38 3年生開始 前編
年末に向け職場では修羅場進行中。せめてお話では穏やかな日常を書きたい。というわけでしばらく日常回が続きます。お話の進行が遅くてすみません。
誘拐事件から1か月余りが経ち、今は4月の終わり。僕は3年生に進級し、またこれまでのような日常の生活に戻っていた。
その日の朝、いつものように朝食の後片付けをしていると、新道家の部屋の玄関ドアが規則正しく3回ノックされた。
「おはようございます、カナメ殿」
扉を開けるとそこにいたのは予想通り、女騎士のハフサさんだった。
「あ、おはようございます。今呼んできますね。」
僕がそう言って振り返った途端、僕の足元をすり抜けるようにしてマドカがハフサさんに向かって走っていった。
「ハフサおねーちゃん!」
「マドカ、今日も元気いっぱいですね。」
籠手に覆われた両手を握って嬉しそうにぴょんぴょん飛び跳ねるマドカと、それを嬉しそうな顔で見つめるハフサさん。マドカはもうすっかりハフサさんに懐いてしまっている。ハフサさんがマドカの登校に付き添うようになってからまだ3週間ほどだというのに、だ。
マドカはもともと懐っこいところがあるけど、こんなに早く距離が縮まるのはさすがに珍しい。きっとそれだけハフサさんがマドカによくしてくれているということなのだと思う。
ハフサさんたち『白銀の乙女団』の面々とカナ・オオグチ博士は今、僕たちの家族が暮らすこのアパート『第2しろつめ荘』で暮らしている。彼女たちの目的は、クロの寄生主である僕とその家族を守ること。
彼女たちはいずれクロを自分の世界に連れ帰るつもりらしい。でもクロがいまだに目覚めないためにそれまでの間、僕たちを守ってくれることになったのだ。これはクロを狙う何者かがまた僕や家族を襲ってくるかもしれないという、団長さんの判断によるものだった。
「さあ、参りましょう。」
「うん、お母さん、カナメちゃん行ってきます!」
マドカは元気よく手を振りながら家を出て行った。玄関でその様子を見送っていると、通りの向こうから手を振りながら走ってくる女の子の姿が見えた。マドカの親友トモちゃんだ。合流した三人は何事か楽しそうに話しながら、幼年学校への道を歩いて行った。
ハフサさんはマドカの幼年学校で、保健助手として働いている。ほとんどボランティアみたいなものだけど、お小遣い程度の報酬も出るらしい。家に帰ってからもマドカにずっと付き添ってくれているので、僕や母さんの帰りが遅いときには正直とても助かっている。
「じゃあ、母さんもそろそろ行くわね。」
マドカに続いて母さんも職場である施療院に出勤していった。母さんは階段を降りたところで、待っていた4人の女騎士さんたちと合流した。そのままにこやかに談笑しながら、魔導バスのバス停に向かって歩いていく。
あの4人は母さんの勤める施療院で、施療助手として働いている。4人とも癒しの魔法を使えることはもちろん、ケガや病気をした人への対応などが的確で、非常に助かっているそうだ。
彼女たちは元の世界にいるときにも教会の施療所で働いた経験があるらしく、割とすんなり仕事に馴染むことができたそうだ。もちろんはじめは異世界ということでいろいろな失敗や行き違いがあったらしいけれど、それもだんだんと少なくなっているらしい。
ちなみにハフサさんや女騎士さんたちに職場や住居の世話をしたのは宇津井先生だ。彼女たちの在留資格取得なども、すべて宇津井先生が段取りをしてくれた。
こういう手続きのお役所仕事は、たいてい物凄い時間がかかるのが相場。けれどどういうわけか、先生はあっという間にすべての手続きを終わらせてしまった。やはり貴族と平民ではこういうところに差があるものなのかなと、思ってしまったのでした。
家の戸締りをすべて終わらせた後、僕は隣の部屋の扉を軽くノックした。
「お待たせしました。」
