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43 嵐の前

今日は少し長く書けました。

「・・・お肉が食べたい。」


 ぽつりと漏れ出たその小さな呟きで、食堂のテーブルについていた全員が一瞬食事の手を止めた。分隊のメンバーの間で素早い視線のやり取りが行われ、最終的に全員が僕の方を見た。僕は苦笑いしながら箸をいったん降ろし、呟きの主である団長さんに声をかけた。


「さっきから食べてるじゃありませんか。あ、唐揚げが足りませんでしたか? よかったら僕のを半分差し上げますけど。」


 僕の言葉に向かい側に座っていたマリさんが目をキラリと輝かせた。山盛りに盛られていた彼女の唐揚げはもうすでになくなっている。僕は黙って彼女の皿に、自分の唐揚げを一つ載せた。






 嬉しそうに唐揚げを頬張るマリさんとは対照的に、団長さんは悲しい顔で大きくため息を吐いた。その拍子にテーブルを圧迫するほど大きな胸が、胸当ての下でぶるんと揺れた。


「これは偽物のお肉ではありませんか。団長はああいう本物のお肉が食べたいのです。」


 団長さんはそういって僕たちとは少し離れた場所に座っているカナ博士の方を見た。博士は皆の視線に気づき、手にしていた大きな骨付き肉の塊を団長さんの方に突き出しながら言った。


「そんなに食べたいなら分けてあげましょうか、この一角兎?」


「いくら魔素処理済みとはいえ、さすがに魔獣の肉は無理です。」


 団長さんが真面目な顔でそう答えると、博士は軽く肩を竦めた後、豪快に肉塊へかぶりついた。


 闇鬼族である博士の主食は何と魔獣の肉だ。魔獣の肉には魔素が多く含まれているため、人間を含めほとんどの亜人種族も食べることができない。食べると間違いなく体調を崩すしてしまう。最悪死ぬこともある。


 博士は魔獣肉以外の食べ物も食べられるらしい。でも体調を維持するには魔獣肉が一番なのだそうだ。


 鋭い牙で肉を食い千切り、美味しそうに咀嚼する博士を見て、団長さんはぐっと拳を握りしめた。






「ああああ、どうしてこの皇国くにの食卓には本物の肉がないのですか!?」


 団長の嘆きを聞いて、分隊の皆は思わず顔を見合わせた。


「本物のお肉は貴重品ですから。平民の僕たちにはとてもとても・・・。」


 僕の言葉に分隊のメンバーはうんうんと頷く。それを見た団長さんは恨めしそうな顔で大きくため息を吐いた。






 僕たちが今日の昼ごはんで食べているこの唐揚げは、大豆原料の人造食肉を使って作られている。現在、皇国内で流通している食肉はそのほとんどが人造食肉だ。


 歴史の文献によると200年前の大災害までは、日本で唐揚げと言ったら鶏肉が一般的だったらしい。今ではとても考えられないことだ。


 鶏は卵を産んでくれる貴重な家禽なので、食べたりすることはよほどのことがない限りありえない。オスの鶏は食肉用に加工されているらしいけど、そんなものを口にできるのは貴族くらいのものだ。


 魔獣の害や瘴気を避けながら家畜を飼育することはとても難しい。だからどの城砦でも限られた場所にある専用の農場でしか飼育されていない。


 もちろん貴族のコネを使えば、平民でも手に入れられないことはないらしい。けれどそれには目の玉が飛び出るほどの費用が掛かる。とてもじゃないけれど、日常的に食べられるようなものではないのだ。


 僕は生まれた時から人造食肉しか食べたことがないので、この大豆肉の唐揚げも十分に美味しいと思う。スーパーに行けば大豆肉の他にもタカキビを使った人造挽肉などが売られており、比較的手頃な値段で買うことができる。


