47 暴行
※ 文中に性的・暴力的な表現があります。苦手な方はご注意ください。
広大な熊本湿原の北西部。ゆっくりと東の空が白み始める中、遠浅の海に臨む低木地帯をエイスケたちはひた走っていた。
「そっちへ逃げたぞ!」
遥か後方の木陰で追手の兵士たちの声が響く。それに思わず振り返ったエイスケは、複雑に絡み合った低木の根に足を取られ、大きくバランスを崩した。
「マルちゃん、危ない!!」
棘だらけの茂みに頭から飛び込みそうになるエイスケの体を、マリが咄嗟に引き留める。強化外装で武装した彼女は、彼の体をそのまま抱え上げ、自分の肩にひょいと乗せた。
一晩中続いた逃避行で息も絶え絶えのエイスケは、苦しい呼吸の中からようやく一言だけ絞り出した。
「す、すまねえ!!」
「いいから口閉じてて! 舌噛むよ!」
マリとテイジは交互にエイスケを抱えたまま、湿原を駆け回る。だが追手を振り切ることはできなかった。
追いついてきた兵士たちを、やむを得ず撃退した直後、今度は行く手の木陰から別の兵士二人が飛び出してきた。
三人の居場所が捕捉されたことで、広く薄く展開して彼らを捜索していた兵士たちが集まってきているのだ。
「ぐぬぬぬ、キリがない!」
陸戦兵の脚部外装を破壊して行動不能にさせたマリが、荒い息を吐きながら叫ぶ。テイジに守られたエイスケは懐から端末を取り出して、現在位置を確認した。
「くそっ、ポイントまであと1㎞弱なのに・・・!」
笹崎教官が示したポイントはここよりさらに西。海に面した湿地帯の中だった。そんなところに何があるのか、エイスケにはもちろん予想がつかない。マリやテイジも同様だ。だが今は命を懸けて自分たちを逃がしてくれた教官の言葉を信じるしか、彼らに残された術はなかった。
新たに現れた兵士たちがこちらに突進してくる。それを迎撃するべく、マリは鬨の声を上げて走り出した。身を守る力のない生身のエイスケが、戦いに巻き込まれるのを避けるためだ。しかし接敵する直前、別の木陰から破裂音と共に飛来した物体がマリの頭部外装を直撃した。
「きゃあああっ!!」
頭部外装に強い衝撃を受けたマリの体が、大きく跳ね飛ばされる。悲鳴を上げて泥の上に倒れ込んだ彼女は、そのまま動かなくなった。
「阿久猫!!」
「マリ!!」
エイスケとテイジは名を呼びながら彼女に駆け寄った。テイジは金棒を振りかざしながら、倒れたマリの体に手をかけようとしている兵士たちに突進した。だがエイスケとの距離が離れたことで、後方から兵士の接近を許してしまうことになった。
「ぐふぅ!!」
武装化した兵士の拳を腹に受け、エイスケは悶絶してその場に倒れ込んだ。彼の口と鼻から血の混じった胃液が噴き出す。
エイスケの苦悶の声に一瞬動きを止めたテイジに、マリの傍らに立った兵士が呼びかける。
「おっと動くなよ、デカブツ。さもなきゃこの女の顔がぶっ飛ぶぜ?」
その兵士は頭部外装が外され剥き出しになったマリの頭に、巨大な筒状の武器を押し当てていた。
圧縮した風の魔力で強化樹脂弾を撃ちだす対人武器。物理攻撃力が高い代わりに有効射程距離が短いため、魔獣との戦いで使用されることはほとんどない。しかし、それを直接マリの頭に突きつけられたこの状況では、テイジにはもう、どうすることもできなかった。
テイジは手にした金棒をその場に落とし、抵抗する意思のないことを示した。彼らの逃避行は失敗に終わった。
その後、兵士たちは近くにあった小さな林の縁へ三人を連行した。そこでテイジとマリは強化外装を剥ぎ取られ、武装を解除された。
