第七話 星の降る空 名も知れぬ村より
「何、泣いてやがる」
シュナ=クレイがザンシュを見下ろしていた。火傷の痕の生々しい傷だらけの顔のまま、シュナはふらつきもせず大地に立っている。その顔から狂気が拭い去られていた。雷に打たれた影響なのか、どうやら記憶が戻っているようだった。
「男が泣くんだ、理由あるだろ。……あんた、どうしてアザブラを狙った」
シュナの声は小さく、それでいて不思議なまでに重く心の奥にまでのしかかってくる。それは言葉の端々に静かな怒りが感じられるからだと、ザンシュは気づいていた。氷のごとき無表情を貫く少年は、確かにザンシュを憎んでいた。
「エリー様に……」
ザンシュの喉はかすれた声すら響かせるのに苦労する。シュナは聴覚を強化してその一語一語を拾っている。
「エリー? ヘンゼルウェーブの団長のことだな。……エリーが指示したのか」
ザンシュは首を横に振った。
「我の独断だ……ヘンゼルウェーブは、関していない」
「斜面の連中は何だ」
「雇われのごろつき。傭兵団とは何の因果もない」
シュナの目が細められる。
「どう信じろって言う?」
「幹部の席を巡り……内部抗争があった。我は立候補こそしたが……、歳、上がらない戦果、犯した失態……。部下からの信頼を得られない我を、エリー様は選ばなかった。我は負けた」
ザンシュはゴホゴホと咳き込む。忙しない息づかいは病人のように弱々しい。
「選考に異を、唱えるためには、改めて実力を見せる必要があった。失った信頼を、取り戻すため。だが内部抗争が尾を引いて、我は身動きが取りづらく……、だからヘンゼルウェーブを抜け出して……、う、うふふ、あはは、くっくっくっ、あはははははっ」
ザンシュはしばらく気狂いのように笑って、すぐ疲れ切ったようにため息をついた。
「夢が、我が半生を賭した夢が泡と消えた。エリー様の隣に立つことだけを、あの方に認められる事だけを求めて今までやってきたのに。物言わず笑え、シュナ=クレイ。貴様の瞳に我はさぞ滑稽に映るであろう」
シュナは無言のままザンシュを見下ろしている。落雷がつけた顔の火傷痕はもうほとんど目立たない。
しばらく口をつぐんでいたシュナは、ふと納得したような表情をした。
「……そうか。あんたが傭兵をやっているのは、そのためだったんだな」
突如投げかけられた言葉の意味が分からず、ザンシュは怪訝な表情をしたまま少年の顔をうかがった。
ザンシュを見返すのは相も変わらず感情を消した無表情である。
「そのために人を殺してきたんだな。答えろザンシュ=クロード。アザブラはおろか、『黒影』を襲ったのも、全てが私欲のためだったと、そう言うんだな、あんたは」
「黒影? ……ああ、あの義勇兵の……、貴様の古巣だったか」
ザンシュは遠くを見るような目をした。血に染まった記憶を探っているのだ。
「ああ、そうだ。アザブラ、黒影、叫びわめき散らす者ども……みな素晴らしい供物だ。エリー様に、翻っては我に捧げられた、塵となった犠牲」
「いい。詳しくは聞かない。興味もない」
シュナは首を左右に振った後、ザンシュに向けて右手を突きだした。
「あんたは欲望の為に生きてきたらしい。なら、これはそんな人間に相応しい最後だろう」
ザンシュの周囲に火の粉が舞い始める。空気が陽炎のように揺らいで沸き立つ。
ザンシュを見下すシュナの目が怨恨の炎に燃えている。ただ、同時に彼の口角がわずかにつり上がっていたのは……
(それは歓喜か、それとも愉悦かシュナ=クレイ……)
そんなザンシュの内心もシュナに届くわけはない。
「ここで復讐を果たそう。ザンシュ=クロード、あんたは敵だ、俺の、『黒影』の。なればこそ俺の私牙にかかり、死ね」
ザンシュの視界が紅蓮に染まる。感覚の無い皮膚が燃え散っていくのを彼は他人事のように眺めていた。
そして――――
「な……んで」
シュナ=クレイが地面に片膝をついていた。
「させるわけにはいかないんだよ、シュナ」
それはダルマの声だった。シュナが視線を走らすと、フランチェスカに支えられたダルマがザンシュのすぐそばに立っている。
「ザンシュは俺の手にゆだねさせてもらう」
「ふざけるなよダルマっ!! こいつは敵だ! こいつが殺したんだぞ! 『黒影』を!! 俺の仲間を!! 俺には義務がある!! 権利がある!!」
ダルマは黙したままシュナに右手をかざす。
シュナは悲痛な顔で叫び続ける。
「止めろ! 止めろダルマ止めろ! 誓いを果たすんだっ。引導を、渡すんだっ。今……ここ、でぇ……」シュナの体が傾いでいく。
「駄目だ、悪いがな」
「誰が……お……れの……だろうがぁ……」
「アザブラとして許すわけにはいかない。従え」
シュナが大地に倒れ込む。バシャリという音がした。水飛沫が上がるのと入れ替えにザンシュをむしばむ火炎が消滅する。
