表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

ショートホープにお願い!

作者: さわだ

■1 君の名は


僕は都内某所にあるビルの前に立ち尽くしていた。理由は沢山あって、どれから話して良いのか分からない。

僕は普通の家に普通に生まれてから二六年間普通に生きてきた。

僕の生活を普通と言って、首を傾げる友人が居るのを僕は知っている。

確かに漫画家と言う職業に付いたことを普通と言わないかもしれない。さらにその漫画家の文字の上に売れないと付けばその特殊性というか、駄目人生っぷりに花を沿えているのだろう。

昔から絵を描くのが好きで、というより僕にはそれしか無かった。気が付けば自分に都合の悪いこの世界から目を背けて、自分に取って都合の良い世界を紙の上に描いていた。

そんな自分を多分普通じゃないと思っていたので、お金を稼いでご飯を食べる手段も普通では続かないと理由をつけて、漠然と漫画家を目指した。

実際漫画家になって、好きな事描いてお金を稼ぐようになるとあっという間に歳を取った。

これからも多分好きなことを好きなだけやってあっという間に歳を取って行くんだろうと思っていた。

「人違いじゃないですか?」

ビルと僕の間、前に立つ男に声を掛ける。

整った顔に大きめのサングラスを掛けている。背が高く、肩が張っていて一目見ただけで格好いい男だと思った。

僕の言葉を無視して眼前に立つ男は真っ直ぐ伸ばした手に力を入れる。手の先には黒い鉄のかたまりが握られている。

「なんの冗談ですか?」

目の前の男は僕の質問には応えてくれなかった。

サングラスをしているのでよく表情は分からなかったが何の躊躇もなくその握っているモノの引き金を引こうとしていた。

それが銃という火薬の力で鉛の玉を打ち出して、対象物に打撃を与える道具だということは知っていた。しかし、知識というものが合っても意味がないモノだと改めて思い知った。

冗談が通じそうもないシリアスな男に銃口を向けられて、僕の二七年目に差し掛かる人生は終わりを迎えようとしていた。

そう、なぜかその時、僕は向けられた「死」が冗談だとは思わなかった。多分体の方が人間の意識よりも死に対して敏感なのだろう。

緊張して体が動かなかった。

手汗をかきながら、ブルブルと滑稽なくらい震えていた。

「あっやばい」

僕は口に出して、頭に浮かび上がる絵を否定しようとした。

コンクリートの旧い校舎の一室で頭を下げている僕が居た。伸ばした手には小さな文庫本が握ってあった。そう、あれは中学時代に何度も読み返したサン・テクジュベリの夜間飛行だ。

僕の差し出した本を少し困惑気味に相手の女の子は受け取った。

「手震えてるよ?」

「あっ本当だ」

「怖いの私が?」

そう笑いながら彼女に言われて初めて気が付いた振りをしたが、自分でも驚く位あの時手が震えていた。そして彼女が本を受け取った時から手の震えは収まった。

何で手が震えたから理由は簡単で。僕は差し出した本を彼女が受け取ってくれなかったらどうしようと怯えていたんだ。彼女が僕に譲ってくれたカミュの「異邦人」のお返しにと思って買い直した本。

初めての誰かへのプレゼントだった。

受け取る前の不安と受け取って貰った瞬間の安堵は今でも覚えている。どちらかというと受け取る前の不安の方が良くは覚えている。

あんなに面白いくらい手が震えたのは初めてだった。それ位恐かったんだろう、彼女に否定されることが。あの時僕は死ぬか生きるか位の緊張をした事を思い出す。

コレが走馬燈ってヤツかと考えながら、僕は目の前の銃口を覗き込んだ。

最後の時でも僕は彼女、田中美輪の事を考えていて可笑しかった。

そもそも知らない男に銃口を向けられているのも田中に会いに来たからだ。

彼女、田中美和は自分の二六年間の人生の中でかなり重要な部分を占めていた、というか彼女に会うまでの自分を時々僕は切り捨てたくてしょうがなくなるくらいに、彼女との出会いは分岐点だった。

もちろん田中と知り合ってからの自分も十分切り捨てたいのだが、それを切り捨てると彼女に会った事すらも否定することになるので我慢している。

田中美和に合ったことは嬉しくもあり悲しくもある。嬉しいことの倍以上、いや殆ど悲しいことの方が圧倒的に多いのだけど、どうしても切り捨てられなかった。だからこうやって終電も過ぎた時間になっても無様に彼女が居るビルの前に立っている。

彼女に会いに来た理由は結構あって、最近会っていないからという小さな理由から、人伝に聞いた彼女の窮状を心配したからだった。

真面目な彼女は何時も問題を一人で抱えるクセがあった、僕はそれを見ているだけなのが何時も辛かった。学校を卒業して大人になっても、時々聞くその変わらない性格に呆れたり感心していたりした。

今日も家に帰らず、ビルの上の一角、片隅だけ灯りが灯っているあの場所で一人頑張っている。

僕は堪らずに彼女に会いに来た。

それで銃で撃たれようとしているのがどうにも繋がらないようで繋がっているような気がした。

僕は田中美和の為に死ぬ。

うん、良くもないが悪くもないと覚悟を決める。

パン!

乾いた音が響いた。

かんしゃく玉を踏んだような対したことのない音が鳴った。

小さな音と共に目の前の男が仰向けに倒れ込む。

僕は慌てて駆けだして倒れた男の横に座り込んだ。

覗き込んだ男の額には整った顔には不釣り合いなモノが付いていた。

「オレンジ・ガーベラ?」

黒いスーツを着た男の額に綺麗なオレンジ色の小振りなガーベラが咲いていた。僕は何だか分からないがとりあえず男の額に咲いている花を触ってみた。

「造花?」

何か不思議な感触がする花を手に取ると簡単に男の額から剥がれた。すると男は非常識にも僕の前から何事もなかったように消えて無くなり、一輪の花だけが僕の手元に残った。

「なんなんだよ一体?」

非常識なことが連続して起きると何が常識だかが思い出せなくなる。

僕が田中美和に真夜中会いたくなって彼女が仕事しているビルに来たのは賛否はあるだろうが常識の範囲内だ、と思う。

そのビルの前で銃を持って僕を待っていた男は非常識で、頭に花を咲かせて倒れ込むのはもっと非常識だ。

そう言い聞かせて目の前で男が消えた事実を僕は非常識だと認識した。

「花に詳しい男ってどうなのよ?」

混乱を通り越して固まっている僕に、静かにそいつは近付いてきた。手にはさっきの男と同じように銃が握られていた。

「全く、なんで銃を向けられても驚きもしないでそうやって動けなくなるかなあ」

少し語尾が長いしゃべり方が若さを感じた。それもそのはずで目の前の少女がビルから零れる光で姿を現し始めると、若い理由が分かった。

黒いロファーにソックスの足下から一直線に細い肌色がチェックのプリーツスカートまで伸びた足下が現れる。紺のブレザー着て首元には真っ赤な長いマフラー巻き、長い黒髪と交じり合っていた。

十人に聞けば九人くらいは女子高生と応える容姿。

「そんな受け身で生きていけるの?」

銃をブレザーの内に隠すと女子高生はそのまま近づいて来て僕の目の前に立つ。

「全く危機感がないなあ君は、私が来なければ君は消えていたんだぞ」

小さい顔にはどうだと言わんばかりに自信が溢れていた、臆病な僕が苦手とする顔だ。

「君は?」

「呼んでおいてそれはないんじゃない?」

「僕が? 君を?」

それ以外に何の理由が合ってアンタに話しかけているのと言わんばかりに、品定めするように女子高生は僕の顔を覗き込む。

「此所に君の敵が居るんだね」

急に興味を無くしたように顔を背けると、目の前のビルを女子高生は睨み付けた。

「敵?」

「そう、あなたが対峙しなければ行けない敵が此所に居る」

自己陶酔しているかのように彼女は真っ直ぐにビルを見つめていた。一階は明るいが、上は電気が消えたフロアが続く薄暗いビル。その一角、灯りが灯っている場所を見上げていた。

そんな女子高生の姿に僕は、どんなことにも怯まなそうな意志の強さを感じた。

「私は貴方の武器としてこの世界に現れた」

ああまた非常識だと僕は頭を抱えた。

「この中に私が打ち抜かねばならない敵が居る」

「敵って一体だれさ?」

「貴方は誰と対峙しにここへ来たの?」

今日僕の質問は質問で全て消される運命に有るらしい。見た目通り諦めるのが得意な僕は、さっさと彼女の質問に答えた。

「田中に会いに・・・・・・僕は此所に来た」

「そうか、それが今度の敵の名前か・・・・・・」

「敵ってなんだよ」

「敵でしょう、貴方をこの世界から消そうとしている」

「何で彼女が僕を・・・・・・」

「あんたバカじゃないの? 今まで拒絶されて来たんでしょ? それってつまり貴方は田中美和の世界に取って要らない存在って事なんだよ?」

そう言って彼女も腰を降ろして僕と同じ目線で話しかけて来た。

手を伸ばして僕が持っていた花を手に取る。手に取るときに触れた指先の感触と、何か久しぶりに嗅ぐ柔らかい臭いが目の前の非常識な娘が本物だということを僕に教える。

「だから貴方は田中美和と戦わなければ行けないんだ。戦わなければ消されるよ、この世界から」

「この世界?」

「田中美和と坂上泰二が一緒にいる世界からよ」

女子高生が言っている冗談は面白くなかった。訳の分からないことを言っているから面白くないのではなく、その言葉を額面通り受け取った場合の話が僕には面白くなかった。

「僕と彼女が一緒にいる世界から」

「そう、貴方は消されようとしているの彼女に」

「なんで?」

「さあ、私に理由なんて分かるわけ無い」

そう言って女子高生は花にそっとキスをすると胸ポケットにそれをしまった。スクッと立ち上がるとまたビルを見上げた。

「私は対峙すると決めた人間の唯一の武器、相手に自分の存在を打ち込むための力」

彼女が何を言っているのか僕には全然分からなかった。分かろうとも思わなかった。

ただ、ビルを見上げる真っ直ぐな視線が説得力を持っていた。迷いがない綺麗な視線。その時僕は思い出した、田中美和の事を。僕の横で真っ直ぐにモノを見る綺麗な子だと思った。その目で僕のことを見てくれることは無かったとしてもだ。

目の前にいる女子高生も同じように真っ直ぐな目でビルを見上げる。

「こら、ちゃんと私の話聞いてる?」

「はっハイ」

軽く舌打ちしながら彼女はビルに向かって歩き始めた。さっさと要件をすませようとしているのか、僕に興味なさそうに、ただビルに居る敵にだけ想いを寄せているようだった。

「あっあのさ」

「何?」

、まためんどくさそうに女子高生は自体が飲み込めず動けない僕を見下ろした。

「一つ聞きたいんだけど?」

「何よ、まだ戦うのが恐いの?」

僕は不満そうな女の子の表情は今でも苦手だ。そんな表情を好きなヤツが居るのか分からないが、僕は大嫌いだった。

特に田中美和の不満そうな顔は今少し思い出しただけでも憂鬱になる。綺麗な華やいだ顔が苦痛に歪むと、自分がとんでもない過ちを起こしている気持ちにさせる。

目の前の女子高生も同じように、さっきまでの凛々しい顔を歪ませていた。

「何?」

我慢して聞いてやっているんだからさっさとしなさいよと目でそくされて、僕は質問を口にした。

「君の名前は?」

僕の言葉はその日初めて他人に届いた。

さっきまで醜く歪ませていた彼女はそれこそ花が咲くような笑顔で自分の名を口にした。

「私の名前は「ショート・ホープ」絶対必達の恋流鏑馬こいやぶさめ

極上の笑顔にとびっきりの非常識を混ぜて、彼女は僕の腕を掴んでビルへと引きずり込んだ。

これがあの奇妙な夜の始まりだった。


■2 いつか王子様が


僕と田中美和の思い出は高校生の時に始まる。

自分で言うのも何だが当時の僕は根暗な男の子で友達も少なかった。今も変わらないか。

僕にとっての高校生活というヤツは目の前の白い紙、白くなくてもいい、教科書でもテスト用紙、解答用紙の裏でも紙と呼ばれるモノに鉛筆を動かしているのが楽しくて仕方がなかった。

