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ウィークエンドシトロン  作者: 飛由ユウヒ
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可能性のバトン

 まるで世界の終わりそのもののような夕陽が、ブラインドの隙間から差し込む。誰かが号令を掛けた訳でもなく、背筋を伸ばす人、コーヒーのおかわりを用意する人、夕食を買いに行く人が現れ、一日の長さが上書きされる。入社してもうじき三年が経つ。この光景になにも感じなくなってしまった自分が嫌になる。

 マウスから手を離すと、汗が滲んでいた。モニターの端に写し出される時計を一瞥し、神経を研ぎ澄ませつつ、茶坂(ちゃさか)はひっそりとデスクを片付け始める。

 資料を鞄にしまっていると、ふと営業先の進捗が気になった。問題が起きたら連絡がほしい、と伝えていた。今までなかったということはつまり、予定通り搬入を終えているということだ。その確認ができれば、帰り支度を進める口実にもなるだろうと思い、社用のケータイを開く。

『あぁ、ちょうど良かった。今、連絡しようと思ってたところなんです』

 スピーカーから不思議そうな声が聞こえた。「どうかしたんですか?」と茶坂が返す。その瞬間、引き出そうとしている答えの先に、途轍もない後悔が潜んでいることに気付いた。今すぐ切りたい衝動に駆られるが、電話越しの彼は「あの」と言葉を詰まらせながら答える。

『商品が届いてないんですけど、大丈夫ですか?』

 視界が色褪せていく。凶報を聞いて真っ先に思い浮かべたのは、交際三年祝いの手料理をこしらえる彼女の姿ではなく、激昂する部長の姿だった。

「すぐ折り返します」とだけ告げ、搬入の担当に連絡するが繋がらない。一番親しい先輩を経由し、心を整える。報告には勇気が必要だった。怒られるとわかって伝える。まるで死に逝くようなものだ。ミスの報告は、自殺と似ているのではないかと思った。

「なんでこんなことになってるんだ!」

 顔に唾がかかる。嫌悪感をぐっと堪え、茶坂は「すみません」と何度も頭を下げた。周りの視線が背中に集中するのを感じる。一度超えてしまった沸点を抑えるのは難しい。茶坂はわかっている。誰ひとり、火消しに来る物好きはいないことを。

「もういい。あとは俺がなんとかする」

 部長がそう言い残し、電話を掛ける。先方に向けて謝罪の言葉を連ねているが、うちの部下がミスをしたという皮肉を、茶坂はありったけ浴び続けた。居心地が悪い。デスクに戻り、粛々と片付けの続きをしていると、部長が茶坂の元に来た。

「お前まさか、俺に仕事押し付けて帰るつもりじゃないよな。やることやってから帰れよ」

 きつい目を向けられ、茶坂は「わかりました」と言うしかなかった。

残業してやれることはせいぜい書類の整理か、今日やらなくてもいい仕事ばかり。部長の顔色を伺いながら、誠意を見せるだけの時間。反省しています。だから残業します。そう自分が暗に訴えているようで、その惨めさに胸が痛んだ。部長の目が届かない物陰でスマホを触る。《ごめん。帰り遅くなる》その文面を打つ間、生きた心地がしなかった。

 十時を超えると、部長がおもむろに席を立つ。おつかれ、と短く告げると姿を消した。職場の空気が一気に緩むのがわかる。茶坂の肩を小突く感触があった。キャスター付きの椅子を滑らせ、先輩の秋丈(あきたけ)が駆け寄ってきた。「おつかれ。これやるよ」と個包装に入ったチョコレートを渡される。素直に受け取り、口に放り込む。

 秋丈はこの職に就いて八年目になる先輩だ。彼のデスクには七五三の記念で撮った家族写真が飾られている。二人目の子どもは去年生まれたばかり。休憩中、事あるごとに息子たちのことを嬉しそうに話す彼の存在は、茶坂にとって、通るかもしれない未来だった。

「大変だったな。俺が茶坂に振った仕事だし、本当は手伝ってあげられたら良かったんだけど、俺も抱えてる仕事が山積みだからさ。つーか、あいつの管理が雑すぎるんだよ」

「俺がミスしちゃったんで、今回はもうしょうがないっすよ」

「予定とか大丈夫だった? 茶坂、本当は定時で帰ろうとしてただろ?」

「実は今日、付き合って三年目の記念日なんすよ。でも大丈夫です。連絡しましたし」

「全然大丈夫じゃねーってそれ。つーか、帰っても良いと思うぜ。まぁ、上司に怒られるだろうとは思うけど」

「そうっすね。いやでも、帰れないっすよ」

 彼女を蔑ろにしている訳ではない。それは断言できる。本気で帰ろうと思えば、帰れたのかもしれない。しかしそれ以上に、失うものも大きい気がしてくる。仕事を放り出してしまう自分を、自ら作ってしまうことが怖いのかもしれない。

 そのことを伝えると、秋竹は部長がいないことを良いことに声のボリュームを上げ、「道徳に付け入ってくるから嫌だね。ブラック企業ってやつは」と、これ見よがしに言った。

「秋丈さんだって、奥さんが待ってるじゃないっすか。お子さんだってまだ小さいのに。帰らなくていいんすか」

「良いとは言えないだろ」

 秋丈は腕時計に目を落とす。帰ったらどうせ寝てるんだろうな、とぼやいた。

「そういや秋竹さん。この案件、なんで俺に振ったんすか? 部長だって最初渋ってたし、俺にはまだ早いと思ってたんで」

「できると思ったから振っただけだよ。若い奴にいろいろ経験させてやらねーと、いつか会社が息詰まるだろ。いつまでも古いやり方に固執してたらダメになる」

「だからって、俺には荷が重いっすよ」

 茶坂は深刻さを装って言った。しかし秋丈は表情を崩さず、かえって目を鋭くさせた。

「俺さ、この会社を変えたいんだよね」

 彼の放った一言が、水面を波打つ波紋のように響き渡るのを感じた。

「すげぇ不謹慎なこと言うけどさ、過労死とか自殺のニュースを見てると、これでうちの会社も変わるぞ、って思うんだ。でも蓋を開けてみたらなにも変わらない。変わろうともしない。お前ら、新聞読んでないのかって、禿げ頭を叩いてやりたくなる」

「秋丈さんなら変えられますよ」

 本心からそう思っていた。秋丈は客観的に見ても仕事ができる。力がある。

「そうかもしれないけど、SNSとか見てみろよ。若者のエネルギーには敵わんよ。俺ができるのは、せいぜい知恵を与えることくらいだ。会社も家庭も同じだよ。大きくなればなるほど、形を保つのに精一杯で挑戦が難しくなる。だからこうして、希望をばらまいてるんだ」

 彼はチョコレートの袋を顔の近くで見せつけるように持つ。

「希望って、チョコレートっすか」

「そこは突っ込まなくていいんだよ。素直に頷いとけ」

 秋丈は笑みを浮かべながら両膝を叩き、席を立った。自分のデスクに戻ると、身支度を整え始める。茶坂も彼に倣う。先にコートに袖を通し終えた秋丈が、「なぁ、茶坂」と改まって呼ぶ。そして、なにかを託すように力強く、茶坂の背中を叩いた。

「荷が重いなんて言うなよ。一見非力に見える若者が、実は一番大きな力を持ってるんだ」


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