アグネス、現場へ急行させる
そこからの行動はとにかく迅速になされた。
別世界からの侵入者たちを察知する能力を持つ者は、インディゴオリエンタルラグドールの他にはいなかった。よって、ラグドールからの情報を皆で共有する必要があった。
これに関して必要なアイテムは、早期に開発部へ発注していた。
納品された物は見た目はインカムのような物で、特別どうこういった特殊な物には見えなかった。
しかし、これが、非常にお役立ちアイテムだったのである。というのも、音声で情報を伝えるのではなく、直接的かつ瞬時に、侵入してきた魔物の全ての位置関係の情報をCAT全員が共有できるアイテムだったからである。
ただし、これは人工生命体同士であるが故の共鳴反応を利用しており、アグネスが利用することはできなかった。アグネスは、運転手兼護衛役であるヘリオトロープスコティッシュから、情報を得ることになった。
タイムラグが懸念されたが、実際には、スコティッシュが装着したインカムもどきとアグネスが持つ端末が同期することによってほぼ同時にアグネスへと情報が伝えられた。
これも、開発部へ大量投与されていたハウスキーパー殿の甘い飴のおかげであった。
とにかく開発部は、アグネスからの注文を全てに優先させていた。それが、どんなにへんてこなものであっても。アグネスの発想はかなりぶっ飛んだところもあったが、開発部の助言も聞くところは聞く態度であったし、何よりも、開発者の好奇心とプライドと探求心、全てをくすぐる不思議な魅力があった。そして、加えての飴だった。どこから引っ張ってきたのか、かなりの予算が廻って来ていたのだった。
そんなわけで、マダムヤンと7人のCATは、素早く体制を整えると、当初から想定し、シミュレーションを繰り返してきた通りに動いた。そして、常に情報のやり取りがジャスミンイエローアビシニアンによって解析し直され、修正を繰り返しては、インカムもどきを通して、また全員でほぼ同時に情報を共有するという、チームプレイを展開したのだった。設立間もない集団としては、上出来ではないだろうか。
ただし、ハウスキーパー殿を満足させるには、侵入してきた魔物たちを1体も残さずに殲滅してみせるという実績を作らねばならない。1体でも取りこぼせば、それは失態と見なされ、厳しい評価に晒されることは分かり切っていた。ベッドの中でのお説教タイムだけは何が何でも避けたいアグネスは、引き続き、作戦ルームにて推移を見守っていた。
今回、魔物が侵入してきたのは、王都の外れの森からであった。普段であれば、市民の憩いの場となっているその森から、複数のスライムと3体のオークが出現したのである。現場である森へと急行したのは、オーキッドピンクミックスと、タンジェリンオレンジベンガル、ペパーミントグリーンノルウェージャンの3名だった。
それぞれには移動用のマシンが与えられていた。もちろん、このマシン制作も、開発部が担当した。ほとんど趣味としか思えない特殊な装備をふんだんに盛り込んでおり、下手をすると、とんでもなく使えない物になりかねなかったが、幸いにも、人工生命体たちとは相性が良かった。
マシンは、その仕組みはともかく、見た目が空中を飛行して推進するバイクというかなり非常識なものであったが、魔物出現の報を聞き一斉に避難を開始した住民たちにとっては、そんなことは知ったことではないレベルのものだった。よって、大した騒ぎにはならなかった。
王都の外れの森には、まずベンガルが真っ先に到着した。スピードに特化したベンガルが操作すると、同じマシンであっても、スピードが上がるのである。到着直後に、ベンガルは直接的に魔物の位置を確認することに成功した。魔物たちは、ばらけなかったのである。ベンガルの得た情報はすぐさま共有された。
「いかがいたしますか?」
スコティッシュはアグネスに問うた。
「どういう意味?」
アグネスは、このタイミングで他の方針の入る余地などないと考えていたが、スコティッシュの問いは、他に考慮すべき点が指摘されたに等しかった。
それにしても。
教育プログラムが追加されたものの、結局、CATの隊員は口数がほとんど増えなかった。早々に、インカムもどきを採用してしまったため、音声不要の情報共有の方が便利になってしまったという事情もあるが、アグネスとしては、大いに不満が残った。