 ただ、人造肉より魚の方が圧倒的に安いので、新道家うちでは特別な日にしか人造肉を食べることはない。人造とはいえ、お肉はやっぱりご馳走なのだ。






 僕がそう話すと、団長さんは悲しそうな顔で皿の上の唐揚げをフォークの先でつついた。


「団長は脂が滴るようなお肉を食べたいです。はあ、始まりの大地ヴァースに帰れさえすれば・・・。」


 ため息交じりにそう言った団長さんの言葉に、カナ博士がぎょっとした顔をする。口の中の肉を無理矢理飲み込んだ後、博士は団長さんに言っ。


「団長殿、使命を果たすまでは決して・・・!」


「わかっていますよ博士。ただの愚痴です。」


 団長さんは博士の言葉を遮ると、唐揚げをフォークで突き刺し口の中に放り込んだ。


「炒ったお豆の味がする・・・。」


 そう言いながら涙目で唐揚げを食べ始める団長さん。するとそれを見ていたエイスケがポンと手を打ち鳴らした。






「脂か。それなら俺が役に立てるかもしれないな。」


「お、マルちゃん、なんか思いついたの?」


 そう言いながらマリさんはエイスケの唐揚げにそっと箸を伸ばした。その手を無言で軽くはたいてから、エイスケは言った。


「ああ、安くて美味い料理を食える場所なら俺に任せてくれ。もちろん人造肉だが、もしかしたら団長さんの御眼鏡に叶う料理があるかもしれねえからな。」


 エイスケはそう言って僕たちに魔力端末マギホを出させると、週末の予定を共有させた。こうして僕たちは、エイスケの案内で美味しい肉料理を探しに出かけることになったのでした。










 週末、僕は指定された待ち合わせ場所に向かうため、団長さんと博士、それに騎士団副官のハフサさんを連れてバスに乗った。1時間ほどバスに揺られて着いたのは、第2城砦の北門前。時刻は午前11時より少し前だ。


 第2城砦はほとんど亜人や獣人が住んでいない。だから闇鬼族のカナ博士の姿はかなり目立っていた。中にはあからさまに嫌な顔をして来た道を引き返す人もいる。


 隣にいた僕は思わず、義眼を隠す帽子を深くかぶりなおしてしまった。でもカナ博士はそれを全く気にした風もなく、街の様子を興味深そうに眺めていた。


 通りを行く人たちにじろじろと見られながらしばらく待っていたら、私服姿のエイスケたちがやってきた。ただホノカさんの姿はない。


 彼女は急用ができたらしく今日は欠席だ。今は実家にいるらしい。第2城砦の中央区にあるという彼女の実家は、高天原城砦群でも有数の大商会だ。


 欠席の理由を尋ねたけど、彼女は言葉を濁して教えてくれなかった。とても答えにくそうにしていた彼女の様子から僕は直感的に、もしかしたら僕との結婚のことでご両親から呼び出されたのかもしれないと思った。


 




 エイスケは僕たちを案内して、どんどん北門区を歩いて行った。足取りに迷いがない様子から、彼がかなりよくこの場所に着ていることが分かる。細い通りをいくつも通った後、僕たちは北門区の城壁沿いにある薄暗い裏通りへと辿り着いた。


 日当たりの悪いその通りには、有名なアニメのキャラクターが描かれた大きな看板がいくつも掲げられている。狭い通りの両脇に並ぶビルの入り口には派手な色遣いの表示があり、その多くがアニメや漫画、ゲーム関連の専門店だった。






 道行く人たちはやはり僕たちの様子、特に団長さんとハフサさん、そして博士をちらちらと眺めていた。でもその視線は北門前で感じたような敵意を含んだものではなかった。好意的とまではいかないものの、好奇的な感じがするように思う。


「第2城砦にこんなところがあったなんて知らなかったよ。」


 僕がそう言うとエイスケは肩を竦めて大きくため息を吐いて見せた。


「お前、ほんとうに何も知らねえんだな。結構有名だぞ、ここ。」


 その言葉に僕は思わず苦笑いをしてしまった。僕もアニメやゲームは好きだけど、お店に行って商品を買うほど夢中になる時間やお金のゆとりがなかった。マドカと一緒に見ていたせいで、女児向けアニメには異常に詳しくなったけどね。


