9 お見合い
バーベナにとって、それは避けたい事態だった。
「どうしても、行かなくてはなりませんの?」
バーベナ13歳、二つ年上のアーロンとのお見合いを申し込まれた。
見合いと言っても、アーロンの祖父の伯爵家でお茶会に招待されただけだった。
バーベナとアーロンの見合いだと知っているのは、ルイスナム侯爵と、アーロンの祖父レドナス伯爵だけだ。正妃一派に知られる前に、二人の婚約を決めてしまおうという腹積りの二人だった。。
ルイスナム公爵家は、正妃派ではなかった。正妃、第2妃はルイスナム公爵家とあまり関係性の良くない家柄の出身だった。ルイスナム家がアネモネの実家であるトールジョー辺境伯家との婚姻で、国内筆頭の家系になったことから敵も増えてしまっていた。ルイスナム家は建国以来の公爵家であり、トールジョー辺境伯家は、建国の際に英雄と崇められた家柄だった。その両家が縁組をすると言うことで、当時の有力貴族たちはそれを阻止しようと躍起になっていた。だが、当代ルイスナム公爵は、トールジョー辺境伯家の一人娘アネモネを一目見るなり恋に落ちてしまった。誰もその婚姻を邪魔することはできなかった。その時、現在の正妃の家からの婚約の申し入れを断っていることも禍根になっていた。
アーロンの母は、彼を産んですぐに亡くなってしまった。第3妃の子である上に、母を亡くしたアーロンは王城に味方もないような状況だった。
父王は全ての子供に平等に興味を持っていなかった。
正妃、第2妃ともに男子を2人ずつ産んでいたが、どちらも可もなく不可もなくと言った凡庸な少年だった。のちに国王になる資質は、アーロンが一番あると言えた。
「最近は勉強会ばかりでお茶会に行くこともなかっただろう?たまにはそう言った席にも出なければいけないよ」
ルイスナム公爵の言うことは尤もだった。以前のバーベナならば、父がどんなに宥め賺しても嫌なものは嫌だと突っぱねることができたが、今のバーベナには知性も分別もある。
「……ならば、クラレンス様にエスコートしていただいてもいいですか?」
バーベナは見合いだと知らされていない。実際にはバーベナはファンブックで知っている出来事だった。13歳のバーベナは自分に見合う婚約者に満足しただけでなく、精悍な容貌のアーロンに惹かれていた。ダリアとアーロンが親しくなることを許せずにひどい苛めを行ったのも、アーロンに恋心があったからだ。
だが、今のバーベナはアーロンと婚約するより、彼とクラレンスやリカルトのハズレスチルが見たいのだ。クラレンスにエスコートを頼めば、何かしらのイベントが起きるのではないかと期待しバーベナはそう言ったのだが、ルイスナム公爵はそうは思わなかった。
「バーベナはポート男爵の御子息とお付き合いしたいのかい?」
家柄としては全く釣り合わない。だが、クラレンスは別格だった。今年15歳で王立学園に入学すると同時に、アーロン、リカルト、シンと共に生徒会に選出され、授業は最高学年のクラスで受けているのだ。もちろん特待生で、破格の年棒が与えられ王立図書館内に専用の実験室も与えられていた。
「クラレンス様はダリアのお兄様ですし、今までも図書館などに一緒に行っていただいたりもしていますから」
一緒にいて安心だと言うバーベナに父は少しがっかりしたようだったが、気を取り直してレドナス家でのお茶会には父のエスコートで行くように言った。
「今回は、私の顔を立ててくれないかい、バーベナ。お願いするよ」
父にそう言われては、バーベナも固辞することはできなかった。
「わかりましたわ。……お父様にお任せします」
バーベナの返事にルイスナム公爵は胸を撫で下ろした。
「私の他にどなたがいらっしゃるのです?」
お茶会と言っても内輪の集まり、年頃の近いものはバーベナとアーロンだけだと言われて、彼女は少し気が重くなった。
「……ダリアやカメリアを誘っては」
「だめだよ、バーベナ。今回は我慢しておくれ」
父の都合も、ゲームをプレイしていたバーベナはよくわかっていた。
ルイスナム家の領地と、レドナス伯爵家の領地は隣接した場所にあった。
ルイスナム家は広大で肥沃な領地で小麦の生産と、養蚕をおこなっていた。領地を囲むような山からは良質な木材が取れるだけでなく、金やエメラルドの鉱山もあった。
それらを領地から運び出すのには、レドナス家の領地を通らなければならなかった。
レドナス家の領地を避けて通ると、王都に来るまでの間に3つの家の領地を余分に通る事になってしまう。もしも、レドナス家と険悪な状態になって、通行税を掛けれるようになれば大変なことである。
何代にも渡っての付き合いがある両家だからこそ、通行税も法外に掛けられるようなことはなかったのだ。
