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第八話 希望、欲望と読まずして

「……様、どこにいらっしゃっるのです」

 かすれた声が虚しく響く。

 そこは閉ざされた森の深奥、大地は数多の木々に埋め尽くされている。

「隠れん坊はおよしになって、私めの前に姿をお見せになってください」

 返事はなかった。

「が、ごほっ、げほっ」

 激しい咳き込み、次いでびちゃびちゃと地面に液体がはき出される音がする。

 荒い呼吸音。女は肩を上下させながら虚ろな瞳で周囲を見渡している。

「……様、返事をなさってくだ、さ……」

 女の目が見開かれる。

 時刻は夜明け前、鬱蒼とした森の中は闇に支配されている……はずなのに、

 女の目の前で白い光が輝いていた。目を眩ますほど強烈な光はよく見ると規則的な幾何学模様を描いている。

「また、お前か」

 女は憎しみのこもった眼差しで光を睨みつける。

 女は腕をさっと横に薙いだ。彼女の周囲にも光の粒子が乱舞し始め、目の前の光と同じ型の幾何学模様を作り出していく。

 と、光の奥からもう一つの声が響いてくる。

「姫君は別の場所に転移させたか。本当にイタチごっこが好きだな。なぜ頑張るのか、頑張らなくてもよいのだぞ」 

 ため息、そして不敵な笑い声が聞こえ始める。

「くくくかっ、いいだろう。姫君は後から回収すればいい。まずはお前から滅する」

 交差する光がみるみる勢いを増し、女の姿が光芒に飲まれて見えなくなっていく。

「……ローゼ様、アリアローゼ様……」

 嗚咽と涙にぬれたまま女は懇願するような口調で主君の名を呼び続ける。

「お許しを姫殿下……。ああ、アリアローゼ様、どうかご無事で」

 その言葉を最後に女の姿が消失する。

 精霊の光が完全に消えた時、森に人影はなかった。

 唯一、地面をしめらす吐血だけが女が存在したことを証明していた。


  ☆  ☆  ☆


「シュナさん、起きて。シュナさんってば」

 細い腕が黒衣の少年を揺さぶる。しかし黒衣の少年が目を覚ます気配はない。

 それは家屋の中での出来事だった。昨晩、シュナは数ある空き家のうちの一つを借りて眠りについたのだ。今は早朝、といっても朝日すら上っていない夜明け前だ。跳ね上げられた板戸の外は夜のとばりに閉ざされたまま空には星すらきらめいている。

「シュナさん……」ヒジリは落胆してため息をついた。

 と、シュナが寝台の上で小さく身じろぎをした。

「寝かせろ……」

 途端、ヒジリの顔に喜色が溢れる。

「シュナさん起きてくれましたっ」

「んん、ヒジリ? 何だよ……」

「湯浴みしましょう。昨晩、いい感じの木桶を見つけたんです」

「一人でやってろ」

 シュナは毛布を頭の上まで引き上げた。

「そんな、嫌ですシュナさん。井戸の水は汲んであるんです。でも外は寒いから……。シュナさん、温めてくーだーさーいー」

「勘弁しろ、眠いんだよ……」揺さぶられてもシュナは動じない。

 シュナが眠いのには理由があった。昨晩、約束通りフランチェスカの鍛錬に付き合ったわけだが、それが長引いたせいで就寝が遅れてほとんど眠れていないのであった。

「シュナさん……」

「お前、二日前に湯浴みしたばっかだろ……」

「昨日レイラの体液で汚れたんです。べたべたしてるし、臭いし……」

「う~ん。贅沢な奴……」

 シュナは寝台の上で降参のため息をついた。





「で、何でお前までいるんだ」

「はえ~。気持ちええのぉ……」

「フラメルさん、起きてるなら起きてるって言ってください。井戸水、重かったんですから。……聞いてます?」

 フラメル、ヒジリ両少年が木桶に満たされた湯につかっている。

 もうもうと立つ湯気はシュナの努力のたまものだった。

「シュナさんも入ったらどうでしょう」ヒジリは木桶の縁から顔を出して、地面に座ったシュナを見下ろす。

「三人入ればお湯が溢れる。湯が少ないと体が冷える」

「溢れた分はまた沸かせばいいんです」

「誰が沸かすんだよ……」

 黒から紫に染まり始めた東の空に目を向けてシュナは大きなあくびをした。近くに生えていた雑草の葉には朝露がたまっている。一日の始まり、今朝も清々しいまでの快晴だ。

「ったくこんな朝っぱらから……」

「本当は昨日お願いするつもりだったんです。でもシュナさん、フランチェスカさんとずっと一緒にいるから近づけなくて……」

 と、新たな人物が会話に飛び込んでくる。

「ヒジリ、そりゃ本当か」

 少年が一人、シュナ達のもとに近づいてきていた。

 名前をルズク=エルキットという。

 赤黒い髪は荒々しくうねっており癖が強いことが見てとれる。切れ長の瞳は濃い茶色。鼻梁は高く、色の薄い唇はやや右上がりにつり上がっている。浅黒い肌は日に焼けた証だろうか。体の線は太くはないが適度に筋肉が付いているためひ弱な印象は受けない。