今考えれば本当にただ鉛筆を動かしているのが楽しかっただけだった。

紙の上に僕は何も込めなかった。今の様に、どう読者に媚びを売ろうかとか、邪さは無くただ描きたいものを描いていた。

あの時描いた僕の絵には否定も肯定も、感動も何もなかった。まるでスイッチを入れられたエンジンのようにただ手を動かしていた。

そんな単純な僕の前に彼女は現れた。

同級生の彼女との出会いは実は良く覚えていない。気が付いたら同じ教室に居た。最初の時は周りと同化していて全然気が付かなかった。

いや、視界には入っていたんだろうけど、前述のように僕は紙としか学校では対話していなかったのでただ気にならないというか、どうでもよかったんだろう。

それが突然特別になって、心の中で大きくなっていった切っ掛けは今でも覚えている。

切っ掛けというのは他でもなく、単純に僕の落書きを彼女が褒めてくれた。

数学のテスト中頭の中をそのまま写し込んだように真っ白な答案用紙を見て、開き直った僕は落書きをし始めた。落書き用のネタは沢山あったので、答えの代わりに絵で埋めていく。

最初は遠慮がちに紙の両脇を飾っていた落書きがドンドンと白い答案用紙を浸食していく。

僕はその時ちょうど某RPGにドップリはまっていたので、画面に溢れる想像上の怪物達を書き始めた。

まあ気合いが入って来て龍なんか書いているときは鱗の形にもこだわって綺麗に書き始めた。

今だったらそんなめんどくさいこと書く前に理由を付けて、書き込む作業を回避するところだが当時の時間の感覚は狂っていたとしか思えないくらい後先考えなかった。

ゲームをやりたければ日が昇るまで、落書きを始めれば紙が黒く染まるまで。

この時も後先考えず、テストに時間の締め切りが有るなんてことも考えずに龍の牙を、翼を、四肢を丁寧に書き始める。

最初は真っ白な紙が黒く埋まっていくのに安堵感を覚えていたが、段々と自分だけのオリジナルの龍の姿が現れてきて僕は少し興奮をしはじめた。こうなると簡単には鉛筆を走らせる手を止められない。

教室のみんなが机にペンを置き、もう一度見落としがないかゆっくり確認している横で僕は一心不乱に鉛筆を走らせた。

丸くなった鉛筆と、まだ先が細い鉛筆の二つを組み合わせて僕だけのモンスターを描く。強く、とにかく強い龍をと僕は尻尾を太く長く、口に並ぶ牙を立派にして大きな翼を付けた。

僕の描いた龍はテスト問題も飲み込んで大きくなり、それなりの迫力を持っていた。

そうすると今度はこの龍に立ち向かう勇者達を描きたくなった。

しかしスペースがないので僕は紙を裏返しにして勇者達を描くことにした。

大きな剣を持った男の子とそれを支える仲間達でいこうと思い立ったとき、ちょうど終鈴が鳴った。

何だよこれからって時にと僕は眼前の問題を無視してひとりで悔しそうな顔をした。

その時前から答案用紙を回収しに来た先生が一瞬僕の前で立ち止まった。

「美術のテストじゃないぞバカ」

そのまま先生はテスト用紙を回収せずに歩いていってしまった。

「先生?」

「点数付けるまでもないだろう。お前は補修大決定」

クスクスと忍び笑いに混じってまたアイツ落書きに熱中してテスト落としやがったと笑う声が聞こえてきた。

自分的にはそんな周りの声は気にならなかった。ただ、手元に残った自分の落書きをみてもう少し直せるところが無いかなあと思案していると、後ろの子が声を掛けてきた。

「いつもながら凄いわね坂井君って」

「何が?」

「それ」

僕の答案用紙を指さしながら、田中美和が屈託のない笑顔で僕を見る。

「いつもながら凄いね落書きのスピードは」

「諦めるのも早いから」

「そのわりには先生が解答用紙回収するとき、少し躊躇したでしょ?」

「してないよ」

何故だか僕はそのとき彼女の言葉を否定した。

「うそ、今解答用紙が手元に残ってホッとしているでしょ?」

「してないよ」

強がりなのか、ただ恥ずかしかったので僕は別にとさっきまで熱心に取り組んでいたテスト用紙を机に仕舞い込もうとした。

「ちょとまって!」

慌てて田中が僕にストップを掛けた。

「捨てるならそのテスト用紙私に頂戴」

僕の何でという顔に彼女は腕を伸ばす。

「答え合わせと復習に使うからテスト用紙頂戴」

数学の先生は紙一枚に問題と回答欄を用意した。当然回収されたテスト問題の内容は誰の手元にもない。

「後から帰ってくるだろ?」

「テスト終わって直ぐ寝ると何にも頭に残らないわよ、受験までそんなに時間は無いよ」

「受験って大学?」

他にあるのと田中が首を傾げた。

「まだ先じゃんか」

「甘いね坂田君は三年なんてあっという間だよ」

大人ぶって田中は僕に説教をした。

「あんたみたいに落書きばっかりして時間を浪費していると良い大学に入れないから」

「別に良い大学に入りたいとは思わないよ・・・・・・」

「じゃあ何をしたいの?」

落書きが出来ればいいかなあと漠然と考えた。三年後、或いはもっと先の四年、五年後僕はこうやって机に座って等気が気ができて居るんだろうか? まあ就職して働くとそんな時間は無さそうだし、やっぱり大学が良い。その時の僕はそんな風に漫然とただ未来を消費尽くすつもりでいた。

「まったく、目標がないの坂井君は?」

「まだ高校入ったばっかりだよ」

「もう高校生よ」

らちがあかないと田中のテンションが上がってきた。

「今できることをしなくてどうするの? 勉強しないとあっという間に頭が腐っちゃうわよ」

「いいよ腐って」

めんどくさくなった僕は席を立った。

「何処行くの?」

「トイレ」

そう言って僕は持っていた答案用紙を田中の机の上に投げた。

「くれるの?」

描き終わったものを溜めておく習慣がその時には無かった。ただ手を動かしているのが楽しかったんだから仕方がない。僕は自分の描いた絵には何一つ興味がなかった。

教室から立ち去る僕に、田中の声が聞こえてきた。

「ありがとう」

今まで見たことのない笑顔で僕の描いた絵を抱えて田中は笑っていた。

僕はその後直ぐに学校の屋上に行った。

空を見上げて随分といつもより蒼く見えるなあと感心したのを恥ずかしながら覚えている。

「いやあ青かったなあ」

「ちょっと現実逃避?」

ショートホープと名乗る女の子と僕は背中合わせでビルの一階のロビーで立ち尽くしていた。

出来たばっかりのガラス張りのビルで、三階まで吹き抜けの見晴らしの良いロビーがある。

いつもは多くの人が行き交い、小さな出店風のカフェと簡易ショールームみたいなモノがあって、結構賑やかな雰囲気。けど終電が過ぎた今となっては誰も居ないがらんとした風景のハズだった。

「いいかげんに前を見なさいよ!」

ドンと背中に肘を容れられて、僕は痛がりながら前を見る。

目の前には冗談のように同じ格好をしたイケメン軍団が数十人居並び僕とショートホープの周りを取り囲んでいた。

「何時も空ばっかみてるんだからって田中に怒られた事があった」

だからって前を向きたくなるようなシェチェーションではない。黒服軍団のどいつもこいつも銃を構えてグラサン越しに此方を見据えていた。

「まったくあんたよっぽどその田中って子に嫌われてるわね」

顔は見えないがショートホープも何処か諦めている様子だった。

「なんで」

「この私たちを取り囲んで居る奴らは貴方が私を呼んだように、田中美和が誰にも会いたくないとこの世界に呼び出した壁なのよ」

なんで、どうしてとかの質問をする気にはならなかった。背中越しに伝わるショートホープの体温は嘘ではないと思ったし、目の前に並ぶ黒服軍団の悪意みたいなモノはいくら鈍い僕にでも感じ取れた。

「コイツらを倒さないと田中美和には遭えない」

「なんでこんな事になったんだ?」

「貴方が望んだ事じゃない」

「僕が? 僕はただ田中に確認したかっただけなんだぞ」

「だから会いに来たんでしょ?」

「なんでそれでこんな非現実的な奴らが僕の邪魔をするんだ!?」

「自分の目を信じないで何を信じるの? 目の前にあんだけ敵意を押しつけられて何時もの様に何もしないの?」

「何もしない?」

「大体私を呼ぶ人は臆病者ばかりだからね、あんたも今まで戦いを避けてきたんでしょ?」

彼女の言葉は僕の体を縛り付けた。

「あれ図星?」

「僕は戦ってなかったのか?」

「そう、これから派手に始まるね!」

ショートホープの開幕を告げる声と共に、僕はふくらはぎの上に彼女の回し蹴りを食らって身を沈み込んだ。

痛いという前に天井が見えて、その間を何かだ飛び交っている。激しい音が銃弾だと言うことを教えてくれた。

「ショートホープ?」

見上げると彼女は腰を屈めて、真っ直ぐ銃を構えていた。

嬉しそうに素早く引き金を引くと、目の前の男の胸に花を咲かせた。

彼女の絶妙のタイミングで放たれた宣誓が、包囲していた男達の引き金を引かせた。円上に配置された彼らは見事に同士討ちの形になった。

崩れた所を見事にひとりずつショートホープは始末していく。

「早く動いて!」

今度は横になっている僕の方に足をかけて彼女は蹴り上げた反動で飛び上がる。不様に転がった後に弾丸が撃ち込まれる。

「あそこの柱の影に」

彼女の声に従って僕は全力で走った、足下に何人かの黒服が見えたが気にしないで言われたとおりに柱の陰に隠れた。

「ショートホープ」

影から恐る恐る覗き込むと、目の前には非現実的な光景。ショートホープが赤いマフラーを翻し、男どもをバッタバッタと打ち倒していった。黒服がいくらしっかり銃を構えても、引き金を引く瞬間が分かるのか、ショート・ホープが軽くステップを踏むだけで弾丸は逸れてしまう。

僕は彼女の無駄の無い動きに魅了されていった。

彼女は打ち込まれる弾丸を避けながら男達に確実に近付いていく、一歩ずつ一歩ずつ確実に近づいて絶対外さない距離で彼女は引き金を引く。

無駄玉は打たない、一発一発が確実に男達にの胸に食い込んでいく、黒い服の上に白い花が咲いていく。

またひとり彼女の向かって男が銃を乱射する、弾丸はむなしく彼女の横をかすめた。

「ラスト!」

そう言って彼女は腕を伸ばして引き金を引いた、瞬間男の額に黄色い花が咲いた。男が木こりに切り倒された木の様にゆっくりと、躊躇なく仰向けに倒れこんだ。

打ち倒したショートホープは傷一つつかない。最後のひとりを打ち倒すとゆっくりと僕の隠れている柱に向かって歩いてきた。一瞬だけ赤いマフラーを巻き直す、倒れている黒服軍団とのコントラストが異様だ。

「もう大丈夫」

彼女は何事もなかったように微笑みながら歩いてくる。紺ブレは形を崩していない、神様のように平然と歩いてくる。

僕にはその姿がとても恐いモノに見えた。

そんな畏怖と同時に訪れた信仰心みたいなモノにたいして必死に理性をかけ始める。

目の前で起こっていることはヤバイ事だ、どう考えたってまともじゃない。僕は友人の話に出てくる幻覚を見せるやばいクスリをやっているわけでもない、白昼堂々と夢の中に生きることなんかできない。嫌、今は毎日ファンタジーな話を描いてご飯を食べているが、それでも現実の事を忘れた事はないハズだ。

と頭の中では答えが出ているのに、僕は腰を上げて彼女にすり寄っていった。

「後ろ!」

不意にショートホープの後ろ、柱の影に隠れていた黒服の男が銃を構えて現れた。僕の注意よりも早く小さな乾いた音がエントランスに響いた。

パッと男の額に赤い花が咲いく。

振り向きもしないでショートホープの伸ばした右腕から放たれた弾丸は十メートル先の男の額を撃ち抜いた。

「まったく次から次へと・・・・・・」

少し疲れたのか彼女は小さい肩に重くのしかかった髪と赤いマフラーに気怠く手を充てた。僕は目の前に立って改めて目の前の少女に話かける。

「あんなに遠くからでも充てられるんだったら何も近付かなく立っていいのに」

うんと少し鼻を鳴らすような仕草をして彼女は口を開く。

「近くに行った方が確実に当たるでしょ、こんな小さな銃なんだからハズしたら次は自分が危険になるもの。絶対外さない距離まで近づいて弾丸を撃ち込むの。だから私は「ショートホープ」って呼ばれるの」