マリの武装を最後に解除するとき、競泳水着のようなデザインをした格闘服を纏うのみになった彼女の体を、腕部外装を外した兵士は素手で無遠慮にまさぐった。後ろ手に拘束された彼女は、無言でその兵士に怒りを込めた目を向けた。
しかし当の男はそれを意にも介さず、むしろその視線を楽しむかのように侮蔑的な冷笑を浮かべただけだった。
やがて、腕を拘束された三人は冷たい泥の上に跪かされた。
「まったく手間かけさせやがって!」
先程までマリの体をまさぐっていた男が大きく腕を振り上げ、エイスケに平手打ちを食らわせた。エイスケはぐらりと姿勢を崩しかけたが、すぐに体を元の位置に戻した。彼はその男を睨みつけながら、鉄の味がする赤い唾をその場にペッと吐き捨てた。
それを見た男は、すぐにエイスケの隊服の襟首を左手で掴んで持ち上げ、片手で締め上げた。エイスケが苦悶の息を漏らす様子を見て、テイジとマリはぐっと奥歯を噛み締めた。するとその時、後方で通信装置を操作していた兵士が、エイスケを締め上げている兵士を鋭い声で叱責した。
「おい、やめろ! まだ裁判前だぞ!!」
通信兵が慌てて男に駆け寄る。だが男は通信兵に対してちらりと一瞥をくれただけだった。
「構うもんか、どうせこいつら処刑されるんだからな。」
男は襟首を締め上げたまま、エイスケに平手打ちをし続けた。たちまちエイスケの両頬が赤く腫れ上がる。
「こいつらのおかげでこんな明け方まで泥の中を走り回らされたんだぞ。まったく、あの女先生が暴れまわらなきゃ、もっと早くに捕まえられたってのに・・・ぐげえあ!!」
潰れたカエルのような声を上げて、男はその場に転倒した。素早く立ち上がったマリが、横ざまに飛び蹴りを食らわせたからだ。
後ろ手に拘束されたまま、マリはエイスケを守るように男の前に立ち塞がった。
「やめろ、この野郎!!」
「くそアマあ!!」
激高する男に対し、体を低くして身構えるマリ。だがその直後、マリを含め拘束された三人は、悲鳴を上げてその場に崩れ落ちた。
「まったくとんでもない娘だ。犯罪者用の拘束呪具を付けられてるのに、まだこんな動きが出来るとは。」
通信兵が呪具を操作する端末を手にしたまま、驚き呆れた様子で呟いた。
この呪具は被拘束者の体内の魔力を阻害し、その動きを制限するだけでなく、端末を操作することで被拘束者に痛みと衝撃を加えることができる。その非人道性から、抵抗の恐れがある犯罪者にしか用いられない特殊な呪具だ。
また、その衝撃の強さは被拘束者の保有魔力量に比例する。強い魔力を持つマリとテイジは、全身を襲う激痛と衝撃でたちまち行動不能になってしまった。
「っ痛ぇ、このメスガキが!!」
その場に崩れ落ちたマリの頭を、転倒させられた男が外装を着けたままの足で蹴り上げた。
「うぐっ!!」
何とか意識を保っていたマリだったが、ついにはその一撃で意識を刈り取られた。彼女の側頭部から血が滲み、彼女の赤みがかった髪をじっとりと湿らせていく。テイジもそれに続くように一撃を受け、意識を失った。
「おい、いい加減にしろ! 命令違反だぞ!!」
呪具の端末を操作した通信兵が、男の肩に強く手をかける。しかし激高した男はその手を乱暴に払いのけた。
「知るかよ! 俺は元々『月有』のお前らなんかと一緒に仕事すんのが、気に食わなかったんだ!!」
その途端、ハッと表情を変える通信兵。それを見た男は、しまったという表情で自分の口を押えた。
「お前、まさか・・・ぐっ!」
しかし通信兵はその言葉を言い終える前に、どさりとその場へ倒れた。
「お前らの甘ちゃん隊長には『抵抗する容疑者を確保しようとして殉職』って報告しといてやるよ。」
