29 帰還
久しぶりに書くことができて、すごく楽しかったです。
暗い水底の奥に光る二つの光。あれは僕を見つめる目だ。その目の主は瞬きすることもないまま、じっと僕の方を見ている。
そいつは僕に何かを伝えたがっているような気がする。でも声は聞こえない。水が音を遮っているからだろうか。
やがて僕は目に誘われるように、水の中へと踏み込む。どろりとした液体の感触が僕を包み込み、僕の体は水の中へと沈んでいく。
その途端、水底の目が喜びの光を帯び、三日月のように、くにゃり、と歪んだ。
「・・・ナメくん、カナメくんってば。」
ゆっくりと目を開けると、白衣を着た明るい茶髪の女性が僕の体を揺すりながら、困ったように微笑んでいるのが見えた。
「検査終わったよ。」
「すみません、ウトウトしちゃって・・・。」
僕はそう言ってすぐに体を起こした。検査室の白い天井をぼんやり見つめて横になっているうちに、いつの間にか眠っていたみたいだ。なんだか夢を見ていた気がする。けれど、どんな夢だったかは全然思い出せない。
「疲れてるだろうから仕方ないよね。本当はもう少し眠らせてあげたかったんだけど、すごくうなされてたから・・・。」
そう言われて僕は初めて、自分の体が汗でしっとりと湿っていることに気が付いた。まるで水から上がってきたみたいになっている。
慌てて汗をぬぐい、検査室を出て制服に着替えた僕は、いつものように最後の問診を受けるために施療室へと向かった。
「体内魔力圧、血中魔素濃度、どっちも正常。今回も異状なしだよ、カナメくん。お疲れ様。」
「ありがとうございました。四宮先生。」
僕がお礼を言ってぺこりと頭を下げると、先生はその頭をポンポンと優しく撫でた。
顔を上げると先生が目を細めて嬉しそうに笑っていた。最初に施療を受けた8年前から変わらない優しい笑顔。
僕が半身を失ったとき、治療を担当して命を救ってくれたのはこの四宮先生だ。それ以来ずっと僕の主治医として定期的に僕の体を診てくれている。先生は僕にとって、文字通り命の恩人なのだ。
先生は手にしていた端末を机に置くと、僕の方に向き直った。
「どう少しは落ち着いてきた?」
「はい、まあ、何とか・・・。」
僕が苦笑いしながらそう答えると、先生は小さくくすりと笑った。
「その様子じゃ、まだまだみたいだね。まあ『人の噂も七十五日』っていうくらいだし。もう少ししたら落ち着いてくるでしょう。」
75日か。そう言えばもうそんなに経ったんだ。先生の慰めの言葉で、僕はこれまでのことを振り返った。
僕がクロと共に時空の狭間を脱出し、帰還を果たしてから、もう2か月あまりが過ぎた。今は3月の始め。比較的暖かい九州地方でも、最近は時折雪がちらつくことがある。
あの日、皇国軍の指示に従い武装解除した僕たち222分隊は、そのまま霧島防衛基地へ連行された。
こちらからいくら呼び掛けても一切通信に応答してくれない上に、強硬に武装解除を求めてくる相手の様子に強い違和感を感じた。ただ何といっても相手は友軍なのだし、抵抗する理由も特にない。
基地に着いたら事情を説明して、僕以外の分隊メンバーだけでも高天原に送り届けてもらえばいい。そんな風に軽く考えていたのだ。
でも基地に着いた途端、僕たちはまるで重犯罪者みたいに完全武装した大勢の皇国軍兵士に取り囲まれた。
僕が搭乗席を出るとすぐに、兵士たちは魔封じの枷で僕を後ろ手に拘束した。おまけに目隠しと耳栓、口枷まで付けられたのだ。
そのときは僕以外の4人がどうなったのか全然分からなかった。けど、あとで聞いたら皆も同じような扱いを受けていたらしい。エイスケは付けられた口枷のサイズがかなり小さかったらしく、その扱いの酷さを口をすぼめながら説明して皆を笑わせてくれた。
でもこの時はまだ、あまりの予想外の展開に戸惑うばかりだった。僕たちが次元の狭間に落ちた時よりも時間が進んでいることも含め、一体何が起きているんだろうとすごく不安だったのを覚えている。きっと僕以外の4人も同じだったと思う。
僕はその後、兵士たちによってどこかに運ばれ、冷たい樹脂の床の上に乱暴に転がされた。
