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第六話 雷鳴、野望の鉄槌 VSザンシュ=クロード

 天空を引き裂くような落雷は戦の始まりを告げる鏑矢にも似ていた。

 ゆらゆらと陽炎が沸き立つ森の中にザンシュ=クロードは立っている。

(シュナ=クレイ、こいつさえ殺せばよろし)

 ダルマはククルスが、ルズクとハーメルは自分が潰した。ツムギはザンシュの敵ではない。ヒジリ、シチリカ、フラメル、フランチェスカ……どれも経験足らずの子供である。猫をあやす気安さで殺せる。

 ザンシュはカサカサに乾いた唇をなめた。あたりの気温は驚くほど高い。だくだくと垂れてくる汗は冷えることなく肌に張りつき、革鎧の下に篭もった熱が鬱陶しくてたまらない。

(シュナ=クレイ唯一の弱点は頭部。頭部以外は斬り飛ばしても即座に再生する)

 マギカによる能力発動にはウィザードの意思が必須だ。命令を下す頭部を破壊してしまえばマギカは発動しない。ただし例外はある。たとえばマギカの暴走。これはウィザードの意思と関係なくマギカが発動するもので、シュナ=クレイの頭部が破壊されたあとでも自己修復能力が発動したのはこのマギカの暴走によるものである。

 敵の攻撃に反応できるよう、ザンシュは腰を低く落として足に力を込める。

 同時に周辺の地面から操れるだけの砂鉄を掘り出しておく。

(奴の記憶に錯誤が見られる。古い人格が現れているが現状の環境には疑問を抱いていない。認識能力に問題ありか、もし注意力が散漫になっているなら罠や揺さぶりも有効になってくるだろうが……)

 ザンシュは一度かき集めた砂鉄を再び周辺の地面にばらまき始めた。地表に薄くまんべんなく砂鉄を広げているのは、いざ砂鉄が必要になった時いちいち地面から掘り返す時間を短縮する目論見があった。

 しかしその計略が実ることはない。

 ザンシュは見た。黒づくめの少年がさっと地面に目を走らせた後で皮肉げに片眉をつり上げるのを。

 シュナが左手を地面に叩きつけた。同時に彼の所持していた火炎球が地面に押しつけられる。

 目に見える爆発は起きなかった。

 その代わりシュナを起点として熱流が地面を駆け巡った。

 バシャアアアアアアアアッ!!

 大地に含まれた雨水が凄まじい音を立てて蒸発した。シュナを中心に広がった白色の輪は蒸気によって形成された熱流の版図である。

 急速に拡大する白い蒸気の波は泥や小石を巻き上げながら、あたかも津波のような迫力をもってザンシュに迫り来る。

 ザンシュは泡を食って後ろに飛んだ。身にまとった砂鉄を防御と移動に活用したがそれでも熱流の煽りを食う。高温の空気を吸い込んでしまったザンシュは咳き込みながら心中で悪態をつく。

(糞めろっ、奴め何なんだっ。狂ってるかと思えば理性的な攻勢をっ)

 せっかく地表に振りまいていた砂鉄はほぼ吹き飛ばされてしまった。残った砂鉄もあるだろうが配置や量を把握できないのでは価値も半減する。

 ザンシュは後退をやめた。熱流の侵攻が止まったためである。

 目鼻を覆っていた腕をどかしてぶはっと息を吐いた。無理矢理に息を整えながらも警戒は解かない。生み出された濃密な蒸気があたりに充満しておりシュナの姿は確認できなかった。

 蒸気の幕のどこに黒い影が浮かぶか分かったものではない。

 敵はどこから来るか分からない。ザンシュは同時に自分を中心にして砂鉄をドーム型に展開した。砂鉄の密度はそれほど高くはない、視界を塞いでしまっては本末転倒だから。砂鉄のドームは簡易的なセンサーの代わりになる。砂鉄に敵が触れれば微妙な感触となってザンシュに伝わる。

(来…………、ない?)

