四月、花見 1
集会もHRも無事終えて、俺は荷物を纏め、席を立つ。
すると、やっと友達の集団から抜け出したらしい美樹が、此方に駆け寄ってきた。
「よう、美樹」
「め、めぐちゃん…お疲れ様…」
どっちかというと、美樹の方がお疲れの様に見えるのだが、お優しい美樹は自分の事より相手の事、らしい。
俺は損な性格をしている彼女を見て、小さく溜息を吐くと、帰るか、と声を掛けた。
「え、待って待って。めぐちゃんってば、もう忘れたの?」
「ん?」
「部長の所!放課後に来るようにって言われたじゃない」
「…あー…」
そう言えば、そんなメールが届いていた様な気もする。
親に持たされた連絡機器も、自分にとっては御飾り同然なので、基本的に使わないのだ。
…だとすれば、今日先輩に会った所で、返事が無かったと嫌味を言われるのは明らかだろう。
「もー!何の為にグループに入ってるのか分かんないじゃない!」
「まぁ、その、何だ。人っていうのは声っていう便利な機能を持ち合わせている訳だし、直接会って連絡事項を伝えて貰えれば…」
「めぐちゃんの屁理屈は聞き飽きました。機械音痴を良い感じに言い換えないの」
「…」
それには流石に何も言い返せず、俺は黙り込む。
先程の俺と同じ様に、溜息を吐く美樹。
かと思うと、彼女は俺の腕を引き、廊下を駆け出した。
「おおおおいこら、美樹!優等生が廊下を走って良いのか!?」
「集合時間に遅れた方が怖いでしょ!前に遅れた啓太がどうなったか、もう忘れちゃったの?」
…あぁ、あの時の事か。
あれは確かに、見てられない程悲惨な光景だった。
二度と啓太を学校で見る事は無いだろう…と、数少ない友人が一人減ってしまう事を嘆いていたが、無事戻ってきた啓太。
俺はあんな目に遭って、無事元の生活に戻れる自信は無い。
「…って、何を思い返してるのか知らないけど、そんな目に私達が遭いそうになってるんだからねっ!?」
「おぉ…美樹、俺はきっともう学校には帰ってこないだろう。俺の事は忘れて幸せな学校生活を送ってくれ…」
「諦めモードに入るなぁっ!!」
そんな茶番を繰り広げている内に、俺達は無事、“3年1組”と札を掛けられた教室の前に到着した。
激しい息切れを繰り返している美樹を置いておき、俺は教室の中を見渡す。
しかし、幾ら視線を彷徨わせても、教室の中には目的の人物がいない。
すると、此方に気付いたらしい、馴染みの先輩が歩み寄ってくる。
その表情は、何故か苦笑だ。
「よう。須崎、神代」
「堀田先輩…」
自分達の名を知るこの先輩は、“堀田 明宏”。
ウチの部長に、かなり都合良く使われている、苦労人である。
まぁ、誰に対しても面倒見の良いこの先輩は、そんな事は少しも考えていないのだろうが…
「部長に呼び出されたんですけど、何処に居るか知りませんか?」
「あー…完っ全に入れ違いだな。多分、お前達の部室だろ」
成る程、通りで何処にもいない訳だ。
だとすれば…
「不味いな、美樹」
「へ?」
「堀田先輩、部長、何か言ってませんでした?」
不思議そうに首を傾げる美樹を置いておき、堀田先輩に問い掛ける。
そして、聞かれるのを待っていましたと言わんばかりに、大きな溜息と共に、言葉を吐く先輩。
「『どんなお仕置きにしようか』…だってさ」
「ヒィッ!!」
その言葉に、短く悲鳴を上げる美樹。
俺はというと、フッと小さく微笑み、先輩に片手を差し出した。
「先輩…短い間でしたが、お世話になりました」
「こらこらこらっ!」
呆れた様に、握手の為に差し出した手を、両手で押し返される。
折角、全霊の感謝を込めて手を差し出したというのに…
押し返された手を、少しばかり落ち込み気味で見つめていると、先輩は軽く頭を掻きながら告げた。
「あのなぁ…俺も、一応アイツに進言しておいたから、前の様にはならない筈だ」
「「先輩…!!」」
後ろで石化していた美樹でさえも、先輩の言葉に声を弾ませた。
流石、堀田先輩…背中から眩い後光が差し込んですら見える。
「…多分」
だがしかし、次に小さく漏らされた言葉に、俺達はギャグマンガ宜しく大きく倒れたのだった。