 幼年学校の頃は絵師を目指していたから、マドカの好きなキャラクターをタブレットで描いてあげたりしていたけれど、防衛学校に進学してからは授業についていくのが精一杯でそんなゆとりもなくなってしまったっけ。思えばもう随分絵を描いていないなあ・・・。


 そんな思いでマドカの好きなアニメのキャラクターを使った看板をぼんやりと眺めていたら、後ろでカナ博士は突然声を上げるのが聞こえた。






「おおおエイスケ氏! あれはもしや神アニメ『剣の聖女のやり直し』の限定フィギュアでは!?」


 エイスケの上着の袖を引っ張りながら目を輝かせる博士に胸を張りながら、彼は得意げに言った。


「さすがカナ博士、お目が高い。この辺りは高天原の中でもサブカルの聖地と呼ばれる場所でね。他の場所ではなかなか手に入らないグッズがいろいろと置いてあるんですよ。」


 そう言って二人は僕の知らないアニメの話で盛り上がり始めた。団長さんはそんな博士を面白そうに、ハフサさんは戸惑いがちな目で見ていた。






 マリさんはあまりアニメに関心がないらしく、看板や店でなく通りを行く人たちの様子を眺めていた。若い男性の中にはホットパンツから出るマリさんのきれいな素足をじっと見つめる人もいた。けれど、彼女の後ろにいるテイジに気が付くと慌てて視線を避け、そそくさと歩き去っていった。


「なんか、マルちゃんみたいな恰好の人が多いねー。」


 つまらなそうに言ったマリさんの言葉に団長さんは小さく頷き、エイスケに尋ねた。


「鎧姿の女性もいますが、あれは?」


 その問いに答えたのはエイスケではなく、隣にいたカナ博士だった。


「団長殿! あれは『鬼滅戦士ピーチスレイヤー』の主人公、桃姫の衣装ですぞ! いやあ、素晴らしいクオリティです!」


 博士は露出の多い鎧を着た若い女性の姿を見て、嬉しそうにそう言った。博士の声に気が付いたその女性は、笑顔で軽く手を振ってくれた。






「ああやってコスプレしてる人も多いんですよ。この通り内だけなんですけど。」


 エイスケの説明を聞いた後、団長さんは納得したように大きく頷いた。


「なるほど、物語の登場人物の恰好を真似ているんですね。どおりで着ている鎧の割りに、身のこなしがチグハグだと思いました。」


 団長さんとハフサさんは目線を合わせて頷きあった。白銀の鎧姿のこの二人も、道行く人たちからはコスプレだと思われているのかもしれないね。


 コスプレ女性とのツーショット撮影に夢中になっているカナ博士を横目に、団長さんはエイスケに向き直って尋ねた。







「ヴァースにはない、とても面白い文化ですね。でも団長は別に物語には興味がありませんが・・・。」


 首を小さく傾げる団長さんに向かって、エイスケは通りの先を指さして見せた。


「今日の目的地はここの奥の通りなんです。」


 エイスケの案内に従って歩いていると、通りの向こうからとても美味しそうな匂いが漂い始めた。途端にマリさんが目を輝かせる。


「ジャンクグルメ通り?」


 裏路地の入口に掲げられた大きな看板を読んで、団長さんはエイスケの方に視線を向けた。


「ここは大変動期以前の『ジャンクフード』を専門に扱ってる店が集まってるんですよ。」


 そう言ってエイスケは裏路地に足を踏み入れた。






 通りの両脇には美味しそうな料理を売る屋台や店が所狭しと並んでいた。その中をたくさんの人たちが食べ物を手にしたまま歩いている。なんだかお祭りの日みたいだなと思いながらその様子を見ていたら、突然団長さんが嬉しそうな声を上げてハフサさんの腕をつかんだ。


「お肉! お肉が売ってますよ!! ハフサ、買ってみましょう!!」


「だ、団長! そんなに引っ張らないでください!」


 二人は『やきとり』と書かれた赤い提灯が下がった屋台に向かって走っていった。屋台では人の好さそうな中年男性が串に刺した肉を魔導コンロであぶっている。男性からおすすめされた醤油ダレと塩の串を少しずつ買い、僕たちはそれを分け合って食べた。