「話は聞かせてもらった。黒指のザンシュだな、お前にはまだ聞きたいことがある」
シュナは地に伏したままぴくりとも動かない。ダルマのマギカによって完全に沈黙させられている。
と、横たわったままのザンシュに眩い光が当てられる。
フランチェスカの精霊術だった。ザンシュの火傷が治癒していく。
「穏便に事を済ませたい。要求をのむなら命は保証しよう。妙な考えは起こすな、斜面に配置されていた連中は全員死んでる。お前のマギカは俺が封じよう」
「…………」
「ザンシュ=クロード、カエデをどうした、答えろ」ダルマは冷えた口調でザンシュに問う。
ザンシュが答えあぐねているとフランチェスカの治療が止められた。
「命と引き替え、か。ダルマ、我を生かしてどうする」
「ミリアにてディー団長に引き合わせる。彼に裁決を仰ぐよ。おそらくヘンゼルウェーブに売りつけられるだろうな。貴重なマギカ持ちだ。身代金を引き出す価値があるとして、それまで命の保証はしてやる」
「…………」
「孤立無援で逃げられると思うな。ヒジリのマギカを知っているだろう、縛り上げるのに使う『絶対不断の魔糸』は砂鉄の刃では千切れない。俺も見張り役につく」
「のこのこ帰れと、恥をさらして生きろと、そう言うのか貴様は」
「そうだ。死ぬより辛いだろう、だからこそ生かして帰すんだ」
ダルマの言葉を聞いた瞬間ザンシュは舌をかみ切ろうとした。
しかしあごに力が入らない。ダルマのマギカが先回りしてザンシュの自由を奪っている。
「答えろザンシュ、カエデをどうした」
ザンシュは恨みがましい目でダルマを睨めつける。
「そんな目で見るな。だいたいな、お前が馬鹿だったんだ」
「何?」ザンシュが眉をひそめる。
「選考の結果を受け入れればよかったんだ。これまで通りヘンゼルウェーブで働いていればよかったんだ。エリーの側近になりたいだのと余計な欲をかくからこうなる」
「我の願望は、この想いは言葉で言えるほど軽くない」
「その願望……道理や正義を手放してまで追い求めるものか」
ザンシュは呆気にとられて目を丸くしていたが、すぐ腹を抱えて笑い出した。
「い、一介の傭兵が我に道理正義を説くだとっ、うっははっ、馬鹿馬鹿しい! 殺しを生業とするものが何を言う! 偽善も甚だしい!」
「傭兵団だって人の集まりだ。規則や建前がいるだろう。それを無視して集団は機能しない」
「…………」
「それとな、俺は極力人殺しはしない。アザブラの一員として必要に迫られなければな。大抵の傭兵がそうだろ。戦いとただの人殺しには線引きがある。無論なかには非道な奴らもいるが、そういう奴は決まって長生きしない」
「…………」
「ザンシュ、器じゃなかったんだ、お前は。今回の襲撃もそうだ。お前の立てた戦略は斜面に展開していた奴らを見殺しにするものだっただろう。自分の功績を立てることにかかりきりで、お前は味方を生かさない。自分の為なら必要以上に他人を殺す、だから部下の信頼を得られない。そんな奴があのヘンゼルウェーブで上に立てるはずがないだろう。エリーはそこを見抜いていたんだよ」
ザンシュは言葉に詰まっていた。図星だったからだった。
それを分かっていて、ザンシュは非道な策を選ばずにはいられなかった。犠牲を出さずして戦果を上げられなかった。それは部下の技量不足ではなく……
「その様子じゃ自分に実力がないことは分かっていたんだろう。俺が見るに、自分を測れないお前じゃない。なあザンシュ。ヘンゼルウェーブは傭兵団の中でも異質で突出した存在だからな、その一員になれただけでも十分じゃないか。エリーの下で働けて……。なのに、不相応だと知っていて、なぜその上を目指すんだ」
「諦められぬからに、決まっておるだろう……」
「それは子供だっていうんだ。諦めて死ね、馬鹿野郎」
ダルマはため息をついた。
「無駄な時間をくったな。カエデも心配だ。さあザンシュ、尋問を始めよう。人死が出なかったからと言って容赦はしない。フランヌ、まずはヒジリを呼んできてくれ。こいつをしっかり拘束する」
カエデは生きていた。
イビリアを襲撃したサヴァンの軍勢は街道沿いの農村も襲撃していたようだ。農民がいなくなったために放棄されていた民家は彼女を閉じ込めるのにもってこいの監獄になった。
カエデが生かされていたのは人質としての価値を見込んでのことだったらしい。ザンシュ達の作戦が失敗して彼らが拘束された時に交渉の札として使われるはずだった。カエデが閉じ込められていた民家には二人の男が見張りに付いていたが、これはウィザードではなかったため簡単に拘束できた。主にダルマが活躍している。
カエデは身ぐるみを剥がされたまま、ぼろ布一枚にくるまって震えていた。鉄鎖に繋がれて身動きのとれない状態だった。手錠のあとが手首にはっきりと付いていたのは必死に抵抗したためで、青アザだらけの体は見張りの男達に暴行を受けた証だった。家屋に入ってきたダルマを見ても、カエデの涙に濡れる瞳は輝くことはなく逆に恐怖に凍り付いた。カエデは半狂乱で騒ぎ立てた後に力尽きて気絶した。女性陣の手で介抱されていたがこれからどうなるのかは分からない。
