第三話 暗躍する者たち ジルカ中腹
街壁に囲まれたイビリアの奥まった場所、カビと埃に満たされた光届かぬ地下室で彼らは息を潜めていた。さながら獣が洞窟に篭もって嵐が過ぎ去るのを待つように、彼らは闇の中で身を寄せ合って機が熟すのをじっと待っていたのである。
男が五人、全員が目深にフードをかぶっているため面相ははっきりしない。
彼らの素性は、表向きは旅の一行、しかし裏の顔は暗殺稼業を営む集団であった。
その集団のリーダー格の男が声を上げた。
「アザブラは予定通り出発したのか、カラテイ」
カラテイと呼ばれた男がこくりと頷いた。フードの下の顔から察するに齢二十を超えたあたりだろうか。眉間に深く皺を寄せ、垂れた前髪を神経質そうになでつけている。
「はい。方角も確かです。ジルカ山脈を越え、街道を通ってミリアに向かうものと思われます。隊商の護衛についたのはやはり二班のみでありました。ディー=スペルマおよび残りの班員は転移系のマギカを利用してすでにミリアに移動済みの模様です」
「うむ。して、ミリアで起きている暴動の具合は?」
「住民らによる暴動は苛烈を極め、今なお収拾には至っておりません。破壊を行う者たちの中には野良ウィザードも混じっており、これが騒ぎを大きくする一因となっています。なお、テティーナム侯爵は傍観の姿勢を貫いています。軍隊は出払っており、アザブラが到着するまでのつなぎとして鎮圧にはミリアの警備隊を出向かせていたようですが……、焼け石に水でしょう」
「素晴らしきテティーナム。腑抜け侯爵が本日も腑抜けで好都合だ。アザブラの連中も鎮圧にはそれなりの時間を要するだろう。事後処理も考慮に入れればミリアに向かった奴らが引き返してくる可能性は極めて低い」
「いかがなされますか」
「決定した。戦力の分散している今が好機だ。護衛部隊がジルカ山脈を越え次第、襲撃を決行する。カラテイ、お前はこれまで通り護衛部隊にはりついてやつらの動向を探れ」
「了解しました」
「うむ。ケルロス、ワーエ、ハロンナ。お前たちは準備をしたあとで街門を通ってイビリアを脱しろ。集合場所は……」
リーダー格の男が次々に指示を下していく。部下たちも命令を聞き漏らさず頭にたたき込む。
「最後に伝えることがある」
全ての命令を終えたリーダーは自分のあごを撫でながら部下たちに語りかけた。
「ウィザードとの戦闘は危険だが、やつらも体は人間のそれだ。刺せば死ぬ。それと知っての通り、今回の依頼主はとても羽振りが良い。任務のあとには相応の報酬が支払われるだろう。酒を飲むもよし、女を買うもよし。だから死ぬなんて間抜けな醜態はさらさないようにしろ。頭数が減ると戦闘も不利になる」
「はっはっは。誰に言ってるんだよ、リーダー」
「我らプロフェッショナル、何年この仕事をやってると思ってるんです」
「きっと今回もうまくいきます。今回だけじゃない。次の仕事も、その次も仕事も。次の次の次も」
しばしの間、地下室の空気が和らぎ、密室に笑い声がこだまする。
決して楽な依頼ではなかった。なのに暗殺者たちには臆する様子がない。アザブラを軽く見ているわけではなく、彼らが積み上げてきた確かな実績が自信となって言動に表れているのだった。
面と向かってなら負けるだろう。だがそれは光の下での話。
自分たちの土俵である闇の中に引きずり込めばウィザードと言えどまな板の上の鯉も同然。
リーダーは任務の成功を確信して満足げにうなずいた。
「うむ。そうだな、その通りだ。今までもこれからも、何も変わることはないよな」
そして……
とんっ、と
彼らは音を聞いた。それは本当に小さな音で、彼らがその手の稼業の人間だったからこそ気づけたのあるが……。
彼らは即座に音のした方向へ視線を走らせる。音のした瞬間には皆すでに得物を手にしている。一瞬にして空気が張り詰め、痛いほどの殺気が部屋に充満する。
(ネズミか? いや……、あれは人影?)
暗がりの先に二つの人影が立っていた。ほかに一つうっすらと、人とも思えないずんぐりした何かの影も見える。闇に慣れた暗殺者の目をもってしても侵入者の顔立ちまでをとらえることは出来ない。
何だ誰だ。依頼主に敵対する組織のものか
いつからいた。どうやってこの場所に侵入したんだ
メンバーの脳内に様々な疑問がわき起こる。緊張しても息は乱さない。武器を握る手に力が力が入っても全身が硬直するようなことはない。何が起こっても対応できるように、柔軟に、冷静に……。
が、そんな彼らも次の展開は予想できなかった。
「ごめんなさい」
少女の声だった。
子供で、女?
