002 始まりの事件
私は早速情報収集のために緋色場を歩き回りながら周囲を観察し、立ち話を聞いていると、何となくこの街の様子が分かった。
まずはこの街「フェルボア」は、ドラゴンが統治している中央都市のようだ。交流が盛んなのか、様々な種族を見かける。その中に見た目が人間に似た種族もいたから、私が悪目立ちする心配はないだろう。
というよりも大半が人間にしか見えなかった。この街は比較的人間が多い街なのだろうか?本当に人間かどうかは確認のしようもないので、とりあえず考えを保留にしとく。
そして、私は腰にある革袋へと視線を移す。金銭も選り好みしなければ、今の手持ちで問題なさそうだ。まあ、持って一か月が短いか長いかは情報が足りない今では微妙な所だが……。
(一番問題は声なしでどこまで話が通じるかだな)
広場を歩き回りながら自分の喉に手を当てる。生前なら一か月間の資金があれば余裕で過ごせる自信があったが、声が出ないと碌に聞き込みもできないため、効率がかなり落ちる。それでも金額が分かったのはここが市場も兼ねていて、沢山の物が屋台で出店されていたからだ。
食品は主に銅貨が使われていて、武器や盾には金貨と銀貨だった。他の商品も参考にした結果今の手持ち、金貨五枚、銀貨十枚、と銅貨二十五枚で十分一か月は過ごせるという結論に至った。だが、それも私が装備品が必要にならない資金調達ができればなのだが……。
「ちょっとターニャ様、待ってください!って、きゃっ!」
(うおっ!)
これから先どうやって職に手を付けるか悩みながら歩いていると、正面から来た猫耳と尻尾の着いた女性にぶつかってしまった。そのまま彼女の勢いに押し負けて、二人して倒れてしまった。下は石造りで私はかなりの痛みを覚えたが、女性の方は私の上に倒れこんだので怪我はなさそうだった。
「大丈夫ですか?!す、すいません、ちょっと気を取られていました」
(いえいえ、こちらこそすいません)
謝罪を口にしながら軽く頭を下げるが、もちろん声はでない。結果、私は無言で立ち上がり、彼女に手を差し伸べていた。
「あ、ありがとうございます」
彼女は無言な私に、少し戸惑いながら、手を取って立ち上がった。
「ママー、何してるの?早くしないと売り切れちゃう!」
何時の間にそこにいたのか、同じく小さな猫耳と尻尾の着いた子供が私の傍らから顔を覗かせる。恐らくぶつかった女性の子供だろう。ぶつかる前に「ターニャ」と名前を呼んでいた気がする。そんなターニャは母親が無事立ち上がるのを確認すると、すぐに走り去ってしまった。
「あっ!ターニャ様、勝手に先に行かれると困ります!」
「だって早くしないと無くなっちゃうもん!」
「もーっ!すいません、失礼します」
ぶつかった彼女は申し訳なさそうに頭を下げながら、少女を追いかけて行った。
(ターニャ様?)
子供に対して様付けとはなんとも不思議に聞こえるが、もしかしたらこちらの世界の風習かもしれない。想像以上に常識に違いがあるかもしれない、気を付けなければ。
「へいらっしゃい!タイミング良いね兄さん!ここにあるのは焼きたてばかりだよ!」
ちょっとしたハプニングがあったが、気を取り直して食事を買うことにした。まだ日は高いが、この世界に来てからまだ何も食べていない。食品の売店ならば仕草だけでも購入できるから、声が出なくても問題ない。
多く並ぶ菓子パンの中から比較的平凡なものから一つ指して、それを二つという意味を込めて指を二つ上げる。
(えーと、この何か赤い実が入ったパンを二つ)
「あいよ、エルドベリーパンを二つね!合わせて銅貨四枚だよ!」
手際の良いおばちゃんが選んだパンを小袋に入れながら金額を言う。
腰にある革袋に手を伸ばしたが違和感に気付く。金銭が入っていた革袋が無くなっていた。落としてしまったのかと来た道を振り返るが何も落ちていなかった。いや、そもそもあれを落とせば幾ら何でも気付くはずだ。だとすれば一体どこで……。
(あっ!あの女性にぶつかった時!)