彼女は笑顔で応えながら、ブレザーの内ポケットから予備の弾丸カートリッジを取り出して、銃に込め始めた。

「ねえ、本当の名前は?」

「本当の名前?」

「そのペンネームみたいな名前じゃなくて本当の名前さ」

僕の質問にはまるっきり答えない彼女はこの質問も応えてくれなかった。ただ、今度はすこし迷っているのか、それともはぶらかす為のジャスチャーなのか微笑みながら僕に言った。

「田中美和に会えたら教えてあげるよ」

背中越しに指を立てて彼女は僕を制した。そして、エントランスの四台並んでいるエレベータの方へと向かった。

立ち止められた僕は遅れてショートホープの後ろに続いた。

彼女は振り向くことなくスタスタとエレベータの前に立つ。登りボタンを押すと真っ直ぐにドアを向いていた。

僕は彼女の横に立った。

何度も感じている不思議な感じ。なぜ僕がこんな美少女と、アクション映画ごっこする羽目になったのかを。

「ねえ、田中美和ってどんな人?」

「何?」

「田中美和ってどんな人かって聞いているの」

僕の顔を見ずに、彼女はすこし詰まらなそうに聞いてきた。

「どんな人って・・・・・・」

「ほら趣味とか?」

「趣味って言われても・・・・・・」

ふと僕は楽しそう教室でCD聞く田中美和の事を思い出す。

「音楽が好きで何時も知らない外国バンドのCDを聴いてたりしてた、けどアイドルグループのCD初回限定で買っていたりして、何が好きなのか。急にマイナーな映画のサントラ持ってきて良いよこれとか嬉しそうに語り出したりしなあ、よく分からない」

僕は少し唸りながら応えると、突然彼女は笑い出した。

「ハハ、良く知ってるじゃない」

「いやホント彼女の趣味は分からないよ・・・・・・」

途方に暮れた僕はエレベータの回数表示のランプを見上げた

「高校の時、昨日までロック最高といってたと思ったら急にヒップホップのCD持ってきて楽しそうに聞いてたりした」

僕はずっとジャズを聞いてたので彼女が持ってくるCDはバラエティーに富んで面白かったのを思い出した。あの時は毎週学校でお金もないからみんなで色々なCDの貸し借りをした。

僕の持っている数少ないCD、ソニー・クラークとかマイルズ・デェイビス、ビル・エバンスはとても人気がなかった。

「けど、僕の貸したビル・エバンスが良いって言ったのは彼女だけだった」

僕はビル・エバンスの寂しいピアノの音が好きだった。ちょっとだけ明日に期待させる音が好きで一時期よく聴いていた。そんなモノを聞きながらCMで聞いて、CDでまた聞き直している連中をバカにしていたのかも知れない、いや、バカにしてた。

そんな中で彼女は何でも聞いて、色々と話しかけてくれた。僕は嬉しくなって、ちょっと突っ込んだ話をしようとすると、彼女は直ぐにまた別の人間とアルバム三枚だして終わりのフォーピースバンドの話を楽しそうにしていた。

「何苦い顔してるの?」

高校の時、そんな些細なことで感じた疎外感を思い出すと自然に眉間に皺が寄っているらしい。

ショートホープが不思議そうに見上げていた、僕は直ぐに顔をそらす。

「別に・・・・・・ただ良いていったから他のも沢山かしたんだけど、全部聴かないで思い出したように返された」

「君は本当に偏屈だね、そんな旧いジャズなんて暗い音楽、女の子が聞いて共感するわけないじゃない?」

たまたまその時だけ一枚気に入っただけで、他の音楽には彼女は興味を抱かなかった。

「そう今考えれば当たり前の事なんだ、根暗な自分が悪い。けどあの時は周りが自分と同じ事を考えないことが理解できなかった」

「今は」

「女の子にはジャズの話をしないようにしている」

正解だという顔をしてショートホープは笑った。

タイミング良くエレベータが到着の音を鳴らした。

「こっちへ!」

僕は彼女に引っ張られて走り出した。瞬間、エレベータのドアが開いて中から黒い男達がみっしりと詰め込まれていた。

ショートホープが銃を撃ち込むが、他のエレベータもほぼ同時に開くと、どの箱にもまるでパック売りの総菜のように整然と同じように黒い男達が詰め込まれていた。

動作が鈍いと言うよりも、整然と統制が取れた兵隊達はゆっくりと銃を構えて僕らに向ける。

「跳んで!」

僕らは間一髪空っぽの普段は多分受付嬢が座る一角に滑り込むことができた。数十発の銃弾が僕たちを襲っている音が振動と共に伝わって来る。

「まったく、とんでもない相手」

「何人いるんだよあの黒服軍団は?」

どう考えても映画の見過ぎだと思いつつ、僕はこの異常な状況を恨めしく思った。

「あの黒服達は田中美和が生み出した自分を守るための壁なの、思いが強ければ強いほど強く、あらゆるモノを拒み排除しようと動く」

「僕は本当に彼女に嫌われているのか・・・・・・」

隣に座る真剣なショートホープの横顔に、僕はこのおかしな自体を受け入れるつもりになっていた。

「どうする諦める?」

彼女は真剣な眼差しで僕に顔を近づけてきた。入り込んだ受付場所は狭く、僕は初めて彼女の髪から漂う柔らかい臭いを鼻孔に感じて戸惑った。

「なんで君はそこまで戦おうとするんだ」

「戦わなければ手に入れられないモノばかりだから、私は逃げるのが嫌いなだけ。貴方も諦められないからこのビルに来たんでしょ?」

「ああ、そうだよ」

「さっきのCDの話、何回思い出した?」

咄嗟にショートホープは顔を綻ばせた。

「数え切れないくらい」

僕は吊られて軽口を叩く。

「他に彼女に傷つけられた事は」

「僕に散々友達の文句を帰り際ずっと喋るんだ、けど次の日その友達と楽しそうにつまらない話をしていてさ、同情した僕がバカみたいに思った」

「なんで?」

「嫌いだったら喋らなければいいのに、そうだろう?」

「女の子は集団の中に生きるモノだよ、そんな単純に割り切れるわけないじゃない」

そんなもんかなと僕はショートホープの話に感心した。この異常な状況に釣り合わない話だが、さっきから自分の高校時代、田中との思い出を振りかえると確かに彼女は非常に周りと上手くやっていた事を思い出した。優等生で誰とでも、そこそ僕みたいな根暗なヤツとも普通に話せる、誰にでも平等だった。

「僕はそれに不満だった」

「そう、色々な人と関わりを持って暮らそうとするならば心の中に沢山のエージェントを抱え込まなければ行けないの。あの沢山の人達はみんな田中美和が作り出した色んな人に対する思いなの」

そういってショートホープはブレザーの内側に両手を交差させていれる。

「だから、打ち倒して自分の存在をアピールしなければいけない」

まるで任侠香港映画に出て来るような二丁拳銃姿に僕は再び呆れた。

「貴方の今の話で彼奴等の動きが大体分かったわ」

「何が」

「所詮彼奴等はその場で適当にあしらった雑魚な感情が生み出したでくの坊達って事、だから恐くない」

僕には分からない理屈でショートホープが勝利の確信を得たのは分かった。隣で肩を並べる彼女は大好きな苺のショートケーキを目の前にした子供のように、ただ食らい付くことだけを考えているような笑顔を浮かべた。

「反撃開始」

腰を低くして彼女は目の前の一メートルもない前の壁に思いっきり足を引っかけ、三角飛びの要領で一気に受け付けテーブルから飛び出した。

僕の背中越しに沢山の銃声が響いた。

「ショートホープ」

僕は恐る恐る顔を上げて、エントランスを見上げた。

数十人にふくれあがった黒服軍団の中を、赤いマフラーが小動物の様に動き回っていた。動く度に何か乾いた音がする、黒服軍団が壊れたオモチャのようにだらしなく崩れていく。

彼らの動作は散漫で遅く、機敏で溌剌と動き回るショートホープの動きを捉える事がまったくできないでいた。

腕を様々な角度曲げて、交差させ、まるで踊るようにショートホープは銃撃戦に美しい彩りを与える。本当はものすごい早さで行われているはずの舞踏が僕の頭の中にはスローモーションでゆっくりと脳裏に焼き付く。

またひとり彼女の前に黒服の男が屈する、彼女が次の獲物に銃を向けようとするとカチッと乾いた音がした。弾切れなのか、一瞬ショートホープの途切れることのなかった動きがストップする。

それを見逃さない様に、今まで鈍重だった男達がその時ばかりは統制の取れた動きでショートホープを取り囲んだ。

「フン!」

彼女の上等だという意気込みを知らせる声と共に僕の視界からショートホープが消えた。

まるっきり僕を無視して、黒服軍団はショートホープを取り囲む、今度は同士討ちを避けるようにじりじりと彼女を追いつめた。

「ショートホープ!」

身を乗り出して放った僕の声がエントランスにむなしく響く。

「こんな雑魚に私は負けない!」

彼女の澄んだ声が響いたあと、鈍い黒服男達の一角が崩れる。倒れた男の頭には彼女の握っていた銃がぶつけられて居た。

直ぐに彼女は背中に手を回すとスカートに差し込んだもう一揃えの銃を抜き取る。まるでカンフー映画のヌンチャク捌きの様に腕を素早く動かして対角線上にあるモノを全て打ち抜いていた。彼女の腕が動く度に、鈍重な男どもは体に花を咲かせて動くのを止めていった。

「ラスト!」

活きよい良く立ち上がり、黒い髪と赤いマフラーが遠心力で美しい円を描いた。全てをなぎ払い、

両腕を翼のように伸ばして銃口を逆に捻り込むように持って立ち尽くすショートホープは神々しかった、絶対的な強さを見せ付けて彼女は黒服軍団をたったひとりで打ち破った。

黒い髪とマフラーが何事もなかったように円舞から降りてくる。

陶酔した様にショートホープは立ち尽くしていた。

その周りにはポツポツと花が落ちていた。

パンジー、マリーゴールド、タンポポ、スミレ、など小学校の花壇に有るような可愛らしい花畑の中にショートホープはその存在を誇示する。

小さな花たちがどんなに集まってもショートホープには敵わない、僕にはそう見えた。

「大丈夫?」

僕が駆け寄ると彼女は小さく息を付いた。

「まあこんなもんか」

銃を再びブレザーの内ポケットに仕舞い込むと、ショートホープは長いマフラーを翻してエレベータに向かう。

「次は多分もっと強いヤツが出てくるよ、よろしく頼むからね」

「何を」

はあ? と彼女は怒りながら僕に近付いてきた。

「聞いてなかったの?」

僕に指を指しながら彼女は語尾を伸ばした。

「敵は田中美和の誰かへの想いなのよ、どんな風に田中美和が他人と接して居るかによって敵、田中美和がこの世界で使役するエージェントの行動パターンが分かるんじゃない」

「僕がどれだけ彼女の事を知ってるかが敵をやっつけるポイントって事?」

分かってるならいいと彼女は再びマフラーに顔を沈めた。

自分で口にしておいてなんだが、無茶な話だと思った。このエントランスに散らばるのはショートホープが倒した田中美和の心の中にいる誰かなのだろうか?

ふとその中に僕が居なかったかと考えた。

田中美和の中の僕はこんな鈍重でただ都合良く動いてくれる下っ端としてしか存在されてないとしたら?

僕はこのエレベータを昇り彼女に会う必要が有るのだろうか?

