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第十二話 会えることならもう一度 ミリア港

「フランヌ。飯、ドアの横においておくからな。元気は腹ごしらえからだ。ちゃんと食うんだぞ」

 部屋の外から男の声がする。不器用な優しさの込められた声はルズク=エルキットのものだとすぐに分かった。赤黒い髪の少年は毎朝こうして部屋の前に食事を置いていく。アザブラの同僚として心配してくれているのだろう、ありがたいことだった。しかし今のフランチェスカはその気遣いにこたえることができない。

 灰色の髪の少女が寝台の上でゆっくりと身を起こす。

 締めきられた板戸のすき間から朝日が差し込んでいる。ほこりに反射して線のようになった光を見つめながら今日もまた一日が始まったのだとぼんやり思う。

 彼女はミリアの宿屋に宿泊していた。結局イビリアから街道をつたう護衛任務は失敗に終わった。例の正体不明の敵の襲撃を受けて積み荷が大破してしまったからだ。御者の命が無事だったのが不幸中の幸いか。積み荷は加工済みの精霊術具であり、回収可能なものだけをかき集めてルッテリアのマギカで早々にミリアに転移した。物を転移させるのに不向きなルッテリアは疲れ切って仕事が終わった途端に寝込んでしまったと聞いている。

 部屋の扉に目を向ける。扉の外には虫除けの椀をかぶせられた食事が置かれているのだろう。しかし食べる気にはなれない。もう何日食べ物を口にしていないのだろう。それすら思い出すこともできない。

 体が死を望んでいるような気がする。

 ふいに彼女は手で顔を覆った。体を震わせながら顔面を手で強く押さえつける。

 あの日の自分への苛立ちと後悔が時折こうして発作的にぶり返してくる。いずれこうなることは分かっていた。進んで戦場に身を置く彼の行く末など分かりきったことだった。

(どうしてあのとき……)

 もっと強く止めなかったんだろう。止める手段はあったのに。

 あのとき私が止めていれば……

 彼女は再び寝台に横になった。眠ってしまえば楽になる、夢の中なら誰にだって会うことができるから。

 この無為な逃避もいつかは終えることができるのだろうか。彼女はそう自問して答えが出せなかった。

(…………)

 今日もまた寝台に身を沈めたまま一日が過ぎていく。


  ☆  ☆  ☆


 引きこもった同業者の部屋をあとにしてルズク=エルキットは宿屋の一階に下りてきた。後ろ髪を引かれるがルズクがフランチェスカに言えることはあまり多くない。今はただ彼女と自分の関係の浅さが歯がゆかった。

「さて、どうしよっかねえ……」

 アザブラの団長からしばらくはこの宿の周辺で待機するよう命令が下っていた。つまるところ仕事のない自由時間というわけだった。酒を飲むも博打を打つも自由、無論財布と相談しての話である。

(そういう気分じゃないけど……)

 ルズクは宿屋の主人に挨拶をしたあとでひとまず宿の外に出ようとして、

「何やってんだ、お前」

「お、ルズク。何って朝の体操さ」

 宿屋の軒先で屈伸運動をくり返す男がいた。その男はうす茶色の髪に茶色の瞳をしていて、さらには黒ぶちの野暮ったい眼鏡をかけている。特徴がない事こそ特徴とも言えそうな面構えの彼はハーメル=ハングラスという名前で、ルズクも所属するツムギ班の一員である。

「ハーメル……」

「んん?」

 屈伸を続けながらも自分の方に向き直ったハーメルに対し、ルズクは深々と頭を下げた。

「どうしたのさルズク」

「頼むハーメル。パンツを履いてくれ」

「あ……」




 住人の呼んだ警備隊員が茶色い髪の変質者を捜している頃、ルズクとハーメルは人気のない路地裏をうろついていた。地面は整備された石畳に覆われている。その石畳の表面が妙にジャリジャリしているのを確かめながらルズクはハーメルに声をかける。

「朝っぱらから騒ぎを起こすんじゃねえよ」

「はははっ」

「はははじゃない!」

「すまないすまない。屈伸しているうちにずれ落ちたらしい。不覚だったよ」

「普通はずれ落ちないんだよ……?」

「今度から気をつけてみるさ」

「そのセリフを聞くの何度目だろうな……」

 ルズクはやれやれと頭をかく。

 と、頭上で布を広げる音がした。見上げた二人の視線の先でベランダに出た女性が洗濯物を干している。

 その女性が二人に向けてニコッとほほえんできたので二人そろってだらしない笑みを返す。

「綺麗な人だった。あの場所を覚えておこう」

「同感さ。朝からいいことあるもんだ」

 そのまましばらく歩くと路地裏を抜けて広場にたどり着いた。広場は高台に位置しており朝日にきらめく海がのぞめる。ミリアについたばかりの頃はその美しい景色に感嘆したものだった。今、景色に何とも思わない自分を省みてルズクはやはり慣れとは害悪だと再認識する。

