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37 思い出

お話を書いている時間が、すごく楽しいのです。

 父さんの話を終えた母さんは、詰めていた息を小さく吐いて僕を正面から見つめた。


 ここは旧校舎にある宇津井先生の研究室。僕を連れてこの部屋にやってきた母さんを見た時、宇津井先生は小さく「そうか」とだけ呟いて僕たちを応接用のソファに案内してくれた。


 部屋の中にいるのは向かい合って座っている僕と母さん。そして僕たちを左右から見つめる形で、宇津井先生と四宮先生が座っている。


 僕が攫われたことが分かった時、宇津井先生は母さんとマドカをこの旧校舎に避難させてくれたという。今、マドカは校舎の仮眠室で眠っていて、笹崎教官が見てくれているそうだ。






 母さんが長い話を終え口を閉じたことで、部屋の中に沈黙が降りた。心配そうな顔をして僕の様子を見ている大人たちの前で、僕は思わず自分の右目を義手で押さえた。


「この目が・・・父さんの・・・?」


 思ったよりも僕の声は小さく、そして震えていた。母さんは小さく頷くと僕に頭を下げた。


「今まで隠していてごめんなさい。」


 俯いた母さんの肩は今にも折れてしまいそうなほど、細く弱々しい感じがした。僕は辛そうな様子の母さんを見ていられなくなり、精一杯の声で母さんに話しかけた。


「ううん、話してくれてありがとう母さん。」


 顔を上げた母さんにそう言って笑いかけたつもりだったけれど、頬が引き攣れるような感じがして上手く笑えなかった。それを誤魔化すように、僕は母さんに問いかけた。






「それで、父さんはその後どうなったの?」


 僕の問いかけに母さんはハッとしたように一瞬口を小さく開いた。でもすぐに唇を噛んで口を噤んでしまった。膝の上でぎゅっと握られた母さんの拳は震えていた。


「それは私から話そう。」


 そう言ったのは宇津井先生だった。


「お義父さん・・・!」


 母さんは青ざめた顔で宇津井先生をそう呼んだ。でもそれを聞いても、僕は驚かなかった。母さんの話を聞いているうちに、何となくタダヒト隊長という人は宇津井先生なのではないかと思っていたからだ。






「いつか話さなくてはならないと思っていたことだ。」


 そう言って宇津井先生は僕の方に向き直った。母さんはその様子を、どこか決然とした表情で見つめていた。


「君のお父さん、ハヤトは私が殺した。」


「宇津井先生が・・・!?」


 僕の言葉に、先生は厳しい表情で頷いた。僕は世界が足元から崩れていくような錯覚を覚え、思わずソファのひじ掛けを左手でぎゅっと掴んだ。そんな僕に四宮先生が今にも泣きそうな声で語り掛けてきた。






「隊長が部隊を率いて現場に駆け付けた時、魔獣となったハヤトさんは炎の巨人たちを倒し終えたところだったの。でもね、その時にはもう、ハヤトさんは人間の心を完全に失ってしまっていたのよ。」


 父さんは本能のままに荒れ狂い、衝動に突き動かされる破壊の化身と化していたそうだ。その場に駆け付けた宇津井先生たちだけでなく、ようやく意識を取り戻した母さんにまでも手にかけようとしたという。


 それを四宮先生が話した時、母さんは辛そうな表情で俯いた。四宮先生は「マコト」と母さんの名を呼び、固く握り締められた母さんの手にそっと自分の手を重ねた。


 母さんが四宮先生に小さく頷いて「大丈夫よ、ルリ」と答えるのを聞いた後、宇津井先生は再び話し始めた。






「あの魔獣を見た時、私はすぐにハヤトだと分かった。だが私は皇国軍人として、魔獣となったあの子を討伐した。」


 宇津井隊を中心とした戦闘魔導機部隊と強化兵団が総力を挙げて討伐にあたったそうだ。戦いは長く続いたけれど、父さんは決してその場を離れようとせず、最期は全身に魔導機銃の一斉掃射を浴びて倒れたという。


