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第十八話 分離

「アリア、忘れ物はないか」

「はい。大丈夫です」

 陽はまだ低い。しかし空気はすでに熱気を含み始めている。

 荷馬車の取っ手に手をかけて、シュナは足に力をこめる。

「出発する」

 破壊された街門をくぐる。

 干からびたサヴァンの死体群が散乱する道を抜ける。

 振り返って見れば、リオーネの街はすでに豆粒ほどの大きさになっていた。と同時に、口元を押さえてあくびをするアリアの姿が目に入る。彼女はシュナの視線に気づくとはっとして顔を赤らめた。

「眠たがるのは悪いことじゃないだろう」

「いえ、その。は、はしたないこと、ですし……」

「どういうことだ」

 シュナは本気で首をかしげた。

「それよりアリア。一昨日より速度を上げるから、揺れがきつくなるかもしれない。気分が悪いときはすぐに伝えてくれ」

「シュナさん、次の街は遠いのですか」

「ああ、少しな。と言っても急げば今日中に着く。ホルネットという街だけど、知らないかな」

「いいえ」

「そうか。俺は少し聞き覚えがある。知り合いが以前、そこに住んでいたらしいんだ。良くも悪くも凡庸な街らしい」

「凡庸、ですか」

「伝え聞いた話だから本当のことは分からない。ま、寝床くらいはましなものが取りそろえてあるだろう」

「またお風呂があれば嬉しいです」

「風呂ねえ。湯浴みは毎日したいか」

「あ、いえ。無理を言うつもりでは。野宿好きです。野宿いいと思います」

「無理でもない。水さえあればマギカで簡単に沸かせるから。さすがに体まるごと湯につかるのは厳しいかもだけど。さ、今日のところはホルネットにそれ系の設備があることを願おう。日が暮れるまでにはホルネットに到着したい。俺も努力するからアリアも頑張ってくれ」

 シュナは意識してマギカを発動し、肉体強化を実行する。

 馬車の速度が目に見えて上昇する。

 かすかな轍を残しつつ、二人の旅はそうして再開する。








「本当に旨いな」

 昼の休憩時間、街道わきの木陰の下でシュナはそうつぶやいた。

 手にしているのはアリアが作ったパンである。

「そう言っていただけて嬉しいです」

「アリアって、料理が出来るのか」

「はい。趣味の域は出ませんけど……」

 シュナの脳裏にむくむくと人物像が浮かび上がる。精霊術で食材を切ろうとする灰色の髪の少女、イモにも皮があることを知らない赤髪の少女、鎧を着ているので調理は不可能だとふざけた事をぬかす鎧。

 シュナはしみじみとした表情で青髪の少女を見つめる。

(アリアはまともだなあ……)

「どうかしましたか」

 アリアはきょとんとしてシュナを見返してくる。

「なんでもない。それよりアリアもちゃんと食べておけよ。食えるときにちゃんと食う。大事なことだ」

「はい」

 アリアがパンを食べ始めたのを確認して、シュナは懐に手を伸ばす。取り出したのは時計にも似た円盤状の物体だ。

「羅針盤ですか」

「外見は似てるな。でも違う。これはコンパスと呼ばれてて、サヴァンが近づいてくると針が振れて知らせてくれる仕組みになってる」

 シュナはコンパスを手の中で弄ぶ。コンパスの針は三つか四つが基本的だが、彼の持つコンパスは針が一本しかない。外殻部分もべこべこにへこんでおり、本当に機能するのか不安になる見てくれだった。

「昨晩、修理していらしたものですか」

「うん。リオーネでもサヴァンの亡骸に反応していたし、一応修理に成功したみたいだ」

 コンパスが壊れたのは黒翼の男と戦闘になったときである。上着の前ポケットにしのばせておいたのが功を奏したらしい。コンパスが一緒に転移してきたのは不幸中の幸いだったとシュナは思う。コンパスがあるとないとでは彼の心労が大幅に違ってくる。

「アリアもこれの見方を覚えておくといい。この針が指す方向にサヴァンがいるんだけど……」

 シュナがコンパスをアリアに見えるよう差し出した時だった。

 不規則に動いていたコンパスの針がくるくる回転しだし、やがて一つの方角を指してピタリと静止した。

「…………」

「…………」

「あの、シュナさ……んっ」

 シュナはアリアの口を指で封じる。

「しっ。しばらく口を閉ざして。身動きも禁じる」

 シュナは小声でそう伝え、次いで体を倒して地面に耳を当てる。マギカで強化した聴覚を利用して敵の居場所を探る。

(……遠い。ずいぶん遠いな。俺たちには……、気づいていない。むしろ遠ざかっていく)