光も音もない環境で他の皆は無事だろうか、この先どうなるんだろうと心配ばかりが募る。けれどそれまでに魔力を使いすぎた反動が来たのだろう、僕はいつの間にか深い眠りに落ちてしまっていた。
次に目が覚めた時には、それまでずっと感じていた頭痛や胸のむかつきがすっかりなくなっていた。
魔封じの枷を付けられているので魔力を練ることはできないけれど、体内の魔力はもう十分に回復している。だからおそらくは、ほぼ丸一日近く眠っていたんじゃないかと思う。
ただ魔力欠乏症状が無くなった分、今度は強い尿意に苦しめられることになった。今振り返ってみると、目が覚めたのも間違いなくこのためだ。
何とかしてトイレに行きたいけれど、目も口も塞がれて拘束されているこの状態ではどうすることもできない。不自由な体を動かして尿意を必死にアピールしてみたけれど、誰も助けには来てくれなかった。
てっきり見張られていると思ったのだけど、近くには誰もいないのかもしれない。そう思い当たって、一気に絶望感が募る。
その後、散々苦しんで、もうこのまま漏らすしかないと覚悟を決めた時、不意に僕の拘束が解かれた。
「カナメくん、大丈夫だったかね? もう心配ない。さあ、帰ろう。」
「宇津井先生! それに笹崎教官!!」
僕を助けてくれたのは落ち着いた笑顔の宇津井先生と、きれいな顔をぐしゃぐしゃにして泣いている笹崎教官だった。二人の顔を見た僕は不安が一気に解消され、体の力がふっと抜けた。
「「「・・・あ。」」」
その瞬間、三人が同時に声を上げた。狭い独房の中に響く僅かな水音と下半身にじわじわと広がる熱。あれから2か月以上経っているのに、今でも寝床で横になると、ふとあの時のことがまざまざと蘇ってくることがある。
そのたびに僕は一人、布団の中で赤面し身悶えしている。どうして恥ずかしい記憶ってあんなに克明に残ってしまうんだろう。人間の脳の構造が本当に恨めしい。
忘れたい記憶を振り払うように僕が小さく頭を動かしたのを見て、四宮先生は心配そうにそっと僕の左腕に手を添えた。
「・・・辛いでしょうね。でも大丈夫。皆があなたの味方よ。あなたたちだけでも戻ってこられて本当に良かった。」
四宮先生は目の端に涙を浮かべてそう言ってくれた。先生の涙を見た途端、無理矢理蓋をしていた記憶が一気に蘇って、胸の奥がずきりと痛んだ。言葉に詰まった僕は、先生の優しい視線に耐えきれなくなり、そっと目を逸らした。
あの白龍の襲撃によって、僕たちの同級生である高天原防衛学校の2年生は全員死亡した。
生き残ったのは笹崎教官機に乗っていた笹崎教官以下乗員2人と僕たち222分隊の5人だけ。しかも笹崎教官機に乗っていた戦闘員のうち1人は、《龍の咆哮》によって片腕を失っていた。
白龍の魔力によって犠牲者たちは一瞬にして氷塊へと変えられてしまった。そのため、遺体はおろか機体もほとんど回収されないまま、学校では大規模な合同葬儀が行われたそうだ。当然、行方不明中だった僕たちも犠牲者として処理された。
幸いなことに、皇国軍の活躍により山鹿城砦の一般人には一人の死者も出なかったそうだ。ただ一連の出来事は悲劇的な事故として皇国内に大きく報じられたらしい。
当時のニュース記事を読むと、事故の原因を究明するため、訓練部隊の責任者だった笹崎教官は、皇国軍の査問委員会でかなり厳しく追及を受けたようだった。一部の暴走した報道機関が笹崎教官の個人情報を公開してバッシングする記事を掲載し、皇国軍から取り締まられるという事件まで起きたという。
僕たちが帰還したのは、そんな報道の熱気がやや下火になり始めた頃だった。ただ帰還に関しては厳しい報道規制と緘口令が敷かれたため、一部を除けばほとんどの皇国民は未だに知らないままだ。
僕たちは宇津井先生と笹崎教官に助けられ、再び高天原城砦に戻ることができた。ただそのことで、学校では僕たちの処遇を巡って会議が紛糾したらしい。
僕たちの学年で残っているのは222分隊の5人だけ。このままでは到底、学年を維持できない。それをどうするかが問題になったのだ。
