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18 白い花

書くのが楽しすぎるのです。

 火喰鳥の強烈な蹴爪の一撃を余裕ある動きで回避したマリさんは、お返しだとばかりに回し蹴りを放ち、最後に残ったその魔獣を倒し終えた。


 全身炎でできた巨大な鳥型魔獣は、マリさんの爪先にある魔力のやいばで胸の魔石をえぐり取られ、爆炎を上げながら散り散りになって消えていく。現界前でまだ肉体を持っていないため、そのあとには子供の小指の先ほどの大きさの赤い石が残ったのみだ。


「(はい、一丁上がり! はー、楽しかった! マルちゃん、魔石とあたしらの回収お願いっ!)」


「他のはもう終わってるよ。周りのやつは自分で回収してくれ。回収用ケースは持ってんだろ?」


「(えー、めんどいー。)」


「お前が見境なく倒し散らすからだろーが。すぐに回収用ドローンクラゲをまわすから、それまでに終わらせろ。」


 ぶつぶつ言いながらも素直に地上に残った魔石を回収していくマリさん。その横ではテイジが黙々と作業をこなしている。


 今、二人が立っているのは、ついこの間流れ出たばかりの溶岩の上だ。すでに人が立てるくらいには冷え固まっているとはいえ、その表面は触れた紙屑が一瞬で燃え上がるほどの熱量がある。二人が安全に作業できるのは、着ている強化外装の耐火装備のおかげだ。






 僕はクラゲに掴まって上昇してくる二人を回収するため白鷹の高度をゆっくりと下げ、翼の向きを変えて空中に機体を静止させた。


 戦闘員を回収するために静止して魔力防壁を解除するこのタイミングが、実はミッションの中で最も危険な瞬間だ。接近した魔獣に気づかず奇襲を受けることも珍しくない。またごく稀にだけど、突然開いた『異界門ゲート』の魔力乱流に巻き込まれて不時着を余儀なくされたっていう話も聞いたことがある。


 魔導機は強力な魔導エンジンを使って搭乗者の魔力を増幅させているため、強い魔力を好む魔獣たちに狙われやすい。魔導機の搭乗者にとってこの無防備な静止状態は、一番神経を使う場面なのだ。


 以前の僕は飛行するのでさえ精一杯だったので、この静止状態を維持するのが実はとても苦手だった。でも今では機体の姿勢制御をエイスケが、周辺空域のモニターをホノカさんが担当してくれている。二人のおかげで今日もいつものように何事もなく、マリさんたちを回収し終えることができた。






「(みんな、お疲れ様。学校に戻ろう。)」


「マリちゃん、テイジくん無事に終わってよかったね。帰投命令、すでに受領しています。いつでも戻れますよ。」


 僕のつうしんにかぶせるようにホノカさんが全体通信で連絡をくれる。これもいつものことだ。僕たちが安心して任務に集中できるのは、エイスケとホノカさんの支えがあるからだと感じずにはいられない。


 エイスケの機体制御支援を受けた僕は、自分の身体と一体になった白鷹の翼を大きく広げ、一気に学校を目指して初秋の大空を駆けた。











「222分隊、今日もいいスコアだな。これで他校合同演習の2年代表入り確定だ。頑張れよ、代表分隊長!!」


 僕たちの提出した戦闘記録を見た笹崎教官は、鮮やかな朱を引いた唇で艶然と微笑んだ。今の教官は体にぴったりとした戦闘服姿だ。


 教官が僕の左肩をバシバシ叩くたびに、僕の目の前で形の良い教官の胸が大きく上下に揺れる。僕はいろんな意味で真っ赤になりながら、暴れまわる教官の胸からそっと視線を逸らした。


 焦ってごにょごにょと教官にお礼を言った僕を、周りにいる分隊員、特に男子生徒が物凄い目で睨んだ。僕は彼らの羨望と嫉妬の視線を一身に浴びながら、全速力で右足を引きずり分隊の皆のところに戻った。


