49 湿原の戦い 前編
先週、投稿できなかった分も投稿しています。こちらは前編です。
夕闇迫る夏の熊本湿原。消えゆく夕日に照らされた高速艇の内部では、エイスケや博士たちによる作戦会議が行われていた。
「博士、連中の様子は?」
「カナメさんの載ってるコンテナ艇は、牽引艇から切り離されて見通しの良い場所に放置されていますね。敵の姿は見えませんが、数人ずつに分かれてきれいに周りを取り囲んでます。予想通り、あからさまな罠ですね。」
笹崎アヤメ教官の問いに対し、カナ博士はくすくす笑いながらそう言った。アヤメは高速艇の簡易卓の周囲にいる生徒たちの顔をゆっくり見回すと、ニヤリと凄みのある笑みを浮かべた。
「相手が待ち構えているのであれば好都合。正面から噛み砕くのみだ。」
その言葉に、すでに戦闘準備を整えたマリが目を輝かせ、耳をピクリと動かした。
「ううー、戦闘だ! ワクワクするー!・・・あ痛っ!」
小さく悲鳴を上げて額を押さえるマリ。浮かれるマリに素早くデコピンを放ったアヤメは、その場にいる全員の顔へ視線を移しながら話し始めた。
「気持ちはわかるが油断はするな。実際に戦ってみて分かったがあの連中、屋外での戦闘には慣れていないようだし、一人一人の力は軍人に遠く及ばない。ただ連携を組んでの対人戦にはかなりの経験があるようだ。地の利や実力差に溺れたら、あっという間に足元を掬われるぞ。分かったか?」
「はーい!」
左手で赤くなった額を押さえたまま、マリが元気よく右手を上げる。アヤメはさらに何か言いかけたが、強化樹脂の窓から見える夕闇空をちらりと見て、その言葉を飲み込んだ。
「まあいい。日が落ちると同時に乗り込むとしよう。今回の奪還作戦の鍵は博士と丸山だ。絶対に二人に敵を近づけさせるな。では、作戦開始!」
アヤメの号令で各員が持ち場へ散っていく。カナ博士は操縦桿を操作し、岩場の陰に慎重に隠した高速艇をゆっくりと浮上させた。
じわじわと夜空を焦がしていた太陽が完全に姿を消した。湿原が濃密な闇に包まれると同時に、牽引艇内の簡易指揮所で索敵を担当していた通信兵が緊張した声を上げた。
「隊長、来ました!」
「予想通りだな。奴らが球体に取り付いたら、すぐにワイヤーを切れ。あの高速艇でコンテナごと奪うつもりだろうが、そうはさせん。」
特殊部隊『長月』隊長の花村は、決意の籠った声で通信兵にそう命じた。
現在、花村たちをここまで運んできた輸送コンテナ艇群は、東側の一部を除いて、正体不明の白い球体を乗せたコンテナをぐるりと取り囲む形で待機させてある。
見通しの良い湿原内に、人工的に作り出した閉所。花村たち『長月』部隊が得意とする都市戦の舞台を模したものだ。
その各所で兵士たちは作戦の開始を待ち受けている。アヤメのゲリラ攻撃によって30%を越えていた部隊損耗率も、強化外装の修復・換装を急がせたことによって、20%弱にまで回復していた。
負傷して待機を余儀なくされてしまった兵士もいるものの、自分たちの地の利を生かせる戦いの場が出来たことで、部隊全体の士気は高まっている。
それは指揮所内にいる、この若い通信兵も同様だった。だが隊長の命令に「はい!」と力強く応じ、兵士たちへの伝令を終えた後、彼は急に声を潜め、恐る恐る隊長に尋ねた。
「隊長、あの丸いの、地面に落として大丈夫ですよね? 爆発したりしませんよね?」
ニキビ跡の残る柔らかい頬をやや引き攣らせながら、若い兵士は上官を振り返った。その目には仲間たちを案じる気持ちが、ありありと表れている。
昨夜は魔獣により三人の死者が出たが、そのうち一人は彼の同僚であり、先輩でもあった通信班の兵士だった。彼の目の縁が赤くなっているのを見て取った花村は、彼の肩へその力強く大きな手をポンと置いた。
「解析の連中が大丈夫と言っている。俺は長月部隊の仕事を信じている。」