少なくとも、音声不要の情報共有はアグネスには絶対に使えない方法であり、仲間外れに近い状態にさせられて、面白かろうはずはなかった。
仕事であって、遊びではないが、職場環境の整備、気分良く仕事できるための環境づくりは、やはり、大切なのである。みんなで楽しく和気あいあいというのは無理だとしても、部下の発する短い言葉から、その真意を探り出す配慮を統括責任者であるアグネスの方が担わねばならないというのは、かなり理不尽なことに思えた。
「もう少し、分かりやすく話してくれないかしら?」
少なくとも、運転手兼護衛役として、もっとも長い時間を共にするスコティッシュには、その辺を改善して欲しいものである。
「現場にヴァンを送らなくても良かったのですか?」
スコティッシュに、アグネスの心の声が届いたのか、今度はかなり分かりやすい言葉が出てきた。
「今回はこのままで。まずは実績作りだから。ただし、警戒は大事ね。ラグドールとアビシニアンからの情報をみて必要と判断された時にはいつでも出せる準備はしておいて。ヴァン、聞こえてる?」
「はい。了解です。」
アグネスは、出現した魔物がスライムとオークであると聞いた時に、ヴァンを送るべきか、考えてはいたのだ。どちらも水と関係する魔物だからだ。スライムが水属性であることは既に判明していた。そして、オークも海の生物としての特徴を持つ魔物であるらしいことが知られている。
今回、森から出現したことから、ヴァンを送ったとしても、これからの展開を変えるほどの有用な情報を得ることは難しいように思えた。そして、今、他の場所からも魔物が侵入してくることがあった場合、待機者がいるのといないのとでは、大きく違ってしまうだろう。
アグネスは迷ったが、決断するしかなかった。そして、実戦経験が無いことは、非常に痛かったのである。
作戦ルームの大型モニターには、現場から、ミックス、ベンガル、ノルウェージャンがそれぞれ送ってきている映像が映し出されている。アグネスは、それを睨みながら、魔物が1体、また1体と消滅していく様子を、祈るような気持ちで見守った。今できるのは、それだけだった。経験の無いことが多すぎる。
最後のオークが消滅し、ラグドールから「全て消滅。新たな侵入者の陰影確認されず。」の報を受けた時、アグネスの背中は汗でぐっしょりと濡れていた。
「まずは、初戦の勝利、おめでとう。」
ハウスキーパー殿は、素直にそう、祝福の言葉を述べた。しかし、アグネスは、大して嬉しいとも思えなかった。失態がなくて良かったとは思ったが。
「あまり嬉しそうに見えないな。何か不満でも?」
ハウスキーパー殿は、アグネスのために準備したシチュー、シーフードやフルーツで彩も鮮やかなマリネ風サラダ、ミートボールとパンという夕食を並べながら、訊ねてきた。10年の歳月で、ジュリオはすっかり家事の腕を上げ、特に料理は、中華料理屋の娘であるアグネスでさえも、店で出せるレベルと判断していた。
後片付けやら各部署への連絡やらで、帰宅が遅くなったため、アンバーはとっくに夕食を終えており、夢の中である。
「7人を、といっても1人は絶対に私の傍を離れないように設定されていて変更ができないから、実質6人をどう分配したらいいのか分からないのよ。ほぼ自動的に上がってくるデータの解析結果を基に、あの子たちが勝手に動いてくれたっていうのが実情。」
「それで巧くいっているなら問題ないだろ。常に別の要素が絡んでくる可能性は押さえておく必要があるが、実戦経験はこれから積むしかなかろ。」
「これが最初で最後っていうことはないかなぁ。」
「おいおい、随分と弱気じゃないか。」
ジュリオは面白いおもちゃでも見つけたかのように、楽しそうに笑った。アグネスはひたすら腹が立って仕方がなかったのである。
猫「お疲れ様でした。」
アグネス「とりあえず、ありがとう。」
ジュリオ「まぁ、良かったじゃない。」
猫「今回は、本文の方にも、移動っぽい内容が出せた気もするし。」
アグネス「私は、ほとんど動いてないけどね。」
ジュリオ「俺も、キッチンで夕食作ってただけで、移動はしてない。」
猫「そのうち、2人にも移動してもらうから。」
アグネス「あ、資料庫に戻してくれるとか?」
ジュリオ「好きだね資料庫。」
アグネス「もちろんよ。動かなくっても、いいもの。」