 僕の様子をニヤニヤしながら見ていたマリさんは、両手で自分の胸を持ち上げて小さくウインクしてきた。マリさんの隣にいたホノカさんは、一瞬自分の胸に目を向けた後、すぐに顔を赤らめて俯いてしまった。


 そしてなぜかテイジは上半身裸のまま無言でマスキュラーを決め、盛り上がった胸筋を僕に見せつけていた。






 思わず苦笑した僕が皆に声をかけるより前に、エイスケがからかうような調子で僕に話しかけてきた。


「報告も終わったな。じゃあ隊舎に戻って一緒に機体の整備でもすっか、おっぱい分隊長。」


「お、おっぱ・・!? ちがうって!! 何言ってんのエイスケ!!」


 僕が焦って言い訳すると、マリさんはわざと自分の胸をぎゅっと寄せてみせた。戦闘服の胸元から覗くきれいな谷間に、彼女の汗が滑り込んでいく。彼女はニシシと笑いながら、僕に言った。


「えー、カナメっちって、絶対おっぱい好きでしょ? 顔真っ赤にしてたけど、きょーかんのおっぱいはしっかり見てたじゃん。やっぱあたしたちよりも巨乳のお姉さんの方がいいってことカナ?」


「そ、それは目の前であんなに揺れたら・・・って、そういうことじゃない!! 僕は別に巨乳好きじゃないってば!」


 僕は真っ赤になりながら彼女にそう言い返した。


「あっ、そうなんだ・・・・よかった。」


 すると僕の後ろで、胸に手を当てていたホノカさんが小さく何か呟いた。






「え、何? ホノカさん、いま何か言った?」


「う、ううん、何でもないよ! さあ、早く隊舎に行かなくちゃ!」


 彼女はそう言うと、いち早く隊舎に向かって歩き出した。マリさんは猫みたいに目を細め、すごいいい笑顔でそんな彼女の様子を見ていた。僕たちはその後、わいわいと言い合いながら演習場の端にある自分たちの隊舎を目指してゆっくりと移動し始めた。


 皆は騒ぎながらも、足の遅い僕の速度に合わせて移動してくれている。僕は皆に心の中で感謝しながら、思うように動かない右足を一生懸命動かした。だからその時、僕たちの背中を見つめるドス黒い感情のこもった視線があることに、僕はまったく気づいていなかった。










 夏祭りから1か月余りが経過し今はもう9月の半ば。僕たち222分隊は出遅れたポイントを急速に取り返し、再びランキング上位に返り咲いていた。


 上級生の分隊も含めた総合ランキングではさすがに一位になることはできなかったけど、2学年ではダントツの成績だ。訓練ミッションの達成度はホノカさん復帰後は80%以上。作戦行動予定時間超過ミッションもゼロだ。


 ちなみに2年生の他のチームのミッション達成率は50%そこそこで、作戦を中断して帰還したり教官機に援護・回収されたりしているチームも少なくない。もっとも総合演習が始まってまだ数か月なのだから、2年生の分隊成績ならこれが普通。222分隊のスコアの方が異常なのだ。


 今日は教官から特別に指示をもらって、いつもよりもやや強い魔獣の出る訓練区域での討伐ミッションだったけど、問題なく終えることができた。笹崎教官の言っていたように、このままいけば他校との合同演習では222分隊が2年代表として参加することになる。


 そのことを僕が話すと、ホノカさんは信じられないといった表情で呟くように言った。






「まさか魔力のない私が、代表メンバーになるなんて・・・。本当にいいのかな。」


「いいに決まってんじゃんホノちゃん! ホノちゃんいなかったら、あたし絶対、現場にたどり着けてないもん。」


「胸張っていうことじゃねえだろ、この馬鹿猫。」


 マリさんの元気よく言った言葉に、エイスケがすかさずツッコミを入れる。「馬鹿って言う方が馬鹿なんですぅ!」と言い返したマリさんに「ふん」と鼻を鳴らした後、エイスケは僕らの方を見ながら言った。


