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32 クロの力

少し長くなってしまいました。


※やや残酷な描写があります。苦手な方はご注意ください。

 攫われたマリさんたちを助けに行くため、障害となる三人の男たちと対峙しているというのに、クロは思ってもみないことを僕に尋ねてきた。僕は思わず出しそうになった声を慌てて飲み込み、頭の中でクロに問い返した。


「何言ってんの急に?」


 呆れを含んだ僕の問いかけにも、クロはいたって冷静に答えてきた。


「私の力を発揮するために必要なことなのだ。」


 目の前の男たちを排除することと、僕が子どもの頃に好きだった英雄ヒーローがどう繋がっているというのか。ぜんぜん訳が分からないけれど、この状況を何とかするにはクロの力を借りるしかなさそうだ。


 僕はもう少し具体的な情報を得ようと、クロに再び問いかけた。






英雄ヒーローってアニメとか特撮に出てくるような奴?」


 僕がそう言うと、クロは少し黙った後、答えてくれた。


「ふむ、物語の英雄か。それでもいいが、出来るだけ君が具体的に『自分の姿』として思い描きやすいものの方がいい。一番強くなった自分を想像してほしいのだ。別に人間でなくとも、鳥や動物、魔獣でも構わないぞ。」


 クロは一瞬の沈黙の間に、どうやら僕の思考を読み取っていたらしい。


 僕はクロに言われるままに、自分の記憶を探ってみた。小さい頃は僕も現在いまのマドカのように、幼児向けのアニメや特撮の主人公ヒーローが大好きだった。まだ父さんが生きていた頃には、近所の友達と一緒にごっこ遊びをしたこともある。


 でもあの大災害、高天原大嘯で半身を焼き尽くされてからは、そんな主人公たちにあまり興味が持てなくなってしまった。その理由がなんなのか、その時はよく分からなかった。けど今なら何となく分かる。


 おそらく半身を失ったことで、自分が憧れていた物語の主人公ヒーローにはもうなれないのだと、悟ったからだ。






 そう考えたとき不意に、僕の心の中に一つの強烈なイメージが浮かび上がってきた。天空より舞い降り、輝く大太刀で炎の巨人を一刀両断に斬り伏せて見せた、あの白い背中。小さい頃に見た、父さんの最期の姿だ。


「いいぞ、はっきりしたイメージが生成できている。その姿になった自分を強く念じてみてくれ、カナメ。」


 僕はクロの言葉に導かれるように、思い出の中の父さんと今の自分の姿を重ねていった。すると胸の奥から魔力とは違う熱いものが迸るように湧き上がった。僕は右半身に、燃え上がるような熱を感じた。


 次の瞬間、脳内にクロの静かな声が響いた。


「《疑似精霊憑依》」


 周囲の魔素が急激に体の周囲に集まっていくのを感じた。まるで僕自身が巨大な魔導エンジンになったみたいだった。強烈な恍惚感と浮遊感が僕の体を駆け巡り、白い光に包まれて僕は一瞬意識を失った。


 吸い寄せられた大量の魔素は僕の体を覆い尽くし、やがて強い光を放ちながら確かな形を作り始めた。






 気が付いたとき、僕は白く輝く全身戦闘服バトルスーツのようなものを纏っていた。それはマリさんたちが着ているような魔力格闘用の強化外装ととてもよく似ていた。


 でも強化外装と明確に違うのは、肩当や直垂などの補助防具パーツがあちこちにあったことだ。その見た目は、古代の武士が身に着けていたという大鎧に近い。頭部を完全に覆うヘルメットには、輝く日輪と二本の角を象った前立てがついている。あの日僕が見た父さんと同じ姿だ。