 ザンシュは額の汗をぬぐいながら眉をひそめた。

 シュナ=クレイのマギカは利便性が非常に高い。聴覚強化をすれば蒸気越しにザンシュの居場所を突き止めるなど容易だろうし、蒸気による多少の火傷などものともしない再生力がある。

(どうして肉弾戦を仕掛けてこない)

 ザンシュは今も近くの大地から砂鉄を補充している。空白の時間はこうして体勢を立て直す暇につながるとシュナ=クレイも理解しているはずなのに。

(……というより、そもそも蒸気の生成を停止したのも理解しかねる。我をこの熱の煙幕に閉じ込めれば奴はほぼ一方的な立ち回りが出来るだろうに)

 だからこそザンシュはもやの奥に踏み込めないでいたのだ。靄に踏み入れば自分は視界を封じられるが、シュナ=クレイの強化された聴覚や視力は靄の中でも正確にザンシュの場所を突き止めるはずだ。

 解せない。

 ごくりと唾を飲み下す。

 なかなか晴れない蒸気の靄がひどくもどかしい。

 無意味な時間が逆にザンシュを焦りの淵へと攻め立てる。

(すでにどこかに隠れ潜んでる?)

 周囲を警戒しつつ、砂鉄を外套のように分厚く身にまとう。

(上か?)

 あえて地面に蒸気を這わせたのは注意を下に向けさせるため?

 ……しかし前方斜め上の空に敵影はない。

(あとは……)

 何らかの理由でシュナ=クレイがあの場所から動けない、もしくは肉薄した戦闘を忌避する理由があるか。

(確かに奴はふらついていた。平衡感覚が未だに戻っていない? すれば地面の砂鉄を吹き飛ばすと同時に蒸気で視界を封じたのは、再生の時間を確保するため。だが、マギカによる治療は火炎による遠距離攻撃をしながらでも可能なはず……、それをしてこないとなると……)

 ザンシュはちらりと後ろを見る。そこには黒い鎧が横たわっていた。鎧は雨に打たれるまま起き上がる様子もない。

(自己修復能力は奴の意思とは無関係に発動する。人格がアザブラに入団する前のものでも、記憶が徐々に戻ってきているとすれば……)

 視界が悪い中で不用意に火炎を放出してツムギ=イエスマンを巻き込むのを恐れているとすれば……

 ザンシュの瞳が歓喜に濡れた。

(お、こんなところに肉の盾が)

 ザンシュはマギカを使って鎧を引き起こすと、鎧のすき間に砂鉄を滑り込ませ始めた。その際確認したが、鎧の中身からわずかに吐息が聞こえた。これはザンシュにとって好都合だ。シュナ=クレイは吐息の有無でツムギ=イエスマンの生死を判断するだろう。女は人質として機能する。ツムギの目が覚めたところで何が出来るわけでもない。扱いに困ればしのばせた砂鉄で絞め殺す。

 もしシュナが記憶を取り戻しておらずツムギを平然と攻撃しても、それはそれでメリットがある。シュナが錯乱していると分かれば他のアザブラ団員も戦闘に介入しづらくなるからだ。

 と、敵側に動きがあった。

 靄の向こうに橙色の光がちらつく。現れたのは地を這う火炎の縄。火の付いた導火線とも藪から飛びだした蛇とも見えるそれは、幾束かに分裂した後で触手のようにのたうちながらザンシュに飛びかかってくる。

(ちっ、靄が晴れるまで待てぬのか。しかしチンケな一手だ、時間稼ぎにもならんぞ。火柱と地熱でマギカが疲弊したか)

 ザンシュは後ろに飛び下がりながらお返しとばかりにマギカを発動する。

 黒い鎧が引き起こされて火炎の前に立ちふさがった。

 火炎は鎧をよけて進もうとしたがその軌道をも塞ぐように鎧が移動すると、火炎はその場にとどまったまま立ち往生してしまう。その火炎を操っている少年が鎧を傷つけて良いのか迷っているのが丸わかりだ。

(脈あり……だ? だとすればやりやすい)

 口角に垂れた汗を舌でべろりと舐めとりながらほくそ笑む。

 火炎はすぐに消滅した。

 また、視界を遮っていた邪魔な靄がどんどん晴れていく。

 ザンシュは鎧を自分の斜め前に立たせたのち、その瞬間を待ちわびる。

(いた……!!)

 ザンシュは見た。徐々に晴れていく靄の向こうにぼんやりと黒い影が浮かび上がるのを。

(やはりあの場所に立ち止まったままだ、我の推測は正しかったか?)