「コラ、それを確かめに行くのに会いに行くんでしょ!」

まるで僕の全て見透かしているような聡明な彼女は、駄々を捏ねる子供を引っ張るように戻ってきて僕のジャケットの裾をひぱった。

僕はもうその時ショートホープには逆らえなくなっていたので、トボトボと歩いた。

「ちょっと待って」

「何、まだ悩んでるの!?」

綺麗な眉毛をつり上げて、彼女は僕と対峙した。

「一つだけ質問させて」

何よとまためんどくさそうな顔をしてショートホープが此方を見た。

「いくつ銃を隠しているの?」

僕は無造作に彼女のブレザーを開いた、白いシャツと裏地にびっしりと止められた銃を見て感心してしまった。

「変態!」

瞬間ビンタが飛んできた。

「イタイ!」

「何すんのよイキナリ!」

「いや、気になったから」

「デリカシーなさすぎ」

「何だよ、さっきからあんなにスカートの中見せてるのに、ブレザーの内側は駄目なの?」

僕の質問は愚かだったらしく、ショートホープはおもいっきり僕にローキック見舞った。

あまりの痛さにしゃがみ込むと、追い打ちで肩にも踵で踏みつけられた。

女の子の判断基準は本当に難しいと思い知った。

「早くする!」

さっさと目をつり上げてエレベータの中に入り込んだショートホープが僕を呼びつける。

僕は目の前にあった誰かの思い出、パンジーとマリーゴールドの花をジャケットの胸ポケットに仕舞った。


■3 絶対勝てない


彼女が勤める会社は独立系のコンサルティング会社で友人知人の間でも結構給料が良いと評判の会社だった。

大きくはないがこんな綺麗な自社ビルを持っているのだからたいしたモノだ。

大学を卒業してから彼女はメキメキと頭角を現し、一生懸命仕事をこなしている。らしい。

高校の時は三年間同じクラスだったけど、大学は頭の出来が完全に違うので当然違う学校になった。

彼女は都内の有名私立、僕は偏狭な山の中にある美術系の大学に何とか滑り込んだ。

毎日人が少ない下りの電車を乗って大学に通った。

「どう学校は?」

「何か遠くにあるから、毎日行くのに疲れる」

「相変わらず無精だね」

「電車来たよ」

田中が乗るのは人がギュウギュウに詰め込まれた満員の上り電車。じゃあと軽く手を振る私服姿の随分大人っぽく見えた。

こんな風に大学は違っても、田中とは朝、地元の駅でよく会った。と言えばカッコが付くのだが、僕が無理矢理電車を送らせて彼女が来るのを待っていたりした結果会っただけだ。

朝、或いは帰りに彼女と会って近況報告みたいな事をするのが楽しかった。携帯電話を僕が持っていなかったから、彼女と連絡する手段は直接会うしかなかった。

我ながら未練がましいなあと思いつつ何時もホームで彼女の姿を追っていた。

結局僕は高校三年間、田中美和の姿を追っかけていただけだった。

何でかというともちろん僕がヘタレだということも有るのだが、彼女の周りには何時も格好いい男が居た。彼女は高校生活中ずっと彼氏持ちだった。

田中美和は誰にでも屈託のない笑顔を向ける事ができる、友人知人は多く孤立した所なんかは見たことが無かった。

「それで自分から付き合ってって言ったことないんだ?」

ショートホープが少しあきれ顔で僕の顔を覗き込んで来た。

「まあ、タイミングとか分からないし」

「だって彼女何人も彼氏いたんでしょ?」

「そんな人聞きの悪い言い方するなよ」

「事実でしょ」

「別に取っかえ引っかえって分けじゃないけど、まあ直ぐにどっかから格好いいヤツ連れてくるんだよな」

僕は少しムキになって反論すると益々ショートホープは首を傾げて分からないという顔をした。

「居ないとき見計らって告白すれば良かったんじゃないの?」

「たいがいその別れる手前の報告はまず最初に僕の所に来る」

よく彼女は僕に色恋沙汰の相談をしてきた。僕は時にはそれは気味が悪いとか、相手が悪いとか経験もないのに彼女の相談に乗った。

「また怒っちゃった」

「懲りないなあ田中は」

「うるさいわね」

少し怒りながら早足で彼女は歩いた。

二人とも地元で歩いて帰る、何故か田中美和の友達は電車通学者が多くて、テストの一件以来、僕らはなんだか気が付いたら毎日帰り一緒に歩いていた。

この彼女との下校時間が今考えれば僕の高校三年間の全てだった。彼女と話すようになるまでの半年間と、田中が彼氏と並んで帰った卒業式等を除けば間違いなく殆ど毎日のように一緒に帰った。

田中には彼氏もいるのに変だなあと思った。

ただ彼女は一人になるのが恐いかのように、脇には何時も誰かが居たような気がする。その内の一人が僕だった。

まるでみんな与えられた役を演じるように彼女と付き合っていた。僕はバカだから結構それを楽しんだ。

楽だったのもある。恋人でもないが、友人よりは上の微妙な位置が心地良かった。あのポジションは彼女のことをよく見えた、近くでゆっくりと眺めることができたからだ。

「今度も別れるかなあ」

「別れたいの?」

「別れたくないよ」

下を向きながら歩く田中を見て僕は静かに頷いた。

「だったら謝れば良い」

「簡単に言わないでよ」

もちろんそれができないから彼氏相手に怒って居るのは分かっている。けど、彼女の問題の結論は彼女か彼氏が妥協するしかない。

何時もそうやって僕はオウムのように、田中の言った事に対して反対を唱える。

田中は何時も嫌そうな顔をする。

けど大概帰り際に。

「ありがとう」

と言って僕に手を振る。

頭が良い田中は何時も分かっていた。意見が合わないときどっちかが許さなければ、妥協しなければ行けないって事を。

他人に求めるモノは色々あって、優しさとかの気持ち、顔の形とかお金とかの限りあるモノを納得の行く範囲で与え合う。

与え続けていくと、やがてお互いが満足しなくなってくる。そりゃそうだ、ぼくら高校生が持っているモノなんてたいしたものはない、すぐに弱い僕らは力尽きてしまう。

与え続けなければ、食べなければ死んでしまうのと同じで倒れてしまう。一定のラインを超えると、不満だけが溜まって満足しなくなる。

満足しなくなると彼女は僕を試験管にして、今の現状を分析する。そして何か彼女には人には分からない判定ラインがあって、旧い恋に見切りを付けてまた新しい相手を探しに行った。

僕はバカみたいに、田中の「ありがとう」で何か成し遂げたような気持ちにはなっていた。彼女の助けになっていると思っていた。

数少ない僕の友人にその話をすると、皆口を揃えてバカだと言うけど、それでいいと高校生の時は思っていた。何か「本当の事」を言ってこの関係が壊れる方が恐かった。

彼女の近くに居れる理由が無くなってしまうのが恐かった。恋の鞘当てなんてゴメンだった、戦って負けるのは一番弱い僕なのだから。

「結局逃げてるだけじゃない」

嫌なことを言うと思った。隣のショートホープの目を直視できなかった。

真っ直ぐに僕の心を射抜いてくる、綺麗で嫌な目。

「まったく、あんたがダラダラ告白でもなんでも高校生の時にして振られていれば、私は呼ばれることなかったのに・・・・・・」

腕を組んでショートホープは軽く頬を膨らませた。

「ゴメン」

僕が頭を下げると、あやまるくらいなら好きになるな、と言わんばかりにエレベータのドアの前を見て無視した。

彼女のその真っ直ぐな心に僕は次第に惹かれ始めた。それが若さから来る無謀なのか、絶対的な自信から来るのか分からないが、前を向いて歩ける彼女に何時しか田中美和に抱いていた感情と同じモノが甦る。

僕は何時も迷っている。

コレでいいのか、いけないのか?

漫画を描いてお金を貰って良いのか? 明日の朝は何を食べるべきか? 今読んでいる本は本当に読む価値があるのか、この服と靴は妥当な値段か? 明日は何を食べればいい、僕は何処へ行けばいい。

自分でも驚くくらい毎日悩む、本には青春の葛藤だとかなんとか書いてある。いずれ何処かで妥協して納得するものだと。

けど僕は妥協できない。

「ああそうか」

口に出して僕は気が付いた。

「諦めがわるい」

今更かよと相づちでショートホープが笑った。

今度は柔らかい目線で僕を見る。

僕はホッとしながら別のことを考えた。会った時から感じていたシンパシー、僕はどっかで彼女に、ショートホープに会っているような気がした。

「ねえ、ぼくは君と何処かで・・・・・・」

僕が質問をしようとすると、エレベータの到着の音が鳴った。

「さあ次!」

ショートホープにドンと肩を押されて僕はエレベータの壁に寄りかかる、反動で飛び移ったショートホープと僕の前に光るモノが振り落とされる。

ドアの間から伸びたそれは何度も写真や映画で見た、鈍い光を放つ長い剣。

「なんだ」

僕が尻餅付くと、エレベータの中にはガチャガチャと音を立てて剣の持ち主が入ってきた。鉄を何枚も重ね合わせた鎧の質量を見せ付けるように、ゆっくりとそいつは僕の方を、重そうな兜を僕の方に向ける。

豪華な装飾が施された西洋鎧はそれだけで威圧的だった。さっきの黒スーツの男達はまだ話が伝わりそうだったが、コレは駄目だと直感した。

見るために開けた穴の中にらぎらついた目が光った。大きな目が、また格好いいヤツがこの中に入っているのだろうと思った。そんなことを考えている時間があれば逃げればいいか、狭いエレベータでは身動き取れない。

突然騎士の素顔が露わになった。そして、そのままぐしゃりとエレベータの中に倒れ込んだ。

「簡単に取れるのねヘルメット」

大きな被り物を拾い上げてショートホープは感心していた。

そのままヘルメットを手に引っ掛けて、廊下に向かって投げ捨てる。ヘルメットは放物線を描いた後ごろごろと転がり、二、三メートル程の幅の廊下にずらりと並んだ騎士達の足下に転がった。

僕が見たくもないものを見たからか、自動ドアが閉まっていった。何だかホッとしたが直ぐにまた開いた。

開いたり閉まったりを繰り返している。最初になだれ込んできた騎士の、倒れた体に当たる度にドアは申し訳なく開くが、しつこく何度も同じ動作を繰り返す。

「ナイトか、これまた厄介ね」

目の前の甲冑軍団を前にして、ショートホープは何処か楽しそうだった。

「銃が効かないの?」

「一発で仕留められる急所を、全て厚い鉄板でガードしてる」

さっきまで頼りがいのあったショートホープの拳銃が確かに急に頼り無さそうに見える。

「この廊下の突き当たりでしょ、彼女が居る所って?」

「ああ多分」

何の根拠もなかったが、彼女はそこにいると確信はあった。

あの居並ぶ騎士達が証拠だと僕が指を指すと、ショートホープは嬉しそうにまた微笑んだ。

「正面からぶつかったら粉々」

居並ぶ騎士達はまったく動じていなかった。来るなら来いといわんばかりに彫像の様に並び立つ。重なっていてよく見えないが、数は六、七人と行ったところ。

鈍い灰色をした鉄の壁を前に、ショートホープの華奢な体は簡単に押しつぶされてしまうのは容易に想像できた。

「さて、どうする?」

自分に言い聞かせたのか、それとも僕に質問しているのか分からないほどのショートホープの小さな声に僕は緊張した。

「コイツらの鎧って本当に重いな」

エレベータの中に転がる最初の騎士の体を起こしてみる。何か弱点がないかと思ったが、その重さに希望も薄れた。

騎士の後ろの後頭部に咲く花が少し笑いを誘ったくらいだ。どんな顔した間抜けなヤツだと思ったので顔を覗き込んでみる。

「小安康晴?」

特徴的なふと眉毛と大きな目をみて僕は口にその名前を出した。瞬間そいつの体はまた煙のように消えて、小振りな赤いカーネーションだけが床に落ちた。

「知ってるの?」

「ああ」

「嫌そうだね」

ショートホープの問いに僕は露骨に嫌悪感を込めた。

そうだこの顔を僕は知っている、そして思い出したくない事を知っている。

「誰?」

「田中美和の最初の彼氏だよ」

あーという口を開けて、ショートホープは銃口で扉の開けるボタンを押しっぱなしにした。

「フルネームで覚えてるのね」

「ああ、忘れたくても忘れられない」

小安と田中が付き合っていると聞いたときはそんなモノかと思った。小安は面白いヤツでとにかく良く喋って、何時も友達と居る賑やかで社交的なヤツだった。自分と正反対なヤツと田中が付き合っていると聞いて悲しいとか腹が立つとかよりもホッとしたのを今でも覚えている。

「コイツは付き合った期間長かったな」

「どれくらい」

「半年・・・・・・なかったかな」

「短くない?」

ショートホープが眉間に皺を寄せる。

「いや、長い方だ田中にとっては」

「取っかえ引っかえじゃない」

「それでも田中にはルールがあるんだよ、付き合っているときは他の男には脇目もふらない」

「なんで?」

それは僕にも分からなかった。一人で居るのがただ寂しいだけなのかなとも思ったが、何時も田中の彼氏の選び方は自動的だった。なくなったら自動的にリロードされて元通りなる。そんな感じで彼女は男に不自由しなかった。