 腰には父さんが持っていたものとよく似た大太刀があった。完全な鎧武者姿になった僕は言葉を無くし、呆然と自分の両手を見た。


 しかし次の瞬間、廊下の曲がり角の向こうから聞こえてきた男の声で、ハッと我に返らされた。






「おい!! あの光はなんだ!?」


 僕が変身(?)したときに出した光を見たのだろう。一人の男が驚いた声をあげて、他の二人に注意を促した。僕は咄嗟に曲がり角の壁に体を寄せ、男たちの様子を伺った。


「光? お前、なんか見たか?」


「何も。おい、お前の見間違えじゃねえのか?」


 他の二人は光を見ていないようだった。おそらく僕に背を向けていたからだろう。でも最初に声を上げた男は、強い調子で仲間たちに言い返した。


「そんなことねえよ! 俺、確かに見たんだ! おい、ちょっと確認しとこうぜ。」


 男の必死な様子に他の二人は軽く肩を竦めながらも、三人で僕の隠れている曲がり角の方へ歩いてくる。それにつれ、男たちの声がはっきりと聞こえてきた。






「しょうがねえな。もし見間違えだったらお前、次も一番最後な。」


「なんでそうなるんだよ、それはさっきジャンケンで決めただろ!」


 最初の男が発した抗議の声に、他の二人は軽く笑い声を上げた。憮然とした様子の男の肩を、仲間の一人がパンと軽く叩く。


「まあでもよう、どっちみちあの娘はもうダメかもな。あのサイコ野郎、バラす気満々だっただろ。俺たちが楽しむ前に、あいつがまた切り刻んじまうぞ、きっと。」


「マジか。半獣人らしいけど、結構可愛いのにもったいねえ。あのメガネの女にも、あいつのおかげで手出しできなかったんだぞ。なんなんだよ、あのくそサイコ野郎!!」


 いきり立つ男に対して、仲間たちは小さくため息を吐いて同意を示した。


「しょうがねえよ、ボスのお気に入りらしいからな、あいつ。そりゃ俺らだってあいつと組むのはもうこれっきりにしたいぜ。あいつが楽しんだ後の片付け、マジで面倒なんだよなあ。」






 男たちは随分気が緩んだ様子で、無造作にこちらへ近づいてくる。僕は応戦するため、ぐっと拳を固めて壁から体を離した。すると僕の思いを読み取ったかのように、クロが頭の中で話しかけてきた。


「(大丈夫だカナメ。そのまま動かずじっとしていてくれ。)」


 クロはそう言ったが、僕はそれを完全に信じることはできなかった。僕はいつでも飛び掛かれるように、曲がり角から男たちが姿を見せるのをじっと待った。


 程なく、男たちの一人が曲がり角から顔を覗かせた。






「なんだ、やっぱり何にもいねえじゃねえか!! ったく、人騒がせな野郎だぜ!」


 僕の目の前に顔を出したその男は、しかし後ろの仲間たちを振り返ってそう毒づいた。そして最初の男を盛大にからかい始めた。


 男は正面から顔を合わせたのに、僕の姿が全く見えていないようだ。僕は激しい動悸を懸命に抑えながら、そっとクロに問いかけた。


「(もしかして《不可視化》の呪文?)」


「(ただの光学迷彩だ。このまま静かに、右手で奴らに触れてくれ。)」


 クロは僕の問いかけにそう短く答えた後、また奇妙な指示を出してきた。僕は半信半疑ながらも、自分のすぐ目の前で笑いながら仲間を煽っている男の体に、激しく震える右手をそうっと伸ばした。






「やっぱ夢でも見てたんじゃねえのか? この間も・・・。」


 僕が触れると、その男は膝から崩れ落ち、あっという間に意識を無くした。驚く僕の脳内にクロの静かな声が響いた。


「(この男の体にある魔素をすべて私が吸収した。)」


「(こ、殺したの?)」


 震える奥歯を噛み締めながら、言葉を出さずにそう問いかけた僕に、クロは淡々と返事をしてきた。


「(いや。急性魔力枯渇で気絶させただけだ。)」






 目の前で人が倒れたことに動揺している僕とは違い、男たちの反応は早かった。二人は倒れた仲間から素早く距離を取ると、無言で戦闘態勢を取った。銃を構え、背中合わせになる二人。さっきまでの緩んだ雰囲気は、もうどこにもなかった。


「おい。」


「ああ。」


 油断なく身構えたまま、二人は短いやり取りをした。直後、最初の男が自分のマスクに軽く右手を触れさせた。


「・・・ダメだ。繋がらねえ。」


「通信妨害か。直接知らせに行こう。」


 二人は見えない僕を牽制するように銃を構えたまま、二階へ通じる階段の方向へ素早く移動し始めた。それに焦った僕は、よく考えないままクロに質問をしてしまった。




 


「(クロが通信を妨害したの?)」


「(無論。そんなことよりも連中を逃がさない方がいいのではないか?)」


 クロに言われた僕は、慌てて男たちを追いかけた。自分でも驚くほどの速さで移動した僕は、その脚力に戸惑いながらも必死に右手を伸ばして男の体に触れた。たちまち男は昏倒し動かなくなった。