 ザンシュは口元だけつり上げて笑って見せるが、

 その笑顔が急速に萎む。

 ザンシュは己の失策を知った。


 バシャッ と、

 背後で・・・水を踏む足音がした。


 気づいた時には間合いに入られていた。

 前に飛び出しつつ後方に砂鉄の防御壁を展開するも間に合わない。

 いや正確に言えば間に合いはした。

 意味をなさなかったのだ。

 砂鉄の幕の中央が赤く光って、次の瞬間生み出された爆炎が全てを吹き飛ばしてしまう。

 目だけで振り返るザンシュ。視界の端に映る火炎をまとった黒影。

 敵は嬉々として笑っていた。

 なのに地獄の底から見上げるような怨嗟の視線がザンシュを貫いていた。

 ゆらめく大気を突き破り、現れた黒い拳がザンシュの左肩にめり込む。

 重い、という感覚だけが先行して、

 直後に凄まじい衝撃が全身を駆け巡る。

 砲弾が直撃したのかと思った。

 視界がぐちゃぐちゃにぶれていると、そのことを理解できた時、すでにザンシュの肉体は弩で放たれた矢の如く尋常でないスピードで吹き飛んでいる。

 事前に水気を抜かれていた地面は硬く、勢いよく転がる彼の肉体は止まる気配を見せない。

 ザンシュは必死にマギカを発動する。

 皮鎧の下に仕込んでいた砂鉄が彼の肉体にブレーキをかけた。

 わずかに減速した時、ザンシュの体は硬い壁のような何かにぶつかって、そうしてようやく彼の肉体は転がることから解放された。

 しかしザンシュの顔は歪む。

 痛みも、それに伴う叫び声も、全てが遅れてやって来る。

「あ、あ、があああああああああああ!!??」

 ザンシュは恥も忘れて地面をのたうち回る。嫌な方向に曲がった左腕が体の下敷きになって更なる痛みを引き起こす。叫んだのも一瞬だけですぐに呼吸が苦しくなった。息苦しさにあえいでいればバクバクバクバクと早鐘のような鼓動がやけに鼓膜に響いてくる。

「あ、あ、……」

 ザンシュは全身に冷たい汗をかきながらどうすることも出来なかった。

「いやに感触が硬かったな。けど砂鉄じゃない、硬化の精霊術か? うっくっく」

 雨音に混じって水たまりを踏む足音がする。

「気持ちよく綺麗に決まったっ。鎧なぞにかかずらって馬鹿づら晒して笑えてくるっ。あっははっ! ザンシュ、なんだそのざまはっ。『黒影』を襲撃した時のお前はあんなに愉快に輝いていたのにっ」

 虫食いのようにところどころが赤黒く染まった視界に高笑いする少年が映り込む。

 黒衣の少年は確かにシュナ=クレイだった。

(どうし……て)

 シュナ=クレイはザンシュの背後から現れた。

 なら直前に彼が見た黒い影は何だったのか。

 その答えはすぐに知れた。

 ザンシュは悔しさからぎりりと奥歯を噛みしめる。


 雨ざらしの黒い壁がザンシュのすぐそばに生えていた。

 ザンシュの傍らの大地にツムギの大剣がまるで墓標のように突き立てられていたのだ。


 シュナは初手で蒸気の幕を作り上げた。

 靄に包まれたザンシュはただでさえ視界が悪いのに、その上高熱で目を焼かれないために腕で顔を覆っていた。シュナはその隙を突いてツムギの黒い大剣を地面に突き立て、

 そして上に飛んだ。

 ザンシュの頭上を軽々と越えて彼の遙か後方に着地した後は、最寄りの樹木の影に身を潜めて最上の結果が得られるタイミングを見計らっていたのだった。

(精霊術を……)

 地面に横たわるザンシュの腕が白い光を宿す。腕輪に刻まれた紋章が光り輝くのは精霊術が行使されている印だ。自然回復力を底上げすることによって超回復を実現する。それでも回復するまでには一定の時間を要する。

 と、その腕輪がパキンッと音を立てて二つに割れた。割れた腕輪から急速に光が失せていく。使用限界時間を迎えてしまったようである。

 ザンシュは息を切らしながら半身を起こした。精霊術のおかげで折れてしまった左腕の骨が治りはしたが、それでも体力全快にはまだほど遠い。狂ったままの聴覚が治らなくて雨音がやけに遠くから聞こえてくる。自然回復力の上昇は持続されているため時間をおけばそれなりに回復するだろうが、敵がそれを許すとは思えない。彼が受けたダメージはあまりにも大きく、そして致命的だった。