学年のほとんどが死亡するという極端なことは滅多にないけれど、軍学校である防衛学校の長い歴史の中では似たような前例があるにはあるらしい。それによるとこういう場合、落第させて第1学年にするか、飛び級して第3学年に繰り入れるかの措置を取るものなのだそうだ。
ただ僕たちの場合は、そのどちらの学年担当者からも猛反発を受けてしまった。担当者自身というよりも、おそらく何らかの手段で事情を知った保護者達(たぶん上級の貴族)からの反対があったのだろう。でもこれは仕方がないかなと思う。
同級生がすべて死亡する大事故で行方をくらました挙句、数か月後に突然生還した得体の知れない生徒なんて、普通に考えれば嫌がられるに決まっているからだ。
教官たちからも退学もしくは放逐という形で学校を追い出すべきという声が大きかったそうだ。その後も色々と揉めたみたいだけど結局、宇津井先生が僕たちのことを引き受けると宣言して、強引に押し切ってくれたらしい。
結果、222分隊は特別教育課程生という扱いになり、独立した学年分隊として扱われることになった。
帰還直後はあまりにも多くのことが一度に起きて感情が置き去りになっていた。だから先生たちが僕たちのためにどれだけ頑張ってくれていたのかなんて、全然分かっていなかったのだ。
けれど今こうして思い返してみると、宇津井先生と笹崎教官には本当に感謝の気持ちしかない。
それと同時に死んでしまった同級生たちのことが少しずつ思い出される。正直、名前も知らない人が多かったし、嫌な顔をされることもしょっちゅうだった。でもあの事件の直前に交わした短い挨拶や、僕に向けてくれた笑顔が心を過るたびに、僕の胸はずきりと痛むのだ。
自分から皆を避けてほとんど関わっていなかったくせに、いまさらになってそんな風に感じるのはおかしいと自分でも思う。それでも多くの人が死んでしまったという事実はあまりにも辛かった。
普段は出来るだけ考えないようにしているけれど、2か月が経った今でもふとしたきっかけでそのことが蘇ってくる。後悔なのか、それとも罪悪感なのか。自分でも言い様のない感情が僕の体を震わせる。
僕は顔を上げて四宮先生を見ることができなかった。
先生はそんな僕の左手を強く握った。先生の手のぬくもりを感じているうちに、僕はなんだか無性に泣きたい気持ちになってしまい、奥歯をぎゅっと噛んで溢れそうになる涙を無理矢理飲み込んだ。
「じゃあこれ、いつもの薬ね。症状が出そうになったらすぐに飲むんだよ。」
しばらくして僕の手を離した先生は、そう言って僕に飲み薬の紙袋を渡してくれた。
「ありがとうございます。」
「今日はもうこのまま家に帰るんでしょう?」
「はい。今日は施療のために休日補習も免除なので・・・。」
今日は日曜日で本当は学校も休みだ。でも僕たち222分隊だけはずっと休日の間も補習を受けている。
「遅れてる分の2年生の勉強を詰め込んでるんでしょ? 大変だよねぇ。」
僕を心配するようにため息を吐く先生に、僕は苦笑いを返した。
「僕はいいんです。けど仲間の一人が・・・。」
そう言いながら僕はマリさんの顔を思い浮かべる。もうそろそろ夕方で、補習も終わりの時刻だ。きっと今頃、頭から湯気を出してホノカさんに心配されてるに違いない。僕がそのことを話すと、「いい仲間がいるんだね」と先生は少し安心したように微笑んでくれた。
「気を付けて帰るんだよ。お母さんによろしく。また遊びに行くって言っておいて。」
「はい、分かりました。ありがとうございました。」
僕は先生に見送られて施療室を出た。待合室は閑散としていた。ここはいつ来てもこんな感じだ。この施療院は事故で手足を失った人を専門に扱っている。いつも患者が少ないのはそのせいなのかもしれない。
施療院を出た僕は、急いで家に戻った。まだ18:00を少し過ぎたところだけれど、辺りはもうすっかり暗くなっている。
「ただいま。」
「おかえり、カナメちゃん。」
寒さでかじかむ手足を動かして玄関を開けると、足音を聞きつけて待ち構えていたらしいマドカが僕に抱き着いてきた。僕の胸に顔を埋めるマドカの柔らかい髪を、僕は左手でゆっくり撫でた。