「理性を無くして魔獣と化した後も、その場を動かず君たちを守るという本能だけは残っていたのだろう。」


 宇津井先生はそう言って口を噤んだ。その後を引き継ぐように語り始めたのは、母さんに寄り添うようにしゃがんでいた四宮先生だった。






「討伐された後、ハヤトさんは人間の姿に戻ったわ。当時、部隊の研究員として隊長の側にいた私は、隊長と共にあなたのお父さんの最期を見届けたの。」


 人間の姿に戻った父さんは、宇津井先生の腕の中で死んだそうだ。息を引き取る間際、父さんは先生に「俺の家族は・・・?」と尋ねたという。


「隊長が『無事だ、よくやった』と言葉をかけると、ハヤトさんはほんの少し笑ったわ。そしてそのまま灰になってしまったの。」


 そこまで話したところで、四宮先生はこみ上げてきた嗚咽のためにそれ以上しゃべれなくなってしまった。母さんは蹲って肩を震わせる四宮先生の背中を優しく撫でた。その目には何とも言い様のない悲しみが溢れているように、僕には見えた。






「私は軍人としてあの子を討伐したことを後悔してはいない。だが君から父親を奪ってしまったことは事実だ。今まで隠していたことと合わせて、君に謝罪したい。本当にすまないことをした。」


 宇津井先生はそう言って僕に深々と頭を下げた。それを見た瞬間、僕は咄嗟に叫び出したくなるような衝動に襲われた。怒りとも悲しみともつかないその感情を僕は必死に噛み殺し、ごくりと大きく唾を飲み込んだ。


「先生が悪いんじゃありません。頭を上げてください。」


 自分が思ったよりもずっと穏やかな声を出せたことに、少し驚いてしまった。僕の顔をじっと見つめる大人たちの顔を一人一人見てから、僕はゆっくりと話し出した。






「先生はやるべきことをしただけです。むしろ父さんが他の人を傷つける前に止めてくれてよかったと思います・・・ありがとうございました先生。」


 僕がそう言って頭を下げると、四宮先生が小さく息を呑む音が聞こえた。下を向いた僕の頭の上から母さんは「カナメ」と僕の名を呼んだ。その声はなんだか水の中で聞いているように、遠く聞こえる感じがした。


「あなたにお父さんのことを話さなかったのは、私たち三人が相談して決めたことよ。」


 母さんはそういって四宮先生の方を向いた。


「部隊の研究員だったルリは隊長の命令でお父さんの体のことについて、ずっと調べてくれていたの。それであなたの治療をしてくれることになったのよ。」


 母さんの言葉に四宮先生が頷くのを、僕は窓の外から知らない誰かの部屋を覗いているような気持ちで見つめた。






「カナメくんの体に組み込まれたハヤトさんの右目は、魔獣化して魔力に寄生することであなたの命を繋ぎとめてくれた。でもこのままだとまたいつ暴走してしまうか分からない。だから私は隊長に協力してもらい、ハヤトさんの右目を封印することにしたの。」


 四宮先生と宇津井先生は、術式と機械を組み合わせた制御装置を作り、魔獣化した父さんの右目を封印することに成功したそうだ。四宮先生はその様子を詳しく説明してくれたけれど、僕はその言葉があまり頭に入ってこなかった。


 なんだか耳の奥に水が詰まっている時のような不快感がずっと続いている。それでも僕は必死に冷静さを取り繕い、四宮先生の話に耳を傾けた。






「本当はハヤトさんの右目をあなたから除去しようとしたのよ。でもハヤトさんとあなたは強く結びついていて、除去出来なかった。それで私があなたのことを見守ることになったの。」


 ホノカさんの一件で僕が制御装置を壊してしまったせいで一時はかなり危なかったけれど、僕は辛うじて魔獣化せずに済んだらしい。


 でも僕がクロと出会い、彼を体内に取り込んだことで状況が一変してしまったそうだ。


「今は詳しく話せないけれど、あなたの体の中に眠るハヤトさんの力のことをある組織に知られてしまったの。」


 僕はほとんど機械的に、四宮先生に問い返していた。


「もしかして、父さんに実験をしていたあの組織ですか?」


「そうとも言えるし、違うとも言えるわ。」


 四宮先生はそう言うと、すこし怪訝な顔で僕を見ながら話を続けた。






「ハヤトさんに強化実験を施したのは皇国のとある組織よ。でもその組織はすでに壊滅させられ研究内容も秘匿されている。でもそれを再び手に入れようとする連中が現れたの。私を捕え、機密を聞き出そうとしたのもその連中よ。」