通信兵は、対外装魔力刀で自分を背後から刺したもう一人の仲間を睨みつけた。
「貴様ら・・・!」
しかし彼がそれ以上言う前に、魔力刀を持った男は素早く通信兵にとどめを刺した。
魔力刀を外装に戻した仲間に、マリを蹴った男が薄笑いを浮かべながら話しかけた。
「助かったぜ兄弟。」
「お前はいつも詰めが甘めえんだよ。潜入だってこと、自分から言う馬鹿がいるか。」
仲間とニヤリと笑みを交わした後、マリを蹴った男は倒れた彼女の上に馬乗りになった。
「おいメスガキ。お前には俺が大人への礼儀ってやつをたっぷり分からせてやるよ。」
そう言って、気絶して仰向けになったマリの格闘服を一気に引き裂く。露わになった白い乳房を目にして、男は欲望に目を輝かせた。
「ガキの割りにいいもん持ってんじゃねえか。こりゃ、楽しみだぜ。なあ兄弟、俺が先でいいよな?」
興奮しきった男の言葉に、刀を手にした仲間は苦笑して両手を広げた。
「もう止まらねえだろお前。ったく、しょうがねえ。この前は譲ってもらったしな。その代わり、俺が楽しむ分もちゃんと残しけよ?」
「じゃあ、ちっと時間を稼いでくれよ。久しぶりだし、ゆっくり楽しみてえからな。」
「了解。通信兵の端末弄って、別のポイントを連絡しとく。生真面目な長月どもには、もう少し泥の中を這いずリ回ってもらうとしよう。」
「そりゃあ、いい気味だ。」
男はそう嘯いた後、マリの下腹部に残った格闘服を剥ぎ取るため、彼女の足を持ち上げた。
「や、やめろ・・・阿久猫から・・手を離せ!!」
背後から響いた声に一瞬動きを止める男。声を上げたのは泥まみれになって立ち上がろうとしているエイスケだった。彼は保有魔力量が少ないため、マリやテイジに比べて呪具の衝撃が軽かったのだ。
楽しみを邪魔された男は、エイスケに一撃を加えるためマリの体の上から離れた。男が怒りに満ちた拳をエイスケに向けようとしたその時、突然、エイスケの懐からその場に不釣り合いな明るいメロディが流れ出した。
「な、なんだ? 『ハピキュア』か?」
それは皇国民のほとんどが一度は耳にしたことがある、有名な女児向けアニメのOPテーマだった。
思わず動きを止めたエイスケを男は蹴り倒した。仰向けになって暴れるエイスケの胸を外装を着けた足で踏みつけたまま、男は彼の懐から、けたたましい音を立てるマギホを取り出した。
「なんだ、マギホの着信音かよ。びっくりさせやがって、このオタク野郎が!」
男はそのままエイスケの鳩尾を強く踏みつけた。胸骨がみしりと音を立て、彼は泥の上で丸まったまま悶絶した。
エイスケが行動不能になったのを確認した男は再びマリに馬乗りになると、強化外装の下半身の一部を外して自分の局部を露出させた。
もちろん強化外装をすべて解除したほうが、これから男が行う行為には都合がいい。しかし比較的安全とはいえ、魔獣が出現する可能性がある場所で無防備になるわけにはいかない。
熊本湿原に臨む有明海には、激甚級魔獣に指定されている巨大ザリガニの群れが生息している。巨大ザリガニは一体だけなら普通の上級魔獣だが、群れとして行動した時の被害があまりにも甚大なので、劇甚級に分類されているという特殊な魔獣だ。
この辺りの湿地帯はザリガニたちの領域に近いため、他の強力な魔獣たちが近寄らない。だから陸地は比較的安全といえるのだった。もちろんザリガニに遭遇する可能性もゼロではないが、泥の中に隠れ住む彼らは、陸地には滅多にやってこないのだ。