「もしかしてアレ全部彼氏?」

そう言われて僕は数を数えた。

「小安、神田、西尾、林、加藤、深井、遠野先輩・・・七人で数は調度合っているな」

「それ全部高校の時?」

「いや、遠野先輩は大学に入ってから」

「つーかさあ、あんた全部名前覚えているの?」

「変かな?」

不思議そうに聞くショートホープに返答したら、彼女は呆れ顔であいた方の手で髪をすくう。

「未練なの?」

「そういうのじゃないと思う」

ショートホープの質問もよく分からなかったので、僕の応えも必然的に曖昧になった。自分でも分からない。なぜか田中の付き合った男の名前や容姿は良く覚えている。

「まあ、自分にはないモノを持っているから羨ましかったのかもしれない」

「自分を重ねるの、あの隣にいるのが自分だったらなあとか」

「そうかもな」

目の前に並ぶ騎士達を見て僕は色々と思い出した。

あの背が一番高いヤツは二番目に付き合ったバスケ部の神田だろう。アイツと田中が並んで居るときは本当に大人と子供が並んで歩いているみたいだった。

神田は良いヤツで同じクラスだったのでよく話した。偶にテストの時とかに帰りの時間が一緒になると、僕は気を遣って肩を並べる二人の後ろを付いて歩いた。

神田が大事そうに、何か田中を守るように歩いているのが印象的だった。離れずに、けどくっつくわけでもなく微妙な距離を神田が気を使って保っているのが印象的だった。あの間に割ってはいるモノなんて無いんだろうとその時は漠然と感じた。

それからすぐ別れることになったと田中の口から聞いた時、僕は相変わらず自分の目は節穴だと思った。あの距離はきっと変わらないと僕は勝手に信じていたが、田中の心はもう離れていた。

「まあアイツラをかたづけないと先に進めないしね」

エレベータのエントランスには通路は三つある。左と右にも通路があるがすぐに壁にぶつかる。奥の田中が居るはずのフロアーにはあの鎧の壁を越えていかなければならない。

相変わらず騎士達は動くつもりがない、微動だにせずにその場に立ち尽くす。絶対的な王を、いや悪い魔女から守る為、塔に隠された姫様を守る忠実な騎士達だ。

「動かないならこっちから仕掛けないとね」

ショートホープがろくでもない事を思い付いたらしく、日向に当たっている猫みたいに口元をニンマリと歪め、僕に手を差し出した。

「一人か二人くらいには嫌われてたんじゃないの?」

「ああ、妙に突っ掛かってきたヤツは居た」

僕はショートホープの言葉で意味もなく殴られた事を思い出した。それは三番目に付き合ったサッカー部の西尾の事で、帰り前に呼び出されてイキナリ殴られた。

殴った後に人の彼女に手を出すなとか何とか言ってきた。別に何もしてないだろうと言うと、昨日楽しそうに田中と肩を並べて帰っただろうと鬼の首を取ったと言わんばかりに僕らの何時もの下校時の話をしてきた。

僕にはそれは前の彼氏が居たときもそうだったし、何か特別なことには思えなかった。

けど西尾は違った。自分の彼女は自分だけのモノだったらしい、僕は泥棒呼ばわりされた。

二度と一緒に帰るなと言い放って、西尾は僕の前から消えた。殴られた左頬にはまだ鈍い痛みが残る。僕は納得が行かないまま下駄箱に行った。

「やっと来た」

田中が僕を待っていた。

「あれ、頬どおしたの? 腫れてない?」

心配そうに近寄ってきた田中に僕は何でもないよと手を振った。そして彼女の左側に立って、並んで帰った。

そして次の日も、また次の日も事あるごとに西尾は拳を振るってきた。僕はそのたびに田中と帰った。

流石に三度目になったとき、田中が心配そうに、ポケットからハンカチを出した。

水道で少し水に浸すと僕の晴れた頬にハンカチを置いた。

「大丈夫、一体何をしているの?」

僕は別にと何故か事実を喋れなかった。

「いじめ?」

「違うよ」

「じゃあどおしてこんな酷い傷を受けるの?」

君のせいだよとは言わない。結局西尾がぼくを呼び出すのはその日で最後になった。人伝に次の日田中と西尾が激しい口論をしていたと聞いた。そのあとすぐに西尾と田中は別れた。

「まああんたみたいなヤツが彼女の横にいたら普通落ち着かないモノね」

「そういう・・・・・・」

そういうもんかなあと文句を言おうとした僕に、ショートホープは手を差し出した。

とても小さい手。

濡れたハンカチを当ててくれた田中の手を思い出す。

僕が無意識にショートホープの手を握る、彼女は強く握りかえした。そしてだらしなく腰が引けている僕を引き起こすと、一気に走り出した。

「それじゃあ壁を崩そう!」

走り始めた彼女は急にその足を止めた。

「わわ」

急に止まったショートホープを追い越して僕は騎士達の前に差し出される格好になる。飛び出して来た僕に、騎士団の一人が突然足並みを乱して走り出しす。ガチャガチャと鉄のプレートとプレートが擦り合う音、付けてる面に開いた穴から眼光が僕を刺した。何時かの悪意に満ちた目、殴られたときの西尾の目だ。

「うわああ!」

思わず悲鳴を上げた僕の前にショートホープは悠然と西尾と僕の間に入って来た。

「まず一人!」

西尾は剣を横に倒して僕の体を突くつもりで突進して来る。それを半身を曝してショートホープは待ちかまえた。

「下がって」

僕はすぐに腰を落として何歩か後退する。すぐに剣を横にした平突きが跳んできた。

僕の目の前にショートホープはまた風に揺れる木の葉のように、無駄のない動作でヒラリと切っ先を避ける、同時に右手に握っていた拳銃を左手に持ち変えて、西尾が伸ばしてきた右腕に自分の左腕を巻き付けるように下から突き上げた。二人の体が重なる頃、ショートホープの銃は西尾の兜の下、ノドにピッタリとくっついていた。

短い射撃音、一瞬の交差、芸術的なカウンターでショートホープは西尾を倒した。

残りの五人は体制を崩さずにその場を堅持した。

「さあ次!」

またもショートホープは僕の手を握って騎士達の前に投げ出した。今度は誰も引っ掛からない、ただ彼らの持つやけに蛍光灯の灯りを浴びて光る剣が僕の目の前にずらりと並んだ。

瞬間何かが僕の横を駆ける、それが赤いマフラーだと気が付いたときには騎士の一人が倒れていた。

廊下の壁を蹴って活きよい良く一番背の高い神田に向かってショートホープが放った蹴りは見事に彼の顔面にヒットして、廊下に倒れた。そして倒れたときに兜が外れ、あの優しい顔が現れるとそこに向けてショートホープは躊躇泣く引き金を引いた。

残りの四人はすぐに身を翻すが、やはり鎧を付けているので動きが鈍い。その隙にショートホープは軽い身のこなしで、彼らの壁をすり抜けようと突っ込む。刃が交差するがどれもねらったように彼女を捉えることができない。

「無茶をするなよ!」

「無茶でもしないと、アイツラなんか倒せない」

何事もなかったように戻ってきたショートホープ。けど、微かに上下する胸のラインに僕はギリギリの戦いが続いていることを知った。

「後四人」

彼女は僕の心配なんか気にせずに、ひたすら眼前の敵を睨み付ける。

何処までもこの娘は真っ直ぐで、僕はその時初めて怯えた。一途で迷わない強い精神。そんなショートホープを見て突然騎士の一人が兜を取った。

四番目に付き合った林の顔だった。細い目で此方を見ている。

他の騎士も続いてヘルメットを外す、加藤、深井、遠野先輩の懐かしい顔が次々と表れる。みんな、高校時代の顔だった。

そして剣を構えながらジリジリと距離を、皆でタイミングを合わせながら。一人が肩当てを外している間にもう一人がショートホープと僕との距離を詰め、外し終わったら再びジリジリと歩み寄りもう片方が鎧を外す。

身軽なショートホープに対抗するために装甲を外したのか、それとも数が減って、廊下に壁を築くことができないので僕たちを消す方へと方針転換をしたのだろうか?

高校の時は良く喋っていたコイツらも、今は一言も発していなかった。静かに、見たこともない敵意を僕に向けてきた。

「コイツら狙いを私に絞ったわ」

横に立つショートホープは不敵な笑みを浮かべた。

「君に?」

「貴方は後でいくらでも料理できるって事」

「まあ僕は君みたいに上手く剣を避けられるとは思わないけど」

諦めの言葉を口にして、ハッとした。またショートホープに怒られると思ったからだ。

「まあね」

こんどは軽く受け流す。そう、もうショートホープには眼前の敵しか見えていない。彼女の小さな顔の中に入っている脳の中には眼前の難敵をどのように打ち倒す方法しか浮かんでこない。

「ねえ、アイツラの事教えてよ」

「アイツラ?」

僕は「敵」になっている田中美和が作り出した彼らの事を教えることが勝利の近道だと言うことを忘れていた。

だから彼らの目の前で恥ずかしくもなく、ベラベラと特徴を喋った。

「右前に居る林は、一年後輩で下駄箱にラブレターという最臭兵器を使った強者ですぐに自滅した。その横にいる加藤は田中の友達の彼氏だったんだけど途中で鞍替えして周りにヒンシュクを買った、浮気性で何時もじっとしてられないタイプ。その後ろに居る深井は金持ちで三年の時田中と付き合って毎週のように彼女とデートを繰り返してた、別れたとき今までプレゼントしたモノ全部返せと言って田中を呆れさせてた」

そう、そして全部箱から包装用紙全て取っていた田中は綺麗に全て貰ったままでかえして、深井の度肝を抜いた。

僕はその時荷物持ちだったけど、あの時の深井の顔は面白かった。流石に僕も同情した。

「最後の一人は?」

クスクスと笑う僕に少し呆れながらショートホープは一番後ろの髪の長い男を指す。

「ああ遠野先輩か」

今生き残っていると言って、別にみんな本物は死んでいないので不思議な感じを感じながら、目の前にいる四人の最後尾に居る遠野先輩はやはり格好良かった。

一年先輩で彼女が通っていた塾の先輩、彼女が通った大学に入っていて、卒業前に色々とアドバイスしているウチに付き合うことになった。僕と田中が並んで帰っている所を見ても、気軽に声をかけて来て、前の奴らとは器が違うのを感じた。

身なりも清楚でブランドをさりげなく着こなしていた。家も金持ち、性格も良くて、親から免許取った記念に貰ったBM乗って田中とドライブに行ったりしてた。

僕は遠野先輩の話を聞く度に、ああ田中は色々な「試験」の結果、最良のモノを手に入れたんだなあとおもった。

「遠野先輩ほど完璧な人は居なかったよ、あの人は何でもできる」

「随分投げやりな評価ね」

「絶対評価だよ」

「そんなに絶望したの?」

ショートホープは何時も確信を付いてくる。そう、僕は遠野先輩の話を聞いたとき絶望した。どう考えても遠野先輩が持っているもの以上を僕は田中に与えられるとは思えなかった。

僕には落書きを描くくらいしか芸が無く、ましてや生きる上での余裕を生み出せる人間ではない。

「やっぱ世界には完璧なヤツって居るんだよ」

その一人が遠野先輩だと思っていた。

「けどその人も今は田中美和の心の親衛隊の一人よ」

ということは別れたんでしょ? とショートホープは目配りする。もちろん彼女の疑問は分かる、僕もそれだけはずっと疑問だった。

大学に入ってから別れたので僕には別れた理由はよく知らない。

「そうなんだ、なんで遠野先輩と・・・・・・」

僕に回想シーンへの入場を断るように、ショートホープは僕を突き飛ばした。

瞬間に林と加藤が同時にショートホープへと斬りかかった。

二人の斬檄をワンステップずつでショートホープは避ける。よける時に右から斬りつけた林に一発、左から斬りつけた加藤の頭に一発ずつ花を咲かせる。

僕がおかしいと思ったのは次の一撃、深井が剣を横にしてなぎ払う様な形でショートホープを斬りつけてきた。廊下いっぱいに広げた剣はそのまま細いショートホープの上半身と下半身を分断しようという勢いで直進してきた。

寸前の所でショートホープは体を崩しその斬檄を避ける。無防備になった側面へ両手の拳銃で銃撃を放つ。

一瞬の攻防。

その時僕もショートホープもしまったと後悔する。

一連の騎士達の動きは全てはショートホープの動きを止めるためのモノだった。

「ショートホープ!」

長身の遠野先輩が体重を掛け、全てを終わらせる決意の剣を突き刺す。

床のマット敷きのタイルに太い剣が突き刺さる。

ショートホープのしなやかに躍動していた体を繋ぎ止める杭のように、先輩の体がショートホープに被さる。

最後、何時も最後は遠野先輩だった。あの日、高校の卒業式。最後の登下校もあの人が僕の大事なモノをさらっていった。

今日も目の前で僕の大事な・・・・・・ショートホープは大事な何だろう?