もしかしたらぶつかった拍子に革袋が落ちてしまった可能性に、慌てて来た道を戻る。辺りをくまなく探すが革袋は見つからなかった……。この世界に来て早々に有り金すべて失ってしまった。
浮かない気分のまま一旦パン屋に戻ると、おばちゃんが心配そうに話しかけてきた。
「そんな浮かない顔をしてどうしたんだい、あんた?財布を落としたり、掏られたりでもしたかい?」
(はっ!そうか、盗まれた可能性もあるのか……)
こっちは一言も喋ってないのに、おばちゃんは察しが良かった。そして、ここで始めて掏られた可能性に思い至る。どうやら自分はなんだかんだ言って油断していたようだ。自分の警戒の甘さに、膝から崩れ落ちてしまう。
「まあ、こんな街でもコソ泥はいるからね。次からは気を付けるんだね。ほれ、今回は後払いで良いよ!これでも食って元気だしな!」
(ふぐぅ、何て優しいおばちゃんなんだ。この恩は決して忘れません!)
注文したパンが入った袋を手渡される。まだ少し暖かかった。
次があるか分からないが、この食事は非常にありがたかった。頭を下げて無言のまま私はパン屋を後にした。
さて、これで金銭的に非常にまずい状況になってしまった。
近くにあった噴水の淵で何かの果物が入ったパンを食べながら、これからの方針を考える。あの親子を探すのも一つの手だが、勝手の分からない街でいきなり人探しはかなり厳しい。しかも、もし相手が意図的に盗んだのなら、そう簡単に見つかるとも思えない。かと言ってこのままでは今夜の宿や食事にありつけない。
パンも完食して首を傾げていると後ろから聞き覚えのある声が聞こえた。
「ん~!おいしい!」
「間に合ってよかったですね、ターニャ様」
振り返ると丁度噴水の反対側に見覚えのある親子がソフトクリームのような物を食べていた。
「ママ、さっきは急いでいたから言わなかったけど。ここで様は付けちゃダメだよ」
「あ、そ、そうでしたね、ターニャ」
「本当はもっと気さくに話してほしいけど……まあ、いいや!今日は臨時収入も入ったし!」
会話に違和感を覚えるが、それ以上に子供が取り出した物に視線が引かれる。同じくそれを見た母親が顔を強張らせる。
「ちょっと!ターニャ様、またですか?!」
「だって珍しく隙だらけなんだもん。しかも中身もそこそこ」
ターニャは金貨を数枚取り出しながらニヤリと笑うと、私は確信した。彼女は意図的に財布を掏ったのだ、ならば多少強引になっても取り戻す。話に夢中になっていた二人は、近づく私に気付いていない。
「今は資金面に問題ないんですから、その悪い手癖いい加減治してください!しかもよりにもよってこの街でしなくても!」
「ええい、やかましいわソフィア!手癖が悪い事は認めるが、金は大いに越した事はないであろう!」
「量の問題じゃないです!そのお金の出所が問題なんです!その内、持ち主に捕まって……あっ……」
「どうした、急に黙りおって……?」
真後ろまでたどり着いた私はがっしりと財布を持った子の肩を掴む。ニッコリと微笑みながらターニャという猫耳少女を見下ろす。彼女も顔を引きつらせながらも微笑み返してきた。
(やあ、ターニャちゃん)
「お兄さん、あたしに何か用?」
ここまで来て白を切るようだ。取り出していた金貨もそっと袋に入れ直していた。喋れないので、無言のまま私は財布を取り返す。すると、彼女は予想外の行動に出る。
「ちょっとー!かえしてー!あたしの財布かえして―!」
ぽかぽかと可愛らしく私の胸を叩きながら意味不明な講義をしてくる。
「泥棒よ!誰かー!この人があたしの財布を取ったわ!」
(はあ?何を言うかと思えば……)
こんな子供の相手をする必要はないと、その場を立ち去ろうとするが、赤い鎧一式を着用した男二人に道を塞がれてしまう。
「おい、お前。堂々と子供の財布盗んで立ち去ろうなんざ、いい度胸だな」
(いやいや、盗んだのはあいつですから。私は自分の財布を取り返しただけですよ)
……とは勿論、言えない訳で。
「衛兵さんいい所に!その男を捕まえて!」
(ふざけんな!捕まるのはお前の方だ!)