ザンシュ=クロードは現在ミリアにて拘束されている。定期の任務として護衛部隊の様子を確認すべく転移してきたルッテリアによって運ばれた。
シュナが起きた時には全てが終わっていた。カエデを傷つけられたと知って激昂したシュナはダルマに詰め寄ったが、当のカエデの様子を目の当たりにして不用意に騒ぎ立てることも出来ず、結局ダルマになだめられるままその場では怒りを収めた。
隊商の護衛任務は続けられた。壊された荷馬車の車輪はミリアから呼び出されたアザブラの団員がマギカを使って修繕していった。
なお、この人物がミリアに戻るときにカエデとシチリカも同時に転移している。ザンシュと時をずらしているのは受け入れ体勢を整えるのに時間を要したためだった。シチリカは同年代の女性代表として付き添いの役目を担っている。
以上がこの襲撃の顛末だった。
☆ ☆ ☆
「シュナ君、いつもの」
護衛任務も中盤を迎えていた。現在のアザブラはヘルガニア平地のただ中にいる。見渡す限り起伏の乏しいなだらかな丘陵地帯がどこまでも続く。街道沿いの景色は変化に乏しく旅をするには飽き飽きしてくるが、荷馬車を走らせるには最上の環境だった。
とはいえ夜まで行進を続けるわけにはいかない。御者がどれだけ急かそうとやはり人間に休息は不可欠である。
満天の星空の下、アザブラは街道から少し外れた場所に位置する村で夜を越そうとしていた。村の規模はそこまで大きくない。切りそろえた木材を立て連ねただけの木柵が村を囲んでおり、敷地の中央には石造りの教会が寂しくたたずんでいた。村人はいない。サヴァンに襲われた形跡もないので、恐らく襲撃を受ける前に逃げ出してしまったのだろう。死体の転がっていない農村は羽休めにはもってこいだった。
「シュナ君、聞いてる?」
「…………」
シュナのマギカで燃やされたかがり火の下でシュナとヒジリが黙々と作業にいそしんでいた。
二人はあるサヴァンの死体を捌いていた。その日の昼間に捕獲されたもので、『レイラ』と呼ばれる鳥型のサヴァンである。両翼を広げれば二メートルを優に超え、その佇まいから怪鳥と呼称されることも珍しくない。レイラの羽の色は多種多様だがどれも一本足なのが特徴である。
シュナとヒジリがレイラを捌いているのは、このサヴァンが胃の中に溜め込む特殊な石ころを取り出す為だ。『レイラの懐石』と呼ばれるその石は青く、大抵が拳に匹敵する大きさの美しい玉の形をしている。磨き上げれば宝石としての価値すら見込めそうであるが、この石を装飾品として身につける者はいない。それもそのはず、この石の内部にはサヴァンを呼び寄せる効果のある液体が詰まっているのである。レイラあるところにサヴァンの軍勢は出現する。また、レイラが有知性体と組んで戦略的行動を取ることも少なくない。周囲から援軍を呼び寄せたり本隊を別の場所へ誘導するなど石の用途は多岐にわたる。
そしてこれは人間も活用することが出来る。サヴァンの軍勢のいる場所とは別の場所でこの石を割ることで軍勢を分裂させたり襲撃までの時間を稼ぐなどの効果を望める。使いどころの豊富なとても貴重な石である。
「シュナく……ん?」
「よし……」
まわりが見えなくなるほどにシュナは集中していた。なんと言ってもレイラの懐石は割れやすいのだ。もっとも、割れやすいのは胃酸に浸されている時だけで、空気に長時間さらしておけば一定の硬度を保ってくれる。シュナとヒジリは懐石を割れやすい状態のときに取り出そうとしている。本来なら晩のうちに死体の胃を切り開いた状態を保って懐石を乾かすのが得策だが、それでは乾きが遅くなるし、なにより夜中そんなことをしていては周囲に獣が集まってくる。アザブラの安眠を守る為の処置である。
「…………」
「ヒジリ、スタンバイ」
「イエス……」
懐石を取り出すのはヒジリだ。レイラの胃酸はなかなかに強烈なのでヒジリは革製のグローブを着用している。シュナは死体の胴体部の切り口をぐっと広げることで胃の内部がよく見えるようにしている。レイラの死体は大きく、加えて死後硬直している為なかなかに力の要る役目である。
ヒジリが死体の中に小さな頭を突っ込んでいる。と、死体の中からくぐもった声が聞こえてきた。懐石が見つかったようである。
ヒジリがもそもそと死体から這い出ようとしている。まずは頭を出して新鮮な空気を肺一杯に吸い込む。続いて胃の中に突っ込んだままの両手を慎重に引き出しにかかる……そんな様子をシュナが眺めていると、
ドンッと、
シュナの背中を何者かが蹴り飛ばした。その拍子にシュナは死体の切り口の縁を手放してしまい……
「あ……、あああああ!!」