 だけど僕が触れた男は、意識を失うと同時に僕に向けて銃の引き金を引いた。乾いた空気銃の発砲音と共に撃ちだされた強化樹脂弾は、至近距離で僕の胸に命中した。


 思っていたよりもずっと強い、どんと胸を突かれるような衝撃。この銃は僕が知っている空気銃よりも、ずいぶん威力が強いようだ。


 どこか非現実的な思いで僕がそんなことを考えた時、残った最後の男が叫び声を上げた。






「そこか!」


 男は銃をその場に捨て、僕に向かって拳を突き出してきた。男の拳は過たず、まっすぐに僕の胸を捉えた。魔力で強化した強烈なパンチは僕の体を震わせるほどの威力があったが、僕は鎧によってそれを辛うじて防ぐことができた。


 さらに追撃しようと突進してきた相手に、僕は無我夢中で右手を突き出した。その途端、男は僕に覆いかぶさるようにして気を失った。僕は自分よりも遥かに大きいその男に押しつぶされないよう、しっかりと足を踏ん張り男の体を受け止めた。


 何よりも、重い男の体をしっかりと受け止められたことに、僕は物凄く驚いてしまった。さっきの移動速度といい、今の僕の身体能力は、普段とは比べ物にならないほど向上しているようだ。


 音を立てないよう、そっと男の体を廊下に横たわらせたところで、クロがまた僕に話しかけてきた。






「(カナメ、時間がない。急いでくれ。)」


「(時間がないって、どういうこと? こいつらの仲間がやって来るの?)」


「(いや、この《疑似精霊憑依》状態の限界が近づいている。この状態は君の内在魔力に依存しているからだ。)」


「(!! それって、あとどれくらい?)」


「(今のような状態であれば残り30分ほどだ。だがより激しい戦闘機動状態では、およそ3分で限界を迎える。)」


 クロに説明された僕は、小さく頷いた後すぐに行動を開始し、廊下の突き当りにある地下への隠し扉へと向かった。






 床板に隠された扉には鍵がかかっていたけれど、クロが扉の強化樹脂を操作して鍵を変形させたおかげで、難なく開くことができた。床にある扉を持ち上げて僕が身体を潜り込ませた後、再びクロが扉の樹脂を操作し、床と扉を完全に密着させてしまった。


 これで階上うえから地下へ侵入するには、この扉を破壊するしかなくなった。あの男たちの仲間が来てもしばらくは時間が稼げるはずだ。


 僕は手すりのある急な階段をそろそろと降りていった。どうやら扉は防音仕様になっていたらしい。階下へ降り始めた途端、階段の向こうから激しい打擲音と、押し殺したようなマリさんの呻き声が聞こえてきた。


 彼女の危機を知り、僕は奥歯が砕けるかと思うほど強く歯を噛み締め、焦る気持ちをぐっと押し殺した。


 今ここで見つかるわけにはいかない。サイコ野郎はマリさんのすぐ側にいる。もしバレたら彼女の命が危くなる。


 僕は自分に何度もそう言い聞かせ、慎重に慎重に、狭い階段を降りていった。











 階段を降りると、そこは20m四方程度の開けた空間になっていた。天井も4mほどあり、地下とは思えないほど高い。


 おそらく元は倉庫だったのだろう。廃棄されたコンテナのようなものが、部屋の奥にある壊れた貨物運搬用エレベーターの前に放置されているのが見えた。表面処理のされていない打ちっぱなしの強化樹脂の壁や天井には、様々な配管がむき出しになっている。


 部屋の中央には、天井の梁から何本のもの移動式滑車が下げられている。きっと荷物を運搬するためのものだったのだろう。そのうちの二つに、両手を万歳にした状態で、マリさんとテイジが吊り下げられていた。


 二人はつま先が床に付くか付かないかぐらいの高さで吊られている。テイジは上半身裸。マリさんは下着姿だ。獣人化した二人の肌には痛々しい赤い筋が無数に残っていた。


 二人の側には滑車の付いた移動式の作業台があり、その上には数々の恐ろし気な拷問具が置かれている。






 そして部屋の隅、僕が今いる階段とちょうど対角線に当たる場所に、手足を縛られた全裸の女性が横たわっていた。クロがビル内の立体見取図に人物を表示してくれた時、緑色の光で表示された正体不明の人物が彼女だろう。


 彼女の体は赤黒い傷や火傷の跡が無数に残っており、マリさんたちよりもずっと酷い状態だった。頭にすっぽりと布の袋のようなものを被せられているため、顔は分からない。その布にもかなり血が滲んでいた。だから仮に袋をとったとしても、果たして人相を判別できるかどうか怪しいのではないかと思った。