 四宮先生の言葉で、あの時のサイコ野郎のことが思い浮かんだ。


「そういえばクロがあの男を『私の同族だ』って言っていました。もしかして父さんの力はクロに関係があるんですか?」


 僕の問いかけに四宮先生は小さく頭を振った。


「申し訳ないけれど、今はこれ以上詳しく話すことはできないわ。」


「・・・そうですか。ありがとうございました。」


 僕は自分が四宮先生にお礼を言うのを、ぼんやりと聞いた。自分の声なのに、まるで別の誰かが話しているような不思議な感覚だった。






「もう夜が明けてしまったな。続きはまた別の機会に話すことにしよう。カナメくん、少し休みたまえ・・・顔色が悪い。」


 大人たちはとても心配そうに僕を見ていた。僕は何となく母さんに視線を向けた。でも母さんと目が合った瞬間、なぜか僕は反射的に目を逸らしてしまった。母さんは優しい声で僕に尋ねた。


「私はマドカを連れて一度家に戻るわ。あなたはどうする?」


「僕は・・・少し休んでから帰るよ。」


「・・・そう、分かったわ。気を付けて帰っていらっしゃい。」


 僕は三人にお礼を言ってから部屋を後にし、分隊の皆が待つ控室へと歩き出した。
















 部屋を出て片足を引きずりながら廊下を歩いていくカナメを、三人の大人たちは後ろからじっと見守った。


「カナメくん、気丈にしていましたね。でもかなり辛そうでした。」


「まだ14歳なのだ。無理もない。」


 ルリの言葉に、宇津井はそう言って小さく息を吐いた。


「マコト、やっぱり一緒に連れて帰った方がいいんじゃ・・・。」


「そうね・・・でも、私と顔を合わせるのも辛いんじゃないかと思うの。」


 マコトは我が子の後ろ姿を見つめたまま、そう答えた。


 カナメが無理をしているのは一目で分かった。しかしマコトには、そんなカナメにかける言葉が見つからなかった。


 何も言わずに抱きしめてよかったのかもしれない。でもそうすることで、余計にあの子を傷つけてしまうかもしれない。


 カナメの胸中を思えば思うほど、マコトは迷った。


 




 よろよろと遠ざかっていくカナメの姿を見ているうちに、マコトはようやく心を決めた。


 しかし一歩踏み出そうとした彼女を、宇津井が引き留めた。


「心配ない。ほら。」


 廊下の向こうからカナメの仲間たちが走って来た。彼らはカナメを取り囲むと、すぐにその手を取り肩を叩いてカナメを励まし始めた。


「あの子をあんな風に迎えてくれる仲間がいるなんて・・・。」


 呆然と呟くように言ったマコトの肩に、宇津井はそっと手を触れた。






「カナメくんはハヤトに似て強い子だ。きっと乗り越えてくれるだろう。」


 マコトは少し上を向いて目をしばたたかせると、カナメによく似た笑顔で独り言ちた。


「・・・子どもの成長には本当に目を見張ってしまいますね。」


 ルリがマコトにそっと寄り添い、二人は頷きあった。宇津井はマコトに言った。


「マコトくん、あれをカナメくんに渡してもいいだろうか?」


 マコトは一瞬、虚を突かれたような表情をした。だがすぐに泣き笑いの声で返事をした。


「ええ、お願いします。きっとあの人も喜んでくれるはずです。」


 遠くに子どもたちの声を聞きながら、三人はその場を後にした。
















 僕は、廊下の向こうからすごい勢いで走ってきた皆に取り囲まれた。皆の泣き笑いの顔を見ているうちに、僕はなんだかふわふわした気持ちがすうっと落ち着いていくのを感じた。