花村の言葉を聞いた兵士はハッとした顔をした後、ほんの一瞬だけ顔を歪め、すぐに手元の通信端末を覗き込んだ。彼は小さく洟をすすってから「はい!」と力強く返事をした。花村は彼の肩をぎゅっと強く掴んだ後、ゆっくりとその手を離した。
若い通信兵の背中を見ながら、花村は固く拳を握りしめた。敵の高速艇はすでに輸送艇で作ったバリケード内に侵入しつつある。
罠は承知の上で、それを跳ねのける意志と力があると確信しているということだ。激しい戦いになることは間違いない。
各所へ配置した部下の顔を一人一人思い浮かべながら、胸の奥に広がる不安を魔力で押しつぶすかのように、彼は体内の魔力を徐々に徐々に高め始めたのだった。
ここが入り口ですとばかりに空けられたバリケードの隙間へ高速艇が侵入すると同時に、白い球体を繋いでいたワイヤーが高い音を立てて切断された。支えを無くした球体はゆっくりと動いて、コンテナ艇から柔らかい地面の上へ落下していった。
「(あっ、カナメっち、落っこちちゃった!!)」
部隊通信で響いたマリの声に、エイスケが応える。
「心配すんな、想定内だ。それより、こっちの準備が済むまで時間を稼いでくれ。頼んだぞ!」
「(まっかせといて! 行こう、テイジ!!)」
高速艇のハッチが開くと同時に、マリはテイジと共に湿原へと飛び出し、あらかじめ打ち合わせていた防衛ポイントへ走り出した。それを見たアヤメは小さく息を吐き、苦笑しながらエイスケたちへ目を向けた。
「まったくあいつは目が離せんな。私も出る。博士と丸山を頼みます。」
強化外装に身を包んだアヤメは、頭部外装を小脇に抱えたまま艇内にいる女騎士たちへ小さく頭を下げた。彼女たちは胸に左手を当て、アヤメに答えた。
「はい。団長からも命令を受けています。お二人は私たちの命に代えても、必ず守ります。」
そう言って恭しくお辞儀をする彼女たちの後ろから、カナ博士が笑顔で、その緑色の小さな手を上げた。
「彼女たちは、守りにかけては始まりの大地でも随一と謳われる聖女教の聖堂騎士です。彼女たちがいれば私たちに危険が及ぶことはありません。安心して戦ってきてください。」
カナ博士の言葉に続き、エイスケもアヤメに頭を下げた。
「教官、あの馬鹿猫と鬼野郎をよろしく頼みます。」
「ああ、任せておけ。」
アヤメはエイスケを安心させるように艶然と微笑み、頭部装甲を身に着けるとすぐに高速艇から戦場へを飛び出して行った。
「隊長! 奴らが出てきました!」
通信兵の声に花村は小さく頷いた。戦場は墨を流したような闇に包まれていて、肉眼ではほぼ何も確認することができない。見えるのは敵の高速艇が発するわずかな魔力光に照らされた周囲のみだ。
「いつも通り、誘導して嵌める。陣形を整えさせろ。」
そのタイミングで指揮所へ戻ってきた副官が、牽引艇の小さな窓から暗視双眼鏡で様子を確認しながら花村に話しかけた。
「出てきたのは三人だけですか。どうやら戦闘員のようですね。積み直し作業をしている様子はありませんが・・・いや、奴らの高速艇が!!」
敵兵3名が飛び出した直後、浮上し始めた敵の高速艇が球体の上に静止した。同時に高速艇の底部から4本の機械腕が飛び出し、球体をがっちりと掴んだ。
「なんで高速艇にあんなものが? まさか、この事態を想定して準備してたのか!?」
驚きと困惑の叫びを上げた副官の言葉が終わるよりも早く、花村は命令を下した。
「作戦変更だ! 控えの連中を高速艇へ向かわせろ!」
花村の命令を受け、待機していた後列の兵士たちが一斉に飛び出して高速艇に向かって走り出した。本来なら戦列が狭まってから出るはずだった彼らの手には、高速艇の装甲を破壊できる携行型魔力砲が握られている。
これは戦闘用魔導機の光弾兵器を地上兵員用に改良したものだ。装填弾数少なく射程も短いが、命中すれば十分な効果が期待できる。
だが高火力ゆえに長大な兵器を持った彼らの動きは、緩慢にならざるを得ない。花村は暗視双眼鏡を使い、必死に走る兵士たちの姿を確認した。それの姿を見た彼は、我知らず、きつく奥歯を噛み締めていた。