 ぐるぐると回る視界の中心で黒衣の少年が歪んだ笑みを浮かべている。

 彼はザンシュのもとへゆっくりと歩み寄ってくる。

(これから、どうする……)

 朦朧とする頭脳を働かせて次の一手を考えるものの、泥沼のように濁りきった思考では幾らもがいたところで掴めるものは何もない。

 シュナ=クレイがザンシュに向かって右手を突きだしてくる。

 彼の口が何事かわめいているがザンシュの鼓膜には響かない。

 ふと暖かさを感じたザンシュは空を仰いだ。

 彼の目に飛び込んできたのは曇り空を塗り替えるほどの強烈な赤光。

 中空に出現した火炎が滝のようになってザンシュに降り注ごうとしていた。

(…………)


 瞬間、ザンシュの心は無になった。

 思考の一切合切を放棄したがらんどうの心中に、不意に一陣の清々しい風が吹く。

 戦場の光景を視界から押しやって、心が脳裏にとある景色を映し出す。

 ザンシュは天使の羽が降る真白い平原を空目する。

 その平原の彼方に、白亜色の髪をなびかせた美しい横顔が太陽の日差しを浴びて光り輝いている。

 野望、憧憬、抱負、大志

 どうしても捨てることの出来ない、彼だけの渇望。

 彼をどこまでも突き動かす、それは一欠片の夢だった。


 瞳に炎が燃えさかる。

 ザンシュの喉が雄々しく震える。

 咆吼とも呼べる絶叫が大気を伝う。

「エリー様あああああああああっ!!」

(まだ終われぬのだ!!)

 降り落ちた火炎の濁流に呑み込まれながらもザンシュは己を見失わなかった。

 ザンシュはマギカをフル出力で発動させる。

 ツムギの大剣が浮き上がってザンシュの頭上に蓋をするように覆い被さる。剣腹によって火炎の直撃を避けたはいいが、今度は地表にせき止められた熱流が周辺にわだかまって横合いからザンシュを攻め立てる。まさしくザンシュは炎熱の湖の底に閉じ込められている。

 燃え上がる髪や装備品を砂鉄で無理矢理に押し固めながらザンシュは立ち上がろうとした。

 しかしダメージの蓄積が災いして足腰に力が入らない。

 気力だけでは立ち上がれない。立ち上がれないからマギカを使う。砂鉄が体の周囲に集まって彼の動きをサポートする。

 ザンシュは炎の檻を飛びだした。背後ではなく前へ、つまりシュナの方へ。

 かき集めた砂鉄を従えているから彼の背後の地面にはあたかも黒いさざ波が立っているかのよう。

 黒衣の少年のもとへ飢えた狼のように一直線に突き進む。

 シュナの目が驚きに見開かれる。まさかザンシュが立ち上がり、あげくに立ち向かってくるとは考えていなかったようだ。「頑丈な奴」、煙を上げて迫り来るザンシュにシュナが浴びせた言葉がそれだった。

(治癒は不完全。四肢の動作は平時以下。なればこそ奴は油断する、はず)

 ザンシュの脳内にいくつかの計略が巡る。激していても冷静さまで溶けてなくなったわけではない。

(必要なのは断首のやいば。砂鉄は……、駄目か)

 防御や身体サポートに回していたのが響いてマギカが疲弊し始まっていた。それは砂鉄の圧縮力や硬度の維持に直に影響する。敵の首を両断するに足る鋭利さは得られない恐れがあった。

(短期決戦だ。一瞬でなければならない。絞殺は不可能。手間取れば爆炎が全てをなぎ払う。威力を増すには……、加速。加速か、加速なら落下の力を利用すればよろし。……お?)

