109_長い夢の終わりに
風の音がする。
俺は目を覚まし、起き上がった。巨大な城の一番上の部屋は既にボロボロで、そこら中に穴が空いている。それでもまだ建っているのだから、大したものだと思う。
状況を確認した。
これは、戦いの跡だ。
全て、あの時のまま。部屋の外では全てを思い出したトゥルーが、今頃怯え切って騒いでいるだろう。
空が青い。
あれだけの戦いをしたというのに、嘘のように晴れ、澄み渡っていた。
「……ん」
「ここは……」
遅れて、ルナとシンマが目を覚ました。その頃には俺は立ち上がっていて、目の前に置いてある『それ』をまじまじと眺めた。
今更ながら、実物は初めて目にする。
『幻想の泉』。これこそ、去る戦争でも魔王が使わなかったと言われる、伝説級の代物。術者の魔力に応じて、対象に様々な幻覚を見せるという。
それを『魔王』直々に使ってしまったのだから、そりゃあ世界の一つや二つ、作られる訳だ。
泉の水は空になっている。ということは、最早こいつはただのサラダボウル。あるいは丼茶碗で、あるいはおまるか――……
……ああ、トイレ。
俺は微笑んだ。
まだ、あいつの作った幻覚に溺れているんだろうか。
こいつが力を発揮していたから、『トイレ』が世界を繋ぐゲートの役割を果たしていたのだ。
思わず、苦笑してしまった。
「アルト、大丈夫か?」
「俺は大丈夫だ。門の外に居る、トゥルー・ローズマリーを呼んできてやってくれ」
トゥルーがこんなにも影響力を持った人物になるとは、魔王のシナリオとしては想定外だったんだろうな。まあ、あの世界にシナリオそのものがあったのかどうかも疑わしいが。
俺は城の中を見回した。ベランダの方か――長い黒髪が見えた。
いや、ベランダじゃない。あれは多分、他の魔族に語り掛けるための場所なのだろう。
この城からは、魔族の国が一望できるのだから。
「――聞いてください」
何か、話している。……ということは、下には魔族が居るのだろうか。
俺は、その場所を目指した。
「『幻想の泉』を持ってしても、人間を止める事は難しかったのです。ですが、聞いてください。これは、私達の責任です」
何だか、偉そうな演説をしていた。
「裏切り者の『淫魔族』が人間の村をひとつ滅ぼしたせいで、人間達が激昂し、我々に復讐を挑んで来ました。我々はそれを、返り討ちにしようとしたのです。この罪は、計り知れません」
声が涙に濡れているのは多分、気のせいではないだろうと思う。
「わっ、……私達は、いえ、私は、亡き父上の後釜としては、至らず――……、よって、父上の残した遺産に、誓いに、傷を付けてしまったことを、ここに謝罪します」
――やれやれ。
悪いのはインキュバスとサキュバスであって、何れにしてもお前には知らされなかっただろうと思うよ。
俺だって、魔王がこんなにも日和った奴だとは、今日まで思っていなかったんだからな。
随分昔の事に思えるが、俺達はきっと、一晩ほど眠っていただけなのだろう。
最深部に辿り着いた俺達は、『幻想の泉』の洗礼を受ける前、魔王に出会った。
『二百八十五年前、魔族が猿共との戦争に勝ってさえいれば、世界は平和であったものを……!!』
淫魔族とかいうものが、魔王に向かって攻撃していた。俺は泣いている魔王を見て、淫魔族に剣を振るった。
だけど、それを魔王に阻まれてしまったのだ。
何だかんだ、反逆者とは言えども魔族にとっては大切な仲間らしい。
「我々は人間達から遠く離れることで、今回の罪を払拭したいと考えており……」
「バーカ」
俺は魔王の肩を掴むと、振り返らせた。そんなんだから、他の魔族が好き放題暴れ出すというのだ。
先代魔王が居なくなってから、まだ日も浅い。こいつ一人では守り切れなかったのだろうと、今になって思うよ。