…先輩、せめてそこは言い切って欲しかった。
「ま、まぁまぁまぁ!まだ間に合うかもしれない!ほら、腕時計を見てみろ!部活開始時刻まで、残り5分だ」
そう言って、先輩自身の腕に着いている腕時計を、俺達に向ける。
…まあ、5分もあれば、間に合う可能性も、まだ、あるだろう。
そこに希望を掛けたのか、美樹は両頬を力強く叩くと、俺の腕を掴んだ。
「よーし」
「…おい、待て、美樹」
「走るよ、めぐちゃん!!」
「俺はインドア派なんだってばぁっ!!」
引き摺られる様にして、廊下を駆け抜ける。
軽く首を捻って、後ろを振り返れば、笑顔で此方に手を振り、見送ってくれている堀田先輩が見えた。
…先輩、責任を取って骨は拾って下さい。
「ふーむ…部活開始時刻まで、残り九秒八三…ギリギリって所だな」
部室の椅子に足を組み、堂々と腰掛けているのは、我等が先輩、“國本 真白”部長である。
國本財閥のお嬢様でもあり、その財力は日本有数のものであるとも有名。
頭も良く、運動も出来て、何故こんな平凡な高校に来たのか、未だに不思議である。
そんな彼女は酷く残念そうな表情を浮かべると、わざとらしく大きな溜息を吐き、高価そうな懐中時計の蓋を閉じた。
「残念だ…あと少しで、芽くんと美樹くんの、恥ずかしーい姿が見れたというのに」
「…何させる気だったんですか」
「さぁて、何だろうね?」
どうせ碌でもない事に決まってる…と、じっとりとした視線を、先輩に向ける。
そんな俺の視線に、不思議そうに目を丸くした先輩は、俺の気持ちを分かっているのか分かっていないのか、ウインクをして返してきた。
…いや、分かってないな、これ。
因みに、俺を連れて、全力疾走で学校内を駆け抜けた美樹は、部室内の椅子の上で気絶していた。
実はこの部室、新校舎と旧校舎とに分かれている学校の、旧校舎の方に存在している。
今年、突然に出来た部活の為、有意義に使う事の出来る部室が、旧校舎の方にしかなかったのである。
唯一の救いといえば、使われなくなったらしい五つの机と、椅子。
そして収納棚やロッカーが残っていたお陰で、只の物置にはならなかったという事だろうか。
俺達は、いきなり部長に集められ、強制的に行われた大掃除の末、私物を持ち寄ったり、机を班机(部長は勿論、俗に言うお誕生日席)にしたりして、今日この日まで、自由に過ごしていた。
基本的に、授業や、大規模な部活動は新校舎側にいる。
その為、其方の人々は、移動時間などに気を掛けずに済むのだが…意外に敷地の広いこの学校。
なんと、普通に歩いていれば新校舎と旧校舎の間は10分程掛かるのだ。
「間に合わないと思った…」
「俺も、二度とお前に会えないかと思ったよ」
そう言って、椅子に腰掛け、茶化してくる相手は、先程別れたばかりの啓太。
その表情は笑っているのだろうが、どうも俺を煽ってきている様にしか見えない。
…ので、軽く頭を小突いておいた。
「あいたっ!何でだよ」
「ごめん、ムカついた」
「正直だなぁもう!」
そんな俺達の遣り取りを見ながら、クスクスと笑いを漏らす部長。
俺は、今度は部長へと視線を向けると、目を吊り上げて、彼女に声を掛けた。
「…なんですか」
「いや…ふふ、間に合った事、美樹くんに感謝すると良い」
「元を辿れば先輩が元凶です」
俺の言葉に、やれやれ…と肩を竦ませる先輩。
なんだなんだ、一体どういう反論をするつもりだ。
「私は、授業が終わり次第、すぐ、と伝えた筈だ。それならば全く間に合う時間だっただろう。なのにも関わらず、遅刻寸前…おやぁ?そういえば、既読が一件少なかったなぁ…?」
「…ナンデデショウネ」
そればかりは答えられない。
スマホなんて画面すら見ないというのに、連絡の内容など知っている訳が無いだろう。
などと開き直りはしたが、分が悪いと思った俺は、視線をスッと逸らす。
すると、ずっと隅の方に控えていたらしい、ツインテールの黒髪の子が目に入った。
どうにも所在なさげに、そこにいた彼女は、部室を見回したり、部長やら美樹やら、視線を忙しなく動かしていた。
