迫る山を見上げた。
小高い峰の麓に広がる深い森の中に、細い山道が続いている。その背景には、青い空と白い入道雲。
細い道はまるで、山に重なり聳え立つあの雲にまで続いているように見えた。草いきれを含んだ風がさっと吹いたのを合図に、僕たちはその細い道を歩き始めた。
森の中の山道は思ったより整備されていて、歩きやすくなっていた。途中、荷物を担いだ化狸の集団や炎を吹き上げながら山道を疾走する巨大な牛車とすれ違ったりしたけれど、特に危険なこともなく、進むことができた。
日が落ちる頃になると、僕たちは野営できる場所を探した。ちょうど森を抜けた辺りで沢を見つけることができたので、そこで夜を明かすことにした。
といっても、僕たちは霊体なので、お腹も空いていないし、喉も乾いていない。なんなら、眠くもなかった。
じゃあ、なんで野営をするのかといえば、それはウズメさんのため。術者である彼女だけは半実体なので、僕たちと違い、休息を取る必要があるからだ。
野営の準備が整うと、彼女は術を使って、自分の式神である猫又の鳴鈴を召喚した。
「あら、あなたこの間の。でも、今日は『混じり物』じゃないのね。こっちのほうが素敵だわ。」
鳴鈴は、僕の周りをゆっくりと歩き回りながら、そう言った。
「鳴鈴。私が休んでいる間、よろしくね。」
「分かってるわ。任せておいて。」
鳴鈴はウズメさんに甘えるように体を寄せた後、すぐに姿を消してしまった。
「鳴鈴が、周囲を警戒してくれていますから、危険な妖怪が接近したらすぐに知らせてくれます。先輩方も少し休んでください。」
「休めって言われても、全然疲れてないんだけど・・・。」
「体の疲れは感じてないと思いますけど、魔力ていうか霊力?は消耗してるはずです。だから、瞑想するといいですよ。では、おやすみなさい!」
彼女はそう言って、沢辺の岩に体を寄りかからせると、座ったまますぐに眠ってしまった。恐ろしく寝入るのが早い。
「・・・なんか、警戒してた俺がアホらしくなるほどの無防備っぷりだな、こいつ。」
ため息交じりにエイスケが言った通り、ウズメさんは幸せそうな顔で寝息を立てている。
「これが演技なら、大した役者だがな。・・・俺たちも寝るか。」
エイスケのボヤキに苦笑し合った後、僕たちも眠りに就くことにした。まあ、本当に眠るわけじゃなくて、瞑想するだけなんだけどね。
座禅を組んで、静かに目を瞑る。瞑想は魔力の鍛錬のために、幼年学校で必ず練習させられる必須科目なので、皇国民なら誰でもできる。
集中するに連れ、沢のせせらぎや虫の声が遠くなっていく。大地と自分のとの境目が曖昧になり、周囲のものと自分の存在が溶け合うことで、逆に自分の意思が明確になっていく。
意思ある無意識。僕は自分の魔力が次第に高まっていくのを感じた。さらに薄く広く、自分の存在を拡散させていく。ふと、山の向こうに意識を向けた時、僕はそちらから、強く引っ張られるような感覚を味わった。
「(カナメくん!)」
僕はハッと目を開き、声の主を探して辺りを見回した。でも、何も見つからなかった。
他の皆は、思い思いの格好で瞑想している。今の声が聞こえたのは、僕だけだったらしい。
僕はその後も瞑想を続けた。夜中に沢の方でシャカシャカという音がしたが、あの声は聞こえなかった。夢だったのだろうか、それとも。
「ふわあ。皆さん、おはようございます。」
夜明け頃に、目を覚ましたウズメさんは、沢の水で顔を洗った。そして鳴鈴にお礼を言って、彼女?を帰らせると、懐から小さな豆のようなものを取り出して、ポリポリとかじり始めた。
「ウズメちゃん、何それ?」
それを目ざとく見つけたマリさんの問いかけに、彼女は手のひらを開いて見せてくれた。
「これ、兵糧丸っていう携帯食です。あんまり美味しくはないんですけど、割りと栄養はあるんですよ。」
マリさんは彼女から一粒兵糧丸を受け取ると、ひょいっと自分の口に放り込んだ。
「・・・確かに苦くて、美味しくはないね。そうだ! 沢には魚がいたよ! あたし、採ってきてあげようか?」
そう言って、長く伸びた爪を閃かせるマリさんを、彼女は笑いながら引き止めた。
「いえ、私は慣れてますから、大丈夫です。それに、幽世のものはあまり口にしないほうがいいので。」
「え、そうなの?」
驚いて声を上げるマリさんに、彼女は小さく頷いた。
「幽世のものを口にしすぎると、だんだん肉体を失って、現世に戻れなくなるらしいです。おばあちゃんがそう言ってました。皆さんは霊体ですから、大丈夫かもですけど、一応気をつけておいてくださいね。」
彼女の言葉を聞いて、エイスケがちらりと僕の方を見た。
「まあ、腹は減らねえからな。大丈夫だと思うが・・・。」
彼は不安そうな様子だった。多分、僕と同じでホノカさんのことを心配しているのだろう。僕は、昨夜声が聞こえた山の向こうの空を、じっと見つめた。
ウズメさんが簡単な身支度を終えたところで、僕たちは沢を出発した。
読んでくださった方、ありがとうございました。