「だけどまあ、そうだな。阿久猫あくねのいう通り、小桜がいなかったらこのスコアはありえなかった。」


 僕とテイジはエイスケの言葉に深く頷いた。ホノカさんは瞳を潤ませながら「ありがとう、みんな」と小さく、でもはっきりと言った。






 ホノカさんはさっき自分で言ったように、魔力操作の適性が全くない。だから詠唱魔術はもちろん、体内の魔力を同調させる魔導機器類は一切使うことができない。


 もちろん動力となる魔石を内蔵している機器ならば操作できる。こういう人は大混乱期の初期には多くいたそうだが、今では極めて稀な存在になった。口さがない人たちは、そういう人たちのことを『魔抜けマヌケ』と呼んで蔑んでいる。


 ただ城砦内で普通に生活するだけなら、必ずしも魔力は必要ではない。魔力量や適性は個人差が大きいし、城砦内には魔力を持たない人間以外の種族もたくさん暮らしているから、魔力のない人でも日常生活に困ることはないのだ。


 ただ魔力を使って魔獣と戦う防衛学校では入学時に魔力適性を計測するため、通常はホノカさんのように魔力を持たない人は入学できない。つまりホノカさんはそれ以外の能力がずば抜けて高かったということだ。






 ホノカさんの得意分野は索敵機器を使った情報の収集・分析、そして最適な作戦行動のための行動指針立案。魔導技術を使った索敵機器は、周囲の空間から同時に大量の情報をデータとして表示することができる。もちろんある程度、情報は整理されて表示されるけれど、それはあくまでデータに過ぎない。


 刻々と状況が移り変わる魔獣との戦闘で、そのデータから最適な行動案を導き出すのが、後方支援員の重要な役割の一つ。彼女はこの分析力が並外れて高いのだ。


 マリさんなら裸足で逃げ出すような数字や記号、図形の羅列を一瞥しただけで、最適な行動案を示してくれる。一度、訓練の反省会をしているときにマリさんが「ホノちゃん、どうやって分析してんの?」って彼女に分析のやり方を聞いたことがあった。


 彼女はいろいろ言葉を尽くして皆に説明してくれた。けど要約すると「見ただけで何となくわかる」ということらしかった。


 優秀な数学者さんは数式を見ただけで、途中の解法をすっ飛ばして解答が分かるって聞いたことがあるけど、ホノカさんもきっと同じタイプなのだろう。


 魔力が全くないのに優秀な成績を収める新入生。ホノカさんがいじめの標的になったのも、もしかしたらそれが原因の一つだったのかもしれない。






 白鷹の付随装備の点検・整備の後、訓練の反省会を終えた僕たちは隊舎を出た。傾いた太陽が空を赤く染めている。夏に比べると幾分過ごしやすくなってきたけれど、太陽で熱せられた演習場の滑走路からはムッとするような熱気が立ち上っていた。


 暑がりのエイスケは露骨に顔を顰めた後、僕に向かってひょいと片手を上げた。


「新道、また明日な。妹ちゃんによろしく。」


 それに続いてみんなも僕にあいさつをしてくれる。


「またね、カナメっち!」


「カナメくん、また明日。」


「・・・。」


「うん、また。」


 無言で拳を突き出したテイジと左拳を合わせた後、僕は皆と別れて学校の駐板所へと急いだ。といってもマヒした右足を引きずりながらなので、普通の人の半分くらいのスピードしか出せないのだけれど。






 僕の右足はちょっと前まで寄生魔獣に侵食されていた。その間だけ、僕は普通の人と同じように右足を動かすことができた。寄生魔獣が魔力と引き換えに、宿主である僕の身体能力を向上させていたからだ。


 だけど魔獣の浸食を抑えるための治療を終えた今では、また元のように動かなくなってしまっている。感覚もすごく鈍くて血が出るくらい足をぶつけても、ほとんど痛みを感じることはない。