「あの子は?」
そう俺が部長に問い掛けると同時に、肩をビクッと震わせる女の子。
俺の言葉に不思議そうに振り返った部長は、完全に固まってしまった彼女を見て、思い出したといわんばかりに声を上げた。
「あぁ…新入生で、我が部の新入部員だ。幼い頃から、我が家とも、随分関わりがあってな。妹みたいなものだ。仲良くしてやってくれ」
新入部員、という言葉に、思わず感嘆の声を漏らす。
一風変わったこの部活に入部したいという子が、今の世にいるなんて。
「今、失礼な事を思わなかったかい?」
「いえいえ、そんな」
「ほら、自己紹介だ」
國本先輩に背を押され、戸惑い気味に一歩踏み出す新入生。
彼女は俺達を順に見て、最後に先輩をジッと見つめると、此方に笑顔で振り返り、口を開いた。
「えっと…改めて、お世話になります。“篠宮 凛花”です。新入生で、まだ分からない事ばかりですが、どうぞ、よろしくお願いします」
その礼儀正しい挨拶に、俺達は揃って声を上げる。
それに、唖然とした様子を見せる部長と、篠宮さん。
俺達は彼女等に背を向けると、小声で話し合う。
「おいおいおいおいおいぃ…先輩の妹分だろ?この部活に入る変わり者だろぉっ!?」
「俺に当たるなよ騒々しい!…俺だって驚いてるよ!先輩の元でどんな育ち方すれば、こんなに素直に育つんだ!!」
「おーい、君達?」
き こ え て る ぞ ?
「「ヒッ…」」
何故か重低音で響いた言葉に、二人して悲鳴を上げる。
普通よりはそれなりに高音な声色の部長が、一体何処から声を出したのだろうか。
「はい、自己紹介」
「に、二年一組、大葉 啓太」
「お、同じく二年一組、須崎 芽…と、あっちで伸びてるのが、同じく二年一組の神代 美樹だ」
「よろしくぅ〜…」
部長に促されるまま、二人して直立の姿勢で自己紹介をする。
ついでに美樹の紹介まですると、彼女は伸びた状態から体を起こしはしないものの、代わりに腕を大きく伸ばし、ひらひらと振っていた。
「はい、よろしくお願いします!!」
篠宮は暫く、不思議そうに此方を見つめていたが、途端に眩いばかりの笑顔を見せると、元気よく返事を返す。
…何とも純粋な性格の持ち主だ。
生きている内に、こんな良い子に出会えて良かった。
「凛花〜、困った事があったら、この先輩達にぜーんぶ、聞くんだぞ?」
「はい!お姉様!」
「「…」」
そうかそうか、彼女は部長の事をお姉様と呼んでいるのか。
流石、良い所のお嬢様である先輩と、昔からの付き合いがあるだけある。
彼女自身、同じく良い所のお嬢様なんだろうなぁ…
なんて考えている場合じゃない。
先輩の目が鋭く光っている。
…絶対さっきの話、聞かれてたな。
というか根に持っているな?
言い方自体、凄く尾を引く調子で刺々しかったので、まず間違い無いだろう。
同じ考えに至ったのだろう啓太と顔を見合わせると、深い溜息を吐く。
流石、我が親友。
「さて…それじゃあ自己紹介も済んだし、早速だが、始めようじゃないか」
「!」
「始めるって…」
「勿論、部活…“あそ部”の部活さ!」
部長が、大仰に両手を振り上げたかと思うと、部室に何十枚かの紙が舞う。
あぁ…これ、片付けるのは俺達なんだろうなぁ…等と考えながら、ゆったりと降ってくる紙を一枚取る。
その紙の表題の位置には、“あそ部 宣誓”とだけ書いてあった。
「さぁ、並ぶが良い、我が部員達。渡した紙は持ったな?」
渡したっていうか、先輩、辺りに散らかしましたけどね?
という言葉は心の奥に押し留め、自分の机の前に、紙の内容を見ながら移動する。
何となく想像は付いているのだが、多分、期待しているだろう先輩に、俺は問い掛けた。
「先輩、これは?」
「私達、あそ部の宣誓さ。この部活に、全力で取り組むという、な」
「はぁ」
相変わらず、興味関心が深い事柄には用意周到。
そういう所は流石だと思う。
「じゃあいくぜ!ーーー宣誓」
我々、”あそ部”の部員、五名は、
この世界が終末を迎えるその日その時まで、
全力で遊び抜く事を、
誓います。