 シュナは体を起こすと、不安げな表情をしているアリアに声をかける。

「大丈夫、見つかっていないみたいだ。方角は西、俺たちの進路方向とは真逆。幸運だ。ただ、念のため急いでここを離れる。すまないが準備してくれ」

 シュナとアリアは荷物を荷台に載せていく。もともと不測の事態に備えており、下ろしていた荷物は多くない。支度が済むとシュナはコンパスをのぞき込み、更にもう一度地面に耳を当てる。サヴァンが近づいてくる気配はない。

 シュナは荷馬車の牽き手を握ろうとして――――わずかな躊躇いを覚えた。

「シュナさん?」

「あ、ああ」

 荷台からかけられた声にはっとして、慌てて荷馬車を発進させる。

「そうだアリア、もし、もしもだけど。サヴァンに襲われた場合は盾を使うといい。荷台に積まれてるだろう」

「盾……。もしかして、これでしょうか」

 アリアが指差したのは、薄い鉄板を半円型に折り曲げ、その内部に取っ手を溶接しただけの粗末な代物だった。大きさはかがんだアリアの体がすっぽり収まる程度である。

「持ち上げられるよな。もしもの時はそれの後ろに隠れるように。地面に盾を突き立てて、壁や木を背後にするとなおよし。それでサヴァンの攻撃を防ぐんだ」

「防げ……ます?」

「鍋の蓋よりマシだ」

 アリアはさび付いた盾の表面をちょんちょんとつついている。盾はシュナの自作だ。力で折り曲げ、マギカで取っ手を溶接した。

 アリアが少し手間取りつつも盾を持ち上げたのを確認して、シュナは前を向いた。ときおりコンパスを確かめつつ、足早に道を進む。

「この盾、気にいりました」

「なによりだ」

「もし敵が来ても、これで押し返しちゃいます」

「そんなことしたら横合いから一撃をくうぞ」

「え、うぅ……」

 背後から聞こえた情けない呻きに、シュナは声に出して笑う。

「ま、俺もいるし、盾を使うことはないだろう。とりあえず保険として作ったけど、これから荷物が増えるようなら投棄することになるかもしれない」

「せっかく作ったのに、ですか」

「盾を使うはめになる前にカミュナを脱出すればいい。それが一番いいんだ」












 夕日が山の端に吸い込まれ、空の色があかね色から暗い青に変遷していく。

 辺りから刻々と色が失われていく頃合い、シュナ達は目的地であるホルネットに到着した。

「ここもか……」

 リオーネと同様、ホルネットはサヴァンの襲撃をうけたようだ。大型サヴァンのエデンスローリーが街壁の周囲に張りついたまま死んでいる。うす暗い景色にたたずむ巨人の姿はどことなく不気味な雰囲気をかもし出している。

 荷馬車を街門近くに寄せ、シュナは耳をすませた。コンパスは活用できない。サヴァンの死体にコンパスが反応してしまうためだ。

「…………」

 街壁の中に異音は存在しない。

 それがサヴァンの不在とイコールで結ばれるわけではないことを肝に銘じつつ、シュナは荷馬車を牽いてホルネットに入っていく。

 街門をくぐってすぐ気づいた。人間の死体が少ない。死臭もそれほどきつくなく、シュナはわずかにほっとした。辺りを見るついでにアリアの方も見る。荷馬車に幌が張ってあるため彼女の視界は制限されている。なるべく前方に死体のない道を選びつつ、シュナは拠点となりそうな家屋を探した。

「ここがいい」

「立派なお屋敷……。いいんでしょうか」

「宿賃はタダだ。選り取り見取りで廃屋を選ぶ奴はいない」

「少し、心が痛みます」

「慣れろ、とは言いづらいか」

 屋敷を守る鉄扉を開ける。中はささやかな庭園になっており、その先に屋敷が構えてある。

 シュナは屋敷の玄関に荷馬車を横付けし、鉄製の留め具で車輪にストッパーをかける。

 屋敷のドアは鍵がかかっていた。鍵のある部分を確認し、火炎を集中させてゆっくり熔解させる。鍵を壊すのは防衛面で得策とは言えないが、どのみちこの程度の鍵は小型サヴァンの突進で簡単に突き破られる。シュナは現状の利便性を優先することにした。