パートナー? 随分一方的に巻き込まれたから違う。

友人? 今日初めて会った、そしてもう会わない気がする。

目の前の光景に混乱しているのか、一連の狂騒に疲れたからなのか、何時もの様に不様に僕はただ立ち尽くした。

大事なモノが無くなったのは分かる、けど納得したくなかった。

ゆっくりと遠野先輩が崩れる。突き刺した剣から手を放してうつ伏せに倒れ込んだ。

ショートホープの左手の銃が斜めに立って見えた。

よく見ると倒れた遠野先輩の左側面には女の子の花飾りのように黒い髪に咲いていた。

「本当に造作の整った顔ね」

頭を動かしてちょうど目の前に倒れ込む遠野先輩を見て、ショートホープは簡単な感想を漏らした。

僕は重い腰を上げて彼女に近付く。

「抜いてくれる?」

ショートホープに突き刺さっているように見えた剣は寸前の所で胸の脇で止まっていた。後数センチずれていたらと考えるとぞっとした。僕はすぐに剣を引き抜いた。同時に他の騎士達と一緒に遠野先輩も剣も雲のように消えていった。

「まったく、穴開いちゃったじゃない」

ブレザーに綺麗な縦のラインが付いた。背中の方の生地まで穴が開いている。それだけは現実だった。

「ねえシャツ?」

「ああ、少し擦ったみたいだね」

ブレザーの穴を見る時にうっすらとシャツに赤いシミが見えた。

「ギリギリ切っ先をずらすことができたからね。最後にアイツが私に剣を突き刺してくるのは分かってたけど、右腕で三番目のヤツに打っちゃったから切り返す時間が無くて、咄嗟に気づいていないふりして右手を開けて誘ったの。そこで半身を右側にズラしつつ左手の銃を上げないで丁度良いところに頭の高さが来るまでじっと我慢」

簡単に言っているが僕にはそんなことがあの一瞬に考えられるとは思わなかった。

「下手に先に動いたら何処に打ち下ろされるか分からなかったから、いい男でカッコ付け屋だから綺麗に心臓ねらってくると思った」

予想通りと笑顔で応えたショートホープは何も問題ないと立ち上がり、軽くスカートを払って僕に指さした。

「さあ、全て打ち倒したよ」

最初に会った時と同じ、零れるような笑顔で彼女は僕に微笑む。

「あの扉の向こうに田中美和が居るんでしょ?」

さあと言って彼女は僕の手を引っ張る。

「ねえ、何で君は僕の為にそこまでしてくれるの」

傷つきながら、僕の敵を倒してくれた事に僕は根本的な疑問を持った。

「貴方が私を呼んだのよ」

僕の腕を引っ張りながら、ショートホープは廊下を突っ切った先にあるドアへと僕を導く。

「僕は本当に君を呼んだの?」

「貴方が呼ばなければ私はこの世界に居ない」

突拍子のない言い方に僕は閉口する。彼女とは外見的には十歳は離れているように見えるだろう。けど、精神的には僕よりもずっと大人びている。

「僕はどうやって君を呼んだの?」

「毎日のように思い出してるでしょ」

「毎日?」

「飽きもせず単純に、刷り込まれた記憶を頼りに夢を見ているように思い出している。自分の事なのに他人事みたいにしてただ突っ立て居るだけ」

「僕は君に会ったことあるのか?」

「あるといえばね」

前を向いたままショートホープはポツリと言った。

「ちょっと待って」

僕は彼女の引く手を止めて、その場に立たせた。

「ちょっと痛いじゃない!」

「僕は君と、どこで会ったんだ?」

僕の問いに相変わらず彼女は答えない。

「そんなことどうでも良いじゃない、早く田中美和に会いたくないの?」

「会いたいけど、僕は君と会ったときのことも重要な気がする」

僕はその時初めてショートホープの瞳を覗き込んだ。

真っ直ぐで大きな瞳、小さな顔と黒い艶やかな髪。意志の強そうな眉と、丁度良い大きさの唇。絵に描いたような造作の整った顔だった。

男じゃなくても自然と好意を持つ、そんな顔をマジマジと見る僕からショートホープは恥ずかしそうに視線を逸らした。

「キモイ」

率直な言葉に僕は慌てて手を放した。

「ゴメン」

「謝るくらいならやらないでよ」

俯く彼女を見ていると、僕は頭が痛くなる。何か、嫌なモノ、嫌なことを考えている時に出てくるあの鈍い痛みだ。

最近仕事で味わうようになった胃がキリキリと痛むあのとがった痛みとは違う、ドロッとした汗のようにまとわりつく鈍い痛み。

「何時も、そうやって聞き分けが良い振りをして貴方は何もしないじゃない・、そんなんだから不安になって、私は・・・・・・」

「君は一体・・・・・・」

その時、僕らの会話を一瞬にして断ち切った光があった。

まばゆい閃光。僕の喉元を光が走る、一瞬にして腰を屈めたショートホープは振り向きざまに銃撃を放つ。

堅い音、金属と金属がぶつかった音、それも凄い早さで。

目の前に表れたうす茶色の袴姿、その男はショートホープの放った弾丸を刀の唾で受け止めていた。

「自分のサムライ」

ショートホープの声に初めて緊張が走った。

「知ってるのか?」

「最強の敵、エージェントやナイトが何人いようとコイツ一人には敵わない」

慎重にショートホープが体を起こす。少し後ずさりして、僕に触れる。

小刻みに彼女の体が震えているのが分かった。

田中美和に会うために僕と彼女はここまで来た。いや、僕はただショートホープに連れて行って貰っただけで、何もしてないが、僕たち二人は大きな壁にぶち当たった。

「ここより先、立ち入ることはかなわん」

聞いたことの無い声だった。

「誰?」

「何言ってるの?」

ショートホープが銃を構えながら僕を叱咤した。

「よく見て」

彼女の銃口の先、刀を降ろし男が顔を見せた。

見覚えのある、無精髭とボサボサの頭の男。如何にも浪人といった風情の時代錯誤な男。これのどこに僕がショートホープに怒られる理由があるのだろう?。

「あいつは・・・・・・」

呆ける僕に、ショートホープが溜息を付いた。

「坂上泰二」

僕の名前だった。



■4 三度世界を滅ぼしても



あれは大学二年の時だった。田中に美術館のチケットが余ったから一緒に行かないかと誘われたのは。

大学に入っても多少の親交はあって、朝の電車と友達同士の飲み会で会うことくらいはあったが、デートに誘われたのは高校時代を通しても初めてだった。しかも田中からで僕は最後まで何の冗談だろうと思っていた。

嬉しい反面恐かったのを覚えている。

最初の誘いの連絡があった時、僕の当然の疑問に彼女はだって絵を描いているんだから、興味があると思ってと言った。

僕は確かに美術系の大学に進んだが、絵画はサッパリだった。

「ああ興味あるよ」

電話ではあっさりと嘘がつけるモノだと思った。

当日、久しぶりに身なりを整えて、美術館の最寄りの駅で待ち合わせした。

「ちょっと素通りしないでよ」

「えっ?」

白いロングスカートに青い上着、長かった髪を肩口まで切っていたので全然気が付かなかった。休みが続いて顔を見ていなかった、久しぶりに見た彼女は何処か別人のようにたたずんでいた。

私服姿も見慣れたと思ったけどこの日は何時もと様子が違った。

「雨降っちゃったね」

朝から曇り空だったのが耐えきれなくなって雨がボタボタと落ちてきた。

朝から田中と会うことしか考えていなかったので、傘なんか持ってない。見ると彼女の手にも傘がなかった。

「傘、買ってくるよ」

僕は彼女を置いて近所のコンビニまで走った。すぐにビニール傘を二本買ってバカみたいに後悔した。

「ありがとう」

同時に小銭を出そうとする彼女を止めて、僕は傘を持った手で指さす。

「じゃあ行こうか」

一歩踏み出した僕に田中はそっちじゃなくてこっちだよと僕が進もうとした反対の方を指さした。

僕が笑うと田中も笑った。

何だかそれで緊張がほぐれた。もちろん緊張していたのは僕だけだ。

田中は何時もと変わりなく色んな事を喋った。

「ねえ、同じクラスの優子のこと覚えてる?」

「ああ桜庭?」

「そう桜庭さん、今度留学するんだって」

「へえ何処?」

「ドイツだって」

「ヨーロッパか、なんかイメージ的にアメリカ西海岸って感じだけどなあ」

「サンディエゴとか」

「そう、インディコブルーの空の方が似合いそうだ」

桜庭はクラスの中で人一倍元気な女の子だった。何かとリーダーシップを取ってはイベント事に力を発揮した。

田中と喋っている姿をよく見た。彼女も高校の地元組で、田中と同じ中学だった。

「成人式の日、二次会行かないでさっさと帰ったでしょ?」

「ああ、顔だけ出すつもりだったから」

田中の顔見て、周りに色んなヤツが遠野先輩とまだ付き合ってるのかとそういう話題ばっかりしていたので、すぐに興味が無くなって家に帰った。

「優子残念がってたよ」

「なんで」

「話したかったって」

まだ何でだろうと疑問に思う僕に、彼女は傘で表情を隠す。

「高校の時、優子は坂田君の事好きだったみたいだよ」

「初めて聞いた」

「私も初めて聞いた。ドイツに行く前に、話をしたいって言ってたけど結局何も伝えないで行ったのね」

雨の音が強くなった様な気がする、彼女の言葉が聞こえないのはそのせいだろうか。それとも僕が聞きたくないだけだったのだろうか。

今でもよく分からない。

分からないうちに美術館について、田中渡されたチケットを手に中に入る。僕には絵画は分からないし、田中もそんなに詳しい筈はない。

平日の美術館は空いていて、まばらな人影ですこし安心した。

「流石に平日の美術館は空いてるね」

「あんまり人が多いところ好きじゃない」

僕の一言に田中はクスッと笑った。

「正直あなたが成人式出て来てビックリした」

「僕が?」

「周りと連んでいるところ見たこと無いモノ」

「まあ、半分以上親にスーツ着せられて行ってこいって。親孝行だからって言われると反対できなくて」

就職したら使うと上等なスーツを作ってくれた手前、行かないわけには行かなかった。

「変わったね」

「そうかなあ」

そんな会話をしているウチに展示コースに入った。

矢印通りに絵を見ていく。カンバスに描かれた大きな絵画が目の前に表れる。

ここはあの主線のない印象派の絵が常設も含めて多く展示されている美術館で、今回も海外から借りたモノを中心に特別プログラムとして組まれたモノらしい。

滅多に美術館なんて来ない人間には、薄暗い地下の中、数十分も歩かされるのは疲れる。

周りは静かであまり会話もできない。久しぶりにあった田中とも展示中はずっと隣で立っているだけだった。

時々気づかれないようにチラッと彼女の方を見た。

少し笑っているように見えたのは気のせいだろうか、目の前には明るい淡い色遣いの公園で休息する人々の姿を描いた絵画があった。静かで安らかな姿、僕らの喧噪に溢れた日常とは何処か遠い世界のように思えた。

「綺麗な絵だね」

ぼそっと呟きながら、彼女が僕の方を向いた。慌てて僕は絵画のほうへ視線を戻す。

そして気が付くと田中は次の絵に向かっていた。

そんな事を数回か下手すれば数十回繰り返したかも知れない。

常設展示も含めて二時間以上、僕らはタップリと文化的な事をした。もちろん僕の頭の中には田中の横顔しかインプットされてない。だからパンフレットを買うわけでもなく、手ぶらで美術館を出た。田中も同じで僕らが持ち帰ったのはチケットの半券だけだった。

「どうだった」

「楽しかったよ」

「そう、良かった。絵に興味ありそうなの周りに君しかいないからね」

それが僕らの感想の全てだった。僕もそれ以上のことを彼女に聞くつもりは無かった。

外の雨は相変わらず続いていて、美術館の周りにある公園を歩く気力も萎えて行くようだった。けど僕としてはまだ田中の隣に立っていたかった。つい数年前には毎日あった僕の居場所。

