35 父の物語 前編
長くなったので二つにしました。
880号は施設に来る前のことをよく覚えていない。ただ酷く寒くてひもじかったことだけはよく覚えている。だから今の施設、『白い校舎』での暮らしを、彼はとても幸せだと感じていた。
白い校舎の中で彼は、9人の男の子たちと一緒に生活していた。彼らの服にはそれぞれ871号から880号までの番号が振られていて、お互いその番号で呼び合っていた。皆、自分の名前を憶えていなかったからだ。
もしかしたら最初から名前がなかったのかもしれない。ただそのことを考えようとするといつも、頭の奥が痺れたようになり、胸が酷く痛むのだ。だから深く考えたことは、一度もなかった。
校舎の暮らしは単調だが穏やかなものだった。毎日同じ時間に起きて、白い防護服を着た男たちが運んでくる食事を食べる。その後は勉強。彼らに読み書きを教えてくれたのは、モニターで繰り返し流される教育用動画だ。
勉強が終わるとまた食事。その後は自由時間だ。校舎から出ることは禁じられていたけれど、校舎内は十分に広かった。だから体を動かして遊ぶことも可能だったのだ。
また校舎内には子ども用の絵本や積み木、室内で遊ぶための遊具類が備え付けられていたため、遊びには事欠かなかった。彼らは毎日10人で楽しく遊んでいた。
遊びが終わると校舎内にある浴室で体を清め、瞑想をする。これは魔力を高めるための修行らしい。そして食事をして眠る。眠るのは10個の寝台が並んだ広い寝室だ。閉ざされた空間の中で、彼らは仲の良い兄弟のように暮らしていた。
ただいくら仲が良いとは言っても、子どもなのでケンカになってしまうことはある。そういうときにはすぐに防護服を着た男たちが校舎内に入って来て、ケンカしている子どもに注射をうった。注射をうたれた子どもはすぐにぐったりと動かなくなり、しばらく目を覚まさないのだった。
880号も一度だけこの注射をうたれたことがある。眠っている間、彼は恐ろしい夢をたくさん見た。だからそれ以来、彼はケンカをしないように気を付けて生活するようになった。それは彼以外の子どもたちも同様。それくらい恐ろしい夢だったのだ。
880号は、出入口が一か所あるだけのこの部屋の中でケンカが起こっていることを、防護服の男たちはどうやって知っているのだろうと不思議に思った。ただ防護服の男たちは常に無言だったので、それを知ることはできなかった。
880号は体を動かすことも好きだったけれど、一番好きだったのは絵を描くことだった。彼はいろいろな絵を描いた。皇国の神話に出てくる英雄や魔獣。教室内の様子。一緒に暮らしている子どもたちの顔。
絵を描いている時だけは、いつもふわふわして不安定な気持ちがすっきりと澄み切っていくような気がした。他の子どもたちは皆、彼の絵を「うまい」と褒めてくれた。
中でも彼と特に仲の良かった875号という男の子は、彼の絵をとても好きだと言ってくれた。875号は丸い頬っぺたをした可愛らしい男の子だった。
「君の絵を見てると、すごく気持ちが落ち着くんだ。」
875号はそう言って、彼の書いた絵を自分の寝台の近くの壁に貼ってくれていた。
そんな暮らしがどれくらい続いただろうか。大きかった寝台からすこし足が出るようになった頃から次第に、880号は悪夢にうなされるようになった。見るのはあの注射をうたれた時に見る夢。自分の体が溶け崩れ、得体の知れない怪物へと変貌していく夢だった。
彼と同様に、同室の子どもたちも同じ夢を見ていると話していた。彼らにはその理由は分からなかったが、もうすぐ何か恐ろしいことが起きるのではないかという確信めいたものを感じていた。
彼らは次第に口数が少なくなり、一人で過ごすことが多くなっていった。誰かと一緒にいると、胸の奥から熱いものが湧き上がって来て、目の前の相手に飛び掛かりたい衝動に襲われるようになったからだった。実際、流血を伴うほどの乱闘が起きることもあり、白い防護服の男たちに注射をうたれることが多くなっていった。
