魔女と軟弱男と箱入り娘 (1)
真っ黒いローブを羽織り、腰の曲がった人影が森を縫うように続く道を歩いていた。
グリップ部分がこぶしのように膨らんでいる杖を、親の仇のように地面に突き刺して、大小の石がごろごろしている道をずんずん進む。
すれ違う人々はその異様なローブ姿に『触らぬものにたたりなし』を決め込み、道の端ぎりぎりまで避けるため、黒いローブの進行方向には何一つ邪魔なものなどない状態だった。
背中の曲がった小柄なその人影のローブの隙間からは殺気のオーラが溢れ出し、近くにいた子供を泣かせた。
「レイザン、目的地はどこなの?」
にこにこ笑う、少年を脱したばかり年頃の青年がおどろおどろしいローブに話しかけた。
「あんたのいないところだよ」
苦虫を噛み潰したようなしゃがれた声がローブの奥から聞こえた。
「本当にいらいらさせられるよ、このバカには」
つい思考が口から溢れだすありさまだった。
◇◆◇
それは今から半日ほど前の話。魔女はお化けが運動会を始める時間帯に起きた。
ジャン青年は、前日の夕刻に、魔女の報復を恐れたグレンによって、ひっぱられてどこかに連れて行かれていたはずだった。
魔女は手早く身支度を済ませると、真っ暗い闇に溶けるような真っ黒いローブを羽織った。
手にはこれまた真っ黒い荷物を持って、闇に溶けるように外に出た。
暗闇の中、村から離れた家から闇の中を這うように抜け出した魔女に、誰も気付くはずがないはずだった。
ところが……
魔女は惚れ薬を飲んだ青年を甘く見ていた。魔女の玄関先の木の下で、ジャンはにこにこ笑って言った。
「そろそろくることだと思った(はあと)。僕も行くよ」
ぶんぶんと自分の旅の荷物の入ったリュックを振りまわして、やる気満々という体だった。
「……何故わかった。今日出かけるという仕草は見せなかったはずだが」
「愛の力だよ(はあと)」
魔女はローブの下で青筋を浮かべた。
この惚れ薬服用者から逃げるために旅に出ようとしているにのに、その大本がくっついてきてはどうしようもないではないか。
魔女は黙々と歩いた。あてなどない。
とにかくこの青年から逃げなければならない。
青年は結構な量の惚れ薬を飲んだ。数年、いや下手したら十年は魔女への愛は尽きないだろう。その間、片時も離れずに粘着されるのかと思うと、魔女は身震いした。
街と街を結ぶ街道は、整備されてはおらず、木立の間、轍だけがここが道だと示していた。
「レイザン、歩くの早いねぇ。ねえ、もう少しゆっくり行かない?俺、疲れちゃった」
ローブに隠れた魔女の顔をのぞき込もうと屈んだジャン青年のみぞおちに、魔女の杖が見事に決まる。腹を押さえてうずくまる青年をよそに、魔女は黙々と歩いた。
「ぎゃ、枝が目に刺さった」
「うひゃあ、蜘蛛! 蜘蛛!」
「ねえ、そろそろ休まない?」
足元は決して良くない。踏みしめられてはいるが、小石や地面の凹凸が老人が歩くには過酷だったが、魔女は気にもならないよう軽々進んでいた。
若く体力があるはずの青年は、凹凸に当たるたびに躓き、蜘蛛や蛇や蜥蜴に遭遇し、木立の低い枝に頭を打つ度に、泣き言を言い、その度に魔女の不快度は急上昇した。
どうやってまこうか。いっそやっぱり物理的に殺すか。
この状況のもっともたやすい打開策が頭をよぎる。
緑の濃い森を抜け、街を抜け、また森を行く。
森が終わり、視界が開けた。
そこは、魔女と青年が住んでいた小さな村から二つ目の街だった。
ようやく、魔女は曲がった腰を少し伸ばし、空を見上げた。
夜明けから歩き始め、今は日が傾き始めている。日が暮れる前に次の街まで行くのは不可能な距離だった。
「今日はこの街に泊まるんだよね! 初めての一緒の夜だね!」
魔女の気持ちを読んだかのように、青年が嬉しそうな声をあげた。
城壁が街をぐるりと囲んでいる。盗賊や、侵略者から領土を守るため、この国の街は城壁に囲まれているのが通常だった。この国では小さい方の街とは言え、魔女と青年が住んでいた村に比べれば、格段に大きい。
門まではもう少し、という距離で、魔女は視界の端に動くものを捕えた。
街道から少し外れた森の中で布が動いた。
「レイザン、どうしたの?」
青年の声を背中に聞きながら、魔女は森に入った。大きな木の苔生す根を枕にするように、若い娘が倒れていた。
お時間を割いて、最後まで読んで下さりありがとうございました。