僕が帰ってくるまでの3か月の間に、マドカはすっかり甘えん坊になってしまっていた。きっとそれだけ辛い思いをしたんだろうと思う。その気持ちを思いやって、僕はまた涙が出そうになった。
しばらくするとマドカは僕の胸から顔を上げ、抱き着いたまま僕の顔を見上げた。
「カナメちゃん、お母さん今日は遅くなるって。」
「うん、僕のマギホにも連絡があったよ。今日は二人で先に夕ご飯食べちゃおう。」
僕はマドカと二人で三人分の夕飯の支度をした。マドカが下ごしらえを済ませてくれていたので、かなり早く食べ始めることができた。手際よく黙々と準備をするマドカの様子を見て、僕がいない3か月の間に、マドカがどうやって過ごしていたのかが分かるような気がした。
夕食後、お風呂で体を洗い、狭い湯船に無理矢理二人で浸かった。髪を乾かしてやった後もなかなか離れようとしないマドカを、僕は半ば強引に寝かしつけた。
その後、ちゃぶ台で今日受けられなかった補習の課題を解いていたら、ふすまの向こうから小さくマドカの悲鳴が聞こえた。眠ったままうなされるマドカは、目の端に涙をいっぱい貯めていた。僕はマドカの顔を手拭いでそっと拭ってやり、背中を優しくさすりながら自分の魔力をゆっくりとマドカの細い体に流していった。
マドカの寝息が安らかになった頃、マドカをさする僕の左手の甲にぽたりと雫が落ちた。知らず知らず流れていた涙を、僕は自分の寝巻の袖でごしごしと乱暴に拭った。
マドカはすやすやと安心した顔で眠っている。もう大丈夫だ。そう思ったのに、それでも僕はしばらくの間、静かに眠る妹から眼を離すことができなかった。
「ただいまー。はー疲れたー。」
かなり夜も更けた頃、ようやく母さんが仕事から帰ってきた。
「おかえり・・・ってそのアザ、どうしたの?」
母さんの右目には、漫画みたいな青アザがうっすらと出来ていた。
「ああ、痛みで錯乱した患者さんが暴れた時に手が当たっちゃってねー。一応、自分で治療したんだけど、少し残っちゃった。」
「大変だったんだね。でもマドカに見せたら心配させちゃうかも・・・。」
僕がそう言うと、母さんはニヤっと笑った。
「そうねえ。でも、あなたほどじゃないけどね。」
むぐっと言葉に詰まる僕。母さんはそんな僕の髪をぐしゃぐしゃとかき回し、頭を軽くポンポンと叩いた。
「心配してくれてありがとね、カナメ。」
母さんの言葉に頷いたところで、僕は四宮先生の伝言を思い出した。
「そういえば四宮先生がまた遊びに行くって言ってたよ。」
「ルリが? さてはあいつ、まーた新しい相手とケンカしたんだな。」
母さんはそう言って呆れ顔をしてみせた。母さんと四宮先生は同じ施術師学校の同級生。昔からの飲み友達で、死んでしまった父さんとも知り合いだったそうだ。僕の治療を担当してくれたのも、その縁があったかららしい。
風呂場に向かった母さんの荷物を片付けていると、洗面所から「あーこりゃ酷いわ」という乾いた笑い声が聞こえた。きっと今まで忙しくて鏡を見る余裕もなかったに違いない。
お風呂から出てきたときには、きれいに痣が無くなっていた。きっと鏡を見ながら自分の魔力で治療したのだろう。僕にも治癒術の素養があればいいのにと、少しだけ羨ましく思った。
翌朝、支度を終えて学校へ行く僕を、母さんとマドカが見送ってくれた。
「行ってらっしゃい、カナメ。」
母さんがそう言うと、マドカが無言でぎゅっと僕の制服の端を掴んだ。僕はマドカの頭をそっと撫でた。
「行ってくるね、マドカ。」
「絶対に帰ってく・・・ううん、行ってらっしゃいカナメちゃん。」
マドカは言いかけた言葉を飲み込み、今にも泣き出しそうな表情で無理矢理笑顔を作り僕を見上げた。僕はその場にしゃがみ込み、小さく震えるマドカの体を無言で抱きしめた。
マドカからは、僕と同じ石鹸の匂いがしていた。それは家を出てからもしばらく、僕の鼻腔に残ったままだった。
翌日、学校の門をくぐった僕は、それまで慣れ親しんでいた校舎を通り過ぎ、演習場の裏にある旧校舎へと向かった。
この旧校舎は8年前の魔力災害、高天原大嘯で倒壊し放棄されたものだ。これが現在、僕たち222訓練分隊改め、222特別教育課程分隊の教室兼、機体格納庫兼、学生寮なのである。