 欄干までたどり着いた。隣でハーメルが数字をつぶやいている。青い海原の上に出港したばかりの帆船が数隻浮かんでいるのを数えているらしかった。

「栄えてるねえ……」ルズクがぼんやりとつぶやく。

「栄えていたら暴動はおきないさ。人も船も、数は着実に減っている」

「そうは見えないけど……」

「見るところを見れば、分かるものさ」

「へえ、そいつはすげえ。……ところでハーメル。今日も仕事なしってわけだけど、お前どうするんだ」

「ん、そうだ思い出した。ジゼルさんのところで稽古をつけてもらう約束をしていたんだけど、ルズクもどうかと思ってさ」

「それで宿の前にいたのか」

「そういうことさ。で、どうだい」

「どうせ暇なんだ。よし、俺もついていく」

「それなら今日はルズクとずっと一緒に行動だ」

 ルズクがハーメルに物問いたげな視線を向ける。

「宿屋の前で待っていた理由がもう一つあってさ。ツムギ班長が僕とルズクを呼んでいたんだ」

「班長が俺たちを? 用向きは?」

「カエデの面会許可が出たらしくてさ。二人で顔を出せって」

「え、本当かっ……」

 ルズクは目を輝かせて喜ぶ半面、疑問を覚えた。ツムギ班の一員であるカエデは現在ミリアの病棟に入院している。怪我はすでに完治している。入院が続いているのはザンシュ襲撃に際し監禁され暴行を受けたのが彼女のトラウマになっていて、男性と対面すると記憶が甦って発作的に取り乱してしまうためで、そのために男性の団員はカエデとずっと面会謝絶だったのだ。

「なあハーメル、大丈夫なのか。ツムギ班長はなんて言ってたんだ」

「班長の話ではどうもカエデが面会を望んでいるらしい」

「え、カエデが?」

「ここ数日の出来事はあいつの耳にも入っているから、思うところがあるじゃないかと思う。発作を克服して早く班に復帰したがってるみたいだ」

「へえ。でもそんなことを言い出す余裕があるなら……」

「そうだね。医者の許可も下りてるし経過は良好ってことだろうさ。ただ、そうすぐに発作がなくなるはずがないから面会するときは覚悟をしておいた方がいいと思う」

 ルズクはうっと顔をしかめた。カエデが自分の前で取り乱す可能性を失念していたのだ。

「取り乱すかもしれなくて、それでも俺らを呼ぶのか。相変わらず身勝手なやろうだぜ」

「ま、それでこそのカエデだしさ」

「あはは、そうだな。うん、自分から前に進もうとしているって聞いて少し安心した……」

 そう言うルズクの表情は沈んでいた。同じく心に傷を負った人間としてフランチェスカのことが思い起こされたのだった。現実に向き合おうとしない彼女のことを彼は自分が思う以上に心配していた。

 ルズクは街を歩く人の流れをぼんやりと眺めていた。その横顔をハーメルがちらと見る。

「フランヌはまだ閉じこもったままかい」

「え……。ああ、そうだよ。部屋の外から声をかけても反応なし。飯も食わねえんだぜ」

「踏み込めばいいじゃない。何をためらう」

「ふ、踏み込むって……」

 ルズクはごくりと喉をならす。

 できないわけではない。マギカ『特殊念動力』を使用すれば木の扉一枚打ち破るのなど造作ない。

 だが、扉をこじ開けて何を言うのか。落ち込む彼女に何を言えばいいのか。今さらながら彼はフランチェスカの事を知らなすぎると感じていた。配慮なき同情の言葉はたちまち刃と化すだろう。

 思惑に違って彼女を傷つけてしまったら、そうしたら自分は……

「俺は……そうか」

 ルズクは自分が恐怖を覚えていることを自覚した。

 隣でハーメルがため息をついた。

「似合わない臆病さ。乙女と見まがう」

「うるせえよ。これくらい許してくれ」

「別に責めていないさ。気持ちは理解できる」

 見透かされたようで決まりが悪い。ルズクは赤黒い髪をぐしゃぐしゃとかき回す。そして、その場にすとんと腰を下ろした。さびついた欄干に背をもたれて見上げれば、彼の気持ちと正反対にすがすがしい快晴の空が広がっている。