「博士、隠れてた連中が一斉にこっちに来てるぜ! 奴ら、やばいもん持ってやがる!」
機体点検用のゴーグルで外を見ていたエイスケの声に、カナ博士は爬虫類のような虹彩を持つ目を嬉しそうに細めた。
「フフフ、今更慌てても遅いのですよ。まさか機械腕で持ち上げるとは想定していなかったのでしょう。」
「確かに兵員輸送用の高速艇にこんな機能があるなんて、思わないもんな。普通はコンテナ艇ごと引っ張って逃げると思うだろ。」
窓の外の兵士と博士の様子を交互に見ながらエイスケがそう言うと、カナ博士はますます相好を崩した。
「まあ闇小鬼族の誇る技司、オオグチにかかれば、この程度の改造は朝飯前なのですよ。」
彼女はそう言ってむふーっと鼻息を吐き、その薄い胸を張ってみせた。
「さあ、ここからは華麗なる脱出劇ですよ。浮上したらすぐに出発しますから、エイスケ殿はハッチと降下梯子を操作して、マリさんたちや笹崎殿を収容してください。」
「了解だ! 分かったから早くしてくれ!」
迫りくる兵士を見ながらエイスケが叫ぶようにそう言うと、カナ博士はようやく高速艇の操縦桿に手をかけた。
「では行きますよ! 高速艇、浮上!!」
球体を掴んだ高速艇がゆっくりと浮き上がる。だが2mほど上昇したところで、ガクンという大きな衝撃と共に高速艇は静止してしまった。そのままゆっくりと降下し、球体は再び着地した。
「どうしたんだ!?」
「ど、どうやら計算よりも球体の密度が高かったようです。このままでは出力が足りません。ど、どうしましょう!?」
想定外の事態で動揺しきった博士は、今にも泣きそうな顔でオロオロしている。エイスケはすぐにゴーグルを額に引き上げ、高速艇の操縦端末を覗き込んだ。
操縦桿の奥にあるモニターには、魔導エンジンの過出力を示す警告が表示されている。エイスケは白衣を纏った博士の肩を力強く掴んで、彼女の顔を正面から見つめた。
「魔力炉の術式を書き換えよう。速度を犠牲にして出力を上げるんだ。」
「はっ! そ、そうですね! ではすぐに始めましょう! エイスケ氏は術式の方をお願いします。私は魔力炉そのものの構造を見直しますので!」
博士はそう言うと、すぐに高速艇の後部にある機関部へと走っていった。エイスケは操縦席の端末をメンテナンスモードに切り替えると、キーボードを操作して術式を書き換え始めた。
二人の様子を見た女騎士たちは、白銀の小円盾と鎚矛を手に高速艇を飛び出し、迫りくる兵士たちのもとへ向かった。
目にもとまらぬ速さで端末を操作するエイスケの額にじんわりと汗が滲む。目に入ろうとする汗を瞼で外へと押しやりながら、彼は小さく呟いた。
「こりゃ、思ったより時間がかかりそうだ。阿久猫、鬼留、頼んだぞ・・・。」
「うおおおお!! ばちこーん!!!!」
大きな叫び声と共に繰り出した魔力の鉤爪が目の前の兵士の強化外装を破壊する。衝撃で吹き飛ばされた兵士に小さくガッツポーズして、マリは自分の背中を守るテイジを振り返った。
「楽勝! やっぱりあんまり戦い慣れてないみたいだね!!」
「油断しないでマリちゃん!」
「大丈夫、だいじょーぶ! この暗さで向こうはあたしたちがよく見えてないみたいだし!」
心配そうに声をかけるテイジに、マリは満面の笑みで返事をした。確かに暗闇での戦闘は、獣人族の血が流れ、夜目が効く二人にとって有利に働いている。暗視装置で周囲を確認している人間の兵士たちは、二人の姿を確認するだけでもかなりの集中力を要するはずだ。
それが分かっているからか、彼女の目は爛々と輝き、その瞳は猫の虹彩のように大きく開かれている。彼女の体は戦いの興奮で獣人化が進みつつあった。
マリは昔から、夢中になり過ぎると周りが見えなくなる傾向がある。テイジがそう心配した矢先、マリは標的と見定めた敵が後退するのに合わせて、その場から走り出した。