 ドアに力をかけ続けていると、鍵部が耐えきれず千切れた。

 焼け焦げの残るドアを押しのけ、シュナは屋敷の内部に足を踏み入れた。

 うす暗い空間にマギカで明かりを灯す。無論人影はない。床に敷かれた赤い絨毯だけが目に映る。

「荷物を運び出す。軽いものでいいから手伝ってくれ」

「はい。食べ物と着替えを持ちますね」

 アリアは食料の入ったバスケットと着替えの詰め込まれた袋を抱える。

 シュナは精霊器具の入った背嚢を背負い、同時に穀物粉の入った袋を二つ抱える。

 屋敷の中にはやはり埃が降り積もっていた。それでもリオーネの屋敷と比べると幾分かましな状態に思えるのは、ホルネットがリオーネより後に襲撃された事と関係しているのかもしれない。

「アリアはここで待っていてくれ。屋敷を探索してくる」

「あの、二人で行きませんか。私も屋敷がどういう感じか知っておきたいですし」

 シュナは若干返事に困った。屋敷内部で腐乱死体に鉢合わせ、なんてことが考えられた。

 ただ、今のところは死臭も感じないので承諾することにする。

「ああ、そうだな」









「お風呂、なかったですね……」

「リオーネのが特別だったんだ。普通はこんなものさ」

 アリアががっくりと肩を落とす。

「湯は沸かすよ。それで我慢することだ。や、それより食料の備蓄が大量にあったことに喜ぶべきだろう」

 地下の食料庫は様々な食材で満たされていた。

 その中でもシュナの目を引いたのは『ハモネ』と呼ばれる食べ物が大量に保存されていたことだ。

 ハモネは芋類に属している。特徴として、収穫後に芽が出にくい。湿気に強く、それでいて身が乾燥しにくい。つまりは長期保存に向いている。

 収穫後に芽が出にくいというメリットはそのままデメリットに繋がる。種芋を埋めても芽が生長しないのでは話にならない。もともと隣国のアーバラクで作られていたのが帝国に流入したものであるが、この栽培上の問題はハモネが普及する妨げになっていた。これを解決したのは精霊術である。治癒の精霊術を応用することでハモネの成長を手助けし、安定して成長させることに成功した。

 栽培初期に精霊器具を使用するため値はそれなりに張るものの、長期保存が可能で味も劣化しにくい点と、なにより美味なことが評価されて、近年カミュナ国内で密かに栽培地域の広がりを見せていた。

(帝都の異変を聞きつけて非常食として買い込んだのか。なんにせよ、探す手間が省けるのは素直にありがたい)

 荷台には穀物粉や固形のチーズ、塩漬け肉、袋詰めにした豆類が積まれている。このうち前者二つは野外での保存に不向きである。帝国領の移動中に降雨に見舞われるだけで湿気に晒される。近頃気温が上昇気味なことを考慮すると、このダブルコンボはいただけない。虫による被害も阻止することは難しいだろう。

「ハモネ、ですか?」

「そう。この芋がそう。食べたことないんだ?」

 シュナは胸に抱えた袋から拳大の芋を取り出してアリアに見せる。二人は今、屋敷の厨房に向かっている。

「ごめんなさい。初めて見た食材です」

「なら、食べてみるといい。舌触りもよくて甘みもある。きっと気にいると思う」

「分かりました。夕飯の献立はハモネを使ったものにしますね」

「ああ、楽しみにしてる」

「はい、頑張りますっ」

 アリアを厨房に送り届けると、シュナは屋敷の外に足を向けた。

 屋敷の中には水道設備が存在しなかった。そのため炊事用の水を外に存在する井戸からくみ上げなければならない。屋敷に隣接してある井戸は中にサヴァンと人間の死体が腐乱しており、使うことが出来なかった。

 シュナは鼻をきかせて辺りを探った。すぐに水とも泥とも言えぬ特有の匂いをキャッチする。

 急な坂道を下っていく。ホルネットは傾斜のある高台に作られているので、路地にも高低差が目立つ。

 歴史を感じさせる街並みだった。古風な造りの石造建築が目を引く。苔むした壁に手を触れるとひんやりとして気持ちが良い。シュナは身近にあった建物の壁を手でなぞりながら井戸を目指す。