この旧校舎、大半の建物は災害と魔獣の襲撃によって壊れてしまっている。けれど破壊を免れた校舎が数棟残っていた。それがなぜか取り壊されないまま、今もまだ現存していたらしい。
「らしい」というのは、この校舎が自分たちの教室になるまで、僕はこの校舎の存在を全然知らなかったからだ。もちろん分隊の皆もそう。多分、今の学生のほとんどは知らないと思う。
ただ笹崎教官と宇津井先生は知っていたらしい。最初にここに来た時、二人が懐かしそうに辺りを見回している様子がとても印象的だった。
校舎に近づいて行くと、ぼんやりとした白い人影が僕に気づいて近寄ってきた。彼らはこの校舎を根城にしている幽体たちだ。言葉は分からないけれど、なんとなく親し気な気配を感じる。僕は彼らに小さく「おはようございます」と声をかけて校舎の入り口をくぐった。
「おお、カナメくんか。」
僕に気が付いた作業着姿の宇津井先生とエイスケ、それにテイジがこっちを向いて挨拶をしてくれた。今、僕以外の分隊メンバー全員と二人の担当教官はこの旧校舎で生活している。先生たちが寮監も兼ねているからだ。
この旧校舎、災害以来ずっと放棄されていたため、あちこち修理しなくてはまともに住むどころか、授業すらままならない状態だった。だから僕たちはここにやって来てからこの三か月の間ずっと、時間を見つけては修理作業をしている。
ちなみにホノカさんによると、修理費用等は学校から一切支給されていないらしい。今は分隊機の整備費として振り分けられている費用を、流用してなんとかやりくりしている状態だ。
そのことだけでも、宇津井先生が僕たちを学校に留めておくために、どれだけ無理をしたのかが何となく察せられた。
僕は挨拶もそこそこに、すぐに荷物をその場に置いて皆に駆け寄った。
「僕も手伝います。」
「いや、お前は教室の方を頼む。」
エイスケが真面目な顔でそう言い、テイジと宇津井先生がうんうんと頷いた。その様子に嫌な予感がしたものの、僕は皆のいう通り、校舎に入ってすぐのところにある教室のドアの前に立った。
するとそれを待っていたみたいに、血相を変えたマリさんが教室の中から飛び出してきて僕の後ろに回り込んだ。
「助けて、カナメっち!!」
マリさんはそう言って僕の体の陰から飛び出すと、校舎の玄関から外に逃げようとした。でもそれよりもずっと早く、僕の横を通り過ぎた白い影が逃げる彼女を捕えた。
白い影の正体は予想通り、格闘服に身を包んだ笹崎教官だった。教官はあっという間にマリさんをその場に組み伏せてしまった。
「おはようございます、教官。」
僕がそう挨拶をすると教官は、拘束を脱出しようと藻掻くマリさんを片手と膝を使って床に押さえつけたまま、僕に笑顔を向けてくれた。
「おお、新道。もうそんな時間か。」
「・・・笹崎教官って格闘も得意なんですね。」
「まあこれでも一応、元軍人だからな。対人魔力格闘と制圧手技くらいは身につけてるさ。」
笹崎教官はそう言ってニヤリと笑った。
教官は1月付で正式に皇国防衛隊からこの特別分隊へ、出向という形で転属になったそうだ。言うまでもなく事実上の左遷だ。きっと部隊を失った責任を取らされたのだと思う。
もちろん防衛隊の上層部だって笹崎教官に責任がないことくらい分かっていたはず。それでも保護者である貴族たちの手前、そうせざるを得なかったのだろう。
もしかしたらだけど、世間の目から隠すことで、貴族たちの批判から教官の身を守る意図があったのかも? ただ真相については教官自身が全く話してくれていないので、結局は分からずじまいだった。
「ほら、行くぞ!! 一時間目が始まるまでに残った課題を終わらせるんだ!」
「いやー!! もう、数式いやー!! カナメっち、ホノちゃん、助けてー!」
悲鳴を上げ、泣きべそをかいたマリさんが教官にズルズルと引きずられていく。とんでもない修羅場だ。エイスケたちが僕に押し付けたがった気持ちがすごく理解できた。
ため息を吐いてマリさんの勉強を手伝おうと教室の中に入ると、ホノカさんが少し困ったように笑いながら出迎えてくれた。