ゲームで公爵家が失脚するのは、アーロンとダリアの仲に嫉妬したバーベナが危害を加えたために、王家への反逆罪を問われたことが大きな要因だが、レドナス領の通行税が高くなり過ぎたことでの損害も甚大だった。バーベナが投獄され、移封は何とか免れたが公爵の地位は剥奪された。そのことを考えると、バーベナは爪先から身体中が冷えていくのを感じた。自分自身の生活を守りたいと言うより、父を不幸にしたくなかった。バーベナの行いで、公爵も、侍女であるハリエッタも、皆不幸になってしまうのだ。
それだけは避けたかった。
結局、バーベナは父に逆らうことができなかった。
婚約を回避できれば、アーロンルートの悪役令嬢にならなくても済むのだが、これは避けて通れないことなのかも知れなかった。
お茶会の日、外出ができないような悪天候になればいいと思っていたバーベナの願いは儚く消えた。
初夏の日差しは心地よく、バーベナは伯爵家の自慢のバラ園に通されていた。
レドナス伯爵家はバラの品種改良を続けている家系だった。
「アーロン、バーベナ嬢に庭をお見せしなさい」
祖父に言われ、アーロンは仕方なくと言った様子も見せずにバーベナに肘を差し出した。
『アーロンとバーベナは婚約者とは名ばかりの関係のはずだから、こちらから強く申し出ない限り婚約は成り立たないはずだわ……』
今までもゲーム通りではないことが起こっている。今回もそうなるとバーベナは思っていた。
『とき乙』の中で、アーロンはバーベナと視線すらあわせようとしない。上部は取り繕っていたが、二人きりで話すような場面もなかった。ファンブックの中では、クラレンスにバーベナの愚かさを嘆くような場面も描かれていた。
「バーベナ、会えるのを楽しみにしてたよ」
今年の新品種のバラを紹介した後で、アーロンにそう言われたバーベナは驚いて一瞬声も出なかった。
「……アーロン様が、私をご存知とは思いませんでしたわ」
思わず本音が出てしまった。10歳の誕生パーティにアーロンも参加していたが、バーベナは紹介されることもなかった。
「クラレンスに聞いてる。ポート家がタウンハウスの修繕をできたのも、バーベナのおかげだって言ってたよ」
「私は何の援助も父にお願いしておりませんわ」
ダリアの状況を見かねて、何度もポート男爵家への援助を父に頼もうかと思ったのだが、バーベナはその都度我慢した。ダリアと対等の友人でいるためには、相手が施しだと感じるようなことはしてはいけないとバーベナは思っていた。
「そんなその場しのぎのことじゃないよ」
アーロンはバラ園を見渡せるベンチに、自分の胸ポケットからスカーフを取り出して敷いた。
「少し座ろう」
バーベナをスカーフの上に座らせて、彼はその隣に腰を下ろした。
「スヴニールだよ。あれは君が商品化を提案したんだって?」
スヴニールとは、ダリアがバーベナのために作り出した映像を記録する魔法の名称だった。特許としてその名称を魔法に付けたが、今では映像を記録したガラスの名前として流通している。
特許のおかげで、その魔法を解析できたとしても、ポート家の紋章が入ったもの以外は販売が出来ないようになっていた。
「私は思いついたことを言っただけですわ。魔法はダリアが生み出したものですし、商品として完成させたのはクラレンス様ですわ」
「謙虚だね」
アーロンは楽しそうに笑った。
「エテルネルも君が発案したって聞いたよ」
それもダリアの光属性の治癒魔法の応用で作ったもので、花を枯れないようにする魔法だった。ガイアス家とダリアの父のことを聞いた日に、バーベナは自ら庭のバラを摘んでダリアに贈った。薄い紫色のその薔薇は、ルイスナム公爵がバーベナの母アネモネの髪の色に合わせて改良させたバラで、公爵家以外では咲いていないものだった。そのバラが散るのが寂しくて、ダリアが花に治癒魔法をかけた。人に施すのが当たり前の治癒魔法をかけられたバラは、予想外の状結果をもたらした。何週間もの間、枯れることはなかったのだ。治癒魔法をかけ続ければ、永遠に枯れない花を作り出すことができた。
「エテルネルもダリアが作った魔法です。私はただ自分も枯れない花が欲しいと言っただけですわ」
「謙虚すぎるのは美徳にはならないよ、バーベナ」
確かに、ダリアは枯れない花を売り出そうなどと言う気はなかった。バーベナの髪の色をしたバラが枯れないようにしたかっただけだ。
だが、バーベナは違った。
枯れない花はアクセサリーにすることも、ドレスのデザインに使うこともできると考えた。さらには、プロポーズで贈られたり、結婚式で用意した大切な思い出のブーケを永遠に残すこともできると考えた。
「君は、あんなに裕福な家系に育っていながら、抜け目ない商人のような目を持っているね」
「失礼ですわよ、アーロン様」
貴族の令嬢は、殊にバーベナのような家柄の娘は金銭感覚など持ち合わせないことが優雅だとされている。損得や金額などは知らずに買うことが美徳とされていた。
「俺は君の商才をすごいと思ってるんだ。うちの爺さんにも指南して欲しいくらいだ」