 と、辺りがにわかに明るくなる。見下ろす街並みが闇の中から姿を現す。

 シュナは空を見上げた。雲の切れ間から真っ白な月が顔を出している。

 シュナはそのまま視線を下ろしかけて、視界の端で何かがきらめいている事に気づく。

(あれは教会の……)

 それは立ち並ぶ建築物の屋根に隠れることなく、恐らくホルネットで最も高い位置に設置されている。十字状にクロスした棒の上端から左端の点までなだらかな曲線を引いた、精霊教のシンボルだった。

 シュナはしばらく無言でシンボルを眺めていたが、やがて視線を外し、井戸を求めて再び坂を下り始めた。









「シュナさん、あの、どうしましょう……」

「…………」

 アリアに炊事用の水を送り届け、食材の下処理を手伝った後、シュナは屋敷内にあるもので旅に役立ちそうな物品をかき集めることにした。麻のロープや新たな精霊器具、薬品などが見つかり、シュナがひとまず休憩と手を休めたとき、彼は屋敷に漂う匂いに気がついた。

 そろそろ出来上がったかな、そう思いながらダイニングに足を踏み入れて、シュナはそのまま固まった。

 テーブルには美しく盛りつけられた料理が所狭しと並べてあり、これ以上ものを置くスペースが見あたらない。そんなテーブルの前にはアリアが立っていて、彼女は料理を乗せたお盆を持ったまま途方に暮れていた。聞けば、運ばなければならない料理がまだまだあるらしい。

「その、作り過ぎちゃって……」

「…………」

 アリアが申し訳なさそうにうつむく。

「張りきり、過ぎちゃって……」

 シュナはこめかみをもんだ。

「とりあえずその料理は預かるから。厨房に残った料理には虫よけのかごをかぶせてくること」

 料理をシュナに手渡したアリアが回れ右をして厨房に走って行く。

 シュナは首の後ろを撫でながらテーブルに目を向けた。

 思わず目移りしてしまうほど沢山の料理が湯気を立てている。

 シュナはスプーンを手に取り、熱々のスープを試しに口に含んでみた。

「…………」

 もう一口スープを飲む。

(当たり前のようにうまい……)

 アリアが戻ってくるまでの間、どうにかして彼女をアザブラに入団させられないかとシュナは真剣に考え込んでいた。










 食事の最中、シュナが次のように切り出した。

「アリア、『幸福格差』は知ってるか」

 シュナの突然の問いかけに対し、アリアは記憶を探るような素振りを見せ、やがて首を縦に振った。

「カミュナ帝国とアーバラク国との国境地帯に位置する、目には見えない『乾きの断崖』ですよね。その地域では雨が降らず、乾燥に強いはずの作物もすぐ枯れてしまい、かつて移住を決意した人々は皆、原因不明の疫病で亡くなられたとか」

「ああ、その通りだ。他には?」

「ええと。その地域では、『足を踏み入れる者が皆不幸になる』と言い伝えられていて、それはアーバラクの神官が行う悪魔崇拝の儀式がもたらすものだと教えられています。かの者達が悪魔を崇拝するため悪魔が力を得てしまい、使役された悪魔は他国を滅ぼそうと国境付近で悪さをしている、と」

「ありがとう。確かに『幸福格差』ないし『乾きの断崖』はアーバラクの神官が行う儀式によって引き起こされている。少し訂正を入れるとすれば、『幸福格差』はカミュナとの国境のみならず、アーバラクと接する他の隣国との国境でも同様に生じていること。そして、アーバラクの連中が崇拝しているのは悪魔ではないし、彼らもまた、国境付近を隔てる『不幸の溝』に悩まされているということだ」

 アリアは首を傾げた。

「アリア、アーバラクの神官は何を目的に儀式を執り行うと思う」

「儀式の、目的ですか」アリアはますます怪訝な表情をしてシュナを見つめてくる。「ごめんなさい。アーバラクの宗教については、あまり詳しくなくて」

「帝国では長いこと禁教として扱われていたわけだし、知らないのも無理はない。で、神官達の目的だけど……、彼らはアーバラクを繁栄させるために儀式を行っているんだ」

「アーバラクの繁栄、ですか?」

「そう。といっても、大昔に執り行われていた雨乞いの儀式のように、神頼みめいた迷信とは訳が違う。その儀式は実利を伴っている。つまり、儀式を行うと本当にアーバラクが繁栄するのさ。例えば麦が倍の高さまで成長し、例えば床に横たえた人間の不治の病が完治する」