彼らがそう思うのもつかの間、空間に稲妻形の白線が浮かび上がった。
卵のひび割れが広がるように、その白線はみるみる面積を増していき――――
「伏せろっ!!」暗殺者集団の一人がそう叫ぶのと同時、
「拘束解除っ」少女の細い声が室内に響く。
その言葉は引き金だった。
突如、白線の奥で閃光が弾ける。圧倒的な光量が堰を切ったようにあふれ出し、またたく間に暗殺者たちを飲み込んだ。光は地下室をくまなく照らし出すが、目に毒とすら言える光量のせいで明るすぎて前が見えないという矛盾した事態に陥る。
(視界を封じるかっ)リーダー格の男はうめいた。熱すら伴うほどの光の束は易々とまぶたを貫いて視界を焼いた。ひどい頭痛のせいで立つことすらままならない。
その場に伏せた者も物陰に飛び込んだ者も分け隔てなく、暗がりにいた暗殺者たちの目は一瞬にして潰されてしまった。
いまだ光のおさまらぬ最中、室内の中空にいくつも新たな人影が出現する。
見間違えようがない。転移系のマギカを使用したものだった。
「取り押さえて無力化しろ。急げ」
新たに現れた者たちは無駄のない動きで室内に散らばり、目の見えない暗殺者たちをあっという間に拘束してしまった。響き渡る怒鳴り声は暗殺者たちのものだけで、取り押さえた側はみな眉一つ動かしていない。
「カラテイはいるか」はじめに無力化を命令した声が聞いた。
「私が拘束しました。顔の特徴も一致しております」
「よし。これらはディー様に楯つく輩である。カラテイを残し、他はただちに抹殺しろ」
ここに来て暗殺者たちは敵が何者なのかを知る。
彼らの背中に冷たいものが走る。
殺される。
「ま、待て、待ってくれ」リーダーが必死の形相で声を上げる。
「黙れ、騒ぐな」
「お前たちアザブラ傭兵団だな。だとしたら取引しよう。俺らだって仕事でやってるんだ。恨みや信条で手を出そうとしたんじゃない」
「駄目だ、用なしは死ね」
「は、話にならねえ……」
リーダーはきつく目をつむった。首か、胸か。それともいたぶって殺すのか。じきに味わうであろう刃の冷たい感触を想像すると震えが止まらなかった。
そのとき、
「待って、よしなさい」
少女の声が制止をかけた。事の始まりに際して聞こえた細い声ではない。同じく可憐な声なのに、もっと低くて凄みすらすら感じさせる。それは人を支配する術を知っている人間の出す声音だった。
「チャチャ、彼ら用なしじゃないわ。利用価値があるもの。それに殺したらルティーが運べなくなってしまう。死体の処理で足がつくと面倒だし、もっと手間がかからない方法があるでしょう」
「シャングラ様、しかし危険です。あなた様のマギカは……」
「安心しなさい。今日は調子の良い日だから。それでチャチャ、リーダーのフラムという男はどれなの」
「私が取り押さえたこの男です」
チャチャと呼ばれた人物、金色の髪をした色白の青年は暗殺者のリーダーを組み伏せていた。リーダーは関節をきめられて身動き一つできないでいる。
そのリーダーの耳に足音が近づいてくる。コッ、コッ、とその音の小ささからして明らかに子供のものである。
「シャ、シャングラ……。知ってる。ディーの側近だな」
「上を向け。それとシャングラ様と必要以上に喋るなよ、汚らわしい」
リーダーは髪の毛を引っ張られて無理矢理に上を向かされた。天井を背景として映り込んだのは白い肌、黒い髪、体格からしてやはり少女だろう……。明滅する光の残滓に閉ざされた視界で判別できるのはそこまでだった。
「へえ、あなたがフラム。血の気の多い仲間でごめんなさいな。誠実なのも仕事熱心なのもいいけど、度が過ぎると困るのよね」
「話が出来るなら何だっていい」
「そうね。じゃあフラム、おとなしく情報を開示してもらおうかしら。依頼主のこと、指示された任務の内容などなど」
「取引に応じるって、そういうことだな」
「どうとでもとらえておきなさい。チャチャ、詳しい話はこのフラムに聞きましょう。それ以外は……」
シャングラという少女は自分の顔に手を当てた。リーダーに分かったのは、彼女がどうやら眼帯を外しているらしいこと。そして――――
眼帯の下に隠されていたシャングラの左の目から、金色の光があふれ出していたこと。
「やっぱり用なしだったわ」
金色の光が一瞬だけ室内を照らし出す。一度きり、カッと、まるで音を伴わぬ稲光だった。
シャングラはすでに眼帯を着けなおしていた。
「もういいわ。ルティー、みんなを運んであげて」
「うん。分かった」
(なん、だ。何をした……?)