そう言って返事も聞かずに扉を開ける。この流れはほぼ毎日やっていることなので、もうすっかり慣れっこだ。僕が扉を開けると同時に、座禅を組んで瞑想中だった団長さんが、静かに目を開いた。
「・・・参りましょう。」
団長さんはそう言ってさっと立ち上がった。僕はいつものように団長さんに確認した。
「カナ博士は今日も昼からですか?」
すると団長さんは薄く微笑み、翠玉の瞳をちらりと横に向けた。
「ええ、博士はまだ寝ています。闇鬼族は元々夜行性ですから朝は苦手なんですよ。」
闇鬼族のカナ・オオグチ博士は団長さんの隣の部屋に住んでいる。僕には全く分からないけれど、人並み外れた感覚を持つ団長さんにはカナ博士が眠っている様子が感じ取れるらしい。
この『第2しろつめ荘』には6つの部屋がある。1階に3部屋、2階に3部屋の計6部屋だ。そのうち外階段に一番近い2階の201号室が僕たち家族の部屋。その隣が団長さんとハフサさん、一番奥の203号室がカナ博士の部屋だ。
1階の101号室と102号室には、4人の女騎士さんが二人ずつに分かれて住んでいる。103号室は現在空き部屋だ。
もともと3月まで、これらの部屋には他の住民(獣人族や亜人族の人たち)が住んでいた。でも3月中に全員が近くの別のアパートに引っ越していってしまった。もちろん偶然ではないだろう。直接は聞いていないけれど多分、宇津井先生の指金ではないかと思っている。
引っ越していった人たちは皆ホクホクしながら、しろつめ荘よりも少し広くてきれいな部屋に越していったから、もしかしたら結構な額のお金が動いているのかもしれない。
一度それとなくそのことを先生に聞いてみたけれど、うまいことはぐらかされてしまった。だから真相は今でも分からないままだ。
僕は団長さんと一緒に外階段を降り、浮遊自走板を抱えて通りに出た。目指すのは高天原防衛学校へ続く地下道への入口だ。
僕の後ろからはいつものように団長さんが走って着いてきている。マナボはマナバイクや魔導車と比べるとやや速度が遅い。それでも時速15~20㎞くらいの速度で走っているのだ。
それなのに彼女は「ちょうどよい準備運動になるから」といつも涼しい顔で1時間弱の道のりを走ってくる。しかも重そうな金属製の胸当てや鎚矛、それに小盾を装備してだ。
カナ博士によると、これでも団長さんたちは本来の力の10分の1程度しか発揮できていないそうだ。なんでも「団長殿たちの力の源は私たちの世界と強く結びついているから」らしい。
僕たちの世界で過ごしているうちに少しずつ力は戻ってくるそうだけど、全力になったら一体どれくらい強くなるんだろうか。
そう言えば団長さんと一緒に登校するようになってから、僕は地下道で一度も魔獣に遭遇していない。もしかしたら魔獣たちは団長さんの力を感じ取って、どこかに隠れているのかもしれない。
「おはようございます。」
団長さんと二人で教室の扉をくぐると、自分の机で何やら書き物をしていたエイスケがバッと体を起こして僕に駆け寄ってきた。
「おお新道! カナさんは?」
「まだ寝てるみたいだよ。ここに来るのは多分、またお昼くらいじゃないかな?」
僕がそう言うとエイスケはちょっと残念そうな顔で肩を落とした。
「そうか。昨日一緒に考えた設計図の改善点を見せたかったんだが・・・。」
そう言って彼はまた自分の机に帰っていった。
最近エイスケは午後のほとんどをカナ博士と一緒に過ごしている。カナ博士は闇鬼族の『技司』、つまり技術者のような役割をしているらしい。だからきっと同じ技術者同士で気が合っているだろう。
ちなみに団長さんたちがきれいな皇国語を話しているのは、カナ博士が作った『通心の護符』という魔道具の効果なのだそうだ。僕はそれを聞いたとき、翻訳機のようなものなのかなと思って、何気なくカナ博士にそう尋ねてみた。
するとその途端、彼女はすごく嫌そうに顔を顰めて見せた。
「はあ? 翻訳機ですって? 私の護符をあんなちゃちなものと一緒にしないでください。」
