Prolog
プロローグです。
またこれからもよろしくお願いしまっす。
要人大量暗殺事件。
この世界に存在する者ならば、知らない者はなく、そして忘れる事がないよう、学校教育の中に組み込まれている事件の一つ。
西暦二〇五八年。
世界中で名だたる要人、貴族や名家の当主その後継、世界的に有益な研究を残した研究者、国へと出資をしている資産家や起業家。
そう言った世界的に見ても重要な地位についている要人達の多くが同時に暗殺される事件が起きた。
その際、国の防衛力や諜報力に対して数多くの批判の声が上がったのだが、それも直ぐに沈静化した。
いや、せざるを得なかった。
世界的に重要な位置にいた要人達が、同時に、それも大量に暗殺された事によって、多種類、多大な技術が失われ、国の重要なポストが空席を見せる。
そして最終的に経済が立ち行かなくなり、そう言った批判の声を上げる前に、其々の国の立て直しに追われる事となった。
これが要人大量暗殺事件のあらましであり、前歴における世界的に見て最大の汚点となった。
そして世界は変わる。
世界としても忌むべき汚点が存在する西暦はすぐさま捨て去られ、西暦二〇六四年。
文字通り西暦は終わりを迎えた。
年号としての西暦が終わりを迎え、新暦として上がった白歴一年。
ここに来て更に新しい動きが世界的に始まった。
大事件の折示唆されたのは、防衛力。
それも国単位の防衛力ではなく、要人個人の防衛力が問題となった。
所謂、護衛やSPと呼ばれる者達の能力だ。
それらの能力の問題が示唆された所で、世界が出した答えは、護衛と言う職業の世界統一と世界的な能力管理。
つまり、護衛という職業を人種国柄を問わず、能力が高く人格に問題がない限り、世界的に集約させ、その能力を世界的に管理しようというもの。
そして出来上がった機関が――護衛庁。
護衛庁の本部は日本に置かれる事に決定した。
それというのも、大事件の折、一番被害が少なかったのが日本という国であり、防衛という面において優秀な能力を持っているため、その本部を日本に置くのは至極妥当であり建設的、というのが世界の出した結論。
しかし、それも建前に過ぎない。
結局のところ、世界の出した本音は、護衛庁と呼ばれる機関など、所詮個人を防衛するための人物を登録する為の機関であり、長い年月が過ぎれば誰もが忘れ去り、無用の長物になる事が予測される。
故に何処の国も護衛庁などという新しい世界機関など置きたくはない。
それが本音だった。
しかしここで予想を裏切る自体が起こる。
護衛庁と言う機関は、護衛という職業の付いている人物のデーターベースであり、それ自体に何ら権利を持たない。
だと言うのに、護衛庁に登録されている護衛が、各国で目覚しい成果を次々と上げ、世界の目は日本へと向く事となった。
同時に、世界の感心、そして足も日本へと向く事になり、世界という大きな尺度から見ても、日本という小さな島国を無視できない状況へと変化を遂げた。
「ここから起こった大きな変化は何だー? 新島、答えて見せろ」
野太く低い男性の声が響き渡る一つの空間。
そこには約四十人程の人物が、それなりの余裕を持って各テリトリーである席へと付いている。
私語は全く聞こえず、聞こえるのは教科書であろう本のページをめくる音と、黒板に記されるチョークの音。
そして、黒板に記載された文字や図をノートに書き写すシャーペンや鉛筆の音だけ。
短く刈り上げられ、ゴツい輪郭の男性教諭と思われる人物が片手に教科書を持ち、教壇の前に立っている。
男性教諭の名前は真島道弘。現在四十三歳、独身。結婚願望はあるが、その時期を見極められず、この年までズルズルと引き伸ばされている。
ちなみに現在彼女募集中。
生徒からの評価は悪くなく、素行の悪い生徒からも慕われており、教師として優秀な部類に入る。
同僚である里中千尋は彼の事が気になっている様だが、彼はその事に気がついていない。
一歩踏み込めば春が訪れる事がわかっていながら、そのチャンスを掴めていない辺り惜しい人物。
つらつらと今現在教鞭を振るっている教師の詳細なプロフィールを脳内で羅列し、授業の内容を聞き流している生徒。
朝霧まりもは、退屈な授業を聞きながらも眠気との壮絶極まる戦闘を繰り広げ、その鋭い視線は恨めしいとさえ思える青さの空を見上げている。
窓枠に切り取られた青のキャンパスの中を、憎らしい事に雀が気持ちよさそうに飛び回っている。
「世界の共用語に日本語が加わった事です」
新島と呼ばれた生徒が、カタリと最小限の音を発生させ、立ち上がり質問に答える。
その答えを受けた道弘は、当然ながら大きく一つ頷いた。
生徒が戸惑わず出した答えに満足したのか、黒板の前をウロウロと歩き回りながら、片手に持った教科書の内容を読み上げていく。
そう、世界の共用語に日本語が加わる。