リーダーのフラムが状況を把握できず呆気にとられている中、彼の横を通り過ぎる足音がある。今度もまた子供の足音だったが、シャングラが目の前に立っていることを見ると別の人物のようだった。
だが、そんなことより気になることがあった。金色の光の前後で変わったことがあるのだ。
仲間の、暗殺者たちのうめき声が聞こえなくなっていた。
「カラテイ?」
返事がない。
「ケルロス、ワーエ、ハロンナ?」
やはり返事がない。
新しくわき出た冷や汗がリーダーの頬を伝っていく。仲間の状態を確認したくとも体が不自由なうえ、そもそも何も見えはしない。
「何をした」
「うふ。旅だってもらったのよ。時間の彼方へ」シャングラがにやつきながら答える。
「殺したのか」
「無益な質問はよして。分かるでしょう。カラテイはウィザードだったのだから。そのくらいは見えているはずよ」
ウィザードの命が絶たれるとマギカは光の塊となって上空へ飛び立って行く。今、そのような現象は起こらなかったからカラテイは無事。ひいては他の仲間も無事だと、そういうことを言っているらしいとリーダーが気づくまで少し時間がかかった。状況に振り回されて頭がうまく回っていない。
「さあ、フラム。尋問の時間よ。手始めにまず、あなたたちの依頼主は誰かしら。個人、それともギルドからの依頼なの」
「おい、だったら仲間はなぜ返事をしない。カラテイだけ生かそうとしたり、用なしだの何だのと……。それにあの金色の光はなん……ごぶっ」
シャングラがリーダーの頭を容赦なく踏みつけた。メキ、と頭蓋が軋む音が聞こえる。
「言え。命が惜しいなら」
「あが、が……」
「話せと言ったら、話せ。私の望むままに口を割れ」
「この、雌ガキのくせに……ぐはっ!!」
シャングラの足がリーダーの頭を蹴り飛ばした。舌をかんだのか、リーダーの口から血がまき散らされる。
「まりを蹴るのが楽しいわ」
「あがが……」
「ディー様に仇をなした罪の味はいかが」
「言う……、ひうから……ひうからっ」
赤く染まったそれを一目見るなり、ルッテリアという少女は急いで目をそらした。
「シャングラ、この人死んでる」
「うん。言葉の真偽を確かめるのに手間取ったの」
「そう」
ルッテリアは床に転がるそれから意識をそらしたいのか、シャングラに別の話題をふった。
「それで、暗殺を企んだ人が誰か分かったの?」
「うん。だから早くディー様に伝えなくちゃ。皆で褒めてもらおう。で、ルティー、手間をかけて悪いけど、その汚いのも運んでくれないかしら」
「え、あ、でも私、その、人間じゃなくちゃうまく運べないよ。マギカが疲れちゃうから……」
「頑張って、いけるでしょう。大きな物じゃないんだから」
「でも……」
「やりなさい」
「はい……」
数秒もしないうち、地下室はもぬけの空になっていた。
残されたのは床に付着した血痕がいくばくか。猫がネズミを狩ったあとのようにしか見えない。
その界隈では名の知れた暗殺者たちの行方は、この日を境に闇の中に消える。
☆ ☆ ☆
最後の住人が手を振っていたが、その姿もどんどん小さくなって、やがて背後の景色に消えた。
それを確認するやいなや、傭兵団の荷台の上で深々とため息をついた人物がいた。
「やっといなくなりましたか。まったく困ります。街門のそばにいるときは声すらかけてこなかったのに、この手のひらの返しようはなんです。まったくまったく……」
声は女のものである。しかし、その人物を外見上から女と判断することは出来ない。その人物は全身に黒光りする鎧を着込んでいるのである。足の先から頭まできっちりフル装備であり、背中に一振りの大剣まで背負っていた。
この鎧の女、名をツムギ=イエスマンという。アザブラ傭兵団にいる五人の班長のうちの一人である。
「そういうなよツムギ。彼らは今までさんざん帝国のウィザードに虐げられてきたんだ。おっかなびっくりにもなるさ」
そう言って戒めるのは、鉄アレイを持ち上げながらトレーニングをするダルマである。この肌寒い中、上着を着ていない。半裸だ。それでも彼の体はうっすら汗に覆われていた。代謝が良いのだろう。
「心を広く包み込む、何に対しても寛大になるんだ。ツムギは班長だろう」
「ダルマ? 密集する荷台の上で筋トレはよしてください。臭います」
「そうか。これでも食事には気を遣っているんだが……、匂うものは匂うのかな」
「匂わなくても匂います。汗とは不潔の象徴です。あなたのようながたいのいい男のものは特に」
「いまいち理解出来んな」
ダルマが自分の腕のにおいをかんでいる。