 強化された聴覚で、まだ彼女が呼吸しているのが分かった。ただ文字通り虫の息で、いつ死んでもおかしくないような状態だ。彼女がどうしてこんな目に遭わされたのかは全く分からない。でも僕は、彼女をそんな目に遭わせた相手に激しい怒りを覚えた。


 間違いなくその相手であろうサイコ野郎は、マリさんからやや離れた位置に立って、彼女の体に何度も鞭を振り下ろしていた。長い鞭がマリさんの白い肌を捉えるたび、彼女は押し殺した呻き声を上げている。でも彼女はじっと前を向いたまま、目の前のサイコ野郎を強い目線で睨みつけていた。


 やがて軽く息を吐きながら、サイコ野郎が鞭を振るう手を止めた。






「これだけ痛めつけてもまだそんな目ができるなんて、嬉しいねえ。いい加減、声を聞かせてもらえないかなー? 仲間のこと聞いても何にも答えてくれなんだもん。」


 そう言ってサイコ野郎が近づく素振りを見せた途端、マリさんは不自由な態勢で体を捻り、奴の顔めがけて鋭い蹴りを放った。だけど至近距離で放たれたその蹴りを、サイコ野郎は何でもないかのように躱してみせた。


「魔力を封じてるのに、体術だけでそんなに動けるなんて。本当にすごい、すごい。」


 楽しそうにそう言ったサイコ野郎は鞭を床に投げ捨てると、どこからともなく奇妙な形のナイフを取り出した。テイジとマリさんの目が僅かに見開かれたのを見て、奴は心底嬉しそうな笑みを浮かべた。






「ねえねえ。君って痛めつけられるのは、全然平気みたいだねー。」


 マリさんは奴の手にしたナイフの切先をじっと見つめていた。奴はからかうような調子でやや青ざめたマリさんの顔を覗き込み、さらに言葉を続けた。


「だけど大事なお友達が切り刻まれるのはどうかなあ?」


 サイコ野郎がナイフを手にしてテイジに近づいて行く。一瞬、ナイフの刃が閃いたと思った次の瞬間、テイジの太ももが大きく切り裂かれた。






「テイジ!!」


「マリ、俺は大丈夫だ。」


 マリさんの叫び声に、テイジが静かな声で応えた。テイジはそれきり声を出さず、今自分を切り裂いたサイコ野郎を黙って睨みつけた。サイコ野郎はマリさんが上げた悲痛な叫び声を聞いて、とても満足そうな笑みを浮かべた。


「ふふふ、やっと声を聞かせてくれたね。君って顔だけじゃなくて声まで魅力的なんだ。本当に嬉しいよ。」


 マリさんの蹴りが届かないぎりぎりの位置で、奴はマリさんの体を舐め回す見ながらそう言った。


「このゲス野郎! さっさとあたしを好きにしな!!」


 マリさんは激しい怒りで目を爛々と輝かせながら、サイコ野郎に怒鳴った。彼女の瞳は獣人化によって、猫の目のような虹彩がはっきりと表れている。怒れる魔獣の瞳そのものだ。


 でも奴はその目を見ても、おどけたように軽く肩を竦めてみせただけだった。






「そんなに焦らないでよ。まだまだ夜は長いんだからさー。」


 奴はテイジの血の付いたナイフを指先で弄びながら、マリさんに語り掛けた。


「君と遊ぶのはこのデカ物をバラした後だよ。僕はねえ、好きなものは最後まで取っておくタイプなんだ。」


 マリさんは、サイコ野郎の顔に向かって唾を吐きかけた。だけど奴はそれを避けもせず、頬についた彼女の唾を黙って左手の甲で拭った。


 そしてそのまま、マリさんの唾を自分の舌で舐め取った。サイコ野郎は恍惚の表情を浮かべた。マリさんは嫌悪感からか、激しく顔を歪めた。


 彼女の表情を見たサイコ野郎は、突然何かを思い出したみたいにパンと両手を打ち合わせた。






「おおっと、いけない。カメラを忘れるところだった。」


 奴はそう言って、拷問具の置いてある机から三脚とカメラを取り上げた。


「君のその強気な表情が、絶望の涙に変わる瞬間をしっかり残しておかなきゃいけないからねー。さっきカナメくんとも約束したんだ。あとで鑑賞会をしようってね。」


 僕の名前を聞いた二人に動揺が走る。でも奴はそれを無視し、浮かれた口笛を吹きながら、二人からやや離れた位置に三脚を立て始めた。






 僕はこの機会を逃さなかった。サイコ野郎が二人から離れた今が絶好のチャンス!