今はこうやって偶然が重なり合わない限りあり得ない。

芸術とは対極的な俗事にまみれた僕の頭の中ではこれからどうしようかと様々な事柄が駆け回っていた。

中途半端な時間だったので食事に誘うのも気が引けるけど、美術館のチケットの御礼を現金ですませるのも気が引けた。かといってもう少し時間を潰す方法も思い付かない。

「ちょっと歩かない?」

僕の何も決まらない頭を覗いたのか、田中が傘を差して美術館を出た。慌てて後に付いていく。

「今日はありがとう、誘ってくれて」

「さっきも言った」

「いや、ホント嬉しかった」

顔をみて田中は簡単に前を向く。

「どおしたの?」

「いや、なんでもない」

何でもないはずないのに、僕は嘘を付いた。誰に? 自分にだ。

「ねえメールアドレス持ってる?」

「ああ、あるよ」

「携帯買ったの?」

「いや、家のパソコン」

「パソコン使えるの?」

「親のだよ、大学のレポートとかで使う。メールアドレスは大学から貰った」

「相変わらずそういうのに弱いね」

「家か大学にしかいないからそれで十分だよ」

「私、家に電話して親に変わってもらうなんて久しぶりだったよ」

今日の誘いを受けるとき、家に電話が掛かってきた。その時の親のはしゃぎ振りに僕の方が覚めた。

「携帯なんか必要ないよ」

「そうか、やっぱり強いね君は」

そういって彼女は僕にカードを渡した。手書きで書かれたメールアドレス、僕がそれを受け取とると彼女は立ち止まる。

「じゃあね、さようなら」

急な別れだった、田中らしい。

「ああ」

僕は声にならない呻きを上げるので精一杯だった。

結局また一方的だった、そう思って真っ直ぐ歩く彼女を見送った。

つい二年前の出来事をまた繰り返す。二十歳を過ぎて、一年が思っていたより短いのに気がつき始めた。けど、あの日々のことをこんなに毎日思い返している自分は一体何がしたいんだろう?。

立ち止まったまま彼女を見送る。青い彼女が真っ直ぐ進む、白いスカートが小さく揺れていた。

顔の表情が分かるか分からないか位の距離で、彼女が突然こっちを振り返った。

田中が帰り際振り返ったのはそれが初めてだと思う。

少し傘を上げて見えた表情、彼女は泣きそうな顔をしていた。

その時の僕はただ雨が降っていたからそういう風に見えただけだと思った。

自分がどんな表情で彼女を見送ったか分からない。あの時は本当に心を落として来てしまったみたいに空っぽだった。ただ、立ち尽くして傍観していた。田中のことも自分のことも。

その日の後だった。友人を通して田中が遠野先輩と別れたと言うこと聞いたのは。

それから彼女に付き合っている人間がいるという話は聞いていない。

「チッ」

軽い男の舌打ちが聞こえ、顔は何処か嬉しそうだ。

女の子の荒い息継ぎが聞こえる。顔は苦悶の表情と喜びの表情がめまぐるしく入れ替わっていた。

「しつこい」

ショートホープと僕、いや田中が作り出した僕は狂おしい程近くで打ち合っていた。ショートホープの弾丸を引き金を引くタイミングでサムライの僕がかわす。

かわしたと同時に斬檄が飛ぶ、避ける度にショートホープの髪とマフラーが踊る。今までにあった余裕は何処にもない、少しでもタイミングがずれればマフラーごと、首を持って行かれる様な緊迫した空気が僕を動けなくする。

激しく、お互いの立ち位置が入れ替わる。

「あぁぁぁ!」

野太い声が廊下に響くと同時に、サムライは刀を片手で持ち替えて突き崩す様に突進した。咄嗟にショートホープが反撃を試みるが、弾丸は彼を捉えることができず懐に入り込まれた。

紙一重の距離で交差して、かわしきれなかったショートホープが脇に転がる。

そのチャンスをサムライは逃さない、執拗に刀を突き刺そうとショートホープへ襲いかかった。

倒れ込みながらもショートホープは背中に仕込んだ最後の拳銃を取り出し乱射した。今までの相手を葬る一撃でなく、闇雲に乱射して、相手を近づけさせない打ち方。それだけ余裕がないのだろう。

渋い顔をしてサムライは身を引いた。初めてお互いの距離が数メートルと離れた。

「ショートホープ」

僕の声に彼女は息苦しい声で答える。

「大丈夫、私は負けない」

「もういいよ」

「また逃げる気!」

ショートホープの声は静かに廊下に響いた。

「目の前の敵は打ち倒さないといけない敵よ、アイツを倒さなければ田中美和には会えない」

「会ってどうする!」

会って僕はどうすれば良いんだ? 仕事で疲れて弱り切っていた彼女に優しい言葉を掛ける? それで彼女は助かるのか? それだけの為に僕は女の子に銃を持たせて戦わせているのか?

疑問だけ心に浮かんで来る。

「会ってから考えればいいじゃない、田中美和のことしか考えていないのなら会って本物の田中美和と話せばいい。貴方が作った自分の田中美和なんかじゃない本物の田中美和と」

ショートホープは脇腹を押さえながら苦しげに呟いた。

「貴方は何時も真っ直ぐな目をしていた、ああいう風に妥協も許さずただ一つのことを好きなように好きなだけ見ていた。だったら最後までそれを貫きなさいよ、駄目だ駄目だを並べて動けなくなる前に動いてよ、迷っているふりして先に自分で勝手に出した答えに満足しない」

一方的な言葉の羅列に僕は混乱した。何かが僕の中で壊れた。

「ひとりで何でも抱え込んで。自分だけの世界で満足して、それで楽しいかも知れないけど、それじゃ周りの人間は辛いだけよ。貴方みたいに一人が好きでそれに耐えられる強い人間ばかりじゃない」

最後に並んで歩いた田中の顔を僕は想像した。透明なビニール越しに見た彼女の顔、今目の前にいるショートホープと同じ苦悶を浮かべていた。自惚れじゃなくて、彼女は寂しかったんだ。僕は何時もそれを無視してただ都合の良い解釈を繰り返した。

綺麗で曲がらないモノをそのままにしたかった。

「手を繋いで引っ張って欲しい分けじゃない、後に付いてきて欲しい分けじゃない。ただ隣にいて欲しいだけ」

その時僕は自分がバカだった事に気が付く。

本当に気が付いた。

頭が痛い、指先が痺れる、後悔から来る恥ずかしさが僕の体を焼いた。

体が初めて動いた、僕はショートホープの左に並んだ。

目の前に僕が立っていた、相変わらず敵意を放っている。真っ直ぐにショートホープへ。

「ショートホープ、君の前に居る男の弱点は知ってる?」

「もちろん」

「じゃあ、決着を付けようよ」

僕の言葉にショートホープは応えなかった。。

一閃、サムライの男が駆ける、立った数歩の距離をを一瞬で渡りきった。

同時にショートホープも一歩前に踏み込む。サムライとは対照的に、横断歩道を渡るような自然さで。

捕ったと男は確かな感触を感じただろう。白刃がきらめき孤を描く。

そしてショートホープの驚きの顔ではなく、柔らかな笑顔に一瞬の躊躇が生まれる。

その瞬間懐に入り込み、ショートホープはいつの間にか解いたマフラーをサムライの腕に巻き付けて自由を奪った。

それでは決着が付けられないぞ。

サムライは多分そう思っただろう、僕もそう思ったからだ。

「だから決着を付けるよ」

僕はゆっくりとショートホープから借りた銃を構える。

絶対外さない距離、おまけにショートホープがサムライを捕らえて話さなかった。

「僕はお前が大嫌いだ!」

俺もだと訴えてきた眉間に銃弾を打ち込む。

自分と同じ形をした顔の額にバラの花が咲いた。


扉を静かに開ける、広いフロアに彼女は居た。

空調の音が少しうるさい、フロアの半分以上は電気が消えている。薄暗い中、パソコンのディスプレイだけが彼女を照らしていた。

この部屋に入って急に音が聞こえるようになった。

ロビーの大乱闘、廊下の決闘中も何か静かだなあと思っていた。あれだけ騒いでもセキュリティー一つ動かないのはやはりこの世ならざる力が働いたらからか。

僕とショートホープと敵しかいない世界は本当に静かだった。今は僕ら以外のものもこの世界に生きていると感じている。

たぶん、僕が彼女を見つけた時点であのゲームは終わったんだ。

後は僕しだいだ。

「田中」

僕の声に本当に彼女は驚いたみたいだ。

肩をビクつかせてからゆっくりと振り返った。

久しぶりに見る彼女の顔は化粧っけも無く、目には疲れがアリアリと見えた。

「泰二……」

「大丈夫?」

「どおして」という言葉を飲み込もうとしているのか、彼女は手で顔を覆った。

僕は静かに隣のデスクの椅子に腰を下ろした。

「久しぶり」

うんと彼女は小さくうなずいた。

「ごめん、気がついたら足が動いていた」

「なんで」

「メール読んだ」

僕は仕事場に届いたメールを思い出す。

もう来ないで。

簡単に一行そう書かれていた。

「恥ずかしいけど確かに僕は夜君の家の前まで行った、何回も色々な理由をくっつけて君に会いに行った」

「何回も来てたの?」

「気持ち悪いな、大概仕事とかに詰まると君の家の前まで行ったよ」

「それで家に行ったら電気がついてないからここに来たの?」

「いや、まっすぐここに来た。最近君が仕事で大変だって聞いてたから」

「誰から?」

「企業秘密」

「言って」

「お母さんから」

田中は恥ずかしそうに机にうつ伏せになった。

「親と勝手に話さないでよ……」

「君が家に帰ってこないとき体外うちに電話があるんだよ。あの時、ほら二年くらい前に君が都内で酔い潰れてお母さんが心配したときの話だ」

「あの時も見つけたのは泰三君だったね」

なんとなく日ごろ聞いていた話を組み合わせて、僕は都内の店でつぶれている田中を見つけたことが合った。

その時以来、妙に彼女の母親に信頼されている。

「まったく、将来有望な漫画家に何をさせてるのか……」

「買被りだ」

「そんなこと無いよ、最近本当に上手くなったよね。ファンも増えてる」

「よく知ってるね」

「疲れた時よく読むの、泰二の漫画」

うつ伏せのまんま指を指した方向、彼女の机の上には僕の書いた漫画が載っている雑誌があった。

「僕の漫画読んでくれてるの?」

「当たり前じゃない」

僕はその時まで彼女が僕の漫画を読んでいるなんて想像できなかった。

「本当に君はドンドン夢を叶えていくね、私はぜんぜんだめ」

資料だらけの机、広いフロアで終電過ぎても頑張っている田中を見て僕は胸が痛んだ。

「そんなこと無いよ、いつも悩んでばかりで肝心なことすっかり忘れてる」

「肝心なこと?」

「君に会う機会を失いすぎている」

田中は急に机から身を引き起こして僕の顔を見た。

潤んだ目で僕を見る。感情が高ぶったのか、ただ疲れているだけなのか分からない。

「ひどい顔ね」

「ここ二日寝てない」

「漫画大変」

「すごく、でもそれと同じくらい大事で大変なものがある」

僕はまっすぐ田中を見た。たぶんあのさっき僕が殺した侍と同じような目つきで田中を見ていたのだろう。

「大丈夫、私は大丈夫だから心配しないでよ」

突然彼女は立ち上がって下を向いた。

「大丈夫じゃない、君は今にも折れそうだ」

「そんなこと無い、私は大丈夫」

僕の低い声が彼女の甲高い声をいっそう際立たせた、僕も立ち上がって彼女を見る。黒い髪が良く見える、少し色を失った髪はそれでもやわらかさを失っていない。

初めて彼女の髪に触った感触は僕の想像通りだった。

「やめて」

彼女は僕の胸に手を押し付けた。

「止めない」

僕は彼女の頭の上に再び置いた。そのまま髪を撫でる。目元、頬を伝わって顎まで手を置いた。

涙を溜めた田中美和の瞳に怯えながらも左手に握ったモノを差し出した。

「今日は君の両手を埋める」

僕は左手にある小さなブーケを差し出す。様々な花を雑多に包んだ取り留めのない花束、なんだか自分の彼女に対する気持ちの表れのような気がした。

「もう片方の手は僕が握る、そしてそのまま家に一緒に帰ろう」

「なんで?」

「僕がそうしたいから」

「今日はどうしたの? いつも見てるだけだったのに……そんな優しくしないでよ」

「そう、だから今日でやめる」

彼女に花束を無理やり握らして、僕は何時もの様に彼女を見た。

肩を丸くした彼女は尊くて、誰よりも大事にしたいと思った。

「馬鹿みたい、急にヒーローみたいなことして。今までの十年の時間は一体なんだったのよ」

田中の頭が僕の胸を強く打った。

涙が熱かった。

「待たせたね、僕が成長するにはそれくらい時間が掛かった。逃げてばっかりだったから全然経験値が溜まらなかったから」

「私は貴方の視線に耐えられなかった、私はそんなに綺麗じゃない、貴方が憧れるような人間じゃないって言いたかった。けど言ったら泰二はすぐ興味をなくしてしまうって」

僕たちは今までの鬱憤を晴らすかの如く、流暢に喋った。こんなにもお互いに言葉が溜まっていた。

そうなんだ、結局僕らはあの登下校の距離をお互いで守った。臆病者同士であの絶妙の心地良い距離を守ったんだ。そして大事にするあまり、その場で僕は立ちすくんでしまった。