 数年ぶりに走ることができてすごく嬉しかったから、また足が動かなくなってしまったのはちょっと残念だった。けど、そのまま魔獣になってしまうよりははるかにマシだ。


 実のところ、僕が小さいころに受けた傷はあまりにも大きすぎたため、もし寄生魔獣がうまく適合しなかったらそのまま死んでしまうと言われていたらしい。それに万が一適合が上手くいっても、一生寝台から起き上がれない可能性の方が高かったそうだ。


 今でも定期検診に行くたびに、当時から僕の治療を担当してくれている治療術師の先生は「本当に奇跡みたいな回復力だよ」と言ってくれている。だから半身がマヒしているとはいえ、こうやって動き回れるだけでもすごく幸運なことなんだと思う。











 秋の日暮れは釣瓶落としの言葉通り、さっきまで滑走路を焦がしていた太陽は急速に沈みつつある。でもみんなのおかげで訓練が早く終わったから、急げば日が完全に落ちる前に家に着けるかもしれない。


 母さんから「今日は遅くなる」と訓練開始間に連絡があったばかりだ。マドカが寂しくないように早く帰らないと。そう思って演習場を横切る僕のことを、他の分隊の生徒たちがじっと見つめてくる。そのほとんどは敵意や侮蔑を露骨に示すものだった。これは入学当時からずっと変わっていない。


 でも中にはちらほらと軽い挨拶をしてくれる人がいる。僕はそれに戸惑いながら、同じように彼らへ軽い挨拶を返していった。僕に対する反応がこんな風に変わったのは、総合演習が始まってからのことだ。


 挨拶をしてくれるのは格闘隊や後方支援科の生徒たちばかりだった。僕は彼らの親し気な視線にどう反応してよいのか分からず、いつも挙動不審になってしまう。そんな僕に対してエイスケは「癖のある222分隊のメンバーをまとめているから、一目置かれているんだろうよ」と嘯いていた。






 ただ航空隊の同級生からは相変わらず無視され続けている。その原因は明白だ。222分隊の成績は優秀だけれど、僕自身の成績はまったく変わっていないからだろう。


 僕単独の飛行訓練スコアは相変わらず、クラスの真ん中よりかなり下の方だった。航空隊の同級生たちから「化猫や暴鬼の挌闘成績にぶら下がってるだけ」と陰口を言われているのも分かってる。それは全くの真実なので、弁明するつもりも否定するつもりもない。


 今の222分隊の好成績は、分隊員みんなの力がより合わさって成り立っている。僕の手柄というわけでは決してない。だから僕はその陰口を甘んじて受け入れ悪意のある言葉や皮肉、それにちょっとした嫌がらせはすべてスルーしていた。


 ただ人付き合いのスキルが低すぎる僕は、全く気が付いていなかったのだ。僕のその態度が他の同級生からはいかに傲慢に見え、さらに多くのヘイトを集める原因になっていることに。











 駐板所に停めてある浮遊自走板マナボードを手にした僕は、左手の指輪を通してマナボに内蔵された魔石に魔力を流し込んだ。


 僕の使っているこのマナボはリサイクルショップで買った大人用の中古品で、僕には少しだけ大きめだ。長さ80㎝幅20㎝くらいの大きさで、一般的な乳白色の強化樹脂製。本体は結構傷だらけだけど、紫色の風の魔石が嵌った魔術回路だけは新品同様だ。何しろ買ってもらってからずっと、時間を見つけては僕が丁寧に手入れしているからね。


 このマナボは僕が幼年学校を卒業すると同時に、母さんからお祝いとして買ってもらったものだ。値段は3万円強。これを買うために母さんは、何か月も前から僕に内緒でお金を準備してくれていたらしい。母さんからサプライズでこれを手渡された時、僕は嬉しさのあまり泣き出してしまった。そのせいで、今でも時々マドカにからかわれている。