 この瞬間のために、焦る気持ちを押し殺してじわじわと接近を続けていたのだ。僕は素早く動き、すぐ目の前の奴の体に右手を伸ばした。


 一瞬、マリさんが僕の方を見て耳をピクリと大きく動かした。姿は見えていないみたいだけれど、気配を察知したのだろう。


 もしかしたらサイコ野郎にも気づかれたかもしれない。けれど、奴の体はもうすぐ目の前。右手を触れさえすればクロが気絶させてくれる。


 僕は勝利を確信して右手を素早く突き出した。






 でもサイコ野郎の体を捉えたと思った次の瞬間、僕の右手首は奴の左手でしっかりと掴まれていた。


「まさか気づかれてないと思ってたのかい、カナメくん?」


 見えないはずの僕に、笑顔で話しかけてくるサイコ野郎。


 クロが僕の義手の指先から素早く奴に向かって触手を伸ばした。でもそれよりもずっと早く、僕の体は奴が放った蹴りによって壁まで吹き飛ばされていた。


 あまりの速度で受け身も取れず、体を大の字にしたまま壁に激突する。鎧で守られているはずなのに、一瞬息が詰まるほどの衝撃だ。生身なら間違いなく即死していた。魔力で身体強化しているのだろうけど、それでも信じられないほどの膂力だ。


 頭を振りながら壁に手を突き、ようやく起き上がった僕に、サイコ野郎は笑顔で話しかけてきた。






「そんな力を隠してたとは驚きだよ。俄然、君にも興味がわいてきた。」


 奴はそう言いながら、右手に持ったナイフをひらめかせ、無造作に僕の方へ歩み寄ってくる。


「でも僕のお楽しみを邪魔した罰はちゃんと受けてもらうよ。どうもその右腕が悪いみたいだな。僕が斬り落としてあげよう。」


 奴は手にしたナイフを恐るべき速度で、見えないはずの僕に突き出してきた。同時に、クロの声が脳内に響いた。






「(戦闘機動に移行する。カナメ、応戦しろ。)」


 僕は咄嗟に腰の大太刀に手を伸ばし、無我夢中で構えた。金属とも樹脂ともつかない不思議な素材で作られた白銀の大太刀は、かなりの大きさにもかかわらず、驚くほど軽かった。僕は渾身の力を込め、目の前の男に大太刀を振り下ろした。


 でも僕の精一杯の反撃は、奴のナイフで簡単にいなされてしまった。


「あっは、君、刀を握ったこと、ないみたいだね。ひっどい太刀筋だ。」


 僕はめちゃくちゃに大太刀を振り回し続けたけれど、奴はゲラゲラ笑いながら、嬲るように僕の攻撃をいなし続けた。


 まだ僕の姿は露わになっていない。でも奴には僕の斬撃がはっきりと分かるようだ。とても接近して、右手を触れさせるどころではなかった。






「(カナメ、距離を取れ。)」


 僕はクロに言われるがままに、大きく後ろへ飛び退った。その途端、蜃気楼が揺らめくように僕の不可視化が解けた。


「へえ、なかなかかっこいいじゃないか。大昔の甲冑? ってやつに似てるね?」


 僕の姿を見た奴は、軽く口笛を吹きながらそう言った。軽い口調だけど、その目は油断なく僕の鎧を見ている。近づいてくる気配はなかった。


「(カナメ、《魔法の矢》だ。)」


「我が敵を穿て!《魔法の矢》!!」


 僕は短縮詠唱で魔法を使った。詠唱によって体の中に構築された魔術回路に、ありえないほどの魔力が満ちていく。






 直後、僕の背後に驚くほどの数の小さな魔方陣が現れたかと思うと、そこから凄まじい勢いで魔法の矢が次々と撃ちだされた。まるで『白鷹』で光弾を放っている時みたいだった。


 もちろん僕が撃った魔法の矢は、戦闘用魔導機の光弾の火力とは、比べ物にならないほど小さいものだ。けれど、魔力の流れがとても慣れ親しんだ感じだった。するとそれを裏付けるように、クロが話しかけてきた。


「(その感覚は正しい。この『疑似精霊憑依』は君の持っている力や技能を拡張して戦闘に適した形態を作り出している。)」


 なるほど。じゃあ普段、僕が使える魔法や白鷹でやっていることがそのままできるってことなのか。じゃあ、その気になれば光の翼で空も飛べる?