その後1時間余り、僕は彼女から『通心の護符』の仕組みについて講義を聞かされることになった。細かい内容は高度過ぎて理解できなかったけど、要約するとこの護符には『自分と相手の発言意図を相互に読み取って、それを互いの母国語として理解させる』という効果があるらしい。
つまり僕は彼女たちが話そうとしている内容を直接心で感じ取り、それを僕自身が皇国語に変換して理解しているということなのだそうだ。
なおお互いに『相手と意思疎通をしようとする』という関係が成立しさえすれば、人間だけでなく動物や植物、魔獣、機械などとも互いの母国語で会話できるようになるらしい。確かに翻訳機なんかとは全然比べ物にならないくらいにすごいと思う。
でも熱すぎる講義を延々と聞かされるのはもうこりごりだ。だからそれ以来、彼女には迂闊に質問しないように、発言に気を付けている。
自分の机に学用品を置いていると、朝の片付けを終えたホノカさんとマリさん、それにテイジが教室に入ってきた。
「おはよう、カナメくん。」
「カナメっち、おはー!」
「おはよう、みんな。」
いつものようにみんなとあいさつを交わす。テイジとは無言で拳をぶつけ合うのがいつものあいさつ代わりだ。
「よーし揃ったな! 早速授業始めるぞ!」
皆が席に着いた頃、教科書を抱えた笹崎教官が教室に入ってきた。午前中の時間割は魔獣学応用と国語。その後はそれぞれの専門課程の学習をすることになっている。
3年生になって勉強内容はますます難しくなった。けれど先生とほぼ一対一で勉強できるので割とスムーズに学習に取り組むことができている。特に勉強の苦手なマリさんには、今の状況が合っているようだ。
ただそのことを考えると、いつも死んでしまった多くの同級生たちのことを思い出してしまい、胸の奥がずきりと痛む。
僕はゆっくりと深呼吸をして学習用のタブレットを開き、教官の送信してくれた魔獣の生態や生息地、対処法をまとめた小テストに取り組み始めた。
昼食の片付けが終わった頃ようやく、眠そうな様子のカナ博士が教室に姿を見せた。
「おはようございます、皆さん。」
「カナ先生! 待ってたぜ!」
エイスケが朝からずっと手に持っている設計図を手に立ち上がる。カナ博士も嬉しそうに彼に歩み寄っていった。
「おーエイスケ氏! ご紹介いただいたあのアニメ、最高でしたぞ! 特に邪悪な勇者どもを殲滅する魔界勇士の変身シーンには、心が震えました!」
カナ博士が動画の映し出されたタブレットを示しながらそう言うと、エイスケは軽く胸を張って鼻を鳴らした。
「ふっ、あの神作画の良さを分かってくれたみたいで嬉しいぜ。ただそんなことよりもこの設計図を見てくれ!」
そう言ってエイスケが差し出した設計図を、カナ博士はまじまじと見た。
「ふむどれどれ・・・いやー、これはダメですね。まるでお話になりません。」
「なんだと! どこがダメだって言うんだ!!」
「いろいろありますが、まずはこことここですね。二系統にするというアイデアは評価できますが、これでは回路への負荷が大きすぎます。」
「いや、そんなことはない! 俺の計算では強度は十分のはずだ!」
勢いよく言い返したエイスケに、博士はニヤリと笑ってみせた。
「ふむ、それほどいうなら実証してみましょう。」
「望むところだ! さあ早く始めよう!」
二人は設計図を挟んであれこれ言い合いながら食堂を出て行く。その様子を見送りながら団長さんは立ち上がり、マリさんとテイジ、それに笹崎教官に話しかけた。
「では団長たちも始めましょうか。」
「よっしゃー! 今日こそ団長先生から一本取らせてもらうよ!」
マリさんが嬉しそうに席を立つ。討伐演習がない日の午後は毎日、マリさんたちは団長さんと一緒に様々な鍛錬に取り組んでいる。どうやら今日は組手をするらしい。