 少年の表情は自信に満ちあふれていた。おもしろがるようにあたりを見渡す瞳はこの世に怖い物など無いと言いたげに輝いている。ただしそれは彼の頭の悪さがそう思わせているだけで、彼の自信はまったく根拠のないものだった。大言壮語と言行の不一致はお手の物、無知と浅慮からくる脳天気さがルズクの持ち味なのはシュナの認めるところである。

「はよっすシュナ、焚き火代行お疲れ様」

「おはようルズク、今朝は珍しく早いんだな」

「なあ。久々に屋根の下で寝たからかな、農民時代の癖が出たぜ」

 田舎の田子作の朝はもっと早かったんだぜ、ルズクはそう言って笑っていたが、シュナの顔をのぞき込んですぐに笑みを引っ込めた。

「ひっでぇ顔してんぜ、お前」

「眠れてないんだ。主にフランヌのせいで」

「おいおい、んじゃヒジリの話は本当なのか。フランヌとしっぽりってのは」

「だったらもう少しマシな顔してる。月が傾くまで焚き火代行だっただけだ」

「ああ……、鍛錬か? なんだつまんねえ」

 ルズクは近くにあった小さめの桶を手に取ると「フラ坊、顔を洗いたいんだ」と言って桶をフラメルに差し出す。

 ルズクの差し出した桶に水がたまる。「フラ坊、万々歳」ルズクは桶の水をすくってバシャバシャと顔を洗っている。

「ルズクも入れい。気持ちえええぇの~……」フラメルはご満悦といった様子だ。

「ふははっ。とろけそうな顔しやがって。二人そろってのぼせるんじゃねえぞ」

「なっ、何だ君たちっ」

 その場にいた全員の目が同一方向に向けられる。

 どさっ、と音がしたのは、その男が持っていた桶が地面に落ちたからだ。ピチャピチャと桶から水があふれ出たと思えば、桶の中で生きた魚がはねあがった。

 その男、ハーメル=ハングラスという名前だった。

 中肉中背、男の立ち姿は一見すると平凡だ。うす茶色の髪に茶色の瞳、顔のパーツはどれもつかみ所のなく、どこにでもいそうな顔つきである。それで黒ぶちの野暮ったい眼鏡をかけて麻の服を身にまとっているのだから没個性的な風貌になるのは仕方がない。

 ただ、彼には他と一線を画する特徴的な性癖がある。

 全員の心中をルズクが代弁する。

「お、変態の登場だ」

「信じられない。僕に内緒で湯につかったのが許せない。待ってろ……」

 ハーメルは腰紐の結び目を一瞬でほどきズボンをずりさげる。手慣れているのは当然で、彼には脱ぎ癖があるためだ。上着を脱いでと言えば下から脱ぐ。暑いねと声をかけると頷きながら下を脱ぐ。便所の場所はどこですと聞きながら下を脱ぐ。ハーメルはそういう男だった。

(ツムギには同情する)

 もうすぐ全裸の男が走ってくる、そんなもの見たくない。

 シュナはため息をついてハーメルから目をそらした。

 そのとき、ひゅんっと空気の裂ける音がした。

「ヘブッ」

(ん?)

 蛙をつぶしたような声がしたのでシュナが見ると、ハーメルがズボンをずり下ろしかけた状態で地面に伸びていた。彼の頭部に目に見える大きさのたんこぶができていた。

「なんてもの見せるの……」

 家屋の影から灰色の髪の少女が現れる。フランチェスカは長い棒状の物体を肩に担いでいた。彼女はそれを右の頬に添えて先端を前方に突きだしている。鉄砲の狙いを定める挙動に見えるが、彼女が持っているのは鉄砲ではない。

