別世界から魔力が入ってくる
アグネスがハウスキーパー殿から手渡された武器は、軍組織からの支給品とほぼ同じ形状をしているものの、根本的に違う点があった。反動はほとんど無いが手応えはある。実際、アグネスが仕留めた相手は空中から落下しつつ消滅していった。なのに、空薬莢が出てこない。そして、弾切れもしないのだ。どうなっているのか?
「これ、残弾が分かんないんだけど、どうなってるの?」
アグネスは、空を見たまま、すぐ横に気配があるハウスキーパー殿に訊いた。
「さあね。開発部の創るものは、どんどん意味不明なものになってきてるからな。気にしなくていいらしい。」
「そんな無茶な。」
「俺もそう思う。」
次第に空中から飛んでくる何かの数は減り、そして途切れてしまった。
が、海上にせり上がった巨大な水の壁は、もう目前だった。
「下がって。」
ヴァンの声に、弾かれたように皆が後退したが、その肩に左手を置いたままの“アンバー=キース”といつの間にか2人の隣に来ていたラグドールは動かなかった。
突然、ヴァンは海に向かって走り出し、そのまま海中へと身を躍らせた。
アグネスは目の前で起こったことへの理解が追い付かず、声を上げることさえできなかった。水飛沫と派手な音がし、その直後に、巨大な水の壁は見えない力によって行方を阻まれたかのように、その場で進撃を止めた。水の壁は徐々にその高さを減らしていき、ついには、そのまま海へと吸収されてしまったのだった。
「嘘。」
アグネスの掠れた声が口からこぼれ落ちた。
「油断するな。まだ終わっていないんだぞ!」
ハウスキーパー殿は声を荒げたが、アグネスの耳には届かなかった。
アグネスはその場でへたり込んでしまった。
暗い雲で覆われた空の下、海は先ほどまで巨大な水の壁が嘘のように消え、平らかになり、比較的穏やかな表情を見せてはいた。
が、暗い雲よりもさらにずっと暗い穴が空中にぽっかりと開いた。
そしてその暗い穴の向こうには何も見えなかった。
「まずい。急いで閉じなければ。」
ハウスキーパー殿には、何が起こっているのか分かっているのだろう。しかし、アグネスには何が起こっているのか全く理解できなかったし、思考が停止したままになっていたのだった。
アグネスは呆然としたままである。目に映る光景は、それを理解する、いや理解しようとする意志が働かないままに素通りしていた。
アグネスの左腕をぐいと引き寄せる者があった。“アンバー=キース”である。
「え?」
アグネスは、“アンバー=キース”によって、再び現実に引き戻された。
「立てる?」
“アンバー=キース”の問いによって、アグネスはようやく自身が地面の上に座り込んでいた事実に気が付いた。慌てて立ち上がると、ずれてしまったインカムもどきを正しい位置に直した。
「アビシニアン、私に分かるように状況を伝えて。」
音声不要の情報共有の方では、アグネスは何も得られない。アグネスは周りを警戒しつつも、アビシニアンからの音声を一言も聞き漏らすまいとしていた。そして、空中に開いた暗い穴と今そこで起きていることを聞くことになる。
穴は予想通り、別世界と繋がっているという。
そして、別世界から大量の魔力がその穴を通ってこちら側の世界に流入してきているという。
何も見えないが。
「ジュリオ、あなたは魔力が見えると言ったわね。あの穴から、魔力が入ってきている様子は分かるの?」
「かなりの勢いで入ってきている。」
「こっちに魔力が入ってくると、何か不都合なことがあるわけ?」
「いろいろとメンドクサイことが起きることだけは確かだな。」
「例えば?」
「うちの娘が、妙な事を引き起こすことになる。魔力の扱い方なんて教えられるやつはいないからな。これまでは、こちらの世界にある魔力がわずかしかなかったから大したことは起きていなかったが……。」
「大問題じゃない!」
「大問題だ。」
ヤン夫妻は、家族の平和のために、全力で対処することに決めたのだった。
「で、具体的にはどうすればいいの?」
「あの穴を塞ぐしかないんだが……。」