そんな中、880号はひたすらに絵を描いて過ごしていた。ある時、青白い顔をした875号が彼の所にやって来て言った。
「ねえ、僕の顔を描いてくれない?」
丸かった875号の頬はこけ、いつも笑顔の絶えなかった瞳にも涙が浮かんでいる。そこで初めて、彼自身ももう何日もの間、食事を摂っていなかったことに気が付いた。あの防護服姿の男たちも注射をうつとき以外は姿を見せなくなっていた。
彼は875号の似顔絵を描いた。今にも泣き出しそうな現在の875号ではなく、彼の大好きだった、丸い頬をして笑っているの875号の顔。出来上がった似顔絵を見て875号は、痩せこけた顔でにっこりと微笑んだ。
「ありがとう、大切にするね。」
彼はそう言って、似顔絵を大切に自分の服のポケットにしまい込んだ。
それからほどなくして、彼らの予感した通り恐ろしい出来事が起こってしまった。ある朝、目が覚めると871号の姿が消えていたのだ。
昨夜、確かに寝台に入る871号の姿を全員が目にしていたにもかかわらず、朝にはもうどこにもいなくなっていた。少年たちは恐れ混乱した。880号も同じように動揺しながらも心のどこかで、「ああ、ついに来るべきものが来たのだ」と感じていた。
次の日から番号順に少年たちは姿を消していった。彼らは眠ることを恐れ、寝台に近づかなくなった。そして眠らないように教室の隅に固まり、じっとして過ごした。
しかしどんなに眠らないように頑張っても、彼らは全員が意識を失うように眠りに落ちてしまった。そして翌朝にはまた一人消えている。
やがて彼らは互いに避け合うようになった。仲間が消えるという怖ろしい現実から目を逸らそうとした結果だった。
そんな中、880号はひたすらに絵を描き続けることで、恐怖と孤独に耐え続けた。描くのは仲間たちの顔。そして全員が再会して、また幸せに暮らせるようになる、明るい未来の姿だった。
もうそんな未来が訪れないということを、彼は何となく理解していた。ただそうしなければ今にも自分の中にいる得体の知れない何かに、心も体も食い尽くされてしまいそうな気がしていた。
彼は絵を描き希望を抱き続けることで、生きることを諦めずにいられたのだった。
875号が消える日の夜、880号は彼の所へ行った。彼は自分の寝台の横に膝を抱えて座り込み、静かに涙を流していた。手にはボロボロになったあの似顔絵が握り締められていた。
「ねえ、僕、どうなっちゃうのかな?」
彼は不安そうにそう尋ねた。骨の浮いた顔の中で目だけが異様なほどの光を放っていた。880号は何も言うことができなかった。だから黙って自分の描いた絵を差し出した。楽しそうに笑っている自分と875号を描いた絵。その周りには消えていった仲間たちを含む全員が描かれている。
その絵を見た瞬間、875号は声を上げて泣き始めた。880号は泣いている彼をしっかりを抱きしめた。やがて二人は泣き疲れて眠りに落ちた。意識を失う瞬間、880号は875号の声を確かに聴いた。
「ありがとう。君がいてくれて僕は本当に幸せだった。」
翌朝、彼の腕の中にいたはずの875号の姿はもうどこにもなかった。彼はその日から一人きり、875号の顔を描いて過ごした。絵の中の彼はいつも楽しそうに笑っていた。
やがて880号の番がやってきた。かつては少年たちの明るい声が響いていた白い校舎。その中にポツンと座って絵を描いている彼の下に、白い防護服を着た男たちがやってきた。彼はその時初めて、防護服の男たちの声を聞いた。
「お前が最後だ。眠らせる手間が惜しいから、暴れるんじゃないぞ。」
男たちは彼を校舎から連れ出した。初めて見る外の世界。しかし夜の闇に包まれたそこは、校舎と同じ白い樹脂で出来た冷たくて長い廊下だった。
彼は別れを告げようと、自分の出てきた校舎を振り返った。重いハンドル式の鍵が付いた校舎の扉には『第8実験舎 生物災害厳重注意』と書かれていた。
彼は後ろ手に拘束され、目隠しをされたまま長い廊下を歩かされた。拘束と目隠しを解かれた時、彼がいたのは10m四方程度の正方形の空間だった。壁は校舎と同じ白い樹脂で出来ていた。