「なあハーメル、場違いな質問だけど」

「なんだい」

「フランヌってやっぱりシュナのことが好きだったのかなあ。だからあんなに落ち込んでるのか」

「……困った質問だなあ。まあ、普段あれだけシュナを見つめてたわけだし。嫌いってことはないだろうさ」

 二人は前に訳あってフランチェスカを観察していたことがあった。彼女が隙をみてはシュナの方に目をくれているのに気づいたのはそのときである。

「どうして好きになったんだろう」

「僕に聞かれても。たださルズク、あの二人は、特にシュナはそういうのとは別の世界に生きていた気がするよ」

「そういうの?」言葉の意味が分からずルズクはハーメルに真意を問う。

「色恋とは無縁の世界ってこと」

「……? どうしてそう思うんだ」

「二人ともなにかさ。信念を探して生きていた感じがするんだ。誰かを好きとかそういう事を考える暇すらないように」

「何だよそれ。気にしてる俺が暇人みたいじゃねえか」

「そういうことを言いたいわけじゃないさ。誰かを好きになれるのは心が健康な証」

「俺は別にフランヌを好きだとは……。ただ落ち込んでるようだから元気づけてあげたいなって思うだけで……」

「今さら何を隠すのさ。近頃のルズクは似合わないことばかりだ」

「隠すも何も、本当にそう思っているんだぜ」

 子供の笑い声が耳に届く。子供たちは道を行く大人の間を縫うようにして元気そうに駆けていた。その光景を眺めながらルズクは言葉を続ける。

「フランヌの気持ちは分からなくもないんだ。シュナがいなくなって俺だってショック受けてるんだぜ」

「……そうだな。僕もだ」

「な。……俺さ、そもそもダルマ班とツムギ班の雰囲気が好きだったんだ。なんかこう、居心地がよくて、問題の多い奴ばっかだったけど、それでもまとまりがあって……」

 まぶたの裏に浮かぶ光景と現実はまるで別物だった。明らかに口数の減った年少組、空元気ばかり目立つ赤髪の少女に引きこもり。若い班長は自責の念で押しつぶれされそうになっていて、年長者は動かぬ岩のごとし。カエデが退院したがる気持ちも分からなくもない。

「何もできねえんだ、俺」

「そんなことないさ。ルズクにだってできることはあるよ。ただ、今のルズクじゃ駄目だけど」

「え、どういうことだよ」

「ねえルズク、この際だから一つ言っておくけど、落ち込んでる人が落ち込んでる人を励まそうとしても空回りするだけだと思うよ。振る舞いだけでもいいからさ、まずはルズクが元気を出さなきゃ」

 ルズクは隣の男に視線をむけた。ハーメルは欄干から身を乗り出して高台の下を飛び交う鳥を観察している。

 ルズクは口元に笑みが浮かぶのをこらえる。

 似合わないことをしてるのはどっちだろう。

 とそのとき、ルズクたちが歩いてきた通りの方がなにやらざわつき始めた。

 二人が怪訝な表情をしてそちらに目を向ける。騒ぎの原因はすぐ明らかになった。

 赤い制服を着た警備隊員が数名、人混みを押しのけて姿を現した。彼らはルズクたちを指さして声高に叫んだ。

「赤黒癖毛、茶髪に黒眼鏡……いたぞ! 秩序を乱す下郎どもめ!」

「えっほ、えっほ、逮捕っ逮捕っ」

「行け! 変態をふん縛って鞭打ちにしよう!」

 帯剣した屈強な男どもが雄たけびをあげて突撃してくる。

「や、やばいよルズク逃げよう!」

「俺もかよ!」


  ☆  ☆  ☆


 逃走中に無自覚にズボンを脱いでいたハーメルのせいで騒ぎが更に拡大している頃----

 灰色の髪の少女は寝台の上で頭を抱えていた。

 ドンドンと叩かれる部屋のドアを彼女は不機嫌そうににらみつける。

「開けろフランヌ。班長命令だ」

「やだ……」精一杯声を張り上げる。

「やだじゃない。そんなものは通用しない」

 先ほどから押し問答が続いていた。部屋の外から聞こえるのはダルマ班長の声だった。

 ガチャガチャとドアが音を立てる。ダルマがドアノブに手をかけているようだ。

「ご主人、失礼ながら鍵を間違えてはいませんか。見てください、鍵が回りませんよ」

「はあ、この鍵のはずなのですがねえ……」

(鍵もなにも……)

 精霊術を使って金具を溶接してある。開くはずがなかった。

「フランヌ! 開けなさい! そんなじめじめしたところにいても何にもならないぞ!」

「じめじめなどしておりませんよ」

「あ、ご主人、いえ別にその……」

「…………」

 少女は寝台にごろりと横になった。

「フランヌ! おい、フランヌ!」

(無視……)

 手で耳をふさぐ。目を閉じてじっとしているとまどろみが彼女に近づいてきて、逆に現実の煩雑な物音が遠のいていく。眠りに落ちるのは手慣れたものだった----はずなのに、

 バゴーンッ!!!

 突然空気を震わせた爆音に彼女は寝台から飛び起きた。

(な、なに……)

 にわかに騒がしくなる室内。フランチェスカが驚愕して目を向ければドアが破壊されており、里芋が転がるように男どもが押し入ってきていた。

「よくやったビーモス」

「うっす。じゃ、おいはこれで」

 ドアを踏みつけたまま男が一人、部屋の入り口で仁王立ちしている。逆光で見えづらいがおそらくはダルマであろうと見当がつく。

「フランヌ、手荒ですまない。だがこれは必要なこ……と……」

 こちらを見るダルマの目が点になる。彼はあごを落としたまま石像のように固まっている。

 フランチェスカははっとして視線を下に向けた。胸のふくらみから太ももにいたるまで、白い肌が寝台の上で無防備にさらされている。

 慌てて毛布を胸の上まで引っ張り上げた。固まる男どもに一瞬腹立たしさと苛立ちが噴き上がり、そして----もの悲しさがつのった。

 目尻が熱いと感じたときにはすでに怒鳴り声を上げていた。

「出てってよっ!! 出てってたら!!」

「す、すまん! 今す……え? いや、しかし俺はお前にいい話が」

「出てけ!」棚の上の書物をダルマめがけて放り投げる。

 すっかり気が動転したダルマは身をかがめつつ部屋の外に転がり出ていく。

 毛布に顔をうずめる。涙と嗚咽が止まらなかった。頭がぐじゃぐじゃになって気持ちの整理がつかない。彼らは何を思ってこんな行動をとるのか、理不尽なほどの怒りだけが脳内を支配している。