どさっ と勢いよく、さながら蝦蟇の口が閉じるようにヒジリの腕に屍肉がのしかかった。
シュナは跳ね上がった心臓が喉から飛び出るかと思った。ヒジリの方は眼球が半ば飛び出しかかっている。ぴゃっ、などと聞こえた音はヒジリが変な風に息を吸い込んだものだった。
「ヒ、ヒジリ……?」
(割れたか、割れたのか)
シュナが青い顔をして問いかけると、ヒジリは泣きそうな顔でコクコクコクコクとうなずいた。
え、いや分かんないどっちだよ、とシュナが問い返す前に「だ、大丈夫、だだと、思うんです」とヒジリは震える声で答えてくれた。ひとまずほっと胸をなで下ろしたシュナである。
シュナは再び死体の切り口を持ち上げながら、背後に立つ少女、フランチェスカを怒鳴りつけた。
「フランヌてめえ! 許されねえぞ! サヴァンにまみれて暮らしたいのか!」
シュナが振り返った時、少女はすでに彼に背を向けて歩み去ろうとしていた。「今日も人車の近くだから」とシュナの顔も見ないで言い残していく。
「あ、こら待て……」
「うるさい……。早く来て、イライラする」
心底鬱陶しいと言いたげな口調で言い放たれると、シュナもどう言っていいものか考え込んでしまう。
と、そんなうちにフランチェスカの姿は闇に飲まれてしまった。言葉の通り人車のそばで待機しているのだろう。
「シュナさん、懐石を取り出しました」
「ん? ああ、ご苦労さん。じゃあそれを椀に移して、あとはどこかの屋内で乾かしておいてくれ。落とさないよう気をつけろ」
「空き部屋でいいですか。それとも見張っていた方が?」
「空き部屋でいいよ。臭いもんな、それ」
シュナが死体の後片付けをするべく腰をかがめていると、ふいにヒジリが言葉を発した。
「フランチェスカさんって、いつもああですよね。無愛想というか、刺々しいというか」
「ああ……。ま、言葉の少ないところはあるな」
フランチェスカの協調性の無さは傭兵団の中でも群を抜いて有名である。彼女は普段から人を寄せ付けないオーラを身に纏っていて、一人で精霊術の鍛錬に没頭していることがほとんどだ。シュナとは比較的言葉を交わす方で、これがルズクやハーメルとなると一日に三語しか話してくれない。三語話すと本当に測ったように口を閉ざすから驚きである。
「あの人、昔からずっとああなんです?」
「フランヌは……、俺が来る前からアザブラに在籍してたからな。俺の知る限りではそうだ。気むずかしい奴だよ、ホント。まったくどこであんなに捻くれたんだか……」
「僕、まだあの人と話したことがないんです。目を合わせた事が一度だけ……。怖い印象があって近づけないんです」
「あいつって短気だからなあ……、まともに話そうとすると俺も気疲れする」
「私のこと……」
瞬間、シュナの背筋が凍った。背後からフランチェスカの声がする。
思わずヒジリと目を合わせる。ヒジリはすでに泣きそうになっている。
「……嫌いなの? シュナ……」その言葉に心臓を握りつぶされる気分だった。
(え、聞かれた? ……やばい)
意を決してシュナがそろそろと振り返ると……
そこには誰も立っていなかった。
立っている者がいなかっただけで、寝転がっている者はいた。
「シュ、……シュナ? ナ……シュンナァ……」
険しい顔をしたフラメルが寝言をつぶやいている。明かりがある場所は一カ所設けられた焚き火かシュナの周辺だけなので、自然とどちらかに人が集まる。フラメルはシュナ達の作業を眺めている内に眠りこけてしまったようだが……
驚くことにその寝言の口調、声音がフランチェスカにうり二つだった。
「…………」
「…………」ヒジリも沈黙していた。
シュナは肩に担いだレイラの死体とフラメルとを交互に眺めつつ、ヒジリに問いかけた。
「この糞ガキ、胃酸で溶けねえかな」
「まかせてください」
数秒後、悲痛な叫び声が夜空にこだましていた。
☆ ☆ ☆
人車に歩み寄ると、聞こえてきた第一声が「遅い」だった。声を張り上げているわけでもない、どちらかと言えばか細く消え入るような声なのに『不満』という感情がこうまで伝わってくるのは、一種の才能ではないかとシュナには思える。
「悪かったよ。でも、あんた何も蹴ることはないだろ。大惨事になるところだった」
「返事、しないから」
「肩を叩けば済むだろ……。集中してたんだよ、察してくれ」
フランチェスカは荷車の荷台に腰をかけて足をブラブラと交差させている。シュナがマギカの明かりを差し向けると、フランチェスカの姿が闇の中に浮かび上がる。
一目見て、冷たい印象を受ける少女だった。透き通った藍色の瞳は背筋がぞくりとするほど美しいが、見つめていると思わず目をそらしたくなる毒々しさも備えている。彼女が纏う雰囲気はどこかうらぶれていて、退廃的とすら言えるかも知れない。気だるそうにため息をつく仕草、ぶっきらぼうな口調などはその典型だ。