 マナボは皇国の一般的な移動手段の一つだ。幼年学校卒業、つまり12歳以上の皇国民なら誰でも制限なしに乗ることができる。自分の魔力を使って自在に操作することができ、地上から30㎝くらい浮遊した状態で、時速15~20㎞くらいの速度で走行する。


 魔導エンジンの搭載されたマナバイクや魔導車に比べるとすこし遅いけれど、免許や燃料の魔石がいらないので大人でも通勤などに利用する人が多い。


 僕は以前からマナボが欲しかったのだけれど、新道家うちの家計状況を見て買ってもらうことは最初から諦めていた。防衛学校への通学もバスを利用するつもりだった。特待生である僕にはバスの定期券が無料で提供されているからだ。






 でも母さんは初めから、ちょっと無理してでも僕にマナボを買ってくれるつもりだったらしい。


『防衛学校の飛行実習が始まったら、バスの時間に間に合わないかもしれないでしょ? それに魔導機のパイロットになるなら、その練習にもなるしね。』


 母さんはそう言ってこのマナボを僕に渡してくれた。実際、飛行実習が始まってみると母さんのいう通り、バスの時間に間に合わないような時刻まで授業が終わらないことも珍しくなかった。僕が宇津井先生の授業で失敗したみたいに、補習を受けなきゃいけないときにも、マナボのおかげでずいぶん助かったものだ。


 だから母さんの心遣いには2年生になった今でも、すごく感謝している。






 僕の魔力に反応したマナボはすぐにすっと地面から浮き上がった。その上にそっと両足を乗せた僕は、魔力を使って姿勢を安定させた。最初はなかなかうまく乗れなかったけれど、今では自分の手足のように扱うことができる。魔導機の操縦に比べたら、ずっと簡単だ。


 僕は家に帰るためにゆっくりとマナボを発進させた。学校の門衛さんとあいさつを交わして学校の通用門をくぐり、城砦本道まで直通の地下道へと入る。一応照明が付いてはいるけれど、地下道はいつものように少し薄暗かった。


 防衛学校の生徒は寮生活が基本だけど、僕は魔力特待生であることと幼い妹がいる母子家庭という事情を考慮してもらい、特別に自宅から通学させてもらっている。


 だからこの時間にこの地下道を通るのは僕だけだ。いつものように遠慮なくマナボに流す魔力を増やし、速度を上げていく。僕の魔力を全開で流せば、時速60㎞くらいまで加速することが可能だ。でもそんなことをしたら、あっという間にマナボの魔術回路がダメになってしまうから、絶対にやらないけどね。


 学校から伸びる細い地下道を抜けると、魔獣除けの装甲を施した魔導貨物車や城砦を結ぶ路線バスが滑るように行き交う本道へと出る。


 地下道と同じように本道も薄暗いけれど、そこを走る浮遊車両はどれもうっすらと魔力光を発している。そのため交通量が多いこの時間はかなり明るかった。これだけ明るければ、魔獣に遭遇することも少ないだろう。僕は車道の横に設けられているマナボ・マナバイク専用道へとマナボを滑りこませた。






 僕たちが暮らしている高天原城砦群は礎の魔術である『八十柱結界やそはしらけっかい』によって魔獣や異界門ゲートの出現から守られている。けれど、城砦の外を走る街道や地下道には魔獣が出没することがあるのだ。


 もちろん危険な大型魔獣は魔導機士や衛士たちが城砦まちに近づけないように警護してくれている。けれど、小さな魔獣たちが入り込むのを完全に防ぐことは難しい。特に地上の街道は警護の網をかいくぐった中型魔獣が出現することもあり危険度が高い。


 それに比べると地下道は比較的安全だ。出現するのも巨大ネズミや巨大ミミズなどが多く、乗り物に乗っていれば簡単に振り切れる。しかも彼らは臆病なので、交通量の多い時間に出会うことはまずない。






 やっかいなのは巨大ゴキブリくらいかな。奴らは群れで出現し高速で飛行する。毒などはないし攻撃力も大したことないのだけれ、倒すとそこら中に臭い体液をまき散らすので、本当に始末に負えない。