 アリアは目を見開いた。

「そんな、ことって……」

「嘘のような本当の話だ。仕組みとしては、精霊術に近いものらしい。精霊術が精霊を使役して現象を引き起こすのに対して、アーバラクの儀式は精霊にお願いをして現象を引き起こす」

 シュナはごほんと咳をした。

「話がそれた。でだ、良いことづくしに見えるアーバラクの儀式だけど、一つの問題を抱えている。それが始めに言った国境付近の『幸福格差』になる」

 アーバラクの儀式による繁栄は、国内に無限の幸福をもたらす。

 しかし一方で、それはアーバラクの国境付近に『不幸な地帯』を生じさせた。

「原因が儀式にあるということ以外はまだ何も分かっていない。これがアーバラクが他国との交易を控える一因になっている」

「…………」

「で、ここまで言っておいてあれだけど。要はそういう危険な地帯が国境付近にあるってことをアリアに思い出して欲しかったんだ。俺たちはこれからそこを渡らなければならないから」

 そこでは様々な危険が考えられる。まず第一、アリアが病に倒れる恐れがある。シュナは各街に残された治癒の精霊器具をかき集めていたのは、サヴァンの襲撃を恐れてではなく、幸福格差を見すえていたからだった。そのほかにも、理由もなく食料が腐り落ちたり、荷馬車が突然壊れてしまうことも考えられる。

「すみません。私、何も考えていませんでした……」

「まだしばらくは先のことだけど。境界は曖昧だから、何か体調に変化があったらすぐに言ってくれ」

「シュナさんは大丈夫なのですか」

「俺はマギカがあるから問題ないんだ。負担がかかるのはアリアだ。おどかすわけじゃないけど、そこは体調を万全にして渡りたいから。ちゃんとご飯を食べてよく眠る、これはしっかり守ってくれ」

 アリアは小さく頷いて、汁物をすすり始めた。

 先ほどから見ているが、実に上品な食べ方だった。

 作法が得意じゃないと言っていたが、あれは嘘だったのだろうかと思いたくなる。

 シュナは自分の食べ方を改めて見直す。さすがに卓を汚すような食べ方はしないが、アリアのそれに比べたら雲泥の差だ。なんだか彼女と対面して食べるのが恥ずかしくなってくる。

「シュナさん、どうかしました?」

「え、いや。何でもない」

 シュナは椀を口につけて、食事をいそいそと口の中にかきこんだ。











 月明かりが街を照らす。

 墓地には多くの墓標が立ち並んでいた。静けさだけがあたりを包んでいる。

 と、墓地の入り口でぼっと火の玉が浮かぶ。

 火の玉は数を増していく。

「自分で作っておいてなんだけど。夜にこんなのが見えたらそりゃ怖いな」

 シュナは墓地に足を踏み入れる。

 墓地というのは、特に夜の墓地は独特の雰囲気が漂っている。心が自然と律されるような。

 シュナは無表情のまま、目当ての墓標を探す。

(あった……)