(無愛想とか刺々しいとか、ヒジリは的を得る言葉をよく選ぶ)
為すこと全てが友好的でない、行動の端々に敵意すら感じさせる。彼女は小さな針鼠だった。
それでいて、外面だけは抜群にいい。
くすんだ灰色の髪が夜風に吹かれてゆれている。つややかな髪は胸にかかるほどの長さでざっくりと切られ、癖のある髪質のためか天然のウェーブがわずかにかかっている。ほどよい長さの前髪から覗く、整えられた眉も髪と同じ灰色だった。
髪や眉が灰色なのに対し、瞳は深みのある藍色。……彼女の突き放すような視線を受けた人間はまず一度目をそらし、しかし次の瞬間には再び彼女の瞳を見つめたいと思ってしまう。敵意の眼差しに隠されたフランチェスカ本来の魅力、すなわち瞳の奥にきらめく不可思議な妖艶さが人を魅了するのだ。拒絶されると分かっていてそれでも見つめたくなる……感情を板挟みにする不思議な魔力、それがまた彼女の神秘性を高めているのかもしれない。
彼女の魅力は瞳だけにはとどまらない。気品を漂わす筋の通った鼻梁、ふっくらしたうす桃色の唇。なめらかな顔の輪郭線を下へとたどり、首回りから鎖骨に至るつるりとした青白い肌の妖しさは性別を問わず見る者の胸を高鳴らせるものがある。
着用している衣服は濃紺の染色ローブだ。フード付きのそれは肩から足までをすっぽりと覆い尽くしている。かなり年期が入った代物らしく、布地には毛羽立ちや糸のほつれが目立っている。足下の裾はすり切れてすでにボロボロだ。みすぼらしいと言えばみすぼらしいが、彼女に買い換える気はないらしい。シュナの聞くところによると、このローブはとある学院の指定制服で、フランチェスカは傭兵団に入る以前はその学院の生徒だったようだ。
(服の点はおいておいても……、これでまともな服着たらどうなるんだ)
総合して、どう考えても美少女である。
シュナは以前シチリカにこぼされたことがある。「フランヌは卑怯だ」と。その気持ち、シュナは理解できなくもない。
「何、人の顔を見て……」
「ん、いや別に。それじゃマギカの調整、今日も頼む」
シュナはおもむろに黒い上着を脱ぐとボロ着一枚になって地面にあぐらをかいた。次いで炎の明かりを操作してフランチェスカの方を照らしてやる。
「明かり、いらない。いい月夜なんだし」フランヌは小さな声で拒否した。
フランチェスカは荷台の上をがそごそと漁っている。必要な用具をかき集めているようだ。
「手元が見えないと困らないか」
「うるさい。いいから言うとおりにして……」非難がましい一瞥がシュナに向けられる。口答えの一つすら許さない態度、シュナは慣れたので何とも思わない。
宙に浮かんだ炎がかき消える。一瞬、視界が闇に閉ざされる。
途端に夜の静寂が耳元に押し寄せてくる。先ほどまでは気にもとめなかった静けさが、明かり一つが消失するだけでまざまざとそのあり方を変える。モノクロの世界に色がついたように音という音がその鮮明さを増す。
充ち満ちた暗闇はたちまち距離感を狂わせる。自分を取り囲んでいたはずのにぎやかな触感がはるか遠くに感じられ、世界に一人取り残されたような落ち着かなさが胸中をざわつかせる。寄る辺なき身に寂寥感がすきま風のように吹き込んで、心の内に言いようのない不安をかき立てるのだ。
少し前までシュナは夜が嫌いだった。ふと孤独感に襲われることが多かったし、真っ暗な視界にはあの日の記憶がよくフラッシュバックしたからだ。
それが今では瞳を閉じて、暗闇の中に一人たゆたってみせる。静かに耳をすませてあたりの音に聞き入ってみる。騒がしい時間がとうに去りゆき寝静まった世界にも、音は絶え間なく存在する。聞こえてくるのは風の音、草葉のざわめき、虫の音色、……野太い声が談笑しているのは焚き火のそばに居るルズクやハーメルだろう。フラメルとヒジリもそこにいるのだろうか。もちろんフランチェスカの立てる物音も絶えず耳に入ってくる。
たぐり寄せた物の正体を確かめられない曖昧さは人間の想像力を呼び覚ます。目をつむったシュナは音を頼りに仲間の姿を脳裏に描いてみる。すると、どうしてなのか心が落ち着いてくるのだ。この頃のシュナはたとえ一人で眠っていても孤独を感じずにすむようになってきていた。自分でも不思議な気がするが、この頃はそれだけで十分なのだった。
「…………」
どすっ
「いってえっ」目をつむるシュナの頭上に手刀が振り下ろされた。
「何、寝てるの」
フランチェスカは虫を見るような目でシュナを見下ろしている。
彼女はシュナの後ろに回り込んで自身も地面に膝をついて目線の高さをシュナに合わせた。
「あんた、なんでそうやってすぐ殴る」
「うん、そう」
「返事になってないんだよ……」
「うるさい……。こんなの、さっさと終わらせたいんだから」
長いため息がシュナの首筋をくすぐった。フランヌがどんな顔をしてるのか、振り返らなくても分かってしまう。面倒くさそうな顔に決まってる。
