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01_地底人(?)、襲来

 口を三角にして、俺は今。開けかけたズボンのチャックを即座に上げ、何も言えずに固まっていた。

 白装束に身を包んだなんだか可愛らしい生き物は、俺の瞳を見詰めてくりくりとした眼を動かしている。なんと表現していいものか、あれだ。その生き物は、人が排出物を流すための穴に――……


 埋まっているようにしか見えない。


 ――マジか。どうやったらそうなるんだ。


 両手がそれとなく出ていて、考え方によってはものすごくグロい光景を目にしているはずなのだが、いかんせんその――きょとんとした、あどけない表情を前にしてはホラーっぽさを感じることもままならない。

 むしろ、可愛いとさえ思う。

 どうしたらいいのだろう。俺は、この状況になんてコメントしたらいいんだ。

 彼女は言った。


「みちづれにきました?」


 ものすごく怖いが、まったく怖くない。むしろ、これはひとつのオブジェクトとして明日から愛でることができそうだ。

 家で用が足せなくなるのは、あまりよろしい出来事ではないが。

 都合良く母親は買い物に行ってらっしゃる。……どうしよう、人生を思い返しても、俺が今までに読んだ色々な書籍という名のマンガには、対処法が載ってない。


「えっ? 日本語?」


 その時、俺はあることに気がついた。

 その下半身トイレット女は、やや鼻に掛かった声で「道連れに来ました」とのたもうた。

 ――いや、待て。さすがにそんな趣味はない。


「みちづれにきました?」


 何度繰り返すんだこの娘っ子は。いや、下半身がまだ確認できていないので娘っ子かどうかすら分からないのだが。

 どうしよう、この状況。どうにかなるのだろうか。とりあえず――何から始めるべきだろう。

 ちょこんと出ている手を握って、握手をしてみた。


「……にへ?」


 ――あ、笑顔になった。

 どうしよう。思ったより可愛いぞ、これ。

 下半身がトイレなことを除けば。本当に、それさえ除けば。夏休みの合宿で、カレーについうっかりデザートのリンゴを投下して、美味しいけど微妙な気分になった時のような気分だ。

 ……今の例えはあまり良くなかったような気がする。

 そもそも、トイレの排水溝って人の手がギリギリ入るか入らないかだろう、と改めて真面目なことを考察してみる。少なくとも、人のウエストがすっぽりはまるような機構にはなっていなかった筈だ。

 嘘から出た真か、案ずるより産むが易しというが、この場合生まれてしまったものが鳶が鷹を生んだどころの騒ぎではない。


 どうしよう。


 ――そうだ。


 俺はリビングのテーブルを物色し、何かめぼしい物を探した。


 ――――バナナ。


 ――い、いや。いくらバナナがあったからって、下半身トイレの女の子にバナナを与えるっていうのは、いくらなんでもアレなのではないだろうか。

 どうしよう。与えてみようか。

 考えたが、背に腹は代えられない。またの名を、やってみたかった症候群である。

 バナナを手に取り、俺はトイレへと戻った。

 皮を剥いて、そっと差し出してみる。


「――はくっ」


 ――喰った!!


 喰ったぞオイ。マジでやりやがった。食らいついてやがる。そして、もそもそと口を動かして――……

 飲み込んだ。

 飲み込んだぞ。

 マジでやりやがった。


「ありがとうございます」


 笑った!!

 サボテンに花が咲いた時のような感動が、俺の中を駆け巡った。

 お、思ったよりこれは、楽しいかもしれないぞ。

 トイレから咲く少女の面倒を見るのは。


「――そうだ、間違えました。みちづれに来たのではありません。迎えに来ました」

「……それは、大分違うと思う」


 俺の突っ込みもどこへやら、少女はバナナを食べながら俺の手を握った。


「やっぱりあなたこそが、私の台車です」

「いや、意味が分からんよ」

「行きましょう、国道くにみち有人ゆうとさん」


 俺の手を握って、そのまま彼女はトイレの中に――……

 いや、ちょっと待ってくれ。

 本当に待ってくれ。

 ――それは嫌だ。なんていうか、個人的にすごく。

 そう思ったので、引かれる手を止めた。


「……いや、なんていうか、その、誰なんですか? あなたは」


 今更ながら、本来一番最初に質問するべきだった筈のことを彼女に聞く。日本語が喋れると分かった時点で、コミュニケーションは取れる筈なのだから。

 誰なんですか、と聞かれて唇に人差し指を当てて暫く考え込むというのも。どうなんだろう。

 何かあるんだろうか。


「箱入り娘です」

「いや入ってるのはトイレだから」


 そこで、初めて俺はその矛盾に気付いた。

 ――そうか。こいつ、トイレに入ってるんじゃないか。

 なんで、髪とか指とか濡れてないんだろう。

 黒髪で髪が長いのなんて、俺の知る限りでは『○子』くらいしか覚えがないのだが。まあでも、このオブジェクトはどう考えてもホラーにはなり得ないな。

 ホラーコーナーだけやたらと充実しているレンタルビデオ屋のおっちゃん、ごめん。一度もネタなんて提供したことないけど、俺にホラーは撮れそうもないよ。

 くだらないことを数分だけ考えた結果、とりあえず俺は用を足したいという衝動に駆られていることを思い出した。

 人間、驚くべき出来事に遭遇すると生理現象が引っ込むって本当だね。


「あ、私はミヤビです」

「今更自己紹介きた!!」


 ひとまず、ここからは出てもらおう。少女の両脇に手を添えると、俺は真上に引っ張った。


「はい、ちょっとごめんねー」

「はい?」


 軽いな。

 しかし、トイレから人を引っ張り出すなんて行為、俺の人生においても数少ない貴重な体験だろうな。

 彼女の全身が露わになる。

 おお、やっぱり少女だった。

 ……


「あ、あの」


 ……男性器は、付いてないわ。


「戻してください。恥ずかしいです」

「何で何も履いてないの!? バカなの!? ていうか、本当になんなの!?」


 思わず、突っ込んでしまった。

 ……あれ? そういえば、やっぱり下半身も濡れていない。

 ふと便器を見ると、虹色の渦がぐるぐるとうねっていた。


「なにこれ」

「あ、私、ミヤビです」

「それはもう聞いたよ!!」

「ワノクニからきました」


 そうか。ここは日本だ。残念ながら、少女とは価値観の共有はできそうもない。

 トイレからある日手を出して、出てきた。ということはつまり、このトイレの向こう側には少なくとも、人が通ることのできる通路があるってことだ。

 ……排水溝? 下水道でも歩いて来たのだろうか。

 いや、そんなことはないだろう。

 この虹色の渦巻いている何かは、明らかに普通じゃない。中性洗剤をぶちまけたってこうはならない。そして、このミヤビという少女は欠片も濡れていない。

 ……幻想の世界だ。


「……あの、どうしてうちのトイレから出てきたんでしょうか」


 少女は言った。


「私、ミヤビです」

「それはもういいよ!!」


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