「おはようフランヌ。昨日の成果は出たのか」

 フランチェスカは目をぱちくりとしてシュナの方を向いた。たった今彼に気づいたようだ。

「おはようシュナ君。どうなんだろう……」彼女は視線を地面に落とした。

 昨晩フランチェスカの玩具になったのはザンシュの部隊が所持していた『加速式投射砲』、一般に加速砲と呼ばれる代物だ。原理は極めて単純で、砲身の中に詰められた弾丸を精霊術によって加速して発射する。使い手にもよるが弾速は火薬を使用する鉄砲に劣らず、基本的に反動がないため命中精度も高い。

「フルパワーで撃ってみる……」

 フランチェスカは砲口をななめ上に向けた。

 砲身が鈍く輝いている。砲身に直接彫られた精霊術の紋様が光を宿している。

 合図はない。

 シュパンッ! と砲口から短い音が出る。

 フランチェスカは目を細めすぐに砲口を下へ向けた。

 男衆がぽかんとするのも無理はなかった。弾丸の軌道が見えなかったのだ。事前に視力を強化していたシュナだけがその軌道を追尾できた。

「すごいすごい。二キロ以上は飛んでるぞ」

「フランヌ怖え……」ルズクが引きつった笑みを浮かべている。

 方向の違う二種の賞賛を耳にしてもフランチェスカは眉根に皺を寄せて加速砲を見つめ続けている。

「フランヌ、どうした浮かない顔して。弾速を上げるのが今回の目的だったんだろ」

「駄目、こんなの」フランチェスカは加速砲から頬を離す。

 彼女がそのまま砲身の中ほどをこつんと叩くと砲身がぱきりと音を立てて真っ二つに折れてしまった。

「発射した後の遅れ振動が凄い。これ、量産しても意味ない……」

「ああ……」

 加速砲のデメリットの一つだった。加速砲の、というより精霊術全般のと言い換えた方がよい。

 精霊術を発動するには下敷きとなる特殊な鉱石が必要になる。鉱魔石と呼ばれるものだ。

 鉱魔石は精霊術を発動している最中、大きく振動する。この振動の大小によって精霊術具の使用限界時間が決まる。振動が大きければ鉱石にヒビが入るのが早くなる。いくら性能がよくてもすぐ壊れるのではいざと言うとき困るし、コストばかり高くなって使い物にならない。

 シュナの聞くところによれば、フランチェスカの目論見は加速砲に組み込まれていた精霊術を改善することで威力を向上させ、なおかつ振動を抑えることで耐久性を高めることだった。両立は出来なかったようだ。

「構築陣の術式に無駄が多い。改良しなくちゃ……」少女は砲身に刻まれた紋様をなぞっている。

「根を詰めるのもほどほどにしておけよ。体調を崩す」

 フランチェスカは返事をせずに歩み出す。彼女は砲身から目を離していない。彼女の脳内にはきっと術式の代案が無数に生まれて巨大な渦を巻いている。

「ヘブッ」

「あ、ごめんなさい。邪魔よ」

 横たわったハーメルを踏み越えて、フランチェスカの姿が家屋の陰に消えた。井戸で顔でも洗うつもりなのだろう。

 シュナが地面に伸びたままのハーメルをぼんやり眺めていると、隣に放置された桶から再び魚が飛び跳ねた。

「朝食は焼き魚だえ~」

 額の汗をぬぐいながらフラメルがゆるい口調でつぶやく………。

「ん?」シュナがふと自分の右方に顔を向けた。

 つられて同じ方向を見たルズクが「なんだあれ」と眉をひそめる。

 異変は空にあった。澄み渡った朝の空に光が瞬いていた。

 目も眩むような強烈な白光だった。太陽ではない。朝焼けの空にその白い陽は高すぎる。

(精霊……術、術か? 敵襲か? ダルマはどこだ……)