これこそが日本にとって、そして世界にとって護衛庁と言う機関がもたらした大きな変化の一つ。
嫌でも世界に注目された日本。
そしてその影響を受け、世界の共用語に、英語と日本語が並ぶのはそう遠い未来ではなかった。
今では英語と並び、日本語を話せない人物の方が少ない世界になっている。
それが白歴二十五年の事。
現在より百五十年前の事だ。
そして現在は白歴百七十五年。
それだけの年月を重ねてなお、護衛庁という世界機関は存続している。
同時に、世界的に見て護衛という職業は珍しい職業ではなくなり、それによっていくつか特殊な概念が護衛庁の中で生まれていた。
「その特殊な概念とは何だ? 眠そうな顔をしているな……朝霧、答えて見せろ」
「あ? あぁ……」
鋭い黒の瞳を道弘に移動させる。それだけでまるで睨みつけられている様な威圧感を感じるが、道弘はこれが朝霧まりもの平常運転だという事を知っているのか、特に気分を害した様子はない。
ただじっとまりもかが口を開くまでじっと見据えているだけだ。
ガタリッと静かな教室には似つかわしくない大きな音を立て、椅子から立ち上がるまりもに集まる視線。
その視線の色は、嫌悪、畏怖、嘲笑、良い感情の色を探すのが億劫な程負の感情に満ちていた。
無論、その程度の視線でどうにかなる精神をしていないまりもは、既に高校二年生の終盤まで来ている。
「護衛庁に存在する世界的に知られた特殊な概念。その一つが序列。これは個人の護衛としての能力を指しており、ナンバーが若い者ほど実力がある護衛として認識されている。その中でもさらに特殊な概念として護衛庁特別ナンバーと言うものが存在し、これは〇一から〇九までの一桁代のナンバーを指しており、護衛庁の保有する護衛の中でも別格と言っていい実力を持つ護衛達。ナンバー〇一ともなれば一人で軍隊の小隊レベルの武力と、国家諜報機関クラスの諜報力等と比類する能力があると言われており、その他の能力も二桁ナンバーとは一線を画する能力を誇る。補足知識として護衛庁特別ナンバーの中では、特別ナンバー〇六はロストナンバーと呼ばれるナンバーが存在しているが、世界的にこのナンバーがどの様な意図を指してロストナンバーと呼ばれているかは明らかになっていない」
つらつらと滑らかに詰まる事なく、護衛庁に存在する特殊な概念を説明し終えたまりもは、辺りにその鋭い視線を巡らせる。
その鋭い支援が捉えた光景に、まりもは自らの失敗を悟り、小さく舌打ちを打つが、それは誰にも聞こえていなかったのか、まりもの舌打ちを最後に教室内には静寂が舞い落ちている。
わなわなと全身を震わせ、教団の前に立つ道弘は、信じられない物を見たかの様に両目を見開き、片手に保持していた筈の教科書も、床へと寝そべらせている。
正確に言うならば、あまりの衝撃に教科書を取り落としたと言った方が正解なのかもしれない。
衝撃を抑えきれないように全身を震わせる道弘は、震える右手の人差し指でまりもを指差す。
「お、おおおお前……本当に朝霧、なのか?」
「じゃなきゃ俺は誰なんだよ……」
面倒くさ気に、気怠そうにそう答えるまりもに、何故か急に道弘は目頭を片手で押さえ、溢れる涙を我慢している。
「うぅ……済まない! お前はこの学校始まって以来の不良生徒で、この質問にも答えられないに違いないと決め付けていた! こんなダメな教師である俺を許してくれぇ!」
「いや、別にいいけどよ……」
「うおぉぉぉ! 朝霧! お前ってやつは! よし、俺も教師だ、これからは曇り無き目でお前という一生徒と向き合って行く事にする! 座ってよし!」
「相変わらず暑苦しいオッサンだな……」
小さく呟いたまりもの言葉は聞こえていなかったのか、道弘は落としていた教科書を拾うと、授業の続きとばかりにチョークを手に持ち、カツカツと軽く小気味良い音を響かせ黒板へと文字を書き込んでいく。
そんな一人の教師が自らの教師としての姿勢を見直した事等捨て置き、まりもは窓枠に切り取られた青のキャンパスを見上げる。
狭い窓枠に切り取られた、無限にも思える広大さを持った青を堪能したまりもの視線は、キャンパスから自らの手元へと移る。
机の教科書を入れるスペースから引き出されたまりもの右手には、一通の手紙と何かの書類が入った封筒と、明らかにチケットと思わしき紙が一枚存在していた。
「また緊急の依頼……学校契約だっつってんのに……あの狸め、八つ裂きにしてやろうか……」
手元に存在している書類。
上の方に依頼書と書かれた書類には、きっちりと判が押してあり、それは既に依頼を受諾済みという証でもあった。
その事実にまりもは小さく悪態をつくが、誰にも聞こえないような口の中だけで呟いた悪態だった為誰にも聞かれた様子はない。
「今回の長期休暇はアメリカね……またまことの奴が拗ねるな」
もはや諦めたような声音と言葉。
それに伴って出てくるため息を止める術は、まりもには存在しなかった。