「うーん、美味しいですけど・・・まだ少し大豆の感じがありますねー。」


「そうですか? 私は十分美味しいと思いますけど・・・。鶏肉と全く見分けがつきませんよ?」


 ちょっと不満げな団長さんに対し、ハフサさんは首を傾げている。するとそれを見た博士が僕たちに説明をしてくれた。


「おそらく団長殿の聖騎士の能力のせいでしょうね。高位の聖騎士には嘘やごまかしを自動的に看破するスキルがありますから。」


 普段はのんびりしているから意識したことがなかったけど、団長さんは始まりの大地ヴァースでも有数の聖騎士。この他にも毒や呪いの無効化などすごい力をいろいろと持っているのだそうだ。でも人造肉に関してはそれがマイナスに作用してしまっているらしい。


 僕たちはその後も何軒もの店を回っていろいろな肉料理を試した。ケバブやハンバーガー、ホットドッグなど目に付くものは何でも食べたけれど、団長さんの舌を満足させるようなものは見つからなかった。


 ちなみに僕は2軒目を出たところで気持ち悪くなってしまい、残りは全部お持ち帰りにしてもらった。







「最後はあのお店ですね。」


 黒とオレンジの派手な看板を指さして、ハフサさんが言った。


「『謎肉丼の吉松屋』? 随分変わった名前ですね。」


「大災害前にあった牛丼っていう食べ物を再現した店ですよ。」


「牛肉! 団長、牛肉大好きです!」


 団長さんはそう言って一瞬目を輝かせた。でもすぐに「でもまたお豆の味がするんですよね」と小さく肩を落とした。僕たちはそんな彼女を慰めながら、最後の店の暖簾をくぐった。






「へい、らしゃーい。ご注文は?」


 店に入ると威勢のいい男性が笑顔で尋ねてきた。カウンターの中には男性の他にもう一人、同じくらいの年齢の女性がいた。二人の雰囲気から、何となくご夫婦で店を切り盛りしているのだろうと思った。


 僕たちが入った時、店内には数人の男性客が無言で座っていた。無関心そうに僕たちの方へ視線を向けた彼らは、団長さんと博士の姿に気付いて二人を二度見した後、慌てて視線を下げてしまった。






「おやじさん、謎肉丼7杯頼んます。」


 エイスケが慣れた調子でそう注文すると、マリさんがすぐに声を上げた。


「あたしとテイジは大盛で!」


「あ、僕は持ち帰りでお願いします。」


「はいよ。並盛5と大盛2。一つお持ち帰りね。」


 テーブル席を二つ分使って僕たちが座ると、愛想のいい女性がすぐにどんぶりを運んできてくれた。






「なにこれマルちゃん、すげー美味しいじゃん!!」


 いただきますの後、早速どんぶりを手に取ったマリさんが声を上げた。


「ふふふ、そうだろう? 俺この通りに来ると必ずこの店に寄るんだよ。」


 エイスケはそう言うと、紅しょうがをどっさり乗せたどんぶりを美味しそうにかき込み始めた。


 僕と団長さん以外の皆は美味しいと言いながらどんぶりに夢中になっていた。僕も美味しそうだなとは思ったけれど、胃が受け付けそうにない。だからその場で食べるのは諦めて、家に帰ってマドカや母さんと一緒に食べることにした。


 団長さんはそんな皆の様子を見た後、ようやく持参してきたスプーンを取り出し、どんぶりを手に取った。






「匂いは・・・悪くないですね。ちゃんと肉の匂いがします。」


 すると団長さんの言葉を耳ざとく聞きつけた店主の男性が、調理の手を止めて団長さんに声をかけてきた。


「ほう。よく気づいたな、ねえちゃん。牛スジを丁寧に煮込んで作った秘伝のスープのおかげさ。」


 店主さん曰く、廃用牛の廃棄部位を安く仕入れて丁寧に加工して作ったそうだ。僕が思わず感心して声を出したら、一番大変だったのは農場を管理する貴族様とのコネづくりだったよと、店主さんは明るく笑ってくれた。