継ぎ目のない壁をキョロキョロと見回していると、やがてどこからともなく男の声が聞こえてきた。
「(検体番号880号。最終覚醒実験を開始します。)」
その声と共に正面の壁がゆっくりと上へスライドしていった。そしてその向こうから、恐ろしい姿をした怪物がぞろりと這い出してきた。それは彼がこれまで夢に見続けたのと同じ、あの異形の化け物だった。
怪物の大きさは3m以上。人型だが二足歩行はせず、四つん這いになった姿勢で這うように彼の方へ近づいてきた。
頭髪のない頭部には瞼のない眼球がいくつもあり、異様な光を放っている。縦線のように閉じた鼻腔。何重にも鋭い牙の生えた大きな口。そこからは先端が二つに分かれた長い舌が飛び出していた。
表面が溶け崩れたような肌を持つねじくれた身体には長い手足が付いており、その先には鋭い鉤爪がある。怪物は身構えると、素早い動きで彼に飛び掛かってきた。自分に向かって鉤爪が振り下ろされるのを、彼はまるで他人事のように無感情に見つめた。
彼は腹部を爪で大きく引き裂かれ、そのまま壁まで吹き飛ばされた。痛みは感じなかったが、体の熱が急速に腹から流れ出していく感覚だけはしっかりとあった。
ああ、これが死か。
彼は壁際で捨てられた人形のように転がったまま、ぼんやりとそう考えた。暗くなっていく視界に消えていった仲間たちの顔が浮かぶ。彼らは泣き顔で何かを必死に叫んでいたけれど、その声はまったく聞こえなかった。
「(瀕死時の移植因子覚醒率0%。失敗です。)」
さっきの声が壁から響く。それに続いて大きな舌打ちと苛立たし気な声が聞こえた。
「(0%だと!? それでは、ただの子どもと変わらないではないか。もういい、即時廃棄だ。)」
大きなため息とともに吐き捨てるような声が響いた次の瞬間、四つん這いになっていた怪物が立ち上がり、両手を広げて大きく咆哮を上げた。
空気を揺るがすほどの咆哮によって、壁の向こうで話している誰かが息を呑む音がはっきりと880号の耳にも聞こえた。
その声を聞いた瞬間、880号は胸の奥から熱い塊のようなものが溢れ出し、全身に広がっていくのをはっきりと感じた。まるで自分の体の中にいる何かが、目の前で咆哮する怪物に呼応しているようだった。
彼は自分でも気が付かないうちにその場に立ち上がり、怪物と向かい合っていた。内臓に達するほど深かった傷も、跡形もなく消え去っていた。
「(移植因子が急速覚醒しました!覚醒率90・・120・・まだまだ上昇していきます!)」
その声が終わらないうちに、彼は目の前の怪物に向かって鋭く両腕を振り下ろしていた。彼の腕にはいつの間にか、白く輝く大太刀が握られていた。それは彼の大好きな絵本に登場する、皇国の英雄が手にしていたものと全く同じものだった。
大太刀は目の前の怪物の体を大きく切り裂いた。怪物が苦悶の声を上げ、彼の足元に崩れ落ちた。
「(おお、魔装化したぞ! やっと成功か!! これで帝もお喜びになる!!)」
「(いえ、覚醒が止まりません! このままでは暴走します!!)」
「(なに、またか!? 貴重な成功例なのだぞ! 止めろ、今すぐ止めるのだ!!)」
壁の声が合図になったかのように、彼の体は変貌を始めた。体が膨張し、それに耐えきれなくなった皮膚がひび割れるように裂ける。骨が急速に成長し、筋肉や内臓を引き千切りながら体が巨大化していった。
ズタズタになった体組織がでたらめに結びつきながら修復したことで、彼の体はみるみるねじ曲がっていった。今や彼の体は、自分が斬り倒したのと同じ怪物の姿へと変わりつつあった。
しかし彼自身は、そのことを特に何とも感じていなかった。今自分が体験したことで、消えた仲間たちがどうなったかを悟ったからだ。
おそらく仲間たちは皆、この怪物に殺されたのだろう。そして怪物を殺した自分もまた怪物となる。彼はそれが一人残された自分にふさわしい末路だとぼんやり考えた。
彼は次第に考えが混濁していくのを感じた。おそらく変形が脳に及んだことで、まともにものが考えられなくなっているのだろう。胸の奥から迸る何かが自分の体を壊しているのに、それをちっとも怖いと思えない。