「……そんなことばかりおっしゃるのなら、私は失礼させていただきます」
これで理由はできた。バーベナは立ち上がった。
高位貴族の令嬢に、金勘定が得意などと言う男は断っていいはずだった。レドナス伯爵にも、アーロンの失礼な態度を話せば納得してもらえるだろう。
「待ってくれ、バーベナ」
立ち上がったバーベナの小さな手を、アーロンが掴んだ。
「お放しください」
まだデビュタント前とは言え、バーベナは婚約ができるような年齢にはなっている。いくらアーロンが王族であっても、いきなり手を握ることは許されなかった。
「本気で思ってるんだよ。君の商才は、この国の利益になる。魔法に秀でた者たちの全てがクラレンスのようではない。彼の妹がそうだ。自分が使う魔法の価値を知らず、それで商品を生み出そうなどとは思わない」
「ダリアを馬鹿にしないでください。彼女は賢くて勇敢で高潔です。……私が下世話なことをしたのは認めますわ。彼女は光属性を持った稀な存在です。ただ、純粋なあまり自身の本来の価値をしらないだけなのです」
アーロンの手を振り切ろうとするが、バーベナの力では無理だった。
「それなんだ。能力が高くても、その価値を知らなかったら、宝の持ち腐れにだってなる。もしかしたら、誰かに悪用されることだってあるかも知れない」
バーベナは少し冷静になってアーロンの言葉を聞いた。
確かに、ダリアは自分が簡単にできてしまうために魔法の出し惜しみをしない。治癒魔法は相当量の魔力を消費する場合もある。だが、彼女は怪我人や病人が目の前にいたら手を差し伸べてしまうだろう。自分の体が危険な状態になるとしても、助けを求めるものがいたら助けてしまうに違いなかった。
「魔法にも正当な対価が払われるべきだ。それを励みにできる者たちもいるだろう。経済だけでなく、国の発展に役立つ研究も進むと思っている」
まだ15歳にして、アーロンは国政を考えているようだった。
この国は温暖な気候の土地が多く、作物も安定して収穫できる場所がほとんどだ。耕作地の面積に差はあっても、人が住めないような荒地はない。だからこそ、人はこれ以上の発展を求めないのかも知れなかった。冷害に悩むような地域があれば、そう言った土地に強い作物が改良されたはずだが、この国では収穫量に差はあっても、小麦の穫れない場所はなかった。
必要性の問題だった。
魔法特許にしても、自分が発明した魔法を誰でも使えるようになっては面白くないと考えた人物が発案したと聞いている。
権利を守ると言う観点からなされたものではなかったのだ。
「ねぇ、バーベナ」
アーロンはバーベナの瞳を見つめて、少し人の悪い笑みを浮かべた。
「俺とバーベナが婚約したら、どれほどの力が得られるかわかるか?」
バーベナは必死になってアーロンの手を振り解いた。
「見損ないましたわ。アーロン様はご自分の力で人生を切り開く方だと思っていました。……婚約者の実家を後ろ盾に欲しがるような方だとは思ってもおりませんでした」
一息に言ったバーベナは、アーロンを置いて立ち去ろうとした。それが不敬な行いであることは分かっていたが、バーベナの怒りは治らなかった。
「おい、もういいだろう!」
バーベナの背後でアーロンの声が聞こえた。もういいとはどう言う意味なのか、バーベナが立ち止まると、バラ園の四阿から淡いピンク色の髪の人物が現れた。
「すまなかったね、バーベナ嬢」
先ほどまでバーベナを呼び捨てにしていたアーロンが頭を下げた。
「リカルト、気が済んだだろう?」
四阿から現れたのは、リカルト・グラニエだった。
「申し訳なかった、バーベナ嬢」
リカルトもバーベナに歩み寄ると、頭を下げた。
「……どう言うことでしょうか?」
「リカルトが、ルイスナム公爵令嬢はどうしようもない我儘令嬢で、俺と婚約したら権力を量に酷いことをするって言い張ってたんだ」
「私の知っているバーベナ嬢は、まだ幼かっただけなんだな」
バーベナは10歳の誕生日より前にリカルトとは出会っていることを思い出した。
正式な紹介を受けたわけではなかったが、父に連れられて言った移動遊園地で、リカルトと顔を合わせていた。お互いの親が挨拶を交わす中で、バーベナはリカルトが被っていた羽付の帽子が欲しいと言って大暴れしたのだ。
「……お恥ずかしいところを」
まだ幼かったとは言え、自分のしたことを思い出し、バーベナは赤面して俯いた。
「いや、あんな昔の事に囚われていた私が悪いのだ」
バーベナ、8歳の時だった。
孔雀の羽の飾りが付いたリカルトの帽子が欲しいと言って、地団駄を踏んだ挙句地面に身を投げて暴れたのだ。
「クラレンスから聞く君はあの頃とは別人のようだから、私も戸惑っていた」
ひとしきり謝って、リカルトはバーベナを四阿に誘った。アーロンの態度に憤慨して、その場を去ろうとしていたバーベナだったが、リカルトが現れたことで出鼻を挫かれてしまい、仕方なくそれを受け入れた。