必死に手振り身振りで違うと主張するが――
「言われなくても、嬢ちゃんの財布は無事取り戻してやるさ!」
――伝わらない訳でして。
「オラ、大人しくしろ!俺の目が黒い内は、犯罪者は全員務所行きだ!」
(り、理不尽だ!私は無実だ!)
衛兵に抵抗する術があるはずもなく、私は手枷を問答無用で付けられた。
「ほらよ嬢ちゃん、次から気い付けな!」
「ありがとう、衛兵さん!」
財布を渡された少女は満面な笑顔で衛兵にお礼を言っていた。無垢な笑顔を向けられた衛兵は誇らしそうに胸を張る。そして、ターニャの後ろにいた母親はオロオロとしながら申し訳なさそうに何度も頭を下げていた。
衛兵は気づいていないが、あれは完全に私に向けていた。私が無実だと知っておきながらも彼女は口を挟まないようだ。言葉は出ないので、せめてもの腹いせに、連行されながらも憎しみを込めて二人を睨んだ。
「さあ、お前の罪は窃盗だ。言い分があるなら聞いてやるぞ」
連行された私は取り調べを受けていた。だが、喋れないので言い分も何もない。
「おら、何か言ったらどうなんだ?黙っているのはやっぱやましい事があるからか?」
(やましいも何も私は無実です)
首を振って否定する。
「黙っていても良い事何もないぞ?さっさと認めろ。あの子から財布を取り上げていたのは見えたんだ、証拠は挙がっているんだよ!」
(だから、あれは取り返していたんです!)
再度、首を振る。
「お前最初っから黙りっぱなしだな。まさか言葉が分かんねーのか?いや、だったら今の質問に答えてねーか」
ここまで一言も喋っていないことに疑問を覚えた衛兵が質問を変えて来る。これなら喋れない事が伝えられるかもしれない。私は口を開けて喉を指す。
「何だ?喉が渇いたのか?なら取り調べが終わってから水を持って行くよ」
(違ーう!)
もう一度喉を指したが今度は手で口の様にパクパク動かす。
「あー、声が出ないのか?」
(ビンゴ!)
正解、とばかりに彼を指しながら頷く。
「成程、そうと分かればこちらにも方法はある。ちょっと待っていろ」
暫くすると衛兵の男がフードを深く被り、背中の曲がった、怪しげな老人を連れてきた。
「こちらの方がが今から読心の魔法でお前の心を読む。手間を省くために、先程の事件に対する便宜を思い描いてろ」
(おお!そんな魔法もあるのか!)
知らぬ魔法に驚きつつも、言われた通りに事件の真相を念仏のように唱え始める。
「ふむ、儂も暇ではないんでな、さっさと始めるぞい。読心!」
老人は私の頭に手を翳し魔法を発動させると同時に、何だか気持ち悪い気分になる。これが魔法を掛けられる間隔なのだろうか?その不思議な感覚に慣れる前に、電流が走ったかのようにバッと手が引かれた。
「ひっ!読めん、この男の心が読めん!何か強力な力に拒まれるぞ!読心が効かないという事は、儂より勝る光属性の魔術師か、何らかの未知な魔法を使っておる!こんな事は初めてじゃ!この男、何かおかしいぞ!」
大量の汗を流しながら恐怖に顔を染めた老人が叫ぶ。急に豹変した男の態度に衛兵も警戒を強める。
「おかしいのじゃ!おかしいのじゃ!抵抗ならまだしも、完全なる拒絶など聞いたことが無い!一体どれだけ魔力の差があるというのじゃ?!運命の女神フィオラに祝福されているとでもいうのか?!」
(あー、祝福というよりは呪いだけど……そうか、これはあの五大神の呪いの所偽か)
ここにはいない神々の姿を思い描いていると老人がさらに取り乱していた。
「この男は危険じゃ!殺すべきじゃ!怪しすぎる!」
「いや、流石に殺すのは……幾らジーク様の命令でもそれは……」
「ならば、直ぐにでも殿下にお伝えして決断してもらう!少なくとも、この男が日の下を歩くことは二度と無いようにしてみせる!」
「あっ!ちょっと待ってくださいジーク様!おい、そいつを牢に入れとけ!」
老人は勢いよく部屋を出て行き、尋問していた男は慌てて他の衛兵に指示を出してから追いかけて行った。
入れ替わるように入ってきた看守によって、私は牢屋へと連行された……。