俺が現れた事で、魔族の間にどよめきが生まれた。
「に、人間……!!」「アルト・ワールドロード、本当に魔王様に勝ったのか……!!」「やはり、先代の魔王でなければ……」
口を開けば、戦う事しか考えていない者共よ。俺達が現れてからも、不法侵入だなどと散々罵ってくれたな。
……まあ、俺も魔族とそれなりに戦ってしまったので、人の事は言えないのだが。
それでも一応傷は付けてないし、殺してはいないんだけどな……。当事者である淫魔族とかいうのに出会ったら衝動を抑えられたか不安だったが、裏でコソコソやるような連中だから、表に出てこない。
俺は当事者だけに復讐するつもりで来たのに、来たら魔王はその当事者と戦ってるんだもんよ。
「聞け!! 魔族よ!!」
俺は言った。
「俺は魔族そのものと戦う気はない!! 当事者にはしっかりと罪を償わせるが、また戦争など起こす気はないから、それは理解して欲しい!!」
……まあ、こんな所だろうか。後は、上のお偉い方がうまくやるんじゃないかな。
「……アルトさん」
「お前、勝手に演説始めるなよ。本当にまた戦争が起きても知らんぞ」
「だ、だって、私はこれから罪を償って……」
「お前は罪を償っている場合じゃない。魔族を統括する、先代魔王の二代目になるんだぞ? しっかりしろ。今お前がやる事は一体何だ」
「あ、アルトさんは、私を殺しに来たのではないのですか?」
頼りない魔王だな、本当に……
「お前の存在次第では分からなかったけど、もういいよ。お前に悪いことが出来ないってのは、よく分かったから。……犯罪者はどうした?」
「ろ、牢獄に、閉じ込めてあります。終身刑です。『幻想の泉』の中でアルトさんに倒されて、伸びていたので……」
「まあ、なんだかんだ、ベストな結末じゃないかな」
「幸い、死人も出ませんでしたし……」
――ん?
「出てないの? 死人」
「はい、アルトさんが寝ている間に私もさっき知ったんですが、出てないみたいです」
「……俺の村、血の匂いがしてたんだけど」
「墓荒しして、家を焼いただけみたいです。たまたま、村の皆さん、魔族の国に旅行に来てたとかみたいで」
なんだそれは……俺、何にキレてここまで来たんだよ……。
戦争の再来かと思ったから、わざわざここまで来たのに……
ルナとシンマが駆け寄ってきた。その後ろには、トゥルーも一緒だ。トゥルーは俺に駆け寄ると、頭を下げた。
「す、すいませんアルト様!! 幻想の泉の中とはいえ、私、アルト様にとんだご無礼を……」
……まあ、こういう奴だよな。何があったのか知らないが。
「別に、『ダーリン』でも良いよ」
「や、やめてくださいっ!! 恥ずかしくて死んでしまいますっ!!」
ルナが前に出てきた。トゥルーばかりに構っていたからだろうか、その表情は少し不機嫌そうだった。
「……アルト。戻ったら、私との婚儀ですからね。先代勇者の息子が希望した事だから、付き合ってあげただけですから」
「はいはい。ありがとな、ルナ」
まあ、これだけ身体を張って止められたんだ。俺もミヤビ――おっと、いけない。魔王の気持ちを汲んで、犯罪者の終身刑で許してやるとしようか。
「んじゃ、終わりだ。それじゃあな、魔王」
俺は魔王に手を振る。――さあ、人間の国に帰るとしようか。
魔王は俺に、頭を下げていた。
「――本当に、本当に、申し訳ありませんでした。もう二度と、こんな事はありません」
しかし、バカな夢だったなあ……。
『幻想の泉』の力はあるとはいえ、あれは結局、魔王の作り出した空間なんだろう。もうネーミングセンスは安直だし、謎な設定は多いし、俺はなんか
「ハイパーニート引き篭もり格ゲーマーってなんだよ!! 馬鹿にするのも大概にしろ!!」
「ふええっ!? ご、ごめんなさいっ!!」