 苦しげな思案顔が一転、ザンシュは華やかな笑みを浮かべた。

 ザンシュは空から天啓が舞い降りるのを感じた。

(落下、空、そうだ。シュナ=クレイ、こやつの皮膚を貫くただ一つの矛は……)

 光明を得たザンシュは軋む体にむち打って敵の元に急ぐ。

「貴様を殺せるぞシュナ=クレイ!!」

「あっはははっ!! どうやって!?」

 シュナ=クレイは腹を抱えながら体をくの字に折り曲げて馬鹿笑いしていた。

 ザンシュがシュナの目前まで迫る。

 シュナは目尻の涙をぬぐったあとで、

 彼はそのまま後ろに飛びすさり始めた。

 たかが後ろ走り、されどマギカによって肉体強化されたシュナのそれは下手に打たれた矢よりも速い。

 ザンシュは――――追いつけない。

 息を切らし汗水垂らして、必死の形相で駆けていても黒衣の少年との距離はいっこうに縮まらない。

「き、貴様ふざけるっ、こんな真似っ」

「ふざけているのはそっちだろう!! エリーって誰だその女!!」

 黒衣の少年はふざけているわけではなかった。ザンシュの足の運びはほとんどを砂鉄のサポートに頼り切っていた。だから遅い、鈍足と言っていい。それだけを見ても、初撃で彼の受けたダメージがどれほど大きかったかは一目瞭然なのだ。

 正面きっての戦いに付き合うメリットなどない。弱り切った船舶は遠距離からの砲撃一発で容易く沈む。

 だから、シュナは後ろ向きに走りながらマギカを解放する。

 鬱蒼とした森が熱を帯びて橙赤色に染まる。

 膨れあがった業火が巨大な槍となってザンシュに襲いかかる。

(うおっ!)

 ザンシュは砂鉄の盾で炎を受け流すも力不足で、盾を食い破った火炎が彼の体に直撃する。

 砂鉄による鎮火など間に合わない。まず鎧に火が移る。次いで肌が焼ける。

 皮膚一枚など何の役に立つだろう。脂肪の奥すら赤黒く焦げるにしたがい想像を絶する痛みがザンシュに牙をむく。

 一気に思考が消し飛ぶ。チカチカと光の明滅する視界。叫び声が上がらない。

 気絶をこらえるのがやっとだった。

 それでも、気絶しなかった。

 そして、それで十分だった。


 ザンシュの計略を実行するには、まずシュナ=クレイの足を止めなければならない。

 しかし砂鉄では止められない。砂鉄を使えば即座に爆炎で吹き飛ばされる。

 シュナの意識の外にあり、ぎりぎりまでシュナに気づかれないもの。

「んっ」

 黒衣の少年が舌打ちする。

 彼の足が止まっていた。

 気づくわけがない。それは彼の死角から現れたのだから。

(間に、合ったか)

 漆黒の鎧がシュナを背後から羽交い締めにしていた。


 ザンシュの背後に控えていた砂鉄がシュナに襲いかかる。

 シュナは新たに生み出した火炎で砂鉄を吹き飛ばす。しかし鎧の腕中からは逃れられていない。目の前の砂鉄を吹き飛ばすのにかかり切りであったし、加えてあらかじめ鎧の中に潜ませていた砂鉄がシュナの四肢を拘束していたせいでもある。

 それは時間にして本当にわずかなもの。

 しかし確かにシュナの意識を攪乱した、そんな絶好の好機、

 ――――だというのに、ザンシュは背後に下がった。

 ほとんど砂鉄にもたれかかるようだが、しかし瞳の炎は消えてはいない。

 それと同時、ザンシュの背後から黒い影が打ち上げられた。

 それはツムギの大剣だった。後ろの砂鉄に紛れて隠されていた黒い鉄塊が、夜と見まがう暗雲に溶け込むようにして空を駆けのぼっていく。

 ザンシュの視線の先でシュナ=クレイは愉しげに笑っていた。無論、ザンシュの企みを見破ってのことだろう。上空から落下する大剣はその勢いやよし、シュナの頭部をかち割るに相応しい威力を手に入れるに違いない。

 だが、

(違うそうではない)

 ボロボロの燃えかすのような男がなぜか勝ちどきの笑みを浮かべる。

 その様子を見たシュナが怪訝な表情をして、

 黒衣の敵がにわかに表情を変える。

 少年は見つけてしまったようだった。

 今も上昇を続けるツムギの大剣から視認に困るほどに細い砂鉄のロープが伸びていて、そのロープが自分の頭上につながっていることを。

 シュナの四肢に力が込められる。

(そうだ。ツムギを……忘れて、いない、なら)

 シュナは体を勢いよく前に倒した。お辞儀をするような体勢は、背中で羽交い締めにしてくる鎧を投げ飛ばすため。ツムギの鎧がザンシュの方へ飛んでくる。

(間は一瞬で、いい。それがそのまま、最後の……)