 それにガサガサと音を立てて奴らが迫ってくる姿は、害がないと分かっていてもかなり恐ろしい。ましてやうっかり体に取り付かれでもしたら精神的なダメージは計り知れない。だからこの地下道を徒歩で歩く人は滅多にいない。


 ちなみに第3城砦に暮らしている獣人、特に爬虫類系の人たちは昆虫をよく食べる。巨大ゴキブリも彼らにとってはご馳走らしい。僕らの地区の自治会長、蜥蜴人シュハアさんの息子さんは、仕事である水路点検の合間に巨大ゴキブリを狩っては、お母さんへのお土産にしているそうだ。


 だから蜥蜴人族が近くにいると巨大ゴキブリたちは姿を見せないという。あの黒い悪魔たちはとても賢いのだ。


 僕はどうかあの黒い悪魔たちに出会いませんようにと願いながらマナボに魔力を流し込み、隣を走るマナバイクを一気に追い抜いて家路を急いだ。











「おかえりカナメ。」


「カナメちゃん、おかえりなさい!」


 家に帰ると母さんと妹のマドカが二人して出迎えてくれた。母さんからは昼間に今日は遅くなるってメールがあったので、ちょっと驚いた。


 僕は理由を尋ねようとしてすぐに止めた。下駄箱の上の空き瓶に、小さな白い花が挿してあるのに気が付いたからだ。どうやら緊急の患者さんは亡くなってしまったみたいだ。


 母さんはどんなに忙しい時でも家の中に花を欠かさない。買った花ではなくて、道端に生えている野生の季節の花を摘んできては飾っているだけだ。でもこんな風に小さな白い花が飾られているのは患者さんを助けられなかったときなのだということに、僕は少し前から気づいていた。






「ただいま母さん、マドカ。」


「ねえねえお兄ちゃん! お母さんがね! 卵を焼いてくれたんだよ!」


「そうなんだ。道理でいい匂いがすると思った。」


「でしょ? お母さんがお兄ちゃんと一緒にみんなで食べようって! だから私、ずーっと待ってたの!」


 僕が手を洗い、制服を脱いで部屋着に着替える間もずっと、マドカは嬉しそうに僕の周りをぴょんぴょん跳ねまわり、母さんに窘められていた。


 僕はマドカの頭をそっと撫で、一緒に食卓に着いた。すでにお風呂に入った後らしく、マドカの髪からは甘い石鹸の香りがしていた。







 小さな食卓には白いご飯に、わかめと豆腐のお味噌汁、小松菜の胡麻和え、そしてきれいに焼かれたつやつやの卵焼きが並べられていた。


 卵は城砦に付設されている養鶏牧場で生産されている。けれど飼育されている鶏の数が少ないのでかなり高価だ。鶏は小型の魔獣に狙われやすいため、育てるのがとても難しいと聞いている。


 大体卵一つが200円くらいかな。納豆一人分が30円、豆腐一丁100円くらいなので、普段はほとんど我が家の食卓に上ることはない。当然、肉料理なんて夢のまた夢だ。こんな大きな卵焼きを見たら、マドカのテンションが上がるのも無理はないと思う。


 この卵焼きの大きさなら、5つくらいは卵を使ってるんじゃないかな。母さん、今日はずいぶんと奮発したものだ。






 いただきますと言い終わるなり早速、卵焼きを頬張るマドカ。


「おいしー!!」


 美味しそうに食べるマドカがすごく可愛らしくて、僕は思わず笑ってしまった。母さんはそんな僕とマドカをニコニコしながら見つめていた。


「カナメも早く食べなさい。マドカに全部食べられちゃうわよ。」


 母さんに勧められ、僕も一切れ頬張る。ふわふわとした絶妙の焼き加減。口に広がる甘さとちょっぴりのしょうゆの香り。マドカの大好きな、砂糖を多めに入れた甘い卵焼きだ。死んでしまった父さんもこの味が大好きだった。もちろん僕も大好きだ。