(しょうがねえ奴……)
シュナは目線を落として地面を見つめる。
シュナの首筋にフランチェスカの手のひらが当てられる。ほっそりした小さな手はいつだってひんやりとしている。そのまま数秒待たず、彼の背後で白い光が輝く。フランチェスカの腕輪による精霊術が発動する。
始まったのはマギカの調整だ。普通のウィザードは調整など必要ないが、マギカを二つ以上持つウィザードは話が別だ。体内に宿ったマギカ同士が反発し、暴走状態に陥りやすくなるのだ。暴走は厄介で、意図せぬところでマギカが発動したり、逆にウィザードの意思に背いてマギカが発動しないこともある。戦闘中にそんなことになっては困るので、シュナのようなウィザードは精霊術による入念なケアが必須になってくる。
目の前にできた自分の影をしばらく眺めていると、背後にいる少女が肩越しに声をかけてきた。
「さっき火の手が見えたけど……。あれ、シュナ君?」
「ん、そうだ。レイラの死体を燃やしていた」
「え、燃やしたんだ……」
「何か不都合があったか? だとしたらすまない」
「皮とか羽、売ればお金になったかな……的な。研究に必要な資材資金、足りてないから」
「あはは、フランヌの財布はいつもかつかつだな」
「シュナ君のせいでもあるんだけど」
「それは、その……」
治癒系精霊術の腕輪はガタが来るのが早い。先日のザンシュとの戦闘でフランチェスカは自前の精霊術器具を大分消費したらしかった。無論、アザブラの帳簿係に申請すれば損失分の予算はおりるだろうが、それでは彼女が熱中する精霊術研究の資金分まではまかなえない。
「金が欲しいならダルマに言うか、ディーに直訴するかだ」
「ディー……。私、あの人嫌い。いつも子供、はべらせてるし。ロリコンって言うの、あれ」
「ああ、俺も同感だ。ディーは好かない。あれは死んでいい」
「だから、話したくない」
「じゃあダルマに言うほかないな」
「超めんどくさ……。シュナ君、言っておいて」
「…………」
シュナは思わず夜空を見上げた。星々が綺麗だった。
「よろしく」
「分かった、分かったよ」
下手に口答えするとフランヌはすぐ機嫌を損ねるため、シュナは頷くほかない。
人嫌いも大概にしろと、そう言いたい気持ちをゴクリと呑み込んだ。胸焼けがするようだ。
「何か仕事、手伝うから……。明日、料理当番だったね」
「調理に精霊術は使うなよ。野菜スープからカビの塔が生えたこと、俺は覚えてるから」
「……考えとく」
その言葉を最後に二人はしばらく口を閉ざしていた。
シュナは精霊術の光に群がってきた羽虫を火であぶって燃やしている。フランヌは精霊術にかかりっきりだ。
二人の交流はいつだってこんなものだった。もともとマギカの調整中は二人とも手持ちぶさたになるということで、暇つぶしのつもりで始まった雑談だ。土台、フランチェスカが会話嫌いな為、話が長続きすることはあり得ない。それとシュナから話題をふることも滅多にない。フランヌの興味の無いことを話題にすると彼女はすぐに機嫌を損ねる。それは教訓だった。
「レイラって言えば……」フランヌが再び話しかけてきた。
「うん」
「さっき、ヒジリ君に懐石を取らせてたよね」
「ああ……」
再生できるシュナが取ればレイラの胃酸で怪我をする危険もないのに。言葉に外にシュナはそんな声を聞いた。
「最近マギカが暴走気味だった。再生しながら作業していて、懐石を掴んだ瞬間に握力が強化されたら困る。ヒジリはよくやってくれたよ」
「前の調整、足りなかった?」
「いや、ザンシュとの戦いで暴走したものが後を引いてたんだと思う。それまでは調子もよかった。イビリアでも問題なく戦えていたし」
「そう……」
「フランヌの調整は最高だよ。前にあてがわれていた精霊術士じゃこうはいかない。『爆炎』のマギカが暴走して自分が丸焦げになるのが当たり前だったから。感謝してる」
「…………」
フランチェスカが黙り込んだので、この話題はここで打ち切りかとシュナが思った矢先、
「あの……、聞きにくいこと、なんだけど」
彼女が話を続けようとするのでシュナは少し驚いた。
「うん、何だ」
「その、前の精霊術士って、『黒影』ってところの……人?」
予想だにしない質問にシュナは言葉に詰まった。一瞬、心臓が強く鼓動する。
「ああ、そうだよ。だけど、どうしてそんなこと聞くんだ」
「その、シュナ君と黒影の関わり、知りたい、から」
シュナは目を丸くした。フランヌが他人に興味をもつなんて不思議なことがあるものだと思った。
「じゃあ、それはどうしてだ」
「話してくれたら、教える」
シュナはこめかみに指を添えた。どうしたものかと考え込む。
正直話したい話題ではなかった。だからシュナは譲歩する代わりフランヌにある提案を持ちかけた。
「交換条件だ。俺が話し終えたら、フランヌのことも何か教えてくれよな」