むしろ新たな力を得られた喜びと、言い知れない破壊の衝動が湧き上がってくる。それに突き動かされるままに、彼は両手を突き上げて大きく咆哮した。
激しい警告音が響くのを遠くで聞きながら、彼は自分の中に溢れる力に酔っていた。もうじき自分の意識も消える。完全な怪物になればもう、悲しい思いをすることもなくなるだろう。
これで、いいんだ。
そう思ったとき、彼は突然何者かに両足首を掴まれ、床に激しく引き倒された。彼の足首を掴んでいたのは、彼が斬り倒したはずのあの怪物だった。瀕死の怪物は最期の力を振り絞り、彼の体を自分の方へ引き寄せようとしていた。
彼は自分を引き倒した怪物を激しく憎んだ。そしてその頭部を叩き割ろうと、変形して鉤爪の現れた拳を大きく振り上げた。しかし歪んだ声で怪物が発した言葉を聞き、彼はその動きを止めた。
「アリ・・ガト・・・ドウカ・・・イキ・・テ・・・。」
それだけ言うと、怪物の体は内側から崩れさって消えていった。あとに残ったのは何着もの子ども用の白い服。そして血まみれになったしわくちゃの画用紙だった。
彼は震える手で画用紙を摘まみ上げた。恐れてた通りそれは875号のために描いた、あの仲間たちの似顔絵だった。
混乱した感情のままに、彼は再び咆哮を上げた。そしてそのまま意識を失った。
全身を襲う痛みで再び目を覚ました時、彼は見知らぬ部屋の寝台の上にいた。傍らに立っていた男が、今の彼は全身の骨が折れた状態だと教えてくれた。体は元の大きさに戻っているようだがとにかく痛みがひどく、彼は目を覚ましたことを激しく後悔した。
しかし次の日にはもう、彼は寝台から自分で起き上がれるほどに回復していた。ただ皮膚には裂けた傷跡がいくつもそのままに残っていた。
回復した彼はすぐに別の施設へと連行された。そこは特別な兵士を育成するための訓練施設だった。施設には彼と同じように番号を振られた少年が、彼を含めて14人集められていた。
彼らは実験兵士と呼ばれ、そこで厳しい戦闘訓練を受けた。様々な武具の扱い方や魔力格闘術などを日夜叩き込まれる日々が続いた。
時には魔獣と素手で格闘させられることすらあった。追い詰められた彼は、無我夢中であの白い大太刀を作り出し、魔獣を倒した。彼と同じように、他の少年たちも短刀や槍など、各々違った武具を作り出すことで魔獣と戦っていた。
訓練は厳しかったが、彼は一度もそこから逃げ出そうとは考えなかった。というより考えられなかった。白い校舎で怪物を殺したあの日から、彼の時間は止まったままだったからだ。彼はただ言われるままに体を鍛え技を磨き、魔獣との死闘を繰り返した。
訓練中、何人かの少年たちは自分の力を暴走させ、あの怪物へと変貌した。彼は他の少年たちと共に、怪物となった少年を殺した。殺されて溶け崩れていく怪物を見ても、彼には何の感情も湧かなかった。ただ、いつか自分もああやって死ぬのだろうと思った。
そんな日々の中でも、彼は絵を描くことだけは続けていた。もちろん紙や筆記具などはなかったから、訓練の待機時間中に地面に指で描いたり、拾ってきた石を使って狭い独房の壁に描いたりした。
描くのはいつも決まって、白い校舎で共に過ごした仲間たちの顔だった。彼は仲間たちの笑顔を思い出して指を動かした。しかし出来上がるのはいつも、仲間たちの泣き顔ばかりだった。それを見ると彼は無性に悲しい気持ちになった。それでも彼は諦めず、仲間たちの顔を描き続けた。
数年の間に、実験兵士たちは次々と力を暴走させて死んでいき、ついには彼がひとり残るのみとなった。その頃の彼は、巨大な魔獣をも一瞬で殺害できるほどの力を身に着けていた。
彼をここへ連れてきた白衣の男たちは、実験兵士を何か特別な魔獣と戦わせるつもりのようだった。暗い独房の壁に875号の顔を描きながら、彼はその日を待ち続けた。
しかしその日はついに訪れなかった。代わりに白衣の男たちから告げられたのは、実験の中止と施設の閉鎖だった。
「実験兵士880号。お前の役目も今日で終わりだ。」