 廊下から男たちの声が響く。声をひそめているつもりらしいがまる聞こえだった。

「は、裸で寝るとかありますか……」

「ダルマさん、思春期の娘子にあのような……」

「ご主人、せめて鼻血を止めてからものをおっしゃってください」

「ほら、彼女は泣いていますよ。ダルマさん、どうするのです」

「と、とにかく開門したんです。頑張ってみます……。あの、約束通りドアは直しますので、ここからは私一人で対処しますゆえ……」

「応援しております。もしもの時はお申しつけを」

「ご理解感謝します」

 廊下の壁に背をつけたままダルマが声を張り上げる。

「フランヌ! さっきは悪かった! 廊下に人はいないから服を着てくれ!」

「帰って……!」

「た、頼む。話を聞いてくれ。えと、その、お前の気持ちは重々承知している」

「承知してたらこんなことしないでしょうっ」

「それは、その。その通りなんだが……」動揺しすぎの情けない声音が続く。「あ、あのな。フランヌのためになる話なんだ。本当の本当なんだ。だからまずは服を着てくれ」

 フランチェスカは泣き続けた。静まりかえった宿屋にすすり泣きの音がこだまする。ダルマは押し黙ったまま、場にただよう雰囲気は沈鬱そのものだった。街をいく人々のおりなす物音さえどことなく遠くなったような気がする。

 それからしばらくして----

 フランチェスカは毛布をはいだ。

 寝台のそばにたたんであった衣服を手にとって着替えを始める。感情の高ぶりは幾分かおさまった。閉じこもっていた領域を突然踏み明かされて激昂した彼女は、その反動から若干の落ち着きを取り戻していた。悲しみに起因する涙のあとには無気力が残った。怒りに起因する涙は逆に冷静さをもたらすものなのかもしれない、ふとそんなふうに考える。

 ただし鬱々とする気分が吹き飛んだわけではない。心は重く体はきしむ。それでも話を聞いてみようと思えたのは、頭の冷えてきた頃合いに、抜け穴と化したドアからそよ風が吹きこんだからだ。久々に吸う昼間の空気は生暖かくて鼻がむずがゆくなる、春の香りは彼女を誘った。

 いつもの染色ローブをはおってしまうと彼女は寝台に腰かけた。

「着替えはすんだか」ダルマが部屋に入ってくる。

「……話、なに」

「やつれたな」

 ダルマをにらみつける。

 目の前の男もまたフランチェスカを見つめ返していた。彼のまなざしは複雑な感情をはらんでいた。後悔、後ろめたさ。ダルマは目線を外してかぶりをふる。次に目を合わせたとき彼の瞳には冷たい光がたたえられていた。

「お前に話しておかなければならないことはごまんとある」

「…………」

「ここで閉じこもっている間、お前をたずねてきた団員は何人もいただろうにお前は応答しなかった。そいつらの心配をむげにして隊内の雰囲気を悪化させた。俺はお前を叱らなければならない」

「会いたくないもん……」フランチェスカは視線をそらして床を見つめる。

「シチリカにもか」

 瞬間、体がこわばる。お腹を抱く腕に力がこもった。

 顔をあげてもう一度ダルマをにらみつる。

「お前、シチリカがここに来てもドアを開けようとしなかったらしいな」

 少女は再び下を向くと唇をきつく噛む。

「シュナがいなくなって特に鬱ぎこんだやつは二人、お前とシチリカだ。隊の誰もが知っている。シチリカがお前と同じくらい落ちこんでいたことはお前も知っていたはずだ」

「やめて……」

「それでもお前を心配してやってきたシチリカを、あいつの心遣いから目を逸らして、お前はここに閉じこもる選択をした。わけを聞かせなさい」

(理由を聞くの? 何も、何も知らないで……?)

 しずまっていた怒りがぶり返してくる。胸の奥から熱く刺々しい感情がせり上がってくる。

 彼は知らないのだ。ドアの向こうから赤髪の少女の声が聞こえてきたとき、フランチェスカがどれほど恐怖したのかを。

「シチリカはそのことについて何も言わなかった。あいつは人を責めるようなことはできないタイプだから。あいつはお前を許すだろうさ、いつものようにヘラヘラ笑って」

 ダルマは一つ息をつく。

「自分がどういう仕事についているのか思い出せ。フランヌお前、甘えるのも大概にしろよ」

 その言葉にカチンときた。

 フランチェスカはばっと立ち上がる。

「甘えてなんていない」

「お前は甘えている」

「違う! 何も知らないくせに上司面してしゃしゃり出ないでよ!」

「何も知らないのはお前の方だ。シチリカの気持ちも察せずに」

「分かるの! 分かるから会えないの! どういう顔をして会うの!? なんて言えばいいの!?」ぼろぼろと涙がこぼれてくる。「ごめんなさい? それともありがとう? ねえ教えてよっ。アザブラのための言葉をあなたは知っているんでしょうっ」言葉をつむぐたびにつらさは増していく。