「あ、こら、逃げるな!!」
「マリちゃん!!」
テイジはマリを止めようとしたが、一歩及ばなかった。彼女は獲物を追うのに夢中になり過ぎていたので、標的が後退した先に潜んでいる別の兵士の存在に気が付かなかった。
絶妙なタイミングで姿を現した伏兵が、マリに向かって手にした小さな球体を投げつけた。訓練されたその鮮やかな手際は、彼女の並外れた反射神経をもってしても躱すことができなかった。
彼女の体に命中した球体は瞬時に拡散し、強化樹脂の繊維で出来た捕獲網を展開させた。魔力に反応する捕獲網は彼女の体に吸い付くように広がり、彼女の手足に絡みついた。
「あわわあ、何だこれ! 取れない!」
マリは絡みついた網を振りほどこうと暴れたが、ますます身動きが取れなくなっただけだった。不自然な形で手足を折りたたんだまま、彼女は湿った地面の上に倒れた。動けなくなった彼女に兵士たちが駆け寄る。
「や、やばい!!!」
マリが声を上げると同時に、彼女の上をすさまじい勢いで金棒が通り過ぎていった。テイジの薙ぎ払いによって、彼女に殺到しようとしていた兵士たちが弾き飛ばされる。テイジは身動きができない彼女の体を片手で掴み上げると、そのまま大きく後方へ放り投げた。
「ふんっ!!」
「ぎゃふっ!! さ、サンキュー、テイジ!!」
受け身を取れないまま、マリの体は柔らかい地面の上で何度かバウンドしてようやく止まった。ふと目を上げるとすぐ側にエイスケと博士の居る高速艇が見えた。
マリが投げ出された直後、エイスケが降下梯子を滑り降りるようにして高速艇から飛び出してきた。ふくよかな頬にゴーグルを食い込ませた彼は、手にした工具で捕獲網を切断しながら、彼女に向かって大声で叫んだ。
「何やってんだこの馬鹿猫! 油断するなって言っただろ!」
「ごめんね、マルちゃん。でもあいつらがちょこちょこ逃げ回るからつい・・・。」
「馬鹿! お前それ、誘導されてんだよ!」
「そうだったの!? ぐぬぬ、許せん!!」
絡まった網の中で右膝と頬をくっつけたまま、マリは怒りの声を上げる。素早く捕獲網を切断し終えたエイスケは、マリの強化外装に包まれた肩を拳でどんと小突いた。
「相手は人間だ。魔獣とは戦い方が違うからな。気を付けろ。」
「サンキュー、マルちゃん! うおおおお、今度は引っかからないよ!!」
マリはそう言うと一人で戦っているテイジのもとへ猛然を走り出した。
「ほんとに分かってんのかよ、あいつ。」
エイスケはそうぼやくように呟くと、高速艇内に戻るため、細い降下梯子を四苦八苦しながら登り始めた。
その頃アヤメは、縦横無尽に戦場を駆け回っていた。彼女の標的は捕獲網や捕獲竿、魔力砲など、厄介なギミックを手にした兵士たちだ。
神出鬼没の彼女の攪乱によって、高速艇に押し寄せる敵の圧力は格段に下げられていた。高速艇はまだ動く気配がないが、マリやテイジ、それに女騎士たちの活躍によって直接攻撃を受けた様子はない。
事前の作戦ではもっとスマートに脱出する予定だったが、こういう作戦においては予定通りに事が進むことの方が稀。なので彼女にとっては、この状況もすでに織り込み済みだ。
アヤメは息を整えるために一度足を止め、高速艇と周囲の様子を確認した。暗視装置頼みなので視界はかなり悪いが、彼女は魔力を薄く周囲に張り巡らせることでそれを補っていた。
「大分数は減らしたが、まだまだだな。さて、もう一回りして・・・。」
そこで言葉を切った彼女は、素早く蜻蛉を切ってその場を離れた。張り巡らせた魔力に僅かに何かが触れた直後に、鋭い一撃が通り過ぎる。間一髪、それを回避したものの完全には躱すことができず、肩部外装の一部が弾け飛んでいった。
「・・・この間ぶりね。」
「お前の相手は俺だ。もう好きに暴れさせはせん。」