思わず怒鳴りつけてしまった。魔王が目を白黒させて、俺の言葉に反応した。
「お前、そんなんで魔族の国を統括できんのか? ……俺は心配だよ」
項垂れて、袖を掴む現魔王。……まあ先代魔王が凄かったせいもあって、こいつもプレッシャーが大きいだろうな。
……あー、ね。
俺は魔王の手を引き、今一度壇上に戻った。
「えー、みなさんに報告があります」
俺は魔王と繋がれた手を、民衆に見せ付けた。
「今日から僕達、結婚することになりました!!」
――場の空気が固まる。
さて、俺の親父こと、先代勇者――サムライ・ワールドロードは、魔族と同じ程度の寿命を手に入れ、長い時間を掛けて魔族と人間の戦争を終わらせた。勿論、ふんばり剣術とは何の関係もない。
ちなみに、母さんは遠い昔に死んでしまったので、日空さんというのは魔王の妄想である。
次期勇者である俺が、何をしなければならないかと言ったら――もしかしてこれではないかと、今思った。
今。
「……えっ!? ……えっ!?」
「何だよ、俺とじゃ嫌か?」
「嫌……ではないですけど、あの、全く展開に付いて行けなくて……」
「あー。見てやるよ、魔族の方も。勇者なめんな。台車とか、訳の分からないポジションにしやがって」
「えっ!? ご、ごめんなさいっ」
「お前、本当の名前は?」
「あ、ミヤビです。ミヤビ=ギルデスマスターといいます」
「そこはリアルなのかよ!!」
まだ、馬鹿騒ぎが続いているみたいだ。
いや、続いているんだろう。
そして、これからも続いていくのだ。
「俺に掛けられた呪いはたった一つだ。――女難だよ」
ミヤビが目を丸くして、直後――吹き出した。
「――はい、みちづれに来ました!! みなさん、これからも私のポンコツに付き合ってもらいます!!」
ま、こんな所だろうか。
しかし、トイレというのは割と、俺達の世界にも使えるのではないだろうか。温水洗浄便座の仕組みとか、ちゃんと調べておけば良かったな……まあ、調べたって理屈なんか出て来ないだろうけど。
あまりにも生活感のあり過ぎる幻想の中に、飲み込まれてしまっているから。多分、ミヤビが来なければあのまま俺は気付かずに、地球での生活を過ごしていたんだろうな。
そもそも、『現実』ってなんやねん、という話になる。
だが、世の中には時として恐るべき出来事が起こり得るということも、絶対に忘れてはならないことだ。
小学校三年生の台風の日、担任の先生がうっかり海釣りに出かけて激流の波にさらわれてしまったことは、数年経った今でも記憶に新しい出来事だし、学校の七不思議が増えに増えすぎていつに間にか十三にまで膨れ上がってしまったことも、忘れてはならない出来事だ。
……って、何で俺の架空の設定ばっかりこんなに練り込まれているんだろうか。
「……私との婚儀の前に、別の女に結婚を申し入れるとは……た、大した度胸ですね……ふふふ……呪いますよ、アルト・ワールドロード……」
まあ、普通は驚くべき出来事が自分に起こるなんて、想像もしない事だからな。
俺は踵を返して、ルナから逃げた。
――さあ、タマゴやサラミやパスタやモンクや、とにかく皆に会いに行こう!!
「あっはっは!! ごめ――ん!!」
「待ちなさいアルト!! 今日という今日は許しませんからね!!」
「あ、アルト様!! 私は妻として、最後でいいので!!」
「ちゃかりしてんなお前!!」
所詮、何が現実で何が夢か、なんて茶番を語るようなものだ。
だったらいっそ、うんと軽くても良いのかもしれない。
なんか、トイレから人出て来たんだけど。くらいのノリでも、良いのかもしれない。
――なんてな。
この物語は、これにて完結となります。
三ヶ月近い連載にお付き合いくださった皆様、どうもありがとうございました。
また、次回のファンタジー枠でお付き合い頂ければ幸いです。