「言葉はいらない。行動で示せばいい」

「できるはずないでしょう! 普段通りに振る舞って仕事をこなせばそれで許されるの? それこそ甘えじゃないの? ねえ、もういいでしょ……。ほっといてよ、もう出てってよ……」

 フランチェスカは膝を折ってその場にうずくまる。両手で顔をおおうと彼女は泣き出した。

 ダルマはじっと黙していた。

 しばらくして彼はフランチェスカの目の前で床に片膝をついて、そしてぽつりとこんなことを言った。

「フランヌ、もしかしてお前、自分を責めているのか」

 少女は目を見開いた。

「どうして……。フランヌ、シュナのことはその……。むしろ俺に非がある。俺が班長としての責務を果たせていればこんなことにはならなかった。だから、お前が責任を感じる必要はないんだぞ」

 フランチェスカは首を激しく横に振る。袖で目元をぬぐいながら言葉を発しようとする。

「私、私が……」

「うん」

「私、止められたの。助けられたの……。なのに……」

 ダルマが困惑した表情で少女を見つめる。

「どういうことか、教えてくれないか」

 フランチェスカはたどたどしい言葉で真実を打ち明け始めた。自分がシュナのマギカの調整を受け持っていたこと。その調整の応用として、逆にマギカを封じる技術を彼に内緒で研究していたこと。あの日の時点でその研究がほとんど完成しかけていたこと。手立てがあった。ただ彼の意に反したことをするその勇気が、自分にはなかった。

「引き止められなかったの……。私、私また……」

「ああ、お前、そうだったな。それで……」大きな手がフランチェスカの頭部にそっとそえられる。男には似合わない優しい手つきだった。「フランヌ、気づいてやれずにすまなかった。お前も昔に色々あったんだったな」

「…………」

「フランヌ、大丈夫だよ。今の話を聞いても、皆、シチリカだってお前を責めたりはしない。そういう連中じゃないことはお前も知っているだろう。お前の抱えた葛藤は理解される。俺が保証する」

「でも……」

「そうだな……。ここから先はお前次第か。一つだけ言っておくぞ。班員達はお前が復帰することを待ち望んでいる。あ、ていうか……、ああ、その……」

 ダルマが急に言葉を濁し始めた。フランチェスカが不思議に思って彼の顔を見つめる。

「うーん。ここまできて、なんだか言いづらくなっちまった……。本当はお前を叱りつけてから話すつもりだったんだがなあ……」

 ダルマは苦笑いしながら頭をかいていた。フランチェスカは首をかしげ、そういえば彼が自分にいい話があると言っていたことを思い出す。

 ダルマはふっと息を吐くとまじめな顔つきになった。

「フランヌ、これは伝え聞いたことであって、真偽のほどは分からない。それだけは了解して聞いてほしい」

「…………」

「シュナについてだ」

「え……」

「あいつが生きているかもしれない」


  ☆  ☆  ☆


 名前を呼ばれた気がして目を開ければ、はげ頭のおやじが自分を心配そうに見つめていた。ダルマだった。

「起きれるか」

 体を支えられながら寝台から身を起こす。

「私……」

「お前、気を失ったんだよ。驚きすぎだ」

「あ……」思い出す。ダルマの話、シュナのこと。

 彼女は思わずダルマの服にしがみつこうとして、腕が上がらず、それどころかバランスを崩して寝台に倒れ込んでしまった。

「フランヌ、無茶するな。一度落ち着きなさい。しばらく何も食べてないから体が弱っていたんだ」

「あの話、本当? シュナ君、生きてる? 彼は今どこに」

「シュナのことはディー団長から聞いたんだ。だから俺も詳しいことは分からない。だが、可能性は非常に高いらしい」

 フランチェスカは顔を寝台に埋めた。目に涙がにじむのに、それでいていつぶりになるかも分からない笑顔を浮かべていた。自分が笑っていることすら自覚できなかった。晴れた日に窓を開けても積もった埃が舞うだけのときもある。今、彼女の心には異なる方角からいくつもの風が吹き抜けていて、つまるところ彼女は混乱していた。

「でも。でも、あのとき……」

 フランチェスカの脳裏にはっきりと甦る光景がある。まばゆい光のドームから白い光が打ち上げられて空の彼方に消えていったときのことを思い出す。シュナのマギカは彼の肉体を離れたはずであった。マギカが肉体から飛び立つ現象は決して珍しいことではないが、そのほとんどはウィザードの死を意味する。だからこそアザブラの面々はシュナの死を信じざるを得なかったのだ。