鋭い一撃を放ったのは『長月』隊長の花村だった。花村は指揮を副官に任せ、アヤメを追って戦場に出てきていたのだ。彼の手には無骨な形をした長大な魔力刀が握られている。日本刀によく似ているが、通常の日本刀とはその拵えが僅かに異なっていた。
彼の足元には魔力刀の鞘が落ちている。おそらく先程の一撃は、抜刀の鞘滑りを利用したものだったのだろうとアヤメは考えた。音もなく接近し、恐るべき一撃を放ったその技量に、彼女は戦慄を覚えずにはいられなかった。
花村は彼女の目の前で、八相から上段へと構えを変じた。すでに彼の剣の間合いに入っている。
迂闊に引けば斬られる。花村と対峙した彼女は動きを封じられてしまった。その間に、アヤメに倒された兵士たちが、仲間に連れられて撤退していく。隊長の花村自らが出てきたのは、これが目的だったのだろう。
「参る。」
強化外装越しでもはっきりと伝わるほどの猿叫と共に、神速の一太刀が繰り出された。強化外装と魔力によって増強されたその一撃は、来るのが分かっていたアヤメでも紙一重で躱すのが精一杯だった。体勢を立て直した時にはすでに、花村は次の一撃を放つ構えに入っていた。
剣の間合いから逃れることができれば。アヤメは唇を噛んがだ、目の前の強敵がそれを易々と許してくれるはずもない。どうするべきかと悩む彼女だったが、意外なことに花村の方が彼女に声をかけてきた。
「よく躱したな。」
小さな呟き。だがその構えには一筋の乱れも油断もない。
会話が始まったのは想定外だったが、考えてみれば不自然ではなかった。花村にしてみれば、部下たちが態勢を整える間、彼女を足止めするのが目的なのだから、理に適っているのだとアヤメは思い当たった。
一方、彼女にとっては嬉しくない状況だ。こうしている間にも、高速艇が攻撃されるかもしれないからだ。しかし彼を倒す糸口が見つからない。
攻撃しても、格闘で戦うこちらの間合いに入る前に確実に斬られるだろう。かといって後退するのも悪手。相手に対して、より一層大きな隙を作ることになる。
状況を打開するにはあの一撃を躱すか受けるしかないが、どちらにしても賭けでしかない。持っている魔力を振り絞っても、あの一撃を受けきるのはおそらく不可能。躱せても捨て身にならざるを得ない。それでも相打ちになれば御の字と言ったところだ。
困り果てた彼女はついに覚悟を決め、相手が作ってくれたこの状況を利用することにした。
「・・・その動き、薬丸自顕流かしら? まだ使い手が残っていたのね。」
アヤメの意図は、会話することで相手の隙を伺うことだ。当然、相手の返答は期待していない。だが彼女の言葉を聞いた花村は、フルフェイス型の頭部外装の内側で、僅かに目を見開いていた。自分の剣のルーツを知る者に出会ったのは、初めてだったからだ。
自分でも意外と思いながら、花村は彼女の言葉に答えを返していた。
「ガキの頃、隣に住んでた爺さんから教わったんだ。爺さんはただ『野太刀の技』って呼んでたがな。」
その言葉が終らないうちに、花村は動いた。彼の体が一瞬揺らいだように見えた時には、すでに刃がアヤメの眼前に迫っていた。刃が風を切る音が遅れて聞こえるほどの剣速。アヤメは再び体を翻す。脚部装甲の一部を弾き飛ばされ、太ももが露出した。
踏み込んで反撃を加える隙など、微塵もなかった。再び上段に構えた花村を見て、彼女は思わず苦鳴を吐き、唇を噛み締めた。
「くうっ。」
「一の太刀を二度も躱されたのはお前が初めてだ。だが、いつまで続くかな。」
再び対峙する二人。まずい状況が続くことにアヤメは焦った。ただ彼女は思い当たっていなかったが、この状況は互いにとって一番手強い相手を足止め出来ているともいえる。花村にしても、アヤメがいることで自分の隊の指揮を封じられてしまっているのだ。
生徒と部下。それぞれが守るべきものを背負って、今、二人は向き合っている。戦いの喧騒を遠くに聞きながら、互いに譲れない死闘が再び静かに始まろうとしていた。
呼んでくださった方、ありがとうございました。