男たちはそれだけ言うと、一人彼を残し施設を去っていった。彼はそれに対して何も思うことはなかった。ただ独房に引き籠ったまま、ひたすらに絵を描き続けた。
役目が終わったのなら、自分はもうすぐ殺されるに違いない。
彼はそのことを悟っていた。ならば残された時間は最後の望みを叶えるため、仲間たちの笑顔を描くことに費やそうと決めたのだ。
彼は水すら口にしないまま、幾日も絵を描き続けた。壁はすぐに絵で一杯になってしまった。床や天井、描けるところはすべて絵で埋め尽くした。
やがて拾ってきた石がすべて砕けてなくなってしまい、魔力で強化した爪を使って描くようになった。それでも描けたのは、悲しい表情をした仲間の泣き顔ばかりだった。
そんなある日、唐突に独房の扉が開かれた。彼はついに終わりの時が来たのだと思った。扉の前に立っていたのは、口髭を生やした背の高い男だった。男は皇国軍将校の制服を纏っていた。
ぼんやりと男を見つめる彼の前で、男はゆっくりと独房の中を見回した。
「おお、これはすごいな。これは君の友達か?」
そんな質問をされたのは初めてだったので、彼は何と答えたらよいか分からなかった。だから黙って頷いた。すると男は何か考えるように口を引き結んだ後、慎重に選ぶように言葉を口に出した。
「なるほど、素晴らしい絵だ。君の悲しみが痛いほど伝わってくる。」
「・・・悲しみ?」
彼は思わずそう言葉を零した。彼は仲間たちの笑顔を描きたかったのだ。悲しい絵を描きたかったわけじゃない。
彼はそれをこの男に伝えようと思った。でも言葉が何も出てこなかった。男はそんな彼に手を差し出して言った。
「君を迎えに来た。さあ、私と一緒に来たまえ。」
彼は男に言われるがままに独房を出た。
「私のことはタダヒト隊長と呼んでくれ。君は私の部隊で働いてもらう。」
明るい光の下でその男、タダヒト隊長は彼にそう言った。
「・・・俺は殺されるんじゃないんですか?」
彼がそう尋ねると、隊長は強い眼差しできっぱりとこう言い切った。
「そんなことは絶対に私が許さない。君のことは必ず私が守る。」
そう言われた瞬間、彼は驚きのあまり、心臓を鷲掴みにされたのかと思うほど胸に痛みを感じた。
この男は一体何を言っているんだろう?
彼はそう思い、口を大きく開けたまま隊長の顔を見つめた。隊長はそんな彼を見てニヤリと笑い、彼に尋ねてきた。
「君、名前は何というのかね? 資料には何も記載されていなかったのだが。」
「・・・俺は実験兵士880号です。それ以外の呼び名はありません。」
彼がそう言うと、隊長は大げさに口髭をへの字に歪めて見せた。
「なるほど、名前がないか・・ふむ、ではこうしよう。私が君に仮の名前を付ける。さすがに番号では呼びにくいからな。どうかね?」
彼は、なぜ番号では呼びにくいんだろうと思ったが、口には出さなかった。隊長はそれを了承と受け取ったようだった。
「もちろんちゃんとした名前が決まったら、あとで変えてくれて構わない。そうだな、番号をもとにして考えるなら・・・。」
隊長は頭を捻って真剣な様子で考え始めた。そしてしばらくうんうんと唸った後、ようやく彼にこう言った。
「880を音に直してハ、ヤ、ト。0は『十』だな。ハヤトとは皇国の南方にかつて暮らしていたという精強な一族の名だ。君にふさわしいと思うのだがどうだろう、気に入らないかね?」
「・・・それで構いません。」
別にどんな名でも構わなかったので、彼は正直にそう言った。すると隊長はにっこりと笑って彼の頭に手を置き、伸び放題の汚れた髪を嬉しそうにぐしゃぐしゃとかき回した。その手は意外なほど大きく、そして温かかった。
「よし、では君は今日からハヤトだ。よろしくなハヤト。では早速行こう。いや、その前に風呂、そして食事が先かな?」
隊長は彼の手を掴んでさっさと歩き出した。こうしてハヤトはタダヒト隊長の下に行くことになった。その時に初めて、ハヤトは今自分が15歳であることを知ったのだった。
読んでくださった方、ありがとうございました。




