005 隠れ家
フェルボアから脱出し、無事北の森にある隠れ家へとたどり着いた頃に辺りはすっかり外が暗くなっていた。隠れ家はそれなりの大きさだったが、部屋数はかなり少なめだった。妙に部屋は大きく作られている割には、家具は殆ど置いていなかった。
隠れ家に入ると、約束通り私の手枷は外され、今は向かい合って居間の食卓で食事をしていた。
「あむ、んむ。非常食だから仕方がないのだけれど……やっぱり城の食事よりは劣るわね」
(そりゃそうだ。でもこの干し肉は噛めば噛むほど味が出て中々うまい)
「ふぅ……さて、これからの事も踏まえて、少し話をしましょう」
(確かに。色々あって忘れてたが、私は無一文でまだまだこの世界の事を知らない。ここら辺で一旦情報交換としゃれこむか)
干し肉を飲み込み、水で喉を潤す。ちゃんと話を聞いているのが分かるように、私は姫様の目をしっかりと見つめる。
「さて、まずはどこから始めましょうか……そうね、まずは自己紹介から行きましょうか」
(まあ、無難だな。いつまでも「姫様」と「おまえ」じゃ困るしな)
「……私はドラゴン族の王、ギルガ・ダエゴンの長女、プルシェ・ダエゴンだ。呼び方は何でもいい……と言ってもおもあえに呼ばれる事は無いだろうがな」
(成程、プルシェさんか。喋れないのが残念だが……私の名は木崎勝だ。いや、今の彼女の紹介から察するに逆になるのか。勝木崎……うーん、何だか違和感を感じる)
つまらない事を考えていると、彼女の尻尾が後ろで揺れているのが視界に入る。彼女は微笑みながら話しているが、尻尾は何だか落ち着きがなかった。まるで催眠術のコインの様に揺れる尻尾に思わず視線が誘導される。
「――で、私の兄であるフォルティス・ダエゴンはこの国を乗っ取って、何かしようとしている。目的はまだはっきりとしないけど、種族協定を脅かそうとしているのは明らかね」
(あっ、やばい。尻尾に気を取られて話を全然聞いてなかった。何だか重要な事を言っているはずなのに……)
何だか真剣な表情でかなり重要な現状を語っているようだが……いかんせん、この世界の現状を知らない以上、今一理解できない。急に種族協定とか国がどうとか言われても漠然と危険な状況だとしか分からない。
途中から話に付いていけず、ぼーっと揺れる尻尾を見ていると、突然尻尾が床に叩きつけられ、大きな音が鳴る。
「あんたは話を聞いているの!?」
遂に痺れを切らしたプルシェさんは目を吊り上げながら食卓を叩いた。
「それにお前の名前も分からないのも嘆かわしい!いっその事、ここであたしが命名してあげるわ!」
(えっ!?いやいや、ちゃんと立派な名前があるんで結構です!)
「首を振って拒否しても無駄よ!それともあなたに名乗る方法でもあるのかしら?」
(……無いです)
確かにしゃべる方法は現状は無いと思う。まだ紙に書く事は試してないからまだ可能性はあるが……でも、あの五大神が書いても無駄とか言ってたような。
大体、私はこっちの文字も知らないから日本語で書いても伝わらないだろう。広場の売店とかで文字が違うのは既に確認済みだ。……と言っても、何故か聞く分には日本語に聞こえるから不思議だ。
「やっぱり方法は無いようね……」
このままだとプルシェさんに命名されてしまいそうなので、ダメ元で書き物を仕草で要求してみる。
「何?あんた字は書けるの?……だったらちょっと待ってなさい。確かペンと紙がそこら辺に少しあったはずよ」
彼女はそう言うと寝室に奥へと消えて行った。ガサゴソと何か漁る音がした後、彼女は紙数枚とインクと羽ペンを持ってきた。特に状態は悪くない、問題無く使えそうだ。
それらを受け取り、早速羽ペンを手にしてインクを付ける。試しに横に一線引いてみると、問題無く書ける。
(あれ?別に書けるじゃないか)
そう思い、自分の名前を書こうとした瞬間、手が動かなくなった。まるで誰かに押さえつけられているかのように、微動だにしない。必死に動かそうとしても手が震えるだけだ。
「ちょっと、急にぷるぷるしてどうしたのよ?やっぱり字が書けないの?」
否定したいが、間違ってはいない。やはり、直接喋る意思があるとストップが掛かるのか?