さて、現在アザブラ傭兵団はジルカ山脈越えにさしかかろうとしていた。出発地であるイビリアがもともとジルカ山脈のふもとに位置しており、目的地のミリアに至るルートはこの山脈を越えるか、山脈を迂回して遠回りするかの二択である。ジルカ越えが選ばれたとき、初めは団員の中から反対意見が出た。そもそもイビリア出没したサヴァンの軍勢は、イビリアと山脈で隔てられた帝国領ヘルガニア平地から山脈を越えてきたのである。ジルカの山を越えるとはすなわち、サヴァンの勢力下に置かれた土地へ足を踏み入れることと同義であり、さしもの能力者集団も尻込みしてしまう。
しかし結局、ルートは現状に至る。理由の一つが移動時間で、山越えするルートに比べ迂回路を利用するルートは十倍近くの時間がかかってしまう。アザブラ傭兵団としてはいっこうに構わないが、困るのは護衛対象である御者であった。どうも急ぎの用らしい。
理由の二つ目は、山脈を越えたヘルガニア平地の、特にミリアへと通じる街道の付近では、サヴァンの勢力が手薄であるという情報である。これはアザブラの団長ディーがもたらした情報だ。彼曰く「サヴァンも群れなければ君たちの脅威ではないし、帝国領の偵察もかねて適当に楽しんできなさい」とのことである。
「ではカエデ。打ち合わせ通り前方の警戒を頼みます。先日のサヴァンの残党が潜んでいるやもしれませんので、注意は最大限に」
「はーい、ツムギ班長。……あ、班長。たいへーん申し上げにくいことが……」
「なんです」
「昨日サヴァンと交戦したときにコンパス壊しちゃったみたいでさあ。私ってば、このままじゃ斥候の役目果たせないよー」
「なっ……、まったく。そういうことはすぐに報告しろと言っているでしょう。破損の程度は?」
「表のガラスが割れちゃってるんだ。ミリアに行けば直せるかな」
「仕方ありませんね。ではヒジリ。カエデにコンパスを貸し与えなさい」
「イエスマム」
ヒジリと呼ばれた少年がカエデにあるものを差し出した。それは円盤状の物体で、大きさは手のひらにおさまる程度である。円盤の片面は透明なガラスで覆われていて、その内部では四つの細長い針がくるくると回転している。構造はまるで羅針盤だが、その針は方角を指すのではなくサヴァンの居場所を指すのであった。
「ヒジリサンキューね。それではツムギ班長、任務についてきまーす。せーの、トゥッ!」
荷台が大きくガタリと揺れた。牽引役のシュナが振り向かずに舌打ちをする。
シュナの目の前に楕円形の小さな影が現れる。影は地面を移動しながらシュナからどんどん離れていき――、やがてその影の上に一人の少女が降り立った。
その少女を前にして何よりも目を引かれるのは、彼女が背中に背負った銀色の槍だ。丈は少女の背をわずかに越す程度で、その鋭い穂先は陽光を反射して鈍くきらめいている。
少女は名前をカエデという。年の頃はシュナと同じく十七歳。長く伸びた金髪は首の後ろで一つに束ねられヘアゴムで簡素に縛られている。丁寧に切りそろえられた前髪の下で若葉色の瞳が悪戯好きそうな光を放っていた。
カエデは旅装用のマントをはおっていた。マントの下の上着はしっかりとなめしたサヴァンの革をさらに薄い青で染色して整えたものである。どんな手法を使ったのかは不明であるが革はかなり薄めにつくられており、一枚だけでは肌が簡単に透けてしまう。その点を克服するために上着はサヴァンの革を何枚も重ねて作られていた。
「うわー、シュナ君ったら超不機嫌な顔してる」
「馬と同じ扱いされて喜ぶ人間はいないよな」
「あはは、それ言えてる。でも、ディー団長と喧嘩したからってのもあるんでしょ?」
「あいつの名前を出すなよ。せっかく忘れてたのに……、あー、クソまたむかついてきた……っ」
シュナの眉間に皺が刻まれるのを見て、カエデは満足そうにニヤつく。
「で、ねえ、どう? 私が降りたら軽くなったー?」
「安心しろ、そんなに変わらないよ。いいからさっさと任務に就けってんだ」
「え、そう? 私マギカを使って自分の重さかさ増ししてたんだけど」
シュナのこめかみにビキリと青筋がうかんだ。
「おい……、カエデ」
「冗談、冗談だって。からかっただけなのよ。じゃ、偵察行ってくるー」
「あ、カエデ、一つ言いたいことがある」
駆け出そうとしていたカエデが振り向いてシュナを見る。
「いや、大したことじゃないんだけどな。イビリアの街中で妙な気配を感じたから、伝えとく」
「うーん? それは人間の気配かしら?」
「場所が場所だし、恐らくな。コンパスに頼りきりになるなよ」
「分かった。頭の片隅に入れとくよ。じゃ」
カエデはシュナに向かってひらひらと手を振ると、結んだ金髪を跳ねさせながら進路の前方へと駆けていった。
それを見送りながらシュナは一つ嘆息した。
「かかか、良い具合におちょくられたの、シュナ。まるでカエデの玩具だえ」