 シュナが警戒しながら立ち上がった時、光に変化が起こる。

 放射状に広がった光に幾何学模様が浮き彫りになっていく。それは時をおいて細密な文字と複雑な図形の塊となる。

「なっ」

 その場にいた全員が例外なく息をのんだ。

 空中に浮かんだ幾何学紋様の真ん中に人影が現れたのだ。

 はじめ頭、首、肩と上半身だけが見え、やがて下半身も出現する。まるで空間の裂け目から引きずり出されたような体裁である。

(転移を精霊術で……? 座標ミス? 暴発?)シュナはマギカを利用して望遠する。

 女だった。鉄製の鎧を身に纏っている。風に吹かれる垂れた髪は金髪……、金髪と言うよりは絵の具を塗りたくったようなまごう事なきイエローヘアーかもしれない。

 そのとき不意に精霊術の光が点滅を開始した。光がみるみる弱まっていく。

 途端に宙づりになっていた女が落下の兆しを見せる。高度は十階立ての建物と同等か。

「ルズク、マギカで減速。俺が下でキャッチする。風呂組は服を着ろ」

「助ける?」ルズクがシュナに問う。

「見殺すか」

「だよねえ」

 女の落下地点を目指してシュナが駆け出す。普通に走っては間に合わないのでマギカを使用した。平屋建ての家屋を二つ飛び越えるともう女の真下にたどり着いていた。

 女は羽が降り落ちるようにゆったりと落下していた。ルズクのマギカが制動をかけている。彼のマギカは『特殊念動力』だ。ツムギの『念動力』が自己の周辺でのみ強い力を作用させられるのに対し、ルズクは自己から離れた場所ほど強い力を作用させることができる。

 と、上を向くシュナの顔面に液体が降りかかった。

 ぬぐった手のひらが赤くぬめついている。

(血液だ、怪我をしている。一体どういう経緯でこんな場所に転移したんだ)

「オーケールズク! それとフランヌ! 怪我人だ! 治療を頼みたい!」

 シュナが大声で合図すると女にかかっていた念動力が解除される。

 降ってきた女の体を抱きかかえながらシュナは顔をしかめた。

 女の口元にべったりと血がついていた。鎧の継ぎ目からも血が垂れている。

 女の表情は苦しげに歪んでいて顔色も真っ青である。

 とりあえず女を地面に横たえたシュナの元にフランチェスカが駆けつけて、そのまま彼の隣で片膝をついた。

 腕輪型の精霊術具が輝いている。

「鎧、脱がして……」

 フランチェスカの指示通りシュナが女の鎧を取り外していく。

 女の体には浅い切り傷が数十個見受けられた。半分はインナーごと裂けているが残りはインナーの下で裂けている。シュナは不自然さを感じずにはいられない。

「なんだこの傷、服は無事で体だけ切られてる。……ウィザードか?」

「精霊術で転移をくり返したから……だと思う」

「助かりそうか」

「助かる……。ほら、意識が戻った」

 女の瞳がゆっくりと開かれる。憔悴しきった青い瞳がフランチェスカを、次いでシュナをとらえる。

「……て」

 震える唇がかすれた言葉をつむごうとしている。

「ん、どうした」シュナがその口元に耳を近づける。

「……げて」

「ん?」

「逃……げて」

 声は届かない。

 そのときシュナは視界の端の異変に気を取られていた。

「何の冗談だ……」

 莫大な光が空中に浮遊している。

 空に広がっていたのは文字と幾何学模様の組み合わされた精霊術の構築陣だ。

 先ほどの女の構築陣と違うのは、陣の形状に加えもう一つ、

 規模が桁違いだった。

 円盤状の構築陣は直径が百メートルを越さんとする。

 折り重なる美しい光の瞬きは天界へ繋がる転移門ポータルとすら思えてしまう。

「人がちまちま削ったものを虫けらどもがああっ!!!」

 構築陣の中心部に浮かんだ男が絶叫する。

 振り上げられた彼の腕がまっすぐこちらを指さすのがシュナには見える。


 風が渦を巻き破滅の予兆に大地が震える。

 天が真っ二つに裂ける。シュナの視界が純白の光で染め上げられていく。

 放たれたのは全てを灰燼と帰す滅びの光槍だった。

 大気すら燃やす圧倒的な光熱波が大地に着弾しようとする。


 そのとき誰に何が出来たというのだろう。

 とっさに投擲していた女の鎧が空中でどろどろに熔解するのを視認した時、シュナの取れる行動は一つしかなかった。

 シュナはフランチェスカを強引に抱き寄せ彼女に覆い被さるようにして地面に身を伏せる。

 そのまま体細胞の治癒力を全力で底上げする。

 背中に感じる熱が爆発的に高まっていく。

 一瞬を永遠に感じる。

 無益な思考がぐるぐる回る。

 被害はどれほど出る。ほかの仲間はどうなる。

(また……?)