偽の通信を終えた兵士が仲間の元へと戻ったのは、ちょうどエイスケが男に鳩尾を踏みつけられた時だった。その兵士は仲間が行為に及ぶために外装をいそいそと外す様子を、生暖かい目で見守っていた。もちろん同時に、周囲の警戒も怠ってはいない。
その兵士の目の前で、悶絶していたエイスケは、泥と吐瀉物に塗れたまま何とか体を起こそうと必死になっていた。兵士はうつ伏せになってもがくエイスケに近寄ると、残酷な薄笑いを浮かべて彼の顔を覗き込んだ。
「なんだ? お前、あの女がそんなに大事なのか? もしかしてあの女に惚れてたか?」
エイスケはそれに応えず、朦朧とした意識のまま、泥を掴んで必死に前に進もうとした。それに気づいた男が、マリに馬乗りになったままエイスケを嘲笑した。
「安心しろオタク野郎、俺たちがお前の代わりに、たっぷりこの女を可愛がってやるからよ。お前は大人しく、そこで見学してろ。」
エイスケのマギホが明るい曲を奏でる中、男はついにマリの服を剥ぎ取り終えた。
『(悪事はそこまで! 悪い子にはハピキュアがお仕置きしちゃうよ!)』
曲の間に挿入されたキャラクターの明るいセリフが林の中に響く。それを聞いた兵士たちは思わず動きを止め、ゲラゲラと笑いだした。
「おお、お仕置き! 結構じゃねえか! どうしてくれるんだ、おいオタク?」
エイスケの傍らに立った男は、嬲るように彼の横腹を蹴りつける。しかしエイスケは蹴られながらも、必死に地面を這い進んだ。
エイスケはすでに痛みを感じていなかった。朦朧とする意識と闘いながら、彼はただひたすらにマリを守ることだけを考え、気力だけで体を動かしていた。
いよいよ行為に及ぶため、気を失ったマリの足を持ち上げようとする男。だが、泥だらけの手がマリに触れる直前、男は突然その動きを止めた。
「な、なんだ? 体が・・・動かねえ!!」
マリの上に覆いかぶさった男と同様に、エイスケを蹴り続けていた男も彫像のように動きを止めていた。男たちが必死に体を動かそうとする中、西の湿地帯から一隻の小型浮遊艇が高速で男たちの元へと接近してきた。
「エイスケ氏! やっと見つけました!!」
着地した小型浮遊艇からそう言って飛び出してきたのは、闇小鬼族の研究者カナ・オオグチ博士と、彼女を守る聖女教の女騎士たちだった。
博士は動けなくなった兵士の足元からエイスケを救い出すと、白衣が泥にまみれるのも構わずその場に座り込んで、自分の膝に彼の頭を抱え込んだ。
「・・・か、カナ・・・博士・・?」
自分を心配そうに覗き込んでいる博士の顔を認識したエイスケは、何とか彼女の名前を呼んだ。博士は目の端に溜まった涙をそっと拭った後、彼の耳に口を近づけてそっと囁くように言った。
「マギホを持っていてくれて助かりました。おかげで正確に位置を特定できましたよ。」
女騎士たちは治癒魔法を使い、エイスケたちを回復させた。高位の神官でもある彼女たちの魔法によって、三人の体の傷は瞬く間に無くなった。その間、博士は三人を拘束している呪具の端末を調べて、小さく鼻を鳴らした。
「ふむ、ちゃちな仕掛けですねぇ。」
博士がエイスケの呪具に指でちょんと触れると、たちまち拘束が解除された。動けなくなった兵士たちは、皇国の常識では信じられないものを見せられ、目を皿のように見開いた。
女騎士たちは服を剥ぎ取られたマリの体を調べ、彼女の体に性的暴行の痕がないことを確かめてほっと息を吐いた。聖女教では原則として堕胎が禁じられているため、暴行を受けた女性に対して特殊な妊娠阻害の儀式魔法を行う決まりがあるからだ。
その後、女騎士たちは、マリに自分たちが持っていた予備の下着(胸と腰を覆うただの布)を着せた後、マリとテイジの意識を回復させた。