荷台の上からシュナに声がかかる。彼が首だけで振り返ってみれば、茶髪の少年が赤い果実にかじりつきながら笑っている。
シュナは返事をせず、その代わりフラメルの口の動きに合わせて荷台を揺らした。
彼の狙いは的中し、フラメルは舌をかんで悶絶する。
「は、はひふるえ、シュナッ」
「車輪が石ころに乗ったんだ。すまない」
ささやかな復讐を済ませたシュナが前を向こうとする――――ときに、不意に目に入ったものがあった。
赤い髪の少女、シチリカがシュナをじっと見つめていた。荷台がどんなに揺れても彼女がシュナから目を離すことはない。口角をわずかに上げ、慈悲深さを感じさせる表情をしている。つい先ほどの泣き顔とは対照的である女神のようなほほ笑みは、どこか狂気すらはらんでおり、正直気味が悪かった。
シュナは見なかったことにした。
(フラメルのやろう、何を吹き込んだんだ……)
☆ ☆ ☆
陽も山の陰に隠れ、あたりがだんだんと暗くなる。アザブラ傭兵団はジルカ山脈の中腹で野営の準備をしていた。少し早い時間帯だが、本格的な山越えは明日からになる。山越えとは言っても基本的には先人たちによって開発された平易なルートをたどるわけだが、雪解けの季節のため一部迂回しなければならないルートがあったり、そもそも山越えをする人間がめっきり減っていたためルートがどのような状況であるか不明であることも考慮すると、やはり夜の山越えには危険がつきまとう。サヴァンの襲撃は言うまでもないことだ。
「牽引お疲れだ、シュナ」
シュナがマギカを利用してたき火を燃やしていると、ダルマがねぎらいの言葉をかけてきた。一応マントをはおっているがその下はまったくの素っ裸だ。いい加減に上着という概念があることを覚えてほしいと思うシュナである。
「どうしたダルマ。見ての通り食事はまだだぞ。今日の当番はカエデとヒジリに決まっている。ただ二人ともまだ来てないんだけど」
「違う違う」
「なんだ。ついに半裸の寒さに耐えられなくなったのか。これは調理用だよ。たき火なら別に燃すから、暖を取るならよそでやってくれ。料理の近くにお前がいるとツムギがうるさい」
「それも違う。いや、ちょっと聞きたいことがあってな。昼間は聞き流したが……、イビリアで変な気配を感じたって話だ」
「ああ、あれか。本当に大したことじゃないんだ。ふと誰かに見られている気がしただけだから。すぐに聴覚を強化したけど音は拾えなかったしな。万一があるかと思ってカエデには伝えたけど、まあ、俺の思い過ごしだと思う」
「ふーむ。そうか……」
ダルマはあごに手をそえてうなり声をあげる。見るからに納得がいかない様子である。
「……逆に聞くけど、心当たりがあるのか」
ダルマはこくりとうなずいた。彼は近くの岩にどかりと腰を下ろすと、調理用のたき火に視線を注ぎながら静かに語り始めた。
「昼間の班長会議でディー団長が話していたことなんだがな。どうも最近、各地でウィザード狩りが深刻らしい」
「ウィザード狩り?」ダルマの思わぬ言葉にシュナは首をかしげた。
「ああ。ただウィザードとは言っても、国に忠誠を誓う軍属の奴らなんかは別だ。主に狙われるのはアザブラの連中のような認知されていない未登録の野良ウィザードなんだ」
「野良ウィザードって……」
ウィザ-ドはその強大な力ゆえにどうしても災いのもとになる。いつの時代であっても権力者たちはウィザードをその手で管理して彼らを利用しようと画策してきた。より多くのウィザードを自陣に引き入れて巧みに操ったものが権力者になれたとも言える。
サヴァンの出現によって崩壊したカミュナ帝国も例外ではなく、帝国の配下には多くのウィザードが登用されていた。帝国は建国当初から法によってウィザードの登録を義務づけ、彼らの中でも有能な人材を帝都に招集していた。俸禄や特権を与えるのと引き替えに兵役やその他多くの義務を課していたのである。
「サヴァンの帝都襲撃によって多くのウィザードが殺された。宿主を失ったマギカは新たなる宿主を求めておのおの四散し、そうして今や多くの未登録のウィザードが誕生した。俺やお前のように」
ダルマは近くに置かれていた木の枝を数本、たき火の中に投げ入れた。
「狩りと言ったよな。誰が何の目的で?」
「はっきりとはしていない。サヴァンによる被害じゃないことは確からしいが、ディー団長も詳しくは話さなかった」
そのとき遠くで叫び声が上がった。
シュナとダルマがはっとして声のした方向を見る。が、すぐに脱力する。
叫び声に混じって聞こえるのは興奮した馬のいななきである。見れば、異なる木の幹に繋がれた二匹の馬が暴れ回っており、その近くで金髪の少女と茶髪の少年が地べたに尻をついて座り込んでいた。彼女たちの表情に危機感はなかった。それどころか楽しげですらある。二人で顔を見合わせてなにやら言葉を交わしているようだ。