(……でも、さっき線は引けたよな?だったら!)
「ちょっと、幾ら書けないからって落書きするのはどうかと思うわよ……」
さっきの一線が書けたのなら、文字以外は書けると推測した私は絵を描いた。喋る事を五大神に封じられてはいるが、まったく意思疎通ができない訳ではない。実際に私は首を振って意思表示はできている。
だったら、名前は無理にしても、絵を描いて私の意思を示せば!
「……何、その形容しがたい絵は?」
出来上がった絵をプルシェさんに見せたが、何も伝わらなかった。どうやら私に絵の才能は皆無なようだ……。取り敢えず試しに描いた物とはいえ、まさか全く伝わらないとは……。
「えーと、落ち込んでるところ悪いけど。名前が無いと始まらないから、さっさ名前決めるわよ。……面倒くさいからポチとかで良いかしら?」
(断固拒否させてもらいます!しかも、今面倒くさいとか言ったよこの人!)
全力で首を振って否定する。そんなペットのような名前何て絶対に付けられる訳にはいかない!
「えー、じゃあ髪が黒いからクロとかどう?」
(また安直な!)
こちらも首を振って否定する。
「文句が多いわね。んー、そうね……じゃあ、クロイツとかどう?」
(んー、さっきよりはまとも……かな?)
「拒否しないみたいだし決定ね!今日からあなたはクロイツ、愛称でクロね!」
(はっ!結局そこに行きつくのか!嵌められた!)
何度か私の新しい名を復唱しながら、彼女は納得したかのように手を合わせて立ち上がる。
「それじゃあ、名前も決まった事だし!明日は早く出て北にあるジェルシ港を目指すから、さっさと寝ましょ!」
私に反論の余地を与えず、彼女は話を終わらせてしまう。仕方が無く私は寝室へ向かおうとしたら、彼女に止められる。
「ちょっと、何自然にあたしの寝室で寝ようとしているのよ?」
(えっ?じゃあ俺の寝るところは?)
「あんたはここで寝なさい。寝室は一つしかないんだから当然でしょ?」
(まあ、毛布でもあれば寝れるけど……)
「それじゃ、お休みなさい」
(あのー、毛布……)
彼女は毛布も何も渡さずに寝室へと入って行った。
ここで寝ろと言っても、ソファや家具は殆どないこの部屋では寝る場所は冷たい床の上しかない。しかも、ここは暖房のような器具ももちろん無いので、かなり冷え始めていた。部屋の中を見たが、特に毛布替わりになる物は見つからなかった。
仕方なく私は部屋の角で丸くなって眠りについた。
真夜中に、あまりの寒さに目が覚める。気付けば震えが止まらなかった。
(考えてみれば私もまだ囚人服であるぼろ布のまま、ここまできたのだった。そりゃあ、寒いですよ……)
挙句に、ヒューヒューとどこからか隙間風が聞こえる。その音がさらに寒さを冗長している気がした。
「へっくし!」
(あっ、喋れなくてもこういう音は出せるのね……今更気づいた)
流石にこのままではまずいと思い、プルシェさんの寝室へと足を向ける。女性が、それもお姫様が就寝中にお邪魔するのはかなり気が引けるのだが……。
「へーっくし!」
(いかん、本格的に凍えてきた。それに何だか眠気も……)
何とかそのまま眠ってしまいたくなる衝動を抑え、そっと寝室の扉を開ける。
中は暗いが、一角だけ小さな窓から差し込む月夜に赤いベッドが照らされていた。それに導かれるように、足がふらふらと勝手に動き出す。一部しか照らされていないがそれはかなり大きなベッドの一部分のようだ。
(何だ、こんなに大きなベッドがあるなら一緒に寝ても十分余裕があるじゃないか。お姫様生活はこれを独り占めするのが普通なんだろうなー)
ぼーっと考えながら、そのベッドによじ登ろうとするが妙に丸みがあり、滑り落ちてしまう。あまりの眠気でベッドにすら入れないような。だけどそのベッドを触ると妙に暖かく、やわらかい。
(あー、何だかホットカーペットみたいで一気に眠気が……)
寒さに凍えてた私にその温かさは殺人的な効果を発揮していた。触れた瞬間私は眠りについていた。
朝になると私は窓からの日差しによって強制的に起こされる。もう少し寝たい気分だったがあまりの眩しさに、起きないという選択肢は浮かばなかった。
(ふっ、んーー朝か!)