 腹の底で黒い何かが噴き上がるのを自覚する。

 無力感、思い通りに行かない苛立ち……、拳を握り千切れるほど強く唇を噛んでいた。 

(なんでだ、どうして……)

 悲涙が何を生む。望まぬ落命が何をもたらす。

(無意味に何の意味がある)

 怒りに身を震わせながらシュナがかきむしるようにつぶやく。

「どうして誰も護ってくれない……」

 悲哀に満ちた言葉が轟音にかき消される。

 思考が途切れる。意識が断絶する。

 彼の姿が光に呑み込まれたとき、地図上から村一つが消える。









 にわかに慌ただしさを増す城内。飛び交う怒号、喧噪……、寝床を抜け出した侍女がもたらす朝の騒がしさとはまるで別種の肌を刺すような張り詰めた空気……

「あ、あ、おい貴様っ。これは何の騒ぎかっ」

 侯爵テティーナムは廊下を駆けていく金髪の兵士に怒鳴り問う。

 兵士はテティーナムを無視して彼の目の前を素通りしようとする。

「おい! 説明しないか!」テティーナムは兵士の肩を掴んで引き止めようとする。

 だが兵士の力は思いの外強く、テティーナムは兵士に引きずられて廊下に倒れ込んだ。

 兵士は寝間着姿のまま床に横たえたテティーナムに対し虫を見るような視線をぶつけてくる。

「貴様っ。城主たる我になんたる無礼かっ」

「失礼、耳が遠いものでありまして」

 そのとき長い廊下の先からその兵士を呼ぶ声が聞こえる。

「チャチャ班長! 迅速に!」

「承知!」

「待てっ、待たぬかっ」

 チャチャと呼ばれた青年は倒れ込んだ老人など欠片も気にせず廊下を疾走していく。

「おかああああっ! これだからアザブラはっ、礼儀知らずでっ、野蛮でっ。ディー、ディー=スペルマはどこにおるっ。我が呼んでおるっ」






 テティーナムの探すディー=スペルマという男は私室で湯気のたつカップに口をつけていた。

 部下に命令は出し終えていた。アザブラは既に末端まで起動済みだ。

 あとは状況の流れをつぶさに観察するだけで良い。

 恐らく介入の余地は無いだろう。

「私たちはここで紅茶を嗜むことにしよう」

「うふふ、そうしましょう」

 豪奢なソファーにぴったりと寄り添い合う二つの人影。

 一つは白髪交じりの金髪が特徴の、齢二十五の青年。ディー=スペルマ

 一つは絹のようになめらかな黒髪が特徴の、齢十の少女、シャングラ=クライメルト

「死人は出るかしら」シャングラがディーの指先をいじりながら問いかける。

「出ない」ディーは即答した。

「ディー様、どうして分かるの」

「ん? ああ、だって……」

 ディーが仄かな笑みを浮かべる。

 作り物とは思えない柔和な笑みの奥底に垣間見える黒い本性。

 悪魔の吐いたヘドロで出来たような男は年端もいかぬ少女に向かいこう言い放った。

「だって、替えの効くパーツを一人とは数えない」










「エリー様、よろしいので? ザンシュ=クロードの件は未解決のままでありますが」

「よいのです。アザブラの頭領とは書面で対談します」

「それを対談と呼べますか」

「呼ぶのです。こちらでの庶務はアマーリアに処理させます。そう伝えおきましたから彼女を頼るように」

「かしこまりました。旅路に幸運を、エリー様」

「ありがとう、ブロウズ」

 白亜の髪が風になびく。吟遊詩人に神の糸とまで言わしめた頭髪が朝焼けの色に染まっている。

 ヘンゼルウェーブ団長エリーは周辺を見渡した。

 集まった取り巻きの団員は皆、彼女をみつめていた。彼女はそれらを見下ろす形になる。

 彼女の視点は高い。なぜなら彼女はある獣に跨がっているからだ。

 鼻息荒く、鉛色の鱗がにぶく光を反射する。

 たくましい巨体は足踏みするだけで大地を重く振動させる。

 蛇と鳥、そこに獅子を混ぜ合わせたような不可思議な造形。

 幻想種の中でもとりわけ珍しい『翼竜』と呼ばれる個体である。

「到着し次第すぐに『転移』のウィザードを差し向けます。それまでこの場を頼みます」

「はっ!」

 団員が一斉に返事をする。

 エリーは腰の霊剣を抜き放つ。

 胸の手前に刀身を立てて白銀の剣腹に映り込む自身の顔をのぞき込む。

 彼女はすっと目をつむった。

(精霊王よ。我に光の加護を……)

 行く先は聖アーバラク国の首都、ナバロ

 祈りは済んだ。霊剣を鞘に収める。

 竜の腹を蹴りつけながら凜とした声を発する。

「勇者、東へ向かいます」

 はためく大翼、巻き起こる烈風

 燃え上がる朝焼けの彼方へ

 飛翔するする竜の背に乗って白亜の乙女が飛んでゆく。

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