「あれ、カエデとフラメルか? 何やってんだ、あいつら」
いぶかしむダルマの横でシュナが噴き出した。
「なんで笑い出す」
「ダルマ、あいつらわざと馬に近づいたんだ。動物はウィザードを嫌うから……。なんて馬鹿やってるんだか……」
「は? おい、笑い事じゃねえ。馬が怪我したらどうする。馬までひっくるめて護衛対象なんだよ。ガキどもめ。いさめてくる。げんこつも二発だ」
「こんな話のあとだ。あんまり大声立てるなよ、班長」
「知るか!」
ダルマは頭をかきつつ問題の現場へ向かおうとする。
しかしすぐに歩みを止めてシュナの方を振り返る。
「あー。えっと、シュナ。今の話なんだがな。結局言いたいことは一つなんだ」
「ん?」
「見ての通り、今回の護衛任務をうけた班には子供が多い。フラメル、シチリカ、フランヌ、カエデにヒジリ……。もちろん能力的には問題ないし、サヴァンとの戦いでも文句ない働きをしてくれる。年の割には肝のすわった連中だと思う。だが……」
「ああ。それなら分かってるよ。そういう仕事だ」シュナは静かに口にした。
「もしかしたらの話だがな。覚悟はしておけ」
「それより早く行ったらどうだ。御者が困ってるみたいだし」
数秒後、ダルマの怒鳴り声が空気を振るわせていた。
☆ ☆ ☆
シュナは地面に腰を下ろしてカエデとフラメルが説教をくらっているのを眺めている。
「それにしてもヒジリのやつはどこいったんだろ。飯が遅れるんだけど」
「僕はここにいます」
シュナの背後から声がした。振り返ったシュナの目に、一人の少年がシュナの方へ歩み寄るのが見えた。肩まで伸びた亜麻色の髪、同じく亜麻色の瞳。少年と言うよりは少女と言った方が近い、そんな繊細な顔立ちをしている。実際、アザブラに入る前は邪な連中に何度も襲われかけたそうである。身長はフラメルとほとんど変わらない、つまりシュナの胸に頭が届くかどうかといったところだ。
少年の手には鉄製のバケツが握られていて、その中はたくさんの食材で満たされていた。その多くがイビリアの住人が押しつけるようにして荷台に詰め込んでいったものである。
ヒジリの手持ちの食材はだいぶ重そうだった。ヒジリはよたよたとふらつきながら歩いているのだ。
シュナはそばにいってバケツを持ってやった。力仕事から一時的に解放されたヒジリは一息つきながら額の汗をぬぐった。
「遅れてすみません。フラメルさんに水を出してもらって、それから食材を洗っていたんです。フラメルさんにカエデさんを呼んできてもらえるよう頼んだんですが……。取り込まれたようですね」
「ご苦労さん。その、悪かった。荷車の近くに煮炊き場所を作ればよかったな」
「いいんです。悪いのはカエデさんです」
と、シュナとヒジリの耳にダルマが一際大きく声を張り上げるのが聞こえた。見る限りカエデが茶々を入れたらしい。ダルマは頭から湯気が出そうなほど怒り狂っていた。その様子を見たカエデが満足そうに笑うから、ダルマが怒りはますます膨らんでいく。自業自得だとは思いつつ、カエデの横で縮こまっているフラメルが少し哀れだった。
頃合いを見計らってフラメルだけを助け出そう。シュナは救出の算段を立てた。フラメルの水のマギカを料理に使うと言えばダルマも了承するだろう。ただし今ではない。ダルマの頭が怒りで沸騰している今、下手に仲介しようとすると彼の怒りの矛先がシュナに向けられる恐れがあるからだ。こうなったダルマは下手をすると手負いの獣などよりずっとどう猛で手が着けられない。
「ダルマの説教はしばらく続くな。カエデがダルマをおちょくるから」
「困りました。シュナさん」
ヒジリが無言のままシュナを見つめる。彼のあどけない瞳はたき火の明かりを反射して水晶のようにきらめいていた。
つまりはカエデの代わり料理を手伝って欲しいと、彼の瞳はそう言っているのだった。
「シチリカを呼んでくるよ」
「遠慮したいです。シチリカさんは料理が下手です」
「じゃあフランヌを呼んでくる」
「フランチェスカさんも駄目です。鍛錬がどうとか言って精霊術だけで料理しようとします。かえって足手まといになります」
「ルズクとハーメルは?」
「ルズクさんとハーメルさんは周囲の警戒にあたっています」
「じゃあ……」
あとはダルマと同じ班長の一人。
「ツムギ班長はもってのほかです。あの人、絶対に鎧を脱ぎません。籠手付きの鎧に料理をさせるつもりですか」
残っているのはシュナしかいなかった。
シュナとヒジリが二人並んで、地面に膝をついて作業をしている。