「みんな、僕を待っててくれたの?」


「いや、なんつうか眠れなくてよ。まあ、ただそれだけだ。」


 エイスケはバツが悪そうにそう言った後、僕に顔をグイっと近づけた。


「それより、お前大丈夫か? ひでえ顔してるぞ。」


「う、うん。母さんの話が長くて少し疲れちゃっただけだよ。大丈夫。それに顔色なら、エイスケも人のこと言えないよ。」


 エイスケは疑うような目つきで僕の顔をじっと見た後、フンと大きく鼻を鳴らした。






「確かにちっとしんどいな。よし、腹も減ったし朝飯喰って少し休むか。」


 エイスケの言葉にマリさんが「さんせーい!」と大きく声を上げ、僕に向き直った。


「あのねカナメっち! 笹崎教官が『今日は特別に休んでいい』だって。」


 急に授業が休みになったことで、マリさんはとても嬉しそうだ。確かにあんなことがあったばかりだし、皆ほとんど一睡もしていないんだから、休みは本当にありがたい。


「じゃあ、僕も一緒に朝食を作るよ。」


 エイスケはそう言った僕に、びしりと人差し指を突き付けた。






「いや、俺がやるからお前は少し休んでろ。阿久猫と鬼留もだ。」


「えー!? あたしもう元気だよ?」


「黙れ! 病人は大人しく寝てろ!! ほら早く行くぞ!!」


 僕は皆に空いている仮眠室へ押し込まれてしまった。この校舎、ボロボロだけど部屋数だけは多いからこういう時はとてもありがたい。


 広い部屋の中にポツンと置かれた寝台に横になってみた。でもすぐに起き上がって、寝台の縁に腰かけた。


 強化樹脂の白い床をじっと見つめながら、僕は父さんの話を思い出した。するとまた世界がゆらゆらと揺れるような感じがする。


 言い様のない不安に飲み込まれそうになったその時、部屋のドアがトントンとノックされ、僕はハッと我に返った。


「ホノカさん!」


 部屋に入ってきたのはホノカさんだった。寝台に腰かけている僕を見て、彼女は困ったような笑顔を見せた。


「やっぱり起きてたんだね。眠れないんでしょう?」


「うん。なんだかいろいろ考えちゃって。」






 彼女は黙ってすとんと僕の右側に腰を下ろした。二人分の重みで固い寝台のマットが少し沈み、僕たちの距離が近づく。


 彼女は何も話さなかった。小さな体のぬくもりが心地よかった。僕はこれまでずっと抱えていた思いを彼女に話したくなった。


「ねえホノカさん。」


「なに、カナメくん?」


「よかったら、僕の話を聞いてくれないかな。」


 僕はホノカさんに父さんの話をした。彼女は僕の右手ぎしゅに触れたまま、黙って聞いてくれた。


 一通り話を終えた後、僕は黙り込んだ。そしてぐっと息を呑んだ後、母さんたちに言えなかったことを彼女に話した。






「僕、ずっと考えてたんだ。」


 彼女は小さく「うん」と頷いた。


「父さんは僕を助けるために死んだんじゃないかって。」


 彼女は何も言わなかった。ただ僕の顔をじっと見つめていた。


「僕があんなことにならなければ、父さんは生きていられたんじゃないかな。僕が母さんやマドカから父さんを・・・。」






 僕はこれ以上、言葉を続けることができなかった。ずっと抑えていた気持ちを言葉にしたことで、それはより一層、重たく僕にのしかかってくるような気がした。


 父さんの話を聞いている間ずっと、母さんの悲しそうな顔を見るたび、僕は叫び出したいような衝動にかられていた。それが母さんに対する申し訳なさだったのだと、言葉にしてみて初めて気が付いたのだ。


 僕はぐっと目を瞑った。きつく閉じた瞼の奥から熱いものが溢れてきた。僕はそれを零すまいと奥歯を噛み締め、両拳を強く握り締めた。


 ホノカさんは立ち上がり僕の正面にしゃがみ込むと、僕の顔を見上げながら尋ねてきた。






「ねえ、カナメくん。あの時、どうして自分を犠牲にしてまで私を助けてくれたの?」


 ホノカさんに急に尋ねられたことで、僕はハッと顔を上げた。どうして今そんなことを尋ねるのか、僕には全く理解できなかった。


 まっすぐに僕の目を見る彼女に、僕はおずおずと答えを返した。


「それは・・・理由なんかないよ。あの時は、そうするのが正しいって思ったんだ。」


「死んじゃうかもしれなかったのに?」


 彼女は真剣な眼差しでそう問いかけてきた。その視線があまりにも強かったので、それまでずっと心を占めていた後悔の気持ちを、僕は忘れることができた。


 僕は少し考えてから、ゆっくりと彼女の問いかけに答えた。


「うん。だってホノカさんは僕らの・・・僕の大切な人だから。」


 僕の答えを聞いたホノカさんは、小さく笑った。






「きっとカナメくんのお父さんも同じだったんじゃない?」


 彼女の言葉を聞いて、僕の心の中に小さいころ一緒に過ごした父さんの姿が一気に溢れ出した。いつも僕たち家族のことを第一に考えていた父さん。傷だらけの体を少し恥ずかしそうにしていた父さん。そして僕たちのことを楽しそうに描いていた父さんのことも。


 その一瞬で、僕は父さんの気持ちがはっきりと理解できた。


『カナメ、強い男になるんだぞ。』


 無口な父さんが口癖のように言っていた言葉が耳の奥に蘇る。死んでしまった父さんには、きっとたくさんの心残りがあったことだろう。でも僕たちを守るために死んだ父さんに、後悔の気持ちなんかあるわけがない。