「おはようカナメくん。」
彼女はこれから教室を出ようとしているところだったようで、両手に大きな洗濯籠を持っていた。洗濯籠にはおそらく分隊みんなの分だろうと思われる洗濯物がいっぱいに詰まっている。
「今、ちょうど干そうと思ってたら、マリちゃんの悲鳴が聞こえて。それで慌てて見に来たの。」
彼女によると、マリさんは昨日の補習の課題が終わらず、夜中まで笹崎教官につきっきりで勉強をさせられていたらしい。そりゃあ逃げたくもなるだろう。
僕がそう言うと、彼女は可笑しそうにくすくすと笑った。
「僕も干すのを手伝いたいけど、マリさんの勉強を見なきゃいけなくて・・・。」
申し訳ない気持ちで僕がそう言いかけると、それを遮るように笹崎教官が声をかけてきた。
「こっちはもうしばらく大丈夫だぞ。小桜を手伝ってやってくれ。一人じゃ大変だろうからな。」
「でも・・・。」
「いや、お前がいるとすぐに頼ろうとするからな、こいつは。」
笹崎教官はきっぱりとそう言うと、机に向かうマリさんを見てふんと大きく鼻を鳴らした。そう言われれば、確かに教官のいう通りかもしれない。
助けを求めるようにこちらを見るマリさんに目で「ごめん」と謝り、僕はホノカさんと一緒に洗濯物を干すため、校舎の中庭に作られた物干し台に向かった。
ホノカさんと二人で皆の分の洗濯物を干していく。自分の持っている籠が一通り終わったところで、ホノカさんの持っている籠の中に、小分けされた小さな籠があるのに気が付いた。中にはカラフルなハンカチみたいなものがたくさん詰まっている。
「あれ、これも干すんじゃないの?」
僕が彼女を手伝おうと籠の中に手を伸ばすと、それに気づいた彼女が慌てて叫び声を上げた。
「あ、そ、それはダメっ!!」
でもその時にはもう手遅れだった。僕はすでにその小さな布を広げてしまっていたのだ。見覚えのある可愛いピンクの縞々。これってもしかして・・・。
僕が籠に戻そうとするよりも早く、ホノカさんに手の中の物をひったくられてしまった。彼女は赤い顔をして上目遣いに僕のことを睨みつけた。
「・・・カナメくんのえっち。」
その途端、頭に血が上って、耳が燃えるように熱くなった。
「ご、ごめん!! 僕、その、し、知らなくて・・・!!」
僕は目を瞑ったまま、大きく頭を下げて彼女に謝った。すると下げた僕の頭に温かい手が触れる感触があった。
恐る恐る顔を上げると、小さな籠を恥ずかしそうに抱えたホノカさんと目が合った。彼女は僕の顔を見て、困ったように微笑んだ。
「分隊長の謝罪に免じて今回だけは許してあげます。でも次からは気を付けてくださいね。」
「あ、ありがとう! 本当にごめんなさい!」
僕がそう言うと、彼女は僕の前に黙って右手を差し出した。僕は左手でその手を取った。
「行こうか。」
僕の言葉に彼女が小さく頷く。僕は左手を彼女の右手と繋ぎ、右の義手に空っぽの洗濯籠を持って教室へと歩き始めた。
マヒした右足を引きずりながら歩くたびに、右手に持った洗濯籠が揺れる。そこで僕ははたと、そう言えばあれ以来、クロと話していないことに気が付いた。
あれからクロはずっと眠ったままだ。ちなみにクロのことは宇津井先生と笹崎教官、それ分隊の皆には話してある。もちろん主治医である四宮先生にもだ。
ただ四宮先生がいくら僕の体を調べても、クロの痕跡を見つけることはできなかったらしい。もしかしたら僕の体のかなり深い部分で眠りに就いているのかもしれないと、先生は僕に話してくれた。
僕の知らないうちにクロが目覚め、勝手に僕の体を離れた可能性も否定できない。でも僕の話を聞いた四宮先生はその可能性はかなり低いだろうと言っていた。確信はないものの、僕も何となくそう思った。
クロは得体の知れないやつだけど、今までに嘘を吐いたことはなかったからだ。別にクロのことを信用したわけじゃない。クロの言葉が真実だということが分かるから、そう思っただけだ。
もしかしたら、もうこのまま目覚めなかったりして? そうなったら、クロの同族を探すっていう目的はどうなっちゃうんだろう?
