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フィーは振り返って、カーテンを開いた姿勢のままで固まっているクーイヌを確認して、状況を理解した。
(完全にばれちゃってるよね)
それはそうだ。裸をみられたのだから。
クーイヌは顔をトマトみたいに真っ赤にして、口をぱくぱくさせたまま、固まっていた。
一方のフィーの心は不思議と落ち着いていた。
ちょっと恥ずかしい気持ちはあるけれど、クーイヌのほうが動揺しすぎてるせいだろうか。
動揺しまくって完全に機能停止しているクーイヌをみて、フィーはこちらは堂々とすることにきめた。
とりあえず体を隠すのはNGだ。こちらが隠したがってるということが、ばれてしまう。
オーストルの騎士隊に女の子が入ってはいけないという規定はなかったが、入ってみてわかったことだけど、それはオーストルに騎士を目指す女の子がまったくいないからだった。
見習い騎士制度も男の子たちを想定して作られている。
だからバレたら最悪くびになる。フィーはそう考えていた。
フィーはコンラッドさんに教えてもらったことを思いだしていた。
交渉術の授業として聞かされた、人間の感情についての話だ。
おおよそ人間はふたつの感情をもっている。
内部から発する感情と、外部から受け取る感情だ。
例えば人が笑ってるとき、自分が面白くて笑ってるケースと、みんなが笑ってるから笑ってるケースがある。
後者のケースのとき、人は笑うべき状況だという空気を外部から感じ取り、それに反応して自らも面白いと感じて笑っているのである。
つまり人の感情は、場の空気によって決定されることがある。
これは人間関係において、面白い効果を生み出す。
何か悪いことをしたとき、悪びれない人と、悪びれてる人がいる。
すると、どちらが怒られる確率が高いか。
普通なら悪びれない人のほうが、怒られると思う。
でも、そうとは限らないのだ。
悪いことをしたと反省している空気は、相手に『悪いことをした』として伝染するのである。そして相手も悪いことをされたと感じとり、怒りを増進させる。
結果、反省してる人の方だけが怒られてしまうことがある。
これは逆パターンを示した方がわかりやすいかもしれない。
急に失礼なことをされたときに、相手があまり悪びれなかったせいで、怒るのを忘れてしまったりしたことはないだろうか。
その場合、あとからその件について怒りが沸いてきたりする。
もしくは怒り心頭なはずなのに、まったく悪くないという態度を相手がとったせいで、どう怒っていいのかわからなくなってしまうケースがある。
心の中に怒りはあるのに、外から怒っていいという空気を受け取れないせいで脳が混乱し、結果的に怒りが発現できなくなってしまうのである。
つまり、あえて悪びれないことにより、相手の怒りを回避できるという状況が、コミュニケーションの中には存在するのである。
もちろん、これには落とし穴がある。
これが怒りを回避する作用を発揮するのは、相手の怒りが、はっきりとした感情として表に現われる閾値に達するまでの話である。
相手の怒りが一定以上を越え、内部の感情だけでも火がついてしまうとき、反省していない態度はその内部からの怒りを、今度は増進させる方向に作用してしまう。
そして一度それが起こってしまった場合、反省してないという態度をとっている以上、もう謝罪や反省により取り繕うことが不可能になってしまう。
だから悪用は厳禁だ。
多少、相手の怒りを空気により増幅させてしまっているとしても、素直に反省して謝罪し、内部から怒りを解消してもらったほうが人間関係はうまくいく。
でも、この場合、フィーは悪びれないほうがいいケースと判断した。
この状況でフィーが動揺したり隠そうとすると、それは相手にフィーが悪いことをしている空気として伝わってしまう。致命的なこの状況において、確定的に立場が不利になるのだ。
今のクーイヌは動揺し赤面し慌ててるだけ。こちらを糾弾しようとする感情は、その中にはない。
つけこむなら今だ。
フィーは体を隠さず、堂々とクーイヌのほうをみて、こちらには何も問題がないかのように言った。
「なに?急にカーテンを開けてきて。僕の水浴びをのぞきたかったの?」
その言葉を聞き、クーイヌは赤面しながら必死に首をふった。
「あっ、ちがっ……ちがう……」
「ふーん、それじゃあカーテン閉めてよ。いつまで見てるの?」
「あっあっ……ごごごごめん!」
フィーにそう言われ、クーイヌは慌ててカーテンを閉めた。
それからしばらく、クーイヌのふらふらした足音や壁にぶつかる音が聞こえ、やがてその音がこの場から遠ざかっていく。
とりあえず、これでひとまずの危機は脱した。
ここで騒ぎになれば、芋づる式にみんなにばれる可能性があったからだ。
もうそれはない。
あとはクーイヌだ。
クーイヌはこの宿舎に来たばかりで、仲のいい友人がいない。
誰かに気軽に話したりはできないだろうから、女だとばれていてもまわりに伝わるにはまだ猶予がある。
(その前にしっかりとあの頭に釘を刺す……)
フィーは体を拭き、見習い騎士の服を着て、静かに水浴び場をでた。
2015/12/12
『オーストルの騎士隊に女の子が入ってはいけないという規定は~最悪くびになる。フィーはそう考えていた』部分を追記。