「その件はディー団長も知っている。その上で今回の話をしてきたんだ。やけに自信ありげな顔つきだったとだけ言っておく」

「…………」

「ああ、そうだ。お前に伝えおくことがもう一つあった。彼はお前を呼んでいたよ」

「私、を……?」

「ああ。彼はテティーナム侯爵の城で待機しているよ。といってもフランヌお前、その状態じゃ歩くのにも不安だろう」

「行く……」直接話を聞きたかった。

「外に出るのか」

 フランチェスカの顔つきが強張る。瞬間、胸をよぎった不安から目を逸らしながら、彼女はかろうじてダルマの目をまっすぐ見つめた。彼女は一度だけ頷いた。

「……よし、分かった。城までは俺も付き添う。ただその前に簡単な食事だけはとろう、いいな?」


  ☆  ☆  ☆


「精霊術で健康になる」

「いいのかそれ」

 部屋で軽食をすまし身支度をすませ、宿の廊下に出てすぐのことだ。

 階段に足をかけたフランチェスカは眼下で赤い髪がゆれるのを見つけた。

「あ、フランヌっ」

 フランチェスカはすぐ踵を返して部屋に戻ろうとして、真後ろにいたダルマの胸筋にひたいをぶつけた。

「フランヌっ、フランヌっ」

 シチリカが階段をかけ上がってくる。退路をたたれたフランチェスカは軽いパニックに陥る。ダルマの顔を見ても彼はシチリカの方を見て自分には視線をむけない。

「あでっ、い痛いっ」

 と、急いでいたためかシチリカが階段に足をひっかけて段差に顔面をうちつけた。フランチェスカが思わずつむった目をそうっと開けると、眼下では鼻から血を滴らせた赤い髪の少女がむーむーとうなりながら悶絶していた。

「…………」

 フランチェスカは階段をかけ下りると痛がる少女を抱き起こし、その顔に右手をかざした。はめていた腕輪が淡い光を放ち始める。

「えへへ、ありがとうフランヌ」

 間の抜けた笑顔がフランチェスカの目の前に広がっている。

「まだ……」そう言いながらポケットからハンカチを取り出してシチリカの顔をぬぐう。

「いいよう。顔、洗ってくる」

「服につくから、簡単に……」

「シチリカ、お前相変わらず抜けてるな。というより階段じゃなんだ、二人ともとりあえず下に行こう」

 ダルマにうながされて三人は階段を下り、宿屋一階の談話スペースにやってきた。宿屋の主人が店番をしているほかに人は見あたらない。

「えへへ。フランヌの顔、久しぶり」

「…………」

「フランヌ? どうしたの。顔色悪いみたい。具合、悪い?」

 シチリカがフランチェスカの顔をのぞき込んでくる。彼女はフランチェスカが下を向いたまま固まっているのを見て今度はダルマに質問する。

「ダルマ班長、あの話はもうフランヌに……?」

「ああ、シュナのことなら話してあるぞ。フランヌは用事があってな、これからディー団長のもとにいくところだ」

「じゃあフランヌ、落ち込んでるのはどうして。あ、その、大丈夫? もしかして何も食べてないから」

「う、ううん……。さっきちょっと食べたから……」

「ええと、じゃあ……シュナのこと、信じることできない?」

「そうじゃない、けど……」

「んん」

 シチリカは急にむっとした顔をするとダルマの片腕をひっつかんで彼を宿の端へと引きずっていった。目を見開いて一人ぽつんと立ちつくすフランチェスカの視線の先で二人が口論している。「俺は……何も……」「じゃあどうしてっ……」シチリカの怒った口調に対してダルマが困ったように弁明している。

 と、シチリカがふと笑顔を見せた。赤い髪の少女は会話を切りあげるとフランチェスカのもとにかけよってくる。

 柔らかい衝撃を感じた。鼻腔をくすぐる甘い香りに気づいたとき、すぐ横に燃えるように赤い髪があった。

「フランヌ。ねえ、怖がることなんてないんだよ」

 首筋にシチリカのほほが温かい。フランチェスカは喉が震えず返事ができない。胸の鼓動が鼓膜に迫りくるようだった。

 フランチェスカは抱きしめられたまま棒のように固まっていた。

「私、フランヌのこと大好きだもん。恨んだりとかそういうの、しないよ。絶対に」

「…………」

「だめ? 言葉だけじゃ、信じてもらえないかな……」

 シチリカがフランチェスカの顔をのぞき込んでくる。赤い瞳は憂いの色を帯びている。

「あ、あの……」

 相手の瞳に浮かんだ不安を拭い去りたくて言葉を紡ごうとしても、何を言えばいいのかわからない。焦りを感じた。考えはまとまらないまま、しかし一つの欲求だけは確かに感じていた。

 信じたい

 信じたい……

「えと、そのっ……」

「うん」

「今度はっ……。今度は護ってみせる、から。だから……」

「…………」

「だから……」

 しぼり出した声がみるみる小さくなっていく。

 と、下を向いてしまったフランチェスカの肩にシチリカの手が乗せられた。

「フランヌ。シュナが帰ってきたら、もう無茶はしちゃだめってお灸を据えたいの。どうしたらいいか一緒に考えてくれる?」

 顔をあげたフランチェスカがぎこちなく頷くと、シチリカは花咲くような笑顔を見せてくれた。

 フランチェスカも自然と口元がゆるむ。何日ぶりの笑顔だっただろう。それを見たシチリカがますます嬉しそうに笑顔を浮かべるのでフランチェスカもつられるようにはにかんで……