 それを聞いた団長さんは意を決したようにどんぶりにスプーンを入れ、よく煮込まれた肉を口に運んだ。


 その瞬間、団長さんの目が大きく見開かれた。






「!! 美味しい!! ちゃんと脂の味がします!!」


「すげえだろ。魚人ギルマン族から仕入れた海獣の脂を使うことで牛脂に近い味を再現してるんだ。あいつら脂は食べないみたいで、安く譲ってくれるんだよ。ちなみにその脂身はこんにゃくだぜ。俺の自信作なんだ。」


 自慢気に胸を張る店主さんの後ろでは、奥さんが仕方ないねと言う顔で笑っていた。その顔から僕はきっと、店主さんは味を褒められるたびに何度もこの話をしているのだろうと思った。


 団長さんはすごい速さでスプーンを動かし、あっという間に完食するとサッと席から立ち上がった。そして素早く移動するとカウンター越しに店主さんと向かい合った。


「店主さん!」


「お、おう、何だよ?」


 鎧姿の団長さんに詰め寄られて、店主さんは少し怯んだような様子を見せた。周囲のお客さんや僕たちも、固唾を飲んでその様子を見た。ハフサさんはすぐに立ち上がり、団長さんの側に駆け寄った。そのくらい団長さんは気迫に満ちていたのだ。


 団長さんはじっと店主さんを見つめたまま小さく息を呑むと、徐に店主さんめがけて手を突き出した。







「あなたは天才です!」


 団長さんはそう叫ぶと、感極まった様子で店主さんの腕を掴んで引き寄せ、固い握手を交わした。


「あ、ああ、ありがとよ。」


 店主さんは赤くなったり青くなったりしながら手をぶんぶんと上下に動かしていた。


 その後、皆はさらに一杯ずつどんぶりを平らげた。食べ終わって店を出た後、博士がエイスケに言った。






「人造肉の食感や味を生かしつつ、他の味を絶妙に加えることで牛肉に近い味を再現していたようですね。味を誤魔化すのではなく、新たな味を生み出す発想は素晴らしいと思いました。私も研究をしてみたくなりましたよ。」


「お、それはいいな。ぜひ俺も協力したい。」


「え、じゃあ、あたしが味見役をやってあげるよ!」


 皆で新しい味を開発するためのアイデアを出し合って盛り上がった後、僕たちは別れて家に戻った。別れ際、団長さんはエイスケに何度もお礼を言っていた。帰りのバスの中でも道を何度も確かめていたから、もしかしたらまた一人で来るつもりなのかもしれないね。


 その日の夕食は僕の持ち帰ったいろいろな料理を、マドカと母さんと三人で食べた。マドカは「お祭りのときみたい!」と言って大喜びしていた。そんなマドカの様子を見て、明日エイスケに会ったらなんてお礼を言おうかなと考えていたのでした。











 カナメたちが夕食を摂っているちょうど同じ頃、隣の部屋では『白銀の乙女団フェッダサイーダ』の団長スィーリンと彼女の副官ハフサが入浴の準備を始めていた。


 スィーリンは無言で狭い浴室の前に立ったまま、ハフサに鎧を外してもらう。乳姉妹であり、最も身近に使える侍女でもあるハフサにこうやって身の回りの世話をしてもらうのは、スィーリンにとってごく当たり前のことだった。


 簡素な部屋着に着替えたハフサが浴室の扉を開けると、中から熱い蒸気が溢れ出す。全裸のスィーリンを樹脂製の椅子に座らせたハフサは、湯船の中に貯められた高温のお湯を手桶で掬い、洗面器にそれを入れると水でうめてから丁寧にスィーリンの銀色の髪を洗い始めた。


 彼女たちの出身地である聖都エクターカーヒーンでは、湯船に体を浸からせるという習慣がない。彼女たちにとって風呂といえば蒸風呂なのだ。熱い蒸気とハフサの丁寧な指使いが、スィーリンの心を解きほぐしていく。






 髪をすすぎ終えた後、ハフサは固く絞った熱いタオルで主人の体を洗っていく。褐色の滑らかな肌を傷つけないよう、丹念にタオルを動かすハフサの額に汗が浮かぶ。目に流れてきた汗を長いまつげで遮りながら、ハフサは主人に言葉をかけた。