「シュナさん。実は僕、シュナさんがダルマさんと話していたのを隠れて聞いていたんです。あの話はどういうことですか」
ヒジリがシュナに問いかける。手に持ったナイフで野菜を手頃なサイズに刻みながら、彼の視線はずっとシュナの顔に当てられている。シュナも同じく野菜を切ってはいるがその手つきはおぼつかない。作業の能率には雲泥の差があった。ヒジリがアザブラに入団したのはちょうど一月前だったか。年若いのに何でも如才なくこなす。初対面の時から変わらず、年の割に器用なやつというのがシュナのヒジリに対する評価であった。
「どういうことって、どういうことだ」
「ダルマさんが言いよどんだ部分がありました。最後あたりの覚悟をしておけってところ」
「ああ……」
「自覚はあります。僕はまだまだ未熟です。でも戦いなら、サヴァンとの戦いなら僕のマギカはそれなりに役立っていると思っていたんです。けどダルマさんは……。僕に足らないものがあるなら、教えてはもらえませんか」
シュナを見つめる瞳は真剣そのものだった。
シュナは思い出していた。入団したての頃、ヒジリは表情が硬くメンバーとうまく話せなかったこと。なんとか打ち解けようと努力したり、アザブラの任務に貢献することで認めてもらおうとしていたヒジリの姿が思い起こされる。その姿勢は今でも変わってはいないようだった。
「ヒジリ、そんなに思い詰めるな。お前の実直さは俺も好きだし、他の連中も好感を持ってるから」
「でも……」
ヒジリは食い下がった。下に向けられたヒジリの瞳にはわずかに憂いの感情が見て取れた。シュナとダルマはようやく芽生えてきた彼の自負心を知らずにへし折ってしまったらしい。少々責任を感じるシュナである。
こうまで真剣に請われると、シュナもまじめに答えなければいけないような気がしてきた。
「まあ、気になるなら説明するけど」
「是非、お願いします」ヒジリはシュナに対して深く頭を下げた。
「簡単なことなんだ、ヒジリ。ウィザード狩りはサヴァンの手によるものじゃないって、ダルマが言っていたのは覚えているか」
ヒジリはこくりとうなずく。
「それはつまり、ウィザード狩りは人間の手によるものだってことだ。もっと言うと、もしアザブラがウィザード狩りの連中を相手にするなら、それは人間を相手にするってことになる。ダルマが子供子供言ってたのはそういうことだ」
「…………」
「ヒジリ。お前は人間を、ただ自分を襲ってきたからって理由だけで躊躇なく殺せるか」
その答えが来るまで少しだけ間が空いた。
「や、やれます、僕。アザブラのためなら」
ヒジリの言葉は明らかな強がりだった。その証拠に彼の視線はシュナをまっすぐは見ていない。
子供の口は得てして軽い。自覚すらなしに、嘘も、言ってはいけない事実も、そして偽りの覚悟も口にする。
ヒジリの心がけは戦場を生きる傭兵としては素晴らしいのかもしれないけれど、シュナとしてはヒジリのような少年にあまりそういうことを言って欲しくはなかった。
そんなシュナの心の内が表情に出ていたのか、ヒジリは心配そうな視線をシュナに向けてきた。
「何かいけないことを言いましたか」
「いや、いいんだよ。今のヒジリはアザブラの一員だからな。傭兵団の敵を打ち払うのも責務の一つだし、殺したくないなどと言って敵に情けをかければそれこそ仲間の命を危うくするだろう」
シュナは手の甲を使ってヒジリの頭をコンコンとゆるめに叩いた。
「ただなヒジリ。一つだけ言っておくけれど、同族殺しは易しいものじゃないから。あれの難しいところはサヴァンのように殺したから終わり、ってならないところにある。むしろ殺したあとが辛いと思う」
ヒジリは不思議そうに首をかしげた。
「どういうことですか」
「初めて人を殺した兵隊がその場で嘔吐したなんて話は聞いたことがないか。要は気持ちの問題なんだけど……。殺したあとで何かこう、取り返しのつかないことをしてしまったような気分になるんだ。言葉にならない感情で頭がいっぱいになって、何も考えられなくなる」
「それは……、相手が悪人でもですか」
「多分あまり関係ない。むしろ自分の側に正義があると強く思い込もうとするほど、罪の意識はどんどん浮き彫りになっていくよ。そうやって自分で自分の心を追い込んでいった奴を見たことがある」
ヒジリは下を向いたまま押し黙っていた。唇をぐっと噛んだまま深刻そうな表情で地面を見つめている。おおかた今のシュナの話を受けて、先ほど自分が口にした殺しの覚悟が本当かどうか分からなくなっているのだろう。少しおどかしすぎただろうか。
シュナは立ち上がってヒジリの頭を二、三度こづいた。そのあとでかるく頭を撫でてやる。
「ヒジリ、だから思い詰めるな。若いうちから悩みすぎるとダルマみたいに禿げ上がるぞ。嫌だろ」