体調を取り戻した三人は、改めて博士に問いかけた。
「どうして博士たちがここに?」
「もちろん、アヤメ殿と事前に打ち合わせしていたからですよ。正直、無駄足だと思っていましたが、宇津井殿とアヤメ殿の読みがピタリと当たりましたね。」
参りましたと言わんばかりに両手を広げて息を吐く博士。そんな彼女に対し、二人の兵士が大声を張り上げた。
「てめえら、一体何しやがった!?」
博士は兵士たちに向き合うと、恐ろしく冷たい声で、出来の悪い生徒に言い聞かせる教師のように答えた。
「魔素の動きを阻害する装置で、あなた方の強化外装を無力化して固定しただけですよ。作動させると装置そのものも無力化してしまうので、一回きりの使い捨てなんですけどね。」
博士はそう言って、指に持った小さな円盤状の装置をプラプラと振ってみせた。そしてすぐに振り返ると、明るい声でエイスケたちに呼び掛けた。
「何しろ急ごしらえなので、装置の効果は長く持ちません。さあ、早く乗ってください。」
博士に急かされるまま、三人は女騎士たちと共に浮遊艇に乗り込んだ。浮遊艇の中には十数人分の座席が設けられている。軍用の兵員運搬艇のようだが、固い座席が座りやすくなるよう改造されていることに、エイスケは気が付いた。
「おい緑の化け物! そいつらを連れて、どこに行きやがる!!」
最後に乗り込もうとした博士を動けない兵士たちが怒鳴りつける。博士は冷たい声でそれに応じた。
「あなた方には関係ありません。動けるようになるまで、あと数分はかかるでしょうから、そこで突っ立ったまま私たちを見送っていてください。」
「俺たちを殺さないってのか? 化け物のくせに、随分甘ちゃんなんだな?」
侮蔑を込めた声で言い放つ兵士たち。食って掛かろうとするマリとエイスケを、博士はそっと手で制した。
「私、馬鹿の相手をするのは嫌なんです。それに私の代わりに、あの子があなた方の相手をしてくれますから。」
「てめえ、何を言って・・・。」
兵士を無視して博士は浮遊艇のドアを閉めた。直後、浮遊艇のすぐ後ろの湿地がブクブクと泡立ち始める。
浮遊艇が浮き上がり移動を開始したと同時に、泥がすごい勢いで吹き上がりその場に降り注いだ。それを見た兵士たちは一歩も動けないまま、泥まみれになった顔を引き攣らせて叫んだ。
「さ、巨大ザリガニだとおお!?」
巨大ザリガニは、体長4mほどの巨大なザリガニだ。肉食で性格は獰猛。自分たちの領域に侵入した獲物は何でも捕食してしまう貪欲さを持つ。
その名前の元になっているのは、彼らが持つ特徴的な右腕だ。獲物を捕らえるハサミ状の左腕に比べ、右腕はハサミの先端がまるで火打石のような構造になっている。彼らは自らを覆う特殊な体液と泥の中でこの右腕のハサミを高速で打ち合わせることで、プラズマ化した衝撃波を放つことができるのだ。
衝撃波の飛距離は僅か数mだが、その威力は凄まじく、固い岩でも簡単に砕いてしまう。彼らはこの衝撃波を使って泥に覆われた岩場をくり抜き、巣穴とする。そして潜んだ彼らに気づかず接近した憐れな魔獣を捕食しているのだ。
また彼らの放つプラズマは、一瞬ではあるが数千度という高熱を発するため、まともに食らえば大抵の魔獣は一撃で絶命してしまう。その特性故、彼らは水棲生物でありながら炎の攻撃を一切受け付けない。また固い外骨格に守られているため、物理耐性も非常に高いのだ。
有明海とその周辺にはこの巨大ザリガニが数十万単位で生息しており、大きな営巣地を形成している。この群れは、群れ全体が激甚級魔獣に指定されており、大宰府防衛基地の皇国軍が日夜警戒に当たっている。