 シュナはある墓標の前に立った。

 アストラル一家ノ墓

 墓標には短くそう記してある。

 シュナは墓石に向かい一礼した。

「こんなことしていいのか分からないけど」

 シュナは抱えていた花束を墓石の前にそっと置く。野に生えていたものを摘んで束ねただけの、花束とも言えない代物だ。

 シュナはその場にどさっと腰を下ろす。

 満点の星空が夜を彩っている。その静かな輝きを一つ、二つと数えながら、シュナは口を開く。

「来たよリングレイ。約束通り、さ」

 リングレイ=アストラル。

 シュナが『黒影』として活動しているときに知り合った一人だ。

 世話焼きが趣味と公言する変わった男で、家族を失い心の荒んでいたシュナを導いてくれた過去がある。

 それだけでない。リングレイは『獣化』系のマギカを持つウィザードで、彼がサヴァンの牙に屈するまで肩を並べて戦った戦友でもある。

「リングレイ、もしそこにいるなら聞いてくれ。俺はあんたに謝らなければならない。あんたの死を……、無駄にしてしまった」

 『黒影』は崩壊し、命をかけて守ってきた難民はサヴァンとアーバラク、二つの勢力に圧殺された。

「結局、守れた約束はこうして墓参りをすることだけだ。住む場所を奪われた人は今も苦しみのただ中にいるし、カミュナの復興も遠い遠い、夢だ」

 シュナの表情が陰っていく。

「いい知らせなんて何もないんだ。本当は、ここに来ることも少し迷ったくらい」

 合わせる顔がないって、まさにこのことだな。そう言ってシュナは悲しげに笑う。

「でも、こうして来た。聞きたいことがあったんだ」

 見上げる夜空で星が一つ流れる。

「あんた、前に言っただろう。『護るべき者のためなら、幾千億の夜を越えてなお戦うだろう』って。俺、あのときは素直に頷いた。護り切れる自信があったから。でも……、今は違う。戦い続けて分かったことがある。このまま戦い続けても、俺たちはきっと、護りたい者を護り切れない。じわりじわりと嬲られて、絶望と共に陥落する。世界は甘い妄想を許してはくれない」

 そよ風が吹き、シュナの黒髪がふわりと持ち上がる。

「護るために戦うって、そう自分に言い聞かせるとき、それがどうしようもなく虚勢なんだってことが分かる。ささやきが聞こえるんだ。『お前は何のために戦っている』って。護るために戦うと言えば、そいつは即座に否定してくる。『護りきれない者を護ろうとして戦うのは、どうしようもなく矛盾している』」

 シュナの視線が己の手のひらに注がれる。

「分かっているんだ。分からされている。

 サヴァンは理屈じゃとまらない。

 連中をとめるのに必要なもの。それは二つの対価、

 『犠牲』と『狂気』だ。これ以外に存在しない」

 シュナは手をぐっと握りしめる。

「俺の中には『狂気』が眠ってる。自覚してるさ。サヴァンの殺戮だけを望む悪魔のような欲求が、いつだって俺を呑み込もうとする。

 でも俺はそれに抗ってしまう。踏み切りがつかないんだ。俺が『狂気』に身をゆだねれば、きっと誰かが『犠牲』になる。それはアリアかもしれないし、アザブラの連中かもしれない。

 俺がいれば守れたはずの者が、守れなくなる。それを許せない俺がいて、だから俺は今もこちら側にいる。あのときから何も変われずに、性懲りもなくこの道を歩いている」

 シュナは再び墓標に視線を向ける。

「なあリングレイ。あんたなら、どうするんだ。俺は聞きたいんだ、あんたの声を。あんただけじゃない。そっちには、皆がいるんだろう。フロードはなんて言ってるんだ。なあ、聞かせてくれ。導いてくれよ、あのときみたいに……」

 沈鬱な表情が一転し、子供の泣き顔のようになる。

 墓標は何も答えてくれない。

 シュナは落胆の表情を見せた。

「いないのか、リングレイ。当たり前か。お前の骸はここにはないんだもんな」

 シュナは空を見上げながらつぶやいた。

「もうしばらく、ここにいさせてくれ。それくらいは許してほしい」












 シュナは地面に座ったままこっくりと船をこいでいたが、あるとき急に目蓋を開いて頭上を見上げた。

 夜空に一際輝く星があった。

 星はさらに輝きを増す。シュナは目をこらす。

 それが星でないことは一瞬で分かった。星でなくて夜空で光り輝くもの、導き出される答えは一つ。

 それは流星のように流れ落ちた。光の塊が猛スピードで落下してくる。

「マギカか」

 マギカは白い尾を引きながらシュナの元にやってきた。

 それはシュナは目の前で浮遊していたが、やがて彼の胸に侵入しようとする。

 しかし、一秒としないうちにマギカは胸の外にはじき出された。

 マギカが再びシュナの胸に突進をしかける。

 結末は変わらず、シュナの体外にはじき飛ばされる。

 シュナの中には二つのマギカが宿っている。マギカ同士は反発する。シュナの体はもうマギカを迎え入れる余裕がない。さらに言うと二つのマギカはシュナとの同調率が異常に高いらしく、今空気中で途方に暮れるマギカがどちらか一方のマギカをはじき出して後釜に納まることは可能性的にほぼあり得ない。これはフランチェスカに聞いた話である。おかげでシュナのマギカを調整するのがひどく難しいらしく、愚痴をさんざん言われてしまった。

 シュナがマギカに手を伸ばす。玉のようになった光の表面を撫でてみる。わずかな温かさを感じた。

「お前も、探しているのか」

 と、マギカが弾丸のような速度で上昇する。

 シュナが見守る中、マギカは夜空に吸い込まれていく。

 やがて瞬く星と見分けがつかなくなってしまうまで、シュナはマギカを見送り続けていた。

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