「いいよ」
契約は成立した。
「じゃあ、何を話せばいいんだ」
「全部、始めは黒影との馴れそめから」
「長くなる。俺がウィザードになった頃からの付き合いだ」
背後から返事はなかった。つまり早く話せということだ。
「こうしてまともに話すのは初めてだな……」
シュナは夜空に浮かぶ月の輪郭を目でなぞりながら淡々とした口調で語り始めた。
「知ってると思うけど、俺は故郷をサヴァンに襲われた。リーガナムっていう地方都市で、交易の要所に位置していたから人口もそれなりに多かった。だからサヴァンに狙われたんだと思う。リーガナムが襲撃にあった日、俺は家族と家の中にいて……、悲鳴と同時にサヴァンが来た。本当にあっという間で、家族を目の前で殺された俺はただ呆然と立ち尽くすしかなかった」
シュナは両の手の平を組み合わせて力の限り握りしめていた。そうしないと震えそうになる腕を押さえることが出来ないからだ。
「俺の家族を殺したのは有知性体だった。そいつは『いたぶる』という事を知っていて、俺をさんざん叩きのめしたあとで、やっと俺を食い殺そうと大口を開けた。そのときだったな。頭上に『細胞活性』のマギカが降ってきて、俺の体に宿ったのは。ウィザードになったと同時、怒りを爆発させた俺は知らぬ間にサヴァンをなぶり殺していた。そして、俺の頭上に降り落ちたマギカの光を頼りに一人の男が俺の元に訪れた。フロードと名乗ったそいつこそが『黒影』のリーダーだった」
シュナは一息ついて再び口を開く。
「『黒影』は義勇兵の集まり、つまり義勇軍だ。サヴァンに故郷を襲われて逃げ延びてきた男たちがフロードを中心に集結して、一端の軍団を形成していた。構成員はウィザードがほとんどで、カミュナ帝国領を侵攻するサヴァンの軍勢と何度も交戦した経験のある歴とした戦力だった。俺はそこでマギカの扱い方、戦いの術を覚えた」
「……どうして『黒影』なの」
「構成員は家族や親族の血を流した奴ばかりだった。だいたいの奴らが喪に服す意味で体のどこかに黒い物を付けていた。喪服なんてなかったからな。それがいつしかトレードマークになっていて、集団の名前を決める時もそれが反映されたんだ」
「ふうん……」
黒影は時を置くごとに大きな集団になっていった。噂が人を呼び、集まった人が噂を流し……。黒影の目的はサヴァンを撃退することから人民をサヴァンから守ることにシフトしていく。
「新しい顔ぶれには家族連れが多かった。サヴァン侵攻の情報が広まって、事前に住み家を捨てて逃げ出す人たちが多くなってきていた。俺たちはそういった人を東へ、つまり聖アーバラク国の方へ誘導した。サヴァンは西から攻めてくるから、より安全で危険のない方へ逃がそうとしたんだ」
この時の判断は決して間違った物ではなかったと、シュナは今でもそう思っている。黒影も所詮は寄せ集めの部隊だったから、サヴァンとの戦線は後退するばかりだった。マギカの性質上、死亡した戦闘員の穴はすぐ埋まるが、経験の足りない素人ばかりでは使い物にならない。
劣勢だった。戦線は東へと押しに押され、流れるばかりの血に対し黒影はなすすべもなかった。
「そんなときだ。聖アーバラク国で重要な事案が決議されたと、そんな噂が黒影に伝わったのは」
その時のことをシュナは鮮明に憶えている。
噂を聞いた翌日、アーバラクからの使節団が黒影を訪れた。
使節団は黒影のリーダーであるフロードと幾人かの古株を呼び寄せて手頃な空き家の中で対談した。
シュナ達はアーバラクと黒影が協戦体勢をとるものと考えていた。そのための対談であると、誰もが信じて疑わなかった。
だが、違った。
難民のアーバラクへの誘導を取りやめ、黒影を即時解散しろ
それがアーバラクの要求だった。
話は簡単だった。
カミュナ帝国の崩壊によって膨大な数の人民が難民と化し、それが黒影の誘導でアーバラクに流れ込む。アーバラクとしては迷惑この上ない話だった。難民の全てを養うことなど出来やしないし、する義理もない。食い扶持に困った難民が盗賊になって村々や隊商を襲うせいで、都市部への物流まで停滞する始末である。
「要求は単純にして明快。難民は見捨ててサヴァンに食わせろ。優秀なウィザードは黒影の解散のち自分たちの軍隊で子飼いにしてやる。……フロードはこの要求を蹴った。当たり前だ。解散などできない。難民の数は膨大だ」
黒影が戦線を維持しなければ、難民はすぐサヴァンの食い物にされる。
出来るわけがない。
何の為に戦ってきたと思っている。
「義勇軍は一つじゃなくて、『黒影』のほかにも『騎竜』とか『避雷』なんていったものも存在していた。アーバラクはそれらにも使節を送り、同じような要求をした。首を縦に振る義勇軍はなかった、らしい」
「……らしい?」
「ああ、俺は事の真相を知らない。使節団を追い払った翌日だ。アーバラクの軍隊が黒影に牙をむいたのは」