僕の一度見学させてもらったことがあるけどその時、団長さんは強化外装を身に着けた三人を相手に、一人で戦っていた。生身のままで、テイジが振るう戦闘用強化樹脂製の棍棒を小盾で軽くいなし、マリさんと笹崎教官の連携攻撃を鎚矛の一撃で打ち払う。
それはまるで出来の悪い冗談みたいな光景だった。その時の様子を後日、副長のハフサさんに話したら、彼女は少し疲れた顔で自嘲気味に笑って「まあそうでしょうね」と小さく息を吐いた。
ハフサさん曰く団長さんは『個の戦闘力では始まりの大地で最強の一人』らしい。詳しい事情は話してもらえなかったけど、異世界への探索を任されたのも、それが理由だったようだ。
「神竜様と素手格闘できるのは、始まりの大地広しと言えどもあの方ぐらいのものですよ。」
ハフサさんは乾いた声で笑いながら僕にそう教えてくれた。ただその時のことを思い出していたせいなのか、目は大分死んでいたけれど。
神竜っていうのがどんな存在なのか分からないけれど、名前に『神』って付いてるくらいだから、きっと戦っちゃいけない相手なんじゃないのかなーと、彼女の反応を見ながら僕は思った。
彼女によると団長さんは元々、『聖女』という役職の候補の一人だったそうだ。しかしいろいろな事情でその資格が得られず、15歳の時に聖女を守護する騎士団の団長に選ばれたという。ただ団長さん本人は、そのことを誰よりも喜んでいるらしい。
ちなみにハフサさんは団長さんの乳姉妹として育てられた人で、これまでずっと一緒に過ごしているそうだ。なお二人は同い年で、今18歳らしいです。
皆を見送った後ホノカさんと二人で話をしていたら、戦闘服姿の宇津井先生がやって来た。
「カナメくん、ホノカくん。我々も始めようか。」
「はい。よろしくお願いします、宇津井先生。」
僕とホノカさんは宇津井先生と一緒に飛行訓練をすることになっている。三人で『白鷹』の格納庫へ向かい発進準備を終えたところで、航行補助員席に着いた宇津井先生がホノカさんに尋ねた。
「本日申請している飛行ルートは?」
「戦闘機動で霧島基地上空まで飛行しその後、東の海上へ抜ける予定です。海上でマーカー回収飛行訓練を行うことになっています。けど・・・。」
「どうかしたのかね?」
言い淀んだホノカさんに宇津井先生がそう尋ねると、彼女は僕と先生に訓練予定領域の画像データを送信して言った。
「航空科の2年生と一部訓練領域が重なっています。」
「ふむ。どの程度かな?」
「宮崎平野上空ですれ違う程度なんですが・・・。」
僕の下級生である航空科の2年生は1年間の仮想実習を終えて、4月に実際の飛行訓練を始めたばかりだ。通常なら他学年と訓練領域が多少重なっても別に問題にはならない。
ただ僕たちの場合はちょっと事情が違う。あの白龍事件のせいで、僕たちは他学年からあまりよく思われていないからだ。特に2年生の航空科担当である細田教官は、職員会議で僕たちを退学させるよう強く主張したうちの一人だと噂で聞いている。だからこのままでは、お互いにとってあまり楽しいことにはならないような気がする。
宇津井先生はほんの少し考えた後、ホノカさんに指示を出した。
「よし、ではこちらは超低空のルートを設定しよう。管制へそのように連絡してくれ。」
「了解しました。」
超低空飛行は魔獣との遭遇率が高くなる。訓練を始めたばかりの2年生は通常高度を飛行するはずだからきっと何も問題は起きないだろう。唯一問題があるとすれば魔獣と遭遇した場合、僕が一人で対処しなくてはならないということくらいだろうか。
それが分かっているからだろう、宇津井先生はニヤリと笑って僕に個別通信を送ってきた。
「(大丈夫だな、カナメくん?)」
「(はい。問題ありません。いけます。)」
苦笑交じりに僕がそう返すと、先生は満足そうに大きく頷いた。僕は魔力の翼に力を込め、薄青い春の大空めがけて滑るように機体を飛翔させた。
読んでくださった方、ありがとうございました。