 ちなみに塩や砂糖は蜥蜴人族の人たちがたくさん生産してくれているので、割と安い値段で手に入れることができる。






「すごく美味しい。でも母さん、卵、高かったでしょう?」


 僕がそう尋ねると、母さんは大げさに考え込む振りをしながら答えた。


「うーん、確かに高かったわねぇ。でも皆でゆっくり夕飯を食べられるなんて久しぶりでしょ。だからちょっと贅沢しちゃった。」


 ふふふと笑って卵焼きを一切れ食べる母さん。あといくつ食べてもいいかと一生懸命考えているマドカに「美味しい? 遠慮せずどんどんお食べなさい」って言いながら、マドカの髪を優しく撫でている。


 その手はまるで、マドカがそこにいることを確かめているみたいだと、僕は思った。






 食事が終わり片づけを済ませてお風呂から上がると、もうマドカは布団に入って安らかな寝息を立てていた。


 僕は明日の支度をする母さんの手伝いを済ませたあと食卓に座り、翌日の予習のために学習用端末タブレットを起動した。すると寝巻に着替えた母さんが洗面所から出てきて、僕の正面に座った。


 母さんはしばらく、勉強する僕を穏やかな表情で見ていた。そして僕の勉強が一段落したのを確認して、僕に尋ねてきた。






「カナメ、学校はどう?」


「うん、今のところ順調だよ。僕たちの分隊が2年の代表に選ばれるみたいなんだ。」


「そう、頑張ったのね。えらいえらい。さすが私のカナメだわ。」


 母さんはそう言うと、小さな食卓の向こうから身を乗り出すようにして、僕の頭を撫でた。こんなことをされるのは幼年学校を卒業して以来初めてのことだ。僕はちょっと照れくさくて、思わず母さんに聞き返してしまった。






「母さん、お酒飲んでる?・・・それとも、なんかあったの?」


 母さんは僕の頭を撫でている右手をゆっくりと下ろし、僕の左頬にそっと触れた。


「・・・カナメ、あなたがいてくれて本当によかった。」


 母さんは笑っていた。けれど僕には何だか母さんのその顔が、今にも泣き出しそうに見えた。僕の義眼が母さんの目に焦点を合わせようとして、静かな室内に機械音を響かせる。僕は自然と左手を僕に触れている母さんの手に重ねていた。


 母さんはそのままじっと目をつぶった。僕は母さんが泣き出すんじゃないかと思った。


 でも目を開けたときには、いつもの笑顔の母さんに戻っていた。母さんは小さく息を吐いて言った。






「もうこんな時間ね。そろそろ寝ないと明日寝坊しちゃうわ。あなたはもう少し続けるの?」


「うん、もう少しだけ。」


「そう、じゃあ、おやすみカナメ。」


「うん、おやすみなさい母さん。」


 母さんは立ち上がると、マドカの寝ている方へ歩いて行った。その背中がやけに痛々しく見え、僕は思わず母さんに声をかけた。






「母さん、僕はどこにも行かないよ。マドカも母さんも、絶対に僕が守るから。」


 母さんはビクッと体を震わせて立ち止まった。しばらくそのまま立ち尽くしていたけれど、後ろを向いたまま僅かに震える声で僕に言った。


「当たり前でしょ。二人とも私の大事な子供たちなんだから。頼りにしてるわね、お兄ちゃん。」


「うん。」


「・・・ありがとね、カナメ。」


「うん。」


 母さんは僕の方を振り返ることなく、マドカの寝ている寝室のふすまを閉めた。


 マドカが寝ぼけながら「おかあさん、おーもーい・・・」って言う声が聞こえた。僕は残りの練習問題を解いていった。しんとする秋の夜、マドカの寝息と虫の声だけが、静かに僕の耳を満たした。

読んでくださった方、ありがとうございました。明日も書けたら、もう一話投稿します。

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