僕はそんなことを考えながら賑やかな声が響く教室へ、ホノカさんと一緒に入っていったのだった。
カナメが教室に入ったのとほぼ同時刻。京都御所内のとある研究施設の一室で、立派な執務机に座った恰幅の良い男が魔力端末を握って話をしていた。
室内には彼以外誰もいない。にもかかわらず彼は、誰かに会話を聞かれるのを恐れるかのように必死に声を潜めている。
話をしている間、マギホを持っていない彼の右手は、神経質そうにずっと指を動かし続けていた。その忙しない動きは、彼の内心の動揺を如実に表している。
通話相手の静かな報告を聞き終えた後、彼はその内容を確かめるように相手に問いかけた。
「四宮くん、本当に例の少年には変化が見られないのだな?」
「(はい。今のところは目立った変化はありません。近日中に家族の様子も探る予定です。引き続き、監視を継続します。)」
「ああ、よろしく頼む。今回のことにはひどく心を痛めておいでだ。紀末試験までもう時間がない。くれぐれも連中に悟られることのないようにな。」
「(心得ております。では失礼し・・・。)」
しかし彼女の声は突然起きたドンという衝撃音で遮られた。
「(敵襲です! すぐに消去を・・・!!)」
次の瞬間、凄まじいノイズと共に通話が乱れた。数発の銃声の後、激しく何かが倒れる音がして通信は途絶えた。おそらく四宮ルリが自身の端末を自壊させたのだろう。
彼女と通話していた男もすぐに自分の端末の魔石を暴走させ、自壊させた。そして執務机に備えつけられた非常用通信装置を起動させると、短く呼びかけた。
「連中が動いた。」
通信装置からは短い応答があった。それで十分だった。彼は大きく息を吐いて、愛用の椅子に体を深く沈めた。だがすぐに落ち着きなく身じろぎをすると、椅子から立ち上がってハンカチを取り出し、額に浮いた冷や汗を拭った。
彼はまるで引き寄せられたかのように、執務机の上にある小さなモニターに目を向けた。リアルタイムで実験室内を撮影しているモニターには、昏い闇の中に浮かぶ二つの光が映し出されていた。
これは目だ。水中に漂うものの瞳が、撮影しているカメラの僅かな光を反射しているのだ。
彼がモニターを見たその瞬間、二つの光はくにゃりと三日月形に歪んだ。
笑っている。私が見ていることを感知したのか。彼は瞬時にそう思い、全身が粟立つのを感じた。
監視対象が居る場所とこの部屋の間には、何層もの隔壁で隔てられている。室内には小さな監視カメラがあるだけ。当然モニターなどは設置されていない。
あれが彼の視線を感知することなど、普通に考えれば絶対にありえない。ただの偶然と切り捨ててしまっていいはずだ。
しかし彼は、あれが自分に向かって微笑んだのだということを確信していた。
これまで長い時間、眠り続けていたあれが目覚めたのはついほんの3か月前。四宮ルリが治療を施した少年が、時空の狭間から帰還した直後だった。間違いなく、少年が連れ帰ったという未確認生命体が原因だろう。
「引き寄せ合っているのか? だが・・・!」
彼はぐっと強く拳を握りしめた。そして自分を見て笑っているモニターの中の目を睨みつけると、噛み締めた歯の間から唸るように声を絞り出した。
「私は守らなくてはならぬ。そのためにはどんな犠牲を払う。それが私に課せられた使命なのだ。」
彼の言葉に反応したかのように、モニターの中の光がゆらりと揺れた。彼は物言わぬその目がより一層、笑みを深めたように思えてならなかった。
読んでくださった方、ありがとうございました。