 それなのに僕が後悔に押しつぶされていいはずがない。父さんの代わりに家族を守れるのは、僕しかいないんだから。そう考えた時、父さんの大きな笑顔が瞼の裏に浮かんだような気がした。






「ありがとうホノカさん。」


 僕は晴れ晴れとした気持ちで彼女にお礼を言った。彼女は少し恥ずかしそうにこくりと頷くと、また黙って僕の隣に座った。彼女が僕に体を預けるのと同じタイミングで、僕も彼女にそっと体を寄せた。僕は彼女の華奢な肩に手をかけた。彼女は僕を見上げた。


「僕、父さんの気持ちが分かったんだ。ホノカさんのおかげだよ。」


「・・・よかったね、カナメくん。」


 いつもは少し幼く見えるホノカさんが、とてもきれいに見えた。母さんを見ていた時、父さんはこんな気持ちだったのかもしれないと思った。


「ホノカさん、僕、君のことが好きだ。」


 僕は彼女の頬に手を触れた。彼女は黙って目を瞑ってくれた。躊躇うように触れた彼女の唇は、とても小さくて驚くほど柔らかかった。






 その時、扉の外でことりと物音がした。ホノカさんはハッと僕から体を離すと、赤い顔をしたまま唇に人差し指を当てた。僕は黙って頷くことで、彼女に答えた。二人でそっと耳を澄ますと、扉の向こうからひそひそとした話し声が聞こえてきた。


「(おい、急に静かになったぞ。大丈夫か?)」


「(しいっ! 静かにしてマルちゃん! 邪魔しちゃダメだって!)」


 それを聞いた途端、ホノカさんの表情がみるみる変わっていった。眉を怒らせた彼女は寝台を飛び降りると、さっと扉にとりついた。






「(やばっ! こっちに来・・・!)」


 その声と同時にホノカさんが扉を引くと、それまで扉に張り付いていたどっと三人が雪崩れ込んできた。


「マリちゃん! 丸山さん! それにテイジくんまで!! 何やってるんですか!!」


 ホノカさんの剣幕にしどろもどろになったマリさんが言い訳を始める。


「盛り上がってるとこ、邪魔してゴメンね! いや、あんまり帰りが遅いから、その心配になっちゃって。ねえ、マルちゃん?」


「うん、そうなんだ。もしかしたら一緒に寝ちまったのかなーってさ。いや、一緒に寝るって言っても、別にそういう意味じゃねえんだけど・・・。」


 焦っておかしなことを言いだしたエイスケの言葉を聞いて、ホノカさんはたちまち夕日みたいに真っ赤になった。






「もう何言ってるんですか!」


 その後、僕も一緒になってホノカさんを宥めた。謝ってくれたみんなと一緒に朝食を摂りながら、僕は父さんの話を(少しかいつまんで)話した。その時には、ホノカさんに話した時よりもずっと楽に話すことができた。


「新道、お前も大変だったな。でもまあ、なんだ、その・・・うまく言えねえけど、俺たちは一緒にいるからよ。」


 そう言ったエイスケの照れくさそうな表情が何とも可笑しかったので、僕たちは皆で笑ってしまった。笑うたびに溢れてくる涙を、僕は服の袖で何度も拭った。


 エイスケはそんな僕を見て「泣くほど笑うことねえだろうが!」と少し赤い顔をして怒ってみせた。






 朝食の片づけを終えて、それぞれの部屋に向かおうとしていると、食堂に宇津井先生がやってきた。


「カナメくん、君に渡したいものがあるんだ。」


 先生はそう言って、きれいな額に入った小さな絵葉書を僕に差し出した。


「これは・・・父さんの?」


 そこに描かれていたのは5歳の僕と母さん、それに生まれたばかりのマドカだった。写真のように細密に描かれた鉛筆の素描の横には『また今度

義母さんのお墓参りに行きます』という短いメッセージが書かれていた。






「ハヤトが私に送ってくれた最後の便りだ。いつかあの子のことを話したら、君に渡すつもりだった。これは君が持っていてほしい。きっとあの子も喜ぶだろう。」


 宇津井先生はそう言って食堂を出て行った。絵葉書のなかで僕たちは本当に幸せそうに笑っていた。


 気が付いたとき、僕は絵葉書を胸に抱えたまま、小さな子供のように声を上げて泣いていた。僕の大切な仲間たちは、そんな僕を気遣うようにそっと僕に寄り添っていてくれたのだった。

読んでくださった方、ありがとうございました。

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