「役目ねえなあ」

 二人の笑い声が宿屋に響きだした頃、ダルマは頭をかきながらぽつりとそう言った。


  ☆  ☆  ☆


「私たちの焦がれる引きこもりは今どこに」

「シチリカという少女と共に銭湯とのことです」

 石造りの階段を男二人が下っていく。場所はテティーナム侯爵の居城、光届かぬはずの地下が今は黄色く灯った携帯式のランプに照らされている。冷たく陰湿な空気にばらばらの足音が反響していた。

 一人は傭兵団アザブラの団長、白髪まじりの金髪が特徴の青年、ディー=スペルマ

 そして……

「ディー。話がよく分からない。ほどよく簡潔に説明したまえ」

 若い男だった。黒とはまた違うダークブラウンの髪は背中の中ほどまで伸びている。ビロード織りの衣服を着込んだ姿はお世辞にも屈強とは言いがたい。ただそれでも、高い背をしゃんと伸ばした立ち姿と気品のある顔立ちは一種の凜々しさを感じさせる。片眼がね越しに見せる眼光は人の上に立つ人間が持つにふさわしい鋭さをそなえているが、同時に彼の強すぎる意志もあふれ出るようだった。早熟な知性に見合わない若さを兼ね備えたその人物はルギスティッチ=オーギュスト=テティーナムといい、つまりはテティーナム侯爵の一人息子であった。

「こじれた三角形ですよ」ディー=スペルマは淡々とした口調で述べる。

「三角形?」

「フランチェスカは、親友が思いをよせていた男を手にかけてしまった過去を持つのです。記憶が彼女を苦しめる」

「…………?」

「ハーキュリー学院をご存じでしょう。二年前になります。精霊術の学舎であり同時に研究機関としての顔も持ち合わせていたあの場所で誰もが予期せぬ未曾有の人災がおこりました。事件当時、私は用向きがあって学院を訪れていたのですが……」

「ほう。私も話には聞いたことがある。封術を研究する部署が成果を焦ったすえに禁忌に触れる実験に失敗し、大惨事になったらしいな」

「ええ。当時、フランチェスカはハーキュリー学院の学生でした。私も全てを打ち明けられているわけではありませんが、問題の男は何らかの形で事件の渦中に引きずり込まれたのでしょう。それを救おうとした彼女が騒動と混乱のはずみで逆に男を絶命させてしまった。そして、偶然にもその惨事を目の当たりにした彼女の友人はフランチェスカを恨みながらその場で自決したのです」

「なるほど。似ているな」

「ええ。だからこそ、なのでしょう」

 しばらくして先頭を歩いていたディーの歩みが止まった。二人の視線の先には一つのドアがあった。

 ノックをしたのち男二人は地下の一室に足を踏み入れる。

「フィフィ、状況は」

「変わりないよう。目も覚まさないもん」

 ディーの問いかけに答える者がいる。その人物は木製の椅子に座したまま股の上の書物に目を落としていた。灯された燭台の明かりに照らされてその顔つきがおぼろげに浮かび上がっている。

 端正な顔立ちの少女だった。長いまつげにふちどられた瞳は透き通った琥珀色をしている。首下まで伸びた頭髪は真っ白で絹糸のようにつややかさをもっているが、頭髪とは対照的に肌の色は暗い。日焼けとはまた違う、乾いた土に似たくすんだ褐色の肌であった。

「その服装はなんだ」ルギスティッチがぽつりとこぼす。

 ルギスティッチが驚くのもわけはない。フィフィの衣服はひどく露出の多いものだった。それなりにふくらんだ胸部は布地を巻きつけたような衣服でかろうじて覆い隠され、下半身は下着一枚のみ。ほとんど水着姿と大差ない。フィフィが座る椅子の背もたれには濃紺の染色ローブが掛けられていたが、彼女にそれをはおる気はないようだった。

「ルギスティッチ殿。彼女がフィフィです」

「そうか君が……」

「どうも。フィフィ=グレイスです。……団長。フランチェスカはどうしました。あたしってばあの人を待っているんですけど」

「身支度に時間がかかっている。しばらくしたらここに来るとのことだ」

「そうですか。うふふ、早く来ると良いのに……」

 とそのとき、部屋にうめき声が響いた。三人の目が同時に同じ方向を向く。

 視線の先には一つの鉄格子があった。鍵のかかった牢屋の中に小柄な老人が横たわっている。

「ここは……、どこだ……」

「ここは、地下の牢獄! テティーナム卿、お目覚めになったようですね。お気分は優れますか」

 ディー=スペルマが牢獄の前に近づいていく。瞳にさも愉しげな光を宿しながらくっくっくと笑い声をたてている。

 現状を理解したテティーナムが血相を変えて鉄格子に掴みかかった。

「き、貴様ディー=スペルマ! 何の真似だこれは! ……ん、おおルギス! 息子よ! 幸運なことだっ。さあ、我をここから出せ!」

 しかしルギスティッチは父の求めに応じなかった。肉親が捕らわれた光景を前にして顔色一つ変えずにその場で立ち止まっている。

「ルギス、まさか! この蛮人の蛮行に荷担しているというのか……。な、なぜ……」

「父上……。私も、このような野蛮な行いをしたくはなかったのですよ」

「ならば!」

「父上がこうさせるのだ! あなたが不甲斐ないから! 私はこうせざるをえない!」

「な、なんだと……」

「お聞きしましょう父上! あなたはマギカという強大な力を持ちながら、なぜ自らサヴァンとの戦線に加わろうとしないのですか! 戦は今も続いている! 今、このときにも血を流しながらこの街を護ろうとしている人間が何万名いるかご存じないでしょうねえ!」