 そんな愚にも付かないことを考えている間に、僕の放った魔法の矢は目の前のサイコ野郎に降り注いでいった。






 至近距離から放たれた光の矢をサイコ野郎は躱そうとした。しかし雨のように撃ちだされた矢をすべて躱すことは、さすがの奴でも不可能だった。奴の体は無数の矢に撃たれ、全身を針山みたいに串刺しにされて、その場に前のめりに倒れた。


 それを見た途端、勝ったという高揚感と共に、人を殺してしまったという事実が僕の体に一気に押し寄せてきた。僕はその場に蹲り、胃の中の物を吐き戻した。最初の部屋でサイコ野郎に蹴られた時に、大概のものを吐いた後だったので、この時は透明な胃液が出てきただけだった。


 すると、苦しむ僕にクロが突然話しかけてきた。






「(カナメ、落ち着け。奴はまだ死んでいない。止めを刺すのだ。)」


 その声で僕はハッと奴の方を見た。確かに僕の強化された耳には、奴の苦しそうな呼吸音と弱い心音が聞こえる。自分でも甘ちゃんだと思うけれど、それを聞いた時、僕は心の底からホッとしてしまった。


「(もう動けないみたいだし大丈夫だよ。それよりも、早くマリさんたちを助けよう。)」


 僕は誤魔化すようにそう言って、マリさんたちの所に向かった。それに対してクロは何も言わなかった。


 大太刀を叩きつけると、二人を拘束していた魔封じの鎖は呆気ないほど簡単に砕け散った。


 その瞬間、僕の体を包んでいた白い甲冑が、空気に溶けるように消えていった。






「(時間だ。)」


 クロの声が脳内で響く。どうやら3分経ったらしい。僕は体に力が入らなくなり、激しい頭痛とめまいを感じてその場に倒れてしまった。


 それを見たマリさんとテイジが、すぐに僕に駆け寄ってきてくれた。


「助かったよカナメっち! さっきのすごいね! あれ、新しい強化外装?」


 思ったよりも元気そうなマリさんの声にホッとしたものの、返事はできなかった。世界がぐるぐると回っていて、ものすごく気持ちが悪い。まともに動けなくなった僕をテイジが背負ってくれた。


「さっさとここを抜け出そう。」


 テイジの言葉にマリさんが小さく頷く。僕はちらりと倒れている女性を見た。でも今の僕では彼女に何もしてあげられない。その事実が僕の心に重くのしかかった。






 マリさんは下着姿のまま、地下室からの唯一の出口である階段へ向かって走り出した。でもその直後、鋭い声を上げてマリさんをテイジが引き留めた。


 マリさんが足を止めると同時に、彼女のすぐ目の前の床に、あの奇妙な形のナイフが突き立った。声が一瞬遅ければ、マリさんの体にナイフが突き刺さっていたかもしれない。


 彼女はサッと身構え、ナイフの飛来してきた方向、倒れている男の方を向いた。






「!! お前、まだ生きて・・・!?」


 僕の魔法で全身をずたずたに引き裂かれた男が、ゆっくりと床から立ち上がっていた。


「さすがに痛かったぜ。だが俺を倒すには、まだちっと足りなかったな。」


 その言葉が終わるや否や、男の体が急激に膨らみ始めた。細身の男の体は瞬く間に、全身を逆立った鋼色の毛に覆われた、恐ろしい姿の獣人へと変貌した。 


 その身長は3m近い。盛り上がった筋肉を守るように固い体毛が包んでいる。上下に長い牙が生えた口は耳まで裂けていた。そして醜悪な顔の真ん中には、熊そっくりの大きな鼻があった。その特徴的な姿には、僕も見覚えがあった。






「これって・・・闇熊バグベア!! なんで結界内に魔獣が・・・!?」


 マリさんは慄くようにそう呟く。


 獣人型の魔獣の中でも上位の俊敏さと腕力を誇る恐るべき相手。それがこの闇熊だ。


 222分隊は討伐任務で現界前の個体バグベアと戦ったことがある。強化外装を身に着けた戦闘員二人マリさんとテイジが倒してくれたのだけど、それでもかなりの強敵だった。現界した姿を見たのはこれが初めてだ。それに闇熊が人に化けるという話も聞いたことがない。


