生団子
~生団子……長野県埴科郡、更級郡(現・長野市)などに見られる特殊な家筋。この家筋では生団子仏という仏像を本尊としているといわれる。この仏像は片足が素足で、片方の草履を手に持っているという奇妙な姿のものであり、この家筋との縁組は忌まれるという。また、この生団子仏に供えるために団子を茹でると、その名の通り一つだけ生のままの物が必ずあるともいわれ、彼岸や月見に団子を作っても、3つは必ず生のままになるともいう。また長野の上水内郡北小川村(現・小川村)には、生団子という名の掛け物が伝わっている。仏像を描いたものだが、その姿は頭に笠を被り、生団子仏と同様に片足が素足、もう片方には破れた草履を履き、身につけた衣も破れており、手には半分折れた杖を持っているというものである。この掛け物を持っている家には、金がたまるといわれている。生団子の家筋は山伏や武士の末裔というが、阿弥陀仏を本尊にする阿弥陀衆である、仏事を扱った人々である、死者を取り扱った人々の子孫であるなどともいわれることから、「なまだんご」とは「南無阿弥陀仏講」が訛ったものであり、葬事に参与する被差別民阿弥陀衆・念仏衆の末裔とする説もある。※フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋~
主に観光客を相手に、駅前広場でお団子を売り歩いている屋台がある。
ある時、僕はその屋台の男性販売員に話し掛けられる。「まずは手に取って見てほしい」と、パックに詰められたお団子を手渡された。見る限り、スーパーやコンビニで売られている、大手食品メーカーのお団子と、取り立てて変わらないと感じるが。
販売員が言うには、何でも京都の老舗和菓子屋が手掛けるお団子で、地元じゃ大人気の商品なのだと。
僕はお団子をはじめとして、和菓子ってやつがどうも苦手なのである。それとここの土地は、京都から大分離れた地方都市なのに、「何故に京都?」と思わせる怪しさも相俟って、僕は一切購入する気にはなれなかった。
だが販売員は笑顔でベラベラと喋り続け、いよいよお団子の値段を述べようかと言う頃に、やっとマシンガントークが緩まりかけた。
僕はそのタイミングを見計らって、購入する気は無い旨を伝えると、つい今し方まで乗り乗りの饒舌で喋っていた販売員は、突として人間味を感じさせない表情となった。
そしてささっと、無言でお団子を回収すると、別のお客に声を掛けに行くのであった。
何だあの野郎は。失礼な奴だな。一方的に話し掛けてきて、お客が買わないと分かった途端にその態度かよ。せめて、「じゃ、またの機会にお願いします」くらいの一言があっても良いだろうが。まったく腹が立つ。
それからも、販売員は駅前でお団子を売りさばいていた。
しかし、前述の様な事があったその日より、その販売員は僕を見掛けると、めっちゃガンを飛ばしてくる様になったのだ。
はあ? これって僕が悪いのか? いやいや、僕に落ち度は無いだろう。逆恨みも甚だしいったらありゃしないっての。
それ以後も、駅前で会う度に販売員は、僕に対して睨みを利かせてくる。手は出してこないにしても、やはり気分の良い物ではない。てか、何ならこっちが暴力に訴えたいって話ですわ。本当ムカつく。
ところがどっこい、ある日を境に、その販売員をぱったりと見る事が無くなった。どうやら別の男性販売員と交代した模様である。
新たな販売員は、当然僕の事は初見なので、お団子を売り付ける為に話し掛けて来た。
僕は例によって和菓子が苦手である事を告げ、ついでに前の販売員の事を尋ねてみた。
「ああ、あいつですか。実はあやつの接客態度が最悪でしてね。あまたの苦情が寄せられていたのですよ。しかもそれだけじゃなく、うちの社長の奥さんとの不倫がばれた挙げ句に、会社の金を持ち逃げしましてね。本当に下劣で最低な男でしたよ」
なるほどな。あの販売員にご立腹だったのは、僕だけでは無かった訳ね。しかもガチの罪まで犯していやがる真性の屑じゃねーか。
「うちの社長はヤクザも逃げ出すほどの強面でしてね。彼奴のクビは当然ですが、絶対に取っ捕まえて、八つ裂きの刑にして、終いには人間ミンチにしてやるって息巻いているんですよ、はっはっは」
はは、いやに生々しいブラックジョーク。でもまあ、今度の販売員さんはまともそうな人だ。今日はお団子を買ってあげても良いかなって気にさせてくれる。商売をするならば、こうした応対を心掛けないとだよな、うんうん。
「あ、そうだお客さん。今日より発売した新商品は和菓子では無いので、こちらならイケるんじゃないかと。如何です? この肉団子」