「ごめん、けどもう大丈夫だよ。君の近くにこうやって居たいんだ」

ゆっくりと田中を放して瞳を覗き込む。横顔でなく彼女の真顔を見る。

強い眼差しが僕を刺す。僕は逃げないで初めて受け止めた。幻想ではない本当の田中を。

「誰がそんなに何時も見てるだけの貴方を変えたの?」

「君だよ、ショートホープ」


最後に残ったバラを拾い上げたショートホープはどこからか取り出した色紙に包む。ジャケットのポケットから他の種類の花を取り出して一緒に色紙に巻き付けた。

「ショートホープ?」

僕の問いには応えずに、さっと手を伸ばして僕の胸ポケットにしまった花を取り上げて、彼女がまとめた花束に添える。

「ハイこれ」

彼女は僕に小さな花束を差し出した。

「彼女に会うのに何も持っていかないなんて恥ずかしいでしょ」

「何で花が咲くんだ?」

「感情は色々な形がある。色も違うし、漂う匂いも。どれひとつ同じものは無いの、心を作っているものは理路整然としない、あやふやで不確かなものばかり。大事にしたいと思う反面壊してしまうと思うし、恋い焦がれるあまりに拒絶してしまったり、同じ気持ちでいる事は難しい」

祈るように花束を握る目の前の少女は、僕のよく知っている顔だった。

「君は僕の心が作った田中美和なのか?」

小さく彼女は頷いて僕と向き合う。

「そうだよ」

「じゃあその制服は?」

「貴方が考えた漫画の制服」

ああそんな事もあったなあと思い出した。

「じゃあ僕は好きな相手に自分の漫画の絵を着せて暴れさせたってわけ?」

「変態」

さすがに否定は出来なかった。

「この赤いマフラーは?」

「貴方が望んでいたのはヒーローなんじゃないの? 颯爽と現れて自分を救ってくれる頼もしいヒーロー」

僕は自分の好きな子に自分の考えた服を着せて、ヒーローよろしくマフラーをなびかせて戦わした?。

「君が言うとおり僕はとんでもない変態だな」

「変態で頑固者ね、うん、頑固者だから変態なのかな?」

あまり変態といわれ続けて気持ちがいいものではないが、口を開くたびにショートホープが、いや美和が笑うのがうれしくなってきた。どうして僕は今まで気がつかなかったのだろうか? 何時も見ていたのにどうして忘れることが出来たのだろう。

「私は貴方が作った幻だけど、とても強い力で描かれたからこんなにもしっかりとこの世界に存在できた」

「強い力?」

「毎日飽きもせず私のこと考えていたでしょう?」

美和の顔で言われると、さすがに僕は返答に困った。

「こんな服着せたり、こんな綺麗な顔にしたりして本当に困った」

「そんなこと無いだろう、君は綺麗じゃないか」

「それは本人に言ってあげてね。きっと喜ぶから」

「僕は毎日そう言ってたようなきがするんだけど……」

「それこそ貴方の幻想よ、貴方は口を開かず、手を握らずただ見ていただけ、それでは何もそれでは伝わらない」

美和は髪をかきあげながら笑った。

「もっとも私も似たようなものだったから。貴方の真剣なまなざしが怖くて別の人の誘いに逃げた」

「君は僕が怖くて他の男と付き合っていたの?」

「貴方は自分が思っているほどカッコ悪くもないし、立派で魅力的な人なのよ。私はいろんな人に貴方の事聞かれたもの」

「そんな事初めて聞いた」

「初めて言ったもの」

「君は本当に僕の心が作り出した幻なの?」

「そう、強く願ったからこの世界に現れた。そして、本物の私と繋がってこの異様な世界を作った」

「今日起こったこと?」

「そう、二人の世界といったほうが良いのかな、他人が入れない強い力で結びついた二人だけの世界」

このついさっきまで続いた戦いは僕と美和が生んだものだった。

二人ともそれだけ強く相手の姿をイメージしていたのだろうか。

彼女は僕をサムライに。

僕は彼女を赤いマフラーのヒーローに。

滑稽すぎて僕は言葉も出なかった。

「さあ、もう行かなきゃだめだよ。私を待たせないでこれ以上」

そういってショートホープは僕に花を押し付けた。

「誰でも最初は怖いの。けど、最初をしなければ次はない、大丈夫貴方は強いから、失敗しても一人でも大丈夫だし、きっと次の相手も簡単に見つかるから」

「嫌な事を言わないでよ」

「待たせたんだから少しくらい意地悪させてよ。辛かったんだから貴方の心に居るのは。ただ閉じ込めるようにずっと想いだけ募らせて、自分を騙してまで動こうとしなかった」

その時僕は頬を伝わる大きな涙を零してはいけないと思った。自然に手が伸びる、造作の整ったやわらかい頬に細かい傷だらけの僕の手が当たる。

「あっご免」

慌てて手を引っ張ると、美和、いやショートホープは僕の引っ込めた手を取ってもう一度自分の頬へと当てた。

「こういう事されて嫌な気分じゃないよ、だから多分本当の田中美和もそれを待ってるよ」

僕は足元に落っこちていた赤いマフラーを拾った、ここまでの戦いで少しボロくなっていたが、それでも暖かさは失っていなかった。そっと細い彼女の首元に巻く。

「ありがとう、ショートホープ。確かに君は小さな希望だった、僕はそれにすがってみてよかった」

「まだ結果は出てないじゃない」

「君と暴れた記憶は忘れないさ、あんなに夢中になれた事なかった。何か気が楽になった」

「貴方は何時も私に夢中じゃない」

「気持ち悪い?」

「両方」

どっちが正しいなんてものは無い、だから近づいてすり合わせなければいけないんだ。

「じゃあ確りね」

とショートホープは僕の後ろに回りこんで両手で背中を付く。

僕は田中美和が待っている部屋のドアの前に立った。

「ショートホープ?」

こうして彼女は僕の前から消えた。

押してもらって得た勇気を持って、僕は扉を開けた。

そして小さな希望が現実になった。


■5 陽だまりの樹


「ねえ、ショートホープってなんなの?」

隣に居る美和が僕に問いかけてきた。

「またその話」

「良いじゃない別に」

「だからなんでもないって」

あの日の事を僕は説明するのがめんどくさいから美和に説明しないんじゃない。

ただ、なんとなくショートホープの事を誰かにしゃべってしまうと、嘘になってしまうような気がしたからだ。

確かに僕は二日完徹明けで、頭も体もフラフラで夢を見ながら歩いていても不思議じゃなかった。

それでも、夢見がちな僕だけど、あの日の事は夢と片付けたくなかった。

それが一緒に戦ってくれたショートホープへの手向けのような気がした。

「もう、すぐそうやって自分で完結しちゃうんだから」

美和は腕を組んで僕に抗議する。

「今日も突然呼び出して私の都合は?」

「良いだろう昼休みくらい」

「一時間しかないんだから、のんびり公園で油売ってる場合じゃないの」

仕事の山も一段落して、今では美和も落ち着いている。

仕事明けの僕はそのままプラプラと彼女の仕事場の近くの公園まで来た。最近買った携帯電話でメールを打って、美和を呼び出した。

「まったくあの日から我がままになったんじゃないの?」

「そうだね、欲張りになった」

「ねえ本当に貴方は坂上泰二?」

怪訝そうに美和は僕の顔を覗き込んだ。

「そういう君は本当に田中美和さんですか?」

僕が真顔で返すと、彼女は慌てて顔を逸らした。

「急に見ないでよ」

「恥ずかしいの?」

「恥ずかしくないの?」

「恥ずかしいよ」

僕も照れくさくて直ぐに前を向いた。まったくなんて日だろうと思った。太陽が明るく日を降り注ぐ、公園の木々は静かに揺れ動いて世界がとまっていないことを知らせる。

同じように美和の左手が微かに動いたような気がした、僕はその機会を逃さずに右手を添えた。

美和は聞き返しもせずに、僕の手を握ってくれた。

鼓動が早くなる。まだ僕にはこの微熱に慣れない。

十年前に出来なかった事がこうやって出来るようになった。これも慣れてしまえばただの日常になってしまうのだろうか?

「なに、また緊張してるの?」

「しないの?」

「いい加減慣れたら?」

「僕は誰かさんのせいで彼女と付き合うの初めてなんだよ」

「私は誰かさんのせいでこれで八人目です」

どっちもどっちだという形で結論が出て僕らは笑った。

今目の前に飛び込んできている景色は全て綺麗だった、今までの見てきたもののなかで一番綺麗な世界だった。

ただ貫徹明けで、やっと彼女に会えたから気持ちが?っているだけだろうか?

ちょっと前の自分だったら直ぐにこの景色を頭にしまいこんで、勿体無いと見るのをやめてしまっただろう。

馬鹿みたいに臆病で姑息な自分だった。

「また難しいこと考えてるの?」

「いや、別に」

「本当?」

少し美和は手に力を込めて来た。

「ショートホープっていうのはね、僕のヒーローなんだ」

美和はキョトンと僕の目を見た。

「強くてカッコよくて、何よりもまっすぐで絶対希望を捨てない僕だけのヒーロー」

「何、新しい漫画の話?」

「違うよ、僕にはあんなかっこいいヒーロー生み出せない」

そういって僕は美和の手を握り返した。

「いじけた僕を世界から救い出してくれた素敵な女の子、君みたいに綺麗で、トビッキリのキュートさで僕を狂わせた」

「なに言ってるの!?」

「浮かれてんだ、こうやって隣に立つことがまた出来て」

最後の最後でショートホープがくれた希望にあふれる世界、やっとつかんだ。

「大丈夫、ちゃんとご飯食べてる?」

美和が心配そうに僕の顔を覗き込んだ。高校の時もそんな表情あったかも知れないけど、本当に心配している顔だった。

「そういえば昨日は栄養ドリンクだけだったかな?」

「そんなんじゃ体壊すよ」

「じゃあ今日また作りに来てくれる?」

馬鹿と小さく口が動かして、彼女はウンと頷いた。我ながら狡い手だと思ったが、上手くいったので良しとした。

こういうことが今一番楽しい。

どうだいショートホープ、僕は今、美和と生きることを心から楽しんでいるよ。自分を騙さないで目的に向かってまっすぐ進める事に感謝している。

来年の今頃はこんなに世界が輝いて見えないかもしれない。

けど、十年後また輝いて見えるように僕は努力する。君のように一歩一歩近づいて、確実に希望を射止めるよ。

君に叶えてもらった希望、当分捨てること、僕には出来ない。

聞こえているショートホープ?


ありがとう。


END

どうもさわだです。


なんで韓国ドラマが流行ったかというと、現在の生活には断絶がないからだと言う話を聞きました。


携帯電話などのIT機器は絶えず僕らを繋げ、好きなときに好きなだけコミュニケーションできます。

そこにすれ違いや勘違いは存在せず。ただ好きな相手に好きと、嫌いな相手には嫌いと打つか、着信拒否にすればそれまでの話。

つまり、ドラマでありがちな勘違いによるすれ違いなどはあり得なくなりつつある世界。

だから韓国ドラマ等で行われる「死」に置ける断絶(例:車で轢く)が人々には新鮮に見えるのだと。


この話を聞いたとき、そうかと思う反面やっぱり凄い「断絶」を感じることは多々あると思います。どんなに言葉を重ねても届かない、絶望的な距離にうんざりすることが多々あります。


いろんな人間が好き勝手に生きている世界なのでしょうがないのは分かっていても、繋がらない事を「理不尽」と感じる僕はワガママでしょうか?


まあ他人の「断絶」を商売にして切り売りしている僕たちがワガママでなくて何なんだと言ったところですか。


あれ、またオチが無いじゃん。


そうでうね今回のお話、成分としては「田中メカ」「リベリオン」「遠藤 浩輝の短編漫画」と言ったところです。

言うまでもないですね、趣味全開。


では

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