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第十三話 広がる鳥かご、高貴の血

「…………」

 鬱蒼とした森の一角で小さな息がこぼれる。

 少女は樹木の根元に腰を下ろしたままうなだれていた。

 少女は柔らかな生地で仕立てられた貫頭衣とズボンを着用している。至ってシンプルな平民らしい出で立ちである。特異な点と言えば二つ、一つはそれら衣服がずたぼろに破けていること。そしてもう一つ、彼女が銀細工の髪飾りやペンダントといった高価な装身具を身につけていることだ。格好が格好なだけに宝石の輝きは不釣り合いかつ奇妙だった。

「一人にしないって言ったのに……」

 とそのとき、少女の頭上で何羽ものカラスが一斉に鳴き声をあげ始めた。彼女はびくっと体を震わせ、叱られる寸前の子供のような表情で恐る恐る上を見上げる。その目尻にはこぼれんばかりに涙がたまっていた。

「どうしてそばにいてくれないの……」

 途方に暮れる彼女をよそに、カラスたちが群れをなして羽ばたいていく。遠くで獣がさかんに吠えている。冷えた風が森を吹き抜けるたびに木の葉がざわつき枝が軋んで音を立てた。

「急に騒がしくなって……」

 知らぬ間にあたりの雰囲気が一変していた。少女は我が身を抱きしめながらゆっくり立ち上がる。

「エリシ……」

 従者の名前を再び呼ぼうとして、少女はそのまま石像のように固まった。

 気ままに吹く冷たい風に乗ってある匂いが鼻をつく。人生の多くを室内で過ごしてきた少女には馴染みのうすい匂いであったが、嗅いだことがないわけではない。

(獣臭……)

 少女は背を預けていた木の陰に隠れつつそっと背後を伺う。

「…………」

 視界に映るのは風に吹かれる茂みだけ。前も後ろも変わらぬうす暗い森がどこまでも続いている。

 しかし安心することはできなかった。風が運んでくる獣臭は時間をおいて少しずつ強くなっていた。

(居場所、ばれてるの? どうすれば……)

 選ぶべき行動は二つに一つ。その場にとどまるか、場所を移動するか。

 いつだって自分を導いてくれる従者も今は頼ることができない。

 すがる物なき少女は----腹をくくった。

(今だけでいいの。私に勇気を……)

 そのまま深く息を吸い、ゆっくりまぶたを閉ざす。

 次に瞳を開いたとき少女のマギカが発動していた。






 踏み散らした枯れ葉が乾いた音を立てる。

(まだ追ってくる……)

 走り続けてどれほどの時間が経過したのか。吸っても吸っても肺は空気を求めてやまない。足は鉛のように重く一歩を踏み出すのにも苦労する有様だった。

 少女はゆるい上り坂を駆け上がっていた。いまだ森を抜けることは叶わず誰かと合流することもできない。

 少女はときおり背後に視線を向ける。獣の姿は確認できない、しかし少女には確信があった。

(いる、近い……)

 あごに垂れる汗をぬぐう暇はない。遠くもっと遠くへ、ただ恐ろしさが少女を駆り立てる。

「…………」

(死んじゃう。ここで、私……)

 捕食者の息づかいをうなじに感じながらそんなことを考える。

(死にたくない……)

 久しい感情だった。護られながら生きてきた少女にとって命の危機とは常に自分から一歩遠い場所にあるものだったから。殺されかけたことは何度もある。しかしそれは幼い頃の風化した記憶でしかない。

(死にたくない……)

 死、ということについて考えたことはあった。しかし今にして思えばそれは本に記された文字を漫然と読んだだけのような酷く知慮に欠けた代物であったように思われる。彼女にとって死とはどこまでいっても他人のものでしかなかった。

 今は違う。自分がなくなる恐怖が彼女をどこまでも攻め立ててくる。

「死にたくない、死にたくないよお……」

 視界がにじむ。ぼろぼろと涙が止まらなかった。

 ようやく斜面を登りきった。バクバクと脈打つ心臓が内側から胸を叩いてくる。乾ききった喉が空気を吸うたびキリキリ痛んだ。

 目の前には下りの斜面が広がっている。

 口にたまった唾を飲み込んで一歩を踏み出したとき、

「あ……」

 足が言うことを聞かなかった。

 走ることはできていた。しかし速度の調節ができない。少女は何かに背中を押されるように下り斜面を駆け下りていく。転ばぬよう必死で足を前に踏み出し、結果それによって更に走る速度が速まって……

 踏ん張りがきいたのは七歩目までだった。

 足を前におくり出すより先に体が前方に傾いでいく。やたらゆったりと感じる時間の中で彼女は受け身を取ることすら忘れて呆けていた。酸欠のせいで認識が追いついていない。

 枯れ葉を巻き込みながら派手に斜面を転がる。

 ドスッ

 少女は体に鈍い衝撃を感じた。樹木の幹に衝突したようだ。朦朧とする意識の中で理解できたのはそれだけだった。

 黒ずんだ視界に一匹の獣が映り込む。白い皮膚、どう猛な眼光。四つ足型のサヴァンだった。それを皮切りに群れの個体が斜面の影から続々と姿を現していく。ずいぶん遠くなった耳に遠吠えがわずかに届く。横たわったまま動かない少女を見て狩りの成功を確信したのか。

 もがこうとしてももがけない。酷使された体はもう感覚すらない。意識が体から剥離していく。視界がみるみる暗転していく。それはいけないことだと知っていた。逃げねば、敵は目の前にいる。それでも、あらがえない。

 強まる闇の中で何かが自分の足を掴んだ。それは少女を己の側へ引きずり込もうとする。深く暗い闇の淵に彼女を導こうとする。

(お母、さま……)

 そのつぶやきが最後だった。










 それからのことをアリアローゼははっきりとは覚えていない。

 記憶にあるのは一つの情景。

 突然現れた赤い炎がサヴァンの群れを追い払う様子。

 黒い背中が彼女を護るように立っていたこと。

 その背中を見るとすぐ彼女の意識は闇に飲まれてしまっている。

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