「ラグドールに頑張ってもらうしかなさそうね。」
結局は、魔力は見えても扱えないジュリオと、魔力を感知することすらできないアグネスなのであった。CATは1人隊員を失ったばかりだというのに、このまま無事済むのか、かなり心許ないのである。
アビシニアンが猛烈な勢いで情報収集と計算を繰り返し、そのデータから別世界と繋がる穴を塞ぐための空間制御の方法を検討している。その結果は毎度のことながらインカムもどきを通じてCATのメンバーに即伝えられている。音声不要というのは便利なのである。ただし、音声不要の情報共有は、残念なことに、魔力が扱えない者、つまりは統括責任者であるアグネスには使えないのだけれども。
ジュリオは、こちらに搬入し、そして魔力を移されて、空っぽ状態になった魔石を拾い集めていた。“アンバー=キース”は、だいたい同じあたりに落としていたので、それほど散らばってはいなかった。ジュリオは1つ1つの魔石を空に向かって掲げては、一定時間保持した後、持ち込んだ時に入れてきた箱に収めていった。
「それ、魔力を吸収したの?」
「焼石に水って感じだが、こちらの世界に広く魔力の拡散が起こってしまうと、後始末が大変だろうから……。」
「後始末って、それ、まさか。」
「君の業務内だと思う。」
「勘弁して。」
アグネスは、資料室に早く戻りたくて仕方がないのだ。
そうこうしているうちに、CAT隊員のうち行方不明となったヴァン以外の6人と“アンバー=キース”が集まってきた。
何かを始めるつもりのようである。
しかしその様子は、“アンバー=キース”を取り囲むように、CATのメンバーが手を繋いで輪を作った、だけに見えた。CATの制服がかわいらしいパステルカラーであることから、なんとなくお遊戯でもしているかのようだ。何をしているのか、さっぱり分からない。
アグネスは、統括責任者の必要性、もしくは適任について疑問しか湧いてこなかった。
気が付けば、ハウスキーパー殿はその様子をじっと見続けていた。というよりも睨みつけているかのような目だった。そして空中の暗い穴は次第に縮み、ついに消えてしまった。そして、目の前にいたはずの“アンバー=キース”も消えた。
「おかあさん。」
瞬間、アグネスは、“アンバー=キース”の声を聞いたような気がした。
ただ、静かになった海と、暗く立ち込めていた雲が流れて明るさの戻ってきた空だけが広がっていた。
魔力を感知できないアグネスは、全てが、自分の理解を越えたところで起こり、そして終結したのだと判断するしかなかった。そこにあったのは、一種の喪失感である。
「あの子、“アンバー=キース”は消えちゃったの?」
「穴を塞ぐためには仕方がなかったんだ。」
「あなたは知っていたのね。」
「知っていた、といえばそうかもしれない。具体的に何が起きるかは分かっていなかったが、穴を塞ぐためには大きな魔力が必要になることは確かだった。そして“アンバー=キース”自身は知っていたんだと思う。」
ハウスキーパー殿は、穴が消えたあたりの空を見つめながら呟いた。
「“アンバー=キース”は、俺たちのもう1人の“娘”だったんだな。」
ハウスキーパー殿によると、“アンバー=キース”がアグネスを襲撃したのは、CATを奪うためだった。
「CATがアグネス以外の指示には従わない、というのは極秘情報だったんだが、例の件でゲラム=キースに情報が渡ってしまった。そして“アンバー=キース”も知ったのさ。ただ、アグネスがいなくなれば、どうなるかは分からない。実は誰にも分かっていなかったんだ。」
アグネス「『なろう』におけるご都合主義的展開を発動させたのね。」
猫「じゃないと、畳めないもん。」
ジュリオ「そもそも開発部の存在が、『なろう』におけるご都合主義なんだけどね。」
アグネス「それなら、あなたが公式には亡くなってるっていうのも『なろう』におけるご都合主義じゃない?」
猫「全体的に、『なろう』におけるご都合主義的展開なんだよ。」
アグネス「というか、ほぼ全て。」
猫「そういうこと。」