アーバラクの軍隊はウィザードを中心に構成されていた。どれも手練れでなおかつ兵の数も多い。連戦連夜サヴァンとの戦闘で疲弊しきっていた黒影が対抗できるはずもなかった。真っ先にフロードが殺害され、瓦解した黒影は呆気なく溶けていった。それはもはや戦闘ではなく、虐殺と言ってさし支えなかった。
そのなかに傭兵としてヘンゼルウェーブも参加していた。ちなみにここでシュナの首を斬り飛ばしたのがザンシュ=クロードである。シュナが活性細胞のマギカで再生し意識を取り戻したのは全てが蹂躙された後だった。
「皆、死んだ」
それだけが事実だった。
「俺はその後アーバラクといろいろとあって、野道に行き倒れているところをダルマに拾われて、今に至る。どうだフランヌ、満足したか」
返事はなかった。
「フランヌ?」
よもや話が長すぎて眠ってしまったか。
シュナがそんなことを思って振り返ろうとしたら、頭を軽く押さえられた。振り向くなということだろうか、シュナはとりあえず前を向いて言葉を待った。
「ずっと、聞きたかったんだけど……」
「うん」
「シュナ君は、どっちが本物なの」
「うん? ……うん」
シュナはふと思い出した。ザンシュとの戦いの中でシュナは過去の人格となって戦っていて、フランチェスカはそれを目撃していることを。……それだけじゃない。シュナはサヴァンを前にすると自制を失した暴虐の復讐鬼になることも彼女は知っている。
アザブラの団員として普通に過ごしているシュナは、作られた仮面の人格なのか。
それとも亡き家族への想いから無理に怒りを燃やしているだけの、本当は穏やかな少年なのか。
「それは……すまない。俺にも分からない」シュナは正直に答えた。
「そっか……」
また、しばらくの沈黙。
夜風がシュナの頬をなでる。雲一つない空の下、見上げる星が美しい。
そのときシュナのうなじから届く光が消えた。彼の目の前に伸びる影が消えて、月明かりによる影が新しく彼の左側に姿をあらわす。
「今日は終わり……」
ローブの衣ずれがした。服についた砂塵を払い落とす音、フランチェスカが立ち上がる気配がする。
シュナはひとまず肩や首を回して筋肉をほぐしている。
「フランヌ、俺からも聞いていいか」
「何……」
「フランヌがこんな事を聞いてきた理由」
シュナは純粋に気になっていた。本来、フランチェスカは他人に関心を持つような人間ではない。それはシュナがよく知っていた。いや知っているつもりだった。だから彼女が自分の知らない一面を見せてきたことに驚き、強く興味をそそられた。
(どんな答えがくるんだ)
シュナが子供のようにわくわくしながら回答を待っていると、彼のつむじに冷たい声が浴びせられた。
「シュナ君、馬鹿だから……」
「な、なんだと」
シュナががばっと振り向く。シュナはフランヌの顔を見上げた。そして何も言えなくなった。
藍色の瞳がシュナを見下ろしている。瞳の中にたたえられた冷たい光、ともすればそれは侮蔑の光にも見える。だがシュナはそう考えなかった。彼女の顔をじっと見つめる。
眉根の皺、きつく噛まれた下唇の意味をシュナは見いだす。
(憂い……?)
シュナが困惑する最中、フランチェスカが言葉を紡いだ。
「私、本当はシュナ君に文句言うつもりだった」
「え」
「ザンシュの時、シュナ君、傷だらけで飛びだしていった。私、止めたのに、聞かなかった……」
「あ、あのときは記憶が……」
「じゃあ、サヴァンの時は何……」
「…………」
「シュナ君、ときどき向こう見ずになる……から。その理由だけでも、知れたらなって」
フランチェスカはシュナからそっと視線を外し、調整の後片付けを始めた。精霊術に使われた腕輪や宝石などを荷台に積み込み始める。
その間中、シュナは地面に座ったまま置物のように固まっていた。
その様子を見たフランチェスカが眉をひそめる。
「何、その顔……」
シュナはあり得ない不可思議に遭遇したと言わんばかりの表情をしていた。
「いや、フランヌも人の心配をするんだなと思って」
少女の眉間に深々と皺が寄る。
「心配してない……」
「え、でも」
「うるさい……。二度言わせない、イライラする」
非難がましい視線がシュナを襲う。これ以上言うと口をきいてもらえなくなる。シュナは「そっか。そうだよな」とだけ言うと、自分も立ち上がって服に付いた埃をはたき落とす。
「そういうのホント大嫌い……。心配してないし、ホントに……」
(結局、二度言っているし)
シュナが心中で苦笑いしていると、
「そうだシュナ君。あとで精霊術の鍛錬、手伝って。そのとき呼びに行く……」
「ん、マギカの明かりを貸せってことか。おいおい、月明かりで済むんじゃ?」
わざと茶化したシュナの気持ちとは裏腹、
排水溝のゴミを見るような無分別な視線がシュナにつき刺さった。
「分かったっ、分かったよっ」