 サイコ野郎は一体何者なのだろう。奴の底知れない不気味さで、僕は口の中に不安の苦い唾が満ちるのを感じた。


 完全な魔獣となった奴は、大きく咆哮を上げた後、歪んだ声で僕たちに向かって叫んだ。






「逃がすかよ、ド畜生どもが!! 手足をバラバラに引きちぎってやる!!」


 闇熊は鋭い爪を持つ手を振り上げ、恐るべき速さで突進してきた。


「テイジはカナメっちをお願い!」


 マリさんはそう叫ぶと、下着姿のまま闇熊に向かっていった。僕はテイジに背負われたまま、マリさんの戦いを固唾を飲んで見守った。


 すると脳内に、珍しく動揺したクロの声が響いてきた。






「(あの姿は、まさか・・・!)」


「(クロ、どうしたの?)」


 クロの常にない様子に、僕は驚いて問い返した。彼は少し黙った後、ゆっくりと話し始めた。


「(あいつは・・・私と同質の力を持っている。だから私の力が通用しなかったのだ。)」


「(なんだって、それじゃあ・・・!?)」


 僕の言葉に、クロが無言で同意の意志を伝えてきた。


「(歪み過ぎていて気が付かなかった。だが間違いない。あれは私の同族の力だ。)」


 その後いくら話しかけても、クロはそれきり話さなくなってしまった。僕は胸に言い様のない不安が広がるのを抑えることができなかった。






 マリさんは闇熊相手に、善戦していた。恐ろしい速度で繰り出される攻撃をひらりと躱すと、獣人化した猫の爪に魔力を込めて奴に攻撃を加えた。しかし幾分の傷をつけはしたものの、鋼色の体毛に阻まれて、動きを止めるほどのダメージを与えることはできなかった。


 流れ出る血をものともせず、闇熊は歪んだ声で叫んだ。 


「強化外装なしにここまで戦えるとは驚きだ! だが軽い!!」


「黙りなゲス野郎!! さっき散々甚振ってくれた礼をきっちり返してやるよ!!」


 闇熊はマリさんの前腕ほどもある長い爪を振りかざし、正確にマリさんを狙ってくる。もし一撃でも喰らえば、むき出しの彼女の体はいともたやすく切り裂かれてしまうだろう。しかし彼女はその暴風のような攻撃を紙一重で躱し、奴に着実に打撃を与え続けた。


 部屋の隅まで後退したテイジは、僕を倒れていた全裸の女性の脇に寝かせた。そして側に置いてあった廃棄コンテナをバリケード代わりに僕たちの前へ置き、すぐにマリさんの応援に向かった。


 僕は必死の力を振り絞り、コンテナの陰から二人の戦いぶりを見守った。本当なら魔法で援護したいところだけど、今は《魔法の矢》一本すら作り出せそうにない。僕は二人がケガをしませんようにと、この地を守る精霊に必死で祈りを捧げた。






 テイジとマリさんの巧みな連携で、闇熊は次第に追い詰められていった。しかしテイジは僕たちを守りながら戦わざるを得なかったため決め手に欠いていた。


 やがて不利を悟った闇熊は、すごい勢いで飛び下がって入り口の階段側まで後退し、二人から距離を取った。


「逃げるのか! この野郎!!」


 マリさんはそう叫ぶとすぐに奴を追って走り出した。すると奴は歪んだ声で嘲るように彼女へ言った。






「まさか。この姿じゃ決め手に欠けると思っただけさ。」


 奴が吐き捨てるようにそう言った途端、闇熊の体が急速に縮み始めた。次の瞬間、奴の体は粘液に覆われた青白い体を持つ、人型の生物へと変化していた。


 蛸そっくりのぬるりとした頭部の口に当たる部分からは、うねうねと蠢く四本の触手が生えている。不気味な姿を目の前で見たマリさんは、思わず「うげっ!」と声を上げた。


「なんだこいつ、きっしょ!!」


「マリ、すぐに奴から離れろ!!」


 テイジが叫ぶと同時にマリさんは後ろに飛び下がった。しかしそれよりも早く、奴の側頭部に近い位置についた黄色い瞳が、怪しく濁った光を放った。光を受けた二人はまるで彫像のようにその場で固まり、動きを止めた。






 二人をマヒさせた気味の悪い生き物の姿が揺らぐように消えると、再びサイコ野郎が姿を現した。しかしその表情は苦し気に歪み、肩で激しく息をしている。最初に出会った時のような余裕のある態度は、もうどこにもなくなっていた。


 男は憤怒の表情でマヒしている二人に近づくと、動けない二人の顔にそれぞれ拳を叩きこんだ。でもその一撃は、僕を壁まで吹き飛ばしたあの攻撃に比べると、ずいぶん弱々しいものだった。それでも二人はその場に倒れ、動かなくなった。