兵士たちの前に現れた巨大ザリガニは一体だけ。巣穴を離れたがらない彼らの習性からは考えにくい行動だ。いわゆるはぐれ個体と呼ばれる魔獣だ。
通常、強化外装を身に着けた兵士であれば、陸地に逃れることで簡単にザリガニを振り切ることができる。しかしカナ博士の装置によって、強化外装を固定された兵士たちにとっては、まったく話が違っていた。彼らはギチギチと外骨格を鳴らしながら近づいてくるザリガニを、恐怖の目で見つめ続けなくてはならなかった。
兵士たちの匂いを嗅ぎつけた巨大ザリガニが兵士たちに近寄る。彼らは巨大な目を持つが視力はあまりよくない。明暗を判別する程度の能力しかないのだ。その代わり、彼らはその長い触角と脚の先端にある感覚器を使って、獲物の状態を把握している。
ザリガニが小さなはさみの付いた補脚で兵士たちの体をまさぐる。どうやらその結果、このザリガニは、美味しい獲物が固い強化外装に包まれていると判断したようだ。
邪魔な殻を破るため、ザリガニはその巨大な右腕のはさみをゆっくりと兵士たちの方へ向けた。
「よせ、やめろ!!」
その叫びも虚しく、ザリガニは右腕を音高く打ち鳴らした。衝撃で粘液の中に生じた気泡が急速に収縮し、超低圧状態を発生させる。それにより連鎖的に崩壊した周囲の魔素が高熱のプラズマとなって、兵士たちに襲い掛かった。
衝撃波によって兵士たちの外装が吹き飛び、高熱になった空気が露わになった体を燃え上がらせる。
「ぎゃあああああ!!」
兵士たちは生きながら全身を焼かれるという責め苦を味わった。しかしその苦痛は、その直後に振り下ろされたザリガニの慈悲の一撃によって、彼らの命と共に速やかに断ち切られたのだった。
エイスケたちを乗せた浮遊艇は、昇る朝日を受けながらザリガニの居る湿地帯の縁を高速で飛行していた。テイジと共に強化外装を再び身に着けたマリは、浮遊艇を操縦する博士に問いかけた。
「あのザリガニって、博士が操ってたの?」
その問いかけに、博士は軽く笑って答えた。
「まさか。魔素を使って多少の誘導はしましたけどね。」
それを聞いたエイスケたちは何となくホッとした顔で視線を交わし合った。
「団長さんとハフサさんは、いないんだな。」
エイスケが艇内にちらりと目を向けてそう言うと、博士はいたずらっぽい表情でニヤリと笑って見せた。
「二人は今、別の所に向かっています。敵の敵を味方にするためにね。それよりもそろそろ目的地ですよ。」
博士がそう言って浮遊艇の窓を指さす。その先にいたのは士官用の強化外装に身を包んだ、一人の若い女性だった。
「笹崎教官!!」
停止した浮遊艇へ乗り込んできた彼女に、エイスケたちは思わず声を上げて駆け寄っていった。彼女の外装はあちこち傷つき、それが激しい戦いがあったことを如実に物語っていた。
しかし教官はそれをおくびにも出さず、嬉しそうに笑って三人の生徒たちの肩をバンバンと叩いた。
「お前たち、無事だったか。生存訓練は無事合格だな。」
三人は思わず溢れそうになる涙をこらえて、何度も頷いた。優しい目で教え子を見つめる教官に、博士が話しかけた。
「アヤメ殿、どうでした?」
「宇津井大佐の予想通りでした。すぐに大宰府へ向かいましょう。」
「大宰府?」
その言葉にエイスケたちは思わず顔を上げ、教官と博士の顔を交互に見た。その様子を見た教官はニヤリと笑うと、両手を腰に当てたまま、宣言するように彼らに告げた。
「ああ、ここからは新たな訓練フェーズ、奪還ミッションだ。囚われた新道を取り返すぞ。」
読んでくださった方、ありがとうございました。