気持ちの良い寝覚めに軽く体を伸ばすと、固まっていた関節が音を立てる。
(さて、プルシェさんはもう起きてるかな?昨晩は寒さと眠気に逆らえず、つい寝室に侵入してしまったがプルシェさんが起きていればあまりよろしくない状況だ。まだなら起きる前にとっとと退散しよう)
そう思い、私はベッドの上を見たのだが……そこにいたのはベッドではなかった。
日差しで明るくなった部屋にベッドではなく、大きく深い紅色のドラゴンが寝息を立てていた。
「――っ!!」
思わず叫びそうになり口を咄嗟に抑えたが、そもそも声は出ない以上意味のない行為だった。
だがあまりの恐怖に思考がフリーズしてしまう。昨晩私がベッドと思い、もたれ掛かっていたのはこの大きなドラゴンだったようだ。
だがここで当然の疑問が思い浮かぶ。
(じゃあ、プルシェさんは……?)
少なくとも私の様にもたれ掛かって寝ている姿は見当たらない。
(だとすれば一体どこに……っ!!)
そこで私は気付いてしまった、ドラゴンの口のそばに落ちている……彼女の装備に。床に乱雑する装備や衣服を見て行きつく結論はただ一つ。
(く、食われてらっしゃるー!)
まるでムンクの代表作のような表情で私はまたもや声にならない叫び声を上げる。
そうやって私がフリーズしていると、ドラゴンが目を覚ました。それは威圧感が一杯の目をギョロリと動かし、私をその視界に捉える。まるで蛇に睨まれた蛙の様に身動きが取れなくなってしまう。
(ややや、やばい!こういう時はどうするんだっけ?!えーと、確か死んだ振りして立ち去るのを待って……ってそれ熊の対策じゃん!しかも間違った方法!)
などと、かなり混乱しながら冷汗を流していると、ドラゴンがその立派な牙を見せつけるかのように大きく口を開いて雄叫びを上げる。
「ク、クワァアア~~……(ふ、ふわぁぁ~~)」
……っと思ったらどうやら欠伸だったようだ。しかもそのまま虚ろな目を閉じて二度寝へと移っていた。
(ふぅ、寝ぼけて気付いてなかったようだ。今の内にさっさとここから抜け出して……)
「……っ!!」
そのまま忍び足で部屋を出ようと気を持ち直した瞬間、ドラゴンの目が凄い勢いで見開く。今度はしっかりと顔を近づけて、私を視界にしっかると捉えているのが分かる。
短い沈黙が二人の間に流れると、ドラゴンに変化が現れた。
口をパクパクさせてプルプルと震え始めたのだ。そして気のせいか、紅色の鱗がさらに赤く燃え上がっているようだった。それに何だか熱い空気が口から……。
(あっつ、あっつ!いや、何かちょっと炎が出てるんですけど!これってもしかしなくても!)
「ゴォオオアアアーーッ!(ぎゃあああーーっ!)」
熱い、と炎の熱を感じるよりも早く。あれ、と声がダブって聞こえる事に疑問を抱くよりも早く。
(あっ、また死んだ……)
私の肉体は跡形もなく焼き尽くされ。私の異世界生活は早くも幕を下ろしたのだった。
安心してください、終わってませんよ。