 上昇を続けるツムギの大剣がまさに暗雲に吸い込まれようとしている。

 ザンシュはそれを確認しながら天空を睨めつけた。

 雲の中にわだかまったままの、神の鉄槌と謳われる莫大なエネルギーが大剣の切っ先に招き寄せられる。

(詰みだ)

 ザンシュは絶叫と共に命じた。

「落ちろおおおおおおおおおっ!!」

 瞬きは一瞬。

 轟きは獲物に牙を立てる喜び。 

 降り注ぐと電流と登り上がる電流がぶつかって結ばれる。

 大地が震えるその瞬間、天地の狭間に光の柱がたつ。

 雷光がシュナを呑み込んだ。


  ☆  ☆  ☆


 大気が爆発した。鼓膜をつんざく爆音が内蔵の奥まで響き渡る。

 衝撃が空間を席巻する。巻き起こった暴風を前にしてザンシュは枯れ枝のように軽々と吹き飛ばされた。

 地面を転がったザンシュは泥にまみれながら笑っていた。

 焼けただれた手を弱々しく握りしめて、舞い込んだ勝利の予感に歓喜する。

(直撃、だ。やったあ……)

 はじけ飛んだ土砂が降り注ぐ視界に一つ、屹立したまま動かない影がある。

 全身から黒ずんだ煙を上げ、体を前にかしげたまま枝垂れた柳のよう腕をぶらつかせている。

 そこは落雷の着弾地点、影の正体はシュナ=クレイである。

「ふ……、ふふ……」

 少年は意識を保っていた。

 うつむいた彼の表情は誰にも知れない。不気味な笑い声だけが地を這ってザンシュの耳に響いてくる。

 シュナの足がゆらりと持ち上がって、彼は一歩を踏み出した。その足取りは沼を進むように鈍くて頼りない。しかし確かにザンシュに近づこうとしている。マギカによる再生も発動しているようで、焼け焦げた服から覗く肩の皮膚がじわじわと肌色に戻ろうとしていた。

(これでも、死なぬ。どこまでも……邪魔な奴……。だが……)

 ザンシュは慌てない。

(勝負は、ついてる)

 敵が全快するには少々時間を要する。そして、ザンシュは最後の一手を残していた。

 盤上の試合は詰みで終わる。事が戦場ではそうはならない。敵の命を刈り取って初めて平静は訪れる。

 瀕死にあえぐ二人の頭上で動き出した一つの物体がある。

 磁鉄操作の浮力から解放された大剣が、元来の重力に従って落下を開始する。

 重度の火傷を負った顔面が柔らかな笑みを浮かべる。

(怒り、くすぶったまま死んでいけ)


 磁鉄操作で制御された大剣は天から飛来する誘導弾だった。

 落下途中で暴風に見舞われたのは荷台上からシチリカがマギカを発動したためか。しかしそれでも大剣の進路が変わることはない。一直線に矢のように、鉄塊が空気を引き裂くまま第二の雷として降り落ちる。


 軍配は上がった。

 大地に倒れふした黒づくめの少年。その四肢はぴくりとも動かない。

 そして……、

 ザンシュは口を開けて呆けていた。

 ツムギの大剣が突き刺さった先はシュナの頭部ではなかった。

 今し方シュナが立っていた場所のわずかに後方である。大剣が着地した衝撃はシュナを前方に飛ばしたが、それだけだった。

 ザンシュは照準を誤った? ……そうではなかった。

(ああ、あいつだ。遅かった)

 ザンシュの全身をむしばんでいた火傷の痛みがみるみる引いていく。しかし、それは精霊術による回復ではない。

「くそダルマ、やってくれた……」

 ザンシュから遙か離れた荷馬車の後部にて、フランチェスカに支えられたダルマがザンシュに向けて右手を突きだしていた。

 ダルマのマギカに乗っ取られた四肢の感覚が抜け落ちていく。ザンシュは自分の意識が闇に溶け込んでいくのを自覚した。大剣の軌道がずれたのもダルマの仕業だった。心身掌握によって意識を撹乱されたザンシュはマギカの制御力を失い、改めて吹いたシチリカの暴風が間一髪、大剣を吹き飛ばしたのだった。

 ザンシュは地面に横たわったまま、染みいるようにつぶやいた。

「エリー様、失敗しました」

 その瞳から一筋の涙が垂れた。

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