「はい」
「別にお前だけじゃない。フラメルやシチリカもいざとなったら尻込みするよ。いつもへらへらしてるカエデだってどうか分からない」
シュナが柄にもなくこんな話をしたのは一つはヒジリの性格ゆえだった。ヒジリは事あるごとに物事に深く捕らわれてうじうじと思い悩むきらいがあった。シュナも彼の性向まではどうすることも出来ない。経験豊富なダルマならあるいはヒジリを導くことも可能なのだろうか。
「ま、こういうのは人にもよる。死ぬほど悩むやつもいれば、何のためらいもなく殺せるやつもいる。それは能力の差じゃなくて単なる人となりの違いだ。悩むのも腰が引けるのも恥じることではないさ。唯一心に留めておいて欲しいのは、思い詰めたり手が震えたりして、いざというときに体が硬直するようなことは御法度だってことだ。ヒジリに求められることは、対人戦になっても固まらずダルマやツムギの指示通りに動くこと。殺せる殺せないにこだわりすぎないでくれ、いいな」
ヒジリは瞳を閉じると何かを確かめるようにゆっくりとうなずいた。
そのあまりに真剣な表情が学者か何かを思わせるので、シュナは少しおかしかった。
シュナはくすくすと笑った。
「ヒジリ、ちょっと行ってくる」
「え、どこに行くんですか」思案顔が一転、ヒジリは疑うような顔つきになった。手伝いをほっぽかすのではないかと思っているらしい。
「頼まれたことを投げ出したりはしない。水がないと困るからフラメルを助け出してくるんだ。ほら、ダルマの怒りも収まったようだし」
シュナの言うとおり荒かったダルマの語気は平常通りに戻っていた。とはいえ説教が終わったわけではない。フラメルは相変わらず縮こまったままである。ダルマの説教はいつだって長いのだ。
「信じてますからね」
「うん」
☆ ☆ ☆
ジルカ山脈のとある場所、切り立った岩に覆われた地帯を抜けてヘルガニア平地側に下った斜面の一角に、彼らの潜む洞窟はあった。
「報告します。現在、アザブラは野営の準備に取りかかっております。周囲の警戒にあたっているのは二名、ルズク=エルキットとハーメル=ハングラスのようです」
「ご苦労、ほかに変わった様子はあったか」
「お耳に入れたいことがいくつか。例のアサシン集団で偵察役にかり出されていた男の姿が見えませんでした。アサシンたちの本隊も同様で、拠点にしていたイビリアの空き家にて忽然と姿を消したと……」
二つの可能性が考えられた。一つは洞窟の彼らが出した偵察があざむかれたこと。しかしこの考えは早々に捨てた。イビリアに潜り込んでいたアサシンたちの仕事ぶりは、はっきり言っておざなりだったからだ。周りに対する危機意識が足りなかったと言い換えても良い。偵察向きのマギカを持つ人員を持ってはいたようだが、どうやらこのウィザードに頼りきって名を上げてきた連中のようだった。現にアサシンたちの行動は洞窟の彼らに筒抜けであり、お世辞にも隠密行動を基本とする稼業の人間の立ち振る舞いとは言えなかった。
「我らの偵察が裏をかかれたとは考えにくい。おそらくはアザブラの手によるものだ。奴らは人間の運搬に特化した転移のマギカを持っている。何ら不思議ではない。ふふふ、己の力量を顧みないから猫だと思って虎の尾を踏む」
「それは私たちにも言えるのでは。やはりアザブラは油断なりません。……何度も申します通り、違約金を払ってでもこの任務を降りるべきです」
「ならん。我らとてもうあとがないのだ。あの日の失態で失った信用を取り戻す上でも、また再びあのお方のまなこに我らの存在を映していただくためにも、なんとしてもここで名誉の挽回をしなければならないのだ。……ついでにな、アザブラをよく思わない連中にも我らの名前が売れる。そう、うまいものは我らがいただく」
「しかし……」
「案ずるな。我れが万策を尽くす。ククルス、男なら大きな夢を見ないか」
「理想は現実の先にあるものです。遠くばかり見ていると足下をすくわれます」
「しかし勝てば一攫千金だぞ? ……お」
洞窟がにわかに暗くなった。足下のたき火が風に吹かれて頼りなくゆらめいている。
男たちが洞窟の入り口まで来る。彼らは空を見上げた。
「ククルス見ろ。月が雲に隠れた。ああ、風も出てきたな。僥倖僥倖」
にやりとした上司とは対照的に、部下は渋面のままであった。
「山岳の天気は変わりやすい。明日は一雨くるぞ」
「…………」
「くくっ、義勇をかかげる傭兵団とは、これまた矛盾していておもしろいではないか。敵として不足なし。ヘンゼルウェーブ傭兵団が一人、かの高名な黒指のザンシュがお相手いたそう」
男は腕を大きく広げ、この世の全てを馬鹿にするような高笑いをした。