「止めろ!!」


 必死の思いでそう叫んだ僕に対して、奴は荒い息を吐きながら怒鳴り返してきた。






「うるせえぞ、化け物野郎! よくも俺をここまでコケにしやがったな! 俺の大嫌いな精神喰らいマインドフレイヤーまで出させやがって、クソが!」


 奴がそう叫ぶと同時に、階段の方からドンという爆発音が聞こえた。さっきクロが閉じたはずの隠し扉が破られたのだ。その後、黒いマスクを着けた男たちが武器を手にして、ゾロゾロと地下へ侵入してきた。


 ボロボロになったサイコ野郎の姿に驚く男たちに、奴は強い調子で命令を下した。


「こいつら、全員吊るせ。俺が一寸刻みにして殺してやる。」


 奴にそう言われた黒マスクの男たちは、一瞬顔を見合わせるような素振りを見せた。そしてその中の一人が、意を決したように奴に話しかけた。






「しかしジンさん、それじゃあボスが・・・。」


 その言葉が終わる前に、サイコ野郎は話しかけてきた男を激しく殴り倒した。僕のいる部屋の反対側にまで、首の骨が折れる嫌な音がはっきり聞こえ、それきりその男は動かなくなった。


「俺に逆らうつもりなら、こいつみたいに今すぐあの世に送ってやる。」


 奴は男たちに向かってきっぱりとそう言った。男たちは一瞬戸惑う様子を見せたものの、すぐに弾かれたように動き始めた。倒れていたマリさんとテイジが男たちに捕まる。男たちはすぐに僕の所にもやってきた。


 どうすることも出来なくなった僕は、クロに助けを求めた。






「(クロ、もう一度さっきの力を!)」


「(それは不可能だ。君の魔力が回復するまで『疑似精霊憑依』は使用できない。君に近づいてきた相手だけならば、ある程度私が排除できる。だが、仲間は諦めろ。)」


「(そんな、このままじゃマリさんとテイジが・・・!!)」


 その言葉を言いだそうとした瞬間、僕はハッとして言葉を止めた。






 ここにきて僕は、自分の選択が間違っていたのだということにようやく気が付いたのだ。


 やはり最初にクロに言われた通り、脱出して笹崎教官や宇津井先生に助けを求めるべきだった。あの時はマリさんたちの身を案ずるあまり、冷静な判断ができなくなっていた。


 助けに行きさえすれば何とかなる。そう安易に考えてしまっていたのだ。そんな自分の愚かさを僕は今更ながら思い知らされた。


 ここに侵入できたのだって、たまたまクロが僕に力を貸してくれたからだ。僕自身だけの力では、最初の部屋を出ることすらできなかっただろう。それなのに自分の力もわきまえず、僕は突っ走ってしまった。


 ここまで僕を導いてくれたクロの助けがあれば、もっと早く救援を連れてこられたかもしれない。そうすればマリさんやテイジもぎりぎり助けられていたかも。少なくとも、今のような絶望的な状況にはなっていなかったはずだ。


 でもいくら後悔しても、どうにもならない。苦い悔恨の涙がジワリと目から溢れ出す。僕は滲む視界で、僕を捕まえようと手を伸ばしてくる黒マスクの姿をじっと見つめた。



 








 その時、僕のすぐ側にあった貨物用エレベータの内側で、何かが激しくぶつかるような轟音が響いた。


 次の瞬間、分厚い貨物運搬用のエレベーターの扉は、僕に近寄ろうとしていた黒マスクの男たちを巻き込みながら、まるで風に吹かれた木の葉みたいに吹き飛んで部屋の反対側の壁に激突した。


 突然の事態に、部屋の全員が動きを止める中、濛々と立ち込める埃の内側から柔らかい女性の声が聞こえてきた。


「あらあら。よってたかってこんな子どもに狼藉を働こうとするなんて。ありえません。」


 コツコツと足音を立てながら、すぐに声の主が姿を現した。彼女は肩の上で切りそろえた銀色の髪を揺らしてゆっくりとその場を見回し、手にした鎚矛メイスを黒いマスク姿の男たちにビシッと突きつけた。






「そのような振舞、たとえ世界のどんな神がお許しになったとしても、聖女様とこの団長が許しません。」


 穏やかながらもはっきりとした声でそう宣言してみせたのは、光り輝く白銀の鎧を纏い、翠玉の瞳を持つ美しい女騎士だった。

読んでくださった方、ありがとうございました。

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