「言ったはずだ! そのような下々の行い、我の関与するところではない! 何のために奴らがいる、こういうときのために奴らがいる!」

「反吐が出るわ! この唾棄すべき無能めが!」

「な、な、な、にぃ……」

「権力は権力者のためにあらず! 権力とは振りかざすものではないぞ! 民に、人間に寄り添うものである! そのようなことも分からぬ愚か者にこの地を統べる資格などありはしない! 改めて確信した! マニマ=オーギュスト=テティーナム! 不釣り合いな貴様の王冠、この私にこそふさわしい!」

 ルギスティッチは息を乱しながらも煮えたぎるような瞳で父を見つめる。

 テティーナムはその場に尻もちをついた。愛すべき息子に己を否定されたテティーナムは息子の横でにまにまと笑っているディー=スペルマをにらみつけた。

「息子に、ルギスに何を吹き込んだ……」

「吹き込んだ? いえ私は何も。あなたがご子息を理解なされていないだけです」

「何が目的だディー=スペルマ。譲歩を交えた話し合いも、今ならばまだ」

「譲歩など、い、ら、ない。テティーナム卿、あなたの存在は無用なんですよ。私たちはあなたに宿るS級マギカ『メイジルーム』にのみ用がある」

「『メイジルーム』に……? 貴様、何を企んでいる」

「帝都、奪還」

 部屋がしんと静まりかえる。誰もが口をつぐむ最中、通気口から吹き込んだ風が燭台の火をゆらめかせた。

 テティーナムは虚をつかれて固まっていた。

 それが、やがて顔を歪ませてこらえきれぬように笑い出した。

「うはは馬鹿め不可能だ! このマギカは地縛型だぞ! 我が領土では無類の強さをほこっても帝都バリアでは効力など発揮しない!」

「効力を発揮するとしたら?」

「は……?」

「彼女たちには、それができる」ディーはフィフィを指し示した。「もっとも、ここから先は知っても仕方のないこと。ともかく必要上『メイジルーム』はルギスティッチ殿にお譲りしていただくことになります」

 テティーナムの顔が青ざめる。

 マギカの授与----この場合にはウィザードの死が必須である。

「ふざけるな! ディー!」

「父上!」ルギスティッチが言葉を遮る。「父上に扱えなかったそのマギカを私が使いこなす! マギカを使い、私は帝都に光を灯し、再びカミュナの栄光を取り戻してみせる! だから、今は!」

「ルギス騙されるな! 背後に立つその者の目を見よ! 濁りきった瞳の奥に裏切りの星が瞬くのがお前には見えぬのか!」

「くっくっ! なかなか詩的な表現をなされる!」

「父上、決めたことです。あなたは常々言っておられた。平和を愛するなら為すより為さぬを尊べと。しかし今、日常の崩れたこの時代に私は生きている! 私は選ぼう! 為さぬより為すことを選択しよう!」

「ル、ルギス……」

「お話は、ここまでです。マニマ殿」

 ディーが鉄格子に近づいていく。ニマニマと笑いながら、面白い虫を見るような目つきでテティーナムを見下ろす。ディーは玉を持つように右の手のひらを広げて見せた。その手のひらの上にどす黒い靄のようなものが小さく渦を巻いている。

 テティーナムは尻もちをついたまま後ずさりをする。

 牢屋の奥の壁まで達すると、逃げ場を失った彼は震える声でこう言った。

「や、や……やめ、て……」

「さよなら、凡人」

 黒い靄が突如体積を増す。それは漆黒の濁流となって牢屋に流れ込み、震えるテティーナムに牙をむいた。

 凄絶な悲鳴がこだまする----












 マニマ=オーギュスト=テティーナムの病死が発表されたのはそれよりしばらく後のことだ。

 よく晴れた日のこと、彼の葬式は盛大に執り行われた。

 そして牧師の厳粛な声が響き渡る頃、参列者の間をある噂がはしった。

 ルギスティッチ殿が泣いておられないらしいぞ。

 そのことを好意的にとらえる者もそうでないものも、真実を口にすることはない。

 所詮、噂は噂でしかなく----。

 式は滞りなく終わりを迎えた。式後、ルギスティッチは己にすり寄る輩をいっさい無視し、まっすぐ城に帰還した。

 だから誰も知らない。

 父から受け継いだ居城に足を踏み入れたとき、ルギスティッチの表情が一瞬崩れかけたのを知るものはいない。

(悲しむために殺したのではないっ)

 父のいない城の中で彼は政務にとりかかる。取り巻きの重鎮を呼び集め自分の意思を表明していく。

 後悔と後ろめたさを踏み越えて彼はどこまでも明日を見ていた。

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