「スィーリン姫様、お辛くはありませんか? せめてお屋敷の浴室のように横になれれば、もう少しゆったりと体を洗って差し上げられるのですがこう狭くては・・・。」


 そんなハフサの言葉を聞いて、スィーリンはくすりと小さな笑い声を漏らした。


「あなたがそんな風に愚痴めいたことを言うのは珍しいですね。それに使命が終わるまで、団長と呼ぶように言ったはず。もしかしたら今日のことで里心がついたのかしら?」


「決してそのようなことは! 申し訳ありません姫様・・・あっ。」


 思わず口籠ったハフサの様子に、スィーリンは口に手を当てて笑い声を立てた。






「よいのです。今日は団長もとても楽しかったのですから。あなたも同じように楽しめたのでしょう?」


 褐色の肌を赤らめるハフサを見て、スィーリンはまた楽しそうに笑った。そんな主人の体を丁寧に洗いながら、ハフサはためらいがちに言葉を発した。


「団長、今日はずっと・・・。」


「ええ、いつもよりもずっと多くの者たちが私たちの様子を監視していましたね。しかもいつになく邪な気を多く感じました。」


「では、いよいよなのでしょうか?」


 忠実な配下の問いかけに、スィーリンは小さく頷くことで応えた。






「思ったよりも時間がかかりました。これでクロウェ殿が覚醒してくだされば、聖女様の予言の通りということになります。」


 自信に満ちた様子でそう言い切った主人に対し、ハフサは小さく問いかけた。


「・・・あのカナメという少年と彼の家族はどうなるのでしょうか?」


 スィーリンはハフサの目を見ると、きっぱりと言い放った。


「聖女様から託された使命は予言に示された最後の勇者を探し出し、来るべき戦いに備えることです。博士の予想が正しければ、クロウェ殿が勇者でほぼ間違いありません。」


 ハフサの目が動揺で見開かれる。スィーリンは跪いたハフサの頬に優しく触れた。






「安心してハフサ。あなたが心配しているようなことを無闇に行うつもりはありません。聖女様は幼い子どもを犠牲にすることをお喜びになりませんから。」


「姫様・・・。」


「ほら、また!」


 恐縮するハフサを可笑しそうに笑う主人に対し、彼女は深く頭を下げて詫びた。スィーリンは迷い苦しむ臣下へ優しく語り掛けた。


「あなたがあの少年の妹を大切にしているのは、団長も知っています。」


「それでは・・・!」


 嬉しそうに顔を上げたハフサに、スィーリンは艶然と微笑みかけた。


「ええ、大丈夫です。使命の妨げにならない限り、あの少年と彼の家族は団長が守ります。それに・・・。」


「それに・・・?」


「もしも手を下すことになれば、あなたではなくこの団長自らが憐れな彼らを天に還してあげましょう。ですからあなたは何も心配しなくていいのですよ・・・どうしたのハフサ、顔色が悪いわ。」


「いいえ、何でもありません。ご心配してくださってありがとうございます。」






 本気で自分のことを心配してくれる主人に対し、ハフサはそう言ってまた自分の仕事に戻った。


 聖都の祝祭を司る名家に生まれ、幼い頃から聖女候補として育てられたスィーリンにとって、聖女様の言葉は絶対の正義。聖女様のためであれば、スィーリンは幼い子供の命であろうと何の躊躇いもなく奪うはずだ。


 無心で手を動かすハフサの胸にマドカの笑顔が去来する。自分は迷っているのだ。ハフサははっきりとそう思った。


 迷いがあるのは信仰が足りないことの証。聖女様に仕える聖堂騎士としてあるまじきことだ。彼女は自分を叱りつけ、聖女様を称える聖句を心の中で何度も繰り返した。しかし脳裏に浮かんだマドカの声や笑顔はなかなか消えてくれなかった。


 彼女は聖女様に自分の心の迷いを詫びた。同時に、自分が恐れているような日が来ることがないようにと、祈らずにはいられなかったのだった。

読んでくださった方、ありがとうございました。

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